※撮影は2014年11月です。

築別地区の貯炭所。
ここまで名羽線の一部を使い鉄道を引き、石炭を運び出していた。
まだ50年、経っていない過去の事ですが・・・。
人の手を離れ厳しい環境のもとで傷む人工物。

5年ほど前には無かった看板。
地元に事を後世に伝える為のもの。
嬉しいけど、もう少し目立たないところにあると凄く嬉しい・・・・。

年間60万トンの処理が出来たという。
縦横無尽にコンベアが伸びで唸りを上げていた事でしょうが・・・・・・。
もう、その当時の事を想像できるものが少ないですね。

隆盛を極めた羽幌。
その当時の貴重な写真が資料として・・・・。

今はもう信じられないけど・・・・・・。
これだけの住宅が立ち並んでいた。
だからこそ小学校から高校まであった。
石炭産業の雇用の大きさが分かる写真です。
今や原野がかつてこれだけの人が集まったのですから・・・・・・。

羽幌炭砿はスポーツ関連に大きな投資をしていました。
ただそのスポンサーである炭砿が倒れてしまい、一気に衰退・・・・。
国のエネルギー政策の転換が此処までの影響が出るとは国策エネルギー担当も、想像していなかったのでは・・・・と思ってしまう。
机の上と現場ではまったく違いますからね。
私は机の上でこねくり回す人からは疎ましく思われるらしい。
素直なもので本音がついつい出てしまうようです(笑)。
無理なものは無理ですから。

炭住というよりは都営、県営住宅といっても良いくらい。
出来た頃には閉山という、誠に勿体無い炭住です。
住環境を良くして頑張ってもらおうという会社の気持ちの表れと思います。
命がけの仕事ですものね。
炭砿夫は。

今でも十分に古臭さを感じないデザイン。
これが大地に戻ってしまうとは・・・・・・・・。
本当に勿体無いよ。
ほぼ使われること無く使命を終えてしまったのだから、なおのこと・・・・・。

日当たり良好。
凍てつく季節は厳しかった事と思いますが、小春日和になれば・・・。
そんな雰囲気の場所です。
隣の建屋との距離もあって、覗かれる心配もあまり無く。
今時の建物に近いと感じます。
これが50年近く前に建てられていたのだから・・・・・・。
先見の明があったといえるでしょう。

8世帯専用の入り口。
投石でしょうか。
割られた硝子が痛々しい。
いつも思う事。
もっと羽幌で時間を使わねば・・・・・・。
となればもっとゆっくり見て回れるのだから。

うわ~・・・・・・・・・。
プーさんが首吊ってるよ・・・・・・・。
こういった場所では首吊り死体・・・とか都市伝説でありますよね。
某鉱山住宅でもそれがあり・・・・。
でもそんな事が出来る状況ではないし、疑わしい部屋もどうも違う。
まあ、そんなもんでしょ。
都市伝説なんて。

保護の為のトタンが剥がれ落ちている。
雪に暑さ。
色々な物が建物を傷めつける。
それが四十数回・・・・・・。
人の手が入らないのだから、傷んで当然なのだが・・・。

ある一室。
コンクリート造りでも床は木製。
腐りかけていて体重をかけると踏み抜く・・・・・。

何故か風呂桶。
・・・・・?。
どうやって運び込んだのかが知りたい。

壁ではなくパイプが仕切りとなり・・・・。
沼東小学校と同じような階段の雰囲気です。
マトモに使われなかった事もあるでしょう。
とても綺麗です。

配線は残っていても・・・・。
電力メーターは朽ち果てている。

幸せの黄色いハンカチ・リメイク版の撮影現場。
古い時代のものだね・・・・・。
たださあ・・・・。
廃なモノを見て回った事が少ない方が置いたんだなぁ・・・・って感じ。
畳があった上に箪笥がある筈だし。
畳の残骸は?、とか。
不自然なのですよ。
現在のあり方が。
まあ映像で見れば以外に不自然さを感じないものなのかもしれません。
リアルで見ない限り・・・。

