
皆さん、おはようございます。
暑中お見舞い申し上げます。
連日オリンピックの報道が、暑いですね~。
今回のメダルで「馬術」「92年ぶり!」と言う言葉が踊ってました。
近代史を研究している身としては、すぐに「お~!バロン西!」と声を上げてしまいました。
まずは、パリオリンピック馬術競技団体、大岩義明選手(nittoh)、戸本一真選手(日本中央競馬会)、田中俊之選手(乗馬クラブクレイン)、銅メダルおめでとうございます。

綺麗な写真ですね。

ユニフォームは日本国旗のカラーである、白と赤が眩しいです。
最初に断っておきますが、私は戦争を肯定するものでも、帝国陸海軍を礼賛するわけでも、又米国に対して恨みがあるわけでもありません。
ひとつだけ言わせていただきますと、国のために命を掛けて戦ってくれた、御先祖、御英霊に対し尊崇の念から、いち国民として「このような方々もおられたのです。」と今を生きる方々に少しでも、記憶に留めて欲しいと思う事です。
さて、92年ぶりとの報道を見られた方は、「へぇ~!」と思われたと思います。
西竹一選手は、昭和7年(1932)ロサンゼルスオリンピックで馬術・障害飛越(しょうがいひえつ)の金メダリストとなりながら、帝国陸軍将校として終戦の年、硫黄島の激戦に於いて壮烈なる戦死を遂げられました。
説明はWikipediaと笹川スポーツ財団で紹介されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AB%B9%E4%B8%80
https://www.ssf.or.jp/knowledge/history/olympic_athlete/03.html
西竹一陸軍大佐の御生涯については、上の説明をご覧になってください。
その説明から、華族出身の陸軍将校であるにも関わらず、偉ぶらず、幅広い見識と大いなる情熱と行動力を持ち合わせていた、西大佐だからこそ恵まれた環境を思う存分出し切ることが出来たのでしょう。人種差別が世界を覆っている時代に、日本人として実に貴重な足跡であり、言葉通り火の玉となって駆け抜けた御生涯だったと思います。
下に写真を紹介します。

イケメンですね~。
西竹一中尉と愛馬ウラヌス。
昭五式という軍服で、将校ですので自費でオーダーします。
(下士官と兵は官給品が支給されます。)
上の写真から分かるのは、襟高が通常の将校服よりも1cmほど高いハイカラー。軍帽も天井部分の前方襠高をかなり上げたチェッコ式で当時の青年将校のお洒落なスタイルです。

ロスへ旅立つ列車内で、見送りのご家族との記念写真。
騎兵サーベルの柄に掛ける手には、上質な鹿革手袋。

ロサンゼルスオリンピック競技中。
上のパリオリンピックの写真と比べて、西竹一中尉の方が高く飛んでません?

凱旋後東京駅に立つ馬上の西中尉。右手にはしっかりと国旗。
これから皇居に凱旋報告の途上。

上の上写真のセンターが西中尉。手にマントを持ち乗馬用長靴はエルメス製。
上の写真は報告を終わり、皇居を出る西中尉。一番右。
175cmの高身長が分かります。

騎兵科は時代と共に、戦場での出番がなくなり戦車へと置き換わっていきます。
硫黄島の戦いで、中佐の西連隊長はこの戦車で戦い、壮烈なる戦死を遂げられました。
改めて、歴史を振り返る機会を与えてくれた、日本チーム銅メダルに感謝し、御英霊となられた、西竹一大佐のご冥福をお祈り致します。
拝
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海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
Posted at
2024/08/04 08:08:42