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NEOCAのブログ一覧

2014年01月04日 イイね!

くびき野レールパークの保存鉄道

2ヶ月ほど間が空きましたが、こちらのブログからの続き、かつこのシリーズの最終回となります。





ブログでアップする際に、若干時系列が前後してしまったものの、この日のメインはこの施設。


廃止となった頸城鉄道の車両を保存・展示している施設である。
旧・百間町駅の敷地に設けられており、右手の車両展示資料館、左手の軽便鉄道資料館(旧・頸城鉄道本社社屋)と、二つの資料館で構成され、くびき野レールパークと総称されている。

但し、これらの施設の公開は、春~秋に月1回程度行われる公開日に限られているのだが、その公開日には敷地内で保存車両の運転が行われるなど、充実したイベントが実施されている。


ちなみに頸城鉄道とは、信越本線の黒井駅(直江津の隣駅)に隣接して存在した新黒井駅から、現在の北越急行の路線にほぼ沿うように、浦川原駅(現在の北越急行うらがわら駅近く)までの全長15kmの路線で、昭和46年までに全線廃止されている。

現在は北越急行の他、頸城鉄道株式会社の直接的な後身である頸城自動車、そしてその子会社に当たる東頸バスなどが、この地域の交通を担っている。


但しこのくびき野レールパークへのアクセスが意外と難儀で…平日なら頸城自動車の路線バスが利用できるものの、公開日は基本的に休日。
そうなるとバスも休日ダイヤで、1日2往復程度と、公共交通でのアクセスはかなり困難。
じゃあ車はと言うと…実は長距離運転はドクターストップな私…

しかしその年最終となる10月の公開日には、「イベント」と称し、通常の公開に加え、屋台村や餅つきなど、地域のお祭り的な要素を組み入れ、しかも直江津駅や北越急行の浦川原駅・くびき駅からの無料シャトルバス(しかも本数が多い)が運行されるため、この日を選んで訪問した次第。





先ずは、車両展示資料館から。


ちなみに建物の周りに建っているテントでは、鉄道パーツから、頸城鉄道で使っていたゴム印、車内補充券(デッドストック新品)、大正時代の沿線案内(これまたデッドストック新品)に至るまで、どこから探し出してきたのか不思議なほどのアイテムを販売しており、その品揃えの凄さに驚かされる。


やはり、現在ではバス会社になったとは言え、会社そのものが存続していると、こういったアイテムが出てくるのかも知れない。


そして建物内部





この建物内には、2編成の車両が保存されているのだが、西武山口線に引き取られていたSLコッペルを除く、これらの車両は頸城鉄道廃止後に神戸の富豪が趣味として買い取っていたもの。


その富豪によって、六甲の山中にトンネルのような保管庫を設けて保管されていたものの、その後は特に活用されることもなく、三十年程放置されることになるが、屋根付きの保管庫で保存されていたため、比較的原形を保っており、地元の有志により、ここ頸城へと里帰りし、修復・動態保存され現在に至っている。





先ずはSL+DL+貨車+客車の堂々とした編成。



先頭はコッペル号として、ここの名物にもなっているSL


但しこのコッペル号…実は予算不足のため、未修復。そのため実際の動力はDLが担っている。

但し「石炭の臭いを知らない子供達に、是非SLの“臭い”を体験して欲しい」との趣旨で、動力には使っていないものの、多少の石炭を焚き煙をだしている。



DLのエンジン


DLの運転台


そして客車



そしてこの客車に乗り込んで、体験乗車(運賃は無料だが、保存寄付金をお願いされる)




まあ体験乗車と言っても、昔の駅構内をスイッチバック風に行ったり来たりするだけでなのだが…
しかし、狭くなっている場所などでは、こまめに一旦停止し安全確認を行ったり、手旗による誘導なども徹底されている。


ただ…乗っている人より、撮っている人の方が多いような気が…






そしてもう一両のDLは、元々社長専用車だったものを一般車に改造したというユニークな車両。



こちらの車両にも体験乗車(この日は雨で来場者が少なく、混雑もなかったため、複数回の体験乗車もOKが出た)



元が社長専用車なので、車内の意匠も凝っている


運転台



ほんの数十m程度の走行にもかかわらず、しっかり閉塞は行われている様子。


そして出発



但しこの車両…バックギアの切替が車内で行えないため、数十mのスイッチバック式の線路を行ったり来たりするだけに、わざわざ運転士が車外へ出て台車部で作業を行う必要があるという面倒な仕様。





車両展示資料館の次は、隣接する軽便鉄道資料館へ。


先述したように、かつての頸城鉄道本社の社屋を利用した施設なのだが、見ての通り、妙に綺麗なパネルが張られており違和感がある。

しかしコレは、往時は全て板張りの建物だったものの、長年修復を繰り返している内に、厳しい財政事情も反映してトタン張りのパッチワーク状態となり、あまりの見窄らしさだったこともあり、こうしたパネル張りに変更したとのこと。
(にしても、少々色合いが明るすぎることは否めないとは思うが…それでも数年前の痛々しい写真と見比べると、まだ現状の方が数段良いかと…)

