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すた☆君のブログ一覧

2022年04月04日 イイね!

常安寺「九鬼嘉隆の菩提寺・九鬼守隆墓所」

鳥羽城の海とは反対のすぐ裏山にあるお寺「常安寺」

九鬼嘉隆の菩提寺であり、息子の守隆の墓所でもある。




門前の説明板に書かれている「九鬼嘉隆が切腹した時の刀」

ぜひとも、拝見させていただきたい所です。



九鬼守隆のお墓は本堂の裏にあるとの事で、そちらへ行ってみましたが、固く閉じられた門の向こうにそれらしき空間がありました。

お寺の方にピンポン押してまでする気力もなかったので、裏の民間墓所の方から、ご拝見。

上から失礼。



大きな石塔は恐らく、九鬼嘉隆の供養塔でしょう。

嘉隆亡き後の九鬼氏ですが、守隆亡き後二人の息子 五男 久隆派と 三男 隆季派 で、家督争いをし、久隆は摂津三田へ移封、隆季は丹波綾部へ移封となり、九鬼家は存続しましたが、水軍はなくなってしまいました。


今回は、戦国時代最強の九鬼水軍、その長の九鬼嘉隆に惹かれて今回の史跡巡りに至りました。

というか、花粉の酷い関ケ原を脱出して、海へ逃げたというのがそもそもの事の発端ですが。

ここまで読んで下さって、ありがとうございました。

コロナワクチン3回目も打ったので、これからしばらくは、ガンガン戦国史跡巡りに行きたいと思います。

^^
Posted at 2022/04/05 20:08:44 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九鬼水軍 | 日記
2022年04月03日 イイね!

鳥羽水族館から鳥羽城

ホテルをチェックアウトして、鳥羽水族館へ行きました。

ホテルからは、3分ぐらいで凄く近かったです。

人込みを避けて、ほぼオープン同時に入場しました。



大ガラスの水槽が多く、あちこち見応えがありました。



アシカのショーが面白かったです。

興味があった、大王グソクムシやカブトガニを見たり、アマゾンの巨大淡水魚の捕食は大迫力。



巨大アザラシとかジュゴンとか、鮫とか見どころ満載の水族館でしたが、



屋上からチラチラ見える鳥羽城に感動し、



隣のフラミンゴそっちのけで、鳥羽城をバックに写真を撮ったりしました。

やっぱり私のセンサーは、何よりも戦国史跡に反応してしまいます。

(笑)
Posted at 2022/04/05 18:33:39 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九鬼水軍 | 日記
2022年04月01日 イイね!

九鬼嘉隆の首塚と胴塚・答志島(遠景)

今回宿泊のホテルからは、真正面に九鬼嘉隆の墓所がある答志島が見えます。

墓所は島の山の麓に胴塚、山頂に首塚があります。

部屋に望遠鏡があったので、探してみました。

すた

西軍についた九鬼嘉隆は、関ケ原合戦で西軍が壊滅したのを知ると、鳥羽城を放棄して、ここ答志島へ逃亡しました。

しかし、九鬼家の存続を願う家臣の勧めにより、ここ答志島で切腹をしてこの世を去りました。



しかし、息子の守隆は父を救おうと家康に助命嘆願し、許され、父が助かると分かった矢先にこの出来事を知り、激怒。

守隆は、この家臣の家族を目の前で皆殺しにした上で鋸引きの刑に処し死に至らせました。

この残忍さから、守隆の怒りのすさまじさが伺えます。

しかし結局のところ、江戸時代になってから、守隆の子供たちは家督争いをしてしまい、徳川により海のない国へ飛ばされ、九鬼水軍は消滅してしまいました。

徳川家の「いつか敵になるかもしれない存在は消してしまえ」という策略です。

総じてみると、九鬼一族は家督争いの絶えない一族だったと思います。

敵対した毛利元就の兄弟仲良くの真逆のように思えます。

嘉隆は遺言で、「鳥羽城がよく見える場所にほおむってくれ」との事で、首は山の山頂に、胴は麓に埋葬されました。

分けて埋葬したのは、首は家康が首実検する為に伏見城へ送られたので、先に胴体を埋葬したからです。

私の宿泊したホテルのすぐ斜め後ろには、鳥羽城があります。

鳥羽城は、九鬼嘉隆が秀吉の家来になってから移った水軍城です。

左胴塚、上首塚

ここは内海なので、強風なのに波は殆どありませんでした。

今度来た時には、答志島へ行ってみたいと思います。


九鬼嘉隆はここに埋葬され、鳥羽城を見ているんですね。

首塚

殺し殺され、戦国の世は、恐ろしいですね。






・・・あ、寝ながら失礼。



いやほんま、疲れてたんで。

私も会社で戦争してますんで。休ませてーな。めちゃストレスたまってますんや。ブチ切れ限界。私の会社に対する怒りを鎮魂する為に、今回このホテルに。

てか、オーシャン・ビュー、きれいやなーって。

こんな部屋で海でも眺めながらガンプラ作れたら最高やなーとか。


戦国史跡巡り、もう少し続きます。

(ー人ー)
Posted at 2022/04/01 20:02:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九鬼水軍 | 日記
2022年03月31日 イイね!

