
こんばんは。
我が家のゴールデンウィーク旅行の一日目は私の趣味の海軍関係です。
渋滞を避けるため自宅を5月2日(火)の夜遅く2200に出港。
2400に神戸淡路鳴門自動車道の淡路島南PA到着、仮眠します。
久しぶりの淡路島です。20年ぶりくらいかな?
0300出発。四国に入り高松自動車道から松山自動車道をひたすら走ります。
香川県から愛媛県に入る頃には日の出となり、バックミラーに写る情景が四国山脈から上がる太陽が綺麗でミラー一杯がオレンジ色になりました。
瀬戸内沿いの島々を遠望しながら海沿いの高速道路を快調に走ります。

やはりレガシィアウトバックのアイサイト3は楽チンですね~。
0715愛媛県の西端に突き出ている佐田岬半島の中程にある三机(みつくえ)湾須賀公園に到着。自宅から460km
九軍神とは大東亜戦争緒戦となるハワイ真珠湾奇襲攻撃に航空攻撃と共に甲標的という豆潜水艦からの魚雷攻撃で敵の戦艦を襲撃した作戦で戦死された岩佐直治中佐以下9名のこと。
九軍神慰霊碑文
この碑は、昭和16年12月8日大東亜戦争の先陣として、ハワイ真珠湾攻撃に特別攻撃隊として散った九人の軍神を慰霊するために建立されたものである。
軍神は戦いに赴く前に、三机湾を基地として極秘の訓練を受けるために、この地に滞在したが同地方の人々との交流も深く、彼らの逸話美談が今も町民の間の語り草となっている。
この解説板の背景の九本の柱は、軍神のみたまの数をあらわしたものである。
最近知人からこちらの慰霊碑の存在を教えていただき、是非今回の四国旅行時に行かないともう行けないかもわからないと思い参拝しました。
真珠湾奇襲攻撃といえば華々しい勝ち戦と思われますが、当然この戦いで我が方にも戦死された方々が居られます。
その中でも潜水艦攻撃という決死の作戦が行われたということが、戦後忘れられたのは残念でなりません。
2021年には慰霊碑の隣にこちらの碑も建立されました。

昭和16年11月10日水上機母艦千代田艦上での最後の写真です。
第3潜水隊司令佐々木半九大佐への決戦を前にしての伺候のため千代田を訪れた時の記念の写真。前列中央が岩佐直治大尉他士官で戦時の礼装で白手袋をしておられます。後列は下士官五名、こちらも礼装で勲章を佩用されています。
いずれも覚悟の表情が伝わってきます。
この写真では2名×5艇の10名が写っています。このなかで1名だけが艇の故障、座礁によりオアフ島の浜に打上げられ大東亜戦争最初の捕虜になる酒巻少尉です。戦後は日本の復興に辣腕を振るわれ企業人として太成されました。

波静かな瀬戸内海に面する三机湾の三枚です。
あなた方が居られたから今の日本があります。
空と海中からの攻撃に米国を震撼させました。こういった決死の攻撃に敵ながらあっぱれと軍人同士は戦後交流を紡いできました。
心静かにお眠りください。
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Posted at
2023/05/05 21:01:22