但し一部は当時の材料がそのまま残っている面もあり、角度を変えるとそれなりに味のある建物。


そして建物脇には、「頸城鉄道線発祥の地」の碑が建っている。



資料館内部は、往時の切符などのアイテム展示と、車両を六甲山から運び出してきたときの様子を記録したVTRの上映が行われている。


しかしここで展示されている切符や路線図と同じものが、デッドストックとして屋外のテントで売られていたりするので、やや有り難みは薄れてしまう感もある。





そして昼食は、イベント会場の模擬店で。


まあ天候が天候なので、人出が少ないのは残念なところだが、それぞれの模擬店は基本的に地元の人が手作りのお弁当や素材を売っており、ほのぼのとした雰囲気。


豚汁と


餅つき大会の振る舞い餅


「本当にコレだけなのか?」と聞かれそうだが、本当にコレだけ。

本当は雨で人出が少なく、出店者も売れ残りを危惧して困っている空気があるのは承知していたのだが、来訪者用の雨よけのテントが少なく、かといって店先や雨の中の立ち食いでは落ち着かず…そんな訳であまりゆっくり昼食を楽しむ気分にならなかったというのがホンネ。
それに更に言うと、鉄道愛好者の団体ツアーが数少ないテントを「撮影器材置き場」として占領してしまい、それ以外の一般客が利用できるスペースが限られてしまっていた事も要因。まあ団塊世代が多いとどうしても…





こうして、くびき野レールパークの見学を終え、東頸バス(頸城鉄道の後身・頸城自動車の子会社)のシャトルバスに乗り、もう一カ所のイベント会場へと移動。



そのもう一つのイベント会場というのは、浦川原のバスターミナル(東頸バス本社)


実はこのバスターミナルの建物、頸城鉄道の終点であった旧・浦川原駅の駅舎そのもの。
更に頸城鉄道の線路跡がそのまま北越急行の線路に転用されており、駅舎の裏手に立派な高架橋が見えている。


かつてのホーム跡側はこんな感じ


かつての線路跡にそのまま高架橋が建っており、その高架下スペースは現在駐車場として使われている。


頸城バス発祥の地の碑も建っている


そして今回は、この旧・駅舎で写真パネル展が行われており、頸城自動車(=頸城鉄道)の歴史を記録した写真の展示やビデオ上映が行われている。



こうしてこの日のイベントを一通り満喫し、北越急行のうらがわら駅から普通列車で直江津駅へと戻り、帰路に付くことにする。

しかし北越急行の駅があまりに地味な事もあり、既に辺りが暗くなっていることもあり、一筋縄では尋ね当たらず。



そして特急列車の高速走行への備えもあり、しっかりとした風除けのある待合室からホームへと入り


普通列車に乗車(失敗写真ご容赦)



こうして唐津→佐賀→軍艦島→入善→直江津→頸城と、まるで迷走したような一連の旅は終了。


<完>
Posted at 2014/01/04 16:50:04 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年11月07日 イイね!

直江津駅と坂口記念館

このブログはこちらの記事(「富山ブラックラーメンと発電所美術館」)からの続きになります。





直江津駅へと到着したときには、既に辺りは真っ暗。



前回触れたように、ここ直江津駅は信越本線と北陸本線が合流する鉄道の要衝と言うこともあり、多くの乗り継ぎ客があったことは想像に易いところ。

そう言った事情もあって、駅弁・駅蕎麦・駅前旅館などが豊富にある駅だったのだが…


ホームにあった(他にも待合室にもあったような)駅蕎麦屋がいつの間にか姿を消してしまっていて、ココの名物だった「もずくそば」や「中華そば」(和風の蕎麦つゆで食べる中華麺)も、もう食べられなくなったと思いこんでいたのだが…
(係のおばさんと「昔の駅舎は味があったんですけどね~」などと会話を交わした記憶があるので、おそらく2000年の駅舎改築以降も、もうしばらくはホームで営業していたはず)


ところが2~3年前にみん友さんとコメントでお話させていただいている中で、「改札外の階段を下りた処に蕎麦屋がある」との情報を頂き、ずっと気になっていたのだが、駅前ロータリーのところとなると、短時間の乗り継ぎで訪問できるわけもなく、しかも営業時間が意外に短く、今日まで訪問する機会が無かった次第。

とは言え、その情報の蕎麦屋が、昔の駅そばの流れを汲むものなのかどうかは不明で、全く別の一般的な蕎麦屋という可能性も否定できなかったのだが…


そして実際に店の前へ来ると、意外と立派な店構えで、その不安も募ってきたのだが…


中にはいると、椅子こそ設置されているものの、セルフサービススタイルの立ち食いそば系の店で、舌代や自販機のメニューを見ると、往時からの名物である「もずくそば」や「中華そば」も健在でちょっと嬉しくなる。


ここで「もずくそば」について簡単に説明すると…要はかけそばに、生のもずくと、天かす、そして鶉の卵(生)をトッピングした日本そばで、地物を使っているというもずくの歯ごたえが素晴らしく、更に生卵が小さな鶉ということで、必要以上に生臭くなっていないというのもポイント大。

そしてもう一つの「中華そば」は…姫路駅などでも見かける、麺だけ中華麺で、スープは普通のうどん・そば用を使っているという、時々見かける変則パターンのそば。こちらは「駅そば」としてだけでなく、市内の食堂などでも見かけるとのことで、直江津のご当地B級グルメとしても広く知られているのだとか。(この辺りの事情は姫路も同じ)


ただ昔から気になっていたのは、「もずくそば」「もずくうどん」は存在するのに、何故か「もずく中華そば」がメニューに存在しないこと。
どちらもココの名物で、両方を同時に味わえれば言うこと無し…なのだが、敢えてメニューにしないと言うことは、何か理由があるのではないかとも思うところ。

そこで係のおばさんに「もずく中華って出来ないですかね?」と聞いてみると、「そういえば聞かないわね。まあ悪い組み合わせじゃないとは思うけど…試してみますか?」とアッサリOK。


そして店頭の冷蔵庫に、サッポロビールの新潟限定ビール「風味爽快ニシテ」という商品を見かけたので、一緒に注文。


「苦さ」も「辛さ」も押さえた飲みやすい味ながら、外国ビールのように「味気ない」ということもなく、これが絶妙な味で、私好みなのだが…まあ新潟限定というのが残念。


そしてバタバタしているうちに「もずく中華そば」が完成。


このもずくの量が素晴らしいのだが…しかしイレギュラーな注文に気が逸れてしまったのか、鶉の卵が入っていない。
尋ねてみると、「あら、ごめんなさい。忘れていました」と、あわてて追加してくれた。


