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2024年11月23日 イイね!

りんご‥‥‥‥ゲットならず

りんご‥‥‥‥ゲットならず今日は、遅まきながらもできれば綺麗な紅葉(こうよう)を見て、さらにりんごをゲットしたいと思って矢板方面に出掛けてきました。

"矢板"と言っても馴染みのない方が多いと思います。矢板は宇都宮と那須の間にある栃木県の市で、宇都宮から30km強ほど北にあります。関東平野の北端とも言われるところで(若干細すぎる気もしますが)、長距離ドライバーの皆さんからは、冬場には矢板を境に気候が変わるとも言われているところです。

そして、栃木県外の人には意外なのではないかと思いますが、矢板界隈はりんごの産地だったりします。観光農園も多いですし、りんごの直売所もたくさんあります。こんな感じですね。


矢板がりんごの産地だということはずいぶん前から知っていたのですが、りんご園の直売所でりんごを買ったことはなかったのですよね。それで今日行ってみようと思ったわけです。

さて、朝、家を出て南の空を見ると、ほぼ雲のない抜けるような青空、


東の空を見ても同様です。


でも北の空は、山の向こう側には雲が多いように見えました。

とは言え十分に青空なので、このときには、そんなに遠くではない矢板辺りなら、全然問題ないだろうと思っています。

そのまま矢板までやってくると、街中は同じように青空ですが、山の方は少し雲が垂れ込めていました。

少し気にはしつつも、ひどい雨雲には見えないのでそのまま山に向かうことにしました。矢板なので、栃木県民の森と八方ヶ原方面に。

県民の森に続く道沿いには、上述のりんご園がたくさんあります。りんご園には帰りに寄ることにして、行きはそのまま素通りです。後でこの判断が失敗だったことに気が付くのですが、このときには朝から荷物を多くしたくなかったのですよね。

山道に入って、最初の駐車スペースで紅葉ゲット!


う〜ん、でも綺麗な赤に染まった感じではないですね。葉っぱはすでにかなり落ちているのですが、一方で、よく見ると赤く染まっていない葉っぱがたくさんあるのですよね。

こんな感じで、奥の方が緑なのがわかるかと思います。急に寒くなってしまって、赤く染まる前に、葉が落ちてしまっているのかな。

さらに少し登った県民の森公園の駐車場にて。

落葉が積もって絨毯のようです。そういう意味では見頃は少し過ぎてしまっていると思えます。でももしかすると、たくさんの葉がちゃんと色付く本来の見頃が、今年はなかったのかも知れません。

そこから、八方ヶ原の方に行ってみようと思い、八方道路に抜ける県民の森の中を走ることにしました。途中のキャンプ場に向かう別れ道の辺りに少し残っていた紅葉がこういう感じです。

う〜ん、まあまあですが‥‥明らかに疎ら。www

せっかくここまで来たので、八方ヶ原まで登ってみることにしました。が、標高が上がるにつれ落葉が増え、上の方は全面的に落葉していました。おまけに雪まで降って来ました。下界よりも気温は10℃ほど低く。


私にとっては今シーズン初雪ですね。下界から雲が多いかなとは思っていましたが、まさか雪が降っていようとはね。

紅葉どころではないので、昼メシの作戦を立てるために山の駅たかはらに寄り、

早々に山を下りることにしました。

帰りは県民の森の中を通るのではなく、八方道路をそのまま下ることにしました。標高が下がるにつれ葉が残るようになりますが、ここもイマイチです。

まあここは、元々、そんなにキレイには紅葉しないところだとは思います。
今日の紅葉はちょっとイマイチでしたね、残念。

下界に下りてきたならば、りんごより先に昼メシにすることにしました。今日はこちらのあおい亭で、




ロースかつ定食をいただきました。


見た感じは普通の厚みの普通の揚げ方の普通のとんかつなのですが、この豚は肉自体に独特の旨味があるようで、とても美味しいですね。

お昼の後は、道の駅やいたが近くにあるので寄って行くことにしました。


ここの農産品はたいへん充実していますね。
おそらく、通常の流通には乗せにくいような作物を近くの農家さんが競うように作っているのではないでしょうかね。

例えば、首の長いかぼちゃ、たぶん南部一郎:

