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イイね!
2016年08月10日

特別攻撃隊

特別攻撃隊 幼い頃から刷り込まれているせいか、毎年この時期になると特に戦争について考えさせられます。

私が子供の頃、お盆が近づくとテレビは戦争映画やドキュメンタリー一色になりました。

子供ながら戦争について、色々考えたものでした。






私の田舎は特別攻撃隊(特攻隊)基地のわりと近くにあります。

そんなこともあり、戦争に関するものが色々残っていたりもします。








皆さんは特攻隊というと何を思い浮かべられるでしょうか。

航空機で敵艦に体当たりをする場面を思い浮かべられる方も多いかと思います。

しかしながら特攻は航空機だけではありません。

人間魚雷の「回天」や船で敵艦に体当たりする「震洋」など、様々な特攻があります。







このことを初めて知った方もいらっしゃるかと思いますが、他にも日本人ながら戦争について知らないことが沢山あります。

航空機で敵艦に体当たりする攻撃をなんというかご存知でしょうか?

大抵の方は「カミカゼ」と答えます。

これはあくまで連合国側の総称であり、一部日本でもそう呼んでいたとも言われていますが、神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)が正式名称です。

神風特別攻撃隊(しんぷうとくべつこうげきたい)「カミカゼ」とは、あくまで海軍航空機の特別攻撃に対しての名称ですが、欧米では陸軍の特別攻撃に対してもそう呼ばれ、今では日本人も航空機での特攻は全て「カミカゼ」だと思っています。







また前戦争を「第二次世界大戦」とか「太平洋戦争」と今では一般的に呼びますが、当時の日本(大日本帝国)では大東亜戦争と呼ばれていました。

ご存知ない方も多いかと思いますが、戦後「大東亜戦争」という名称で呼ぶことをGHQから禁止され、学校でも教えられずテレビでもそう呼ぶこともなく、いつしか多くの方が知らないということになってしまいました。

今では禁止はされていませんが、そう呼ぶ方は殆どいません。







戦争はいつも勝った側が正義で、負けた側が悪となるのが世の常です。

そして勝った側の都合のいいように歴史は歪められます。

日本が何故欧米相手に戦争を行なったのか、何故戦争をしなければならない状況に追い込まれたのか、大東亜共栄圏とはなんだったのか、その本質は「第二次世界大戦」「太平洋戦争」という言葉からは決して理解することはできません。








アメリカと開戦時、日本は短期決戦でアメリカを叩き、講和条約に持ち込む予定でした。

日本の首脳もアメリカと本気で戦争をし、長期戦で勝つことは無理だとわかっていたからです。

しかしながら戦争はどんどん長期化し、次第に日本は苦境に立たされます。







そんななか、ずっと見送ってきた特別攻撃をやらざるを得ない状況になり、戦死を前提とする特別攻撃隊が創設されました。

そしてまだ若い十代の兵士たちが特別攻撃に出撃し、その多くが帰らぬ人となりました。

表面上はみんな勇ましく出撃していったと思います。

でも本心はみんな、できることなら若くして死にたくはなかったのではないでしょうか。

それでも国のため、家族のため、そして愛する人のため、勇敢に散っていきました。



よく特攻隊は片道だけの燃料を積んで出撃したと言われますが、その多くも実は誤りです。

逆に積めるだけの燃料を積んで出撃したことはあまり知られていません。

これも事実が歪められたことの一つです。








あれから70年以上経ち、なんだかんだ言っても私たちは平和な世界に暮らしています。

あまりにも日本は平和すぎて、多くの方が平和ボケしているのも事実かと思います。

しかし世界ではいつもどこかで戦争や紛争が起きています。

戦争反対・核兵器反対ということはよく耳にします。

でもいったいどれだけの方が、自分自身の身に降りかかるかもしれないと考えているでしょうか?

戦争なんて遠い昔のこと、遠い世界の国のことだと思っていないでしょうか。



悲惨な戦争を二度と起こさないため、悲惨な戦争に巻き込まれないため、今後日本はどういう道を進めばいいのか、皆さんも考えてみては如何でしょうか。



そしてこの夏、戦争についての資料館や遺跡を訪れてみるのは如何でしょうか。



みんカラという車のSNSに全く筋違いなブログかもしれませんが、私たちがカーライフを楽しめるのも、平和があってこそ、日本が平和だからこそのものだと思います。



世界の全てで戦争がなくなるよう、そして日本がいつまでも平和であり続けられるよう、切に願ってやみません。



(本文中の写真は以前、知覧特攻平和会館を訪れた際に私が撮影したものです)



ブログ一覧 | 日記
Posted at 2016/08/10 17:58:05

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この記事へのコメント

2016年8月10日 18:35
今年は広島の原爆ドームにオバマ大統領が来たりと、平和の重要と歴史的に大きな一歩だと感じました。そして8月には広島、長崎と原爆投下により、大勢の人々が亡くなり終戦となりました。生きたくても生きれなかった人々がいることを忘れてはならない、当たり前の平和はなぜかと考える終戦記念日だと思いました。今年もその日が訪れます。戦死者に敬意と平和を祈りたいと思います。
コメントへの返答
2016年8月10日 18:51
原爆投下国の大統領が広島を訪れるという歴史的な年になりました。

大統領の意思だけではなく、アメリカ国民が広島を訪れることに対して、以前ほどの反対がなくなったことも大きな理由の一つだと考えられます。

戦争では個人の意思は尊重されません。

生きたくても生きることができなかった方、戦地に行きたくなくても行かざるを得なかった方、沢山の尊い命が失われ、そして沢山の方が悲惨な体験をされました。

今私たちが平和でいられることに感謝し、そして戦争で亡くられた方への哀悼の意を表し、この先日本が間違った方向へ進まないようにすることが大切だと痛感します。
2016年8月10日 19:11
こんにちは。

知覧の記念館には一度行ってみたい…と思いながらも、鹿児島勤務の際に行くことができませんでした。

私は海外などに行くよりも、国内のいまだ訪れていないところをゆっくりと旅するのが夢です。

「いつか・・・ね、いつかきっと行くよ…」と思いながらも数十年たってしまったことを、多少なりにも後悔している自分がここにいます。

「自分の足で歩けるうちに、行けるとこには行ってみたいものです。」

記事を読ませていただきながら、3年前に半身不随になってしまった記念の日を思い出してました。
コメントへの返答
2016年8月10日 20:06
こんばんは。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

宮崎のR31大好きおじさんさんも、知覧特攻平和会館に行ってみたいと思われてたんですね。

私は何度か訪れているのですが、隊員たちの手紙を読むと、いつも涙が溢れてきます。

日本人として過去にこんな悲惨な戦争があったということを、是非皆さんに訪れて頂いて、感じて頂きたいと思います。

私は鹿屋のほうにはまだ行ったことがありませんので、こちらのほうも是非訪れたいと思っています。

私も今まで「また今度、またいつか、機会があれば。」といろんなことを先延ばしにしてきました。

そして昨年病に倒れ、随分と不自由な体になってしまいました。

いつまでも元気でいられるとは限らないので、今できること、今しなければならないことを、一つずつやっていきたいと思っています。

宮崎のR31大好きおじさんさんも、どうかお身体ご自愛下さい。
2016年8月10日 20:14
こんばんは

欧米に植民地支配されていた東南アジアの国々を解放する為の戦争だったから「大東亜戦争」だったって聞いたことがあります
大東亜共栄圏という思想のお陰で東南アジア諸国には日本語を話せる地元の人や親日家が多いって事も
コメントへの返答
2016年8月11日 9:25
おはようございます。

私の知る限りでは大東亜共栄圏の理念は、ヨーロッパ諸国の植民地となっているアジア諸国を大日本帝国の力で開放し、完全に独立した国家を樹立させ、大日本帝国・満州国・中華民国を中心としたアジアにおける共同体を構築するといった、いわば現在のヨーロッパ諸国におけるEUのようなものを創設するのが目標だったと記憶しています。

