
最近、古本屋で面白いものを見つけました。
1976年5月発行のトヨタ自動車工業の技術紹介書「技術の友」。
この中に偶然見つけたひとつの記事がコレ。
まさかこんな記事が掲載されているとは思ってもよらず…なんか“運命”を感じました!
だって、売られている時は“ビニ本”状態でしたから(笑)
で、読んでみて「なるほどぉ!」という部分もあれば「えっマジ?」というところもあり…徐々に紹介していきたいと思います。抜粋ですが…。
で、最初に気になっていたのが、「なぜマイナーチェンジされたのか?」ということ。
外板も内装も、それまでの前期型と共通しているものがほとんど無いという事実は…後期のオーナーとなられた方なら誰もが驚かされる事実のはず。かくいう私も、前期オーナーとの交流を10年ほどしていながらも、いまだに新たな発見をするほどですからね。(昨日、一昨日のブログにあるように…です。)
ちなみに、セリカは当初は“ダルマ”と呼ばれるクーペだけでS45年末に発表され、47年夏にはフェースリフトを実施、少しずつ改良されながら48年に“リフトバック”が追加。75年になって大幅なマイナーチェンジが施され、77年まで生産されるという、今の車と比べても非常に“長寿”なモデルサイクルとなってました。
本来なら4年周期で変わる車が多い中、その倍ほどにも引き伸ばされたこのサイクルが…どうにも引っかかってたんです。まぁ、人気があったんで急いでモデルチェンジする必要もなかったといえばそうでしょうが、それは結果論ですからね。現役の期間真っ只中では、こんな評価もないでしょう。
と…やはりコレについての記述がありました。
その回答とは…もちろん皆さんがすでにお察しのとおりです(笑)が、要約すると以下のような内容です。
つまり、オイルショック直後の情勢が、社内外共にモデルチェンジを許される状態ではなく、必要最小限の変更にとどめなければならなかったこと。かといって、排ガス対策等の対策は避けて通れなかったことから、ビッグマイナーチェンジという“苦肉の策”を取らざるを得なかったようです。
というのもこの排ガス対策の為には、エンジンの変更を行うだけでは技術的にバランスの取れた車を作ることが難しく全体的に手を入れなければ成り立たないほどのモノ、かつ、5年も作り続けている商品としての競争力を確保するためにも何がしかの車両変更が必要だった…といった背景があったようです。
なるほど、だから車両全般について隅々にいたるまで改良がなされているわけなんですね、納得。
ちなみに…以下の考え方の基、ビッグマイナーチェンジは計画されたようです。
①排ガス浄化対策を実施
②①の為にボデーの変更、主にエンジンルームの大幅な拡大を実施
③外観は従来車両とあまりイメージを変えないこととし、ボデーの変更も最小限に抑えることで原価および投資削減に努める
④実質的な中身の変更(足回り、計器盤、空調関係等)はできる限り実施して、ポテンシャルの高い車としておく
⑤セリカLBを対米輸出可能な車に変更して、車種を充実する
とのことです、
おぉ、③は苦肉の策でしょうが、でも④を織り込むことで商品力を維持し、⑤で拡販を狙う…
なんとも説得力のある企画書ですね。
こういう経緯があればこそ、我が愛車が今あるわけで…当時の社会環境の中で苦労された方々には感謝してもしきれませんね。
以降、ぼちぼちと書き留めておこうかと…さてさて、いつまで続けられるやら(汗)
Posted at 2012/11/13 22:10:13 | |
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セリカ トリビア | 日記