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2025年06月17日 イイね!

人生儀礼 還暦

人生儀礼 還暦皆さん、こんにちは。
暑いですね~。水分多く摂って暑さに負けないようにしましょう。

さて、先週末は私の60歳の誕生日を迎え、同僚がお祝いをしてくれました。
記念の品をたくさんいただき、気の利いた贈り物に目頭が熱くなりました。
お花は、初夏らしく涼しげなものをチョイスしてくれ、nice!

私が皇室を崇拝し、海軍が好きやっちゅう事はみんなが承知してまして、何かにつけてマーク入を捜してくれました。

桐箱に入った天満切子グラスは、還暦ということでレッド。



底を見ると、ビックリ! 桜に錨のマークが、それもディティール抜群の彫刻。
これには、涙がちょちょぎれました~。😂
これでいただいた日本酒、飲ませてもらいました。

菊花御紋入の金平糖や御守りなどなど。細かい贈り物が色々・・・。
そんな、気ぃ使わんでもエエがな~。





ハレの記念日に相応しい、紅白の金平糖を捜してくれました~。


日本中で一番高いところにある、神社とのこと。東京タワーの上にあるらしい。
私の名前の1字が刺繍された、御守りです。どこで見つけてきたんやろ?
よく見ると、トンボが何匹も飛んでます。
前しか飛ばない、後悔しない、縁起がいい昆虫の蜻蛉(とんぼ)。



セッティングしてくれたのは、大阪は北新地の27Fスカイレストラン。
眺望が素晴らしく、夜景が綺麗でした。

先輩も駆けつけていただき、私の現場で育った彼らも今や大所長や中堅。
年月が経つのは、本当に早いものです。

建設工事に携わり40年弱。
現役も一旦これで小休止。あとの人生は余録と考え、もう少し時間に余裕がある働き方にしたいもんですが・・・。おんなじ事するんでしょうね~。

さてと、バイクにあと何年跨がれるかな?20年は無理か?80歳ですもんね~。
でも80歳を目指しますよ~。まだまだこっち(バイク)は現役や~!
😊👍
Posted at 2025/06/17 18:37:44 | コメント(3) | トラックバック(0) | 記念日 | 日記
2025年06月16日 イイね!

横須賀 遠征詳報④ 靖國神社 東郷神社 乃木神社

横須賀 遠征詳報④ 靖國神社 東郷神社 乃木神社皆さん、こんばんは。
今日の京都府南部地域は、梅雨の晴れ間で無茶苦茶暑かったです。
最高33℃くらいで今週は梅雨の中休みみたいです。
真夏の酷暑への助走期間ですので、身体を慣らしていきたいもんです。
でもTVでは例年の如く、なんでこんなに誇張して暑い暑い報道すんでしょうかね。
昔もこんな感じで6月、7月は真夏の準備で雨と曇り、晴れが交互にあって、晴れ間は暑いに決まってるのに、視聴率稼ぎに報道しすぎでうんざりです。
国民をバカにしては、いけません!

前回ブログの続きです。
5/28水曜日の朝は横須賀海軍墓地慰霊の後、ここまで来たのですから靖國神社に行かないと心残りになります。
3年ぶりの訪問です。

戊辰戦争から佐賀の乱、西南戦争などの内戦、明治御一新の先駆けとなり斃れた吉田松陰をはじめとする幕末の志士達、さらに日清日露、一次大戦、満州事変、上海事変、支那事変、大東亜戦争など国家防衛のため、ひたすらに「國安かれ」の一念のもとに、尊い生命を捧げられた軍人、軍属、文官、従軍看護婦、勤労奉仕の学生、女学生、そして日本人として共に戦った、台湾、朝鮮人の方々、シベリア抑留中に「国恋し」として亡くなられた抑留者、事後法で裁かれ処刑された方々。