実際、どの程度純粋にこの理念に基づいて行動していたかは、議論の分かれるところですが、結果として良きにせよ悪しきにせよ、大東亜戦争によってヨーロッパ諸国の植民地政策からは解放され、終戦後各国が独立に至ったことは紛れもない事実です。

アジアのすべての国や国民が親日だったというわけではなかったようですが、少なくともアジア諸国の多くや、南米・北欧諸国等で、連合国側よりも日本に対して友好的な感情を持っていたのは、歴史で教わった事実とは逆にあったようです。
2016年8月10日 21:27
お邪魔します

特別攻撃隊の皆様の本心というのは、それぞれの「遺書に書かれたままのこと」だと思っています。特別攻撃隊に限らず当時の日本人がそういった精神状態にあると分析したGHQは恐くて仕方がなかったことと思います(それは正確な分析だったと思います。)。

自分だけ、友達だけ、親類だけ、地域だけじゃない。日本どころか東アジア全体の国々と、そこに暮らす人々の生命、財産、文化、それらの将来が「俺一人の行動にかかっている!」。それが事実である世界など想像できるわけがありません。しかし想像すると、私の中にはとても大きな「感謝の気持ち」が生まれます。

私が、家族・親類が、友人・同僚が、平和な「今」を生きていることを考えるにつけ、散華された皆様、当時頑張って日本を支えて下さった皆様にはただただ「感謝」です。
コメントへの返答
2016年8月11日 9:50
コメント頂きまして、ありがとうございます。

本文中の私の記述について、誤解を招くような表現があったかもしれません。

私も以前、全ての特攻隊員が、自ら志願し自らの意思で特攻隊員になったと確信していました。

実際多くの方がそういう覚悟だったのだと思います。

しかしながら、いろんな資料を調べたり話を聞いたりするなかで、少なからず本心ではなかったのにもかかわらず、当時の情勢や状況で嫌とは言えず、やむなく志願せざるを得なかったという方もいらっしゃったようです。

仰るように連合国側は日本軍、そして特攻に相当な恐怖を感じていたようです。

戦闘で負傷し戦闘できなくなったという方以外で、多くの兵士が日本軍・特に特攻に対し精神的に異常をきたし、戦闘不能になったようです。

戦争の善悪は別にして、日本軍は本当に勇敢に戦いました。

自分の命とひきかえに、国を家族をそして愛する人を守ろうと、必死で戦いました。

そして戦争が終結し、戦後も先人たちが必死で日本を復興し、今私たちが暮らしている日本があります。

私たちは決してこの事を忘れることなく、二度と悲劇を繰り返すことなく、前に進んで行かなければと考えます。
2016年8月10日 22:01
こんばんは。(*^_^*)
日本は平和なのでは無く、今のところ安全なだけではないでしょうか。
平和と言うのは、世界中から戦争が無くなった時だと…私は常々思っています。
悲観的な言い方をすれば、人が人である限り、恐らく戦争は無くならない。
平和憲法を持つ日本ですら防衛のためと称して武力を保持していますし、撃たれたら撃ち返すんですよね。
ぢゃ、戦争を無くすためには?
ちょっとアニメの影響を受け過ぎかもしれませんが、、、端的に言うなら、全人類の「革新」が必要なのだと思います。(;^_^A
コメントへの返答
2016年8月11日 10:08
おはようございます。

平和の概念というのは、人によって受けとりかたに違いがあるのかもしれません。

私は常々世界から戦争や戦闘・紛争がなくなればいいと思っています。

しかしながらgrayghost.f23さんが仰るように、人が人である限り、そして人の中から私利私欲が消えない限り、戦争は無くならないのかもしれません。

永世中立国を宣言しているスイスでも、軍隊は保有しています。

同じ敗戦国であるドイツでさえ、軍隊を保有しています。

今の日本国憲法は、日本国や日本人がつくったものではありません。

日本国の軍事力に脅威を感じていた連合国側が、日本が再び軍事力を保有し、二度と歯向かわないようにとつくったものです。

しかしながら朝鮮戦争が勃発し、日本に軍事力の必要性を感じたアメリカが、矛盾しながらも警察予備隊→保安隊→現自衛隊をつくらせました。

そして現在、日本国憲法をつくったアメリカが、日本に事実上の軍事協力をするよう、圧力をかけています。

今ある自衛隊が永久に戦争のためにではなく、復興や災害支援等のみに活躍し続けることを願っています。
2016年8月10日 23:09
学生時代、卒業旅行でここを訪れました。
資料館では、自分と同じ歳、歳下の方が出撃し、帰らなかった事を思うと、涙が自然と溢れてきた事を思い出します。
お国の為ではなく、愛する家族の為の旅立って行ったんだと思いました。
そして彼等がいたお陰で、今の自分がいる日本になったんだなぁと、感謝しました。
コメントへの返答
2016年8月11日 14:02
しょうブーさん、学生時代の卒業旅行で訪れられたとのこと、さぞかし素晴らしいお心をお持ちだとお見受け致します。

生まれた時代が異なれば、たとえ十代の若者であってもその命を捧げなければならない、運命という一言では片付けられないものがあります。

彼らが命をかけて守ろうとした日本、しいては家族、私達も彼らの思いを決して忘れてはなりません。
2016年8月10日 23:31
コメント失礼しますm(._.)m
みなさんのおっしゃるように人が生きている限り、戦争や紛争、争い事は無くならないでしょうね。
悲しいことですが・・・・
ですが私達、人間には学ぶ事が出来ます。
今の世の中の感覚で言えば悲惨、酷い戦争かもしれません。
しかし、戦時中であれば、お国の為‼️と教育を受け戦場に駆り出される事を当たり前と思った方も居ると思います。
逆に行きたくないと思った方も居ます。

どちらにせよ、そういう方々が居たからこそ今の日本があるのだと私は思います。
表現が悪いかもしれませんが多くの犠牲、戦争に負けてよかったように思います。

あのまま短期決戦で日本が勝利していたらどうなっていたでしょうか?
想像しただけで恐ろしいです。○朝○のように独裁国家になっていそうで(ゝ。∂)
コメントへの返答
2016年8月11日 14:23
コメント頂きまして、ありがとうございますm(_ _)m

人の心から私利私欲が消えない限り、この世から争いは無くならないのかもしれません。

しかし世界のどこかで戦争や紛争が絶えないなか、日本は前戦争後戦争を行なっていません。

日本人は学んだのだと信じたいです。

しかしこの事を後世に伝えていかなければ、この先また同じ悲劇を繰り返す事になるかもしれません。

現在の日本は、戦争を知らない世代が大半となりました。

そう遠くない未来、全く戦争を知らない方ばかりになります。

その前に今私たちが伝えていく必要があるのだと思います。

私は古来から日本人は優秀な民族だと考えています。

確かに誤ちを起こすこともありますが、それは他の民族もまた然りです。

前戦争以前から、日本には間違った考えばかりではなく、今では失われてしまった素晴らしい思想や風習がありました。

逆に戦後西洋からもたらされたものは、決して良い思想や考えばかりではありません。

もし万が一日本が戦争に勝っていたとしても、それほど憂うような国家にはなっていなかったと私は信じたいです。

本当のところ勝っていたほうが良かったのか、負けて良かったのか、真実は誰にもわかりません。

ただ一つ言えることは、戦後戦勝国側に日本人の憎悪や恨みを向けさせないため、自分達の国がやったことが全て間違いで、全て自分達が悪かったと教育させることで、戦勝国側への憎しみを向けさせないための策略があったのは事実です。
2016年8月10日 23:47
知覧には以前勤めていた会社の社内研修旅行で行きました。隊員の方々が家族にあてた手紙を読んで色んな想いが去来したのを覚えています。私の父は明治生まれで明治、大正、昭和の災害、戦禍の中を生きてきました。その父が良く言っていた事は二度と戦争は起こしてはいけない、物を持つな焼ければ無くなる等々、母親からは東京大空襲の際にグラマン戦闘機に追われ命からがら逃げた事などを聞かされ育って来ましたが、恥ずかしい限りですが、今思うと折角の教えを活かしていない自分がそこにいます。
コメントへの返答
2016年8月11日 14:38
以前chu_e34さんがお勤めになっていた会社の社内研修旅行で、知覧特攻平和会館の見学があったんですね。

