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2024年08月24日 イイね!

地元で見た フェアレディZ に感動

地元で見た フェアレディZ に感動皆さん、こんばんは。残暑厳しい折、いかがお過ごしでしょうか。

さて、今日は地元では初めて見た現用フェアレディZを紹介します。
昼食の調達のため、近所の大型ホームセンターに行った折、駐車場で発見。
間近で対面したのは初めてでした。




かっこいいですね~。シブイ色ですね~。
私らの世代ではマルーンなんでしょうが、今の呼称ではバーガンディーと言うんですね。メタリック(?)ですので光線の加減で、見え方が違います。
間近で見た印象は、小さい・低い!
オプションのフロントスポイラーが付いてます。




斜め後ろからの眺めが、なんともグラマーですね~。
オプションのリアスポイラー。


ええなー、欲しいなー。スバリストですが、このZだけは別格官幣大社ですわ。

調べますと現在生産が追いつかず、2023/8月時点で注文受付け停止中です。
ちなみに価格は税込みで、5,398,800円~6,657,200円。
NISMOは9,200,400円とまさに別格です。

定年過ぎたら、セカンドカーに欲しいんですけど・・・。

現用Zを見て、これまで私が見たZを振返ります。
まず、身近で見たのは中学校入学時(1978)の担任の先生が学校に通勤してたZ。

初代フェアレディZ Z-L
学校の駐車場で初めて見て、誰や~?こんなスポーツカー乗ってるええかっこしーは?と思ったら担任の先生でした。美術の先生でしたのでセンスよかったですね。

中学生の頃に作ったZがこれです。

タミヤの1/12ビッグスケールシリーズのサファリラリー仕様のZです。
かっこよかったですね!1/12ということで作りごたえもありました。

次は学校の同級生が乗ってたZ。





全て借り物の写真です。
2代目Zで、私ら世代ではニューZって言うてました。初代は旧Zと言うてました。
このツレはエンジンや足回りを改造し、この時車好きのバイブル「CARBOY」の特集どおりの改造をしてました。
L28を3Lボアアップ、ソレックス、デュアルマフラーのソレタコデュアルでした。
この車で毎週、阪神高速環状線の木曜日、通称「モッカン」に行ってましたね。
私も何度かこの改造Zの助手席に乗って、「モッカン」に行きました。
エンジン掛ける前の儀式、電磁ポンプのジリジリジリの音が思い出されます。

次は同じ頃にガソリンスタンドでバイトしてた、バイト仲間のZ。
こちらのZは、上と同じニューZですが、ターボチューンしてました。
たしか、SKターボやったと思います。
ハヤシのホイールにYOKOHAMAアドバンのタイプDでした。
ボルトオンターボですから、ドッカンターボで加速力は凄まじかったです。

同じバイト仲間でもう一人Zがいました。(写真は借り物です)

こんな感じの旧Zで、こちらも3Lにボアアップしオーバーフェンダーで一通りの改造してました。

みんないい思い出です。
フェアレディZは国産スポーツカーの中でも、私の別格です。
😊👍
Posted at 2024/08/24 22:10:26 | コメント(2) | トラックバック(0) | | 日記
2024年08月18日 イイね!

歴史を忘れない・・・災害 明治18年淀川洪水

歴史を忘れない・・・災害 明治18年淀川洪水皆さん、こんにちは。残暑が厳しいですね~。今日の京都府南部地域は37℃。
夕立もまったく降りません。いつ降ったでしょうかね~?