普通のかぼちゃよりむしろ安い。

アスパラ菜:

アスパラガスに似た風味があるらしいです。オータムポエムとも呼ばれるらしい。

わさび菜:


ターサイ:


からし菜、葉っぱの広いのと細くて縮れているのと:


自然薯、生産者複数:



各種里芋の仲間いろいろ:



謎のジャンボレモン:

普通サイズのレモンでも多すぎたりするのに、この巨大さは‥‥使い辛そう‥‥。

等々です。
なかなか珍しいものが多くないですか?

他にも一般的な野菜は一通りありました。
そして、早くもイチゴが始まっていました。

さすが栃木。

道の駅では気になった出物を少しゲットして、りんごの直売所に向かうことにしました。

で、りんご園がある一帯に行ってみると‥‥
‥‥‥お店の前には‥‥尽く‥‥‥

 「本日の販売は終了しました」

と書いてあります。複数のお店をチェックしましたが、どこもかしこも販売が終わっています‥‥。

え゛ぇ〜〜、朝しかやってないの〜〜〜!!

残念、りんごはゲットできませんでした。朝、紅葉を見に行く前に買っておけば良かったなぁ〜。う〜ん、今度リベンジします。


《おまけ》
宇都宮も矢板も同じようなもんでしょ、と思われるかも知れないので参考に。2市の市役所間の距離は、だいたい新宿タカシマヤと横浜タカシマヤの距離と同じくらいです(なぜタカシマヤ?)。
都会と田舎では距離の感じ方が違いはしますが、結構離れているんです。




Posted at 2024/11/23 21:47:37 | コメント(3) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月21日 イイね!

人車の撮られたその場所は?

人車の撮られたその場所は?昨日書いたブログのちょっとした続編です。

ブログに貼った古い写真を見ていると、この場所はより正確にはどこなんだろうかと、もう少し確認してみたくなりました。‥‥って、う〜ん‥‥‥宇都宮にゆかりがなければ、たぶんほとんどの方にとって興味ないですね‥‥。まあ、せっかく調べたので、そのままブログに書きます。

まず、宇都宮の写真として最初に貼ったこれです。


この写真の説明には、
  「明治期の大谷街道、一の沢付近の人車客車(旧陸軍輺重部隊、作新学院が見える)」
と書かれています。

輺重部隊とは、軍のロジスティクス部隊のことですから、この2台の馬車がそうなのでしょう。作新学院がどれなのかとなりますが、学校らしい大きな建物は左端のものくらいしか見当たりません。そして、道の奥に山林が見えることから、街の方を向いているのではなく山の方(北西方向)を正面にしているのであろうと考えられます。そう考えると、右に見える林は護国神社のある林ではないかと思われます。


なお、護国神社は、この当時はまだ宇都宮招魂社という名前だったそうです。ここは戦没者を慰霊する神社ですが、元々は、戊辰戦争に殉じた宇都宮藩藩主戸田忠恕および藩士96柱の合計97柱を祀るために創建されたそうです。そのため、長州藩の一部だった周防国出身の私は、もしかすると恨まれているかもしれないなと思いつつ、お参りさせてもらっています。

ちなみに、会津藩だったお隣福島県にて「嫌いな都道府県はどこか」というのアンケートをとると、今でも山口県が第一位になるそうです。150年ごときで戦争の遺恨は消えぬものかということなのでしょうか。嫌われてもどうすることもできませんけども。

話が脇道に逸れました。

では、この写真が撮られた場所は現在どうなっているのか、Google Mapのストリートビューでおおよその場所を探ってみました。おそらくこの辺りから見た風景なのではないかと思います。