そのような会社があることに驚きです。

chu_e34さんのお父様は、明治時代のお生まれとのこと、先の戦争だけではなく、様々な戦争や災害をくぐり抜けてこられたのでしょうね。

そういったご経験をされている方の言葉はとても重いと感じます。

戦争を知らない私は、全く同じ思いを共有することはできないのかもしれませんが、私自身多くの戦争体験者から話をお聞きしてきました。

その言葉を後世に伝えていかなければいけないと常々考えています。
2016年8月11日 0:21
こんばんは。
まだ子供の時に家族旅行で行った、知覧の事は
20年以上たった今も覚えています。
そして心に残る重い鉛のような気持ちも。
その時に買った一冊の冊子は、今でも本棚にあり
忘れえぬ記憶を補完してくれます。

戦争について誰もが考え続けることが
平和への最も大切な方法の1つなのではないかと
この歳(アラフォー)になって考えています。

思い出す機会をいただきました。
ありがとうございます。
コメントへの返答
2016年8月11日 14:49
こんにちは。

やまモン.さんが子供の頃、ご両親が家族旅行の一つに、知覧特攻平和会館を選ばれたんですね。

とても良い選択だと思います。

私自身は知覧特攻平和会館を何度も訪れていたのですが、私の家族は一度も訪れたことがなかったため、このブログの写真を撮影した際に、家族を連れて訪れました。

それまで家族旅行を楽しんではしゃいでいた子供たちが、ここを見学する際とても神妙な面持ちで、真剣に見学していたのを憶えています。

戦争の悲惨さ、平和の尊さは語り伝えていかなければなりません。

私の子供たちが親となった時、その子達にこのことを伝え、ここを訪れてほしいと願っています。

やまモン.さん、このブログをお読みくださり、ありがとうございました。
2016年8月11日 0:21
こんばんは(^_^)v

知覧の記念館、3回程見せていただきました。その度目頭が熱くなりました。靖国の遊就館も何回も見ましたが、国を護る=家族、愛しい人、育ってきた郷土を護ること、その為に若い命を散らした人の命の上に今の我々がいる事を忘れてはならないですね。
コメントへの返答
2016年8月11日 14:55
こんにちは(^_^)

yutiさん、3度も知覧特攻平和会館を訪れておられるんですね。

私も何度も訪れていますが、その度に涙なくしてはいられません。

広島や長崎、沖縄のひめゆりの塔なども訪れました。

その度私たちがこうしていられるのは、尊い犠牲の上にいるんだと痛感し、感謝の念に絶えません。
2016年8月11日 1:48
こんばんは(^^)
ずっと祖父母と暮してました。
祖父は高校生の時に亡くなりましたが
戦争の話は何回も聞きました。
5人兄弟で末っ子で、上の4人の方は戦死されたみたいです。
海外で亡くなった方がいて終戦後に
遺骨をお返ししますと大阪府から言われ取りに行ったら、木箱に石ころが1つ入ってただけだったそうです。
遺族会の英霊棟の掃除へ8月15日に毎年祖父が行ってました。
亡くなってから、その日だけは英霊棟へ掃除に祖母と行ってます。
祖母も86歳で戦争の話の時は
大東亜戦争といいますね。
焼夷弾がシャラシャラシャラと落ちてきて
空襲警報で起こされ防空壕へ逃げる毎日が嫌だった、生きてる心地がしなかったと言ってます。
つい数日前にも、そんな話しをしてました。

長々と失礼しました。
コメントへの返答
2016年8月11日 15:08
こんにちは。

katuya.kuさんは祖父母とお暮らしになっておられたんですね。

さぞかし色々なお話をお聞きになったと思います。

私の親族も何人も戦死したようです。

当時の日本の情勢では、遺骨が内地に帰るのは至難の業だったのかもしれませんね。

私の母方の墓地は古くからあり、忠霊塔や戦死された方のお墓があります。

お墓参りに行った際は、忠霊塔に花を手向け、鎮魂と感謝の祈りを捧げています。

私の父も生前、頑なに大東亜戦争と言っていました。

頑固で曲がったことが大嫌いな人だったので、連合国側から強要された太平洋戦争という言葉を、絶対に使いたくなかったのだと思います。

私にはお盆休みというものがありませんが、次の休みは実家とお墓参りに行ってきます。
2016年8月11日 4:00
終戦日が近づくと、戦争を題材とした映画やドラマ等が放送されますね。

特攻隊員の皆様が家族に宛てた手紙のお話は本当に悲しい気持ちになりましたよ。

大東亜戦争、もしも日本があの戦争に勝利していたらどうなっていたのか…日本だけじゃなく世界が違っていたでしょう。特攻隊員の皆様の命を無駄にしないよう、この先も戦争はしてはいけない。
コメントへの返答
2016年8月11日 15:18
私が幼少の頃、お盆が近づくと今以上に朝から晩まで、戦争関連の番組ばかりだったような気がします。

そのような影響もあったのか、小学校の低学年の頃から、戦記ものや戦争関連の本をよく読んでいました。

知覧特攻平和会館で見た隊員たちの手紙は、涙なくしてはいられませんでした。

日本が大東亜戦争に勝利していたら、この世界は全く違っていたものになっていたでしょうね。

どんな世界になっていたかは知る由もありませんが、日本民族は過ちを犯すばかりの民族ではないと信じているので、現代とは違った点で、良いところも悪いところもあったのではと考えています。

どちらにせよ、二度と悲惨な戦争を繰り返してはいけませんね。
2016年8月11日 7:20
おはようございます。
オバマ大統領が広島に来たことは
歴史的に一定の評価に値したとおもいます。

でも、なぜ長崎へは訪問しなかったのだろうか?
やっぱり「パフォーマンス?」と疑ってしまった。
こんな考え、いかんですね('ω')ノ 反省!

わたしも、資料館に行って平和について
考えてみます。啓発的な記事ありがとうございます。

暑い日が続きますがお体ご自愛くださいませ。
コメントへの返答
2016年8月11日 15:24
こんにちは。

亀ぽんさんが仰るように、原爆投下国の大統領が広島を訪れたことは歴史的な出来事ですが、同時に長崎にも訪れてほしかったという思い、全く同感です。

しかしながらアメリカ国内の情勢や世論を考えると、両方を訪れるのは困難で、大統領としても苦渋の決断だったのかもしれませんね。



私の体のことまでお気遣い頂きまして、ありがとうございます。

亀ぽんさんもどうかお身体ご自愛下さい。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございました。
2016年8月11日 9:38
おはようございます。お邪魔します


頭では分かっていても、本当のところは分かっていない、そんな一人だと思います

様々な状況で始まってしまった戦争でも、ひとの命より大切なものは無いとは思うのですが、歴史を紐解いても争いは続いてきていますよね。
でも、真実を知ることから始めるのは大切ですよね。今さらかもですが、そんな機会なんだと思います


コメントへの返答
2016年8月11日 15:37
こんにちは。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