九鬼嘉隆が関ケ原合戦時にいた城「多城(たじょう)城址」

九鬼城から北上していると、しばらく寝台列車と並走になりました。

カラーリングがスズメバチみたいですね。



関ケ原合戦時、九鬼嘉隆は西軍につき、「田城(たじょう)城」にいました。

船(1キロ南)

多城城址の山が見えました。

当時は、山の周りを兵士が囲んで、こんな感じだったのでしょうか。

イメージ

今この山にある「九鬼岩倉神社」は、九鬼守隆(嘉隆の息子・九鬼12代頭首)が、九鬼澄隆(嘉隆の甥、守隆のいとこ・九鬼10代頭首)の怨霊を鎮める為に建てました。

「澄隆は、嘉隆(九鬼11代頭首)に暗殺された」と言われています。

看板

田城城は、嘉隆の祖父がいた城になります。

神社

怨霊を鎮める為って、きっと何か思い当たる節があったのでしょう。

今回は先を急いでいたので、横を通過して写真を撮るだけで後にしました。
Posted at 2022/04/01 18:31:21 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九鬼水軍 | 日記
2022年03月30日 イイね!

波切九鬼城「九鬼嘉隆の生誕地」と、大王埼灯台

伊勢神宮から南に約30キロ走りました。

途中、不自然な山の上に、安土城っぽい怪しい城を発見。



着くと漁港に有料駐車場があり、駐車しました。

目の前を見ると、「海女専用 駐車場?」

海女専用

新鮮な衝撃がありました。



海に向かって少し歩くと、地図がありました。

この赤丸が、九鬼嘉隆が生まれた城 「波切(なきり)九鬼城址」になります。

地図

坂を軽く登ると、城跡の石碑が。

城 石碑

九鬼嘉隆は、天文11年(1542年)、この城で三男として生まれました。

織田信長・秀吉に仕えた九鬼水軍として有名になり、「長嶋一向一揆への海上射撃」や、「木津川口の海戦」で毛利水軍600艇を撃退し、活躍しました。

また、「慶長の役」には出陣せず、家督を守隆に譲って隠居しました。

説明

本丸跡への出入り口には、土塁がありました。

土塁

本丸跡は広く平らでしたが、岬の先端へ向かって、軽く下る斜面になっていました。

どうして、まっ平の水平にしなかったのでしょうか。

本丸跡

右側には、複雑な入り江がたくさんあり、あの辺から水軍が出陣したのかなとか想像しました。

本丸右側(南 太平洋側)

左側には、日本で16か所しか入れないという灯台の一つの「大王崎灯台」が見えました。

こことあちらの断崖絶壁から、この海を通過する敵を監視していたのでしょうね。

本丸左側(北)大王崎灯台

ポケモンのマンホール

灯台のてっぺんからは、九鬼城の全体がよく見渡せます。

灯台から見た波切九鬼城

かなりの強風でした。

下の地図の白色部分は私が書き足した部分になりますが、右上の 城のマーク の場所は、九鬼守隆(嘉隆の子)が、関ケ原合戦時にいた場所「安乗城」 になります。

嘉隆は、そこから北に20キロほどの山中の城「田城城(鳥羽城の少し南)」にいました。


地図

関ケ原合戦の時、嘉隆と守隆は、親子で西軍(嘉隆)と東軍(守隆)に分かれていました。

東軍西軍、どちらが勝っても生き残れるように、親子で分かれる武将は蜂須賀など他にもいましたが、この親子はこれが原因で、悲劇を生むことになりました。


どこでもドア

城跡の裏には、九鬼家の菩提寺がありました。

このお寺は、嘉隆のひいじいちゃんが開山したそうです。

仙遊寺

九鬼家の家紋、いいですね。



戦国史跡巡り、今回は九鬼家がメインです。

まだまだ続きますよ。

Posted at 2022/04/01 12:24:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | 九鬼水軍 | 日記

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「[整備] #ノアハイブリッド ノア フロントワイパーゴム2本交換 https://minkara.carview.co.jp/userid/572723/car/2829981/6883845/note.aspx
何シテル?   05/11 09:08
旅行が好きで、日本中の戦国時代の史跡を巡っています。 2012年 3月 関ヶ原検定 ≪零≫  2012年12月 関ヶ原検定 ≪壱≫  に、合格しました...
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