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NEOCAのブログ一覧

2014年01月04日 イイね!

くびき野レールパークの保存鉄道

2ヶ月ほど間が空きましたが、こちらのブログからの続き、かつこのシリーズの最終回となります。





ブログでアップする際に、若干時系列が前後してしまったものの、この日のメインはこの施設。


廃止となった頸城鉄道の車両を保存・展示している施設である。
旧・百間町駅の敷地に設けられており、右手の車両展示資料館、左手の軽便鉄道資料館(旧・頸城鉄道本社社屋)と、二つの資料館で構成され、くびき野レールパークと総称されている。

但し、これらの施設の公開は、春~秋に月1回程度行われる公開日に限られているのだが、その公開日には敷地内で保存車両の運転が行われるなど、充実したイベントが実施されている。


ちなみに頸城鉄道とは、信越本線の黒井駅(直江津の隣駅)に隣接して存在した新黒井駅から、現在の北越急行の路線にほぼ沿うように、浦川原駅(現在の北越急行うらがわら駅近く)までの全長15kmの路線で、昭和46年までに全線廃止されている。

現在は北越急行の他、頸城鉄道株式会社の直接的な後身である頸城自動車、そしてその子会社に当たる東頸バスなどが、この地域の交通を担っている。


但しこのくびき野レールパークへのアクセスが意外と難儀で…平日なら頸城自動車の路線バスが利用できるものの、公開日は基本的に休日。
そうなるとバスも休日ダイヤで、1日2往復程度と、公共交通でのアクセスはかなり困難。
じゃあ車はと言うと…実は長距離運転はドクターストップな私…

しかしその年最終となる10月の公開日には、「イベント」と称し、通常の公開に加え、屋台村や餅つきなど、地域のお祭り的な要素を組み入れ、しかも直江津駅や北越急行の浦川原駅・くびき駅からの無料シャトルバス(しかも本数が多い)が運行されるため、この日を選んで訪問した次第。





先ずは、車両展示資料館から。


ちなみに建物の周りに建っているテントでは、鉄道パーツから、頸城鉄道で使っていたゴム印、車内補充券(デッドストック新品)、大正時代の沿線案内(これまたデッドストック新品)に至るまで、どこから探し出してきたのか不思議なほどのアイテムを販売しており、その品揃えの凄さに驚かされる。


やはり、現在ではバス会社になったとは言え、会社そのものが存続していると、こういったアイテムが出てくるのかも知れない。


そして建物内部





この建物内には、2編成の車両が保存されているのだが、西武山口線に引き取られていたSLコッペルを除く、これらの車両は頸城鉄道廃止後に神戸の富豪が趣味として買い取っていたもの。


その富豪によって、六甲の山中にトンネルのような保管庫を設けて保管されていたものの、その後は特に活用されることもなく、三十年程放置されることになるが、屋根付きの保管庫で保存されていたため、比較的原形を保っており、地元の有志により、ここ頸城へと里帰りし、修復・動態保存され現在に至っている。





先ずはSL+DL+貨車+客車の堂々とした編成。



先頭はコッペル号として、ここの名物にもなっているSL


但しこのコッペル号…実は予算不足のため、未修復。そのため実際の動力はDLが担っている。

但し「石炭の臭いを知らない子供達に、是非SLの“臭い”を体験して欲しい」との趣旨で、動力には使っていないものの、多少の石炭を焚き煙をだしている。



DLのエンジン


DLの運転台


そして客車



そしてこの客車に乗り込んで、体験乗車(運賃は無料だが、保存寄付金をお願いされる)




まあ体験乗車と言っても、昔の駅構内をスイッチバック風に行ったり来たりするだけでなのだが…
しかし、狭くなっている場所などでは、こまめに一旦停止し安全確認を行ったり、手旗による誘導なども徹底されている。


ただ…乗っている人より、撮っている人の方が多いような気が…






そしてもう一両のDLは、元々社長専用車だったものを一般車に改造したというユニークな車両。



こちらの車両にも体験乗車(この日は雨で来場者が少なく、混雑もなかったため、複数回の体験乗車もOKが出た)



元が社長専用車なので、車内の意匠も凝っている


運転台



ほんの数十m程度の走行にもかかわらず、しっかり閉塞は行われている様子。


そして出発



但しこの車両…バックギアの切替が車内で行えないため、数十mのスイッチバック式の線路を行ったり来たりするだけに、わざわざ運転士が車外へ出て台車部で作業を行う必要があるという面倒な仕様。





車両展示資料館の次は、隣接する軽便鉄道資料館へ。


先述したように、かつての頸城鉄道本社の社屋を利用した施設なのだが、見ての通り、妙に綺麗なパネルが張られており違和感がある。

しかしコレは、往時は全て板張りの建物だったものの、長年修復を繰り返している内に、厳しい財政事情も反映してトタン張りのパッチワーク状態となり、あまりの見窄らしさだったこともあり、こうしたパネル張りに変更したとのこと。
(にしても、少々色合いが明るすぎることは否めないとは思うが…それでも数年前の痛々しい写真と見比べると、まだ現状の方が数段良いかと…)

但し一部は当時の材料がそのまま残っている面もあり、角度を変えるとそれなりに味のある建物。


そして建物脇には、「頸城鉄道線発祥の地」の碑が建っている。



資料館内部は、往時の切符などのアイテム展示と、車両を六甲山から運び出してきたときの様子を記録したVTRの上映が行われている。


しかしここで展示されている切符や路線図と同じものが、デッドストックとして屋外のテントで売られていたりするので、やや有り難みは薄れてしまう感もある。





そして昼食は、イベント会場の模擬店で。


まあ天候が天候なので、人出が少ないのは残念なところだが、それぞれの模擬店は基本的に地元の人が手作りのお弁当や素材を売っており、ほのぼのとした雰囲気。


豚汁と


餅つき大会の振る舞い餅


「本当にコレだけなのか?」と聞かれそうだが、本当にコレだけ。

本当は雨で人出が少なく、出店者も売れ残りを危惧して困っている空気があるのは承知していたのだが、来訪者用の雨よけのテントが少なく、かといって店先や雨の中の立ち食いでは落ち着かず…そんな訳であまりゆっくり昼食を楽しむ気分にならなかったというのがホンネ。
それに更に言うと、鉄道愛好者の団体ツアーが数少ないテントを「撮影器材置き場」として占領してしまい、それ以外の一般客が利用できるスペースが限られてしまっていた事も要因。まあ団塊世代が多いとどうしても…





こうして、くびき野レールパークの見学を終え、東頸バス(頸城鉄道の後身・頸城自動車の子会社)のシャトルバスに乗り、もう一カ所のイベント会場へと移動。



そのもう一つのイベント会場というのは、浦川原のバスターミナル(東頸バス本社)


実はこのバスターミナルの建物、頸城鉄道の終点であった旧・浦川原駅の駅舎そのもの。
更に頸城鉄道の線路跡がそのまま北越急行の線路に転用されており、駅舎の裏手に立派な高架橋が見えている。


かつてのホーム跡側はこんな感じ


かつての線路跡にそのまま高架橋が建っており、その高架下スペースは現在駐車場として使われている。


頸城バス発祥の地の碑も建っている


そして今回は、この旧・駅舎で写真パネル展が行われており、頸城自動車(=頸城鉄道)の歴史を記録した写真の展示やビデオ上映が行われている。



こうしてこの日のイベントを一通り満喫し、北越急行のうらがわら駅から普通列車で直江津駅へと戻り、帰路に付くことにする。

しかし北越急行の駅があまりに地味な事もあり、既に辺りが暗くなっていることもあり、一筋縄では尋ね当たらず。



そして特急列車の高速走行への備えもあり、しっかりとした風除けのある待合室からホームへと入り


普通列車に乗車(失敗写真ご容赦)



こうして唐津→佐賀→軍艦島→入善→直江津→頸城と、まるで迷走したような一連の旅は終了。


<完>
Posted at 2014/01/04 16:50:04 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年11月07日 イイね!

直江津駅と坂口記念館

このブログはこちらの記事(「富山ブラックラーメンと発電所美術館」)からの続きになります。





直江津駅へと到着したときには、既に辺りは真っ暗。



前回触れたように、ここ直江津駅は信越本線と北陸本線が合流する鉄道の要衝と言うこともあり、多くの乗り継ぎ客があったことは想像に易いところ。

そう言った事情もあって、駅弁・駅蕎麦・駅前旅館などが豊富にある駅だったのだが…


ホームにあった(他にも待合室にもあったような)駅蕎麦屋がいつの間にか姿を消してしまっていて、ココの名物だった「もずくそば」や「中華そば」(和風の蕎麦つゆで食べる中華麺)も、もう食べられなくなったと思いこんでいたのだが…
(係のおばさんと「昔の駅舎は味があったんですけどね~」などと会話を交わした記憶があるので、おそらく2000年の駅舎改築以降も、もうしばらくはホームで営業していたはず)


ところが2~3年前にみん友さんとコメントでお話させていただいている中で、「改札外の階段を下りた処に蕎麦屋がある」との情報を頂き、ずっと気になっていたのだが、駅前ロータリーのところとなると、短時間の乗り継ぎで訪問できるわけもなく、しかも営業時間が意外に短く、今日まで訪問する機会が無かった次第。

とは言え、その情報の蕎麦屋が、昔の駅そばの流れを汲むものなのかどうかは不明で、全く別の一般的な蕎麦屋という可能性も否定できなかったのだが…


そして実際に店の前へ来ると、意外と立派な店構えで、その不安も募ってきたのだが…


中にはいると、椅子こそ設置されているものの、セルフサービススタイルの立ち食いそば系の店で、舌代や自販機のメニューを見ると、往時からの名物である「もずくそば」や「中華そば」も健在でちょっと嬉しくなる。


ここで「もずくそば」について簡単に説明すると…要はかけそばに、生のもずくと、天かす、そして鶉の卵(生)をトッピングした日本そばで、地物を使っているというもずくの歯ごたえが素晴らしく、更に生卵が小さな鶉ということで、必要以上に生臭くなっていないというのもポイント大。