その数246万6千余柱。
脱帽、最敬礼で幾多の御英霊に対し奉り、尊崇の誠を捧げました。

平日にも関わらず、大勢の参拝者で日本人の若い方が目立ちます。
遊就館へ。



全国の護国神社で紹介されていることが多い、極東國際軍事裁判所インド代表判事ラダ・ビノード・パール博士。
旧盛岡藩南部家当主、南部利昭宮司の顕彰碑碑文をお読みください。
【 現在を生きる日本国人に知って欲しい、貴重な遺訓です。 】

遊就館を訪問します。

一部以外撮影厳禁です。
合掌。
遊就館の展示が見やすくなりました。

平成14年に本館を全面改修し、現在のガラス張りホールにした頃から20数年が過ぎ、拝観者は20代~40代の方が増え、外国の方も増えたため、昨年の10月から12月まで休館し、展示内容を見やすくし、説明文をわかりやすく書き換え、英文を併記するなど、英霊の「みこころ」を多くの方に伝えるリニューアル工事が完了。
皆さんも是非一度(再度)、遊就館を訪問してみてください。

遊就館を後にし、駐車場手前数年前にオープンした靖國八千代食堂に入ります。





知覧の富屋食堂で有名ですね。玉子丼をいただきました。初めての訪問です。
甘めの味付けで、玉子がとろとろ。美味しくいただきました。

次は東郷神社へ。30数年ぶりの再訪です。

祭神は「元帥海軍大将従一位大勲位功一級侯爵東郷平八郎」
京都までの帰路、交通安全を祈願しました。
住所:東京都渋谷区神宮前1-5-3 原宿駅からすぐの都会のど真ん中。






境内が30年前とはまったく変わっていましたね~。
水交会のピーターハウスどこやろ~?と迷いました。
昔は宝物館があったような気がしたんですが、今は何も東郷大将の遺品は展示されていないんですかね。
ほんと、隔世の感がありました。

次は、乃木神社へ。こちらも30数年ぶりに訪問しました。



祭神は、「陸軍大将正二位勲一等功一級伯爵乃木希典」と静子夫人。
東京都港区赤坂8-11-27 駐車場は鳥居向かいのコインパーキングに駐車。
脱帽、敬礼。

乃木神社の境内は、30年前とあまり変わっていないように思います。
うっすら見覚えがあります。
こちらには、遺品を展示した宝物館があります。



日露戦役での武勲で、明治天皇より下賜された、恩賜の金時計。(左)


日露戦争で戦死した、長男勝典中尉のサーベル型軍刀。武士の魂に合掌。

居宅も保存状態がよく現存。居宅の中が外から窓越しに見えるように、回廊を設置しています。







当日は外国人の親子も拝観に訪れ、父親が小学生くらいの子供に教えていたのが印象的。しっかりと旧乃木邸の説明板を父親が読み込んでおられました。
この家族の後ろに続いて、回廊をゆっくりと歩き、居宅内を観覧します。




乃木坂というくらい、敷地にかなりの落差があります。
東京メトロ千代田線の乃木坂駅、1番出口上がってすぐが神社境内入口。
帰り鳥居を出たところで、若い女性二人組が地下鉄出口を出てきて、「あーここだー!」と嬉々として鳥居をくぐっていく様を見るにつけ、「パワースポット」や「御朱印」ブームであるけれども、国のため命を捧げた偉人は伝承されていくんだな、と少しばかり感動しました。😊

乃木大将夫妻は、今から113年前の7月30日、明治天皇崩御の大喪当日、この自宅内で殉死されました。合掌。

横須賀の日本海海戦記念式典の翌日、駈足で都内を回りました。
今後はじっくりと都内の軍関係の遺跡を訪ねてみたいもんです。
帰路は、代官山で20㍑のみ給油のあと、1600首都高、2050京都の自宅に上陸。
Posted at 2025/06/17 00:16:40 | コメント(2) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
2025年06月15日 イイね!

