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2010年07月04日 イイね!

邪馬台国はどこなのか?

邪馬台国はどこなのか?

ここ数日いろんなサイトを覗いて、いろんな説を読んでみた。
実にさまざまな意見がある。

で、私が思うに、「古事記」「日本書記」の神武東征の神話は、多分事実に基づいて作成されたと思います。やれ、応神天皇の東征がモデルだとかはおかしいと思う。
応神天皇がモデルの東征なら、何故、出発地点が日向なのか。神話の里が何故日向なのかの説明がつかない。隼人を配下に従える神話もいらない。
筑紫の香椎宮が出発点なら、高千穂や高天原やらあわきが原のみそぎの神話などいらない。
そして、どうして神話どおりの地名が日向に多く残っているのかの説明もできない。
とても不自然でこじつけが沢山出てくる。考古学は推理だからしょうがないけれども。

大和地方に、始めから大和政権があったという学者は、最古の古墳が1世紀からある、巨大集落が見つかった、三角縁神獣鏡が大量に出る?から始めからここが王朝の初めの地、という考古学的な証拠をもって、そう主張する。
一面はあたっている。しかし、神武天皇は兄の五瀬と現地の豪族と激しい激戦をして、ようやっと倒して、平定して奈良の橿原に宮を開いたと神話は伝える。
そこに、神武が来る前から大規模な集落も、有力な豪族もいた。
そう、いたから平定の戦争をしている。
そこで発見される遺跡や古墳、出土品は、神武が来る前の国の人々のものと考えるのが普通なのではないのか?

こんな推論があった。
女王卑弥呼は、ひむかの音訳。ひみこ=ひめか=ひむか=日向の王という意味
中国の史書に出てくる周辺国の大王の表記は、例えば、匈奴の王、冒頓単于という表記になる。
つまり、邪馬台国の卑弥呼の王(女王)・・・・・やまとの国ひむかの王(女王)

それもありかな?でもむりやりのような。

狗那国は邪馬台国に従わない敵対国。だから熊襲に推定する?邪馬台国は隋に援軍を求めてるし。
やまと=山のひと=やまひと
であるなら、山に住んでいたとは考えないのか。九州の山岳地帯で王朝を開けるとしたら、高千穂か人吉盆地か都城盆地かそれとも小林盆地、あるいは阿蘇のカルデラ。
人吉が球磨地方なので、熊襲の地、狗那国だからここはダメ。一番有力なのは、高千穂町。天孫降臨の神話が色濃く残る地だからね。
高千穂に落ち延びた一族が五ヶ瀬川を下り、日向の宮崎平野に進出し、隼人を配下に入れ、しばらく国力を高め、東国平定に赴く。経路も明確で、日向の美々津を出帆して大分の宇佐を経由して吉備に寄り、近畿へ責め行く。
スサノオの神話は、単身出雲へ赴き、ひむかの王子として迎えられ、ヤマタノオロチ=八つの部族を平定するか調略して剣を得る話。つまり武器の産地である出雲地方を丸め込み、戦争の準備としての武器の調達に成功した話。だから、神武軍が吉備の国に3年も滞在したのは、武器の充実、調達の為に足止めを食ったことになる。
この遠征で興味深いのが、筑紫(北九州)をスルーしていることだ。
北九州は、征服の対象になっていない。

邪馬台国は、やっぱり現在の大和地方だったのかもしれない。
邪馬台国は、やまだい国、つまり山大国の倭人の国。つまり、大倭=大和
そして、魏志倭人伝に出てくる狗那国こそ、九那国(くなこく)=九州。
その狗那国の大王が熊襲(球磨)と隼人(日向)を平定するべく九州山地を越えて戦い、平定後、東の強国である邪馬台国(大和)を平らげるために日向を立ち、瀬戸内海を渡り、遂に戦争で勝ち、大和以西の西日本を手中に収めた。が、平定後も熊襲(球磨)と隼人(大隅・薩摩)は独立を保っていたので、再度攻撃し降伏させた。