さて今回は大阪府枚方市にある、淀川資料館をご紹介します。
名称:国土交通省近畿地方整備局 淀川河川事務所 淀川資料館
場所:〒573-1191 大阪府枚方市新町2-2-10
電話:TEL.072-843-2861
(歴史写真については国土交通省 淀川河川事務所HPから出典しています。)

なぜこちらを訪問したかといいますと、本年6月にブログで紹介した大阪造幣局を訪問した際、「洪水表示石」を見て明治18年の淀川洪水を研究してみたく思ったからです。

8月14日水曜日正午前に自宅を出、自転車にて木津川堤防に出て下流の枚方を目指します。気温38.6℃💦

木津川、宇治川、桂川の三川合流地点。
京都府八幡市(やわたし)、京阪電車「石清水八幡宮前」駅にほど近い木津川に架かる御幸橋から大阪方面の下流側を撮影。
左が男山、右の緑が春は桜で満開となる「背割堤」。右から宇治川が合流してきます。

「背割堤」先端部の三川合流部。右から左に川の流れ。
淀川左岸(南側)をサイクリング。暑い💦


三川合流地点を上流に見てます。左に大山崎の山が迫り、右は八幡市の男山が淀川に落ち込んでます。淀川のスタート地点はこのような狭窄部にあります。


新名神高速道路、高架橋建設現場を通ります。2027年度開通予定。
高槻市側を見ています。淀川は右から左へ流れます。


枚方大橋が見えてきました。上流の三川合流地点から小さく蛇行しながら、現在の枚方大橋手前で大きく右へカーブします。
明治18年6月に大きく決壊したのは、この地点。枚方大橋南詰の付近です。


府道13号線大阪守口線、枚方大橋手前に石碑があります。




「明治18秊(ねん)淀川洪水碑」
このあたりの堤が大きく崩壊し、現在の枚方、寝屋川、門真、大東、四條畷、交野、守口から大阪市内へ濁流が流入しました。

浸水被害面積は約15,269町歩(15142ha)、当時の大阪府全体の世帯数の約20%の72,509戸が最大で約4mも浸水し、家屋流失1,749戸、同損壊約15,000戸、橋の流出512カ所、堤防の決壊224カ所、死者・行方不明者81名、被災者30万4,199人という甚大な被害が発生した。(Wikipediaより)
お亡くなりになられた方に、改めてご冥福をお祈り致します。

淀川資料館に到着です。御幸橋から11km。



淀川水系は起源は琵琶湖ですが、琵琶湖に流れ込む河川も包含していますので、大雨時は凄い水量になります。
明治18年の水害以降、法律面では下記が制定されていきます。
明治29年河川法
明治30年砂防法
明治33年下水道法

明治18年9月の朝日新聞記事、「大坂府下洪水澱川(よどがわ)沿岸被害細図」
昔の旧郡町名ですので、わかりにくいですね。淀川左岸上流の枚方で堤が決壊し
南は若江郡、今の東大阪市若江岩田辺りまで浸水しています。
大坂市街と書かれた辺りは上町台地で標高が高く、浸水していないのがわかります。水色の着色がなく、白い部分が上町台地で北の端が大阪城ですね。


当時木製だった天満橋が流出。
煙突が沢山見えるのは、大阪造幣局の煙突です。


淀屋橋も流出。南詰から北を見ています。
結局中之島などに架かるほとんどの橋は、この大洪水で流出します。
又流出した橋の材料が下流の橋に引っかかり、川の流れを止めるためやむをえず陸軍の工兵隊により、爆破されました。それくらい切羽つまっていたのでしょう。


現在の都島区網島の大阪市庁公館あたりの堤を大坂府市がわざと切り、大阪府東部に侵入した濁流を大川(澱川)に戻す「わざと切れ」を実施。
わざと切れの結果、東部の水位は低下していきます。左がわざと切れ、右から左に濁流は本流に戻ります。

淀川の氾濫から下流地域を守るため、根本的な対策工事が施工されていきます。
下流の大阪で一番大きな変更は、今の大阪市都島区毛馬で淀川が大きく左カーブして大阪市内に流れていたのを、新たに開削し「新淀川」を築造したことです。