そしてもう一つの「中華そば」は…姫路駅などでも見かける、麺だけ中華麺で、スープは普通のうどん・そば用を使っているという、時々見かける変則パターンのそば。こちらは「駅そば」としてだけでなく、市内の食堂などでも見かけるとのことで、直江津のご当地B級グルメとしても広く知られているのだとか。(この辺りの事情は姫路も同じ)


ただ昔から気になっていたのは、「もずくそば」「もずくうどん」は存在するのに、何故か「もずく中華そば」がメニューに存在しないこと。
どちらもココの名物で、両方を同時に味わえれば言うこと無し…なのだが、敢えてメニューにしないと言うことは、何か理由があるのではないかとも思うところ。

そこで係のおばさんに「もずく中華って出来ないですかね?」と聞いてみると、「そういえば聞かないわね。まあ悪い組み合わせじゃないとは思うけど…試してみますか?」とアッサリOK。


そして店頭の冷蔵庫に、サッポロビールの新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」という商品を見かけたので、一緒に注文。


「苦さ」も「辛さ」も押さえた飲みやすい味ながら、外国ビールのように「味気ない」ということもなく、これが絶妙な味で、私好みなのだが…まあ新潟限定というのが残念。


そしてバタバタしているうちに「もずく中華そば」が完成。


このもずくの量が素晴らしいのだが…しかしイレギュラーな注文に気が逸れてしまったのか、鶉の卵が入っていない。
尋ねてみると、「あら、ごめんなさい。忘れていました」と、あわてて追加してくれた。


で、肝心の味の方は…もずくの歯ごたえと、ツルツル食べられる中華麺の喉ごしの組み合わせは、まあ決して悪くはないのだが、やはり和蕎麦のほうが風味があって一層美味しいのではないかというのが正直な感想。

そして係のおばさんも、「変なモノになっていないかしら」と気になっているようで、「いかがです?大丈夫です?まあ悪くはないですよね…」などと、ちょっと気を心配そう。
でも決して「悪い組み合わせ」ではないので、その旨を伝えるとともに、イレギュラーなオーダーに応じてくれたお礼を言う。

ただ、うどんと比べると、喉ごしの良い中華麺の方が明らかマッチしているように思われて…何故「もずくうどん」があって「もずく中華」が無いのかはちょっと疑問。


まあ、ここ直江津の駅蕎麦は、個人的に思い出のあるモノなので、多少美化されている面もあり、普通に駅そばとして評価するなら「中の上」。過度の期待は禁物なのだが…
但し地物を使った個性的なトッピングということと、イレギュラーなオーダーにも快く応じてくれたおばさんの対応も考慮して、トータル的には「まあ良い」という事になるだろうか。

あと特筆しておくとすれば、ここ直江津は西日本と東日本の境界(鉄道会社的にも、地理的にも)に近いこともあってか、コクのある少し濃いめの出汁ながら、必要以上に甘ったるくなく、関西系の私にも抵抗感無く味わえる、良い意味で“ハイブリッド的”な味に仕上がっている事だろうか。





そして今宵の宿に入るのだが…やはり鉄道交通の要衝と言うこともあってか、駅前には駅前旅館を発祥とするローカルなホテルが2軒競い合うように建っている。(他に昔ながらの駅前旅館もあり)


写真右から、「ホテルセンチュリーいかや本館」「ホテルハイマート東館(?)」「ホテルハイマート西館(?)」と写っているのだが、更に左手に「ホテルセンチュリーいかや新館」まで存在し、トータルでかなりの客室数があるのではないだろうか。
(ちなみにセンチュリーいかやの本館と新館は裏手にある室内連絡通路で繋がっており、ホテルハイマートを「コ」の字型に囲むような形になっている。)


そして更に言うと、この2軒のホテル…2008年までは、両者が競い合うように駅弁を発売しており、直江津駅の駅弁の種類は半端無く多様で、毎回両者のホームでの販売コーナーを見て悩んだものなのである。
(更に言うと、キオスクで取り扱いの「くびきの押し寿司」もあるのだが…こちらは駅売りから既に撤退しているのだが、翌日思いがけない形で再会することになる)

ただ2008年以降は、センチュリーいかやは駅弁製造から撤退し、現在ではハイマートのみの取り扱いとなっている。
しかしそれでも品数豊富で、毎回悩んでしまうことにはかわりがないのだが。
(ちなみにハイマートのフロントでも販売、カタログ配布、予約受付などを行っている)

ちなみに個人的なお気に入りはハイマートの「魚焼」という弁当だったのだが、これを見かけたのは00年頃が最後。その後別の名称にリニューアルしたものを買った記憶があるものの、今ではそれも消滅してしまった様子。


…と、色々書いているのだが、実を言うと直江津という駅は高校入学を直前にした春休みを最初に、何度となく乗り継ぎで利用した駅。
多少トラブルの経験もあるものの、とにかく個人的に思い入れのある駅なのである。


そして、ようやく今宵の宿を紹介すると…


「ホテルセンチュリーいかや」の新館。但しフロント業務は本館で一括して行っているので、そちらで手続きをしてから、ホテルハイマートの後ろを回り込むような感じで結構歩いて新館へと向かうことになる。
(但し外に出る必要はないので、上の写真は後で外へ出たときのもの。)

実はここのホテルに宿泊するのは、数年ぶり。しかしその数年で大きく変わっていたこともあって…


元々は、いかや旅館という駅前旅館が前身とのことで、新館へと向かう通路からちょっとした庭園が見えたり、蔵のようなものがあったりと、バブリーな時期の施設にもかかわらず、所々にレトロ感が出てくる不思議な施設。


しかし「小綺麗でローカルなホテル」に撤しているハイマートと違い、ここセンチュリーいかやは、バブル期に立派なハコモノに建て替えて、シティホテルを目指したような気配があって…とは言え、まあ地方の話なので、突っ込みドコロ満載ではあるのだが。


そんな訳で、新館への通路も妙にバブリーな雰囲気なのだが…

通路を抜け新館へ着くと、ロビーに制服姿の高校生が屯しているという、あまりに場違い感あふれる光景が目に飛び込んできた。


一瞬「?」と思ったのだが、辺りをよく見回してみると事情が飲み込める。

(後刻撮影)

以前はレストランや宴会場の入っていた新館の低層階が市立図書館に改装されているのである。

おそらく駅前の一等地という立地の良さに図書館が作れるという市側のメリットと、バブル期の過剰な施設を撤去してそのスペースを公共施設に貸し出して安定的な収入に繋げられるというホテル側の思惑が一致したのだろう。

ただ図書館施設とホテル施設の境界が曖昧(エレベーターなどは共有)な事に加え、バブル期のシティホテルの中にこうしたスペースが現れるというギャップから、かなりの違和感を覚えることも確か。

しかし新館のエレベーターには、ICキーを持っていないと上層階へのボタンを操作できない(海外で良くあるセキュリティ方式)を採用するなど、一定の分離策は講じられている様子。


そして客室はと言うと…バブリーな頃に、ローカルなホテルが無理矢理シティホテルを目指した感が満ちあふれた感じになっている。


まあシティホテルとしてみると狭苦しいことは確かなのだが、並のビジネスホテルと比べると格段に広々とした客室。
そして何よりバストイレがシティホテル仕様なので、お手洗いを使うときに体があちこちに当たってしまったり、一度浸かると二度と出られなくなりそうな狭いバスタブに四苦八苦したりする事がないのが嬉しいところ。

ちなみにもう一方のホテルハイマートにも泊まったことがあるのだが…ビジネスホテル風に、小綺麗でコンパクトにまとまった客室は良かったものの、バストイレもビジネスホテル風なので…それでお値段は殆ど変わらないので、私個人としては、多少古くても広々としたセンチュリーいかやに軍配があがるだろう。(まあコレは完全に個人の好みによるのだが)


そしてこれは両方のホテルに言えることなのだが…どちらも駅前にあるので、多少の当たり外れはあるものの、トレインビューなので、某みん友さんに喜ばれそうな宿である。






部屋に荷物を置いて、少し休憩してから夕食…いや、もう駅そばで夕食は済ませたので、地元の美味しいモノをつまみながら一杯飲みに出掛けることに。
(まあ夕食が駅そばだけでは、あまりに物足りないので…)


手近なところであれば、センチュリーいかや内のレストランという選択肢もあるのだが…
ココのレストランも、やはり“無理矢理シティホテルを目指した”感が満ちあふれていて、出てくるモノはまあ悪くないのだが、必要以上に肩に力が入ったホテル感丸出しのサービスで(それでいて洗練度が低い…)、どうも好きになれないのである。
(まあここのホテルは全体的に背伸びしすぎかと…頑張っていることは解るのだが…)


そこで隣のホテルハイマートのレストラン「多七」の暖簾をくぐることに。


まあ隣のホテルとは言っても、センチュリーいかや本館まで行くよりも、ホテルハイマートのレストランの方が距離的に近いというのもまた事実。(「コ」の字型の真ん中に位置しているため)

そしてココ、何気に地元の食材を使ったメニューも豊富で、地酒も揃っており、味も良く、良心的価格…と、かなりの穴場。
そしてホテル内と言うこともあって、入りやすく安心して利用でき、更に定食やファミレス的なメニューもあるのがポイント大かもしれない。

何よりちょっとした会食で利用している地元の人が多いのも、その実力を物語っていると言えるだろう。


先ずは冷酒とお通し


ちょっと冒険して選んでみたお酒で、まあ悪くはないお酒なのだが…
しかし上越には雪中梅という確かなお酒(甘口が苦手な私でも美味しくいただける)があるので…しかも1合単位で、グレードまで選択してオーダーできるので、二本目からはひたすら雪中梅をオーダー。


そしてワタリガニ



地魚と豆腐の揚げ出し(この日はスズキ)



地魚のカルパッチョ(この日は鯛)


瀬戸内育ちの私のイメージでは、鯛はアナゴと並んで高級魚で、サラダにしてしまうのはなんとも贅沢に思えてしまう…


生タコ(この日は筒石産←前回のブログに筒石駅が登場していることに気付いている方は流石)


