本日中日ドラゴンズペナントレース最終戦にて
山崎武司選手が現役の引退をなされました。
数ヶ月前から宣言されてたことと、試合の中継は
見られなかったのでしたが、ニュースなどなどで
伝わってきました。
実は山崎選手、私の走りライフとちょっと接点があり、
ご引退には感慨深いものがあったので
本ブログに上げさせてもらうことにしました。
最近では、TVのプロ野球中継が少なくなったことと、ドラゴンズ自体が不振にあえいでいること
もあってシーズン通してゲームを注視することが少なくはなってきたのですが、
この地方で育ってきたこともあって中日ドラゴンズのファンとしても育ってきました。
-山崎選手カートを始める-
あれは2002年のことだったかな、私も社会人になってちょっとしたころ、またレーシングカートを
始めて2シーズン目に入ったころのことでした。
カートで知り合った友人から突然電話が入ってきて、
「KWH(クラブチームのカートショップ)にドランゴンズの山崎がいる!」と発してきました。
かねてより趣味でラジコンカーレースや外国製スポーツカーを趣味にしているらしかったのですが
更に裾野を広げて直接モータースポーツに参入してきたのです。
-山崎選手とご対面-
チーム内でもうわさは広まってみんな知ってました。
とある平日に友人と休みを合わせてガラガラのコースでいかんなく練習をしてたのですが、
カートコースにKWH社長より「うちのチーム員誰かいない?」と連絡が入ってきました。
私と友人で受け答えしてると、山崎選手が急に”今日カート練習したいからつきあって”という
ものでした。(走行準備は結構大変、自分でするのがあたりまえ、だけどそれもやっといての意)
”え~~っ”と思いながらもチームのVIP客であるがゆえほおっとくわけにもいかず、
自分の練習そっちのけで、急いでカート場のガレージから山崎専用カートを引っぱり出し、
自分用の燃料を入れてあげていつでも走れます状態にしてスタンバイ。
しばらくすると当時最新の黄色のランボルギーニディアブロの爆音を響かせながら
くそ田舎のカート上にあの中日ドラゴンズのスラッガ-が本当に現れるじゃないですか。
この時が山崎選手との最初のご対面でした。
ごあいさつもそこそこに、着いて着替えて、私と友人で準備したカートを颯爽と乗り回し、
ガレージ内でお話したりでこっちは緊張してましたが、なんともご満悦でありました。
(たぶんご本人は覚えていないかもしれませんが)
練習途中直接、私とテールtoノーズで走ったりしてましたが、球界を代表するスラッガー
だけあってとてもガッチリとした体格(本人曰く100kg)なのでさすがにカートのコーナリングは
キツそうなのですが、サイドバイサイドではふっ飛ばされそうなオーラが漂ってました。
-山崎選手レース参戦-
レースといっても公式レースではなく、年1回のクラブチームのお祭りレースです。
私も毎年友人やチーム員たちと楽しみににしているイベントです。
実レースでは上級者にかなわずなところもありましたが、
プロだけあって冗舌なコメントをアナウンスしながらチームのみんなをとても楽しませてくれました。
数年カートチームに在籍し、イベントにも参加してくれましたが、
選手キャリア上、名古屋を離れたころからなかなか来てくれなくなってしまいました。
さすがの”ざいりょく”でイベントのスポンサーになってくれたり、
カート本体を数台所有してたのもあり、このチームイベントの景品でカート1台が
プレゼントされたりと太っ腹な面を見せてくれました。
-その後-
年代ははっきり覚えていませんが、山崎選手はオリックスブルーウェーブに移籍し、更には
オリックス近鉄合併、楽天新規参入の球界再編で楽天に移籍されました。
チーム自体が新参&キャリア末期の選手が多い中、チーム成績が低迷する中でも
再びリーグ本塁打王に輝いたのをとても覚えています。カートショップ社長もうれしくて
ショップ内に高々とパネルを展示していました。
そしてキャリアの最後に再びドラゴンズに再起して一花咲かせてくれました。
今後は?
ドラゴンズの良き指導者になっていただきたいのはもちろんですが
ぜひカートにも戻ってきていただきたいなぁ~
私もレーシングカートはしばし離れてしまってますが、もしまたお会いできる機会があれば
とてもうれしい限りです!
なにより現役生活本当にお疲れさまでした。
優勝した99年シーズン名古屋ドーム最終戦の逆転ホームランは決して忘れません!
Posted at 2013/10/06 03:33:29 | |
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