
今は仕事も辞めて暇な年金暮らしをさせてもらっているが、退職まではよく働いたと自分でも思う。
勤め先の仕入先・業務技術提携先・販売先などで海外企業との関わりも結構あり、技術に従事していた私は提携/調達/販売活動のために10か国以上を訪問した。
元来、英会話など出来た訳ではないが、会社が結構海外企業との関わり合いがあるとわかってから、会話テープで学んだり、海外本部長に直訴したりして、活路を開いた。
入社して1年余りで米国産製品の専売権を得るチャンスがあり、技術担当者が商品講習を受けるために2週間程訪米する話があった。担当上司を口説き落として米国出張に同行する機会を得た。
仕事の方は大きな問題もなく進行し、時間に余裕もできたので米国の同業会社を訪問することになった。しかし行っていた先はオハイオ州のど真ん中、とても交通の便の良い場所とは言えないグレートプレーンズの真ん中だった。
週末の土曜になると日本から同行してくれた米国提携先会社のアジア代表は、休日だからと近くのゴルフコースへ行ってしまった。当時私も上司もゴルフはしなかったので、トウモロコシ畑の真ん中のホテルでぼんやりと午前中を、ホテルのリムジンサービスで小さなダウンタウンに連れて行ってもらって、映画鑑賞して午後の時間を潰した。
日曜の朝にホテルのビュッフェで挨拶したアジア代表から報告が…
「ゴルフ場で会った初対面の人を口説いて、明後日1日ドライバーを○○ドルで頼んだ。彼の車で隣りの州の同業会社へ行こう。会社のアポイントも取った。今夕は挨拶を兼ねて彼の家でディナーだ。」
彼の行動力に驚くと共に午後はゴルフ場友人の家で奥さんと共に歓迎を受けた。
何と彼の奥さんは元日本人だった。終戦後の日本駐留時代に親しくなり、彼が兵役を終えてアメリカに帰るときに結婚して連れて帰ったそうだ。
奥さんが日本人と日本語を話すのはそれ以来とのことで、日本語と英語を交えながら楽しい半日を過ごした。ご主人が我々の無茶な申し出にOKしてくれたのも、そんな背景があったからだ。『幸運』ってあちこちにあるのだと感じた。
失礼な話だが、ご主人の生活は決して裕福そうではなかった。ごく一般的な米国人ワーカーなのだろう。車は当時でも時代遅れの米国製フルサイズセダン…多分オールズモービルだったと思う。中は広いのだがフワフワとした頼りない乗り心地。でかいだけでパンチのないブヲ~~とふけ上がるエンジン。
「こんな車で隣の州まで行くのか?大丈夫なのか??」と思いながら後部座席に乗り込んだ。
当時は、都会や幹線道路こそ綺麗に舗装されていたが、この辺りのトウモロコシ畑の間を走る道は舗装などされていない。車が走ると見える範囲全部に砂ぼこりが舞い上がっている。
1日ドライバーと彼のフワフワの車は、その中を時速80キロ程で疾走する。乗っている我々には大きな振動はまったく伝わらない。雑談しながら一面の砂ぼこりを巻き上げて走る車の中でくつろいで居ることができる。
これがアメリカ車なのだ。日本の車じゃ40キロも出したら体中が痛くなるだろう。ヨーロッパの車なら駆動輪が跳ねて速度が上がらないだろう。
だからアメリカはこんな車を作るのだ。アウトバーンを走るために欧州車があって、首都高用に日本車があり、ダブルニッケル(最高速度88kmのこと)と畑を走るためにアメリカ車があるのだ。
そう思いながらリアシートで感動していた。
そして朝7時にホテルを出発して2時間走行後目的の街に付いた。
「さあマックで朝飯でも食って工場へ行こう。」
マックの駐車場に着いたら大きな時計があった。それは8時を示していた。
「あ~、今はサマータイムだ!」
隣の州はサマータイム制を採用していなかった。
初めてアメリカに行った時の思い出でした。もう40年近く経つんだなあ・…
写真上は1980年代のオールズモービル88で下はビュイックセンチュリーです。
こんな車だったと思うのですが、車名は失念しました。
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2018/11/22 14:21:21