…と、こんな肴を片手に新潟の酒を楽しんだ次第。


流石に駅弁も作っているだけあって、他所から訪れた人が喜ぶポイントをよく解っているなぁ、というのが感想。





で、「駅弁が出てこないじゃないか」と怒られそうなので、ちょっと話を脱線させて、回想モードで1つだけ紹介。


ホテルハイマート調製の直江津駅弁「鱈めし」
ホテル側でも一押しのようで、ホテルのフロント横で積み上げて売られていたりもする。

そして何かの賞を取ったとかで、一部では有名な駅弁なのだとか。

味の方は、甘い鱈の甘露煮、塩味のあるタラコ、酢で締めて酸味を持たせた鱈の身…と、味のバラエティが豊富でよく工夫されている駅弁であることは確か。

でも正直言うと、直江津駅には他に美味しい駅弁が沢山あるのに…というのが私の感想。
(でも探しても過去の写真が残っておらず、他の種類を紹介できないのが残念なところ。)

新幹線の開業で人の流れが変わってしまうと…という危惧はあるものの、全国でも有数と言っても過言ではない駅弁文化を持つ駅だけに、これからも何とか営業を続けていって欲しいというのが個人的な希望である。





そして一夜明けて…残念ながら外は雨。


今日のメインイベントが無事に催行されるのかが気になるところ。


とは言え、とにかくホテルをチェックインして、先ずはホテルのレストランで朝食。


そしてこの朝食も“無理矢理シティホテルを目指した”感が満ちあふれているような…

実は今回は朝食付きのプランだったので、宿泊したホテルセンチュリーいかやで朝食を取ることにしたのだが…
前述したように、新館に滞在していると、本館のレストランがあまりに遠いので、チェックアウトでフロントに顔を出す“ついで”に朝食を取ったという次第。

実は朝食もホテルハイマートの方が好みで、和洋はもちろん「カニ雑炊」という選択肢があって、これがナカナカ美味しいのである。朝食なしならもちろんハイマートのレストランに食べに行っていたことだろう。(予約不要なのもポイント大)


まあ結論を言うと…「泊まるならセンチュリーいかや、食べるならハイマート」という事だろうか。
それにしても直江津駅前のホテルだけでこんなに語ってしまうなんて、私って本当に面倒くさい人間だなぁ、と(苦笑





そして外へ出ると雨が…しかし駅前のホテルで、信号さえ渡れば直江津駅なので、傘も開かずに小走りで駅へと駆け込む。



しかし電車には乗らず、そのまま自由通路を通り過ぎて、反対側の出口へと抜けていく。

反対側は裏口的な感じながら、駅舎が船をモチーフにしたデザインになっているあることがよくわかる。(新日本海フェリー風?)



そしてロータリーで待機していたイベント会場へのシャトルバスに乗車


しかし雨天と言うこともあってか、車内はガラガラ。


しかしシャトルバスが来ていると言うことは…今回の目玉であるイベントが催行さるという事であり、ホッとする。


30分程でイベント会場へと到着。


少し上の写真で、シャトルバスに「コッペル一般公開」と書かれていることでお気づきの方もいらっしゃったかと思うのだが…

今回のイベントというのは、現在の北越急行に近いルートで、昭和40年代まで新黒井(現・JR黒井駅付近)-浦川原(現・北越急行うらがわら駅付近)間を結んでいた「頸城鉄道」の動態保存車両の乗車体験会なのである。

(今回は「次回予告」の意味合いでコレだけ。ちなみにこのSLの製造メーカーが独Orenstein&Koppel社なので「コッペル」と呼ばれている次第。)

夏場はおよそ月に1回程度行われている乗車体験会なのだが、10月開催分はイベント色を強め、地元の方の手による屋台が出たり、会場へのシャトルバスも運行されるほか、更に会場と周辺の観光施設を結ぶシャトルバスまで運行されるという、かなり力の入ったイベントになっているのである。


何せ通常開催の場合、アクセスに使える路線バスが1日2往復しかなく、更に周辺観光施設へは徒歩しかないというような不便な場所ということもあり、この拡大版のイベントは絶好の機会と思い今回わざわざやって来たという次第。

実を言うと…今回の旅の出発点であるはずの「佐賀で宿泊する」という目的は、実際のトコロは何もこの時期で無くても構わなかったのである。
実は「九州からの帰路と、直江津までの往路を、通しの切符で買えば安くなる」という事情があって、二週連続で西へ東へとバタバタ動き回るというスケジュールを組んだというのが実態なのである。でも体力的に多少キツかったことは否めず…






…と、話を盛り上げておいて恐縮なのだが、この乗車体験会の話は次回ということにしたい。

そして時系列的には少し変則的になるのだが、先述した“今回に限りシャトルバスが運行されている周辺の観光施設”を先に紹介することにしたい。


直江津駅からのバスは、頸城鉄道の後身でもある頸城自動車というバス会社の手で運行されていたのだが、周辺施設へのアクセス用のシャトルバスは、何と地元の割烹料理店のマイクロバス。おそらく地元のボランティアなのだろう。


しかも路線バスの運転手さんのように、時間を気にするという習慣がないためか、一応時間は決まっているものの、実際は結構アバウトで「10分くらい前後するかも」との事。
まあ実はそれでちょっとしたトラブルがあったのだが、一方で良い意味で“臨機応変”な運行も可能で、それで救われた事もあったりしたのだが、これらはブログで大っぴらに書く話では無いので、詳細は割愛することにしたい。


そして5分ほどで到着したのがこの施設。


坂口記念館という施設で、酒造や応用微生物学の発展に多大な貢献をした故・坂口謹一郎氏に関する資料館(右)と、氏の隠居所(正確には別邸跡に移築した古民家)(左)から構成されている。


入館料を支払い、中へと進むと、先ずは酒造の道具や酒造と信仰に関わるパネル展示など。

(いくら防滴のK-5でも、もう少し気を遣った方が良いのかも…)

そして2階が坂口氏の功績や遺品などを展示するコーナー。更にビデオコーナーで氏の一生に関するものと、酒造りにおける唄の重要性(唄でリズムを取ることで作業のタイミングを掴む)についてのビデオをノンビリと鑑賞。
まあ本当のことを言えば、シャトルバスの時間の絡みで、嫌でもノンビリしなくてはいけなかっただけなのだが。

とは言え、私も分野は違えど一応農学を囓ったことのあるものなので、応用微生物学という学問そのものを確立させた坂口氏について興味深く見学したのだが…

まあ、特に「ここに来ないと体験できないようなスペシャル」がある訳ではなく、まあその気になればネット上でも調べられるような内容が主。
正直言うと、特に思い入れのある人ならともかく、“わざわざ”来るまでもなく、「“ついで”があれば寄ってみたら良いかも」と言った感じの施設だろうか。


そして隣にある氏の隠居所(のあった敷地に近年移築してきた古民家)へと移動。



まあ隣と言っても、資料館の中から雨に濡れずに移動できるのだが。



そして和の落ち着きを感じる建物内で、甘酒とお茶の接待を受けつつシャトルバスの時間まで待機することに。


甘酒の提供は、頸城鉄道のイベントに併せて実施され¥100との案内だったのだが、実際は無料で行われている。


そしてちょっと小雨になったタイミングで庭へ出て正面玄関を撮影。



実はここの庭は椿園になっており、坂口氏が地元へ貢献として、他種多様な品種の椿の収集を行い、庭に植えたのが始まりなのだとか。


時期が良ければ、多様な椿の花を楽しめるとの事なのだが、残念ながら椿を眺めるには季節外れ…


こうして坂口記念館の見学は終了。シャトルバスでイベント会場へと戻ることに。


<つづく>次回(最終回)はこの前後の話…頸城鉄道の動態保存車の体験乗車の話です。
Posted at 2013/11/07 00:34:02 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年10月29日 イイね!

伊王島散策

このブログはこちらの記事(「佐賀城と白いかもめ」)からの続きになります。





長崎駅到着後、先に送迎バスのバス停だけ確認しておいてから、時間まで駅ビル内をぶらぶらして時間を潰す。



そしてバスの時間に併せてバス停へと戻る。送迎バスの待ち合わせ場所というのは、曖昧でよく解らないケースも多いのだが、今回に限って言えば、しっかりバス停が設けられており、非常にわかりやすい。



そして予約しておいた無料送迎バスで次の目的地&今日の宿へと向かう。

(到着後に撮影)


今日の宿は長崎市沖にある伊王島にある「やすらぎ伊王島」というリゾート施設。

伊王島というのは、厳密には伊王島・沖ノ島という二つの隣接した島の通称で、平成の大合併前の旧・伊王島町に所属していた離島で、かつては炭坑の島として栄えたとのこと。
しかし炭坑の閉山後、バブルの追い風に乗って「ルネッサンス伊王島」という南欧風のリゾートを開発し、町興しに努め…というのは、全国でよくある話。

しかし運営主体の変更や、名称を「やすらぎ伊王島」と改めるなど、多少の変化はあるものの、バブル崩壊後の現在に至ってなお、この施設が活況だというのも凄いところで、この施設への滞在と、伊王島(+沖ノ島)散策を今回の旅に取り入れた次第。


送迎バスは長崎市内を通り抜け


造船所などを眺め



30分ほどで、伊王島大橋へと到達し、いよいよ伊王島へと入っていく。


以前、伊王島は離島だったのだが、一昨年この橋が開通し陸続きになっている。





そして、やすらぎ伊王島へと到着

(翌日撮影)

先ず送迎バスにも十人程度の乗客があり、その他の利用者もあり、フロントから大活況。


そして今日は修学旅行生が本館ホテルを使っているとのことで、離れのコテージの部屋にアップグレードとなる。

アップグレードは嬉しいのだが…しかしバブル期のリゾートだけあり、コテージまで3~400m程離れているとのことで、送迎カートでの移動となる。


電話すれば何時でも迎えに来てくれるとのことなのだが…面倒くさいだけなので、結局最初のチェックイン以外、全て散歩がてらフラフラとあるいて行き来することに。


そしてコテージへと到着


「学校みたい」…いや、奥の建物は本物の小学校。コテージは手前の瓦葺きの小さな建物。

後で紹介するが、ここ伊王島は、島の中心の一等地にリゾート施設が鎮座しているため、学校・郵便局・交番・消防署・フェリーターミナルといった公共施設も全てリゾートに併せて南欧風の装いになっているのである。