しかし、北九州を神話の出発地点にしていないことが興味深い。明らかに、説話には日向の隼人平定があり、出雲へのスサノオの出張があるのに、筑紫の平定の話がない。あるのは磐井の乱での平定のみ。それは、ずっと後代の話し。ただ、天孫降臨から神武の出撃までに3代で170万年という法外な年月が経っている事も興味深い。王統の神秘性、神の子としての威厳としての法外な年月だと思われる。
ただ、はっきりしている事は、「古事記」も「日本書記」もともに神話の出発点が高千穂からと言うこと。
九州の山岳地帯を神話の始めに選んでいる事。これは、民族の記憶として、日向から来た事を言い伝えられてきた事にほかならない。応神天皇を始祖とするなら、筑紫を出発点にすればいい話。
あえて、皇統を変えて表す意味がないので。
トロイの遺跡ではないが、意外と神話は真実を表現しているものだ。
何故なら、それら記紀を編纂する立場なら、現政権の政治的意向を入れるのは勿論だが、意図的な創作を精巧にでっち上げるほど想像力があったとは思えないからだ。創作の為に、日向の地を訪れ、いちいち地名を調べて神話に登場させるだろうか?ありえない。
考えなければならないのは、天孫降臨の地が高千穂であるなら、その以前はどこから来たのか、なぜ筑紫を征服しなかったのか?なぜ、東征したのかを推理しなければならない。

別な考え方もある。
九州とは、古代中国では全世界もしくは中国全土の別名と言う。古代から筑紫を九州と呼んでいたなら、それは倭人世界では倭人の国の全土を意味する。そうすると逆に現在の大和地方が狗那国にはならないか?クナ国は蝦夷の国。筑紫の強大な王権が、東、南九州の制圧を図り、達成後に、九州という島の中心部である高千穂をから神話をスタートさせる事には、九州の統一を成し遂げたシンボル的な意味合いがあると思われる。
たぶん、
九州の日向を平らげた事で、九州統一が完了したので、本州の平定へ向け出発したのが神武東征ではなかったのか?だから、筑紫はスルーし、事前に協力をつけていた出雲と吉備もスルーして、大和地方を攻撃し、みごと撃破してここに統一王国を樹立したのが大和王朝のはじまりで、以降は東国の平定の為、征夷軍を組織して版図の拡大をしていくのだが、あまりに未開の地なので、戦記もない。それどころか、朝鮮半島の情勢に深く関わっていたから、そちらへ軍を起こす事がメインだった、と考えられるのです。

九州王朝説は、極端すぎて支持できないのですが、筑紫の王権が何代もかけて九州を統一し、それから近畿へ出撃した、と考えるのは自然だと思います。

で、邪馬台国は何処なのか?

九州の山門郡や大和町なのか、それとも大和の国が邪馬台国なのか。

私の勝手な結論。
魏志倭人伝の邪馬台国は奈良。その女王は卑弥呼=ひミコ=陽命(ひ・みこと)・・・ひめこでは芸がないので。
しかし、歴代の大和王朝は邪馬台国を滅ぼした九州出身の神武を始祖とする王朝で、筑紫が本拠地であり、日向大隅を平定したあと、東征した征服王朝。つまり、卑弥呼に敵対する最強の狗那国(しかし熊襲ではない)。
なぜなら、邪馬台国は中国に援軍を求めるほどピンチであったからです。そして、援軍は来ずに滅びました。
邪馬台(やまだい)の名は、大和(やまと)として地名が残り、対外的には日本と号するようになるのです。しかし、征服王朝もやまとを名乗っていたと思います。それは、私の推理では、筑紫の国の山門(やまと)郡が出身地で、そこから九州征服と本州征服を成し得たのですから、自分らの出身の名を変えて、征服した現地の名を語るはづがないからです。
つまり、やまだいorやまたい国とヤマトは別物。倭人=わじんは日本人の総称。しかし、ヤマトは統一後の国号。大和も同じく国号。しかし、大和という名は一地方の意味もあるので、日本と国号を変えたのだと思います。中国の史書から大和の国名はなく、倭国が日本国に変わる前の国の呼び名でしたから。
そして、狗那国は狗=九、那=州として地名に残るのです。
ただ、どちらも九州も大和も同じ文化圏で、同じ言語を話す民族だったと考えます。理由は、神武東征を征夷討伐とは記紀では表現していないからです。イテキであればそう表現します。ガリア戦記のように。だから同じ民族での天下統一の物語だったのでしょう。

なにしろ大昔の事なので、記録もあまりないし、遺跡があっても木簡とか出て証拠がつかめれば、邪馬台国の場所もわかるでしょうに。
まあ、ミステリーだから面白いのですがね。
Posted at 2010/07/04 03:46:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 独り言 | 日記
2010年07月01日 イイね!

大和魂の”やまと”って”山の人”と言う意味。

今日、なんとなく考えていた。

大和魂って言うけれど、”やまと”って何?

