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2024年06月20日 イイね!

人口第2位の県

人口第2位の県車とは関係のない随筆です。

もう数年前のことになりますが、たまたま明治5年(1872年)に行われた近代日本で最初の人口統計の数値が書かれた記事を目にすることがありました。

するとそこには、

 ・1位  広島県:92万人
 ・2位  山口県(!!):83万人
 ・3位  東京府:78万人

と書かれていたのです。

私は山口県出身なので、これを見たとき素直に驚きました。驚愕したと言ってもいいです。

今の日本の人口分布が頭にこびりついているので、なかなか理解が追い付かず、えっどういうこと!?としばらく固まって考えてしまいました。
しばらくして、当時の日本は全国的に田舎で人口は薄く広く分布していたのだと、ようやく気が付いたわけです。

改めて当時のことを考えてみると、自由に居住地を変えるようなことはあまりなかったでしょうし、明治になったばかりで工業化が進んでいたわけでもないわけですから、今のように、都市部への人口集中など起きていなかったわけです。江戸時代から江戸は特別な街だったとは思いますが、今のような猛烈な人口格差はなかったということです。
当時の日本は、9割が農業を営んでいた時代だったはずで、米の収穫量に依存して人口が分布していたのだと思われます。

そういう意味では広島1位、山口が2位なのには、実は他にも少しからくりがあります。

多くの県は今よりも小さく区分けされていたのですよね。

最初の廃藩置県は、江戸時代の藩がほぼそのまま県にスライドした形で行われました。小さすぎる県は明治初期に一斉に統合されていきますが、明治5年の段階では、まだタイトル画像(明治4年12月の地図)にある通り、今よりもたくさんの県に分割されていました。おそらく明治5年時点では、77使府藩県あったと思われます(当時は都道府県ではなく使府藩県。廃藩置県後なのに藩が残っているのは、琉球藩がしばらく残っていたからのようです)。その後の明治期にも、県の統合・再分割・統合がしばらくの間繰り返されました。

当時の使府藩県別人口の順位順一覧をまとめてみたものがこちらです。


これを基に、現在の県境に合わせて考えてみると、

1. 今の新潟県 = 当時5位柏崎県+9位新潟県+77位相川県 = 145万人
2. 今の兵庫県 = 当時8位飾磨県+25位富岡県+73位兵庫県(+淡路島-丹後地方) = 134万(+20万人-10万人くらい?) →140万人強くらい?
3. 今の愛知県 = 当時11位額田県+12位愛知県 = 121万人
4. 今の千葉県 = 当時14位印旛県+29位新治県+31位木更津県(-今の茨城県南部) = 150万人(-30万人くらい?)→120万人くらい?
5. 今の岡山県 = 当時20位深津県+46位岡山県+68位北條県 = 115万人






あたりが、実は上位だったと考えられます。
その後に柏崎県と統合した新潟県が、明治期の長きに渡って人口1位だったりします。

山口県は農地面積のわりには人口が多めだったような気もしますが、概ね全国的に農地面積≒米収穫量に人口は比例していたのだろうと思われます。

ところで、先の表の通り、明治5年の全国の人口は3300万人だったわけですが、江戸時代の後半の間、ほとんど人口は変わらなかったようです。
日本では徴税などのために昔からお寺などが「宗門人別改帳」を作成していた関係で、かなり正確な人口推計ができるようで、江戸時代の初め頃は、1260万人くらいだったようです。戦いがなくなって農地開拓が進み農業生産力が著しく増加したことから、最初の100年で人口は3300万人前後にまで激増したそうです。100年を過ぎたあたりで開拓できる土地がなくなり、その後130年にわたって人口は横ばいだったそうです。(https://manabow.com/somosomo/depopulation3.html)

まさに、米の収穫量にちょうど合うように人口が漸近していたということですね。明治初期の人口は、130年間の蓄積の結果の平衡状態にあったということでしょう。
関連して、明治以降に富国強兵の中で人口は激増していくわけですが、農業技術の発展によって米の収穫量が大幅に上がったことが重要な要因のようです。

ついでに私の縁(ゆかり)の地の当時の人口を見てみると:

●今住んでいる栃木県:当時の宇都宮県+栃木県にあたり、人口は62万人ですね。ただし、後に群馬県に編入される山田郡、新田郡・邑楽郡が栃木県だったようですので、それを差し引くと60万人を切るくらいでしょうか(←明治4年の地図を見るとすでに群馬になっているように見えるので、その時期は異なるかもしれませんね。62万人で良さそうです。)栃木にはあんなに平野があって農地が多そうになのに、ちょっと少ない気もします。