で、コテージの内部へ。


部屋は「まあ普通」…と思いきや、これがかなり豪華なコテージで…

リビング


台所


2口ある洗面所


浴室


…と、1人で1泊だけ利用するには、かなりオーバースペックなコテージ。


しかしコテージ内の施設はコレだけに留まらず…


何と天然温泉露天風呂まであるという豪華仕様なのである。





室内に露天風呂があるとは言え…折角なので、本館の大浴場へも入ってみることにして、コテージを出発。

実は修学旅行生の貸切時間があるので、早めに入っておく必要があるのである。そしてカレンダーを見る限り、平日を中心に週に3~4回は修学旅行貸切がある様子。
修学旅行に適していると言える長崎市内から、バスで30分程という立地条件と、バブル期の大規模な施設のメリットを生かして、閑散期の平日は修学旅行生を積極的に受け入れて稼働率を上げているのだろう。


子供の遊び場的な空間をちょっと覗いてみてから


足湯と通り過ぎて


浴室へ…と、言いたいところなのだが、日帰り入浴にも開放されている施設で、利用者も多いので写真など撮れるわけが無く、看板の写真で代用。


まあ循環式で、多少の塩素臭は目を瞑るとして…お湯そのものは鉄分を含んでおり、如何にも天然温泉と言った感じ。
さらに施設も民芸調というのか、東北の秘湯を思わせるような雰囲気の浴室は、檜・炭・石と素材の違う浴槽に、それぞれ温度を変えた湯が注がれており、好みの温度や浴槽を選んで楽しむことが出来る。また海に面した露天風呂(上の看板)も雰囲気があってなかなか。


入浴後は、夕食までちょっと半端な時間があり…わざわざ本館まで出て来ていて、部屋に戻るのも面倒なので、マッサージ処で旅の疲れでパンパンになった手足をほぐして貰うことに。


そして時間を見計らってレストランへ。

元々は、いかにもバブル的な、単純にだだっ広い感じの空間だったのだろうが、鉄パイプと簾などを組んでパーティションを作り、いかにもな手作り感あふれる感じながら、程よくこぢんまりとした落ち着いた空間となっており、これはこれでナカナカ。

まあレストランに限らず、バブル期のハコモノを、小さな工夫の積み重ねで、有効利用している感じで、なかなか好印象の施設である。


で、料理もスタッフが細かく、さり気なく進行具合をチェックしながら、順次暖かいものを提供してくれる方式。

なので一括の写真はなく、前付と焼物だけを代表で…



まあ全体の写真が無いので解りにくいのだが、ボリューム的には、「腹八分目」と言った感じの会席料理で、味の満足度も高い。


しかし何故かデザートがコレ


料理は少々軽めで、デザートで満腹感を…という事なのだろうか^^;
お酒を飲んでいたこともあり、「お持ち帰りにしますか?」と聞いてくれたのだが、まあレストランでノンビリと頂くことに。


そしてこのデザートで満腹感を得たので、腹ごなしを兼ねて、近くの馬込教会のライトアップを見に行くことに。(徒歩で片道1km程度)


一旦、コテージへ戻ると遠回りになるので、レストランからそのまま出発。

しかし…お酒を飲んでいたこともあり、どうしても生理現象が…
しかし本館から少し歩き出してからだったので、「途中にある新館で借りれば良いか」とそのまま歩き続けることにしたのだが…

何とアテにしていた新館が休館日との事。要は閑散期は新館の営業を止めて、需給調整をしていたのである。まあこういう工夫の積み上げで、これだけの施設の運営を継続し続けられていると言うことなのだろう。
しかし感心している場合ではなく…結局、教会までの往復で小一時間、我慢し続けたまま…スッキリしていれば、もう少し落ち着いて見学出来たのかもしれないが…





そして翌朝は、チェックアウトが12時とゆっくり目なので、午前中はコテージの露天風呂の入浴や、施設内の散策を楽しんで過ごす。


そういえば朝食バイキングで「朝カレー」と食べていたところ、居合わせた御団塊様に「朝からカレーなんて非常識だ」などと何故か説教されたのだが…(「そうですか~」と軽く流しておいたが)


そしてホテルのレンタサイクルで電動アシストのエネループバイク(¥300/2h)を借りて、島内散策に出発。
アップダウンのある島との事で、ホテルとしても電動アシスト付きを推奨している。(ちなみに通常の自転車なら¥300/3h)


先ずはコテージの裏手から出発



そしてフラットな道を走って、島の西北に位置するビーチへ


リゾートとタイアップした海水浴場で、シーズンなら賑わっているのだろうが…今の時期は至って静か。


そして海岸線から外れて坂を上り


ここで電動アシスト自転車の本領発揮…と思いつつ、昨日・一昨日と散策を続けていたこともあって、足がパンパンで上り坂を漕いで上がる事が出来ず、結局押して上がることに。これでは何と為の電動アシストなのか…


途中でちょっと見かけた墓場


この墓地や昨夜の立派な馬込教会も物語るように…この島はカトリック信仰が盛んな島。
何でも(平成の大合併前の旧)伊王島町は人口に占めるカトリック教徒の割合が日本一の町だったのだとか。


そして自転車を押し上げて、峠のバス停(島内をコミュニティバスが走っている)へと到着。


ココから再び自転車にまたがり…とは言え、下り坂なので電動アシストは必要なく、”重力”アシストでスイスイ走っていくのだが…





そして灯台入口のバス停から、再び急な上り坂…

その上り坂の途中に、真新しい住宅地がみられる。


大変失礼ながら「離島にしては似つかわしくない新しい住宅地だな…」と思ったのだが、実はコレ、移住者向けの農園付きの住宅なのだとか。
伊王島大橋も開通して、長崎市から車で30分そこそこでこの環境なら…なかなか良いかも知れない。


そして灯台手前の駐輪場に自転車を置いて、徒歩で伊王島灯台へと向かう。


ここ伊王島灯台は、長崎港への入口に位置している重要な灯台であり、1866年の江戸条約に基づいて作られた8灯台の一つ。
歴史ある灯台なのだが、当初の灯台は原爆の爆風で被害を受けたため、現在の灯台は1954年に改築されたものである。


現在の灯台の真横に、当時の灯台の基礎が残されている。



そして灯台から先、岬の方へと公園が続いているのだが…

灯台の真下にある資料館の管理人さんから、「もうすぐ昼休みにはいるから、もし資料館を見ていくなら先に見て行ってよ!」と声が掛かり、先に灯台資料館を見学することに。

灯台そのものは改築されたものの、吏員退息所(灯台職員官舎)は、長崎市から見て反対側の斜面に位置していることもあり、山が盾になったのか、原爆による大きな被害もなく残り、灯台そのものが無人化された現在では資料館として開放されている。


何でも明治10年の建造で、日本で最初の無筋コンクリート造の建造物なのだとか。


味のある洋館の母屋が資料館





灯台の閃光レンズも展示されているのだが、残念ながらこれはココの灯台のものではなく、同じ長崎県内の二神島灯台で使われていたものなのだとか。


管理人さんが見学者が来る度に電源を入れて、点灯・回転の実演をしてくれる。


そして隣にある土蔵風の建物…


コレはバス・トイレの施設


洋館の母屋と比べて、かなり和風なのが面白いところ。


そして灯台の先にある公園(砲台跡)で一息ついて



長崎市方面や


これまた炭坑の島として栄えた高島と、右手にちょっとだけ見えている有名な軍艦島(端島)を眺め


伊王島灯台散策は終了。まあ伊王島の目立った見所と言えば、この灯台くらいなのだが…





そして伊王島灯台を後に、コミュニティバスも走らない、島の南部へと進んでいく。相変わらずかなりのアップダウン。



しばらく進むと、ちょっと下の方に教会が見えてくる。


これは大明寺教会という教会で…今の建物はまだ新しいものなのだが、1879年創建の先代の建物は日本風の趣を持つ教会であり、現在は博物館明治村へと移築されており、そちらで見学することが出来る。

もう少し近寄って見学してみても良かったのだが、歴史的な建造物ならともかく、ただの教会にわざわざ見学に行くというのも何だか失礼な話のような気がするのと、行ったら行ったで色々気を遣わせてしまいかねないような気がして、遠くから外見を見学するに留めることに。


そして如何にも離島と言った生活を垣間見ながら…



ちょっと道に迷いながら、次の目的地「僧都・俊寛の墓」を発見。


しかしまた坂を下らなくてはいけない。
(下ったら、また戻って来なくてはいけない可能性が大きいわけで…)


平家打倒を図った、鹿ケ谷の陰謀の失敗により、鬼界ヶ島へ流罪となった僧で、配流先でその生涯を閉じることとなったのだが…

現在ではその「鬼界ヶ島」がどこの島を指すのかという点でまだ議論があるだんかいなのだが、奄美の喜界島を始め、各地に俊寛ゆかりとされる史跡が存在しており、ここ伊王島にも俊寛の墓とされる墓が存在するという次第。


しかしその墓は何と「中央児童公園」の一角に…




そして、この先、そのまま旧・伊王島の中心部へと下っていけることを期待していたのだが…


残念ながら階段のみで、自転車は通行不可。
仕方なく、一旦自転車を押し上げてから、改めて車道を“重力アシスト”で一気に下っていくことに。





そして旧・伊王島の中心部は、パッと見、運河があるように思えるのだが…


実はこれ、歴とした「海峡」で、写真の左側が伊王島、そして右側が沖ノ島(共に旧・伊王島町)となっており、二つの島は何本かの橋で結ばれ、事実上一体化しているのである。