で、肝心の味の方は…もずくの歯ごたえと、ツルツル食べられる中華麺の喉ごしの組み合わせは、まあ決して悪くはないのだが、やはり和蕎麦のほうが風味があって一層美味しいのではないかというのが正直な感想。

そして係のおばさんも、「変なモノになっていないかしら」と気になっているようで、「いかがです?大丈夫です?まあ悪くはないですよね…」などと、ちょっと気を心配そう。
でも決して「悪い組み合わせ」ではないので、その旨を伝えるとともに、イレギュラーなオーダーに応じてくれたお礼を言う。

ただ、うどんと比べると、喉ごしの良い中華麺の方が明らかマッチしているように思われて…何故「もずくうどん」があって「もずく中華」が無いのかはちょっと疑問。


まあ、ここ直江津の駅蕎麦は、個人的に思い出のあるモノなので、多少美化されている面もあり、普通に駅そばとして評価するなら「中の上」。過度の期待は禁物なのだが…
但し地物を使った個性的なトッピングということと、イレギュラーなオーダーにも快く応じてくれたおばさんの対応も考慮して、トータル的には「まあ良い」という事になるだろうか。

あと特筆しておくとすれば、ここ直江津は西日本と東日本の境界(鉄道会社的にも、地理的にも)に近いこともあってか、コクのある少し濃いめの出汁ながら、必要以上に甘ったるくなく、関西系の私にも抵抗感無く味わえる、良い意味で“ハイブリッド的”な味に仕上がっている事だろうか。





そして今宵の宿に入るのだが…やはり鉄道交通の要衝と言うこともあってか、駅前には駅前旅館を発祥とするローカルなホテルが2軒競い合うように建っている。(他に昔ながらの駅前旅館もあり)


写真右から、「ホテルセンチュリーいかや本館」「ホテルハイマート東館(?)」「ホテルハイマート西館(?)」と写っているのだが、更に左手に「ホテルセンチュリーいかや新館」まで存在し、トータルでかなりの客室数があるのではないだろうか。
(ちなみにセンチュリーいかやの本館と新館は裏手にある室内連絡通路で繋がっており、ホテルハイマートを「コ」の字型に囲むような形になっている。)


そして更に言うと、この2軒のホテル…2008年までは、両者が競い合うように駅弁を発売しており、直江津駅の駅弁の種類は半端無く多様で、毎回両者のホームでの販売コーナーを見て悩んだものなのである。
(更に言うと、キオスクで取り扱いの「くびきの押し寿司」もあるのだが…こちらは駅売りから既に撤退しているのだが、翌日思いがけない形で再会することになる)

ただ2008年以降は、センチュリーいかやは駅弁製造から撤退し、現在ではハイマートのみの取り扱いとなっている。
しかしそれでも品数豊富で、毎回悩んでしまうことにはかわりがないのだが。
(ちなみにハイマートのフロントでも販売、カタログ配布、予約受付などを行っている)

ちなみに個人的なお気に入りはハイマートの「魚焼」という弁当だったのだが、これを見かけたのは00年頃が最後。その後別の名称にリニューアルしたものを買った記憶があるものの、今ではそれも消滅してしまった様子。


…と、色々書いているのだが、実を言うと直江津という駅は高校入学を直前にした春休みを最初に、何度となく乗り継ぎで利用した駅。
多少トラブルの経験もあるものの、とにかく個人的に思い入れのある駅なのである。


そして、ようやく今宵の宿を紹介すると…


「ホテルセンチュリーいかや」の新館。但しフロント業務は本館で一括して行っているので、そちらで手続きをしてから、ホテルハイマートの後ろを回り込むような感じで結構歩いて新館へと向かうことになる。
(但し外に出る必要はないので、上の写真は後で外へ出たときのもの。)

実はここのホテルに宿泊するのは、数年ぶり。しかしその数年で大きく変わっていたこともあって…


元々は、いかや旅館という駅前旅館が前身とのことで、新館へと向かう通路からちょっとした庭園が見えたり、蔵のようなものがあったりと、バブリーな時期の施設にもかかわらず、所々にレトロ感が出てくる不思議な施設。


しかし「小綺麗でローカルなホテル」に撤しているハイマートと違い、ここセンチュリーいかやは、バブル期に立派なハコモノに建て替えて、シティホテルを目指したような気配があって…とは言え、まあ地方の話なので、突っ込みドコロ満載ではあるのだが。


そんな訳で、新館への通路も妙にバブリーな雰囲気なのだが…

通路を抜け新館へ着くと、ロビーに制服姿の高校生が屯しているという、あまりに場違い感あふれる光景が目に飛び込んできた。


一瞬「?」と思ったのだが、辺りをよく見回してみると事情が飲み込める。

(後刻撮影)

以前はレストランや宴会場の入っていた新館の低層階が市立図書館に改装されているのである。

おそらく駅前の一等地という立地の良さに図書館が作れるという市側のメリットと、バブル期の過剰な施設を撤去してそのスペースを公共施設に貸し出して安定的な収入に繋げられるというホテル側の思惑が一致したのだろう。

ただ図書館施設とホテル施設の境界が曖昧(エレベーターなどは共有)な事に加え、バブル期のシティホテルの中にこうしたスペースが現れるというギャップから、かなりの違和感を覚えることも確か。

しかし新館のエレベーターには、ICキーを持っていないと上層階へのボタンを操作できない(海外で良くあるセキュリティ方式)を採用するなど、一定の分離策は講じられている様子。