私も戦争経験者ではなく、勿論当時生まれていたわけではないので、どこまでわかっているのかといえば、知らないことは沢山あります。

世の中には知らないままでもさして問題ではない、知らなくても影響のないこともあるかもしれません。

しかしながら戦争と平和については、人は知り考える必要があると感じています。

今の日本人は戦勝国側に都合の良い教育だけを受け、本来の先の戦争の意味や目的を知らないままに生きています。

誤解を恐れずに言うと、こういった教育は真実を歪めた某隣国の教育と大差ないのかもしれません。

日本人は真実を知り、それを後世に伝えていかなければなりません。

どちらにせよ、二度と悲惨な戦争を繰り返さない為に。
2016年8月11日 10:41
私も、子供の頃から、このような話をすり込まれた方ですね。お袋方の叔父が帰還者です。
今の時期になると、戦争特番が増えて特攻隊で散っていった方々が、クローズアップされます。でも真実は、そこだけでは無いと思います。
と言うのは、叔父の一人は整備士として戻って来ない仲間の機体整備をしていたそうです。当り前ですが、帰って来て欲しいと、手を抜くことは出来ないでしょうし、キッチリ整備すれば確実に帰って来ない。この話を聞いた時は、どんな気持ちでレンチを握ってたのだろうか?天命を全うして亡くなってしまったので、本当のことは分かりません。
もう一人の叔父は、軍の文官扱いだったのか定かではありませんが、字が綺麗だった為に、手紙の代筆をしていたそうです。その中には、遺書も...

自分自身も、年齢を重ねるごとに、二人の叔父が体験して来たことは、半端無くキツいことだと思えようになって来ました。(今の時期の特番で結局は思い返しているのですが〜)
コメントへの返答
2016年8月11日 15:56
リバランさんもこういった話をすり込まれて育った世代なんですね。

私が子供の頃、周りには帰還者や戦争経験者が沢山いました。

殆どの大人がそうだったと言っても過言ではないかもしれません。

そういった方々から、貴重な話を沢山聞けたものでした。

現在、昔ほどではないにせよ、終戦日が近づくと戦争に関する番組が放映されます。

戦争映画やドラマが放映されたりもします。

しかし現代の戦争映画やドラマを観ると、違和感を覚えることがあります。

昔、私が子供の頃見ていたものは、作り手側や役者も戦争経験者がいました。

映画やドラマとはいえ、そこに込められた思いや感情は、全くのフィクションではなかったように思います。

しかし現代の戦争を知らない作り手や役者が演じているものは、何か違うと感じる時があるのです。

勿論私も戦争を知っているわけではなく、私が生まれたのは戦後何十年も経ってからです。

でもストーリーや思い感情に、違和感を抱いてしまう事があります。

今後時が経てば、今以上に真実とはかけ離れたものになってしまう気がします。

リバランさんが叔父様から聞かれたような真実を、きちんと取材したりして、戦争を決して繰り返さないという思いの伝わるようなものを、後世に残して頂きたいと思います。
2016年8月11日 10:52

 平和って戦争状態で無いだけの状況だと思います。

 昨今の世界状況を見る限り、戦争が起こらないとは言えないし

 その起こる可能性に備えるべきだと思います。(最終手段として)


 戦うべき時に戦わない

 戦えないで相手に滅ぼされるのを待つなんてナンセンスですし
 
 戦わずして日本が堕ちたとすれば

 多くの散った英霊達、日本を作った先祖達に申し訳が立ちません。

 
 今のバカげた平和主義は平和の為では無く

 戦争が嫌、戦う事から目を叛けているだけだと思います。 


 憲法9条、一見尊いように見えはしますが

 日本を死に至らしめる足枷だと当方は考えています。

コメントへの返答
2016年8月11日 16:27
平和の概念というものは、人それぞれ異なるのかもしれません。

ただ☆神民党総帥☆さんの仰る通り、この先も絶対に戦争が起こらないとは限りません。

日本が専守防衛に対して発言したり、防衛費を増強した際、軍国主義だと徹底的に批難し叩こうとする某隣国も、どんどん軍事力を増強し、誠に勝手な主義主張で周辺諸国とトラブルを起こし、日本に対しても挑発行動を続けています。

たとえ日本がこの先も挑発行動にのらなかったとしても、今のままではどんどん某隣国の挑発はエスカレートするかもしれません。

完全に日本は反撃しないとタカをくくっています。

今の日本国憲法は戦勝国(アメリカ)によって作られたものです。

そこに謳われている戦争放棄は、本来平和のためではなく、日本の軍事力に脅威を感じていたアメリカが、日本の力を封じ込めるためのものです。

本当に平和のためなら、それを押し付けた戦勝国側に軍隊があるのは矛盾していますし、朝鮮戦争勃発時日本に警察予備隊→保安隊→自衛隊を創設させたり、同じ敗戦国であるはずのドイツにも軍隊があり、戦勝国側もそれを容認しているのは誠におかしな話です。

しかし日本は日本国憲法第9条を、平和のためとして利用してきました。

今後日本が二度と戦争に巻き込まれないことを切に願いますが、現在の国際情勢を鑑みると、様々な議論をする余地はあるのではと考えます。

現在第9条を足枷だと感じているのは、日本よりもそれをつくったアメリカそのものなのかもしれません。
2016年8月11日 15:16
資料館には家族へ宛てた手紙なども展示されているんですよね。
私が一番感極まってしまったのは、彼等の写真でした。
本当にただの若者なんですよ。
みんな屈託の無い笑顔で写っている写真を見た瞬間に、涙が溢れて止まりませんでした。
人目を憚らず涙したのは、子供の頃以来だった事を記憶しています。
コメントへの返答
2016年8月11日 16:38
残念ながら館内は撮影禁止なので、写真を撮ることはできませんが、しょうブーさんの仰る通り、隊員たちの手紙や遺影が展示されています。

十代半ばや後半といえば、本来なら人生で一番充実し、輝いている時期なのかもしれません。

生まれた時代がそういう状況だったとはいえ、国のため家族のため愛する人のため、その命を捧げなければならなかったというのは、無念という言葉では片付けられないものがあります。

ここを訪れるたび涙が溢れます。

私たちは次の世代に、このことを伝えていかなければならないと感じています。
2016年8月11日 16:07
こんにちは(^.^)
以前勤務していた職場で、労組会議翌日の観光に長崎の
原爆資料館が組み込まれており、見学の後に観光等
軽々しい気持ちで訪れた事を恥じた覚えがあります。
その数年後には、同じく労組会議が鹿児島で開催され
事業の大幅な縮小と過去最大のリストラに関し討議した
翌日に、またもや観光で知覧の特攻平和会館を訪れました。
重苦しい会議の翌日、何の意図で知覧に行く事にした
のか労組三役に疑念を抱いた事を覚えています。
そしてその数ヶ月後、労組幹部でもあった自分は
早期退職に応募し職場を去りました。

長崎も知覧も、観光コースとして訪れる方も多いと
思いますが、戦争と言う愚かな行為を再認識して
欲しいと思っています。

ブログを拝見して、様々な思いが蘇りました。

自分の父親は予科練でしたが、戦争に行く事無く
終戦を向かえました。そして自分が小学生の時に他界
しました。既に自分は父親より長く生きています。
母親も孫の顔を見せる事無く他界しました。
生きていたいのにかなわない、その様な方が世の中には
どれだけいるか分かりません。

戦争を含め、人が人を殺める事など絶対にあっては
なりません。

ブログを読まれた方々が、是非命の尊さを再認識して
欲しいと思います。

コメントへの返答
2016年8月11日 17:02
こんにちは(^_^)

リョウタのととさんが以前お勤めになられていた職場の労組三役の方々が、どのような思いで長崎原爆資料館や知覧特攻平和会館をコースに組み込まれたのか、私には知る由もありませんが、もし観光の一環として軽い気持ちで組み込まれたのなら、それはとても残念なことであり、とても悲しいことです。

