左の写真は、ウルシー環礁に集結するアメリカのTF58(タスクフォース58)、第58機動部隊の画像です。手前からCV-18ワスプ、CV-10ヨークタウン、CV-12ホーネット、CV-19ハンコック、CV-14タイコンデロガ、下がってCV-16レキシントン。見えるだけでエセックス級空母6隻、600機、インディペンデンス級空母2隻で70機、合計670機の大戦力です。
まー日本を倒すために、史上最大の大艦隊を編成したアメリカは大した物です。
それはさておき、日本が第二次世界大戦に敗戦して67年。
戦後の日本では、GHQの指導の下、偉大なアメリカの大工業力と5倍はあった国力差で、どだい勝ち目の無い戦争を仕掛けて負けた、と我々は思い込まされていますが、結論は大間違いです。
日本が負けたのは、海軍首脳部による恣意的な意図をもって戦争に負けたのです。
その最たる敗因が、アウトレンジ戦法です。
日本は、戦前、ワシントン海軍軍縮会議の調印で、不当にも海軍戦力をアメリカの7割しか持てない状況でアメリカとの戦争を想定した海軍軍備をする羽目になっていました。ワシントン軍縮会議は、あくまで突出した日本の海軍力を押さえ込む国際軍縮会議でした。TPPの問題を抱える今と同じで、調印しなければ軍需物資、工作機械、原料の調達が著しく困難になるため、やむなく日本はこれを批准。結果、アメリカ、イギリス10対、日本7の割合の艦船保有となったのです。
で、その当時の海軍の主役は戦艦でしたので、日露戦争とは話にならないくらい巨大化した巨砲を主砲にもつ戦艦どうしが撃ち合う海戦では、巨砲の数が多ければ多いほど有利です。と言うことは、日本がアメリカの主力艦隊(戦艦部隊)と戦う場合、7割しかない日本が圧倒的に不利になります。
で、出てきた答えがアウトレンジ戦法。
つまり、敵の射程圏外から先んじて攻撃できれば、こちらは無傷で勝てる、非常に単純な戦法です。
そんなわけで、昭和10年代の日本の建艦その他装備の設計思想は、大和型戦艦の46cm砲、酸素魚雷、1000海里の航続力を持つ航空機、零戦、99艦爆、97艦攻でわかるとおり、アウトレンジ戦法の兵器が開発されたのでした。
で、このアウトレンジ思想を体現した日本の兵器は、どれも当時世界一の性能でしたが、いざ戦闘した時、それを用いた結果は、日本の大敗戦となったのです。
この建艦装備の設計思想の元締めは、東大総長の平賀 譲です。彼は大和や長門の生みの親。
では、一見理にかなったアウトレンジ兵器が何故大敗につながったのか?スペックではすべてアメリカを凌駕してるのに。。。。
アウトレンジの盲点は航空機にあります。真珠湾攻撃以来、海軍の主役は戦艦から飛行機に変ったと言われ、それに対応できず日本が負けた、みたいに言われますが、そんな事は無い。
大敗戦しましたが、太平洋戦争の”関が原”マリアナ沖海戦(バトル・オブ・フィリピン・シー)では、敵の半数とは言え、日本海軍のほぼ全ての残存艦艇59隻超の、日本海軍史上最大の大艦隊でこの決戦に臨んだのです。繰り返し言います、この海戦は大敗北しましたが、空母も正規大型空母こそ3隻でしたが9隻をかき集め、日本艦隊最大の440機の大兵力でこの戦いに望みました。アメリカは倍の900機でしたが。。。
しかし、数の差で負けた戦いではないのです。
日本がとったアウトレンジ戦法に大敗因があるのです。日本側の第一機動艦隊は、1日前に策敵成果で敵機動部隊の位置を知っていました。で、はるばる1000海里の彼方から攻撃隊を発進させ、レーダーで補足され300機の迎撃機につかまり400機が撃墜されました。
これは、敵機動部隊にたどり着ける事は奇跡的な作戦です。3時間以上飛行してその間にレーダー補足され迎撃、当たり前すぎる展開です。仮に敵にたどりついても、現地で行動できる時間は30分。返って来れなくなるからです。たった30分の戦闘でどれだけ成果を上げれるでしょう。
そう、日本海軍首脳は、航空参謀は、航空機を砲弾と同じと、魚雷と同じと、ミサイルと同じと見立てたアウトレンジ戦法だった訳です。この見立てが前提にあるから、神風特攻と言う発想ができるのです。