そして客室はと言うと…バブリーな頃に、ローカルなホテルが無理矢理シティホテルを目指した感が満ちあふれた感じになっている。


まあシティホテルとしてみると狭苦しいことは確かなのだが、並のビジネスホテルと比べると格段に広々とした客室。
そして何よりバストイレがシティホテル仕様なので、お手洗いを使うときに体があちこちに当たってしまったり、一度浸かると二度と出られなくなりそうな狭いバスタブに四苦八苦したりする事がないのが嬉しいところ。

ちなみにもう一方のホテルハイマートにも泊まったことがあるのだが…ビジネスホテル風に、小綺麗でコンパクトにまとまった客室は良かったものの、バストイレもビジネスホテル風なので…それでお値段は殆ど変わらないので、私個人としては、多少古くても広々としたセンチュリーいかやに軍配があがるだろう。(まあコレは完全に個人の好みによるのだが)


そしてこれは両方のホテルに言えることなのだが…どちらも駅前にあるので、多少の当たり外れはあるものの、トレインビューなので、某みん友さんに喜ばれそうな宿である。






部屋に荷物を置いて、少し休憩してから夕食…いや、もう駅そばで夕食は済ませたので、地元の美味しいモノをつまみながら一杯飲みに出掛けることに。
(まあ夕食が駅そばだけでは、あまりに物足りないので…)


手近なところであれば、センチュリーいかや内のレストランという選択肢もあるのだが…
ココのレストランも、やはり“無理矢理シティホテルを目指した”感が満ちあふれていて、出てくるモノはまあ悪くないのだが、必要以上に肩に力が入ったホテル感丸出しのサービスで(それでいて洗練度が低い…)、どうも好きになれないのである。
(まあここのホテルは全体的に背伸びしすぎかと…頑張っていることは解るのだが…)


そこで隣のホテルハイマートのレストラン「多七」の暖簾をくぐることに。


まあ隣のホテルとは言っても、センチュリーいかや本館まで行くよりも、ホテルハイマートのレストランの方が距離的に近いというのもまた事実。(「コ」の字型の真ん中に位置しているため)

そしてココ、何気に地元の食材を使ったメニューも豊富で、地酒も揃っており、味も良く、良心的価格…と、かなりの穴場。
そしてホテル内と言うこともあって、入りやすく安心して利用でき、更に定食やファミレス的なメニューもあるのがポイント大かもしれない。

何よりちょっとした会食で利用している地元の人が多いのも、その実力を物語っていると言えるだろう。


先ずは冷酒とお通し


ちょっと冒険して選んでみたお酒で、まあ悪くはないお酒なのだが…
しかし上越には雪中梅という確かなお酒(甘口が苦手な私でも美味しくいただける)があるので…しかも1合単位で、グレードまで選択してオーダーできるので、二本目からはひたすら雪中梅をオーダー。


そしてワタリガニ



地魚と豆腐の揚げ出し(この日はスズキ)



地魚のカルパッチョ(この日は鯛)


瀬戸内育ちの私のイメージでは、鯛はアナゴと並んで高級魚で、サラダにしてしまうのはなんとも贅沢に思えてしまう…


生タコ(この日は筒石産←前回のブログに筒石駅が登場していることに気付いている方は流石)


…と、こんな肴を片手に新潟の酒を楽しんだ次第。


流石に駅弁も作っているだけあって、他所から訪れた人が喜ぶポイントをよく解っているなぁ、というのが感想。





で、「駅弁が出てこないじゃないか」と怒られそうなので、ちょっと話を脱線させて、回想モードで1つだけ紹介。


ホテルハイマート調製の直江津駅弁「鱈めし」
ホテル側でも一押しのようで、ホテルのフロント横で積み上げて売られていたりもする。

そして何かの賞を取ったとかで、一部では有名な駅弁なのだとか。

味の方は、甘い鱈の甘露煮、塩味のあるタラコ、酢で締めて酸味を持たせた鱈の身…と、味のバラエティが豊富でよく工夫されている駅弁であることは確か。

でも正直言うと、直江津駅には他に美味しい駅弁が沢山あるのに…というのが私の感想。
(でも探しても過去の写真が残っておらず、他の種類を紹介できないのが残念なところ。)

新幹線の開業で人の流れが変わってしまうと…という危惧はあるものの、全国でも有数と言っても過言ではない駅弁文化を持つ駅だけに、これからも何とか営業を続けていって欲しいというのが個人的な希望である。





そして一夜明けて…残念ながら外は雨。


今日のメインイベントが無事に催行されるのかが気になるところ。


とは言え、とにかくホテルをチェックインして、先ずはホテルのレストランで朝食。


そしてこの朝食も“無理矢理シティホテルを目指した”感が満ちあふれているような…

実は今回は朝食付きのプランだったので、宿泊したホテルセンチュリーいかやで朝食を取ることにしたのだが…
前述したように、新館に滞在していると、本館のレストランがあまりに遠いので、チェックアウトでフロントに顔を出す“ついで”に朝食を取ったという次第。

実は朝食もホテルハイマートの方が好みで、和洋はもちろん「カニ雑炊」という選択肢があって、これがナカナカ美味しいのである。朝食なしならもちろんハイマートのレストランに食べに行っていたことだろう。(予約不要なのもポイント大)


まあ結論を言うと…「泊まるならセンチュリーいかや、食べるならハイマート」という事だろうか。
それにしても直江津駅前のホテルだけでこんなに語ってしまうなんて、私って本当に面倒くさい人間だなぁ、と(苦笑





そして外へ出ると雨が…しかし駅前のホテルで、信号さえ渡れば直江津駅なので、傘も開かずに小走りで駅へと駆け込む。



しかし電車には乗らず、そのまま自由通路を通り過ぎて、反対側の出口へと抜けていく。

反対側は裏口的な感じながら、駅舎が船をモチーフにしたデザインになっているあることがよくわかる。(新日本海フェリー風?)