やまと=山の人らしいです。

古事記の”海幸彦山幸彦”の神話。
あれは、海幸彦=兄を、山幸彦=弟が最終的には争って弟である山幸彦が勝ち、海幸彦を家来にすると言う話です。つまり海の民=隼人(はやと)と山側の民=陸の民=山人(やまと)

海幸彦が=隼人・・・・南九州の人々です。
実は、私の故郷(宮崎)では、八重(ハエ)という地名が付く高地(丘陵)がたくさんあります。
このハエは”はえー”つまり早い(はやい)と同義語で”はやい人”=隼人となるわけです。

で、隼人は南九州に沢山おります。薩摩隼人であったり、日向の隼人です。
この隼人民族はどこから来たのか?
それは、古語で言う”南風”の事を”はえ”と言う事でわかります。この南風は台風も含まれます。だから早い意味もハエにはあり、捕まえられなく早く飛び回る虫=蝿(ハエ)ですね。
(ちなみに”東風”は”とんぷう”ではなく”こち”と呼びますね。)

という訳で、隼人は”はえの人”=南風の人なので、南方からの海流に乗って南九州に移り住んでいた先住民と言う事ですね。きっと沖縄や台湾の方から海を渡ってきたのでしょう。
先住民と考えるのは、海幸山幸の中で兄であるからです。
で、物語は山の民である”山人”、弟ですから後から南九州に入ってきた人=九州山脈を越えてきた人々が、日向の宮崎平野の海辺で漁などで暮らしていた”隼人”と山岳地帯に止まっていた”山人”と山の幸、海の幸を交換する交渉をし、隼人が山岳地帯で木の実や猟を、山人が平野部で漁をしたが、互いにうまくいかず、再度海の幸、山の幸の利権交換をする交渉をし、決裂して戦になり、海の民である隼人は戦に負け、山岳地帯に追いやられたのでしょう。
そこで、”はえ”と発音する”八重”=山の稜線を意味する漢字をあてた地名が南九州に多く残されたと考えます。
戦に敗れたとは言え、隼人はたぶん近畿への遠征軍の主力となり、そのまま大和朝廷の軍事部門の中心に長らくいたようです。(律令制での兵部省に隼人司という官職あり)

しかし、この隼人と山人の戦は、農耕に適した平野部を山人が隼人から奪うと言う事と、隼人を家来にしたという事、それだけではなく海神(わたつみ)と竜宮城と豊玉の姫と結婚する物語もあり、山人は海を渡り竜宮=琉球と手を組んで、隼人を支配下に置いた、ということも言えると思います。

天孫降臨の舞台である高千穂の地、それは高千穂町なのか高千穂の峰のある霧島なのかは分りませんが、やまと=山の人と言う事から、九州山地を越えてきた人々の事を指すのだと思います。

で、やまとの民はどこから来たのでしょう。海幸山幸の神話と日向の神話を考えれば、元々のやまとは北九州地方のような気がします。理由は熊襲退治の神話から、熊本=熊襲の元を征服している事が示唆されるからです。

やまと民族が九州を征服し、海を渡り大和地方(近畿)に遠征し古代日本を統一する神話はあながち本当なのかもしれませんね。
多分、北九州の倭民族連合と、隼人、熊襲民族の戦争は長期にわたり行われ、倭人(な国や、つま国や、やまたい国)たちは、自分達の総称を山人という連合体として隼人に対比してそう呼び合っていたのではないでしょうか?

で、山人(やまと)を大和(だいわ)という当て字にしたのは、大(だい)は大きい、和は倭であり和の意味から連合国を和の一文字で表したのかもしれません。大和=だいわのわ=倭=和=連合という風にし、征服戦争での総称である”やまと”の当て字にした。。。。。
面白い推理でしょう。
でも、大和の古代王朝が、豪族の連合国家であったのは周知の事実ですよね。合点がいくと思います。

日本の古代の歴史、邪馬台国論争、継体天皇の諸説、へたな推理小説よりも面白いですよね。

ちなみに、宮崎の西都原古墳群の男狭穂塚・女狭穂塚は宮内庁陵墓参考地となっていますし、日本最大の帆立貝形古墳(男狭穂塚)であり、九州最大の前方後円墳(女狭穂塚)なのです。
やまと王朝が、近畿に攻めあがる前に高千穂を超え日向を制圧し、幾百年か国力を高めたであろう地であり、西都の地名の通り西の都と号したのかもしれません。

