『When Rally Finland scared its biggest hero』
今週、Girardo & Co. の写真アーカイブで私が探していた言葉は1つだけで、申し訳ないと思うが、ラリー・フィンランドの熱は今でも私を虜にしている
この特定の画像は典型的なフィンランドで、マシンは空高く舞い上がり、ドライバーが完璧な飛行を保証するために、スロットルとブレーキの踏力を絶妙な精度でバランスさせながら、美しい技巧で空に向かっています
しかし、私が再考する価値があると思うのは、この画像の背景にある物語です
マーカス・グロンホルムは、2000年代のラリー・フィンランドに於いて、WRC(世界ラリー選手権)のマニュファクチャラーが勝利する最強のアイテムの様な存在で、10年間でフィンランド人ドライバーが同イベントで優勝を逃したのは3回だけで、そのうち2回はエントリーすらしていなかった
2007年には、チームメイトのミッコ・ヒルボネンからの強力な挑戦を受けたが、グロンホルムは再び圧倒的な強さを見せ、ステージ勝率74%(全23SSで17ステージウイン)で24.2秒差の勝利を収めた
ヒルボネンはリベンジを夢見て「彼が引退するまで待ちたくない。その前にフィンランドで優勝したい」と、笑顔で語った
2007年のラリー・フィンランドは素晴らしい勝利だったが、グロンホルムのWRCキャリアの終わりを意味した
しかし、2人のフィンランド人のうち、若いドライバーにそのチャンスはなかった
グロンホルムは、8月初旬のラリー・フィンランド前の2か月間のWRC夏休み中に将来について考え、引退の最終決定は9月に伝えられたものの、オウニンポヤでの土曜日にそれが決定打となった
彼は最速だったが、取らなければならなかったリスクが彼を不安にさせ、ステージの終わりに震えながら、グロンホルムは心の底で自分の時間がなくなりつつあることを悟っていた
チャンピオンを獲得したまま引退したいという欲求も抑えきれず、当時、チャンピオンシップでセバスチャン・ローブに13ポイントのリードを築いていたグロンホルムは、そのシーズンで引退する事を選択した
グロンホルムは3度目のタイトル獲得を逃したが、それから17年経った現在でも、グロンホルムがフィンランドで記録した7回の優勝の半分にも達した者はいない
----------
2019年には、WRC 第2戦 ラリー・スウェーデンにトヨタ・ヤリス WRCで出場したが、残念ながらSS3でスノーバンクに突っ込んでデイリタイアし、リスタートして38位完走したグロンホルム
そのグロンホルムが成し遂げたラリー・フィンランド7勝は、ラリードライバーとして地元イベント7勝と言う栄誉も手にしてるのですが、引退を決意したのもラリー・フィンランドとは驚きですよねぇ・・・
ブログ一覧 | 日記
Posted at
2024/08/10 21:45:55