黄色い部分が淀川改良工事として明治29年に着工されました。
現在の淀川区十三付近を蛇行していた、中津川を包含する形で新淀川となります。


現在の新淀川。

このような改良工事を、強力に推し進めた方を紹介します。

大橋房太郎。現在の鶴見区放出(はなてん)出身。地元の村長から府会議員となり、大阪のため命を掛けて国に河川強靱化を進めた方です。

今回紹介しました明治18年淀川洪水は、流域に暮らす我々はしっておいて欲しいと思います。このような災害に遇い対策工事を進め日本は国土を強靭化してきたんですね。このような川の氾濫と対策は日本全国どこでも同じような歴史があるでしょう。南海トラフ地震注意情報発令についてもそうですが、日本国内に暮らすかぎり自然の猛威には、抗えません。

『正しく、怖がる』ことを忘れないでおこうと思います。
👍👍👍
Posted at 2024/08/18 18:32:40 | コメント(0) | トラックバック(0) | 災害・予防 | 日記
2024年08月15日 イイね!

79年後の終戦 8月15日 毎年見つめる御英霊のこと

79年後の終戦 8月15日 毎年見つめる御英霊のこと皆さんこんばんは。京都南部地域は、今日も79年前と同じ暑い日でした。
例年この日は、京都市東山区の京都霊山護国神社に参拝しています。

0830境内に集合し、参拝します。
この時間で30℃くらいですので、神社の木漏れ日の下では涼しいくらい。


東京九段の靖国神社と同じで、こちら京都護国神社でも、みたま祭りが開催されています。
朝の静寂の時間に、これまでの戦闘に於いてまた訓練中の殉職などで、散華された御英霊に対して、尊崇の誠を捧げ、御霊安かれと祈願申し上げました。

境内には慰霊碑が沢山あります。


その中で『歩兵第百九聯隊顕彰之碑』がありますので、ご紹介します。

この聯隊は昭和13年京都第16師団管下特設聯隊として、編成されました。


第百九聯隊は昭和18年11月からの常徳殲滅(じょうとくせんめつ)作戦に参加し、連隊長戦死、八百余名が戦死という大打撃を受けました。

今回ご紹介する第百九聯隊は、私の母方の祖父が所属した部隊なのです。
戦闘地域は中支(ちゅうし)、今の中国大陸中部です。

祖父は明治44年(1911)滋賀県、今の大津市伊香立の農家の次男として生を受け、若いうちから京都へ奉公に出、成人して大阪市都島の建設会社に勤めます。
その建設会社の罫紙に万年筆で書かれた『出戦務表』が私の手元にあります。

1ページ目の先頭です。
この『出戦務表』は昭和14年、建設会社に所属時に召集令状を受け、昭和18年無事帰還、召集解除され職務に復帰するときに、会社に報告したものでしょう。
なかなか几帳面な字で、はじめて祖母から見せてもらったときは感動しました。

表題の下、官名が上等兵とありますね。
祖父は召集時28才ですので、多分2回目の召集なのでしょう。
一行目をよく見ると充員召集とありますね。この充員召集というのは戦時の際、充員のために予備役、後備役(こうびえき)の在郷(ざいごう)軍人から召集するんです。
因みに昭和14年召集時には、私の母は1才と8ヶ月でした。
もう一度一行目を見ると、「歩兵第百九聯隊第三機関銃中隊へ入隊」とあります。


同年兵の記念写真。後列右端が祖父。昭和17年(1942)12月13日撮影。
祖父の軍装ですが、折襟の98式軍衣に赤ベタ☆三つの上等兵の階級章が見えます。
左腰には軍刀の柄がみえます。他の人の腰には軍刀が見えないようです。

足元は巻き脚絆(きゃはん)に締め紐を×に綺麗に締めてます。靴は下士官兵用の軍靴(ぐんか)で底には直径7mm位の丸い鉄製鋲(びょう)が沢山ついて滑り止めと擦切れ防止になっています。