●以前に住んでいた神奈川県:当時の神奈川県は相模川以西を含んでおらず、多摩地区から奥多摩までを含んでいて、入間県(後に群馬とくっつき、最終的に埼玉に統合)と接していたようです。相模川以西は伊豆半島のほぼ全域を含んで、足柄県だったようです。その神奈川県と足柄県を合わせた人口で82万人ですね。多摩と伊豆の人口を推認するのが難しいですが、それらを抜くと70数万人くらいといったところでしょうか。今や東京に次ぐ人口を誇る神奈川県ですが、当時はまだ平凡な田舎だったようです。



さて、冒頭に戻って、明治5年の山口県の人口が全国2位だったということを知ったときに思ったことです。

山口県に生まれると、明治維新で活躍した人物の話などを聞かされて育ちます。県外に出ると、明治維新の話を振られることもままあります。
しかし、私自身はあまり史実にも詳しくはなく、そもそも、山口なんて辺鄙な片田舎に過ぎないのに、薩長同盟なんてのがあったにしても(弱者連合は弱者だし)、どうして当時の中央政府を相手に喧嘩を売るようなマネができたのだろうと、なんとなくモヤモヤと不思議に思っているくらいでした。

それが、当時の人口を知ってみると、地方も中央もなく全国どこも似たり寄ったりだったことが窺え、確かに志さえあれば立ち上がることができたのかもしれないと、急に長年の謎が解けたような不思議な気分になったのです。

例えば、高杉晋作が、武士からではなく広く庶民から募って奇兵隊を作った話は、田舎で人口が少ないが故の苦肉の策だとぼんやりと思い込んでいたのですが、そうではないですね。本当に泰平の世で堕落した武士よりも、志をもった庶民の方が戦力になると考えたのでしょう。そして、それが本当に有効だったのだろうと思えました。

一方で、日本が明治後に発展する前の人口は、3千万人程度だったということは、テレビか何かで以前から知ってはいたのです。それでも、今の日本の人口分布が頭にこびりついていて、なぜか今の人口分布のままで絶対数だけが相対的に少ないイメージを無意識のうちに想定してしまっていたのですね。

根拠のない思い込みは理解を阻害しますね。
単に記事を見ただけなのに、それを強く感じた出来事でした。
Posted at 2024/06/20 21:25:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月17日 イイね!

Moddoreが‥‥‥壊れた‥‥‥そこが!?

Moddoreが‥‥‥壊れた‥‥‥そこが!?昨日のドライブで家を出るときは、いつものように排気ガス排出ノズルをマフラーエンドに合わせ、エンジンを掛けて車のチェックをしつつ、暖機をしてから出掛けました。


出掛けるときには、Moddoreの動作トリガーのリモコンのスイッチを押してそのまま出発です。Moddoreがちゃんと動いたのかを確認するようなことはしていません。


それでドライブから家に帰ってきたところ、排気ガス排出ノズルアタッチメントが、前に出たままで定位置に戻っていない(!!)ではありませんか!!

 「え゛~~っ! 早速壊れたの~!?」 (泣)

う~む、まあ、まだまだ稼働回数はたかが知れているし、ある意味、実機での試運転中みたいなものですから、そんなものかも知れませんが‥‥‥でも残念すぎる‥‥‥。

ざっとガレージで確認すると、

(1) 引き戻す方向にモーターが回り続けている。出掛けている間の4時間くらい回りっぱなしだったと思われる。
(2) 送風機は止まっている。
(3) ソレノイドで押し出すロックの棒は押し出される前の位置にある。

という状況でした。

このときには、ソレノイドがおかしくなってロックの棒を押し出すことができずに、モーターに付けたレバーが空回りし続けていたのかなと思いました。(3)になっているのは、ソレノイドがそもそも動かなかったのだろうと思ったわけです。完成直前にソレノイドのところで短絡していたという曰く付きでもあるので、やや信用できないと考えていたからでもあります。
加えて(1)と(2)から、トリガースイッチを押して3分後の引き込み動作開始(同時に送風機停止)は問題なくできていたのだろうと思いました。

それで、Moddoreを取り外して家の中でちゃんと見てみると、そうではなくて予想外のところが壊れていました。
電気的な問題だろうと思ったのに、物理的な破壊だったのです。


