
久しぶりのTT-FⅢ時代のマシン紹介です。
今回はヨシムラコンプリートGSX400R(1985)です。
書棚の奥の古い雑誌「CYCLEWORLD(サイクルワールド)」1985年4月号から。
今回紹介するヨシムラコンプリートは私がレース活動をしていた1985年~1986年暮れまで、その競争相手として非常に印象に残るマシンでした。
最初に遭遇したのは1985年夏頃の岡山県中山サーキットだったと思います。
練習走行で走っていたところスタンド前上りでぶち抜かれた後、前傾姿勢のままで右コーナー登りを駆け上がる後ろ姿を見たのが最初でした。たしか滋賀県のレーシングプロダクトタカダさんでしたか?京都のXYZさんかもしれません。
早かったですねー。ヨシムラチューンは。
でも1985当時のサーキット(鈴鹿、中山)ではあまり見ませんでした。やはりほとんどがホンダCBR400FかヤマハFZ400RでGSX-RはカワサキGPZ400Rと共に少数派でした。その中でヨシムラチューンのGSKは異彩を放っていました。
あのPOPヨシムラが手掛けたマシンということで、私は少し憧れを持っていました。
1985年の国際A級・B級全日本選手権のヨシムラGSX-Rはこの年から辻本聡、喜多祥介が加入した初年で、ホンダRVF400がダントツで早く山本陽一、徳野政樹、三浦昇の牙城は崩せなかった。シーズン最終戦で喜多祥介がホンダRVFを微かに押さえて優勝を飾りました。
ノービスライダーの祭典鈴鹿4時間耐久レースでヨシムラが優勝するのは、ベースモデルが新型になった1986年(レーシングチームミラージュ関東)ですね。1987年(ヨシムラ・ミラージュ・モトライオン&シエットGP-1レーシングチームのマシーン)も連続優勝しました。
ではマシンの解説しますね。
ベースモデルであるスズキGSX-R400は空冷マルチ第2世代(水冷)として1984年(昭和59年)に最初のモデルが発売されたが、当初は排気量を表す400の数字は車名に付かず、'GSX-R'のみであった。スズキが先に発売したRG250Γ(ガンマ)と同様、アルミ合金をフレームの構造材に用いたことにより、152 kgという当時としては驚異の乾燥重量を誇った。当時のスズキは馬力競争に積極的に参加しており、59馬力の最高出力は400 ccクラス最大で、この値が後の400 ccクラスの自主規制値となった。この初期型GSX-Rの乾燥重量152 kg・59馬力というカタログスペックは、現在に至るまで市販400 ccクラス・4気筒モデルにおける最軽量・最高値である。(Wikipediaより)
このマシンがコンプリートマシンの初見ではあるまいか?
文中国際A・B級ステージⅢ用が185万とある。他紙ではノービス用が158万とあった。当時は高すぎて手が出なかったです。この後1986年初めに出るGPZ400Rカワサキコンプリートでも109万ですから、相当お高い買い物でした。
ブログ一覧 |
バイク | 日記
Posted at
2022/05/14 22:20:34