2年前に父が死に、奥能登の家を相続した。名義を書き換えはしたのもの、心の片隅の重しになってたのは仏壇である。
この仏壇、父が祖父のために買ったものだ。祖父は「息子(小生の父)に買ってもらった」と非常に喜び、朝に夕に読経をかかさなかった。
祖父が死んでからは空き家になっていたが、嫁ぎ先がすぐ近くだった三人の叔母が祖父の月命日に来ては拝むことを欠かさなかった。
そんな仏陀を引き継いじゃったんだな…(-_-;)
奥能登の大地震の時に一回ひっくりかえった仏壇。小生がその気になって引きずり倒し上に乗って踏みつぶせば、簡単にバラバラになるだろう。70㎝以下にノコギリで裁断すりゃぁ、燃やすごみとして処理するのも簡単。
奥能登は浄土真宗の王国。葬儀や法要には「正信偈」を参列者全員で唱えるのだが、年寄りは何も見ずに暗唱するのが当たり前の地である。叔母たちの手前、ゴミとして処理したいとも言えず(笑)。
当初は、持っていけといわれた(
こっち参照)。とはいえ横幅2m、小生の家の床の間の倍だ。
その次は、仏壇としてモノはいいんだからリフォームと言われた(
こっち参照)が、大金を投じる気にはならないよな。
しまいには、家をリフォームすれば(
こっち参照)なんて冗談とも本気ともつかない話も飛び出す始末。
(;゚Д゚)
三回忌を終えた今がそろそろ潮時かと切り出す。
「俺ゃぁまったくこだわりがないんだが、叔母さんたちが毎月拝んでるモノを持っていくのは忍びない。(仏壇にまつってある)祖父と祖母は、叔母さんたちにしたら父と母。家と一緒にここに置いておくよ。」
…なんつって話を切り出したのである
「そぉかぁ~。そうしてもらうと嬉しいわぁ~。貰ぅていいかぁ~。」
おっしゃぁ~2年越しの交渉成立!
えっもったいない?
持ち出すにしても捨てるにしても「魂抜き」とかいって坊さんを読んでお経を上げねばならん。またウン十万円というお布施を出さねばならぬ。
人知を超えたものを崇めはするが、仏壇はモノ。物欲は人間の業であるが、モノに振り回せれる生き方はしたくねぇ。
かの一休宗純、来客をもてなす薪がなかったので、本尊の仏像をナタで一刀両断して火にくべたという。驚く客に対し「仏さんも我が身を火に投じてあんたを温めることができて、さぞかし喜びなさっているだろう。」と言ってニコニコしてたという。
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朽ちて逝くもの | 日記
Posted at
2022/11/25 00:06:45