そしてロータリーで待機していたイベント会場へのシャトルバスに乗車


しかし雨天と言うこともあってか、車内はガラガラ。


しかしシャトルバスが来ていると言うことは…今回の目玉であるイベントが催行さるという事であり、ホッとする。


30分程でイベント会場へと到着。


少し上の写真で、シャトルバスに「コッペル一般公開」と書かれていることでお気づきの方もいらっしゃったかと思うのだが…

今回のイベントというのは、現在の北越急行に近いルートで、昭和40年代まで新黒井(現・JR黒井駅付近)-浦川原(現・北越急行うらがわら駅付近)間を結んでいた「頸城鉄道」の動態保存車両の乗車体験会なのである。

(今回は「次回予告」の意味合いでコレだけ。ちなみにこのSLの製造メーカーが独Orenstein&Koppel社なので「コッペル」と呼ばれている次第。)

夏場はおよそ月に1回程度行われている乗車体験会なのだが、10月開催分はイベント色を強め、地元の方の手による屋台が出たり、会場へのシャトルバスも運行されるほか、更に会場と周辺の観光施設を結ぶシャトルバスまで運行されるという、かなり力の入ったイベントになっているのである。


何せ通常開催の場合、アクセスに使える路線バスが1日2往復しかなく、更に周辺観光施設へは徒歩しかないというような不便な場所ということもあり、この拡大版のイベントは絶好の機会と思い今回わざわざやって来たという次第。

実を言うと…今回の旅の出発点であるはずの「佐賀で宿泊する」という目的は、実際のトコロは何もこの時期で無くても構わなかったのである。
実は「九州からの帰路と、直江津までの往路を、通しの切符で買えば安くなる」という事情があって、二週連続で西へ東へとバタバタ動き回るというスケジュールを組んだというのが実態なのである。でも体力的に多少キツかったことは否めず…






…と、話を盛り上げておいて恐縮なのだが、この乗車体験会の話は次回ということにしたい。

そして時系列的には少し変則的になるのだが、先述した“今回に限りシャトルバスが運行されている周辺の観光施設”を先に紹介することにしたい。


直江津駅からのバスは、頸城鉄道の後身でもある頸城自動車というバス会社の手で運行されていたのだが、周辺施設へのアクセス用のシャトルバスは、何と地元の割烹料理店のマイクロバス。おそらく地元のボランティアなのだろう。


しかも路線バスの運転手さんのように、時間を気にするという習慣がないためか、一応時間は決まっているものの、実際は結構アバウトで「10分くらい前後するかも」との事。
まあ実はそれでちょっとしたトラブルがあったのだが、一方で良い意味で“臨機応変”な運行も可能で、それで救われた事もあったりしたのだが、これらはブログで大っぴらに書く話では無いので、詳細は割愛することにしたい。


そして5分ほどで到着したのがこの施設。


坂口記念館という施設で、酒造や応用微生物学の発展に多大な貢献をした故・坂口謹一郎氏に関する資料館(右)と、氏の隠居所(正確には別邸跡に移築した古民家)(左)から構成されている。


入館料を支払い、中へと進むと、先ずは酒造の道具や酒造と信仰に関わるパネル展示など。

(いくら防滴のK-5でも、もう少し気を遣った方が良いのかも…)

そして2階が坂口氏の功績や遺品などを展示するコーナー。更にビデオコーナーで氏の一生に関するものと、酒造りにおける唄の重要性(唄でリズムを取ることで作業のタイミングを掴む)についてのビデオをノンビリと鑑賞。
まあ本当のことを言えば、シャトルバスの時間の絡みで、嫌でもノンビリしなくてはいけなかっただけなのだが。

とは言え、私も分野は違えど一応農学を囓ったことのあるものなので、応用微生物学という学問そのものを確立させた坂口氏について興味深く見学したのだが…

まあ、特に「ここに来ないと体験できないようなスペシャル」がある訳ではなく、まあその気になればネット上でも調べられるような内容が主。
正直言うと、特に思い入れのある人ならともかく、“わざわざ”来るまでもなく、「“ついで”があれば寄ってみたら良いかも」と言った感じの施設だろうか。


そして隣にある氏の隠居所(のあった敷地に近年移築してきた古民家)へと移動。



まあ隣と言っても、資料館の中から雨に濡れずに移動できるのだが。



そして和の落ち着きを感じる建物内で、甘酒とお茶の接待を受けつつシャトルバスの時間まで待機することに。


甘酒の提供は、頸城鉄道のイベントに併せて実施され¥100との案内だったのだが、実際は無料で行われている。


そしてちょっと小雨になったタイミングで庭へ出て正面玄関を撮影。



実はここの庭は椿園になっており、坂口氏が地元へ貢献として、他種多様な品種の椿の収集を行い、庭に植えたのが始まりなのだとか。


時期が良ければ、多様な椿の花を楽しめるとの事なのだが、残念ながら椿を眺めるには季節外れ…


こうして坂口記念館の見学は終了。シャトルバスでイベント会場へと戻ることに。


<つづく>次回(最終回)はこの前後の話…頸城鉄道の動態保存車の体験乗車の話です。
Posted at 2013/11/07 00:34:02 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年11月02日 イイね!

