何度も書き残して来ましたが、二番のおはなし。
心優しい子のベースがあります。小学生まで、順調でしたね。
中学生になると、おしゃれに走り、洋服、メイク。
薄々は気がついていましたが、出来ない事は、おうむ返し、生意気に。
めげずに、聞き込むと、『うぅ~ん、◯◯かな(語尾あがり)』で、それが間違っているタイプで、笑ってごまかす。
よくいるタイプで、応援しても、『だいじょーぶ』『うざい』
中1か中2の頃、学校の勧めで、【記憶障害】なるチェックも受けましたね。
判定は白でしたが、そのあとからは、『私バカだからー』も加わりました。
多様性の時代、嫌いな勉強をイヤイヤ進むより(落第もある)、伸びる分野を進むほうがよいのではと、中3の時、話し合いましたが、進学すると。
荒れない高校選び、全体感は変わらないまま、放置していたら、
退学して行く仲間がいるなか、生き残り、卒業。
高校3年の時、改めて、嫌いな勉強より、伸びる世界へ、どうだ?と話し合いましたが、
母親、長女と同じレールに乗りたいと。
うーん、さすがに、悩みました。
とれる見込みない資格の学校に通わせる、時間とカネ。
それが、神経由で話が漏れ、二番との関係もぎすぎす。
親にも、兄弟で差をつけてはいけないと怒られ、通わせました。
時代はコロナ禍、リモート授業。
勉強嫌いには好都合。
言えばケンカに。
二番経由では、辞めていく仲間が多いと。
実習、コロナ禍でも受け入れてくれたそうですが、所謂、平時の実習量ではなかったと。
試験勉強、ヤってる体は出していましたが、一番のがり勉に比べると、遊びの延長。
たまに、冷やかしで、聞き入っても、『うーん、それかな!?』みたいな解答。
受からないわなと。
試験、こんな時代の問題なのに、過去問外しの上に、答えが割れる、所謂、不適切問題多数。
当日の、午前枠終えた時点で、泣き出す受験生が多数いたとか。
終わったなと。
そう想っていても、親として、イロイロな思いを抱えたまま、
卒業旅行で海外に出したりしながら、
発表日を迎えました。
二番からラインが鳴り、
深呼吸して、
開きましたね。
なんて、声を掛けようかと。
『受かってた☆』
マジ!?
マジ!?
マジ!?
仕事もうまくいってないので、天文学的に嬉しかった‼️
嬉しかった‼️
よく達成した!!!って、なんども誉めてあげました🎵
勢い余って、半ドンにして、会いに帰りました(^_^;)
㊗️だー ㊗️買ってやる!と、車にのせ
施設にいる婆さんに報告してから、お店へ
選べ!って(^_^;)
本当によかった!
昭和大学江東豊洲病院に勤めます。
一番、二番共に、地域の巨大病院勤めになります。
初めはOK😆👍️❤️
ちなみに三番はぁ獣医師になりたいとwww
笑っちゃいますが、、、地味に、勉強、中学校から高校と、ヤり続けています。自主的に。どこの種ナンだろ(^_^;)
高校の授業料は免除。意味解らん(^_^;)
Posted at 2024/03/23 12:37:50 | |
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