横須賀 遠征詳報③ 中井パン店 海軍墓地

横須賀 遠征詳報③ 中井パン店 海軍墓地皆さん、こんばんは。
今日の京都府南部地域は、朝方まで降った雨も上がり、一日中曇り空で梅雨らしく湿気の多いじめじめした1日でした。





今回は横須賀遠征第3弾、まずは横須賀のソウルフード?中井パン店さんから。
5月28日水曜日訪問。

住所:〒238-0014 神奈川県横須賀市三春町1丁目20−4
国道16号線沿いにあります。駐車場はありません。
路駐はいけませんので、お隣にコインパーキングがありますので、そちらに駐車。
地元のパン屋さんらしく、昔ながらに飾り気のない陳列ケースが歩道に面します。



京都市内でも超人気の地元パン屋さんがありますが、おんなじ感じですね~。
リーズナブルな昭和のパン屋さん。
やっと念願が叶いました。行きたかったんですよ~!😊 0750頃到着。

店員のおばさん(失礼!)と会話。
何が1番人気ですか~? そりゃーポテチパンですね~。その次は?
男の人でしたら、ハンバーガーでしょうかね~。
京都から来たんで、やっぱり人気のパンをいただきますわ~。
えー!京都から?! 私出身は大阪なんですー!結婚してこっちに来たんですよー。っていうことでそこから大阪弁がではりました。それじゃーお気を付けてー!ということで、ポテチパンとハンバーグパンを買いました。
ベーカリーのパン屋さんでは、高いとこもいっぱいありますが、むっちゃリーズナブル。どちらも200円ちょいで買えますからね~。



まずは、ポテチパンから。名の通りポテトチップスとキャベツなどが入ってます。
これは初めての食感。美味いですね~。

次はハンバーガー。



食いさしですいません。肉厚のハンバーグがレタスと一緒にサンドされています。
これも美味かったですよ~。ポテチパンと二つを朝食として、お店隣のコインパーキングの車の中でよばれました。お腹一杯になりました。
まさしく、ソウルフード。ご馳走様でした。😊

次は横須賀海軍墓地(馬門山墓地まもんざんぼち)へ。
ちゃんと上着を着て、服装を正します。

明治時代から大東亜戦争までの御英霊一五九二柱が祀られています。
戦前までは横須賀鎮守府が管理していましたが、戦後は横須賀市に移管され現在は一般墓も併設されています。
毎年5月に海上自衛隊横須賀総監部が墓前祭を催行されています。

まずは、門前にて一礼し墓苑に入ります。



さつき、ツツジが満開で、綺麗ですね。一歩一歩お山の上の墓地に上がります。

こちらの海軍墓地は三箇所に渡って、墓地があります。
まずはこちら、下士官兵の方の墓地です。墓石が長年の風雨により、朽ちているものもあります。

合掌、最敬礼。
朽ちているとはいえ、しっかりと文字は残っていて読むことができます。参道沿いの墓石を読み取ると日清戦役での戦闘で散華されておられました。
この御英霊の戦功を称える為、文字を読み取り合掌しています。

一番上の台地には、慰霊碑と御英霊の墓地があります。

上海事変(しゃんはいじへん)戦死者之碑。
第一次上海事変。昭和7年(1932)1月~3月 支那軍(中華民国)との戦闘で戦死約770名、負傷2300名以上の損害を出し、一次大戦を上回る損害を出した大激戦。
第二次上海事変。昭和12年(1937)8月~11月 支那軍(中華民国)との戦闘で戦死9000名余、負傷30000名余の激戦で日本が勝利。支那軍は上海から撤退。

第四艦隊遭難殉職者之碑。

昭和10年(1935)9月下旬、岩手県沖で定時艦隊対抗演習の為艦隊行動をとっていた第四艦隊が台風に遭遇。戦時台風荒天下での練度向上になると判断され演習が決行された結果、当時最新の特型1等駆逐艦初雪が艦橋直下から先の艦首部切断。後に艦首発見後、曳航を試みるも高波で断念。艦首部に取り残された乗員の救出見込みなしの状況で、艦砲射撃で沈められました。
他の艦艇でも深刻な損害がありました。空母龍驤 は高波により、艦橋圧壊。重巡妙高は船体中央部の鋲が弛緩。軽巡最上は艦首外板に亀裂発生。死者54名を出した海難事故です。

