3月10日はいよいよこの旅の最終日です。
徳島から淡路島に渡り2ヶ所に立ち寄ってからは一路自宅を目指しました。
多少の遠回りになるけれど今まで走行していなかった中央道廻りにしています。
午前中は観光、午後はただひたすら走り続けた記録です。
「今日でこの旅も最後か〜!」充足感と寂しさが入り混じった気持ちで1日がスタートします。
朝8時半の『道の駅・くるくるなると』で暖気運転中のcw号です。
画像では判りづらいけれど、雨中/雪解け道の走行でドロドロに汚れています。
そう言えばこの旅では洗車を1回しかしていなかったな。
鳴門ICから『神戸淡路鳴門自動車道』に上がり、すぐ次の淡路南ICで降りて『うずの丘 大鳴門橋記念館』にやって来ました。
昨年はもっと島先端に近い『道の駅・うずしおinうずまちテラス』に向かったのでここは初訪問です。
こちらの方がより高い位置から『大鳴門橋』が見えます。
鳴門の渦が見えていますね。
去年はあの対岸からこの手前までドロ君を飛ばしたな〜、懐かし懐かし。
大きな玉ねぎオブジェの前で記念撮影待ちする観光客の行列が出来ていました。
大勢居た観光客の多くはC国からのようです。
去年より一層増えている様なので観光地はきっとホクホクですね。
さすがの淡路島、玉ねぎを全面に押し出してますネ!
このキッチンカーはどの様に使われるのでしょう?
次は『道の駅・福良』に到着しています。
ここは2023年4月に1泊お世話になった場所だったので懐かしく思い立ち寄って見ました。
この日は日曜日だった事もあり、『うずしおクルーズ』乗船待ちの観光客が大勢訪れていました。
満車で駐車場には入れず仕舞いです。
淡路島に立ち寄った目的の一つ。
ここでお土産の購入の命が我が家の司令官から下っていました。
『成井さんちの完熟たまねぎ直売所』で玉ねぎ10Kg箱と玉ねぎスープを購入しています。
もうすぐ自宅に戻れるので発送せずに持ち帰りました。
店前に止まっているcw号を見ながら店主さんから旅の質問に答えて、しばしの談笑後次の目的地へと進みました。
昨年は沿岸部を一周しただけなので、今回は出来るだけ中央部を北上してみます。 それほど山深くは無く、穏やかな田園風景が広がるルートを快走しました。
昨年の帰宅後に見過ごして通過してしまった事に気がついた場所です。
狭い駐車場には順番待ちの列に並んでやっと停められました。
知らなかった! かなり有名な観光地なのでした。
日本起源の神話の地『伊弉諾神宮』(イザナギ)です。
とても厳かで独特な雰囲気に溢れた場所です。
余り詳しくなかったのでしばらく読み耽っていました。
パワースポットとしても有名だそうです。
いまだその恩恵を実感していませんが・・・。
僕が割と無信心だからでしょうか?
境内を進みます。 少し前はこの参道に参拝客が大勢歩いていましたが全員が日本人だった様です。
外国人にはまだ知れ渡っていないのかな?
おお〜、ここにも在りますか! 『さざれ石』
先日霧島神宮でも見たし、たしか出雲大社にも在ったな。
後で調べてみると各地に沢山あるようで、“石”自体は細かい石が合体して大きくなった物を指すそうです。
『君が代』に登場すると言われているのは岐阜の『さざれ石公園』の石だそうです。 他のは分家でしょうか?
本殿前までやってきました。
良く見る神社と違って赤や金の色味が無いシックな佇まいですね。
一番古い神社だからでしょうか。
『夫婦大楠』なる物も在りました。
樹齢900年以上で、2本の楠が一緒になったから夫婦だとか。
境内入って右に僕の真の目的があります。
昨年見過ごした事をどんなに後悔したことか。
『樋口季一郎中将の像』です。 生まれが淡路島なのですね。
オトポールで大勢のユダヤ人を救出した。(杉浦千畝より前でもっと多数)
キスカ島の無血撤退を指揮し成功させた。
占守(シュムシュ)島の戦いで北海道をソ連から守った。
樋口中将がいなければ北海道の全域または仙台以北までがソ連領になっていた可能性が大だと言われています。
その様な功績を残した偉人ですが、隠遁生活を送り続けた晩年は過去は語らず、日本軍が全滅したアッツ島の絵の前で毎朝戦死者の冥福を祈っていたそうです。
もっと周知されるべき、余り知られていない英雄なのです。
帰り際に風光明媚な池周りを撮影してこの地を去りました。
さて、これで淡路島での目的は完了したので帰途へと着きましょう。
高速道に上がる前に昼食を済ませておきます。
津名一宮ICのすぐ近くの『海鮮料理きとら 』が最適な場所/メニューと決めました。
凄い沢山のメニュー表と睨めっこします。
昨晩もお寿司だったっけ・・・。
でも結局『海鮮ちらしと天ぷらうどんセット』¥2420にしています。
各品想像よりは小ぶりだったけれど、海鮮は新鮮で天ぷらはサクサクで美味しい。 そして驚きのうどんつゆが茶色いでは無いですかっ!
