
長いこと(精神的に?)うずくまっている状態が続いたので、ここは一番変えてみよう。頭はなかなか切り替わらないけれど身体(からだ)は具体的だ。動けば必ず結果がついてくる。出掛ければ自宅でじっとしているのとは確実に違う状況に遭遇し、何かに直面すれば対応を迫られる。
動くことで変える、変わる。それは日々恩田川を歩いて実感すること。犬だって歩けば棒に当たる。人が出掛ければ犬どころの話ではない。ということで、ちゃんとスーツを着て、ネクタイを選び、身だしなみは足元からに意を配り、勇躍と出掛けた。所は虎ノ門のホテルオークラ。2013年自動車工業団体新春賀詞交歓会である。
最後に出掛けたのはもう何年前だろう。記憶は定かではないが、10年くらい経ったかもしれない。まあ、大きな自動車工業界よりもずっとコンパクトなメディア業界でいろいろ可愛がられ過ぎて、出る幕ではないのかな……そんなことを思ったりしたのかな。しかし、もはやそんなことを言ってる場合ではなさそうだ。日本が危ないなんてしたり顔でニヒルを決め込む暇なんかなくて、とにかく自分のサバイバルが喫緊の課題になっている。
世の中どうなっとるのかな?そんな観測気球(というほどでもないが)を挙げるつもりで行きました。オークラの平安の間。”こんなに混む会だったっけ?”アルコールを口にする気はさらさらなかったので、プリウスで出掛け、15分前に地下パーキングに滑り込んだら、B2にはまだかなり余裕があった。
本館内に駆け上がると、うっへぇ~な人の塊。受付から入口への行列がなかなか進まない。挨拶の時間は別に設けているので…案内の人の声に従って追い越して行くと、豊田章男トヨタ社長以下、自工会メンバーの各自動車メーカー社長が列をなして来客に挨拶をしていた。これは進むわけがない…さっさと通り越して広い広い大宴会場の奥に歩を進めた。
行けば知った顔はあちこちにある。気がついて目が合ったらご挨拶。久しぶりにお会いする懐かしい顔も多く、やっぱ来なくちゃ駄目でしょう。僕は去年還暦を迎えた。同じ目線以上の人の多くはすでに第二の人生を歩みだしていたり、メーカーの枠組みを越えた公的な組織の代表になっていたりする。
いきなり角刈り風でいい感じに日焼けした精悍な顔に声掛けられてぎょっとした。凝視すると、おおっ元ホンダの藤原親分ではないか。親分は現在茅ヶ崎に居を構え、サーフィンに明け暮れつつ人材派遣の技術顧問を務めている。波乗りが本業で、会社は週一ってホントかね?
渡邉浩之さんもお元気そうだった。トヨタで今なお技監という、元祖主査中村健也さん以来の技術最高職の籍を持ち、ITS(Intelligent Transport Systems 高度交通システム)の日本代表にして、今年11月に東京で開かれる世界会議の日本組織委員会で委員長を務める。
渡邉さんは9代目S140型クラウン/マジェスタのチーフエンジニア(当時はまだ主査と言ったと思う)であり、軽井沢で行われた同車の試乗会で喧々諤々の議論に花を咲かせて以来のお見知りおき。1991年のこと。あれからもう22年である。
登山が趣味でたしか5大陸の名だたる山を踏破しているはず。長女の高校受験の祈願にと珍しい『彩雲』の写真を頂戴した記憶がある。お蔭で費用のかからぬ都立に受かった、というのはもう17年も前の話になるんだなあ。
時代は自動運転へと向かう。力強く仰る技監殿にはちょっと異論があります。いつもの生意気を言うと、ぜひ今度議論しようということになった。さっそくプランを練らないと。出掛ければ普段なかなかお会いできないオーソリティとも気軽に話せるチャンスがある。やっぱ動かなければ駄目ですね。
来賓としては所管筋の茂木経済産業大臣、太田国土交通大臣が登壇。さらには、知るかぎりでは初めてだと思うが(首相が参会したというのは聞いたことがない)安倍内閣総理大臣も来場し、なんだか妙に勢いがある感じがした。

多分に空元気という印象もあったが、お正月である。必ずしも支持する政権とはいえないが、業界としてはwelcomeの雰囲気に包まれていたような気がする。太田大臣は昨年亡くなった叔父との繋がり(叔父は某政党OB)もあり思い切ってご挨拶し、自己紹介しつつ名刺交換などさせていただいた。
他にも目の回るような人込みの中でたくさんの方々と可能な限りご挨拶を心掛けた。出掛けなければなにも起こらない。そう考えると、やはり身体が先、頭はそれに従う方がいいんだね。
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2013/01/08 00:57:16