こういう感じで、ソレノイドとロック棒の外側角パイプの台座にしているアルミのLアングルと、MDF板のリンク部材との間の接着が剥がれて、盛大にズレています!!
巨大な面積での接着なので、本来ならばこここそが一番強いところだと思われるところがです。なお、使った接着剤はエポキシです。

裏からネジ止めしてあるソレノイドを取り外してみると、角の方が辛うじてなんとなくくっ付いているだけで、簡単に剥がれてしまいました。


よく見ると、アルミLアングルのほとんどの領域で接着不良を起こしていて、アルミ側には接着剤が全然残っていません。接着剤はMDF板側に全部持っていかれちゃっています。ありゃりゃ???、なんだこれは!!??

面積がデカいので十分着くだろうと思って、Lアングルの接着前にアルミ表面を紙やすりで荒らしておくまではしなかったと思います。でもたぶんそれだけじゃないですね。アルミ表面を脱脂するのを忘れていたのではないかと思います。かなり強い力がかかるところだとは言え、ここまできれいに剥がれるもんなのですね、ちょっと驚きました。
接着の基本を怠ってはいけませんね。面積が大きいことに気を抜いて、圧着も甘かったような気がしてきました。

剥がれる前の写真を使って、剥がれに至った状況を説明すると:


まず、ソレノイドに押されたロック棒が伸び、モーターシャフトの回転レバーがそのロック棒に当たります。


ここから、そのまま回転レバーがロック棒を押すわけですが、

リンクアームごと回転させるはずのところが、上に載っているLアングルだけを引き剥がして回しちゃったということのようです。ちょうど回転レバーが空転するところまでズレていました。


それから、壊れてしまったとは言え、引き戻す方向にモーターが回り続けていたということも、それはそれで問題ですね。正しく引き込めれば電源が切れるわけですが、失敗したときに回り続けてしまうというのではイマイチです。

ここで、ソレノイドの方について(3)の状態になっていたのは、駆動後にちゃんとOFFになっていたためです。これは、デジタル遅延タイマーの設定によるものです。

このデジタル遅延タイマーは、トリガースイッチが押された後に指定時間後に出力開始する(動作を開始する)だけではなく、その後に出力している時間(動作時間)も設定できる機能を持っています。

Moddoreで使っている減速機付きモーターは2RPMで回るものなので、30秒で1回転、15秒で180°回ります。回転レバーはシャフト中心に両側に伸ばしてあるので、引き込み動作で180°以上回ることはあり得ません。そのため、15秒で出力をOFFにするように設定していたのでした。

ソレノイドはデジタル遅延タイマーの出力に直付けにしているので、15秒後に問題なく止まっていたというわけです。
それに対して、モーターはDPDTリレー(双極双投リレー)を持つ汎用のモータードライバーで駆動しています。デジタル遅延タイマーの出力がONになったタイミングでモーターの回転が開始されるように、「NOT付きワンショット回路」を挟んでモーター回転開始信号を作って繋いでいます。
その一方で、回転を止める機構、すなわち、デジタル遅延タイマーの出力がONからOFFになったときに、モーターを停止する信号を作る回路は作っていません。今回のような不測の事態を考えるとモーターも止めるようにした方がいいですね。

ということで、リンクアームの接着部の修理モーター駆動回路の改善が必要そうです。前者はしっかり固定すればいいだけですが、後者は箱のスペースに余裕がないので、ちょっと大変かも知れません。

それらはまた後日に。


《不本意にもつづく》
Posted at 2024/06/17 21:35:05 | コメント(1) | トラックバック(0)
2024年06月16日 イイね!

久々に日曜にお出かけ

久々に日曜にお出かけ6/2(日)は、宇都宮では朝まで雨で、午前中はなんとかもちそうなものの微妙な曇り。雨を恐れて、第一回伊勢崎オートモービルフェスタには行かず。
6/9(日)は、降水確率が高く、もつかもしれないけどぱらっと来るかもしれない微妙な曇り。第二日曜には毎月やっているらしい邑楽タワーミーティングに、ドライブがてら行ってみようかと思っていたけど、やっぱりやめ。
・今日6/16(日)は、朝まで雨が降っていたものの、日中は雨が降らない予報。久々に日曜に外で活動できそう。
ということで、355でドライブに出掛けてきました。
ロータスの集まりが発端なのでしょうか、第三日曜には蓮会という旧車系の集いがあるらしいので、そこも目指しつつです。ただし355だと場違いでしょうから、ちょこっと様子見のつもりでです。