前列左には憲兵の腕章をした同年兵。他の兵と違い一人だけ拳銃用ホルスターを左肩から右腰に吊るし、足元は磨き上げた長靴(ちょうか)。目つきが違いますね。


同年兵は在郷部隊ですので、同じ村や隣村が多く名字も同じ人が多いのですね。


『出戦務表』の最後のページ。
「昭和18年(1943)4月30日神戸上陸 省線(国鉄)にて京都に向かう」
「同日 京都駅着 奈良電車(通称奈良電、今の近鉄京都線)にて長池宿舎に入る」
長池は今の京都府南部の城陽市長池です。当時の長池演習場は今も陸上自衛隊がそのまま使用しています。
「同年5月5日 召集解除」
4年弱、2回目の軍隊勤務、お疲れ様でございました。無事凱旋されたので、戦後叔父叔母が生まれました。もし召集解除が秋までずれていれば、上記の常徳殲滅作戦に参加し、戦死していたかもしれません。

今回ご紹介しました、出戦務表や戦時中の祖父の写真その他は祖母が鬼籍に入ったときに、叔母から形見分けにいただきました。
私の息子にそのまた子孫にと、永遠に受け継いで行ってもらいと思います。

ある時期、国のため命を的にして火の玉となりし、先人に思いをはせ、改めて戦塵に散り、護国の英霊となられた方々に感謝の誠とこれからの日本国の発展をお誓いし、本日は護国神社に参拝しました。
Posted at 2024/08/15 23:22:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記
2024年08月12日 イイね!

京都 下鴨納涼古本まつり

京都 下鴨納涼古本まつり皆さん、おはようございます。
毎日お暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
今朝気がつけば、蝉の音(ね)がだいぶん少なくなったような気がします。
(クマゼミ京都府南部)。これからはミンミンゼミでしょうかね~。

さて、昨日は京都市左京区の下鴨神社で開催されています、「下鴨納涼古本まつり」に行ってきました。毎年開催されています。16日まで実施されていますので、興味のある方は、どうぞ。
京都古書研究会
https://kyoto-koshoken.com/


私の家からですと、京阪電車出町柳駅で下車。古本市が開催されている糺すの森までは、徒歩10分弱ほど。


高野川に掛る河合橋から今出川通り賀茂大橋を見てます。
鴨川デルタでは水遊びをする家族らが、遊んだはります。


水が冷たそうですね。


振り返ると五山送り火で最初に点灯する、如意ヶ嶽の大文字が見えます。
もうすぐ、お盆ですね。


糺すの森に続く道を上がります。


この辺りは京都でも有数の閑静な住宅街で、静かで情緒があります。


下鴨神社の鳥居をくぐります。脱帽し敬礼(頭を下げる)。


古本市は糺すの森の中程、5月15日の葵祭りで走馬の儀を行う馬場で開催されます。


古本市が見えてきました。糺すの森を左に曲がり、河合神社の前から北にずーと市がつづきます。


1010の状況ですが、すでにかなりの人出です。しかし暑い・・・。
玉のような汗を吹き出しながら、つぶさに目当ての書籍を探します。
通路の右側のお店をひとつひとつ確認していきます。北の端まで来るのに1時間かかりました。そしてUターンして左のテントを確認していきます。


若い人も沢山吟味されています。外国人の方はさすがに少ないですね~。


1130の状況。通路の向こうは人出による土ほこりで白くもやってます。
水分補強しながらですが、2時間弱見てますと、もうヘロヘロです・・・。
結局お目当ての海軍関係の書籍は発見できず、残念。12時前に退散しました。

お昼ごはんは、いつもの聖護院にあるカレーのビィヤントさんへ。出町柳バス停から201系統に乗車し熊野神社前で下車。東大路通り東側を少し上がります。



カツカレー辛口、薄いカツがちょうど一口サイズにカットされ、食べやすい。
暑い季節に食す辛いカレーは身体中が元気になるみたいで、私のビタミン剤です。


1100円。中辛、甘口も選べます。夏の時期は行列は多くないですね。

次回の古本市は百万遍の知恩寺で10/31~11/4まで開催予定です。
又行こー。
😊👍
Posted at 2024/08/12 06:57:59 | コメント(2) | トラックバック(0) | 年中行事 | 日記
2024年08月04日 イイね!