軍艦筑波殉難者之碑。明治40年(1907)竣工、当時は一等巡洋艦。大正元年(1912)艦種類別変更で巡洋戦艦となります。




竣工時のポストカード。明治40年代。

竣工後アメリカ植民300年祭記念観艦式に派遣。第二艦隊旗艦として参列。
軍艦筑波は明治の終わりから大正の初めまで皇室との関わりが多く、御召艦として明治天皇、大正天皇、当時摂政宮の昭和天皇も乗艦された軍艦でした。

大正4年(1915)12月、大正天皇即位特別観艦式が挙行され、筑波艦は大正天皇座乗の御召艦をつとめました。

上写真は正面の御召艦に向けて登舷礼式をする下士官兵。
この時は停泊式の観艦式で、錨泊している艦艇を御召艦がその艦首側を微速又は最微速で親閲します。この写真の注目は2点。
まず登舷礼式は通常海側に向けて正体しますが、天皇陛下座乗の親閲艦が艦首側を通りますので、艦首に向けて正体しています。
二つ目は、手前主砲の左側に礼砲が据えられています。
御召艦が親閲海域に入ると、一番近い艦から順に21発の皇禮砲を発射します。
礼砲はもちろん、空砲で音だけです。

【爆沈】
大正6年(1917)1月14日、横須賀軍港内にて爆沈しました。
当日は日曜日のため、半舷上陸で乗員の半数は横須賀の町に上陸していました。
午後3時過ぎ、艦橋と第一煙突の間で大爆発が一瞬にして発生し、5分程で沈没。
軍港内は浅海面のため、艦橋や煙突の一部は海面から露出。
艦内に340名ほどがいましたがその内125名が死亡27名が行方不明となりました。

爆発原因については、主砲砲弾の火薬の自然発火が一番最初に疑われました。
三笠も佐世保軍港で自然発火が原因でこの前に沈没しています。
査問委員会では、人為的に起こされたと結論づけられました。嫌疑者として最も有力とされ行方不明となった二等水兵が爆発当日に窃盗を疑われて、詰問されていたことから自暴自棄になり、犯行に及んだことが推定されましたが、真相は不明。
(写真や解説は一部Wikipediaから引用しています)

これら、紹介した以外にたくさんの慰霊碑、個人墓などが管理されています。
改めて、御英霊に合掌。
御英霊の御霊を守り伝えていくことをお誓いしました。
Posted at 2025/06/15 23:25:24 | コメント(2) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
2025年06月11日 イイね!

横須賀 遠征詳報② 海自桟橋、横須賀駅、関東大震災慰霊碑

横須賀 遠征詳報② 海自桟橋、横須賀駅、関東大震災慰霊碑皆さん、こんばんは。
京都府南部地域の梅雨入り後は、大雨が続いてます。
ご用心ください。

先月5/27(火)横須賀記念艦三笠での日本海海戦120周年記念式典に参加し、28日(水)は横須賀市内を散策しました。

0600お宿を出て、ほど近いベルニー公園を散歩します。

逸見の岸壁には、手前に三隻の自衛艦。左二隻が練習艦隊。
今週13日(金)には「かしま」「しまかぜ」の練習艦隊は広島県江田島幹部候補生学校を卒業した、実習幹部を乗せ遠洋航海に旅立ちます。
千変万化の大海原を安全に航海する術(すべ)を養い、戦闘行動も同時に行う「軍人」としての乗艦実習をしながら、アメリカ、南米に旅立ちます。
今年秋にはシーマンシップを培い、日焼けした顔を全員が無事に見せてくれることを祈ります。ご安航を・・・!

