昨日であの忘れ難い東日本大震災が起きてから丸2年が経ちました。
亡くなられた方々はもとより、現在復興に取り組まれている皆さんもまだまだ厳しい日常を過しておられると感じています。
TVやメディアは復興の歩みの鈍さを批判していますが、ただTVを見ている自分が情けなく申し訳なく思えてきます。
そんな中、イタリア在住のジャーナリスト野口祐子さんが発起人となったプロジェクトの展示会がイタリアのミラノ市内で行われていました。
名づけて「イタリア石巻プロジェクト EXHIBITION “忘れないで” あれから2年」という震災時や復興の写真を中心にした展示会です。
このプロジェクトは、東日本大震災で被災した石巻の復興する姿をイタリアに伝え、イタリアから石巻の復興を応援する非営利プロジェクトで、その目的として、
・イタリアにおいて、石巻の東日本大震災からの復興状況を伝える。
・プロジェクトがハブとなってイタリアからの様々な支援を石巻に提供する。
という使命を帯びています。
このイベント自体は終了していますが、”ITALIA 石巻 PROJECT” は、現在、設立者の野口祐子さんとその友人達の協力・支援によって、活動をスタートしたばかりとの事で、 Facebookによる情報の発信を行いつつ、新たな協力者や団体等との支援ネットワークを構築しているそうです。
お気持ちのある方は是非このプロジェクトにご参加ください。
メールアドレス
italia.ishinomaki.p@gmail.com
■エキシビジョンの内容
会場:Associazione Culturale ARTE GIAPPONE
住所:Vicolo Ciovasso 1, 20121 Milano
期間:2013年2月28日(木)~2013年3月12日(火)
時間:2月28日(木)18:30~、3月1日~3月12日 14:00~19:00
閉館日:3月2日、3日、4日、9日、10日、11日
オープニングレセプション:2月28日(木)18:30~
・Megumi Kamikariaさんによる日本の歌の歌唱
2011年3月11日、心を揺るがす衝撃が全世界を駆け巡った。
世界中のメディアは東北地方を追い続け、瞬く間に世界中から沢山の『愛』が日本に集まった。
最愛の人を失い、思い出の我が家を流され、仕事を失い、人々は悲しみを噛みしめながら生きた。
そして2年…。
折れてしまった心に少しずつ希望の光が注がれ、起き上がろうとしている。
皆さんの暖かい心、大きな思いが復興の支えになりますように。
今回のエキシビションでは、石巻を中心とした復興事業、ボランティア活動の現状などを紹介するとともに、400年前に石巻を出帆してイタリアの地を踏んだ伊達正宗の家臣 支倉常長率いる慶長使節団の軌跡、日本とイタリアでご活躍の著名人に頂いたメッセージなどを展示いたします。
【石巻とイタリアのつながり】
石巻市は1971年、イタリアのチヴィタヴェッキア市(Civitavecchia)と姉妹都市を締結しています。
日本とイタリア間の姉妹都市協定としては全国で第4番目にあたります。チヴィタヴェッキア市は、ローマから車で1時間ほどのティレニア海に面し「ローマの外港」と称される重要な港湾都市です。
かつて伊達政宗は家康から外交権を得ることに成功し、独自に海外貿易を行おうと「慶長遣欧使節」を南蛮に派遣しました。1613年支倉常長率いる慶長遣欧使節団は石巻を出帆し、1615年にチヴィタヴェッキアに上陸しました。
こうして慶長遣欧使節団の出発地・上陸地という縁により、石巻市とチヴィタヴェッキア市は姉妹都市として結ばれることになりました。
チヴィタヴェッキア市には、今も支倉常長の銅像や日本聖殉教者教会が建っています。
慶長遣欧使節は、日本人が初めてヨーロッパの国へ赴いて外交交渉をしたという点で画期的な出来事でした。
イタリアの人々は、自分達とは遠く離れた国に素晴らしい文化と技術を持った国・日本があるという事実を初めて知ることになりました。
2011年10月、チヴィタヴェッキア市において同市と石巻市との姉妹都市交流40周年記念式典が行われました。
それに先立ち、日本聖殉教者教会では東日本大震災の被災者を追悼するミサが行われ、市長からは「同市 と石巻市は地理的には遠く離れているが、精神的には常に近くにいます。
その証拠に、チヴィタヴェッキア市では震災直後から特に若者を中心として自発的に石巻市支援運動が起こったのです」とのメッセージが述べられました。
Posted at 2013/03/12 18:44:12 | |
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