違う考え方をすると、本当は、北九州の有力豪族が抗争に破れ、九州山地へ逃れ、さらに九州山脈を越え、日向を制圧し、隼人を家来にした事により海を渡る術を得て、近畿へ進出しその後国力をためてから、中国地方の豪族=出雲を平らげ、再度北九州の磐井を配下に納め、最後に薩摩へ退いていた熊襲(クマソ)を倒して古代日本を平定したのかも知れませんね。
で、神話の出発点を、最初に戦に破れた筑紫の国(磐井が支配)ではなく、やまと(山人)として結束した九州の山岳地帯を天孫降臨の地としたのでしょう。
それくらい、九州の山岳地帯での生活は厳しく、団結で苦難を切り開いた記憶を忘れないために、平野に下りても、やまと(山人)と号したのでしょう。

おもしろい推論です。

ただ、そんな推論からも、大和魂は死んでも諦めない、団結と勇気と突撃魂を表してる言葉のように思います。

サッカー日本代表は見事な大和魂を見せてくれました。
ありがとう。よくやった、よくやってくれたよ本当に。
Posted at 2010/07/01 02:35:28 | コメント(1) | トラックバック(1) | 独り言 | 日記
2010年01月17日 イイね!

ドラッカー「現代の経営」を読んでみた。

会社の先輩に奨められて最近読んでる本。

いいこと書いてるねー。

曰く、

”最低の士気は、ワンマン社長がいかなる反対も許さず、すべての意思決定を自ら行おうとする中小企業に見ることができる。最悪のコミュニケーションも、社長が自らの胸にすべて納めているという典型的な中小企業に見られる。最悪な組織構造についても、みなが四種類もの仕事を担当し、誰が何を行っているかさえわからない中小企業にこそ見ることができる。”

まるで、現在の民主党に似ている。
小沢さんは、まぎれもないリーダーだけど、中小企業のワンマン社長という感じだね。

小沢一郎を応援してる方々の、Yahooみんなの政治のコメント、どれも感情論で話しにならない。
違法性があるから元秘書の逮捕に検察が踏み切っているのに、戦えだの不当逮捕だのアホか。
検察が、検察権力を政府にも国会にも邪魔されずに行使できる事は、日本が法治国家である証である筈だ。それを行使する場合、よほどの根拠があってのこと。国策捜査と言うのなら堂々と事情聴取に応じればいいだけ。何故任意事情聴取に行かなかったのか。嘘を突き通せないからに決まっている。
そこまで潔白というのなら、なぜ堂々と記載しなかったのか。そんなレベルの話しなのに検察と闘う?
違法記載を認める事が先ではないのか。
認めれば”黒”確定。認めなくとも国民からの批判は避けられない。
逃げ道は無い。ノリピーみたいな真似はよせばいい。逃げ切れる訳が無い。
それとも、また誰か関係者が自殺するのか?西松の時みたいに。

どうも、民主党小沢一郎は、国民の為に政権交代したのではなく、在日朝鮮人や中国人、労働組合の為の政権交代であり、自分の権力欲と私利私欲が目的だったのではないかと、ここ最近思うのです。
自民党政治と何ら変わらないし、特ア三国におもねる姿は最悪かつえげつない。首相の変節ぶりは自民党よりも悪い。

もう、こんなになって日本はどうなるんじゃ。
ほんとにひどい。
政治家は一度全員首だ。汚職議員は16年間(4期)出馬できない法案を作って欲しい。
もちろん、与党の場合は要職に就けない法律も。
小沢一郎も、金がなければただのおっさんだったと言う事か。
私は潔白です、と言うのなら国民が見てる前で検察庁に出頭し聴取を受けてくればいいのに。
拍手を送りますよ。潔い烈士だと。

話しはもどって、ドラッカーてすごいですね。
組織論がすごい。
連邦的組織の構築。意味解ります?
責任ある仕事をすることは勿論、それぞれが高度な意思決定をし成果をあげる組織の事です。
分社化、分権化。
経営の責任は、資本を何に使うかの分配の意思決定であって、細かいルールの策定や監視ではない。現場の創意工夫と、経営管理者への昇格という希望があってこそ高い士気を維持できる。つまり、経営は細かい運営の監督者ではなく、成果をすくい上げ分配し再投資しながら利益を生み出す事でしょう。そこに達成感と次ぎへのチャレンジ、後輩の育成と連綿と続く人の営みがあるのでしょうね。

なかなか面白い本に出会いました。

Posted at 2010/01/18 01:23:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | 独り言 | 日記
2009年09月10日 イイね!