急ぐ理由は何もないので、朝はゆっくりして8時前頃に家を出ました。まだほとんどの店はやっていないので、道はまだ空いています。カーナビは使わずに埼玉方面をなんとなく目指し、南の方に向けて下道をドライブです。なんとなく雰囲気で交差点を曲がり、勘で選んだ道を流します。県内にはまだ一度も通ったことがない道が、たくさんありますが、全部通ることは一生ないだろうなぁとか思いつつ。

利根川を渡ったところで、道の駅があるようなので寄ってみました。
道の駅「童謡のふる里・おおとね」です。


最近の立派な道の駅に慣れていると、かなり地味なところでした(^^;;。
まあ、トイレに行けてお茶をゲットできれば十分です。

なんだかんだ2時間ほど遠回りしながら走って、さきたま古墳公園駐車場に到着しました。


奥の方には古いイギリス車中心にたくさんの珍しい車が集まっていました。


MGかな。


アルファ3台並び。


エランクーペ。


アルファのスパイダーだけど、1300ジュニア。


ある意味こういうのが珍しいシトロエンAXとまたまたエランクーペ。


オースチンヒーレーとジネッタG4かな。


皆さん綺麗にされていますね。オーナーの皆さんは、おそらくお話をされているようでした。
暑いのであまり長居はしませんでしたが、一通り拝見させていただきました。今日はエランが気になったかな。

帰る頃には気温がさらに上がってきたようです。でも、355のエアコンはバッチリ効くので車内は快適です。

今日のドライブは嫁さんレスだったので、その後、お昼には家に帰りました。

家に帰ったら、嫁さんと出掛け直して、久しぶりにケンタッキー。

高々3ピース+ちょこちょこなんだけど、何故かお腹いっぱい‥‥‥年なのかな!? 夜までもたれました。


梅雨入りが遅れていますが、これから梅雨に入るとさらにドライブには行きづらくなりますね。晴れ間があればいいな。
Posted at 2024/06/16 21:37:50 | コメント(2) | トラックバック(0)
2024年06月15日 イイね!

錆を落として使い続けよう

錆を落として使い続けよううさぎは元々同じ場所にトイレをする習性があり、教えなくてもすぐにトイレを覚えます。覚えるというのはちょっと語弊があるかも知れませんね。ケージにいると端っこ角をトイレにしがちなので、そこに三角コーナーのようなトイレを置けば、いつもそこにするようになります。最初は反対側になっちゃうことはありますけどね。
猫のように砂をかけたりはしないので、三角コーナーのようなトイレには網がかけられています。網の上に乗ってトイレをする感じですね。

七深はさらにギリギリの角を攻めるタイプで、ちょっと高めからすることがあるので、背後の壁が少し高いトイレを使っています。七深を飼い始めた当初は、陶器製の別のトイレを使っていたのですが、上から後ろに漏らすことがあって、今使っているモデルに買い替えました。

ただし、陶器のトイレとは違ってプラで軽いので、網を噛んでひっくり返したりする悪さをすることがありました。そこで、トイレの後ろ両側に付いているこの耳に、

上からワンタッチで簡単に抜き挿しできる閂(かんぬき)を作ってケージに取り付けています。

トイレは朝晩掃除をするので、取り付け取り外しを簡単にしておくことは重要です。
台座の木が七深に齧られて、だいぶ丸くなっていますね。

最初はそれだけで良かったのですが、網だけを外してしまうことがあったので、右側にはさらにアルミの板とL字金具で作ったもので網を上から押さえるようにしています。

クランプで挟んで固定する方式です。

これらの取り付け部がこのトイレ専用にできているので、このトイレを使い続けたいわけです。でもこのトイレの網は、鉄+塗装でできていて、おしっこにかかり続ける角のところが、1〜2年くらいで錆びてしまうのです。トイレは洗い替えのために同じものを2個使っているのですが、だいたいそれくらいで両方とも錆びてしまいます。

とは言え、このトイレは600円台で買える安いものなので、これまでは錆びた頃に同じトイレを買い替えていました。
それが、タイトル画像にある通り、販売終了になっちゃったんですよ。メーカーがもう作っていないようです。

