• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

すた☆君のブログ一覧

2021年04月04日 イイね!

白山平泉寺と朝倉景鏡の墓 福井県戦国史跡巡り⑤

大野城から下山すると、日没までまだ3時間ぐらいあったので、白山平泉寺へ行くことにしました。

ロド

このお寺は、今回の旅先でよく出る名前で、とても気になっていました。

行ってみるとラッキーにも歴史資料館を見つけたので、入ることにしました。

本日5つ目の歴史資料館です。
(笑)

道案内

嬉しいことに入場無料で、しかもとても奇麗でした。w

まほろば

まほろば。。。魔法のロバ?(笑)

中世最大の宗教都市というのに惹かれて、本を買ってしまいました。w



平泉寺が開かれたのは今から1300年前で、越前の僧泰澄(たいちょう)が 開山したそうです。

たいちょう は、故郷の戦国時代が詳しい友達のニックネームなので、思わず笑ってしまいました。

入り口

参道入口のすぐ横には、東尋坊跡の石碑がありました。

福井の有名な観光地の東尋坊は、ここに住んでいた悪くて乱暴なお坊さんの事で、崖の上で宴会をしていて仲間の僧侶に海に突き落とされて殺されたので、崖の名前が東尋坊になったそうです。

東尋坊

戦国時代、平泉寺は比叡山延暦寺の末寺(お金を払って従っていた)でした。

織田信長との戦で、延暦寺が浅井氏・朝倉氏の味方をしたのは、

朝倉氏は、平泉寺を通じて延暦寺と繋がっていたから、延暦寺が味方した と思いました。


参道

1573年 朝倉義景を裏切り自刃に追い込んだ朝倉景鏡(義景のいとこで側近)ですが、翌年の1574年に、一向一揆に襲われ、平泉寺に逃げ込みました。

しかし、お寺に火を付けられ不利とみて、少ない兵力で一揆衆に討って出て、囲まれて殺されました。

義景を裏切って自刃にまで追い込んだくせに、それからたった一年後に自分も殺されるというのは、哀れだなと思いました。

説明

平泉寺はその時の一向一揆の攻撃で全山焼失してしまいました。

本殿

苔が奇麗でした。

本来ならば、本殿の近くまで行きたかったのですが、その日は強風で、上から枝が折れて飛んできて頭に当たったら死ぬなと思い、手前でUターンして、足早に参道を降りました。

参道帰り

参道途中に地図があり、よく見ていると、たまたま朝倉景鏡の墓を見つけてしまいました。

これは行かねば帰れない と思い、周辺を一時間ほど散策しました。

地図

惹かれる様に辺りを彷徨い歩き、私有地を入った奥の様な所だったので、手前で断念しました。

このお寺の裏、矢印の辺りで間違いないと思います。



ここに朝倉景鏡のお墓があるというのは、ここで討死したからに違いありません。

あと、平泉寺には有名な石畳の道がありますが、強風なので探すのはやめました。

日が暮れるまでに高速道路へ入りたかったので、これで撤収しました。

ロド

下山すると、現代のお城がありました。

こちらは、事業で一財を成した方の趣味のお城だそうです。

相互タクシー創業者 だとか。

現代城

今回も、大変満足のいく戦国史跡巡りとなりました。

ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

次回の、ロードスター車中泊 で、今回の旅行を〆とさせて頂きます。
A^^;
Posted at 2021/04/04 11:18:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | 朝倉氏 | 旅行/地域
2021年04月02日 イイね!

朝倉義景、自刃の地と墓所 福井県戦国史跡巡り③

まずは、大野市歴史博物館へ。

大野市歴史博物館

ここで、白山平泉寺が中世最大の宗教都市だったと知り、大変な興味が沸きましたので、今回最後に訪れました。

建物の左向こうに、越前大野城が見えました。

越前大野城

関ケ原合戦に参戦した金森長近のお城なので、こちらも今回訪れました。

朝倉義景墓は越前大野城の麓にありました。

ロド

何故ここにお墓があるのかと言うと、ここのすぐ近くで自刃されたからです。

朝倉義景墓

住宅密集地の中にあり、すぐ前の公園ではたくさんの子供たちが遊んでいました。


浅井氏救援の為に出陣した朝倉義景。

この時、義景の側近たち(いとこの朝倉景鏡ら)は、出陣を拒んだそうです。

しかし、信長に敗れて一乗谷逃げると、いとこの朝倉景鏡の勧めで大野に移動しました。

最初は洞雲寺にいましたが、朝倉景鏡の勧めで六坊賢松寺へ移り、その翌日に景鏡の裏切りで兵200人に囲まれ、自刃しました。

一乗谷は信長により、3日3晩焼き尽くされました。

朝倉義景は平泉寺の衆従に力を貸してほしいと請いましたが、景鏡は彼に反する考えを平泉寺衆徒に伝えていました。



朝倉義景が自刃した六坊賢松寺跡を探して、町中を散歩しました。

名水

もうそのお寺は無くて、別のお寺がありました。

多分、ここで間違いないと思います。

このお寺の正面には大通りが伸びていますので、なんらかの由緒ある場所かなとは想像できます。



お堂の場所も前のお寺と同じだとすれば、あのお堂の中辺りで、朝倉義景は自刃したことになりますね。

兵庫の武士から始まった、一乗谷朝倉氏5代目当主、大大名になった義景。

悔しかったでしょうね。


それにしてもですが、今回も、信長の焼き尽くし皆殺しの非道が目につく史跡巡りです。

続く。
Posted at 2021/04/03 09:03:50 | コメント(0) | トラックバック(0) | 朝倉氏 | 旅行/地域
2021年03月30日 イイね!

