
この度は海上自衛隊創設70周年、国際観艦式が挙行され大変おめでとうございます。
今回は私の所蔵する明治41年海軍大演習写真帳をご紹介します。
海上自衛隊は帝国海軍の伝統をすべて受け継いでいます。
艦橋での号令、速力表示など全く同一です。
したがって私は旧海軍という言い方はしません。
海軍に新も旧も無いということです。
しいて言えば旧ではなくて帝国海軍というのが本当だと思います。
では観艦式のことです。
帝国海軍では今の海自のように持ち回りで3年に一回開催すると言うことはなくて、大演習は今の海自と同じく10月~11月に聯合艦隊の締めくくりとして行っていました。その中で観艦式は数年に一度天皇陛下が大演習後親閲するというかたちで行っていました。定期的ではありません。

明治41年(日露戦争から3年後の1908年)今から114年前海軍軍令部長海軍大将伯爵東郷平八郎が統監し大演習を実施し、その後明治天皇御親閲の観艦式を行いました。

大元帥明治天皇。

海軍大演習統監 海軍大将伯爵東郷平八郎に賜りたる明治天皇からの勅語。

舞子行在所 明治天皇の御座所です。 現在の兵庫県舞子の明石海峡大橋辺り。

御召艦淺間 天皇陛下が乗艦する艦を御召艦(おめしかん)といいます。
満艦飾で飾り、後楼トップに天皇旗が翻っています。

軍艦満州に於ける統監部員。着席左から二人目が東郷平八郎大将。
統監部とは大演習の審判部のことです。
演習中の一コマですので、勲章は付けず軍装のままです。

明石に於ける統監部。 地元の学校を臨時統監部としました。
右の札に学校名ありますが判読不明。兵庫県立・・・と読めますが。

東伏見宮依仁親王殿下並びに統監海軍大将伯爵東郷平八郎及び統監直属部員。
服装について、演習は戦時の扱いです。したがってこういった記念写真では戦時の礼装です。第一種軍装に勲章全部佩用(はいよう)、短剣ではなく儀礼長剣、白(鼠色)手袋。

海軍中将男爵片岡七郎及び第一艦隊配属統監部職員。

海軍中将男爵上村彦之亟及び第二艦隊配属統監部職員。

海軍中将男爵向山愼吉及び第三艦隊配属統監部職員。

第一艦隊司令長官海軍中将男爵伊集院五郎及び幕僚。

第二艦隊司令長官海軍中将男爵出羽重遠及び幕僚。

第三艦隊司令長官海軍中将男爵富岡定恭及び幕僚。

第一艦隊司令長官及び幕僚並びに三笠乗員。
服装は戦時の礼装。
以下演習の模様。

上記のアップ。軍艦満州後甲板にて統監東郷平八郎大将の講評。
東郷大将の後ろに統監部総員。手前後ろ向きが第一、第二、第三艦隊司令部職員。
服装は儀式ですので戦時の礼装です。

神戸沖に於ける聯合艦隊。

上記写真のアップ。御召艇。 艇首に天皇旗。 明治天皇乗艇。
後に供奉(ぐぶ)艇。艇首に上部赤線一本の海軍中将旗。
神戸の明治41年当時の街並みが写る貴重な写真です。
ひときわ目立つ白い石造りの建物がオリエンタルホテル(3代目)です。明治40年建築で、出来立てのほやほやで白色が輝いてます。
場所は神戸港メリケン波止場近くの海岸通りです。
波止場以外、写真の右側は砂浜です。

明治40年当時のオリエンタルホテルです。(Wikipediaより)
昭和20年6月5日の神戸大空襲で大きな被害を被りその後取り壊されました。

皇禮砲。明治天皇座上の御召艇に対して21発の皇禮砲。

観艦式。

御親閲。明治天皇による観閲。聯合艦隊が停泊している中を御召艦淺間が航行し観閲。各艦は軍艦の敬礼。御召艦はその都度答礼。

上記のアップ。

夜は電燈艦飾。今の電灯を吊るして発光するのではなく、艦そのものを光らせる。

軍艦満州食堂。 大演習終了後は統監主催の晩さん会を開催。

いかがでしょうか。古い写真帳でしたが昭和の時代でもこのように写真帳として海軍は発行していました。今の海自はどうなのでしょうか。今度聞いておきます。
Posted at 2022/11/20 22:35:32 | |
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