過去の戦争の真実や悲惨さを後世に伝えるためであったと信じたいです。

長崎原爆資料館や知覧特攻平和会館は、観光コースに組み込まれていたりしますね。

私の勝手な思いなのかもしれませんが、観光コースに組み込まれていたから訪れたというのではなく、自分の意思で訪れたいから訪れたというものであってほしいと思ったりします。

ご推察致しましたところ、私の父も私も、リョウタのととさんのお父様やリョウタのととさんより、若輩者のようですが、戦争の悲惨さや戦争を二度と繰り返してはならないとの思い、同じものではと感じます。

私の父も既に他界していますが、私自身が聞いたこと知ったことを後世に伝え、二度と戦争を繰り返さない国として、未来永劫続いていくことを切に願います。

ブログをお読みくださり、ありがとうございました。
2016年8月11日 19:18
知覧の記念館には八年前に初めて訪れました。

様々な展示品の中で一番に心に突き刺さったのが若い乗組員の家族に宛てた手紙でした。

これから死に向かうのに綺麗な文字、親兄弟を敬う内容。
たまらず泣きくずれてしまいました。

これからも機会があれば、知覧をはじめ、各地の記念館等に足を運んでみたいです。
コメントへの返答
2016年8月11日 20:35
BUZZ!さんも知覧特攻平和会館に行かれたんですね。

私もBUZZ!さん同様、特攻隊員の手紙が一番心打たれました。

内容を読めば涙せずにはいられません。

これからも私はこの特攻平和会館を訪れるでしょうし、まだ訪れたことのない他の地も、訪れていきたいと思います。
2016年8月11日 21:44
はじめまして。コメント失礼します。
私、恥ずかしながら特攻隊に関して、カミカゼも
片道燃料で突っ込む作戦だとずっと思っておりました。色々な事実や事情を初めて知る事ができました。ありがとうございます。とても、意味のある
素敵なブログだと思います。
コメントへの返答
2016年8月12日 21:05
はじめまして。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

燃料を積めるだけ積んで出撃したのには、様々な理由があります。

例えば特攻に向かうまで敵に見つかってはなりません。

当時は制空権も制海権も握られていたので、大きく迂回する必要がありました。

そのため最短距離で向かうより多くの燃料が必要でした。

また戦争末期は満足な整備をできない場合もあり、途中でトラブルが発生した時に引き返す燃料も必要でした。

そしてこれが最大の理由だったのかもしれませんが、戦闘機では搭載できる爆弾の量は限られています。

そのため特攻に成功しても小さな爆弾では効果が少ないので、沢山積んだ燃料に引火させ、大爆発を起こすためと言われています。

実際燃料が引火し大爆発した時の効果は甚大で、敵艦や敵兵に大きな損害を与えたりしました。

なぜ燃料を沢山積んだのかと理由を知れば、それはそれで複雑な気持ちになってしまいます。

でもこれが戦争なんですね。

tak279さん、ブログをご覧くださいまして、ありがとうございました。
2016年8月12日 5:04
初めまして。とても考えさせられる内容でした。
私は世間とは逆の考え方かも知れませんが『戦争はつい最近終わったばかり』
と、考えています。
紀元前を含めずとも人間には2000年もの歴史がありますが、そのほとんどを人類は人類と争い続けました。
ほんの70年前。ようやく先進国同士の争いが終わり、次第に植民地支配が無くなっていきました。
たったの70年前にようやく『争ってはいけない』という文化が芽生えたのです。

ですが力の使い方が分からない、強大な力を持った『ならず者国家』が我が国の近くにあり、暴走を始めています。
そして、今も貧しい国では争いが絶えません。

たまに思うのですが、今の日本の平和は数十年間のまやかしかも知れません。
なぜなら今もまだ『歴史の途中』だからです。

長々とコメント失礼致しました。
ですが『自分の人生の歴史の中に争いが無い』からと言って平和ボケしてる人たちには考え直してほしいと心から思います。
手放しで喜べる平和はまだこの世にはありません。
コメントへの返答
2016年8月13日 17:28
初めまして。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

歴史は計る物差しによって、随分と捉え方や感じ方が変わってきます。

しるばーあろーさんの仰るように、西暦という観点でみると先の戦争が終結したのはごく最近のことです。

また人間の寿命という物差しで計ると、遠い昔のことと感じる方もおられるかと思います。

平和ボケしている方は、自分がこの世に生を受ける前、遠い昔のことと思っているのかもしれません。

人類の歴史は争いの歴史でもあります。

世界史や日本史を紐解いてもそれは明らかです。

これまでの歴史、これからの歴史、そのなかで今の平和というのは、ほんの一瞬の夢幻なのかもしれません。

この時代にも軍備を増強し周辺諸国へ圧力をかけている国もあります。

日本が行なった戦争より、よほど筋の通らない支離滅裂な論理を盾にして、自国の領土を広げようとしています。

あまり知られていませんが、現在東南アジアの海域で某大国と周辺諸国が自国のものだと主張しているところは、実は戦前日本が統治していました。

戦後、日本が放棄し、そのままの状態になっていましたが、その後周辺で資源があると分かった途端、争いが始まりました。

人間の行き過ぎた私利私欲は、本当に醜いものです。

この先日本が戦争をしないよう、そして戦争に巻き込まれないよう、願ってやみません。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございました。
2016年8月12日 8:49
数年前、どうしてもこの目で見たくて知覧へ行った事を思い出しました。

夏休みを利用してクルマで、山梨県から…
かなり疲れましたが訪れる事が出来て良かったです。

当たり前のように過ごしてる毎日。

この方達のお陰で、今の日本があると思います。

平和な毎日に感謝し、この先もずっと続く事を切に願います(o˘◡˘o)
コメントへの返答
2016年8月13日 17:33
シドぽんさん、知覧特攻平和会館に行かれたんですね。

山梨県からずっと運転されて行かれたんでしょうか。

かなり大変だったと思います。



今私たちが当たり前だと思っている平和。

沢山の犠牲の上に成り立っていると思います。

犠牲になられた方々の命を無駄にしないよう、私たちはこれからの歴史を創っていかなければならないですね。
2016年8月12日 10:52
こんにちは。

私も知覧の平和会館へ訪れたことがあります。
出撃を余儀なくされた学生達の想いであったり当時の現状など、とても胸が苦しくなったのを覚えています。

今では考えられないことが起こってたんだなって…。
個人の考えなんて通用しなくて、右と言われれば絶対に右みたいな。

みんなの決意・御別れの手紙を読んでいると涙が止まらなくなりました。
今もそうですが、なぜ平和になるのに大勢の人が死ななければならないのか、他の方法がないのか双方で考えほしいと思っています。

当時の方々にはご冥福を祈るばかりです。
コメントへの返答
2016年8月13日 17:45
こんにちは。

ちっちゃい親父さんも、知覧特攻平和会館を訪れられたんですね。

私も何度も訪れていますが、その度いつまでもここから離れられないでいました。

特攻隊員の方々の手紙を読んだり、いろんなことに思いを馳せたりすると、とても数時間の滞在だけでは事足りません。

当時は個人の意思や意見は尊重されませんでした。

若くして国のため家族のため愛する人のため、命を捧げられた方たちへ心からご冥福をお祈りすると共に、私たちは二度と悲惨な戦争を起こさないよう、考えなければなりませんね。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございました。
2016年8月12日 17:39
はじめまして。
先日、プロ野球投手唯一の特攻隊員石丸進一の話を、ラジオでしてました。
私も中学生の頃から、太平洋戦争の詳しいことが知りたく、中学高校時代を日本の明治時代からの、歴史を突き詰めることに没頭してた時期がありました。
石丸進一投手は、戦前唯一のノーヒットノーランを達成した、豪速球投手だったそうで、今の中日ドラゴンズに在籍してたそうです。
彼が特攻隊の前線基地鹿屋から飛び立つ前に、球団事務所を訪れ「ボールは自分の守り神」と言って、真っ白なボールを貰っていったそうです。
そのボールを飛び立つ前に、飛行機から、外に投げつけた!
「自分から、野球を取り上げたのは誰じゃ!大切な恋人を取り上げたのは誰じゃ!何が忠義だ!」と言いながら、彼は飛び立って、そして2度と戻ってこなかったそうです。
言いたいことも言えなかった時代、彼が最期に、残した言葉をしっかりと胸に刻んで、生きていかなくてはと思った、8月の暑い日でした。
コメントへの返答
2016年8月13日 17:54
はじめまして。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

