八千草薫さん、すい臓がんで死去 亡くなる直前まで意識はっきり、会話も 88歳 「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」日本を代表する名女優
10/28(月) 15:13配信
ドラマ「岸辺のアルバム」「やすらぎの郷」など舞台、テレビ、映画に日本を代表する名女優として活躍した八千草薫さん(本名・谷口瞳)が24日、午前7時45分、すい臓がんのため、都内の病院で亡くなっていたことが28日、分かった。88歳だった。
【写真】1956年5月の八千草薫さん
八千草さんは2017年春に乳がんが発見されてがん闘病が始まり、病を伏せて仕事を続けたが、すい臓から肝臓に転移した今年2月、がんであることを公表。療養に専念し、仕事復帰を目指していたが、力尽きた。
遺志に沿ってこの日、少数の親しい関係者が集まる中、荼毘(だび)に付された。本人の希望により、お別れの会も開かれないという。関係者によると、亡くなる約2時間前まで、意識はしっかりしていたという。24日、午前6時ごろに看護士が朝の検診で病室へ。「変わったことは特にないわ」などと穏やかな会話が交わされ後、しばらくして、容体が急変。7時45分に帰らぬ人となった。
八千草さんは19年2月に肝臓がんを公表。晩年はがんとの闘いだった。最初に見つかったのは乳がんで17年春に手術。18年1月には膵臓(すいぞう)がんで全摘手術を受けた。病を伏せ、気づかれることなく仕事を続けたが、抗がん剤治療と定期検診中、19年に肝臓転移が見つかった。テレビ朝日系「やすらぎの刻~道」のヒロイン役を降板し、治療に専念していた。健康管理には人一倍、注意し、70年余りの女優人生で病気で長期休んだのは、このときが最初だった。
可憐な外見からは想像できない強靱な精神力の持ち主。がんの宣告を受けても、動揺はほとんど見せず冷静で病状も細かく理解。「いま私にできることを尽くし、より1日を丁寧に過ごしたい」と生きる姿勢に変わりはなかった。人生の密度は逆に濃密なものとなっていたという。
がんを公表した際、88歳の高齢ながら「体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります。どうかお許し下さいませ」と復帰に強い意欲をにじませていた。
19年5月末には、千葉で行われた自ら理事を務める生態系協会の催しに出席。炎天下の中で「自然は見るものだけではありません。生き物が増えることを考えると、自然の中に入って楽しんで欲しい」とはっきりした口調であいさつ。足取りも力強かった。
八千草さんの芸能人生は荒れ果てた戦後、華やかな宝塚歌劇の舞台で始まった。清純でかれんな娘役として注目。劇団に籍を置きながら、54年三船敏郎主演「宮本武蔵」(稲垣浩監督)でお通を演じ、映画女優としても注目されるようになった。56年「乱菊物語」で谷口千吉監督と出会い結婚を決め、惜しまれながら退団。歌劇団卒業後も、八千草さんの魅力は舞台にドラマに引っ張りだこに。
子どもはいなかったが、長年にわたり「理想のお母さん」として親しまれた。さまざまな役で人の心を揺さぶり、癒やし続けた。日本の芸能界に欠かすことのできない名女優の一人だった。
以上転載
実はかみさんの母が雰囲気が似ていて初めて会ったときに驚いたくらい。
残念ながらこれといった作品を拝見していないのだけれど、佇まいだけで美しい。
宝塚出身の方は歳を重ねても美しさと気品がある代表とも言えた方だと思う。
安らかにお休みください…
Posted at 2019/10/28 20:11:35 | |
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