蒼天航路について。

”蒼天航路”というマンガ(アニメ)が、火曜日の深夜、日テレ系で放送されてます。
主人公は、”レッド・クリフ”では悪役の曹操がヒローとして描かれています。

アニメ、”カイジ”の前の枠ですね。

実は、10年くらい前にマンガで大人気でした。

三国志と言えば、吉川英二の三国志が有名で、映画”レッド・クリフ”も三国志ネタですね。

もちろん、”蒼天航路”以外の三国志では曹操は悪者で、ヒーローは劉備玄徳と決まっていますが、ひねくれ者の私は、そんなに悪人ならなんであれだけの諸氏百家が集い、国が肥える善政を敷き最後には勝利したのだろうと思うのです。

三国志の中で、劉備玄徳をもっとも最低な人間と思う下りがあります。
赤壁の戦いの直前に、刑州を敗走する場面がありますが、民を思うがために見捨てられないと自軍の最後尾についてきても良いとしたがために、軍そのものの逃げ足が遅れ、多くの犠牲を出してしまうことになり、妻や子も失うはめになります。そして、私は死ぬと、死のうとします。気持ちは分かるけど、ちょと無責任でしょ、それは。犠牲になった人が報われないじゃん。
よもや、これを玄徳の仁厚き徳と思う人もいるやも知れませんが、私は、こいつだけは許せないと思うのです。自分の優柔不断がために多くの人身を失っといて、何が天下の君子、善玉将軍か!!と思うのです。守れないなら、さっさと置き去りにして被害に会わぬようはからうのが本当の善人です。
劉備玄徳はまぎれもない偽善者だと思います。その後、蜀をたてるのも乗っ取りだし、呉の周喩を殺すのも陰謀だし、徳厚き仁徳の人とはとても思えんのです。
その点、曹操は実に爽快なほど、何事にもきっぱりしている。何度も手痛い負け戦をしても相手や部下のせいなどにせず、蛮勇とも思われる無謀な突撃をする勇気もあり、実に痛快なまでに溌剌として爽やかである。

三国志は、あまりに曹操を悪者扱いしていますが、これほど魅力に秀でた武将もいないでしょう。
私が、最も敬愛する部分は、武人にして大文学家である所です。
彼が、現代にも通ずる五言絶句の漢詩の基礎を作ったのです。(建安文学)
最高の武人にして、大文豪、そして名政治家。屯田兵制度を設けたのも彼。現在残る”孫子”13編を偏したのも彼。
唯一、残念なのが女ったらしなところでしょうか。まあ、史書にも若きときは歌舞伎者だったようだし、仕官した時は、北門の鬼と恐れられた正義の人でしたからね。
まあ、英雄色好むということでしょうか。

そして、日ごろ曹操のようになりたい、曹操のように生きたいと思うのですが、振り返れば曹操のように冷徹にはなれない自分が居たりするのです。むしろ、自分は玄徳ではないかと思ったりします。
曹操は、目的の為には我が子の犠牲さえ諾として受け入れ迷いが無い。生き残り勝つことが最上でありながら、去りし人々を懐かしみ愛しむセンチメンタルが無い。彼の詩歌は、余情的であり切なさもある。しかし温もりはない。為政者がためでしょう。

私は、どちらかと言うとセンチな人間で、ナイーブで傷つきやすい人間です。
時として、任務のため、与えられた使命のためには、自分を殺し犠牲にしてでも勝利を模索する責任感は持っているつもりですが、やはり心に響く痛さ、心の傷は負っていたりするのです。
もちろん、みんなの前では鉄仮面のごとくタフな面しか見せないのですが。
後悔はないと言い切れる道を歩んで行きたい。たとえそれが人生にとって失敗であっても。自分は保身の為に人を売るくらいなら、自ら進んで退路を絶つつもりです。
部下を犠牲にはできない。
いつもそう思っているのです。勝つためには怒るし、鬼にもなる。しかし、切るようなことはできない。切るくらいなら、憎まれようともケツを叩き結果を出す、という信念を持っている。そして、切るなら最初に私を切れと思うのです。そこが、また玄徳的なのですが。
まあ、人の犠牲の上に築く幸せなど興味がないと言ったところでしょうか。できれば、その人も一緒に幸せになりたいと思う方です。