今度は沖ノ島へと入り、南海岸を走っていく。


まるで北海道の檜山の海岸線でも走っているような光景である。


そして沖ノ島南海岸の見所と言えば…


「畦の岩這」という海岸で…まあ夕日の名所として有名なスポットなので、日中に訪れても、特に感動があるわけではない。


そしてあっという間に島の東海岸へと回ってきてしまう。

ココでは、一昨年開通したばかりの、内地からの連絡橋「伊王島大橋」が眺められる。この橋の開通で伊王島は「離島」では無くなったのである。



間近で見ると、かなり大がかりな建造物なのだが、これは橋の下が船の航路になっているため、高さを確保するために大がかりになっているのだとか。



そして沖ノ島の北海岸へと入り、こんな教会に到着。



そう、コレは昨夜ライトアップを見に来た馬込教会。


休日であれば内部も見学できるとのことだが、今は代休消化中の平日…





こうして伊王島と沖ノ島を簡単に一周し、旧・伊王島町中心部にあるホテルへと戻ってくる。


ちなみに上の写真は、沖ノ島と伊王島を結ぶ1つの橋の上から、伊王島方向を撮影したもの。

こうしてホテルへと戻り、島一周サイクリングは終了。
所要時間はちょうど2時間。ホテル側の案内では「電動アシストなら1時間半くらい」との事だったので、足がパンパンで上り坂をのんびり押し上げていたことや、灯台でのんびりと過ごしていたことを考えると、まあこんなものなのかと言ったところ。


そして自転車を返却してから、ホテルのある旧・伊王島町中心部を散策。

先述したように、リゾートが町の中心部にデンと立地していることに併せて、町の公共施設も南欧風で統一されている。

先ずは伊王島ターミナル(定期船と路線バスの発着所)


公園(というかリゾート施設の一部)


正面奥が消防団、その右が郵便局、そして交番



こうして伊王島散策を終え、次のアクティビティへと向かうのだが…実は私の事前の確認不足と、相手側の告知不足が重なって、ちょっと面倒な事態が発生してしまうことに。

そもそも「“大人の事情”が絡んで、ややシステムが変則的になっている」事が発端であり、不特定多数が閲覧できるネット上にこの一部始終を書くわけにもいかないため、少々<中略>という形にして、次回はそのアクティビティに既に参加した状態から続きを書くことにしたいと思います。悪しからず。(またこの件についてのご質問は一切受け付けませんのでご了承願います。)


<中略> そして<つづく>
Posted at 2013/10/29 22:58:34 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年10月24日 イイね!

佐賀城と白いかもめ

このブログはこちらの記事(「唐津散策」)からの続きになります。





先ず最初にご報告から…

唐津・高島の宝当神社で買ったこの西日本宝くじ、今日が抽選日。


バラで20枚買っていたのですが、7等100円が2枚(コレは当たり前か)に加え、6等1000円が1枚当たっていました。
後者の当選確率は1/5なので、御利益があったと言えばあったということになるのでしょうか。

でも2000円払って、リターンが1200円なので、赤字には違いないのですが…まあ、結果がわかるまでの間、色々妄想を楽しませてくれましたから、まあ良しとしましょう(笑





唐津散策を終え、下校高校生で賑わう唐津線の普通列車で佐賀駅へと移動。

佐賀駅に到着したときには既に辺りは真っ暗。

(佐賀駅到着後、折り返しの西唐津行きとして出発準備中の写真)

佐賀駅



唐津の次の訪問地は、佐賀県の県庁所在地でもある佐賀市。

青春18きっぷでウロウロしていた時分に、何度か列車の乗り換えなどで利用したことがあるものの、特に散策などはしておらず、駅前の西友に行った記憶しかないという有様。

そんな訳なので、「県庁所在地くらい、一度は散策しておきたい」という考えから、今回少しだけながら散策をしてみることにした次第。
(素通りや乗り換えばかりで、殆ど散策をしていない県庁所在地と言えば、他には前橋市くらいだろうか)


とは言え、もう時間が時間なので、先ずは駅近くのビジネスホテルにチェックイン。
駅から徒歩1分で、パン・コーヒー・バナナというシンプルな内容ながら一応は朝食付きで¥3900という価格なので、全く期待していなかったのだが…



清潔で広々とした客室で、しかも簡単な土間があり、室内は靴を脱いで過ごせるという快適さ。それにバスルームの造りがゆったりしているというのもポイント大。

フロントの対応も良く、もう文句なしで大満足のビジネスホテルである。


とりあえず荷物を置いて、身軽になってから、駅前の西友へ。

前にもここの西友に立ち寄っているのだが…駅近くにありながら、営業時間も長く(食品売場に至っては24h)、旅先で急に必要になった日用品類などの買い出しに重宝することもあって、何故かここの西友には何度か立ち寄っているのである。

今回は「天気予報が下り坂なのに、折りたたみ傘が壊れてしまった」という事態が発生してしまったので、観光地価格ではない通常の価格で、色々選んで買えるのは有り難いところ。

実は過去にも「想定外のアクシデントで着替えが足らなくなった」などの理由で、旅先でスーパーのお世話になることが時々あって…
旅先での私の行動パターン的に便利な立地・営業時間の大規模総合スーパーというのがいくつか存在していて、これらの店は何故か何度も同じ店を利用しているのである。
(我ながら不思議なのだが、佐賀の西友のほか、天神と仙台のダイエー、帯広の長崎屋、紀伊佐野のオークワ、深浦のマックスバリューなどが何故か定番になっているのである。)


そして必要なものを入手した後は、駅前のラーメン店へふらりと入って夕食。

清潔感や入りやすさというのもポイントだったのだが、「そこそこ客が入っている(閑古鳥が鳴いていない)が、かといって混雑もしていない」という混み具合も決め手。


で、この店が大当たり


癖のない豚骨スープに、チャンポン風に野菜を大量投入したラーメンで、九州風のラーメンはもちろん、野菜も美味しく食べられて大満足。近くにあったら毎日通いたい店である。

また餃子もしっとり感を残しつつ、カリッとした感覚も楽しめる皮と、シンプルにうま味を感じられる具、更に絶妙な焼き加減も相まって、これまた素晴らしい。

ただアルコールが、「瓶ビール」と「焼酎ボトル売り」という選択肢しか無く、気軽にちょっと飲めないのが残念なところだろうか…(結果的に休肝日となった





そして翌日。14時半過ぎの列車で次へと移動することになっているので、持ち時間は午前中のみ。


そこで先ずは佐賀城をターゲットとし、その後の残り時間次第で、周辺にいくつかある資料館施設を見学、あるいはかなり余裕があれば郊外の歴史的スポットまで足を伸ばす事にして、先ずは佐賀城へ。

佐賀城は駅から歩いても30分程との事なのだが、往路は余裕を持たせるという意味合いも考慮し、駅東側のバスセンターから市バスを利用して移動。


佐賀城まで入るバス系統は少ないものの、かつての城内に立地する佐賀県庁まで乗り入れ、あるいは経由する系統は多くあるので1番早く出発するバスにのり、車内で配布されていた路線図・時刻表冊子と睨めっこしつつ、博物館前のバス停で下車。

博物館も旧城内に立地しており、佐賀城(本丸)は道を挟んだすぐ向かい側。

バスを降りると、目の前に石垣が伸びている


但し佐賀城本丸歴史館の入口は反対側にあるため、少し歩かなければならない…

とは言え、本丸の敷地内を通り抜ける事ができるので、見学がてらの散策だと思えば何も問題はない。


近くの門から、本丸へと入っていく


写真右奥が天守台なのだが…実はこの天守台、本丸側から入ることが出来ず、再び門の外(二ノ丸側)に出て、そちらから上っていくことになる。



そして天守台の上部へ。


元々天守閣が存在していたのだが、江戸時代に焼失した後は、天下太平の時代ということもあってそのまま再建されることは無く、今日に至っている。

明治以降は測候所として使われていたとのことなのだが、現在ではそれも廃止され、天守台の上部は空き地となっている。

まあ味気ないと言えば味気ないのだが、唐津城のように出鱈目な模造天守を建てて石垣にダメージを与えてしまうよりは数段マトモだろう。





そして往時から一貫して残っている唯一の現存建造物の鯱の門(国重要文化財)をくぐり



2004年に再建された本丸御殿とご対面(左手の石垣は天守台)


佐賀城の本丸は天守も含め1726年に焼失。その後佐賀藩の政庁機能は二ノ丸へ移っていたものの1835年にそちらも焼失。
そのため1838年に本丸御殿を建造し、佐賀藩の政庁を移転し、そこで明治維新を迎えることになる。

その後、本丸御殿は師範学校校舎などに転用された後、大正期に老朽化のため取り壊されることになる。
しかし元々の建造が1838年と新しく、当時の図面なども現存し、しかも一部の建物は取り壊しを免れて現存していたため、その建物の調査や、発掘調査の成果を参考にし、2004年に本丸御殿が再建されることとなり、当時の間取りや工法により建造され、「佐賀城本丸歴史館」として公開されるに至っている。


その本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)へと入館。


ちなみに入館料の定めはなく、任意の寄付制。
(よくある“事実上の入館料”として寄付を強要するような形ではなく、本当の意味で任意の寄付。)


ちなみにこの再建された本丸御殿…


元々の遺跡を傷つけないように、砂利で埋めてから、その上に30cmのコンクリートの層を設けて…と厳重な対応で建造されている。(唐津城も少しは見習った方が…)


そして館内はボランティアガイドの方が案内してくれるのだが、まあ元々が素人なのでクオリティを求めるのは酷というもので、リタイアした世代が暇つぶしに、構成も考えずに好き勝手なことをしゃべり続けているだけ。

なので一通り案内してもらってから、改めて自由見学という形でじっくりと見学。

建物の話をすれば、築10年ほどなので、まだまだ新しく綺麗。





そして旧藩主の御座所は、大正時代の取り壊しを免れ、城外へ移築され公民館として使用されていたものを、本丸御殿の再建に伴い元の場所へ再び戻したという歴史ある建物。





そして展示品は撮影禁止なので写真は無いだが、佐賀藩や佐賀藩出身の偉人を紹介したコーナーもあり、これがナカナカの見応え。

佐賀藩鍋島家と言えば、龍造寺家から佐賀を譲受する格好で力を持ったことや、幕末の雄藩の一つで、その後も皇室との姻戚関係を多く持つなど、名家であるといった程度の知識しかなかったのだが…

特に幕末期において、西洋の科学技術や医学を積極的に取り入れ、幕末期には幕府から大砲製造の注文を受けるに至り、それと関連して近代的金属工業の研究・開発が行われていたり、また医学では藩主自ら予防接種を体験するなど、日本の近代化に大きな役割を果たしたことが紹介されていたのが興味深いところ。
当時の図面や、機器の模型や再現品、さらには豊富な映像を使った、練り上げられた展示に見入ってしまい、時間ギリギリまでじっくり見学。


