※10月9日にさかのぼりアップしています。
3連休の最終日だったのですが、最近は、予定を入れにくく言われるがままに天気があまり良くないのに出かける。汗
息子と2人でのドライブを兼ねてだったのですが、最初、海にするか山にするか迷い息子に聞くと山にするとのこと。
行先も決めずに出発。
我が家では、よくあることです。
とりあえず、41号線を南進。
と言っても昼からなので大して遠くもいけないし、以前に息子とドライブに出かけていつも夕方となり終了間近で一度も入ったことのない神岡城に決定。
神岡城は、飛騨市神岡町にあり、ここには有名なイタイイタイ病の発生源の神岡鉱山があるのだ。汗
もちろん今は、公害は発生させておらず鉱山として機能もしていなくて、リサイクル施設になっていたりする。
と前置きはいいとして、神岡城に到着。
真ん中の建物が鉱山の資料館。
右端にあるのが神岡城。ちっちゃい。汗
案内板には、こんな風に2つの建物があると書いてあります。
この公園の中には、旧松葉家というのもあります。
の城、1970年に天守閣が建てられましたが、丸亀城や犬山城を参考にして建てたとの事。
もともとあった櫓の跡に天守閣を建てたそうな。
実は、この神岡城には、うん十年前にも来たことがあるのでどうなっているのだろう?と言う期待もあった。
そしてその横には、記念碑が。
どうやら三井金属工業が寄付したのか知らんけど関与して城を建てたようだ。
とりあえず資料館から入ってみる。
資料館で入館料を支払うのだが、受付の方に「別の場所にある江馬氏の会所も一緒に見ると個別に入るより安くなりますよ。」との事。
私の心の声「江馬氏ってだれ?わからない。汗」
んー、ちょっと考えてみる。
場所が遠かったらいやだなと思いつつ聞いてみると道の駅「スカイドーム神岡」の近くらしい。
すぐそばなので、せっかくだからと思いセットで購入。
資料館は、2階に展示物があるので先ずは2階へ。
いきなり光電子倍増管だ。
スーパーカミオカンデで使われているやつ。
とりあえず1個だけ展示してある。
展示は、いろんなところの鉱石がたくさん並べられていた。
そして、鉱石から金属を取り出す施設の模型があるのだが、古くてなんだかよくわからない。汗
出来た時のままのようだ。
書いてあることも、マニアックすぎて機械の名前を書いてあるのだがどういう仕組みなのかもわからず。汗
誰か、新しい模型を作ってあげてください。汗
なら、「お前がやれ。」と言われそうだがそんな財力はない。
そして、息子を記念撮影。
それにしても、後ろの紹介パネルの様によくぞあの山にあれだけ沢山の穴を掘ったものだ。
左側のパネルを見てみると室町時代末期くらいから鉱山として使っていたらしい。
そして神岡城を東町城とも言うらしい。
近くで見てもやっぱり小さいな。
丸亀城を模したとあって小さい。
この地域には、紀元前7000年くらいから人が住んでいたとか。
南北朝時代から江馬氏が頭角を現し、このころからこの地域を治めていたそうで。
戦国時代には、武田勢やら豊臣勢に押され力をなくし失っていったようです。
この辺りは周り中山に囲まれていたため守りを固めるためそこら中に城があったようで。
この城はパネル展示と、発掘されたものが展示されてます。
そして、一番上の3階は神岡の街が見渡せます。
大して大きな町ではないですが、鉱山町として栄えたところです。
上の3枚目の写真には、立ち達磨が隠されています。(いや、小さくて見えない。(笑))
300mmの超望遠でとってみるとこんな感じ。
NEX5-Rで撮影してます。レンズ(タムロン製)に手振れ補正が付いているので、手持ちでもなんとか撮れました。
城はここまで、次は隣の民俗資料館へ
この場所にもともとあったものではなくかなり離れたところにある割石地区から移築したそうな。
かつては、白川郷・五箇山のような合掌造りの家だったのかもしれません。
中は、ご察しの通り、木でできた田んぼや畑の道具・器類、大東亜戦争の頃のものも展示されていました。
ということで、城周辺はこのくらいにして次へ移動。
道の駅「スペースドーム神岡」に車を停めて歩いて200mくらい行くとありました。
この辺一帯が公園になっているようで。
これが再建された江馬氏の会所。
会所と書いてあるが、城の展示パネルには、下館と書いてあり混乱しそう。
ちなみにグーグルマップには、下館と書いてあります。
降りていくと堀が
さらに行くと入り口の門
門をくぐるとこんな感じ
正面から見るとここで客人をもてなしていたそうです。
入り口には、受付の方が居て、チケットを渡すと「説明しましょうか?」と言われたので「せっかくなのでお願いします。」と言うことで、息子と二人で説明を受ける。
中には、立派な書院があり大切な客人はここで持てなしたとか。
横を見ると納戸が。
くせ者がいると、「であえーであえー」と言ったかどうかは知らないけど刀を持った侍が出てくるという仕組み。ちなみに、そっと開けてみようと思ったが固定されていた。汗
因みに客人をもてなす部屋がいくつかあって、庭が見えるようになっている。
雨戸は、上向きに開くようになっていて障子戸を外すだけで、庭が良く見えるようになっている。
そして障子戸にも仕掛けが。
障子戸を外す時、普通は、左右それぞれ取り外さないといけないのだが。
溝が一つで、障子戸は、重ねて一気に外せるような工夫がされている。
ここから見える庭は、こんな感じの枯山水。
この辺りは、以前は、田んぼである日田んぼの中に大きな石があるということで調査したところこれが出てきたとか。それ以降周辺を発掘調査し、江馬氏の館跡であるということが分かったということでした。
この周辺には他にも遺構はあるが、既に民家が沢山立っているため調査できなくなっているとのことでした。
たまたま、ここは田んぼであったため発掘できたということでした。
周辺は思ったより水が豊富だったので枯山水だったかどうかは、絵図とか何も残っていなかったそうで。この建物も束石から大きさを求め他を参考にして作ったの事でした。
江馬氏の会所はここまでです。
出がけに息子と話をして、私が「説明していた人、「藤岡弘」風だったね」と言うと息子も「そう思った」と言って二人で笑ってしまいました。
そして道の駅に戻ります。
でも、せっかく来たのだからまだ帰りません。
次は、何度も寄っているが夕方遅くになり閉館後で入れなかった。
道の駅にあるカミオカンデの資料館。
入るなり、記念撮影。
背景は、光電子倍増管の集合体のプロジェクター映像でそれを背景にパシャリ。
ニュートリノの説明映像も流されるのだが、筒状に湾曲しているので映像をガン見しているとひっくり返りそうになる。汗
こちらは、本物の光電子倍増管を集めて並べたもの。
こういうやつが、神岡鉱山の中に組み込まれているのだ。
これを見ていると数年前に大量に何本も割れた事件を思い出してしまった。
これ1つが1画素分なんですよ。
半導体の時代に真空管なのだ。
こういうやつが、約300km離れた茨城県の
J-PARCの施設から飛んできたニュートリノを検出するのだ。
他にも展示物はたくさんありましたが、実際の目で確かめてくださいませ。
入館無料です。