
明日8/15は終戦の日ですね。
戦争を賛美するつもりは毛頭ありません。
しかし国のため、郷土のため、家族のため、恋人のために戦い散華されたご英霊に対し、静かな気持ちで心安かれと尊崇の気持ちを表したいものです。
戦後77年も経ちますとご存命の方で昭和一桁の方も少なくなり、戦時中のことが忘れ去られようとされている昨今。
今回取り上げる「もしかすると原子力爆弾投下がなかったかもしれない」戦いです。
原爆を投下したB29は日本の南、戦後ではなじみ深いサイパン島の8km南に位置するテニアン島の基地で原子力爆弾を搭載し、広島8/6、長崎8/9に投下し甚大な被害を日本に加えました。一般市民を殺戮する行為を米国のトルーマン大統領は犯したのです。
このテニアン島に原子力爆弾を海上輸送したのが、米国海軍重巡洋艦インディアナポリスです。

米重巡インディアナポリス (Wikipediaより)
米国本土への帰路、日本海軍潜水艦イー58は7月30日未明6本の魚雷攻撃で見事インディアナポリスを撃沈したのです。

日本海軍潜水艦 イー58 (Wikipediaより)
これがテニアン島への往路で撃沈しておれば、原爆投下はありませんでした。
このことは戦後、当時艦長の橋本以行(はしもともちつら)中佐が語っておられます。

橋本以行海軍中佐 (Wikipediaより)
当時イー58潜は人間魚雷回天を甲板上に搭載していました。
7/30の魚雷戦では回天搭乗員から回天戦を命令してほしい旨、何度も意見具申されましたが、敵艦を完全に補足している以上無駄な特攻攻撃は取りやめ魚雷戦用意を下令されました。距離1500m、深度4mで6本の魚雷を3度の角度で扇状に3秒間隔で発射し内3本が命中。インディアナポリスは15分で沈没しました。
大東亜戦争の海軍での最後の戦果でありました。
戦後橋本艦長は実家である京都市右京区梅津の梅宮大社へ戻られ宮司、名誉宮司をされ、2000年10月にお亡くなりになりました。
現在はご子息が宮司をされています。

2010年に参拝したときの写真です。境内は梅の種類が多く春先はきれいです。

こちらの神社は子授けでも有名で、境内のまたげ石にまたがりお祈りすると子供が授かるということです。
(我々夫婦もこちらにお参りし、子供が授かりました)
私が所属する団体数名で橋本艦長がお亡くなりになる前に少人数でこの当時のお話を直接お聞きする機会に接しました。
1999年だったと思いますが梅宮大社庫裏にあげていただきお話を聞きました。
橋本艦長は魚雷戦の模様を畳半畳分くらいの大きな紙に絵を書いていただき、わかりやすくご説明されました。
できるだけ回天戦をさけたかったが、「いざという時は躊躇なく出しました」という毅然とした言葉に震えました。武人を見た思いです。
貴重な体験でした。
Posted at 2022/08/14 23:41:35 | |
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