国産自動車メーカー、マツダが誇る2種類のスポーツカー
1台はRXシリーズのロータリーエンジン搭載のスポーツカー
そしてもう1台はオープンライトウェイトスポーツカー「ロードスター」(日本名)がある
このロードスターは1989(平成元)年に発売、以来2代目、3代目と来て、4代目に変わる瞬間に違和感を感じたことを今でも鮮明に記憶しています。
では初代ロードスターとは何かを考えると、その当時、日本の名だたるスポーツカーは高級思考から車両重量が増加し、その肥満をエンジンの出力アップで補う、俗に言う「直線番長」的スポーツカーが好まれた時代でもあり、私もその時代の波が当たり前だと思っていました。
しかしこのロードスターは非力なエンジンを補うが如く、軽量にこだわり、操る楽しさを提供するために、フロントにエンジン、リアタイヤを駆動させるFR方式とし、また乗り手のチューニング幅を持たせるため、又アライメント変化を楽しむためのダブルウィッシュボーンサスペンションの採用し、時代は直線番長を推奨した時代に、あえて曲がり(コーナー)を楽しむクルマを作った当時数少ないスポーツカーコンセプトでした。
そして日常から非日常の句読点的アイテム「オープン機構を持つスポーツカー」に仕上がり日本名:ユーノス・ロードスターが誕生したのです
[では「ロードスターとは何か」]
ロードスターとゆう名前は古く馬車の時代にさかのぼる
昔の馬車は箱型(セダン)や幌タイプのもの、それに開閉機能を用いたものがありました。
中でもロードスター(ロードス)は高貴な片方がパレードに使うようなもので、幌が開いた時に車体に完全に収納されると言う事と、車体後方には警備兵が乗れると言う定義がありました
しかしその後、時代の流れで、警備兵が乗るスペースが荷物室へと変化した経緯があります。
[マツダロードスターらしさとは何か
]
マツダロードスターとは走りの楽しさと爽快なオープンマインドを提供するスポーツカーです
しかしデザインではリアの繭玉テールレンズや車体サイドのターニングウインカーレンズの丸型はロードスターである証としてロードスター開発者たちが守り続けたものでもありました
(25年間、3代目まで
)
しかし4代目ではこのデザインの継承が何処にも見えない
さーぱぱの違和感はそこに爆発したのでした
しかし、開発者(特に山本開発主査)からは、人馬一体を守るためのロードスターを作る
だから変えなければならないと言われ愕然としました
平成元年当時、肥満・ハイパワー化したスポーツカーは現在、淘汰され、小型軽量のロードスターは脈々と愛されている現実
サイドターニングウインカーは平成元年当時、最軽量のポータートラックのものを用いた
それが4代目開発時ではRX-8のサイドターニングウインカーレンズがマツダの中でも最軽量で、それを採用したとのこと
またリアテールレンズも小型軽量にするためにリアオーバーハングを極端に絞った結果、丸型灯火レンズしか入らなかったことを聞かされたら・・・
人馬一体を形にするためのデザインだったと開発者たちから言われたら、ハイと言わなければならなかった
ここにさーぱぱロードスター論は軌道修正することになった訳です
4代目ロードスターは私に、デザインを取るか
走りを取るのか
を問われた形となりましたが、正当な理由がある場合には、私も変えることもしょうがないと思えてきましたねぇ~
しかしさーぱぱの4代目に望む事
私たちさーぱぱ一家は3代目ロードスターから始まったロードスター・スタイル
多少のハイパワーもお許し下さい。
いつの日か、ソフトトップモデルにも海外仕様と同じ、2000㏄エンジンを搭載されることをささやかに願うさーぱぱなのです
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ロードスターネタ | クルマ
Posted at
2017/01/19 02:56:26