福井県の戦国史跡巡り②一乗谷「朝倉義景の屋敷跡」「足利義昭の御所跡」

前回の訂正「刀根坂の戦い」
✖金ヶ崎の戦いの浅井の撤退戦→〇(1573年)朝倉氏滅亡の決め手となった戦。
失礼致しました。


「一乗谷」

明智神社を出発して、一乗谷へと向かいました。

駐車場からまっすぐ行けばすぐ着くはずなのに、何をどう間違ったのか、随分遠回りをしてしまい、べた付け・幅寄せ・パッシングと三拍子そろった狂った軽バンのあおり運転も完全無視しながら、何とか無事に到着できました。

一乗谷に来たのは3回目で、10年ぶりぐらいになります。

久しぶりに来たけど、ここの史跡はやっぱりスケールがでかいです。



さっきのあおり運転のいやーな気持ちが、一気に吹き飛びました。w

地図

武家屋敷の再現街並みは前回入ったので、今回はいきませんでした。



まずは、朝倉屋敷跡を目指します。




朝倉氏はもともとは兵庫県の武士で、応仁の乱の後に一乗谷に居城を移したのが始まりです。



主家の越前守護の斯波氏や、守護代の甲斐氏との闘いを繰り返しました。



三代目が加賀一向一揆を撃退し、越前一国の安定を達成しました。



四代目は、近江・美濃へたびたび出兵。

正面

そして五代目 朝倉義景へと繋がります。

説明

足利義昭と宴を開いた館の中庭というのは、あの辺でしょうか。

館 中庭あと辺り

一番奥隅に、朝倉義景のお墓がありました。

墓所

朝倉義景のお墓はもう一か所ありますので、今回はそちらも訪れました。

そちらは、朝倉義景が自害したお寺の近くになります。

そのお寺も探しました。



朝倉氏は浅井氏と同盟しており、信長の越前進軍で浅井が寝返り、金ケ崎の戦いになって、信長の報復戦が始まりました。

近江比叡山の麓辺りで、浅井・朝倉が信長と戦になり、比叡山延暦寺が浅井・朝倉の味方となり、戦が硬直状態になりました。

何故、延暦寺は浅井・朝倉の味方をしたのか疑問でしたが、今回そのモヤモヤが解けました。



朝倉遺跡の入り口にある巨大な土塁、凄いですね。

続いて、足利義昭の御所跡へ。

御所跡 ←

駐車場が無かったんで、バックで坂道を下りました。
(笑)

御所跡 土台

土塁の外なんだと、少し笑えました。

内に入れないということは、あんまり信用していなかったのでしょうか。

ここに足利義昭は9か月住んでいました。

近くに佐々木小次郎の師匠の道場があり、すぐ前まで行きましたが、集落で駐車場が見当たらなく、一瞬停車して写真撮ろうとも思いましたが、地元の人がお仕事していて目が合いそうだったので、カメラは諦め、去りました。
(笑)

続いて、ここに来れば朝倉氏のすべてが分かるという、福井県立一条谷朝倉氏遺跡資料館へ。

資料館

入場料がたったの100円で、凄いなと感心しました。

写真撮影Okの一乗谷の模型がありました。

模型

山に挟まれた縦長の平地で、水が豊富で、川はごうごうと流れています。

広大な平地からはそんなに離れていません。

まさに天然の要塞で、よくぞここを見つけた と思いました。

模型

朝倉氏をもっと詳しく知りたいと思い、200ページ以上もある朝倉氏の年表を購入。(笑)

一乗谷を後にしました。

次は、大野市歴史博物館へ。

と、その前に、前方にスーパーを見つけたので、食料を買い出しする事にしました。

福井なのに愛媛のハマチ。(笑)

昼飯 刺身とか

やっぱり、旅行は楽しいですね。

続く。
Posted at 2021/03/28 16:04:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 朝倉氏 | 旅行/地域

プロフィール

「[整備] #ノアハイブリッド ノア フロントワイパーゴム2本交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2829981/6883845/note.aspx
何シテル?   05/11 09:08
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2024/4 >>

  123456
78910111213
14151617181920
21 22 232425 2627
2829 30    

ブログカテゴリー

リンク・クリップ

霧の中の決戦地 
カテゴリ:関ヶ原合戦の史跡
2010/12/24 11:25:35
 
関ヶ原町の史跡 『十九女池・六部地蔵・七つ井戸・与市の墓』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:40:04
 
関ヶ原町 『常盤御前の墓・鶯の滝』 
カテゴリ:岐阜県の史跡(関ヶ原合戦以外)
2010/12/20 12:36:11
 

愛車一覧

トヨタ ノア ハイブリッド トヨタ ノア ハイブリッド
ノアハイブリッド
マツダ ロードスター マツダ ロードスター
2代目の戦国ロードスターです。 出陣時は関ケ原バージョンになります。
日産 ラフェスタ 日産 ラフェスタ
中古で買って、5年間乗りました。 4WDです。 買って半年後に底から大きな「ブーン」と ...
マツダ ロードスター すた号 (マツダ ロードスター)
マイナス2℃で、オーポン走行しました。 冬でも幌をあけるオーポン漢を目指しています。
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation