
皆さん、おはようございます。
今朝の京都府南部地域は、15℃くらい(0700)と、ぬくい(あたたかい)朝です。
明日以降は寒波が降りてくる予報で、平年並みになりそうで、そろそろスキーの準備せな~。😊
さて、先々週の11/2~11/3に訪問した、広島県呉市研修の続きです。
今回は間宮羊羹を紹介します。
間宮とは、帝国海軍に在籍していた給糧艦(きゅうりょうかん)で、糧食を艦艇に供給する特務艦(運送艦)の事です。
(詳細Wikipediaでご参照ください)

大和ミュージアム入場受付の状況。相変わらずえらい人気ですね~。
1000の入場前には長蛇の列でした・・・。三連休初日でしたし、余計か。

私共はミュージアムには入場せず、ミュージアムショップでお土産を物色します。

売店の一角をずら~っと羊羹が占領しとります。😊
間宮羊羹(大)、(中)、(小)が大きく場所取り。
昔は「江田島羊羹」もあったと思いますが・・・。

「巡羊羹」!この名前に変えたかな? なんともウィットが効いてる海軍らしい。
ついでに、こんなものも購入。

間宮羊羹と共に、羊羹を切る「間宮羊羹専用 海軍刀」。😊
戦前に羊羹を切る海軍刀はなかったですよ~。なるほどーついでに売れるかも。

開封すると、羊羹の小サイズが四つ入っています。

小サイズをあけて食します。甘すぎず、少し塩味がある飽きの来ない寒天が入った羊羹で美味いですよ~。昔に買った時は昔ながらの一本ものの太いやつでした。
食べやすくしてるのも、優しい気遣いですね。
給糧艦間宮については、ネット検索で大体の情報はつかめると思いますが、
阿川弘之著「軍艦長門の生涯」で間宮のことが書かれているくだりがあります。
実際に当時間宮を利用した海軍士官にインタビューしたり、語り草になっていることが記述されていますので、少し長いですが下記に転載します。
『・・・彼らが本当に喜ぶフネは別にいた。それは、日本海軍最初の給糧艦として、大正十三年の夏神戸の川崎造船所で完成した間宮である。
艦隊に配属され、この年(昭和二年)あたりから、ようやくその機能をフルに発揮し始めたところであった。(中略)ちゃんと軍艦旗をかかげているが、シルエットはただの貨物船にしか見えない。(中略)平時そのスペースは別の用にあてられていた。もっぱら食糧を積んで、所属港の呉と、艦隊作業地との間を往復している。
見たところ勇ましくも美しくもないが、これほど艦隊の全将兵に愛されたフネは、ほかになかった。
「間宮入港します」
と届けるときには、若い信号兵の声の調子がちがってる。ずっしりと吃水(きっすい)の深いその姿が見えて来ると、艦隊が何となく活気づく。
「間宮、錨を入れました」
と言う報告を聞くか聞かないかに、各艦のランチ(内火艇)が、白波を蹴立てて集まっていく。
長門が聯合艦隊のシンボルなら、間宮は聯合艦隊のアイドルであった。
乗員の三分の一が傭人で、菓子屋、豆腐屋、肉屋などの職人が、八十人ばかり乗っていた。
艦内に「豆腐及びこんにゃく製造室」とか「最中及び羊羹製造室」といった、軍艦らしからざる作業室がずらりと並んでいる。
「うどん製造室」「アイスクリーム製造室」、卵とミルクのたっぷり入った間宮アイスクリームは、東京者の若い士官に、銀座のコロンバンや資生堂を思い出させたし、上等のつぶ餡を使った間宮最中、焼きたての間宮パンは絶品であった。
(中略)
演習がすんでホッとしているところへ、間宮が入港すると、早速クラス会の申込が来る。各艦に糧食を配給する一方、各艦からの色んな期の同期生達が間宮に集まって、新鮮な葱と牛肉、出来たての豆腐や糸ごんにゃくですき焼きパーティをひらく。間宮の士官室は、客船のサロンなみに広くとってあった。・・・・』
間宮羊羹をほおばりながら、帝国海軍の古き良き時代が目に浮かびます。
😊👍
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海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
Posted at
2024/11/17 12:16:09