富山ブラックラーメンと発電所美術館

土曜日、今度は富山行き「特急サンダーバード」で出発。今回は土日だけのシンプルな行程である。

(同型車の写真。実はこちらからの使い回し・大汗)

実は富山から先、更に特急を乗り継いで一気に最終目的地の直江津まで向かおうと思っていたのだが、それでは直江津到着が14時台とかなり中途半端。

そしてそれから訪問予定だった上越水族館も実を言うと、何か目的があって“わざわざ”という訳ではなく、「直江津まで行くなら、この機会に一度…」程度の話。

まあ今回の旅のメインイベントは明日の日曜日なので、土曜日は移動日に毛が生えたようなオマケのような感じで、特に目玉もなかったのである。

それなら何もそんな中途半端な時間で水族館へ行かずとも、どこか富山県内ででも途中下車をして散策。そして夜までに直江津へ向かえば良いのではないかという結論に達した次第。


そして某みん友さんのブログで拝見していて、ちょっと気になっていたスポットがあるので、そちらへ寄っていくことにして、サンダーバードの車内でスマホで開館情報やバスの時刻などを検索し、急遽行程を組み直したのである。
(実は元々立ち寄り候補地ではあったものの、ちょっと不便な場所なので、最終的には候補から外れていたのだが。)





バスの時間を勘案すると、富山で時間調整を兼ねたランチライムが取れることとなり、新幹線工事真っ直中の富山駅で途中下車。



そしてランチは、やはり富山ブラックラーメンを食べることにしたい。

昨年、富山を訪れたときは、2回とも駅前のCiCビルにある「いろは」という店で、比較的食べやすくアレンジされたブラックラーメンを体験したのだが…

今回は3人程のみん友さんから話に聞いていた、富山ブラックラーメンの元祖「大喜」で食べてみることにしたい。
但し持ち時間は1時間強と行ったところなので、駅前にある支店を訪問することに決定。


駅前の「大喜」はCiCビルのすぐ裏手に存在。



メニューは基本的にブラックラーメンだけで、選べるのはサイズくらい。

今回は並(小)と白ライスをオーダー。


しかしコレが凄い…聞きしにまさる塩っぱさで、ラーメンというより、完全に「おかず」…いやもうここまで来ると「漬け物」のような代物。
正直、漬け物のような感覚で塩っぱいラーメンを、白ご飯を片手に口内調味で何とか…と言った具合。

何とか麺と具は完食したものの、スープはもう完全に無理。スープは一口二口、味見をしただけに終わってしまった。

正直な感想を言うと…「並(小)にしておいて良かった」「何でライスの大が無いのだろう」「話題のラーメンなので、1度食べれば十分」「もう次はない。」といったトコロだろうか。

次回は間違いなく、CiCの「いろは」へ入るか…いや富山ならもっと美味しいモノも沢山あるので、わざわざブラックラーメンというチョイスは無いかも知れない。


そして富山駅へ戻り、「口直しに白エビかき揚げ丼でも…」と思ったものの、流石に連続二食は厳しいので、「白エビかき揚げ」単品をテイクアウトして、後刻電車の中で賞味することに。






そして富山駅から普通電車に乗り、下校高校生の波に呑まれながら、京セラ(ちょっと前まではNECだったらしい)の工場が目立つ駅に降り立つ。



ここは富山県東部の入善町にある入善駅。



ここからコミュニティバスで目的の施設へ。

(下車後に後ろ打ち…バスの後ろ打ちって…苦笑)

まあアクセスに使えるバスが1日3往復しか無く、中途半端な時間に入善駅に着いても厄介なので、富山駅で時間調整をしていたのである。

ちなみに、このコミュニティバスは「のらんマイ・カー」という名称で、「のらんまいか」(富山弁で「乗ろうよ」)+ノーマイカーの意味を併せて命名されたと言うことなのだが、お世辞にも良いネーミングとは思えない…

あと運転手が○○しながら運転していて…路線バスでは有り得ない適当さにビックリしてしまう。(と言うか道交法的には完全にNGな行為なのだが)





そして20分ほどで到着したのが、下山芸術の森という場所。

ここのメインになっているのが、発電所美術館という施設で、その名の通り、かつての水力発電所(北陸電力・旧黒部川第二発電所;大正15年築)の建物を改装し、美術館として使用している施設。

ちなみにすぐ隣には、旧発電所の代替として建設された新しい水力発電所(北陸電力・黒東第三発電所;平成5年築)もあるのだが、そちらも旧発電所と雰囲気を合わせて煉瓦造り風の意匠となっている。


以前に富山在住のみん友さんのブログで紹介されていて、ずっと気になっていた施設なのだが、アクセスが便利とは言えず、なかなか腰が上がらなかったのだが、まもなく冬期休館に入るとのことで、この機会にと思い、急遽立ち寄ることにした次第。


それにしても、入善町のお祭りと、町議会選挙運動期間が重なっており、町中かなり賑やか。
またここの駐車場は諸々の条件的に選挙カーの定番休息スポットになりやすい立地とのことで、実際私が到着したときも「気合いを入れていこう!」的な引き締めが行われている真っ最中。


そして発電所美術館へ接近。


写真では解りにくいのだが、左手の旧発電所(美術館)の煉瓦が手作り感と時代を感じさせるものであるのに対し、右手の新発電所は如何にも工業的に均一に作られたといった雰囲気で、言葉は悪いが「偽物っぽい」。意匠は似せてあっても、実際は両者の違いにかなり違和感を感じてしまう。(新発電所…実は煉瓦風の化粧パネルなのだとか。)


そしてこの建物がメインの美術館なのだが…日が傾かないうちに、先に外部をじっくり見学することにし、建物横の階段を昇っていく。(この落差を使って水力発電が行われていた)



階段途中から、導水管と旧・水槽上屋を望む


ちなみに導水管は3本で、下部の発電所にはそれに併せて3機のタービンが存在していたとのこと。


そして上部はちょっとした公園風のスペースになっている。


左から、工房、展望台、旧・水槽上屋が建っている。

先ずは工房の方をちょっと覗いてみたものの、真剣に創作を行っている人がおり、邪魔にならないように静かに退散。


そして旧・水槽上屋は喫茶店として使われているのだが、営業時間が「土日の午前+時偶平日も」という、やる気があるのかよく解らない営業時間。


ちなみにこの美術館を所有する入善町は、わざわざ「町や財団の経営ではなく、民間の方が施設使用料を納めて営業しております。」と断りを入れて、営業時間云々には関知しないという姿勢を示している。
ただ、この建物も美術館(旧発電所)と並んで、歴史的な建造物なので、出来ることなら営業時間外でも何らかの形で内部を見学できるような形にして欲しいとも思うところ。