それで、網の錆を落として塗装し直して使うことにしました。

使ったのは、こちらのホルツの塗料入り防錆剤です。



2年4ヶ月前にこれで使ったあまりです。
https://minkara.carview.co.jp/userid/3409363/car/3200960/6748192/note.aspx
そのまま腐っていきそうだったところ、久々に日の目を見ました。

トイレの在庫をまだ持っていた店を見つけて一つだけは買えたので、それに取り替えておいて、2つとも錆を落として塗装し直しました。




おしっこはトイレの角でしかしないので、錆落としと錆止めをしたのは角のところだけです。網の隙間が狭くて錆落としは難儀しました。

さてさて、これでどれくらいもつでしょうね。3個あるから、1つを洗い替えとは別の予備にして、小まめに再塗装して入替えるようにすればいいかな。



《追記》明日の日中は予報が外れていい天気になるようですね。埼玉方面でイベントがあるようなので、行ってみようかな。
Posted at 2024/06/15 21:20:16 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年06月13日 イイね!

昔の航空写真を見て

昔の航空写真を見て国土地理院が昔の航空写真を公開しているサイト(https://maps.gsi.go.jp/)を見つけたので、私が生まれ育った地を眺めてみました。
写真を見ていると、まだ感慨にふけるには早いと思いつつも、昔のことが思い出されますね。


まずは、1961〜69年の写真です。


この写真で、右上から右下左下へと蛇行して流れる川と、ど真ん中上から左下に続く道、ど真ん中上から右真ん中に続く道で三方を囲まれたエリアが、私が生まれ育った地区です。この時代にはほぼ田んぼしかなく、民家もほとんどありませんね。

農家の次男として生まれた父が、結婚を機にいくつかの小さい田んぼの贈与を受けてそのうちの一つに家を建てたのが、昭和39年頃のことです。この写真にはその家は写っていません。まだ本家の田んぼだった頃です。そこから考えて、この写真は1963年(昭和38年)以前、すなわち1961~63年に撮られたものだと思います。父が結婚前なので、当然私はまだ生まれていません。

私の最も古い記憶にあるこの辺りの道は、まだ舗装されていませんでした。なので、この写真に写っている道路は、まだ舗装されていないはずです。

そのエリアの隣の左下の丸を付けたところに、長屋の集合が写っていますね。ここは今もある平屋の市営住宅です。ここに住んでいた友達も何人かいて、併設の公園もあった(「宅は」「った」の場所)ので小さい頃に遊びに行ったりしていました。こんな前からあったのかと少し驚きましたが、よく考えたら私が小さい頃にはすでに使い込まれた感じだった気がするので、きっと古くからあるのでしょう。


次の写真は1974~78年に撮られたものです。


高度経済成長期が1955〜1973年だったことを考えると、撮影されたのはその後になるわけですが、この通り絵に描いたような田舎です。
私が小学生だった頃ですね。実家も写っています。この頃にはもう、車が通れる道は舗装されていました。

小さい頃はこういう感じでしたね。基本的には田んぼが広がっていて、周辺の家の多くは小さな兼業農家でした。ちょうど子育て世代がこの地に住み始めたせいだったのか、家の数の割には私と同世代の子供はたくさんいました。外から来た方もいらっしゃいましたが、地域は全員が知り合いでした。
外からとはいっても近くの地元の人しかいない中、関西イントネーションの子が引っ越してきたときは、衝撃的だったのをよく覚えています。みんなで「あ{り⤴}がとう⤵」じゃなくって「ありが{と⤴}う⤵)」と「と」にアクセントを付けてしゃべる練習をした覚えがあります。あれっ、なんで練習した言葉が「ありがとう」だったんだろう!?‥‥覚えていないなぁ‥‥きっと優しい世界だった(?)のでしょう。
そういえば、そいつは山口弁にはすぐに慣れたのに、イントネーションはなかなか抜けなかったなぁ‥‥それが普通でみんななんとも思わなくなりましたけどね。

小さい頃には、この川で魚やえびを捕まえたり、岩場を上って遊んだり、この写真の少し上にある山を探検してカブトムシを捕まえたり、空き地でソフトボール風の遊びをやったり。冬場には田んぼを駆け回ったり、無限(嘘)に糸を伸ばして凧揚げしたり。
新しい家の棟上げ(むねあげ)のときには、餅撒きが必ずあったのも懐かしいですね。子供だろうが容赦なく大人が必死なんですよね。(ちょうどケンミンショーで、山口県民は餅撒きが大好きってやっていましたね。そうなのか、山口ではまだ餅撒きやりまくってるんだ。)
まあとにかく、小学生の頃は近所の友達と外で遊びまくっていました。
そういえば小学生の頃と言えば、こんな田舎にもスーパーカーブームは到来していましたが、まあこんな田舎なのでそんな車とはまったく無縁でした。きっと実在するのだろうけど、テレビの中の世界だと思っていました。

