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すた☆君のブログ一覧

2021年03月18日 イイね!

土岐頼芸 著 「鷹の書き方入門本」

会社の同僚がプレゼントしてくれた新聞「十兵衛スポーツ」に載っていました。

「国を乗っ取られても鷹にこだわり続けた、著者の執念の」 というのが面白かったです。

Posted at 2021/03/18 21:45:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | 土岐氏 | 日記
2020年10月09日 イイね!

土岐氏発祥の地 「一日市場八幡神社」 

美濃源氏・土岐一族 によって「一日市場(ひといちば)館」という居館ができた場所で、土岐氏発祥の地 とされています。

瑞浪市

駐車場がよく分からず、引き返すのが大変だったので、写真のみ。

Posted at 2020/10/09 03:58:42 | コメント(0) | トラックバック(0) | 土岐氏 | 旅行/地域
2020年07月25日 イイね!

今日も史跡の研究中。

今日も揖斐川町の戦国史跡の研究をしています。

まだまだ自分の知らない大きな史跡がたくさんあって、とても興味深いです。

「我慢の四連休。」

自分の知識を高める時と位置付けています。

Posted at 2020/07/25 08:02:46 | コメント(0) | トラックバック(0) | 土岐氏 | 趣味
2020年06月29日 イイね!

大桑城(土岐氏 最期の城)、明智光秀のお墓(生誕地)等 

岐阜県山県市(岐阜市の北隣)へ行ってきました。



「南泉寺」
1517年 土岐政房(頼芸の父とされる)が土岐氏の菩提寺として開山。

1551年 「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」で有名な、快川紹喜が住職となった。


四国堀

「四国堀」
大桑城下の空堀です。

四国とは、尾張、伊勢、越前、近江の四つの国の加勢を受けて築かれた事が由来です。




「六万墓」

1542年 土岐氏と斎藤道三の激突が始まり、激しい戦いが繰り広げられ、多くの戦死者が出た。

戦いの後、戦死者の骨が埋められた場所に、この「六万墓」が建てられた。
六万という人数は定かではないが、それほど多くの人々を巻き込む戦がここで繰り広げられた。


六万墓の場所:「四国堀」の道路を挟んだ東側に「電気柵に囲まれた栗農園」があり、そのすぐ北側にありました。


次に、大桑城へ行きました。



土岐氏は、斎藤道三に滅ぼされるまでの約200年間、美濃の守護をしていました。

1535年、長良川の大洪水により、守護をここへ移しました。

登山口 はじかみ林道登山口(ゆったりコース)P

「ゆったりコース」とは名ばかりで、幅1メートルほどの小道が続き、崖に手すりのロープが張られ、階段もほとんどなく、むき出しの大小の岩を登り降りする危険な道のりで、ほとんど大人のアスレチック。

山頂 模擬天守

展望がとてもきれいでした。

遠くの向こうから、斎藤道三が攻めてきたのでしょうね。

展望 


麓でガイドさんとお話をしてから、「明智光秀の墓」のある 白山神社「桔梗塚」へ行きました。

トンネル

トンネルの向こうにお寺があり、異世界へ行くような雰囲気がよかったです。




まずお神社の入り口で、これが目に入りました。

明智光秀の生誕地 板

すぐ近くに、「産湯の井戸」というのもありました。

生誕地 川の横当たり

こちらは、場所まで特定されているんですね。

春日局のお墓も?

「明智光秀は、山崎の合戦で死んだのは影武者で、荒深小五郎と名前を変えて、生誕地であるここで過ごした」 と言い伝えられたそうです。 

明智光秀の墓

左から3番目が光秀の墓、2番目は春日局の墓でしょうか。

きれいな説明看板

こちらの言い伝えでは、

「明智光秀は、土岐元頼と中洞源左衛門の娘との間に生まれた。
後に明智城主 明智光綱の養子になった 」

光秀の母は、光秀を身ごもった時、岩の上で「たとえ3日でも天下を取る男子を」と祈ったらしいです


看板アップ

「光秀の最後」
明智光秀は、関ケ原合戦へ進軍途中に、溺死した そうです。

説明書き

信憑性はともかく、面白いですね。

お堂の説明

神社の境内で、さっき大桑城で会ったガイドさんと再会。

行動が同じだな と思いました。

ガイドさん 「この人、荒深小五郎の子孫!」

見ると、テントの下で、おじいさんがニコニコしながら座っていました。

ということは、この人は、明智光秀の子孫という事ですよね。

おじいさんは、優しそうで、のんびりとゆったりとした人でした。

もしかしたら、光秀もそういう性格だったのかもしれませんね。


おじいさん  「この奥へ行くと、490年前のお堂がありますよ。」

見ると、なだらかな坂道が、神社の奥へ奥へと一直線に伸びていた。

正直、私はとても疲れている。

でも、明智光秀の子孫様がお勧めしてくれている。

すた 「・・・これは行かなきゃいけないのか?」

   「ええい!!」

ぬかるんだ坂道を滑りそうになりながら、一番上まで登った。

確かにお堂があった。




小屋で囲まれ、綺麗に保存されていた。



降りると、二人とも帰っていた。

偶然このタイミングで会えてよかったのかもしれない。


なんだかんだで、楽しい旅でした♪


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
^^
Posted at 2020/06/30 13:08:46 | コメント(1) | トラックバック(0) | 土岐氏 | 日記

プロフィール

「[整備] #ノアハイブリッド ノア フロントワイパーゴム2本交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2829981/6883845/note.aspx
何シテル?   05/11 09:08
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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