皆さまお久しぶりです。
この場でこんな私的なことを書くのもどうかとは思いますが、昨年末より身内の不幸が続き、しばらくブログの更新を行えませんでした。
あ~やっぱり自分も人の子だったと感じさせられた数ヶ月でした。
がしかし、四十九日も明け、サクラの花も咲く季節の到来を受ければ(東北の春は遅いのですよ)、クルマ好きの虫がムズムズしてきました。
そんな時、私好みのムック本が書店に並んでいました。
その名も「スーパーカー・コンプリート・ファイル VOL.1 ランボルギーニ・カウンタック」と書いてあるじゃあ~りませんか。
無論速攻でGETしたのは言うまでもありません!
早速読んでみると、最初から綺麗なフルカラーのLP500やLP400が数ページ続いていて、これは当たりだ~ッと興奮しながら読んでいると、何箇所か引っかかる文面に気がつきました。
なんかおかしいのです。
「パオロ・スタンツァーニがランボルギーニを去ったあとプロジェクト112の推進者となっていたジャンパオロ・ダラーラは・・・」
はぁ?
スタンツァーニがランボルギーニを去ったあとって???
スタンツァーニより早くランボルギーニ社を去ったのはダラーラなんですけど!
スタンツァーニは1975年までランボルギーニに居て、会社のマネージメントまで引き受けて、カタログまで彼が監修してたんですけど~!!!
これはおかしいです、事実誤認です、辻褄が合いません!
私スタンツァーニさんに会ってますし・・・
その他にもおかしな箇所はあるのですが、極めつけは巻末近くの御大のお言葉でした。
編集子が「LP500SとLP5000Sのどちらが正しい車名なのか」との問いに関して、
「5000Sが正しいですよ。LP400があってLP400Sがあるから、LP500Sというふうに発展していったと思われていますが、LP5000Sが正解です。だって5000QVっていうじゃありませんか」と自信たっぷりにおっしゃっています。
し、しかし、当時のカタログには「LP500S」としっかり印刷してリリースされていますし、当時から現代までヨーロッパで発行されているカウンタック関係の書籍にはほとんどLP500Sと記述してあるのです!
■LP500Sのカタログ
これから察するに、少なくとも1982年ジュネーブショー発表時の正式名称はCOUNTACH LP500Sであり、アメリカ市場向けには、80年代当時の大排気量ブームに乗る形でLP5000Sというリアバッジを付けたのではないでしょうか?(付属の取説に載っている写真にはCOUNTACH S 5000と記載されています)
それには経営陣が刷新され、パトリック・ミムランが新社長に就任して初めてのモデルということや、プロトタイプLP500以来悲願であった5リットルEgを搭載できたことへの感慨もあったのだと思われます。
更に当時85年に発表される予定だったテスタロッサに対抗させる意味もあったのでしょう。
そもそもカウンタックがLP400からLP400S、LP500Sへと発展していく課程においてこれらの車名はあまりランボルギーニ社にとっては重要な意味が無かったのかもしれません。
なぜならば、LP400以降のカウンタックのコーションプレートに記載されている名称は単に「COUNTACH S」としか書かれていないからです。
つまりLP400以降のカウンタックは、ウォルター・ウルフに影響を受け、仕様や排気量変更を受けた単なる「S」シリーズだったと考えられるのです。(QVやアニバーサリーを除く)
■LP500Sのカタログのリアビュー
ちなみにLP500Sのセールスカタログには何枚かLP400Sの画像が使われています。
いい加減といえばいい加減なのですが、当時のランボルギーニですから仕方が無いでしょう。
400Sと500Sの外観上の違いはほとんど無いのですから、当時のランボルギーニの広報担当は「どうせ誰も分かりゃしないだろうから、え~い使っちまえ!」的なノリだったかもしれません。
(実は400Sと500Sではターンライト・レンズとハウジングが違います。400Sに使用されているのはLP400と同じ形状のものですが、500S用はフェラーリの308GT4や308GTBに使用されている角ばったユニットなのです)
そしてそれどころかQVのカタログにまで同じ車体の写真が使われているように見えます!
■QVのカタログ
重箱の隅を突っつくようなことはしたくないのですが、過去のヒストリーを紐解く雑誌のライターの方々は注意が必要と思います。
時間が経つにつれ、過去の真実は闇の中へ消えていってしまうからです。
最近スーパーカーの魅力に気付かれた読者の方々に誤った知識を与えない為にも・・・。
Posted at 2012/04/19 21:17:40 | |
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