関東に戻った錯覚しました。(笑)
『たこせんべいの里』
食後はcw号をそのままに徒歩で向かいのここでお土産を打ち止めとします。
観光バスが立ち寄る程に有名? 物凄いお客さんで混雑していました。
沢山並ぶおせんべいの中から選んでカゴに入れてレジに並ぶというスーパー形式のお店でした。
試食コーナーも有り、工場見学もできる様でしたが
そんな時間も無いのて適当に3種3袋ずつカゴに放り込みました。
(そして帰宅後評判が一番良かったのが一番安かった真ん中の物というオチ (笑) )
さあこれで淡路島を綺麗に描き終えたので高速道に上がりましょう。
昨年は雨と横風で難儀した『明石海峡大橋』を渡り始めます。
今回は殆ど無風状態でさして緊張もせずに通過できました。
米原ICを過ぎた辺りからは正面に雪を被った『伊吹山』(1377m)がみえてきました。
ここまで日曜日の夕方にも関わらず、数カ所の渋滞懸念箇所をスムーズに通過しています。
『養老SA』まで230Kmを2時間40分で到着しています。
ここで水分補給/排出して小休止しましょう。
まだまだ先は長いですからね。
自宅までの距離と燃料残を計算して、ここで給油すれば残りは無給油で済む筈です。 僕は有能なストラテジストなのです。(笑)
実はここへ到着40Km手前の多賀SAでの給油も考えましたが、そこからだと自宅まで燃料が持たないかもしれません。
その時点で燃料警告灯は点灯し、ラストのメモリも点滅した状態でしたが経験と勘で頑張っちゃいました。
F1レースじゃ無いんだから・・・良い子のみんなは真似しないでね! (笑)
で、結果495Km走行して32Lの給油で15.5Kmの好燃費でした。
これで残り430Kmは充分に航続可能距離です。
210Km2時間半で『諏訪SA』までやって来ました。
やはり中央道はアップダウンが連続するので平均車速が落ちています。
時刻は午後8時を過ぎているのでここで夕食としました。
この時間では閉店済みを覚悟していたレストラン(フートコートではない)がまだ営業していてラッキー! 休日は午後10時まででした。
第1位と2位はなんだったけ? 確か胸焼け誘発系だった気が・・・。
海鮮が続いていたので今回はお肉方向に振りました。
『すき焼き重定食』¥2230
信州牛が柔らかく、甘めの味付けに半熟卵を絡めるとよりまろやかな味のすきやき重でした。
お蕎麦は温にしたけどこれが失敗! ここまで来たのにおつゆが白だしでした。
会計時に聞いて見たら、「ウチは本社が大阪なんです」って。
淡路では茶色、諏訪では白でした。 これ如何に? (笑)
諏訪湖の夜景を眺めたら午後9時にラストランの開始です。
以後到着までの画像無し。
予想していた渋滞が無く、このまま順調に走行すると午前0時前に料金所を通過してしまいそう。 計算が良い方に狂いました。
そこで『藤野PA』にて仮眠1時間して時間調整し深夜割引適応を狙いました。
この長距離走だと割引額もばかになりませんからね。(結果¥15,590→¥10,590)
そして明けて11日午前1時に無事帰宅となりました。
「あ〜あ、旅が終わってしまった。寂しいな・・・」
○ 走行距離 726.5Km
○ 立ち寄り道の駅 福良
○ ハイドラハイタッチ13回
翌日朝に早速給油、425.6Km走行で30Lの給油だったので14.2Km/Lの燃費でした。 高速走行をクルコンで95Km/時走行したので悪化しています。
時速90Km/時を超えると途端に燃費が悪化するのです。
さっそく最寄りの洗車場でcw号の長旅の汚れを洗い流してあげました。
僕はまだ入浴してないのに。(笑)
※ こうして20日間の旅が終了しました。
何故“無事”が付かないのかは後のブログにて・・・。
本州/九州/四国の往路/復路のルート
間が抜けていた中央道と中国道に九州と四国の真ん中を描けました。
奄美大島の走行ルート 終始雨模様で残念でした。
また危険を察知して断念したルート(赤)も多く不完全燃焼です。
離島を舐めたらアカン!
沖縄本島の走行ルート
予定を完璧にこなせましたが、お天気の三分の二が残念日でした。
まとめ
○ 総走行距離 5115Km 過去最長!
○ フェリー乗船6回 1542Km
○ 総移動距離 6657Km
○ 総給油量 350L
○ 平均燃費14.6Km/L
( 最高17Km/L往路加西SAまで 最低13.5Km/L沖縄二人乗車時)
○ 立ち寄り道の駅 60ヶ所
○ 空撮 5ヶ所 (角島大橋リベンジなる)
○ ハイドラハイタッチ 27回 (すくな!)
◎ これでcw号シェル製作時に計画した標準の旅が終わってしまいました。
製作開始が2019年12月、2020年8月に旅行可能になるも本業多忙で出動無し。 その後2021/22/23年と北海道を巡り、中国/九州/四国地方を2022/23年、加えて2024年は沖縄へも遠征。
遂に全国47都道府県に轍を残す事が出来ました。
初めはこれ位旅をした頃にはもう体力的に厳しくなっているだろう、と思っていましたがまだまだ全然自信有りです! (危ないのは経済力の方)
よって今後はオプションルートの旅を始める事にします。
いつまで続けられるやら・・・。
【^_^】