そして旧・水槽上屋入口脇から、導水管と旧発電所(美術館)を見下ろす。


ちなみに旧発電所(美術館)の建物そのものを眺めるなら、展望台からだと上部水槽の影になって導水管などが見えないので、ここのスペースの方がベターかも知れない。





更に展望台へと昇り



山々を眺め


ほぼ完成している北陸新幹線の高架も眺める


そして現役の新発電所(黒東第三発電所)の発電用水路も見えている



更に展望台を下りて、もう少し上部の公園を散策

宿泊棟(アーティストの宿泊を想定しているようだが、一般利用も可能)


静かな富山の風景



そしていよいよ美術館へ入館すべく、再び下部へと戻っていく。

(この角度で見ると、新旧発電所の質感の違いがよく解ってしまう…)





先ずは受付で¥500の入場料を支払って、旧発電所を改装した美術館へと入っていくのだが…


ここで最初にお断りしておくことがあって…

まあこのブログを見ていただいている方は、お気づきかと思いますが、お恥ずかしい話、私にはアートの心得や基礎知識があるわけでは無いため、内部で展示されていたアート作品そのものについてコメントできる立場ではありません。
そのため作品には殆ど触れず、あくまで「旧発電所の建物」という側面ばかりにフォーカスしています。
またそんな事情ですので、検索エンジンロボットを避けるという意味でも、アーティストの方のお名前や作品に関わるキーワードは本文中に一切出さないようにしております。
もちろんこれはこれで逆にアーティストの方に失礼であることは重々承知しているのですが、素人がいい加減なコメントをネット上に書くことの方が一層失礼だという判断からこのような対応とさせていただきます。

また実は当日、今回の特別展を出展されているアーティストの方が来場されており、直接お話させていただく機会もあったのですが…
素人のどうしようもない感想を笑顔で聞いてくださり、「素材の入手方法」「素材加工の手法」といった、あまり本質と直結しないような質問にも丁寧に答えてくださり、更に「産業遺産」が目当てで来ていることも承知の上で、本来写真撮影が禁止されている館内で、「建物を撮影して構わないし、作品も撮影して構わない」というお許しまで頂戴しております。

今回はあくまで「建物」の紹介を意図して公開する写真を選んでおります。
そのため写真では、作品の一部が切れていたりするなど、作品の魅力を十分に伝えているわけでもありません。かと言って無理矢理作品を避けるというのも大変失礼な話なので、このような形とさせていただきました。ご了承いただければ幸いです。



元々は3本の導水管で落とされてきた水が、この発電所内の3機の発電機タービンに繋がっており、発電を行っていたのだが、現在は2機分の発電機を撤去し、展示スペースとして活用している。但し導水管はそのまま残されて、壁面にぽっかり口を開けている。


ここの美術館では常設展は無く、基本的に特別展のみ。

しかも元が発電所ということで、湿度管理などが難しく、よくある「古典的名作」を展示するには適しておらず、専らアーティストからの企画持ち込みによる、実験的な色合いの濃いアートスペースとしての利用が多いとのこと。
但し逆に、この空間を自由に使えるので、今回のようにスモークをモクモクと焚くなど、普通の美術館では出来ないような試みも自由に出来るとあって、アーティストの発想力・想像力が試されるという側面もあるのだとか。

更に言うと、冷暖房も難があり、夏は暑く、冬は気休め程度のパネルヒーターしか無いなどの問題があり、そうした要因で近年は「冬期休館」という扱いになっているのだとか。

それにしても、自由に使える反面、建物や環境から来る制約も考慮しなければいけないなど、アーティスト側からすると、力量が試される反面、面白い展示空間なのではないかと想像するところ。


そして導水管そのものは、今でも上部水槽付近まで空洞で残っているとのこと。




更に発電所時代から使われていたクレーンも現役で、実際にコレを使って作品搬入を行ったりするなど活用されているとのこと。またクレーンそのものを活かしたアートも考えられるのではないだろうか。



そして「2機分の発電機を撤去し、展示スペースとして」と書いていたのだが、残り1機の発電機は展示室奥に静態保存のような格好で残っており、近づいて見学することが出来る。



更に通路や、休憩室などにも、かつての発電所の配線や制御盤などがそのまま静態保存されている。




よくある「側だけ残して、中身は全て入れ替えた」というような施設ではなく、歴史的な建造物を最小限の改装でアートスペースに改装したという雰囲気が素晴らしい。
とにかく全体的に発電所当時の面影をしっかり残しており、まるで発電所の中に展示スペースがあるかのようなユニークな施設で、産業遺産的な側面を期待して訪問しても十分楽しめる施設だというのが感想。

実際、美術館側でもその事は百も承知で、スタッフの方も発電所に関する質問にも気軽かつ詳細に答えてくださり、更に「正直言うと、美術館として来る人よりも、産業遺産として訪ねてくる人の方が多い」とも。

また出品するアーティストの方も、訪問客の客層を知った上で出展している方が多い(もちろん全員では無いと思うが)とのことで、「自由な視点で見られる」ような内容になっている事が多いようなので、動機はどうあれ、構えず気軽に訪れて構わない施設と言えるのではないだろうか。
私ももう少し近くに住んでいれば、お散歩がてら、時々訪れてみたい施設である。