護国神社の木々は大きく育ち、創建して間もなかった当時よりも、今は林が大きくなっているのではないかと思います。

次に、昨日のブログで貼った順とは前後しますが、こちらの写真はどうでしょうか。


この写真の説明には、
  「出荷を待つ大谷石と人車貨車の脇を、車夫に押されて人車客車が宇都宮市街地方面に向かう。」
と書かれています。

緩やかに右カーブしているところですね。軌道が左で道路が右になっているので、最初の写真と逆です。市街地方面を向いているとのことなので、最初の写真が山の方を向いている裏付けにもなります。

大谷街道の市街地近くは概ね左カーブとなるため、右カーブは少し離れたところにしかありません。一方で道幅が広いことから、市街地からあまり遠くではないと思われます。ということで、おそらくこの辺りから見た風景なのではないかと思います。


撮影地点からボルボがある辺りまで、大谷石を一旦集積するところだったようですね。

この二つの地点と見ている方向を地図に示すと、このようになります。上が①で下が②ですね。(宇都宮に馴染みのない方とっては、だから何? でしょうけど‥‥)

う〜ん‥‥すごい近所。

そして、最後にこの写真です。


この写真の説明には、
  「大正期の大谷街道、宝木付近の人車客車(遠くに多気山、奥から人車が近づく)」
とあります。

明治期よりも少し後の写真のようです。台車しかない人車がいっぱい溜まっていますね。
この写真を見ると、軌道の横のスペースは狭く、ほぼ二本の軌道で占められている感じです。多気山を正面に見ているとのことなので、右側の林は、大谷石の採掘場よりも手前に今もある林でしょうか。


ということで、おそらくこの辺りの風景ではないかと思います。


荒針方面と採掘場方面に分岐する少し手前あたりかなと思います。この③辺りですね。かなり市街地から離れた山に近いところです。


この地図の右下に若干出てくる「明保通り」は、大谷石を運ぶための専用軌道が通っていた跡地を使った道路です。それは、上述の大谷街道を通る軌道とはまた別ものです。

明治期に軌間610mmの人車で始まった軌道は、その後(1915年(大正4年))に軌間1067mmの軽便鉄道として大谷から日本鉄道鶴田駅(現日光線)まで通され、後に東部大谷線となったようです。
もう少し引いた絵にすると、こういう感じですね。


市街中心部からの軌間610mmの人車軌道と、鶴田からの軌間1067mmの軽便鉄道とは、合流後には並走していたようです。
大谷石を大量輸送できる鶴田に抜ける路線ができても、大谷街道沿いの人車軌道線はそのまま使われたようです。とは言え、1928年(昭和3年)にガソリンカーが導入されたものの、1934年(昭和9年)には旅客営業がなくなり、1940年(昭和15年)には廃止されたようです。
そして最後まで残った東部大谷線も、1964年(昭和39年)には廃止されたそうです。
諸行無常。


宇都宮ライトレールは、JRの東口から西口に抜けた後、大通りから大谷街道を通り、①を過ぎて②の少し手前まで延伸する計画となっています。
数年後にライトレールができた後に、もう一度、人車軌道の写真と見比べてみたくなりますね。
Posted at 2024/11/21 21:01:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月20日 イイね!

人車軌道 ~人が客車や貨車を押す鉄道~

人車軌道 ~人が客車や貨車を押す鉄道~
「人車軌道、または人車鉄道と呼ばれる乗り物をご存じでしょうか? 」

タイトル画像は、1900年頃の熱海の写真です。私は恥ずかしながら、ごく最近まで人車軌道のことを知りませんでした。人車軌道とは、軽量なトロッコのような車両を人力で動かしていた鉄道のことです。


日本には、1900年から1920年頃まで数多く存在していたそうです。とはいえ、日本全国にあったかというとそうでもなくて、そのほとんどが静岡県以東に集中していたそうです。私の生まれの山口にもやはりなかったようで、明治生まれの祖父母からも、小学校での郷土の話からも、どうりで聞いたことがないわけです。
ん?山口なんて田舎なんだから、そもそも需要なんてなかったんじゃないの?と思われたかもしれません。ある意味ご尤もに聞こえますが、山口県は明治期には実は人口の多い地域でした。私の出身地は、江戸時代には徳山藩だった辺りですが、江戸時代から物流港を備え、明治維新後には港に合わせて工業の発展が著しかった地域です。明治~大正期には、全国相対的にそれなりな街だったはずです。1897年(明治30年)には通常の鉄道も開通していました。