結局、佐賀城だけで持ち時間の4時間全てを費やしてしまうことに。

他の場所へは足を運べなかったのだが…逆に佐賀藩の科学技術について知ってしまうと、“時間があれば”程度に考えていた佐賀市郊外の某史跡が気になるところ。
まあこれはまた機会を改めて、十分な時間を確保して見学の機会を設けることにしたい。

佐賀そのものは鹿児島本線から其処まで遠くもなく、宮崎や長崎と比べれば、その気にさえなれば簡単に訪れることのできる場所なので、そう遠くないうちに機会があるものと思うところ。

まあ今回は今までノーチェックに近かった佐賀や佐賀藩に興味を持つことが出来、今後の旅に向けた情報収集や動機付けが出来ただけでも十分な収穫だろう。





そんな事を言いつつも、しっかり昼食の時間だけは確保していた私…

佐賀城本丸を後に、同じ佐賀城内(二ノ丸?三ノ丸?)に立地する佐賀県庁へ。


奥の新行政棟と呼ばれる高層棟は、有明海へと続く地盤の良くない佐賀市にあっては珍しい高層建築物。


で、その新行政棟の11階(R階)は展望室として、一般に開放されている。


佐賀城本丸や、佐賀県庁などが、お堀に囲われた城内であることが手に取るようにわかるスポットなのだが…


あまり時間がないので、展望フロアにあるレストラン「志乃」へ入り、佐賀のご当地B級グルメ「シシリアンライス」を注文。


ちなみにお値段¥1050(ランチタイムで味噌汁・コーヒー・デザートサービス)

写真で見ると、ただの「マヨネーズのかかった野菜サラダ」にしか見えないのだが…

細かく説明すると、ライスの上に、炒めた薄切り牛肉を載せ、更にその上から野菜をトッピングして、仕上げにマヨネーズを掛けたもの。
更に身近なもので例えると…すき家で、牛丼に野菜をトッピングにしてしまった感じとでも言うのだろうか。

しかし、意外にマヨネーズ+野菜+牛肉というコラボがあっていて、なかなか美味しいのである。しかも揚げ蓮根のカリカリ感が良いアクセントになっている。

更に言うと、ここのレストラン…使っている牛肉が佐賀牛のA5クラスだというのが凄いところ。
上ですき家に例えてしまったのだが、牛肉のクオリティは全く違っていて、柔らかさと甘みを感じさせられ、一口で高級和牛だとわかる逸品。

この味でこのクオリティ、さらに立地やサービスも考えると、¥1050という価格はかなり良心的だと言えるだろう。





しかし佐賀城で予定外で時間を費やしてしまったため、列車の時間が迫ってしまい、あわててタクシーを飛ばして佐賀駅へと戻る羽目に。
(それにしても今回の旅、短距離ながらやたらとタクシーを使っているような…)


そしてホームへ上がると、乗車予定の特急かもめがもう入線してくるところ。


今回は885系の「白いかもめ」である。


そして今回はグリーン車を利用


実はみんカラお友達のocyappachiさんの「列車で旅をする時は、グリーン車を利用出来るのならなるべく奮発するように心掛けている。」という言葉に触発されてしまったのが一つなのだが…


それから、佐賀駅から次の経由地である長崎駅の間の営業距離が何と「100.3km」と言うこと…端数の0.3kmがあるが為に特急料金が一気に上がってしまう…

しかし佐賀-長崎という需要も一定あり、しかも競合のバスなども無いことから、JR九州としてもここは配慮せざるを得ないようで、インターネット予約限定の割引切符を導入するなどして、割高感を感じさせないような配慮も行われている。

そしてこの割引切符を使えば、グリーン車も¥800程の追加料金で気軽に利用できるため、利用することにした次第。


それに実を言うと、私、JR九州のグリーン車は散々乗っているので、今となっては正規料金を払って、しかも短距離でわざわざグリーン車乗ろうとも思わないのだが…今回は「この追加料金なら」という判断が働いた次第。

その昔、ニューワイド周遊券が存在した時代は、船なども組み入れたルートで九州入りし、夜行列車を宿代わりにしながら、九州を回っていたのだが…
98年頃にニューワイド周遊券の廃止された後、九州までの往復がJRor飛行機に限定された周遊切符では使い勝手が悪く、仕方なく往復は別に手配することにして、九州内ではグリーン車が乗り放題の「豪遊券」を愛用していたため、JR九州のグリーン車は数え切れないほど乗った事があるのである。
また夜行を宿代わりにするという意味では、事前に座席が指定できて、しかもグリーン車にのれる豪遊券は非常に有り難い切符だったのも確か。
私の記憶が正しければ、その豪遊券は、3日間グリーン車を含むJR九州全線乗り放題で2万円台前半という破格の設定だったはず。それに当時はまだ九州内の夜行列車(ドリームつばめ・ドリームにちりん)があって宿代が浮くことも考えれば、かなりのお値打ちだったかと。
(まあ当時はまだ若くて夜行連泊も苦にならなかったというのも大きな要因なのだが…。また、そんな事もあって、JR九州は早い時期に全線乗車を達成した会社でもあります。)

ただ計算外だったのは…いつの間にかJR九州のグリーン車サービスが簡素化され、ドリンクサービスなどが廃止され、飴玉の配布にグレードダウンしていたことくらいだろうか。


そして列車は有明海を望みながら走行(車内で車窓案内アナウンスがあるのが親切)



そして一時間あまりで終点の長崎駅へと到着。




<つづく>

この後、2編ほど長崎県編が続きます。

とは言え、長崎そのものは何度となく訪れている地なので、出島やグラバー邸などの定番スポットへ行く訳でもなく、皿うどんやチャンポンを食べるわけでもなく…
ややマニアックな内容になることを予めお断りさせていただきます。

それにしても今回はちょっと脱線した内容が多すぎたような…(大汗
Posted at 2013/10/24 22:46:54 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年08月24日 イイね!

五新線専用道を走るバスに乗る(後編)

※今回の内容は「五新線専用道を走るバスに乗る(前編)」からの続きとなります。
※繰り返しとなる説明などは省略していますので、前編と併せて読んでいただけると幸いです。

※また特記がない限り、撮影機材は「FUJIFILM X-E1 (PRO Neg. Hi) + XC16-50mm」となります。




バス専用道として使われている区間は、旧・西吉野村の中心部の「専用道城戸」バス停(国鉄バス時代は「城戸駅」)で終了。
この先も天辻峠を越えて、阪本地区まで鉄道施設が作られているのものの、こちらは専用道としては使用されておらず、一般人が通行する機会は基本的に無い。


元々、城戸駅には交換設備を設ける予定だったようで、かなり広い敷地が確保されており、構内の余剰敷地は五條市西吉野支所(旧・西吉野村役場)の駐車場として使用されており、バス車窓から役場関係者のものと思われる車が停まっているのが見える。



そして専用道城戸のバス停へと到着。

ここから先、バスは専用道を外れて、1km程東にある西吉野温泉まで乗り入れて折り返すのだが、このまま乗っていっても、温泉の営業開始時間前に到着してしまい手持ち無沙汰になるだけ。
なので温泉は後のお楽しみに残しておき、一旦専用道城戸で下車し、バスが西吉野温泉まで行って折り返してくる約20分程、ここのバス停の観察に当てることにしたい。


ここのバス停は、かつて国鉄バスの運行拠点として使われていたこともあり、待合所やロータリーを兼ね備えた、ちょっとしたバスターミナルになっている。

南側(阪本方面)から撮影


北側(五条方面)から撮影


駅舎は、小さな待合室とトイレを除き、雨戸が閉まったままになっているものの、往時はバス駅ながら駅員が常駐し、また乗務員の休憩所なども設けられていたとの事。


待合室内部の様子


おそらく正面のシャッターがかつての窓口跡。
そして待合室に置かれている灰皿がJR西日本バスカラーになっているのがポイントだろう。


他に「駅」らしいものと言えば、周辺の名所案内。



そしてバスが戻ってくるまでの間、ちょっとだけ周辺を歩いてみることに。

先ずは専用道の終点のゲートと待合所


ちなみに三角屋根の建物は西吉野タクシーというタクシー会社。
こちらは現役の会社でタクシーが1~2台程度、待機していることが多い。


ちなみに国道側を走るバスから、この駅を見上げた画がコレ

*SIGMA DP1
日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗るより引用)

三角屋根のタクシー会社と、その左手に四角い待合室があるのが解るだろうか。
しかし何も知らないと、本当に鉄道の駅があるようにも見えそうな画である。


そして上の写真ではタクシー会社の右手に、立派な高架橋が続いているのが見えるのだが、これを間近で見るとこんな感じ。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8


この高架橋から先は専用道としては使われておらず、橋の上のスペースも役場の駐車場として使用されている。



この高架橋の奥にはトンネルが続いているのだが、こちらはもう使用されておらず、フェンスで閉じられている。


それにしてもトンネルから、もくもくと霧が吐き出されており、何となく不気味な雰囲気。


橋のたもとから、ふと下を見下ろすと、一般道から専用道に繋がるスロープをワゴン車が上ってくる。


ちなみにこのワゴン車は自治体が運行するバスで、奈良交通が撤退した支線系統のバスの代替として運行されているもの。

ちなみにこのバスの乗客はおばあさんが1人で、専用道経由のバスへと乗り継いで五條市内へと向かう様子。


そのバスが走ってきたスロープを観察。


ちなみに正面に見える、大きな焦げ茶色の建物が五條市西吉野支所(旧・西吉野村役場)である。


このスロープは単純に一般道と専用道を繋ぐスロープとしての役割もあり、先ほど乗ってきたバスもこのスロープを下って一般道へ下りて西吉野温泉へと走り去っていった。

しかしそもそも専用道城戸(城戸駅)は西吉野村の中心部と川を挟んだ対岸にあるため、このスロープは純粋に橋としての役割も果たしており、これを上らないことにはバス停へとアクセスできないのである。
そしてもし鉄道の駅が開業していたならば、駅前へ乗り入れる道路として重要な役割を果たしていたに違いない。


