![ヴィッツラリー 回顧録? ヴィッツラリー 回顧録?](https://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/015/535/176/15535176/p1m.jpg?ct=e6479a06bd3d)
振り返れば時が経つのは早いもの
車を買い,ラリーに初めて出てから,3年が経った.
車からラリー用品を外すのも,付ける苦労と比べればあっという間であった.
車を買った年,恐らくヴィッツラリーでは最初で最後であろう2DAYラリーの信州戦が初戦であった.インカムも無く,ペースノートもムチャクチャ,運転はもっと酷く,見よう見まねで出た.
それでも,初めてのラリーは宿泊付き
夜はペンションに泊まり,竹平さん(ベストカー読んでいる人ならわかる?)と飲んでお話をさせてもらったこと,結果はともかく完走できたことで楽しかった.
2年目は全戦を追った為に,毎月のように他府県に居た.一番遠かったのは京都.
このときはラリー10日前にエンジン圧縮抜け,ギリギリでエンジン交換が間に合った.
長野戦ではフライングをかました
高山戦では初めて表彰台に.
お陰で他の遊びは全くといっていいほど出来なかった.
それに見合うモノがラリーにあるのか?と問われれば,明確な答えは出せない.
ただ,先の見えない道を攻めること.
そのスリリングな感覚と,2人のコンビがうまくいったときの達成感?,うまくいかなかったときの悔しさ,それらが魅力なのかもしれない.
結局は趣味であるので,楽しめれば良いと思っていたが,段々と勝負をしたいと思うようになった.
このころから,ようやく,運転が少しまともなものになってきたと思う.
自分たちのペースノート作成&読みも,段々と形になってきた.
走りに関しては,常に練習不足を痛感し続けてきた.
ターマックでは滑ると怖かったので,常に抑えすぎてしまっていた.
フロントだけで曲がろうとし,リアを使うように意識することは出来ていなかった
グラベルでの走り方.
横を向けて進入すること,カウンターを当てることはロスである,ということが理解できなかった.
冬,雪のYやSで練習した.地元のダートラ屋さんの走り方に驚いた.
某FRは田に落ちた.
最初は滑る路面での満足な走りはできなかったが,その年のモーターランド野沢での練習会,冬のスノーサーキットの練習で,わずかばかりではあるが出来るようになった
しかし,ここにくるまで,随分と時間がかかってしまった.
練習会は兎も角,独学,単独練習では,比較対象も無く無茶も出来ない
どこが悪いのか,何が正解なのか解らない.
自己ベストを更新したところで,それは,所詮,己の記録.
唯一,試すことが出来るのが本番だった.
08年,最終戦の愛知県では何とか優勝することが出来たが...
これまでの成果の表れだったのか,それは解らない
今年は,就活で休んで周りに迷惑をかけた.
その後はクラス3で一度だけ優勝もできた.これも運がよかっただけかと,今思う.
高山戦,大雨のD吉は非常にスリリングであった.
視界不良で川となる林道を自分の中では精一杯走り,それに見合う結果もついて来た.
また,09年は某全日本ジムカーナ選手もスポットで数戦参戦された
やはりターマックでは抜群の速さであった.
自分の技量不足を痛感させられた
ヴィッツ以外には群馬戦にも1度出させて頂いた.
走り応えがあり,危険度も高かったが,それに引き換え,得られるものも大きかった.
滑る路面での対応が出来るようになった(気がするだけかもしれない)
多少滑っても何とも思わなくなった.
それでも,実質2年の参戦で,色々得るものがあった.
ドラ・ナビはいつも固定コンビであったが,お互い成長できたと思う.
ナビのほうは全日本にも参戦した.
ナビのほうが上のクラスには出やすいのは当然の結果.
ドライバーは技量も資金も揃わないと,出ることはできない.
やはり,色々なラリーに参加することが必要だと感じた.
何事も経験だ.
さて,ぼやくのはこれくらいにして,現実世界の課題をちゃっちゃと片そ.
これがおわらへんねんけどね…
Posted at 2009/10/29 15:29:25 | |
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