近場には、人力ではない軽便鉄道(https://ja.wikipedia.org/wiki/軽便鉄道)ならば、海軍練炭製造所に限定的にあったようですが、旅客用の軌道はなかったようです。皆さんどうしていたんでしょうね、歩いてたのかな!? なお、人車軌道が静岡以東に集中していた理由は定かになっていないそうです。


さて、話を戻して人車軌道ですが、今住んでいる宇都宮は、総延長が30kmにも及ぶ日本有数の人車軌道があった街だったそうです。しかも、人車軌道の多くは単線で台車をかかえて線路脇に出してすれ違っていたらしいのですが、ちゃんと複線だったようです。ほら、こんな感じです。


この写真は明治期に撮られたものだそうで、今住んでいるところの近所の大谷街道です。そう、100年前の大谷街道には路面に軌道が敷かれていたんですね。鉄道に詳しい人なら知っているかも知れない廃線となった東武大谷線(大谷軽便線)ができるよりも前の話です。

この写真には、作新学院が写っているそうなんですが‥‥う〜んどれだろう‥‥左の長い屋根の建物かな!? 今の地形を合わせて想像してみても、どこから撮ったのかははっきりとはわかりません。でも、当時からそれなりに道幅があったことには少し驚きました。写真の通り、明治期の日本にはまだ自動車はほとんどなかったはずで、道路を走るのは馬車ですね。当然、バスもまだない頃なので、こんな感じで人力で人を運んでいたんですね。

この当時の宇都宮は、3万人から5万人ほどまでに急速に人口を増やしつつある時期だったと思われます。当時の人口から考えて、総延長30kmというのはかなりな規模だと思いますが、庶民の足だったんでしょうね。それと、大谷に行く路線に関しては、こんな感じで大谷石を運ぶのが大きな用途だったようです。


蒸気機関車で運ぶようになったのは、1921年(大正10年)以降のようで、その前は人力で運んでいたんですね。それにしても、大谷石は一大産業だったことが伺える写真です。

昔といえば昔のことではありますが、"自分の歳のせいぜい2倍程度前"に過ぎない高々100年ちょっと前のことなのに、全然知らないものです。なお、1928年(昭和3年)にガソリンカー(気動車)が導入されて、旅客輸送の近代化が図られ、材木町-大谷間の人車は廃止されたそうです。

この大谷街道には、後10年もしないうちに宇都宮ライトレールがやってくる予定です。100年を経て、人車用の軌道だった場所にLRT用の軌道が敷かれるということです。
人車軌道なんて知らなかったくせに、100年前のことに馳せる思いなんてなかったくせに、何故だかとても感慨深いのです。
Posted at 2024/11/20 20:57:37 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記
2024年11月17日 イイね!

今日も旧車イベントへ

今日も旧車イベントへ11月は、旧車系イベント目白押しです。

今日もドライブがてら、北本市のHEY WORLD!!で開催されていた「昭和平成クラシックカーフェスティバル」に行ってきました。


355は金曜のブログに書いた通りなので、残念ながら車はインプです。今日は、高速も通らず、準高速の4号線も通らず、県道3号から栃木市に入って、そのまま下道で向かうルートをゆっくり田園風景を楽しみながら向かうことにしました。

まだお店が開いていない時間なので、混雑するであろう大平あたりもスムーズ。


そのまま渡良瀬川をわたり、群馬にも少し入りつつ渡良瀬遊水地のそばを通って埼玉入りしました。


加須市を抜けて、


鴻巣市に入れば、鴻巣市に囲まれるように立地する北本市の北の突端にあるHEY WORLD!!には、17号をほぼ通らずに到着です。


HEY WORLD!!に入ると、入口にはクリスマスツリー。もうそんな季節ですね。


昨年も来たHEY WORLD!!でのこのイベントの規模感と雰囲気は、おおよそ昨年と同じような感じでした(あっ、でも昨年は2000GTが来てたのかな)。
先週、先々週と2週連続でものすごい車達に圧倒されましたが、ここにはもう少しは身近感のある(??? 相対的にです)車達が集まっていました。もちろん、希少でしっかり手入れされている素晴らしい車ばかりです。