横須賀駅にも立寄り。



現在の駅舎は昭和15年(1940)に新築されたと記されています。


上を見ますと、母屋が木造です。
階段や段差が全くないまま、ホームへ行けますね~。これは初めて見たかも。
昔も今も海軍軍人の最寄り駅。

お宿への帰り道に、震災記念閣供養塔入口の石碑がありました。

中へ入っていきます。






横須賀市汐入2丁目、港町公園内にひっそりと建っている、関東大震災の供養塔やお地蔵さん。
こうべを垂れ、合掌黙祷。

今から102年前の大正12年(1923)9月1日1158発災。
ここの崖が大きく崩壊し、横須賀駅と町とを行き交う人々が、多数生き埋めになられました。
苦しかったでしょう・・・痛かったでしょう・・・。  改めて黙祷。
横須賀市全体で、死者683名、不明24名、計707名(横須賀市HPから)

当時の海軍は、聯合艦隊が定時演習で旅順沖に出動しており、震災の報で直ちに演習取止め、救援物資積込み、急速出港。
特に第一艦隊の各艦は横須賀籍の艦艇多く、乗員家族の安否不明で、相当な心労であったと思われます。
発災4日後の9月5日には、横須賀に住居がある者だけを上陸させ、艦隊は品川沖に到着。救援物資を荷下ろししています。

阪神大震災以後、活動期に入った地震活動を見ていると、阪神の時は社会党が政権を担い、東北の震災時は民主党が政権を担っていました。
現政権の末路も近いし、次の政権が野合政権に陥ると、「南海トラフ」が襲ってくるのではないかと、ほんとに心配しています。
常に備えよ!日本。・・・・・安全保障もまったく同じです。
Posted at 2025/06/12 00:05:19 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
2025年06月08日 イイね!

横須賀・遠征詳報① 走水神社 (味美食堂)

横須賀・遠征詳報① 走水神社 (味美食堂)皆さん、おはようございます。
いよいよ近畿も梅雨入りしそうです。
どんよりと曇って、湿気がでてきました。

さて、先月5/27に横須賀の記念艦三笠で催された、日本海開戦記念式典に出席するため、横須賀遠征しましたが、三笠以外に訪問した所のご紹介です。

【走水神社】
1030頃駐車場到着。接続道路は一部道幅狭く、海軍式に言うなら「狭水道通過」。
ちゃんと駐車場の誘導看板ありますので、その通りに行くと辿り着けます。

2回目の訪問になります。水色の鳥居は珍しいですね。
この日は平日にも関わらず、三々五々参拝者がおられます。
若いカップルが神社の由緒書きを熱心に見られています。(パワースポット!)




弟橘媛命記念碑(おとたちばなひめのみこと)記念碑は明治43年(1910)に東郷平八郎大将などが発起人となり、建立されました。
倭建命(やまとたけるのみこと)がここ走水から対岸の房総半島に海上を渡るとき、海が時化て渡れません。この時、妃の弟橘媛命が人身御供(ひとみごくう)となり、自ら海に身を投じ海神の怒りを納めました。この時に読んだ歌を碑に刻み、弟橘媛命の霊安かれと祈願し建立されました。

社務所にお邪魔し、少しお話を伺いました。

参集館に上げていただき、ご説明いただきます。
左の額は、上の記念碑を建立した折に、発起人それぞれが揮毫した額です。

床の間の真ん中には、弟橘媛命の入水時の掛け軸。

横須賀市が地元の小泉純一郎と父の小泉純也の掛け軸が掛かっていました。
お話を伺ったのは、氏子世話役の方。
帝国海軍時代から、海軍の崇敬を受け、現在の海上自衛隊にも引き継がれていることなどなどのお話を聞きました。お忙しい中ありがとうございました。

【味美食堂】
神社をあとに、国道沿いの食堂を覗きますが、行列・・・。

平日1120頃ですが、5人待ちの状態。
アジフライ定食、食べたかったんですが今回もあかん、式典に間にあわへん。次回にします。(まだ1回も食べられず・・・)
😊👍
Posted at 2025/06/08 08:37:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記

プロフィール

「[整備] #ZX-9RB型 エンジン始動 各部点検 拭き取り洗車 https://minkara.carview.co.jp/userid/3282555/car/2981826/8338079/note.aspx
何シテル?   08/18 18:09
小さい頃から乗り物が好きでした。社宅の敷地内で父親に運転を教わり小学生の頃から高校生までいろんな車に乗りました。 運転免許所持前(私有地内) 車歴 昭和43...
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お盆休み、のんびりと過ごす。 
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2024/09/09 21:48:15
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