パリ五輪 馬術競技銅メダル 92年前の西竹一選手の金メダルを想う

パリ五輪 馬術競技銅メダル 92年前の西竹一選手の金メダルを想う皆さん、おはようございます。
暑中お見舞い申し上げます。

連日オリンピックの報道が、暑いですね~。
今回のメダルで「馬術」「92年ぶり!」と言う言葉が踊ってました。
近代史を研究している身としては、すぐに「お~!バロン西!」と声を上げてしまいました。
まずは、パリオリンピック馬術競技団体、大岩義明選手(nittoh)、戸本一真選手(日本中央競馬会)、田中俊之選手(乗馬クラブクレイン)、銅メダルおめでとうございます。



綺麗な写真ですね。


ユニフォームは日本国旗のカラーである、白と赤が眩しいです。

最初に断っておきますが、私は戦争を肯定するものでも、帝国陸海軍を礼賛するわけでも、又米国に対して恨みがあるわけでもありません。
 ひとつだけ言わせていただきますと、国のために命を掛けて戦ってくれた、御先祖、御英霊に対し尊崇の念から、いち国民として「このような方々もおられたのです。」と今を生きる方々に少しでも、記憶に留めて欲しいと思う事です。

さて、92年ぶりとの報道を見られた方は、「へぇ~!」と思われたと思います。
西竹一選手は、昭和7年(1932)ロサンゼルスオリンピックで馬術・障害飛越(しょうがいひえつ)の金メダリストとなりながら、帝国陸軍将校として終戦の年、硫黄島の激戦に於いて壮烈なる戦死を遂げられました。

説明はWikipediaと笹川スポーツ財団で紹介されています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AB%B9%E4%B8%80
https://www.ssf.or.jp/knowledge/history/olympic_athlete/03.html

西竹一陸軍大佐の御生涯については、上の説明をご覧になってください。
その説明から、華族出身の陸軍将校であるにも関わらず、偉ぶらず、幅広い見識と大いなる情熱と行動力を持ち合わせていた、西大佐だからこそ恵まれた環境を思う存分出し切ることが出来たのでしょう。人種差別が世界を覆っている時代に、日本人として実に貴重な足跡であり、言葉通り火の玉となって駆け抜けた御生涯だったと思います。
下に写真を紹介します。


イケメンですね~。
西竹一中尉と愛馬ウラヌス。
昭五式という軍服で、将校ですので自費でオーダーします。
(下士官と兵は官給品が支給されます。)
上の写真から分かるのは、襟高が通常の将校服よりも1cmほど高いハイカラー。軍帽も天井部分の前方襠高をかなり上げたチェッコ式で当時の青年将校のお洒落なスタイルです。


ロスへ旅立つ列車内で、見送りのご家族との記念写真。
騎兵サーベルの柄に掛ける手には、上質な鹿革手袋。




ロサンゼルスオリンピック競技中。
上のパリオリンピックの写真と比べて、西竹一中尉の方が高く飛んでません?


凱旋後東京駅に立つ馬上の西中尉。右手にはしっかりと国旗。
これから皇居に凱旋報告の途上。




上の上写真のセンターが西中尉。手にマントを持ち乗馬用長靴はエルメス製。
上の写真は報告を終わり、皇居を出る西中尉。一番右。
175cmの高身長が分かります。


騎兵科は時代と共に、戦場での出番がなくなり戦車へと置き換わっていきます。
硫黄島の戦いで、中佐の西連隊長はこの戦車で戦い、壮烈なる戦死を遂げられました。
改めて、歴史を振り返る機会を与えてくれた、日本チーム銅メダルに感謝し、御英霊となられた、西竹一大佐のご冥福をお祈り致します。
Posted at 2024/08/04 08:08:42 | コメント(1) | トラックバック(0) | 海軍(陸軍)・海自関係 | 日記

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小さい頃から乗り物が好きでした。社宅の敷地内で父親に運転を教わり小学生の頃から高校生までいろんな車に乗りました。 運転免許所持前(私有地内) 車歴 昭和43...
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