それでは、どこからというわけでもなく、なんとなくだいたい見た順に。

まずはSLが2台。

先週たくさんのSLを見ましたが、白い方は先週見た車とは違うようです。

その横には、先週も拝見したMGA。

おそらく1958年式だと思われます。
ラダーフレームでフェンダーの感じもクラシカルですね。雰囲気あります。

少し離れて、その後継車種のMGBも。

こちらも先週拝見した車です。

少し戻って、クーペボディのGTも展示されていました。


3台のセブンも。これも先週拝見した車ですね。


その近くに、フェアレディ(DATSUN 2000)が2台並んでいるなぁと思って、カメラを向けていると‥‥‥


「宇都宮のひと〜〜〜っ!」

と声が聞こえて来ました。(後からこの写真を見返してみると思いっきり手を振られていますね。それに私が気が付かなかったようです。)
そう、先週に引き続き、よっちんさんに気付いていただいて、声を掛けていただいたのでした。

今日は、その横のこの車



のオーナーのSさんをよっちんさんに紹介され、しばしお話させていただきました。‥と言っても、9割5分くらいはマシンガントークを聞いていただけとも言います‥。www

Sさんはメディアにもたくさん出られていて、自らエンジンOHからボディのフルレストアもされ、旧車にバンバン日頃から乗られているパワフルですごいお方でした。
コーヒーもいただいたりして、1時間以上はご一緒させていただいたかと思います。楽しいひとときをありがとうございました。

他には、すぐ横にヨーロッパ2台。


赤のヨーロッパは、FMMやいろいろなイベントにもよく来られていますね。挨拶させていただきました。この辺りのエリアは、皆さんお知り合い。

さて、他のエリアも見てみましょうか。

フィアットプント。初代ということでいいんでしょうかね。

90年代で急に新しくなりました。

その向こうには、初代繋がりで初代RX-7。

キレイですね。ちょっと古くなった。

少し離れたところに、もう一台。


これはマスタングのようですね。

う〜ん、古いアメ車はよく知りません。汗

そして派手派手なコルベットC3。

これでもかのロングノーズに、リア車軸のすぐ前に座る感じ。

っと、その横には、355!!

上と見比べると、基本プロポーションも座り位置も全然違いますね。

う〜ん、でも355はというか、90年代後半の車は、もはや機構的にもあまり旧車っぽくはないと思うのですが‥‥‥平成の車ならいいのかな。
この車は、MTではなくF1でした。
そして、ここもブラックアウト。


さらに奥にあるこのフォードGT40のレプリカのGTD40には、人集りができていました。


この車は、今現在も2400万円で売っている売り物のようです。
https://www.goo-net.com/usedcar/spread/goo/18/700131001430240205012.html


この辺からちょっと飛ばしていきます。



















紹介省略‥‥。

最後に、たいへんに有名なシザーズドア化されたダルマセリカです。


他にも展示されていた車はありましたが、目に止まった車はだいたいこんなところです。


さてさて。
イベントからの帰りには、こちらの銅像のある道の駅に寄りました。


数千億円くらいありそうな札束をスルーして、


出物をゲット。


その後、曇りだった朝とは打って変わって、抜けるような青空の下、見渡す限り平らな地に真っ直ぐに続く田舎道を走って家に帰りました。


来週も再来週もイベントは続きます。
Posted at 2024/11/17 19:32:58 | コメント(5) | トラックバック(0)
2024年11月15日 イイね!

