
本年から遡ること100年前の大正11年(1922)4月12日、当時の英国皇太子プリンスオブウェールズ後の英国国王エドワード八世(退位後ウィンザー公爵)が戦艦『レナウン』で来日しました。日英同盟の絶頂期でありましょう。
この来日は前年の大正10年(1921)当時摂政宮の昭和天皇がヨーロッパ各国を訪問したことへの答礼としての訪問でした。
来日中は東京での歓迎公式行事、奈良、京都の遊覧、広島県呉江田島の海軍兵学校訪問、最後は鹿児島県島津家での遊覧の後、離日されました。京都では保津川下りをお楽しみになったとのことです。
タイトル写真は
左から摂政宮(後の昭和天皇、陸軍近衛少佐の通常礼装)、貞明皇后(大正天皇皇后、摂政宮の母君)、英国皇太子(陸軍大佐の通常礼装)、一人おいて一番右に日本側接伴委員長元帥海軍大将東伏見宮依仁親王(海軍大将の通常礼装)。

上の写真は大正11年(1922)5月8日江田島の海軍兵学校を訪れたときのもの。(鮮明ではなくてすいません)
場所は表桟橋。軍艦「木曽」に御乗艦。上陸されました。(海軍兵学校ではこちらが正門)軍帽に白覆いがある方が英国士官で答礼しているのが、英国皇太子。
皇太子の左胸には大正天皇から授与された大勲位菊花大綬章の副章を佩用。
左奥では、頭(かしら)左捧(ささ)げ銃(つつ)の敬礼で英国皇太子一行を迎える儀仗兵。
服装は日英双方とも海軍通常礼装で、英国側が長剣なのに対して日本側は短剣の違いがあります。一番右が当時の兵学校長千坂智次郎中将(海兵14期)、右から二人目が日本側接伴員山本信次郎大佐。

軍艦旗を背に和装の英国皇太子。(艦上パーティー)

こちらも軍艦旗を背に法被(はっぴ)姿の英国皇太子(真ん中)。この法被は京都で自ら購入したとのことで襟には高島屋呉服店、配達部とあります。右は後の海軍元帥マウントパッテン大佐。なんともお茶目ですね。

最後の滞在地である鹿児島県島津家では鎧兜姿も披露されました。
日本の文化を存分に味わって御帰国なされました。

英国王在任一年足らずで米国人シンプソン夫人と「王冠を賭けた恋」で退位されました。
帝国海軍を研究している関係上、日本海軍に大きな影響を与えた英国海軍も興味があり今回紹介しました。
英国海軍士官のスマートな礼装姿。『軍帽をちょいと斜めに被った英国の若い貴公子のスタイルが当時の日本海軍士官にも影響した』と阿川弘之先生の「軍艦長門の生涯」にもある英国皇太子エドワード・アルバート殿下の写真です。なんとも格好いいですね。
Posted at 2022/04/11 01:22:12 | |
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