お恥ずかしながら石丸進一さんのお話し、そこまで詳しくは知りませんでした。

貴重なお話を聞かせて頂き、大変勉強になりました。

猫又虎次郎2さんも色々歴史を調べたり勉強されたんですね。

あの時代、本心で国のため家族のため愛する人のため、悔いなく我が命を捧げた方は沢山いらっしゃったと思います。

でも死にたくない、やりたいことがある、生きたいと思いながら、散っていった方も少なからずいらっしゃったんじゃないでしょうか。

私たちの今は、そんな方々の尊い犠牲の上に成り立っています。

時にはそういった方々のことを思い出し、感謝とご冥福を祈り、これからも平和が続くよう頑張っていかなければならないと考えています。
2016年8月13日 1:21


初コメント失礼します。


10代でも、戦争の話は考えさせられます。

思わずコメントしてしまいました。

ブログを見て、生きたくても、生きられない、数多くの犠牲があり、今の日本があるんだと、こもいました。
あらそうことは、どれだけ愚かな事なのかを思います。


私のひいおじいちゃんが、戦争に行き部隊を束ねた人だと聴きました。小学生の、頃に亡くなったのですが、生きていた頃は戦友から手紙なども来ていました。そんなきびしい中で生き伸びてきたと考えると奇跡だと感じます。
貴重な話を聞いておけばよかったと、今更かんじます。



私はまだ10代ですが、これからの日本は、この先、平和に暮らしていけるのかどうか、どうなるのかとても心配です。


とても、考えさせらることが、あるブログでした。

ありがとうございました。




コメントへの返答
2016年8月13日 18:11
初めまして。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

けいたんとさんは、10代なんですね。



当時は個人の意思や意見は尊重されませんでした。

特攻隊員たちだけではなく、他の10代の若い方も沢山犠牲になりました


そんな沢山の犠牲の上に、現在の日本があります。

ともすれば私たちは、先の戦争や過去のことを忘れがちです。

よく過去は振り返らないとおっしゃる方がいます。

しかしながら過去を振り返らず、過去から学ばず、過去を蔑ろにすれば、必ずまた悲惨な戦争が起こります。

過去をしっかりと見つめ、そして知り、学び、どう未来に活かしていくのかというのは、とても大切なことだと思います。

けいたんとさんの曽祖父様は残念ながらご逝去されたということですが、もしかしたらご身内の方がお話を聞いているかもしれませんね。

実際にご経験された方とは重みが違うかもしれませんが、知らないよりは知ったほうがいいと思うので、一度ご身内の方にご存知ないか聞いてみては如何でしょうか。

けいたんとさんのようにこういった話に耳を傾けられる若い方が増えれば、きっとこの先も平和が続くと思います。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございました。
2016年8月13日 7:43
来週辺りからサクラ花という特攻の映画が始まります。良ければ見て下さい

私は去年、野火を見て驚きました。確かに戦争の歴史は教科書で習うかもしれません。ですが習う際に見る写真のほとんどはモノクロです。今の映画ほとんどがカラーです。なので、現実味というかなんというかとにかく、自分がそこにいるかのように感じたのを覚えています。

未筆ながら失礼しました(;´A`A
コメントへの返答
2016年8月13日 18:33
コメント頂きまして、ありがとうございます。

ホームページを見ると、残念ながら私の住んでいる地域での上映は現在無いようですが、随時上映場所を更新するということなので、近くで上映されれば是非観てみたいですね。

人間爆弾の桜花のことを知っている日本人は、とても少ないと思います。



学校で学ぶ戦争の歴史は、それが全て事実・真実であるとは限りません。

私が小学生の頃、ある先生がここに書いてあることは本当ではないといって、教科書とは違うことを話してくださったり、教科書には書いていないことを教えてくれたりしました。

教科書で習う戦争のことは、ほんの数ページです。

とても全てを知ることはできません。

日本人はもっと知るべきだと思います。

litle catさんのように、映画を見たり意識を持つことはとても大切なことですし、そういった方が少しでも増えればと考えます。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございましたm(_ _)m
2016年8月13日 20:52
こんばんは。

長野県上田市に「無言館」と言う戦没画学生の作品を集めた美術館があります。
茨城県笠間市には号令台や地下戦闘指揮所、滑走路などと当時の旧海軍司令部庁舎が「筑波海軍航空記念館」として公開されてます。

いま日本各地にある戦争遺構がなくされようとしています。

あの忌まわしい戦争の記憶を消さないためにも遺構を残してほしいものです。
コメントへの返答
2016年8月14日 16:31
こんにちは。

長野県上田市に「無言館」と言う美術館があるんですね。

私はまだ長野県に足を運んだことがないのですが、訪れた際は是非「無言館」行きたいですね。



仰るように日本各地から、どんどん戦争遺構が無くなっています。

残されているうちにできるだけ訪問したいですね。

先日訪れて、ブログやフォトにアップしたラピュタの島、あのような大規模戦争遺構は残り少ないのかもしれません。

戦争を伝えるものとして、これからも保存していただきたいです。
2016年8月13日 21:08
連投失礼します。

石丸進一少尉も第14期飛行予備学生として筑波海軍航空隊に所属されてました。

神風特別攻撃隊の第五筑波隊として零戦に搭乗してます。
プロ野球選手の戦没者の中で特攻で亡くなったのは石丸進一少尉だけでした。

合掌
コメントへの返答
2016年8月14日 16:36
コメントありがとうございます。

ウォルナッツさんも前戦争のことお詳しいんですね。

他の方の返信にも書いたのですが、私は石丸進一少尉のことについて、そこまで詳細は存じ上げませんでした。

大変勉強になりました。

仰るようにプロ野球選手で特攻でお亡くなりになったのは、石丸進一少尉だけのようですね。

心からご冥福をお祈り致します。
2016年8月14日 1:23
今晩は(〝⌒∇⌒〝)

知覧に行かれたのですね
この地はたしか特攻隊の訓練場所と本土からの最終出撃場所だったと記憶してます
たしか数年前にこの地を舞台に映画化されたと思います……?

今韓国などと問題になつているのは日本国民がこの戦争の本当の出来事が知らない事が食い違いの元なのではよ思う事が有ります!
コメントへの返答
2016年8月14日 16:45
こんにちは(^_^)

ご縁ありまして、知覧には何度も足を運んでいます。

正直に申し上げると、今の時代にこれほど前戦争のことに対して知識のある方や、興味のある方がいらっしゃるとは思いませんでした。

Wマスターさんをはじめ、皆さんお詳しい方が多くてビックリしました。

あれから70年以上の月日が経ちましたが、私が憂慮していた以上に日本はまだまだ大丈夫なのかもしれません。

仰るようにGHQの禁止事項が解除された今でも、前戦争につて学べることが少ないです。

日本はもっと事実や真実を教育する必要があると考えます。
2016年8月14日 12:13
こんにちは、たっくんです。

ええと、ブログの内容を、無視しちゃって・・・・・

この間、録画していたTV番組を観たのですが。
もしや、べるぐそんさん、知っていらっしゃるかも?

