『WHEN BIASION DROVE THE DOORS OFF THE DELTA』
アメリカのワシントン州で行われたオリンパス・ラリーは、それが正しいか間違っているかは別として、Gr.B時代の最終章として語られることが多い
確かに1986年のWRC(世界ラリー選手権)最終戦ではあったが、まだもう1戦残されていた
イタリア北部のボローニャで開催された第2回メモリアル・ベッテガ・ラリースプリントは、凶暴なマシンを追い払うに相応しい事だったのかも知れない
このイベントは、1985年のツール・ド・コルスで、ランチア・ラリー 037をドライブ中にクラッシュして亡くなったアッティリオ・ベッテガの追悼イベントとして生まれ、現在もWRCシーズン終了後に開催されている
写真は、イベント最終日のドアの無いランチア・デルタ S4とミキ・ビアシオン
決勝でイタリア人ドライバーは、ランチアのチームメイトであるマルク・アレンと対戦して一歩も譲らなかったが、ビアシオンのデルタ S4は滑りやすいコーナーで横転して、外側に設置してあった藁束を弾き飛ばした
運転席側のドアはヒンジで外れてしまい、走行の合間に折り返しの時間がなかったため、マーシャルが呼ばれてドアを取り外すことに
土砂降りの雨と肌寒い12月の気温にもかかわらず、ビアシオンは戦い続けてアレンに次ぐ2位でフィニッシュ
いつものように、この素晴らしい歴史の断片を提供してくれたGirardo & Co.アーカイブに感謝します
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Memorial Bettega 1986 | Group B [Passats de canto] (Telesport)
確かにこのイベントが、最凶マシンGr.B最後の戦いだったのでしょうね
ただただ速さだけを追求したマシンで、狂喜乱舞した時代・・・
二度と忌まわしい事態を起こさないためにも、忘れてはならないですよね
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Posted at
2024/06/15 17:30:15