ところで、隣接する先の市営住宅には、今から思うにいろいろな事情を抱えた人が集まっていた気がします。大人になってから気が付きましたが、仲の良かった友達のお母さんはメンタルのご病気だった気がします。昔の片田舎なので、おそらく治療機会はなかったと思え、そう思って小さい頃を思い返すと少し胸が苦しくなります。他にも、あまり話をしたことがありませんでしたが、いつも洗濯されていない服を着ていた同い年の女の子もいました。近所の友達は私も含めてみな避けるように遠巻きに見ていて、陰でこそこそ悪口を言っていたり‥‥。親から世話をしてもらっていなかったのだと気付いたときにはもう姿を見なくなり、もう少し話しをすれば良かったと後悔しました。
私の地区の人達は、隣接する市営住宅になんとなく距離を置いていた気がしますが、子供の私はもっと一緒になればいいのにと思っていたのを思い出します。

中学生になると部活の友達中心になって近所の友達とは少し疎遠になり、高校生になると少し遠くの高校に通っていたのもあって、近所の友達とはすっかりしゃべる機会がなくなってしまいました。もうそれっきり話をしたことがありません。みんな今頃どうしているのだろう‥‥会えばわかるのかな‥‥自信がないな。
高校を卒業する頃にはこの写真よりはもう少し家が増えましたが、基本的には実家を出るまでこういう感じのところでした。


次はいきなり飛んで2008年です。その後の30年間の航空写真がないのですよね。国土地理院さん、もうちょっと集められませんか?


この写真には、実家も実家の田んぼも写っています。この頃までには、駐車場の白線が目立つアパートなんかもできていて、家もかなり増えていますね。
周辺に大きな農家はなかったので、ほとんどのところは自家消費分を賄う目的(+荒れさせてはならないという責任感のような思い)で、細々とやっていたのではないかと思います。おそらく儲かっている農家は一軒もなかったと思うので、代替わりで田んぼをやめてしまうところが多かったのでしょう。

とはいえ、田んぼはまだまだ残っていて、道の形についても小さい頃からあまり変わってはいません。たまに実家に帰ったときには、少し家が増えたなとは思いつつも馴染みのある風景ではありました。

この写真が撮られた少し後のこととなりますが、今から10年ちょっと前に、一人暮らしだった父が急に体調を崩したことがありました。兄は川崎、私は横浜在住、それを機に父を関東に呼び寄せることになりました。
田んぼは従兄に託したり、畑にして叔父さんや近所の方に貸したりして維持してもらっていましたが、人が住まなくなった家は荒れていきます。数年後に田畑とともに実家を売ることにしました。一部田んぼ(畑に転用)のままで欲しいという人がいたので、そこだけは田んぼのままで売って、それ以外は宅地開発をしていた不動産屋に売りました。うちが田んぼを売るときに、周囲にまだ残っていた田んぼも合わせてまとめて買い取ったようで、そこそこまとまった宅地が造成されました。

そして最新のGoogle Mapの衛星写真です。


売ったので当たり前ですが、実家はもうありません。周囲の田んぼはすっかり減って、新しい道が造られ(共有私道でしょう)、小さく分けられた区画に多くの住宅が建っています。
田んぼばかりの場所だったのに、住宅街に変貌したと言って過言ではないでしょう。父を関東に呼び寄せてから、この地に行くことはなくなってしまったのですが、ここ数年で劇的に変わったようです。
私が小さかった頃から考えると、人口は10倍以上にはなっていそうです。おそらく、今は互いに知らない人も多くいるのでしょうね。ここまで家が増えると、普通に考えて、顔と名前と家とが一致しそうにありません。


地方の疲弊は進み、全国各地で過疎化が進んで限界集落も増えているような中にあって、私の実家のあった地域は、街の活性が高くて人口も増えていることはありがたいことなのかも知れません。が、もはや自分の生まれ育った田舎はなくなってしまったような気がして、少し寂しい気がします。
Posted at 2024/06/13 22:08:55 | コメント(5) | トラックバック(0) | 日記

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