今年に入ってからまともな魚を釣り上げていない。そもそも釣りにすら行けない時期もあった。
冬は暖冬、春先はコロナ禍による外出自粛、夏秋は気象・海象条件の悪さ、もちろん時期にかかわらず私の未熟さも相俟って、釣り人生始まって以来の散々な年である。
そんな2020年も、もうあと僅か。このまま終わるわけにはいかず、折れかかる心を奮い立たせて11月の3連休前日深夜に三陸は大船渡を目指してハンドルを握った。
三陸はリアス式海岸のため釣り場としても魅力的なところが多い。切り立った崖は、その分、海底に急深な地形を生み出す。もちろん外洋に面した箇所も多いから、潮通しは抜群だ。当然ここまで足を延ばすのだから狙いは大物。ショアジギングで最終盤のハマチやサワラあたりを狙う。
結論から申し上げると見事に玉砕した…。
折れかかった心が完全に折れそうになる釣果ではあったが、ドライブ成分がいくらか中和してくれたので、まだ釣りに行こうと思える程度のダメージには収まった。地方への釣行の際はドライブも楽しむことにしているのが奏功した。
さて、首都圏から大船渡へは少し遠い。常磐道を経由しても東北道を経由してもほとんど時間は変わらないけども、休憩込みで最短でも8時間くらいは必要だ。翌日の朝まずめに間に合うようにするには気合をいれて早めに出発しなければならない。
結局、気合が足りずにやや出発が遅れ、大船渡に到着したのは何とかまずめ時の範疇に収まる7時だった。
大船渡はここ数年通り過ぎるだけであったので、目的地として訪れるのは9年ぶりになる。前回訪れたのは2011年、まだ学生の頃、東日本大震災後のボランティアとしてだ。
あの時の光景は一生忘れない。積みあげられた瓦礫、有機物の腐敗臭、砂埃に塗れた路、大量に湧く蠅・・・。そして今見えている視界の中で、何人もの方が津波に飲まれて亡くなったという事実。もはや戦場だと思った。
以来いつも三陸のことを気にかけている(つもりです)。ボランティアに訪れたのはこの1回きりであったが、それ以降は労働力の提供ではなく消費活動という面で貢献するようにしている。今回の釣行もそういった側面があるので、可能な範囲で惜しみなく買い物をするようにした。
震災から9年たって、どの街でもインフラや街並みという意味での復興はかなり進んでいる。住宅地は高台に移転し、旧市街地には住宅を除いた新市街や公園が整備されつつある。
そんな復興の進む大船渡市街を抜け、外海に近い港でジグを投げるが何も当たらず。三陸の港は復興工事のおかげでどこも新しい。
まずめも終わってしまったので場所を移動。ここは小壁漁港という。越喜来半島の中間にあり、ほぼ外海のような海域に面しているが、海のすぐ横までクルマで行ける。背景が岩場と海、空になるから、太陽が照る時間ならばとても写真映えしそうだ。
これは小壁漁港だけでなく三陸全体に言えることだが、港自体は整備されていても、市道以下の道は震災当時のままである部分も多く、RS3のように最低地上高が低くて低扁平率のタイヤをはいたクルマは注意が必要だ。実際に小壁漁港に至る道にも大きめの陥没があったり、橋桁がずれて浮き気味になった橋もあったりと、走行には相当な注意を要した。
定繋されている船はいないようなのでのんびりできる。左は同行の友人。
その後は釣り場の下見がてら周辺をぶらぶらして、昼食は道の駅「さんりく」で。ここはそれほど洗練された道の駅ではないけど、食堂で出てくるめかぶが抜群にうまい。スーパーで売っているようなパック詰めのものとは全くの別物だ。
昼食後も色々と釣り場探しをして、夜釣りに備えて早めにチェックイン。
今回の宿は「遊YOU亭夏虫」。ややくたびれ気味の自然公園にある宿泊施設だが、ロッジに泊まる場合はすぐ前までクルマで乗り入れ出来て、かつ宿泊期間中はいつでも自由に出入りできるので釣りとの相性は良い。