“サワコの朝”
実は、吾輩、阿川佐和子さん、大好きなんですぅ。
60歳を2歳も(!?)過ぎたオバサンですが、とても可愛らしくって。
って、7歳年下の吾輩が言うのも変ですが。

で、そんなことは、どうでもいい、ってかぁ。
はい、その通りっ!

ゲストが、加山雄三さん、だったのですが。
加山さん・・・・・・BABYMETAL、大絶賛、してました!
加山さん、曰く。
『最初、(彼女たちが)出(てき)たとき、ウォー、と、思って。
 踊りが、歯切れいい。
 歌いづらい旋律なのに、歌のピッチが、正確でいい』、と。

番組では、“ギミチョコ!!” が、ライブ映像で映っていました。
ベビーメタル、あの大作曲家(!?)である弾厚作のお墨付き、なんですねっ!

今後の若き3人の成長と活躍が楽しみです。

で、おまけ。

戦争は、大義があってもなくても、嫌いです。
あってほしくないし、今すぐ、なくなってほしいです。
コメントへの返答
2016年8月14日 17:18
こんにちは。

たっくん104さん、いつもありがとうございます。

“サワコの朝”ご覧になったんですね!

私は残念ながら観ていないのですが、観ていた方から話を聞きました。

加山雄三さんのBABYMETAL好きは、とても有名ですね!!

熱狂的とも言えるぐらい、いつもBABYMETALをベタ褒めしています。

私より数段熱が入ってます(笑)

他にも芸能人やミュージシャンに、BABYMTALのファンは多いですね。

えっ!!!この人も!?っていうぐらいです。

中にはテレビ出演時に必ずBABYMETAL Tシャツを来ている方もおられます。

日本だけでなく海外でも、レディ・ガガやアリアナ・グランデ等、メタルに関係ない超大物アーティストや超有名アーティストがBABIMETALファンを公言しています。

もしかしたら一般人より、アーティストの方々のほうが良さがわかるのかもしれません(笑)



話は変わりますが、どんな理由があろうとも絶対に戦争はすべきではありませんし、これからもそういうことがあってはなりません。

戦争でお亡くなりになった方々のためにも、二度と戦争が起きないことを願ってやみません。
2016年8月14日 12:24
初めまして~

コメント失礼します。私も、先日特攻平和会館まで、行って来ました。
それまでは、第二次世界大戦や太平洋戦争と教わってたので、大東亜戦争と言う言葉すら、恥ずかしながら知りませんでした。
前々から、特攻平和会館には、行きたかったのですが、やっと先日に行く事が出来ました。
そこで、戦死された方々の遺書に、何とも言えない悲しみを感じました。教育も洗脳の一貫だったのか、現代の日本人には、考えられないですね。
次は、息子達を連れて行こうと思います。
愛国心と愛する家族や人 の為に散って行った方々が、今の日本を見たら、どう思うでしょうね。
いろいろ感じる、お盆休みになりました。
真実を後世に伝え二度と悲惨な戦争は、して欲しくないですね。
長々失礼致しました。
コメントへの返答
2016年8月14日 17:31
初めまして。

コメント頂きまして、ありがとうございます。

よっしゃん39さんも、知覧特攻平和会館に行かれたんですね。

お住まいのところから、随分遠かったと思います。

私は何度も訪れていますが、その度涙が溢れます。

あれから70年以上、随分日本も様変わりしました。

お亡くなりになった方々は、今の日本をどう感じているでしょう。

「平和で安全な世界」と思っているのか、それとも「随分堕落してしまった」と思っているのか。

祖国のために命を失った方々に、恥じない日本をつくって行きたいですね。

また行かれる際はご家族ご一緒に、是非若い方々の世代にも前戦争を知って頂きたいですね。

ブログお読み頂きまして、ありがとうございました。
2016年8月24日 0:24
いいね!ありがとうございます。
知覧には、行きたいといつも思っています。
ゼロ戦がこの空を飛んでいたんだ・・・終戦は、こんな暑い日だったのかなと仕事をしながらふと、空を見ることがあります。
日本の未来を守るため・・・。
そんなことも忘れている・・・。
今の日本は、ダメだと思います。
私も偉そうなことは、言えませんが…。
2世だらけの政治家、警察、教育者などなど・・・。
あくまでも私の妄想ですが日本は、なのもできずに核戦争に巻き込まれて無くなる・・・かもしれません。
毎日、テレビラジオでは、電車で命を落とす人たちのニュースが後をたちません・・・。
死ぬ気になれば何でもできると誰も教えてくれません。
簡単なことなのに。
コメントへの返答
2016年8月27日 14:28
コメント頂きまして、ありがとうございます。

数日間家を空けていて、返信が大変遅くなり申し訳ございません。

プロトティーポさんも、知覧に行きたいと思っておられるんですね。

今の日本は、戦争は遠い過去のこと、自分とは無縁のことと、思われている方が多いんではないでしょうか。

いざとなったら、アメリカが全面的に助けてくれると思っているのでしょうか。

もし逆だったら、日本人はアメリカのために、自分の命を差し出すことができるでしょうか。

日本人はもう一度戦争について、そして命の大切さについて、学ぶ必要があるのではと思います。
2016年8月31日 12:15
こんにちは
 「太平洋の奇跡」という映画で益荒男達が連合軍に調伏するシーンが印象的です。
隊長の刀の”カタ”を見てると不動明王の御姿を連想しました。
大日本帝国は天照大御神の仏の御姿の大日如来(大日大聖不動明王)に由来すると聴いた事があります。
 戦争に善も悪もなく戦勝国が正義という馬鹿げた話に苛立ちます。特にただただ国際法を無視した民間人が多く住む都市部への連日の空襲や原爆投下という民間人の大量虐殺の真実を隠す為にありもしない南京大虐殺とかでっち上げられたのは悲しいです。
 場所はハッキリしませんが「特攻の花」の花畑の写真展を見に行くと入り口から何か言い知れぬ空気を感じて、特攻の花の写真を目の前にした瞬間、泣き崩れる様に涙が溢れ出したのを覚えてます。
平和な世界、平和な日本の為に命を捧げて下さった靖國の全ての英霊に感謝します。
 君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔の結ぶまで
 海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへりみはせじ
天皇陛下弥栄!日本国弥栄!
コメントへの返答
2016年9月1日 1:42
こんばんは。

別途、お話しさせて頂いた通りです。
2016年9月10日 7:17
お初コメ失礼します。

自分も戦争というものは何なのかと心を打たれるので、こちらのブログを拝見させていただき、感銘を受けました。

自分も最近の映画「永遠のゼロ」は観ておりましたが、もう涙が止まりませんでした。

時間がある時には、こちらのDVDを今でも観てます。


知覧特効平和祈念館へはいつか行ってみたいです。

出生地が鹿児島の大隅半島ですので、いつかは行けるのかと思います。

宮部久蔵さんの事も、もっと知りたいと思ってます。

素晴らしいブログをありがとうございました。
コメントへの返答
2016年9月11日 3:13
コメント頂きまして、ありがとうございます。

私の拙いブログをご覧くださり恐縮です。

今の日本では戦争についてどこまで事実を伝えているでしょう。

また世界的にみても、歴史を自分達の都合のいいように捻じ曲げている事実は沢山あります。

大東亜戦争とは一体なんだったのか。

今私たちが事実・本質を知らなければ、後世に真実を伝えていくことはできません。

Nっ子さんは鹿児島県のご出身なんですね。

機会があれば是非知覧特攻平和会館に行かれてみてはと思います。

悲惨な戦争が二度と起こらないよう、心から願ってやみません。
2017年2月13日 13:19
こんにちはです〜m(_ _)m

今更ながらの… (^_^;) お邪魔致します(^-^)


しんぷう… 知らなかった…(^^;;


片道燃料じゃないの? 知らなかった… ただ、言われてみたら、 おかしさに、気付く…(・_・;

なんで→ 片道燃料 と 事実と異なる? になったのでしょうか?