ベルサイユのベースのジャスミン・勇さんの死から1ヶ月、どうやら自殺のようですね。
7月に入り、極度のうつ病におちいり、そして死を選んだ。
バンドは否定も肯定もせず、ブログにコメントを載せた。
ドラムのYUKIの文面に、どうして気づいてやれなかったのだろう、そして守れなかったのだろう、的な言葉がある。彼が病死なら出てこない言葉です。
HIZAKIの文面には、言葉のやり取りの中に後悔めいたことを書いている。
病死の人にそんな事書くだろうか?
悲しい別れがそこにはある。
やり場のない悲しみが満ち満ちている。
人の死とは、かくも多くの人の人生を変えていくものなのかな?
自殺はいけないな。なにも解決にならない。放り出しただけ。
逃げただけ。
でも、共感もしてあげなければ浮かばれないな。
逃げることはずるいと思う。
だけど、そこまで追い込まれた人にずるいとは言えない。
ただ、黙ってハグしてあげることしかできない。
つらかったね、と一緒に涙してあげることしかできない。
その悲しみを、少しは分かち合えれば、9月の澄んだ空に希望の光を見出せるかもしれない。
いづれにしても、彼ら(ベルサイユ)がその傷を癒し、自ら立ち上がり前進されんことを祈ります。



Posted at 2009/09/11 01:33:24 | コメント(0) | トラックバック(0) | 独り言 | 日記
2009年01月04日 イイね!

中古の車を物色中。

あけましておめでとうございます。

私めの、拙いブログをお読み下さる方へご挨拶申し上げます。
本年もよろしくお願い致します。

実は、お正月はネットで中古車を物色しておりました。
デミー君以外にもう1台必要になりそうだからです。
理由は、単身赴任が決まったものですから。。。。

探してる候補は、

1.やっぱり4thプレリュード・・・・BB1あたり。なにしろ古いけど安い。
2.ロードスター?・・・ワインレッドの6MTが出てました・・・ほしい。でも、ちと高い。
3.S-MX・・・・・・・ローダウン仕様・・・以下奥さんが乗ることを想定。
4.ステップワゴンのウルトラ・・・・2000年ごろの。
5.やはり維持費を考えて軽自動車。ヴィヴィオ・ビストロあたり。


正直、4thプレリュードかなー。91年から93年のマイナーチェンジ前のがほしい。
理由は、ヘッドライトがマイナーチェンジして枠までシルバーになったため、なんかぎらぎらしているのです。個人的には、やはり黒い縁の方がかっこ良いです。
BB1にこだわるわけでもなく、BA8でもいい。
やっぱりセブリングシルバーがいいなー。
ぴかぴかに磨いて、夜の闇の中で光に反射して浮き上がるサイドのボディラインは本当にカッコよい。見ていてニヤニヤしてしまう。

YouTubeで沢山UPされてました。
セナのCM(1991年)


もう一つ、プロモーションみたいな動画?です
Honda Prelude Tribute(海外・たぶんアメリカ)


海外でも愛されてるのですね。この動画を見ていたら、やっぱりプレリュードが欲しくなってきました。
ドレスアップや改造でいろいろされた車種ですけど、本来はアルミを変えるくらいで十分で、街中では品よく乗って、ハイウェイでパフォーマンスを楽しむみたいな車だと思いますね。いろいろ外観をいじると美しさを損なう気がします。
スーパーカーもそうですが、出荷された時点で美しいフォルムを持っている車が美しい車だと思いますし、その魅力に惹かれて購入したくなるのですから。デミオもそうですね。
ただ、所有すると、どうしても自分だけのオリジナルカーにしたくなるのも自然な欲求ですからね。
いいと思いますよー。

まー、ぼちぼち探してみましょう。
買うかどうか、ほんとはこれからなんですがねー。
あ、デミー君は、勿論今後も乗り続けます。



Posted at 2009/01/05 01:25:32 | コメント(1) | トラックバック(0) | 独り言 | 日記

プロフィール

「Windows11へOSをアップデートしました。
第6世代Corei7マシンの為裏技でインストールしました。」
何シテル?   05/30 15:13
現在NDロードスターに乗っております。 カー・ライフを中心の日記・ブログにしていこうと思います。 車いじりは一人では限界もあるので、皆さんの記事...
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2025/06/17 22:22:23
[マツダ ロードスター]マツダ mx-5整備マニュアル 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/06/06 00:12:31
純正リアスタビライザー取付 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2025/05/02 21:42:34

愛車一覧

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