とは言え、駅は周辺と比べれば1段高いところに位置しているわけで…

もし鉄道が通っていたなら、スロープの上にバスの回転場など設けることはスペース的に難しそうで、支線系統のバスで城戸まで来たものの、駅前までは乗り入れないので、このスロープを徒歩で上がらなければ鉄道に乗り換えできない…という事になっていた可能性もある。

そう考えると現状の「支線系統のバスも専用道のバス停まで乗り入れる」「本線系統のバスの殆どが、スロープの上の専用道ではなく、平面上の国道にあるバス停に停車する」という現状は、実はお年寄りにとっては便利なのかも知れない。


もう少し時間があるので、スロープを下りてみることに。



スロープの入口から


こうして見ると、実に立派な高架橋である。


そしてスロープ入口にはこんな看板が…


「国鉄」の文字の上に張り物をして、「JR西日本」と訂正しているものの、「バス前お土産店」とあり、この専用道城戸(旧・城戸駅)バス停が「駅」として認識されていたことを物語っている。
(念のため再度説明しておくと、この五新線は鉄道用として作られたものの、実際に鉄道が走ったことは無い未成線なのである。)

しかしその土産物屋も今では見あたらず…現在はタクシー会社が使っている建物か、あるいはその横のシャッター付き駐車場がその土産物屋だったのだろう。
(そういえば、何故か今はそのタクシー会社で「地元産の蒟蒻」など売っているのだが。)


そして少し離れた、国道近くから撮影した写真

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8





こうしている内に、西吉野温泉まで往復してきたバスが、折り返しの五條バスセンター行きとなって戻ってくる。


往路は私1人の貸切状態だったのだが、今度は先ほど自治体バスでやってきたおばあさんも一緒に乗り込む。

このおばあさんと運転手さんは顔見知りのようで、「今日、おじいさんはどうしているの?」と言った具合に気さくに会話を交わしている。


そしてバスは先ほど通ってきた道を戻っていく

トンネルに入り


トンネル内の霧に驚き


如何にも、鉄道らしさを感じさせる専用道を走行


まあ細かなことは前回との繰り返しになってしまうので省略。


しかし単線鉄道分の幅しかない専用道ならではの事件(?)もあって…


何と飼い主から逃げた犬が専用道に立ち入って道をふさいでいるのである。


しかも相手が犬なので、「路肩に避ける」などという気の利いた行動が出来るはずもなく…

バスを停めてしまい、しばらく睨み合いのような状態が続いた後、歩き始めたものの、よりによってバスの前を歩いていくため、バスは完全に犬に先導される格好に。


何しろ元が単線鉄道なので、犬を追い越せるだけの道幅もなく、このまま次のバス停までずっと犬の後ろを走る羽目になったのである。






で、私はその“次のバス停”で下車し、散策へと移ることにする。

しかしバス停であれば、バス同士の交換用に多少広めに作られているので…
これこそ犬を追い抜く絶好の機会。私が下車すると早々に扉を閉めて慌てて発進。そして一気に犬を追い越して去っていったのである。


下車したのは、前編でも少しだけ紹介した賀名生バス停。

五条方面から撮影


周囲より少し高い場所に存在していて、前後をトンネルと橋梁に挟まれているという、いかにも専用道らしい立地条件のバス停である。


ここも元々、鉄道の駅が計画されていたバス停だけに少し広めの敷地が確保されている。

城戸方面から撮影(奥に橋梁→トンネルと専用道が続いていく)


しかし前後をトンネルと橋梁に挟まれていることから考えると、交換設備を設けられるだけの長さは無さそうで、おそらく駅舎+ホーム1面+線路1線といったシンプルな構造になっていたものと思われる。

そういえば現在専用道として使われている範囲内で、鉄道の駅が計画されていたのは、ここ賀名生と、先ほどの城戸だけであり、鉄道として開通したところで五条-城戸間は1閉塞になっていたのかも知れない。

(ちなみに駅に関して言えば、五條市内で専用道に入る手前、現在は専用道として使われていない区間にも駅が1つ予定されていたほか、もしかすると正規の「駅」としてではなく簡易な「停留所」として駅が設けられた可能性も否定は出来ないのだが。)


そして小さな待合所があるだけのバス停ではあるのだが…



有名な賀名生梅林や南朝関係の史跡の最寄りということもあり、しっかり観光案内がある。

またもう運行期間は終了しているのだが、梅のシーズンなどを中心に、観光客向けの「ごじょう周遊バス」というバスが運行される旨の案内も掲示されている。
このバスは、2~5月の運行期間中の土日祝、日中に1日3往復、しかも無料で、更に専用道経由で運行されるとの事。

専用道経由の路線バスは、特に土日祝は早朝に1日1往復だけの運行と言うこともあり、かなりハードルが高くなっているが、このバスが運行されている期間を狙えば、比較的気軽に専用道経由のバスに乗車できるだろう。


そしてここのバス停から、集落へと続くルートはこんな道。



しかし下(集落側)から見てみると、そこはかとなく鉄道っぽい雰囲気がある。



おそらくこの階段が駅の正面玄関と繋がる予定だったのだろう。


そして駅の裏側には…


以前にも紹介した映画「萌の朱雀」で、主人公がバイクで送ってもらい専用道バスへと乗り継ぐシーンで使われているスロープがある。
(バイクが専用道バス停へとこのスロープを上がってくるシーンが多くある)

またこの賀名生バス停そのものも、映画で頻繁に登場する場所でもある。


※ここで専用道の話は終わりです。もう専用道の話題はもう出て来ませんので、専用道だけを目当てにされている方は、ここで中断されても宜しいかと思います。





そしてスロープから再び専用道に上がり、五条方面へ数十m進んでみると…


右手の橋梁と、その先のトンネル(見えにくいが…)が、専用道。

そして左手の立派な茅葺きの古民家が堀家住宅。
この堀家というのは、南北朝時代に、一時その住居が南朝の御所として使用された事もある、由緒ある地元の名士。

現在残る母屋は江戸時代の建物とのことだが、南朝当時の建物を一部再利用している箇所もあるのだとか。
ちなみに今でもこの敷地内に堀家の末裔が実際に居住しているというのが凄いところ。


今回はそんな賀名生地区をちょっとだけ散策してみることにしたい。

※今回は南北朝時代の話が出てくるのだが、少々マニアックな部分とは言え、教科書に出ているような日本史の単語や知識についての細かな説明は省略することにします。
但し一つだけ申し述べておくと、たまたま後醍醐天皇が存命のうちは吉野に拠点があったことから「南朝=吉野」と思われがちなのだが、それは南朝の歴史のなかではごく一部の期間に過ぎず、実際は勢力の盛衰に応じて、南朝の拠点はここ賀名生を含む大和・河内・摂津・山城といったエリア内で移動を繰り返していたのが実情であることを留意していただきたいと思います。



ちなみに「賀名生」と書いて「あのう」と読むのだが、元々は「穴生」(あなふ)という漢字が当てられていたのだが…

後村上天皇がこの地に移ってきた際に、南北朝の統一が“叶う”ようにと、「叶名生」(かなう)と地名を改め、更にその後一時的にではあるが「正平一統」として南北朝の統一が実現した際に、その喜びから“賀”の文字を充て「賀名生」と改められたという由来がある。

しかし漢字表記はともかく、地元では昔からの「あのう」という読み方で通っており、明治以降昭和34年まで、正式な村名が「賀名生村」(読みはあのう)とされたいたのだが、昭和34年に合併により西吉野村となって以降、この地名は消滅。
しかし歴史ある地名を復活させようという動きがあり、平成23年になって「五條市西吉野町賀名生」という形で由緒ある地名が復活したという次第。


そして賀名生の集落は専用道とは川を挟んだ対岸にあり、橋を渡っていくことになるのが…

橋の上から眺めると、ますます専用道が鉄道らしく見えている。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8

そして反対側は静かな雰囲気



更に味のある集落の中を通り抜け



先ほど、専用道側(川の対岸)から見ていた堀家住宅の正面に到着


まあもちろん今では皇居でも何でもないのだが、正面には「皇居」と書かれた立派な扁額が掲げられている。

まあここは元々あった堀家の屋敷に、南朝の天皇が身を寄せるような形で滞在し、御所として使われていた…とそんなトコロだろうか。


ちなみに内部の公開は…春と秋に1回ずつ予約制で行われるという説や、事前申込で奥さんの都合が良ければOKという説、更には研究等の目的でのみ受け入れてくれるという説など、諸説あるようなのだが、要は「原則非公開だが応相談」という事なのだろう。
(※興味のある方は、直接堀家へアポを取るのではなく、先ずは役場や観光協会などを通して問い合わせてみるべきだろう。)

まあ「突然訪れても、まず見学は不可能」という事だけは確かなので、今回は外観だけの見学に留める。


そしてこの“皇居”のすぐ横には、ちょっとした公園があり、その一角に資料館が建っている。


ココはいわゆる民俗資料館的な内容に加え、堀家に伝わる南朝や天誅組由来の文物を展示している施設なのだが、残念ながら撮影禁止のため写真は無し。

しかし後醍醐天皇から下賜された、現存最古の日の丸など興味深い文物も多く、興味深く見学。

元々はこうした品物は堀家で保管されていたのだが、1個人である堀家で管理するには膨大で、また実際に泥棒に入られるなどの事件もあったことから、自治体が資料館を整備し、堀家の文物を寄託する形で保管・公開しているのだとか。

また館内の休息スペースも綺麗で居心地が良く、バスの時間までしばし休憩。





そしてバスの時間を見計らい、今度は国道沿いの賀名生和田北口というバス停へと移動。


専用道経由のバスはもう夕方まで走っていないので、この後の移動は国道経由のバスを利用することになる。


専用道の賀名生停留所とは川を挟んで、徒歩2~3分と言ったところ。
しかし国道のバス停と専用道のバス停は、必ず別の名前を付けて厳密に区別されており、すぐ横にあっても同じ停留所名という事は無い。

多くの場合、国道のバス停が「○○」なら、専用道のバス停が「専用道○○」のように、「専用道」と冠して区別されているのだが(例えば「城戸」と「専用道城戸」)、ここ賀名生に冠しては例外で、専用道のバス停がただの「賀名生」、一般道のバス停が「賀名生○○○」(例えば「賀名生和田」「賀名生農協」など)となっている。