凧。
もちろん撮影の小道具。

スキー板。
昔は自分の身長よりも長い板を履くのがカッコいい、とされていた。
今やカービングスキーは短いよね・・・・・・。
KAZAMAの板も時代を感じます。
よく探したなぁ。。
撮影用の小道具も・・・・。

まっさらな通常の築別炭住の一室。
普通はこうでしょ?。
正しい廃住宅です。

階の途中に踊り場はなく・・・・。
くるりと回りこむような階段でした。
前に来た時も時間がなく・・・・・・・・・。
あまりよく覚えていませんでした。

給水管のようです。
ぐるぐる巻きにされてます。
当然、保温の為でしょう。
水は凍りますから・・・・・・。

昭和40年代ならば2Kの間取りは十分広い。
他の鉱山住宅でもほぼ同じ間取りです。
当時の鉱山住宅としては標準的、と云えるのでしょう。

都営の団地を訪問しているかのような・・・・・。
ここは扉もそのまま残っていますし。
松尾は唯一、1枚だけしか残っていません。

階段の踊り場(?)から下の階を。
この階段のポールがいい!。
ここ(羽幌)の炭住らしくて。

晩秋の炭住。
水溜りに写りこむ炭住と空。

ここで四季を過ごした人は・・・・・。
居ない筈。
竣工が閉山の直前でしたし。
もし居たとしても1シーズンのみで引越し・・・・・でしょう。
そう思うと物悲しくなる炭住です。

さようなら、築別炭住。
2014年11月2日、16時頃。
流石に光が足りなくなってくる時間ですので・・・・・・。

築別炭砿消防団庁舎。
消防団で庁舎とは・・・・・・・。
2階と3階は木造ですので朽ち果ててしまいましたが・・・・・・。

映画館や斜坑。
浴場も・・・・・。
まだ行った事がありません。
何としても行かねば!!。

たのむぞ・・・・。
お前が落橋したら炭住に行く事が出来なくなる。
持ちこたえてくれよ。

羽幌炭砿鉄道病院跡。
昭和19年開院。
昭和31年増改築。
内科、外科、産婦人科、耳鼻科、レントゲン科があったそうです。
病室14。
入院も出来るしオペも出来るし・・・・・。
オペ室跡、というよりも建物そのものがヤバイ。
あと10年早く行ければ・・・・・。
中もまだ見られただろうに・・・・・・・・・・・。
無念だ。

こちらの道を造るか拡幅の際、病院が取り壊されたという・・・・。
その病院も崩壊が激しい・・・・・・。
元病室ももう、この有様。

炭砿の生活の中心ともいえる施設の一つ。
病院が無ければ怪我をしても病気をしてもどうにもならない・・・・・。
羽幌の街中まで距離があるから生活している地域の中に病院が無ければ安心して働けない。
かつては鉱山病院の方が町の中心の病院よりも設備が良く、万一の際は急患は鉱山病院に運ばれたという土地もあると聞く。
それだけ鉱山にある病院はある種、最先端の設備と医師が居て頼れる病院だったのだ。
それがもう、この有様だ。
もう、長くないね・・・・・・・。

道側から炭砿病院を。
本当に酷い有様です。

夕暮れ時の炭住。
再訪を誓い、此処を後にする時間はすぐそこ・・・・・・。

炭砿病院の写真が・・・・・。
もっと羽幌に関する写真やら資料が欲しい・・・・・・。
以前、資料を買い損ねてしまったので・・・・・。

ああ・・・・・・。
無情だ。
光が足りない。
写真を撮るにはもう、ほぼ絶望的な状況。
それでも撮り続ける。
シャッターを切らずに後悔するならば、私はシャッターを切り続けて後悔したい。

もう無理だ・・・・・。
手持ちで限界点を超えた光の少なさ。
感度を上げれば画面が荒れる。
この地での撮影は終了。
また訪問の日が楽しみであると同時に不安。
もう崩壊してないか・・・・・・・と。

目一杯感度を上げて・・・・。
羽幌炭砿鉄道の社紋を。
鶴嘴とレール。
体と頭を使う危険な仕事、炭砿夫。
その産業を支えた全ての産業戦士たちに敬意を。
武運つたなく亡くなったヤマの男たちに哀悼の意を表します。
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Posted at
2015/12/05 15:16:25