満タン+山道=揮発油臭

満タン+山道=揮発油臭車検とそれに伴う整備のために、10月27日に355を車屋さんに預けてから20日程が経ちます。‥‥‥が、まだ戻ってきていません。

車検整備とは言っても、2年半前にエンジン降ろしての重整備を行ったところですし、かつ車に大きな問題もないと思われるため、今回は大物の整備の予定はありません。減っていたブレーキディスクとパッドも去年の12月に変えたところなので、週末にカジュアルドライブしかしない私の乗り方だとまだ新品も同然です。やることは油脂類交換と各所の調整くらいでしょう、たぶん。

そうなんですが、ちょっとした整備をお願いしていて、それですごく時間が掛かっています。
それは何かというと、
 「満タンに近い状態で山道を走るとガソリンの臭いがする」
という問題でして、そのチェックと修理をお願いしているのです。

満タンでガソリン臭がするというのは、30年程前にも経験があります(E30 325iにて)。何だったのか覚えていないのですが、リコールか何かの整備で給油ホース周りをバラして戻す必要があって、そのときの復元ミスで給油ホース根本からガソリンが漏れるというものでした。ガソリンが漏れるのは火災に繋がる恐れがあって大変に危険ですから、ディーラーには平謝りされました。そのときは、満タンにするだけで盛大にガソリンの臭いが車内に充満していました。

翻って355はどうかというと、満タンにするだけでは気になりません。ほぼ満タンの状態で、山道を運転すると(≒タンクのガソリンをちゃぷちゃぷさせると)臭ってくるのです。先日、「せっかくゴンドラに乗ったのにまだ紅葉していなかったハンターマウンテン塩原」に行くときに通った日塩もみじラインのクネクネで、特に気になったのでした。

それで、車屋さんにもしっかり確認してもらったところ、
・給油口からの給油ホースに並行している給油時の空気抜き用のホース(下図17番)
・蒸発したガソリンを元に戻すチャコールキャニスター(ベーパーコレクター)に繋がるホース(下図30番)
の2本に問題があることがわかりました。

タイトル画像のピンクと黄色で◯を付けたところです。

17番はこの図の方がわかりやすいかも知れませんね。太い給油ホースのそばを通っているホースで、給油中にスムーズにガソリンが入って行くようにするためのものです。


このホース根元のタンクとの接合部に、こういう感じの滲み汚れが付いていました。

薄っすら滲み出てきたガソリンに、長年の汚れが蓄積したもののようです。かなり以前から滲んでいたように思われます。その代わりたくさんの量が漏れているわけでもなさそう。

30番の方は、こんな感じで思いっきりホースが裂けていました。

破れは盛大ですが、逆にここには液体が漏れている跡のようなものはどうやらありません。が、もしも液体のガソリンが何らかの要因で上がってきたら、ジャブジャブ漏れそうです。元々のガソリン蒸気の回収は‥‥ちゃんと機能していないでしょうね。

山道でどちらから漏れて来るのかはっきりしませんが、両方ともに直してもらいます。

17番のホースについては、ホース自体は大丈夫そうなので、ホースの固定部のホースバンドのところをやり直してもらうことに。
30番は日本に在庫がないとのことで、現在本国から取り寄せてもらっています。

で、正規ルートでその見積もりを取るのに、担当が休みだったとかで2週間くらいかかったんですよね。その挙句に本国取り寄せになってまだまだ直らないのです。そんなことなら、車検を先に通してもらって、問題だけチェックしてもらい、部品は後から自分で入手して別途修理してもらった方が良かったかも。

でも燃料系は怖いから、できるだけ早い方がいいと思って預けちゃったんですよね。う〜ん、ちょっと失敗だったかも‥‥ドライブにとてもいい時期なのに‥‥‥乗れなくて残念です。
Posted at 2024/11/15 20:47:01 | コメント(5) | トラックバック(0)

プロフィール

「@sukaさん、 シンプルなOHVの古い4気筒エンジンなんですが、気持ちいい音がするんですよ! マフラーの抜けもあると思いますが、4-2-1集合のエキマニの各集合までの長さがそれぞれかなり長くとってあるのがいいんじゃないかと思います。
たまたま撮っていただけて、ラッキーでした!!」
何シテル?   11/24 16:23
2021年にF355を購入したことを契機にみんカラを始めました。案外向いているようで、今のところ続いています。 スーパーカーブームの頃、一番好きな車はミウ...
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