そして実は専用道の「賀名生」と対応するバス停が、この「賀名生和田北口」であるということは、実際に現地に行ってみるまで把握していなかったのだが…


そして走ってきたバスは…

*FUJIFILM X-E1(RAW) + XC16-50mm

私のブログを見て下さっている方なら、「どこかで見たような…」と思われるかも知れないのだが、実はコレ、八木駅から走ってきた八木新宮線の特急バスで、数日前に八木駅から新宮駅まで乗り通したのと同じ便なのである。

数日前に乗ったばかりなので、八木駅から延々と走り続けて来ていることは先刻承知しており、まあ10分程度遅れて来たものの「まあ仕方ないね~」と笑って済ませることができる。


そしてバスに乗り込むと、新宮まで乗り通したときは意識もしていなかったのだが、普通にICカードが使えるなど、意外と都会的。

更に新宮まで乗り通したときは、バス目当てに来た人だけで十数人と大賑わいだったのだが、今回は地元客風の人が中心で、バス目当てらしい人は1~2人と言ったところ。(1人1人に聞いて回ったわけではないので、パッと見て地元客らしからぬ人やあるいは如何にもな感じの人が…という意味。)

それに数日前、新宮まで一緒に乗り通した運転手さんがたまたま乗務しており、顔を覚えていてくれたのが嬉しいところ。


先ほどバスで往復してきた第七丹生川橋梁を見上げて

*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm


バスは改良済みの国道を気持ちよく快走。

単線鉄道規格の専用道とは異なり、トンネルでも特に神経を使う事なくスイスイ走行。


これほど国道が改良されてしまうと、専用道経由のバスと所要時間が逆転してしまうのも納得できるところ。


そして今度は国道沿いの「城戸」バス停で下車。

国道沿いのバス停から専用道城戸方面をみるとこんな感じ。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8

「専用道城戸」バス停との位置関係がわかるだろうか。





そして次のお目当ては、朝乗車した専用道経由のバスの終点でもある西吉野温泉なのだが…

何故か西吉野温泉まで乗り入れるバスは、朝夕の専用道経由のバスだけで、日帰り温泉へのアクセスとしては殆ど使い物にならない。
夕方の便は温泉からの帰路にも使えるが、朝の便は温泉の開店時間前に着いてしまい、あまり利用価値が無さそう。

無理矢理ポジティブ考えみたところで、西吉野温泉に何件かある宿泊施設へ宿泊客の送り込み用…という事なのだろうか。
とは言え、特に有名な温泉という訳でもなく、しかも宿泊施設と言っても、営業しているのかどうか解らない程に寂れているのだが…


そんな訳で、城戸から西吉野温泉まで、距離にして1km強を歩いて行くことにする。

まあこちらも改良済みの県道で、歩道もある快適な道をあるくのみ。
但し日陰はなく、時間的にもちょっと厳しいのだが、それなりに通行量のある道で、人気も自販機もあるので万が一のことがあっても大丈夫という安心感があるだけマシだろう。
(もちろん万が一の事など無いように、帽子や水分補給といった対策はとっているが)

しかし県道と平行して流れている川で水遊びをしている人の多いこと…なんとも羨ましく思いつつ、アスファルトの道を歩き続けていくことに。

そして西吉野村の中心部(?)を抜けて、トンネル(日陰になるので嬉しい)を抜ければ、温泉のある地区。



西吉野温泉のバス停を横目に歩き



雰囲気のある神社(城戸神社)があり、お参りしていこうにも、何故かフェンスで囲われており立入不能。



そしてお目当ての「きすみ館」という日帰り温泉へと到着。


バスの時間もあるので、特に焦ることもなく、先ずは汗を流してから、休息室で駅弁を食べ…と、ひたすらノンビリと過ごす。

ちなみに、私とほぼ入れ違いになった利用者はいたものの、基本的には温泉も休息室も貸切で、これまた実にノンビリと過ごすことが出来る。


浴室

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

ちなみに温泉は「加温・加水・循環・塩素」と4拍子揃っており、特に特筆すべき泉質でもなければ、浴室も至ってシンプルな内湯のみ(窓から外に出て休息することはできる)で、特に評価することもないのだが、偶然とは言え“ほぼ貸切”でノンビリと過ごせるというのは何事にも代え難い贅沢なのである。





そして時間を見計らい、再び城戸のバス停まで歩いて戻る。

ちょうどバス停に到着した途端に、五條方面から城戸止まりの国道経由の区間便が到着したのだが、車両はそのまま回送となり専用道のスロープを上っていく。


どうやら折り返しまでの約1時間、専用道城戸のバス停で待機するようだ。
そしてもしかすると雨戸が閉まっていた駅舎の一部は、今でも奈良交通の乗務員休憩所として使われているのかも知れない。
(専用道経由のバスは、西吉野温泉まで直通する便を含め、基本的には五條方面からの折り返し運行で、乗務員の休憩は行われていないと思われる。)


そして、ふと思ったのが…朝夕のみの専用道経由便ではなく、この国道経由の城戸止まりの区間便を西吉野温泉まで延長したほうが利便性が高まるのではないかということ。

しかし専用道経由便は、そもそもJRバス撤退後の代替として、自治体からの委託で運行されており、当然然るべき補助があっての事。
そう考えると自治体の意向が反映されやすい専用道経由便だけが西吉野温泉まで乗り入れている理由も見えてくるような気がするのである。
それにJRバスが運行されていた当時は西吉野温泉へは乗り入れておらず、自治体の委託による廃止代替便になってから乗り入れを開始しているところを見ても、これはやはり自治体の意向なのだろう。

しかし逆に奈良交通が主体で運行している国道経由便を、西吉野温泉まで延長しようとすると、今度は奈良交通側の意向も絡んできて、更にその区間に対する補助金云々といった話も出てくるはずで、そう簡単な話では無いと言うことなのだろう。


そして国道沿いの城戸バス停でバスを待つ

*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm


*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm

地元の木材を使ったという簡素な待合所があり、温泉マークがついていて西吉野温泉の最寄りであることをさり気なくPRしているほか、城戸発の国道経由便だけでなく、専用道城戸発の専用道経由便のバス時刻表も併せて張ってある。


そして今回最後のバスとなるのが…

*FUJIFILM XF1(ASTIA)
(五條バスセンターでの休憩時間に撮影)

今度も八木新宮線の特急バス。しかも新宮からはるばる走ってきた便である。

この便で八木駅まで一気に戻り、近鉄に乗り換えて帰宅するつもりだったのだが…
しかしこのバスは数日前に八木から新宮まで乗り通したばかりで新鮮みが無いので、どこか途中下車しようかと思い始める。

本当のことを言うと…実はこのバスには十数人の御団塊様グループが乗っており、半ば貸切状態。要は2人掛けの席に1人ずつ座っているような状態。
しかし五條の市街地が近づくにつれ、乗客が増えてくるのだが…自分たちが2席ずつ占拠して座りたいために、ワザと荷物を置いたり、露骨に嫌そうな顔をしてみるなど…相変わらずな有様。
更にメンバーの隣に座った(奈良交通は乗客が着席しないと発車しない)高校生に対し、ひそひそ話を装いつつ、わざと聞こえるように悪口を延々と聞かせ(しかも「こういう田舎の高校に通うような子は、往々にして云々…」と直接本人に関係無い決めつけ&言い掛かり)、更には不正乗車の打ち合わせまでし始める有様。
こんな御団塊様と同じバスに乗り続けるのが苦痛になってしまい、逃げ出したくなってきたというのが実情…


そんなとき、このバスが近鉄御所駅を経由することを思い出し、少々遠回りにはなるものの、御所駅で近鉄に乗り換えることに決定。

まあもう日が傾きかけており、途中下車や散策が楽しめる時間ではないのだが、近鉄御所線は今まで乗ったことが無く、新鮮みもあることからこのルートで帰宅することにした次第。


近鉄御所駅

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

近鉄御所線の列車

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

そして尺土・橿原神宮前と、乗り継ぎが多く、やや遠回りなルートになったものの、未知の路線を含めたルートで楽しみつつ帰宅したのだった。


<完>これで最近続いていたバスシリーズも終了となります。





※ここでちょっとだけX-E1の些細でマニアックな感想など。

・今回はフィルムシミュレーションモード「プロネガHi」をメインに使ってみたのですが…少々派手すぎる感は否めないものの、富士のSuperGやVenus系のネガフィルムを思わせる発色で、これはこれでナカナカ好印象。
但し細かな突っ込みを入れると、これらのネガフィルムは「プロ」用ではなく「アマチュア」用の筈(笑

・JPEG画像の満足度は高いのだが…露出を失敗するなどしてRAWから現像しようとする場合、カメラ付属ソフトがシルキーピクスのため、カメラ内現像とは全く違った画になってしまうのはちょっと困りもの。

・また今回はコントラストの高いシーンが多く、DR拡張機能を多用していたものの…この場合ISO感度が最大800まで上がってしまい、晴天下だとどうしても絞り込まなければいけない事になり、回折現象やセンサーホコリが大丈夫かと心配になるのだが…

・しかしセンサーのホコリに関しては、アンチダストが優秀なのか殆ど気にならず。
「ミラーレスはホコリに弱い」という人も多いですが、個人的な意見としてはミラーの有無よりもアンチダスト機能の性能に左右されるのではないかというのが正直な感想。
(ソニー機を使っていた頃は、ミラー有りでも旅先で毎朝ブロアーが欠かせなかったのに対し、Xは全くと言っていいほど気にならない。)



話が決まりましたので、以下の募集は終了します。

※全く関係ありませんが、オリンパス純正BLS-5(中古)が手元にありますので、ご入り用の方がいらっしゃいましたらメッセージでご連絡下さい。

・E-P1、E-P2、E-P3、E-PL1、E-PL2、E-PL3、E-PL5、E-PM1、E-PM2、E-410、E-420、E-620対応
・代金・送料等一切無用ですが、ノークレームでお願いします。
・申し訳ありませんが私の手元に対応機種がないためノーチェックです。
・誠に勝手ながら、お友達の方限定で、先着1個のみとさせていただきます。
Posted at 2013/08/24 05:06:09 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記

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