人間ミサイルですね。
しかし航空攻撃隊は、生身の人間です。3時間も飛んでいれば、トイレの大も小ももよおすし、眠くもなるし、疲れて注意散漫になるし、帰途燃料が切れればおさらばです。
で、これに不平不満を言おうものなら、「大和魂が足りん」と源田実航空参謀から渇を入れられる。
源田は、曲芸飛行士上がりで、実戦経験ゼロの現場を知らないくせに、ハンモックナンバーだけで航空参謀になり、真珠湾の功績でだれも反論させないトップダウンを繰り返すアホでした。この男は、戦後航空自衛隊の空将になり、自衛隊最高TOPにまで上り詰め自民党参議院議員もやった最低のクズです。特攻をさせた海軍首脳の大西瀧治郎は終戦時に責任を取って自決しました。日本を敗戦に追いやった責任者の一人である源田は、自衛隊には無い元帥の徽章をつけたりと、マジで胸糞悪い奴です。どの面下げて日本国民に対し、犠牲になった300万将兵に対し、遺族に対したのか。この男こそ、日本の近代史で忘れてはならない敗戦責任の戦犯の一人です。
話しを戻して、この航空機によるアウトレンジ戦法がいかに愚策かは、ガダルカナル攻防戦で痛いほど日本軍は身に染みていた筈だったのです。
ガダルカナル攻防戦は、単純に戦力の小出しで泥沼にはまり、最初に制空権を失い、制海権を失い、前線の3万将兵を孤立させ敗北した戦いですが、この戦い軍首脳は、ラバウルからガダルカナルの制空権を取ろうと、連日長駆何千キロ離れたラバウルから攻撃隊を飛ばし多くの戦死者を出しました。片道4時間飛行して、まともに戦闘して帰って来れるわけが無かったのです。
この戦訓を、源田は握りつぶします。そしてマリアナでも同じ轍を踏むのです。
ゼロ戦を愛する多くの日本人に言っておきたい。
ゼロ戦がなければ、アウトレンジ航空戦は成立ぜす、日本は戦争に勝てたかもしれません。極論ですが。
長大な航続距離さえなければ、馬鹿げた作戦をバカどもは考えずに済んだのです。
当然、特攻もなかったでしょうね。
私が唯一、マリアナ海戦で勝てる方法があるならば取るべき作戦は、最大限、敵に肉薄して攻撃隊を発進させ、戦艦部隊を敵に突入させる。いかにアメリカが空母15隻の大部隊とは言え、近距離で敵攻撃隊をレーダー補足しても、たいして迎撃機を上げられないし、そこえ日本の戦艦部隊からの遠方射撃を喰らったら、大部隊の上、丸腰の上陸部隊を守る任務もあり、大パニックになったでしょうね。まさに桶狭間。日本の勝機は全軍突入しかなかったと思います。
長くなりました、ようは敗戦原因の一つは、零戦にあったと言う事を言いたかったのです。
最後に、怒りをもって言っておきますが、アウトレンジ戦法は、究極の保身戦法だった。
敵航空部隊が来れないはるか遠くから、我が航空攻撃隊を前線に向わせ、本体は戦場離脱というありえないくらい卑怯な戦法でした。
航空隊だけ戦場にやり、艦隊は被害を受けない圏外へ離脱って、武士として情けなさ過ぎませんか?
まさに、放射能の影響の無い場所から、フクシマ50へ突入しろと言っている今日の日本の姿そのものです。結果はどちらも大敗戦。で、だれも責任をとらない。
太平洋戦争中の日本エリートと現在のエリートはまるかぶりです。
東京大学から霞ヶ関へ行く、もとい、開成(元海軍兵学校)から官僚になる奴等の本質は同じじゃないのかな。すべて、保身と我欲。我愛。
東京大学の根拠のない定説が不幸を招く、も同じ。
ようは、東京大学(帝大)は、幻の権威に溺れて、日本を不幸にした。戦争も原発事故も。
帝大の人は謙虚になりなさい。あんたらは何にもすごくない。なにも知らない。むしろ知らないから研究してる筈なのに、どうして自分の意見が正しいと世間に臆面も無く言い放ち、あげく国に不幸をもたらすのか。少しは恥じろ。アホめ。
書いていて情けなくなりました。
はあ。
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Posted at
2012/09/07 23:59:33