
本日は、おめでとうございます
皇紀2686年2月11日紀元節を迎え天皇陛下を戴く、一国民としてお祝い申し上げます
日本書紀の神話の世界が「今も生きている形で結び繋がっている」
今上陛下(きんじょうへいか=現在の天皇陛下)が第126代天皇陛下で初代が橿原神宮すぐとなりの畝傍山(うねびやま)の御陵(みささぎ=天皇陛下のお墓)におわしめす、神武天皇です
上記今も生きているというのは、今上陛下が126代目としてずーっと繋がっているということです これは地球上他にありません
唱歌「紀元節」 戦前(大東亜戦争以前1945)は2月11日に合唱していました
神話と言えばギリシャ神話があります
今のギリシャとは繋がっていません
日本の場合、神代(かみよ)の系譜はそのまま現在の皇室へと繋がっています
世界を見渡しても類い希(たぐいまれ)な国なのです 我が日本は
やまとに建国し京に都を移し、やまとことばで神話の時代からの歩みを文字の無い時代口伝で語り繋いできたのです 我が日本人は
このことに現代の日本人は思いを致し、自分の存在、ルーツ、3代前は分かるが4代5代前それ以前も必ず居られます なぜなら先祖が居ないと自分が存在しないから
建国記念日ではなく、建国記念の日といいます 戦後紀元節復活時の議論で
「建国した日」と断定するのは歴史学的に疑問ということで、実際にこの日に建国されたと断定はできないが、建国されたことをお祝いする気持ちを表明する日にしようということで『建国記念の日』という日にしたと今日の産経正論新田均氏、筆
今後の現憲法廃止、新憲法発布時に
『紀元節』に戻したら良いと、私は切に思います
さて、今日は生憎の雨でしたが、太平洋側にとっては恵みの雨でしたね
先日の雪を別として、降雨はクリスマス以来らしい
毎年の恒例行事で奈良県橿原市に鎮座する、橿原神宮へ参拝してまいりました

今年は本殿参拝の紀元祭には参加せず、拝殿からの参拝ですので少し遅めの到着
雨の紀元節は今まで、30年ほど参拝していますが、無かったのでは?
寒さの底ですから、吹雪の時は何度もありましたが・・・
一ノ鳥居前 ここからが神域 鳥居の脇から入らず鳥居の内から
まずは脱帽、傘を仕舞い、最敬礼 (背筋を正し前屈45°の敬礼)
鳥居真ん中は神さまがお通りなさるところ そこは避けて左端にて

丁度紀元祭が始まる1100頃ですので、参道を歩く参拝者は少なめ
遠く二ノ鳥居が見えます 参道の砂利がこの日の為に分厚く増量されているのが歩いていて分かります 近年神域整備事業が進み、この参道も歩きやすく両端に擬石タイル舗装が為されています
参道には多くの石柱の上に木製銅板葺の灯籠が並びます

立派な灯籠です ステンレス製の銘板を見ますとなんと150万円の奉賛金

南総門を入ります ここからが境内

いつ見ても大きな拝殿です この奥に御本殿
拝殿にて二礼二拍手一礼の参拝

もう中では紀元祭が斎行されています
勅祭ですので天皇陛下の御名代、勅使が幣帛(へいはく=天皇陛下からのお供え物)を持参参上します
テントの下には、この雨でも大勢の奉賛者の方々

拝殿前の大きな絵馬は今年の午の絵馬
参拝後は境内で開催されている、居合の奉納演武を観覧します

戸山流居合道 京都寺川道場 塾頭寺川成海氏

さすが塾頭は凄まじい殺気がありました
居合は真剣ですのでこちらも気合が入ります
真剣を振り下ろした時の「ピュン!」という空気を一瞬で切り裂く音
塾頭の俊敏な身のこなし 時代劇のチャンバラとは違う実戦の動きです
戸山流居合道は帝国陸軍戸山学校で教えていたことが起源 一振一殺
塾頭は頭脳も明晰 京都の旧帝国大学の院を出て現在は大阪の旧帝国大学で教鞭を執られています ちっちゃい頃から知ってますねん えらいな~
師範に暇の挨拶をして、帰路へ
三々五々紀元節奉祝の参拝の方々が拝殿へ

ものものしい装いですが、日本国の置かれた現状からは戦時
戦闘服、戦闘帽、安全長靴、まぁこれでいいでしょう
平時なら礼装着用ですよ~
直会(なおらい)です 橿原神宮駅えきなかの「きらく」さんで昼メシ

寒かったので熱燗大2本、おでん6種、きつねうどんでお腹いっぱい
店に聞けばごはんが切れるぐらい忙しかったそうで、正月以来
毎年こんな感じで商売繁盛も神武さんのおかげ!

帰りの近鉄電車京都行き急行に飛び乗り爆睡でした
大勢の参拝の方々が、日本国の建国をお祝いしているのを見て、一杯よばれて
ほろ酔い加減で帰路につく
しあわせな一日でした
🎌😄👍🎌
Posted at 2026/02/11 23:53:15 | |
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