前にも言った様な…ですが、(・_・;


我々 日本人は、日本人なのに 日本の歴史を あまり知らない? 教育が悪い?

又、 興味もない人多いですよね(。-_-。)

うちの息子も、塾で 勉強、学校で勉強、 試験、 入試の為の 勉強 又、テクニックなどを 塾で教わってます(´・ω・`)


べるぐそんさんが おっしゃってる様な事も 大事な事だと思います。^_^
コメントへの返答
2017年2月13日 18:16
こんばんは!

エスセブンさん、コメント頂きましてありがとうございます_(._.)_

「しんぷうとくべつこうげきたい」、今では殆どの日本人がご存じないのではないでしょうか。

勿論私はこの時代に生きていたわけではありませんが、幼少の頃から戦記ものの本を読むのが好きで、また戦争経験者の方から色々お話をうかがい、知るところとなりました。

片道燃料の件ですが、戦争末期の物資や兵隊さんの不足の折、なかなか敵にたどり着けなかったり、故障が起きたりして戻らなければならない状況の中で、片道分の燃料しか積んでいなければ、兵士も兵器も失ってしまうことになります。

そんな事態を避ける為の燃料満載なのですが、本当の目的は、できるだけ燃料を積んだ状態で敵に特攻すれば、爆弾が燃料に引火し、更に敵の被害を甚大なものにすることができます。

なんとも悲惨な話ですが、これが戦争というものです。

なぜ片道分の燃料という話になったのか・・・色々理由はあると思うのですが、多分神格化する意味合いもあったのではないのでしょうか。

つまり後戻りできない状態で特攻し、特攻隊員は神になったということです。

日本は戦争に負け、連合国に都合の良い歴史に書き替えられました。

そして今の日本や日本人は、臭いものには蓋をしろとでも言うかのように、事実を教えず知ろうとせず、目を背けたままになっています。

そして少しでもこういった話をすると、ファシズムだとか軍国主義だとか、そういうふうに持っていこうとします。

戦争は絶対に起こしてはなりません。

そのためにも日本人はもっと過去の真実を知る必要があると思います。

長文の返信、失礼致しましたm(_ _)m
2017年2月13日 19:12
お忙しい中、 ご返信ありがとうございましたm(_ _)m




これだけの 数の返信するのも大変ですね(^_^;)
コメントへの返答
2017年2月13日 19:44
いえいえ、滅相もございませんm(_ _)m

沢山のコメントを頂けて、とてもありがたいです(^_^)

以前多い時でブログにコメントとメッセージ合わせて、170ほど頂いたことがありました。

さすがにその時はちょっと大変でした(笑)
2018年3月16日 22:57
初めまして、こんばんは(^-^)/
自分の記事を見直していたら関連記事でお見受けしました。古い記事にコメントするのもどうかと思いましたが、何かの縁かと思い失礼します。

資料館で数々の資料を拝見して尊い犠牲の上に生かされていることを改めて感じ、また遺書は涙が止まりませんでした。
英霊方にいつか「貴方たちのお蔭で日本は素晴らしい国になりました」と報告できる日が来れば良いなと思いますが…先の大戦を侵略戦争と未だに言っている今の日本ではまだ先の話でしょうか?

零戦乗りの坂井さんが「戦争は勝っても負けても人類が二度としてはならないこと」という言葉を遺されていますが、それは私も思います。

しかし、周辺国を見ているといつ何が起きてもおかしくないので、万一有事の際は滅ぼされるのを黙って受け入れたくないし逃げたくないとも。
先人方は後世の日本人がそうなることを望まれたからこそ、命懸けで戦って下さったのだと思います。


べるぐそんさんは大東亜戦争や神風の呼び方に拘りがあるようで素晴らしいと思いました。

私も大東亜戦争とよく言いますが、べるぐそんさんのように「GHQから禁止されて大東亜戦争と言えなくなったけど本来の呼び方で使いたい」というような崇高な理由じゃなく
太平洋戦争だと大西洋戦線に対する太平洋戦線のこと?と混乱するという単純な理由ですが

特別攻撃隊には航空隊や回天(広義の意味では櫻花も?)など色々あるのに振武隊に神風って言う人、私の周りにもいますよ。
因みにその人は戦争の資料館に行ったそうですが「疾風って名前の零戦があった」と言われたときは「疾風なの?零戦なの?」「だから疾風って零戦!」という会話になってお互い固まったことがあります💦

私も確かにカミカゼと聞けば零戦の特攻隊が思い浮かびますが、単に特別攻撃隊ならば自分の中では甲標的のイメージが強いですね。

個人的には神風はカミカゼでも良いかな?と思います(「嗚呼、神風(カミカゼ)特別攻撃隊」という歌もあるからというこれまた単純な理由で)がべるぐそんさんは如何お考えですか?


此方の記事を拝見し、改めてまた行かなければならないなと。
来月は太刀洗に行く予定なので、また寄らせていただこうと思います。
長文失礼いたしましたm(__)m
コメントへの返答
2018年3月17日 0:01
こんばんは(^O^)

初めまして。

ブログご覧くださり、コメント頂きましてありがとうございます。

私達は過去の尊い皆さんのおかげで今を生きることができています。

犠牲になられた皆さんの資料を拝見するのは、涙なくしてはできないですね。

今の日本は過去の行ないを卑下したり、全て自分達の先祖が一夫的に過ちを起こしたと教育され、それを信じ切っています。

真実を捻じ曲げたまま、自国への尊厳も愛国心も失ってしまいました。

愛国心を持つことは軍国主義やファシズムなのでしょうか。

逆に愛国心を持たない他国はあるのでしょうか。

そう問いたくなることがあります。

日本人は平気でユニオンジャックやアメリカ国旗を飾ったり、車にペイントしたりします。

でも日の丸や日章旗を掲げたり、ペイントすればどうなるでしょうか。

答えは歴然ですね。



坂井三郎さんの本は何冊も読みました。

心打たれる言葉や出来事を沢山知ることができました。



私がこのブログを記した時より、日本を取り巻く環境はより緊迫したものになってきました。

戦争など勿論なければいいですし、軍備を持たないことがいいのは、誰もが当たり前に思うことです。

ですが残念ながらそんな単純な世の中ではありませんね。

特に周辺国には私達の常識が全く通用しない国がいくつかあります。

日本が自衛力を増強すると、軍国主義の再来だと声高に叫びながら、自身はその何倍もの軍事力の強化をしています。

悲しいかなそんな国々を相手に丸腰では日本は存続できない状態にあります。

今でさえ領空侵犯・領海侵犯が多発しているのですから。



私は嘘で固められ捻じ曲げられたた史実を、このまま放置しておくのではなく、真実を知らせ教育する必要があると考えています。

大東亜戦争や神風の呼称もまた然りです。

神風の呼称については、基本的にしんぷうだというのが本来だと考えていますが、一部戦時中も日本でカミカゼとも言っていたという記録があります。

ですので完全にカミカゼと言うのを否定するものではありません。

しかしながらしんぷうと呼びたいというのが、私の個人的な思いです。



来月太刀洗に行かれるんですね。

この時代にティアナさんのような方がいっらしゃることを、とても素晴らしいと思いますし誇りに思います。

プロフィール

「@Jimmy’s SUBARU さん、こんにちは!

お疲れ様です❗️

ありがとうございます‼️

しっかり診てもらって、治療したいと思います😊

本日も宜しくお願い致します😄」
何シテル?   06/12 15:10
べるぐそんです。 N-ONEに乗っています。
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