ただ普通の駐車場からロッジへ続く道がちょっと狭いので、Dセグメント以上のクルマではロッジ前までは行かない方がいいかもしれない。
遊YOU亭夏虫は大船渡市越喜来の山中にある。そういえば2011年にボランティアに来た時も越喜来の浜側を訪れた記憶がある。確か下の写真はその時に越喜来で撮ったものではなかっただろうか。
津波の爪痕の中にポプラが一本だけ。記憶にはないが、当時きっとこの一本の木に何か感じるものがあったのだろう。
気になったのでマップで調べてみると、なんと現在は
「ど根性ポプラ」という名前がついて公園になっているそうだ。
こうして2011年と現在とを比べてみると、三陸は二度にわたって大きく姿を変えられたしまったことに気づいた。一度目は津波で。二度目は復興で。津波の被害が無いところには美しい里山が残っているから、きっと海沿いは里山と里海が交じり合って、さぞかし美しい風景を作っていたのだろうと思うが、もうそんな風景は戻ってこない。それでもこのポプラのように前を向いて生きる三陸の人々には、こちらも元気をもらう。
ちなみに今回この辺りも走ったが公園には全く気が付かず。次回は必ず訪れようと思う。
夜釣りに備えてロッジで仮眠を取って、夕方以降に根白漁港へアタック。今回は夜アイナメ狙いでエサ釣りに徹するももちろん撃沈。ただ堤防上でコンビニ飯をたらふく食べただけとなった。
ちなみに根白は”こんぱく”と読む。
この辺りは不思議な読み方をする地名が多い。
越喜来は”おきらい”、吉浜は”きっぴん”、綾里は”りょうり”、立根は”たっこん”。普通の難読地名とはちょっと違って、なんだか音訓逆転したような地名が多い。以前のボランティアの時に聞いた話では、アイヌ語が語源である説もあるそうだ。
明けて翌日の釣りもクロソイとメバルを釣り上げただけで他にまともな獲物は無し。同行した初心者の友人に30センチクラスのアイナメを釣ってもらえただけが救い。
最終の3日目朝はもう朝まずめを釣る気力はなく、そのまま海沿いに南下しながら帰ることにした。
三陸海岸沿いは東北の例にもれずツーリング好適道路の宝庫だ。リアス式海岸が織りなす適度なアップダウンとワインディングに美しい海。県道か国道ならば路面状況も良い。今や三陸自動車道も多くの部分が開通しているが、ドライブ好きとしてはぜひ下道を選びたい。
これは「高田松原津波祈念公園」内にある道の駅「高田松原」での1枚。この先には献花台がある。遠くに視界を遮るのは築造された堤防で、堤防の向こうは再生中の松原と海岸がある。
堤防の手前を右に歩いていけば、奇跡の一本松と震災遺構の旧陸前高田ユースホステルがある。写真はユースホステル跡で、冬の到来を感じさせる午後の斜陽の中に、奥の新しい水門との対比が印象的な情景。
この道の駅は施設が非常に充実しており、写真1枚目にある通りまるで美術館のような洗練されたデザインをしている。もちろん震災に関する展示もあるようなので、今度訪れるときは時間を取ってゆっくり見ていきたい。
北上川沿いの国道398号線。河畔の堤防上の快走路。ごくわずかな区間だけだが、かなり見晴らしの良い北海道のような景色。
三陸での締めは女川のシーパルピアでのお昼ご飯。写真は「おかせい」というお店で、安くはないがかなりクオリティが高い。特にホタテの美味しさは北海道で食べるものと遜色ないと断言できるレベル。非常に肉厚でホタテそのものの味が濃い。
女川の新市街は狭いところに密集して造られており、このシーパルピアの内外にも飲食店や商店が立ち並び、多くの観光客が訪れていて活気がある。
そんな女川を最後に三陸海岸を後にした。
年初からの流れを汲み今回もひどい釣果となったが、結局は20cmそこそこのクロソイと25cmのメバルが1尾ずつと、素材としてはとても良いものが手に入ったので、久しぶりに頑張って料理しようと思った。
その調理の様子はまた
別のブログでお伝えしたい。