
昨日7/20。新潟県上越市の旧頸城鉄道百間町駅跡にある
くびき野レールパーク
に行ってきました。
頸城鉄道。かつて、この地を走っていた軽便鉄道。
その車両が動態保存されており、毎年、8月を除く6月から10月に月1回ほどの頻度で一般公開されています。
1971(昭和46)年に廃止されてからすでに40年以上。
廃止後も鉄道雑誌などで当時の様子は度々取り上げられ、写真で目にする機会は少なくありません。コッペルのSLは西武山口線に渡ったものの、走っていた車両はとっくに失われているものと思われていました。
ところが…です。
約10年ほど前、神戸でとある車屋さんを営む愛好家の手により、当時の車両が保管されていたことが明らかになりました。
33年もの間、六甲山中のトンネルの中で誰にも知らされることなく。まさに、世紀の大発見です。
その後、里帰りを果たし走行可能な状態に整備されるまでに至りました。
青空の下を走行するホジ3
昭和初期に、ホトク1という畳敷きの特別客車を自社工場で"魔改造"した気動車。
当初はガソリンエンジンが搭載されたそうですが、その後、いすゞ製のディーゼルエンジンに換装されたとのこと。
木造の車体、窓の大きさが不ぞろいな顔つきなど、そのあまりにも個性的な姿ゆえ、鉄道模型の世界では有名な存在だったようです。
車体中央に設置された乗降口
気動車に改造されてから設置されたものですが、上部のアーチを描くような曲線に洒落っ気を感じます。
ホジ3の車内
座席は運転席右脇の最前部まで延び、まさにそこは展望席。
中央の四角いでっぱりは床下に収まりきらなかったエンジンを覆うカバーで、現役当時は荷物台となっていたそうです。
天井からぶら下がるつり革をよく見ると、革の根元の金具がハート型に。
元は特別客車だった名残なのか、細かい部分の作りこみも凝ってます。
ホジ3の運転席
一番左のレバーがブレーキで、その隣で床から生えているのがシフトレバーです。
昭和初期の日本ではまだトルコンの技術は確立されてなかったので、必然的に"機械式"と言われる
"マニュアル車"になります。
5月に乗った旧南部縦貫鉄道の
レールバスでは、ハンドレバーでアクセル操作してましたが、こちらは
クラッチとアクセルの2つのペダルがあり、発進、加速時は大型バスと同じように両足で操作します。
DC92ディーセル機関車
1954(昭和29)年協三工業製。
ここで保存されている中で唯一の戦後製ですが、元を辿ると、なんとコッペル製1号蒸気機関車を改造したものだそうです。
聞けばなるほど、ロッド駆動の動輪にその面影が見られます。
DC92の運転席
こちらも機械式で、ホジ3と同じく
クラッチペダル、アクセスペダル、シフトレバーがあります。
この手の凸型機関車では横向きの運転席が一箇所だけ設置される場合も多いですが、DC92では両向きに2箇所設置。
片側のボンネットに搭載されたディーゼルエンジン。
「ヂーゼル機器株式会社」と書かれた銘板が取り付けられてました。
ハ6客車
1911(明治44)年、明治生まれの木造二軸客車。
ダブルルーフとオープンデッキが"らしさ"を醸し出してます。
ハ6の車内
座席の背もたれは木でベンチのような感じです。
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写真のホジ3とDC92が牽く客車列車が構内を交互に走行し、体験乗車も行われました。
構内をゆっくりと走行するホジ3【動画】

車内で運転士さんのアクセルワークを見ながら、ホジ3の走行を堪能。

エンジンの音と振動は思っていた以上で、車内に響き渡っていました。
一方こちらは、DC92が引く貨車と客車の混合列車。
2両目は無蓋貨車のト5です。
荷台は畳敷きになっており開放感も相まって、乗車客にも人気。
走行中の客車から機関車の方を見るとこんな感じです。
この日は天気がよく暑かったですが、走ると気持ちのよい風が入ってきます。
連結器は「朝顔型」と呼ばれるピンリンク式。
楕円形のリンクを連結相手の連結器に差し込んで、上からピンを入れて固定する簡単な構造で、昔の軽便鉄道では多用されてました。
あいている隙間は「遊び」で、走行中はついたり離れたりを繰り返すので、発車時や停車時にはちょっとした衝撃があります。
この日、特別に1回だけ運転された4両編成の混合列車。
最後尾に増結されたのはニフ1。
全長4mほどの小さな客車で、晩年は荷物車として使われていました。
ニフ1も六甲山中で保存されていたものですが、腐食が激しく、残念ながら原型を留めていなかったそうです。
保管されていた足回りのパーツを使い、車体新製による"外装イメージ復元"がなされました。
オリジナルは1894(明治27)年製で、当時の写真に頼るなど資料が乏しく、困難を伴ったことは想像に難くありません。
2号蒸気機関車
1911(明治44)年コッペル製。
廃止後に
西武山口線へ渡り数年活躍した後、里帰りを果たしたものだそうです。
現在は自走可能な状態となっておらず、機関庫内で保管されていました。
コッペル社の銘板。ドイツ製の舶来品です。
同じく機関庫で保管されていた、有蓋貨車のワ7とワ14。
機関庫の壁に貼られていたラキ1の写真。
貨車を改造したラッセル式除雪車で、自走のための動力はありません。
現在は、成田ゆめ牧場で羅須地人鉄道協会の手により保存されています
15年くらい前に成田で実車を見てから久しいですが、健在のようで何よりです。
こちらは機関庫に併設された、軽便歴史資料館。
もともとは頸城鉄道旧本社屋だったそうです。
頸城自動車創立100周年記念の一環で昨年リニューアルされ、建物は真新しくなってました。
大正3年9月。新黒井から新保倉間開通のポスター。
多色刷りのポスターは、当時、目新しいものだったようです。


他にも行先標や営業当時に使われた道具など、数々の鉄道資料が展示されています。
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かつての頸城鉄道車両発見の一報には驚愕しました。
33年もの間、なぜ隠されることなったのか…という疑問は残りますが、静態保存で公開保存されたものの、維持しきれなくなり解体された例はいくつもあります。
それを考えると、期が熟した時期に発見され走行可能な状態まで整備されるという、一番良い結果となったと思います。
この「お宝」が、末永く受け継がれていくことを願ってやみません。
Posted at 2014/07/21 23:09:33 | |
鉄道 | 日記