発電所美術館を後に、入善駅へと戻り、青一色の低コスト塗装な電車で直江津へと向かうことに。

(糸魚川駅停車中に撮影)

まあ山陽方面の黄一色と比べれば、随分と品のある色なので、そこまで気にはならないのだが…


しかし元が急行型なので、デッキ付きの車両にボックスシートが並ぶ車内は快適。


ただ新幹線開業後は、第三セクター化により、単行の気動車による運行になるとかで、このノンビリとした移動を楽しめるのもあと残り僅かである。


トンネルの合間に、一般道路や高速道路と絡み合う親不知の車窓を眺め


新幹線開業を控えた駅舎改築工事真っ直中の糸魚川駅で小休止し、


意外に利用者が多い“もぐら駅”を通過し、



北陸本線の終着駅である直江津駅へと到着



ここ直江津は、北陸本線と信越本線(+更に北越急行も乗り入れている)が合流する鉄道の要衝である事から、昔の山小屋風駅舎(好きだったんだけどなぁ、この味のある駅舎)時代から“経由地”として何度となく利用している駅なのだが、専ら乗換がメインであり、せいぜい駅内や駅前での買い出しや宿泊しかしたことが無く、散策やアクティビティと言った“目的地”としての訪問は初めてかも知れない。


そして鉄道の要衝であったという事情もあって、ここ直江津駅は「駅弁」や「駅蕎麦」といった文化も発達していることで有名な駅だったのだが…これらはまた次回取り上げることにしたい。(今回はあくまで“富山編”ということで)

それにしても新幹線開業後、直江津駅はどうなってしまうのだろう…


<つづく>


えっ…「今回も短くないか?」って…。
はい、元々前回のアップ分と合わせて1回分の予定だったものを2分割してアップしているので、当然少し短くなっております。
Posted at 2013/11/02 20:35:18 | コメント(9) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年10月29日 イイね!

伊王島散策

このブログはこちらの記事(「佐賀城と白いかもめ」)からの続きになります。





長崎駅到着後、先に送迎バスのバス停だけ確認しておいてから、時間まで駅ビル内をぶらぶらして時間を潰す。



そしてバスの時間に併せてバス停へと戻る。送迎バスの待ち合わせ場所というのは、曖昧でよく解らないケースも多いのだが、今回に限って言えば、しっかりバス停が設けられており、非常にわかりやすい。



そして予約しておいた無料送迎バスで次の目的地&今日の宿へと向かう。

(到着後に撮影)


今日の宿は長崎市沖にある伊王島にある「やすらぎ伊王島」というリゾート施設。

伊王島というのは、厳密には伊王島・沖ノ島という二つの隣接した島の通称で、平成の大合併前の旧・伊王島町に所属していた離島で、かつては炭坑の島として栄えたとのこと。
しかし炭坑の閉山後、バブルの追い風に乗って「ルネッサンス伊王島」という南欧風のリゾートを開発し、町興しに努め…というのは、全国でよくある話。

しかし運営主体の変更や、名称を「やすらぎ伊王島」と改めるなど、多少の変化はあるものの、バブル崩壊後の現在に至ってなお、この施設が活況だというのも凄いところで、この施設への滞在と、伊王島(+沖ノ島)散策を今回の旅に取り入れた次第。


送迎バスは長崎市内を通り抜け


造船所などを眺め



30分ほどで、伊王島大橋へと到達し、いよいよ伊王島へと入っていく。


以前、伊王島は離島だったのだが、一昨年この橋が開通し陸続きになっている。





そして、やすらぎ伊王島へと到着

(翌日撮影)

先ず送迎バスにも十人程度の乗客があり、その他の利用者もあり、フロントから大活況。


そして今日は修学旅行生が本館ホテルを使っているとのことで、離れのコテージの部屋にアップグレードとなる。

アップグレードは嬉しいのだが…しかしバブル期のリゾートだけあり、コテージまで3~400m程離れているとのことで、送迎カートでの移動となる。


電話すれば何時でも迎えに来てくれるとのことなのだが…面倒くさいだけなので、結局最初のチェックイン以外、全て散歩がてらフラフラとあるいて行き来することに。


そしてコテージへと到着


「学校みたい」…いや、奥の建物は本物の小学校。コテージは手前の瓦葺きの小さな建物。

後で紹介するが、ここ伊王島は、島の中心の一等地にリゾート施設が鎮座しているため、学校・郵便局・交番・消防署・フェリーターミナルといった公共施設も全てリゾートに併せて南欧風の装いになっているのである。


で、コテージの内部へ。


部屋は「まあ普通」…と思いきや、これがかなり豪華なコテージで…

リビング


台所


2口ある洗面所


浴室


…と、1人で1泊だけ利用するには、かなりオーバースペックなコテージ。


しかしコテージ内の施設はコレだけに留まらず…


何と天然温泉露天風呂まであるという豪華仕様なのである。





室内に露天風呂があるとは言え…折角なので、本館の大浴場へも入ってみることにして、コテージを出発。

実は修学旅行生の貸切時間があるので、早めに入っておく必要があるのである。そしてカレンダーを見る限り、平日を中心に週に3~4回は修学旅行貸切がある様子。
修学旅行に適していると言える長崎市内から、バスで30分程という立地条件と、バブル期の大規模な施設のメリットを生かして、閑散期の平日は修学旅行生を積極的に受け入れて稼働率を上げているのだろう。


子供の遊び場的な空間をちょっと覗いてみてから


足湯と通り過ぎて


浴室へ…と、言いたいところなのだが、日帰り入浴にも開放されている施設で、利用者も多いので写真など撮れるわけが無く、看板の写真で代用。


まあ循環式で、多少の塩素臭は目を瞑るとして…お湯そのものは鉄分を含んでおり、如何にも天然温泉と言った感じ。
さらに施設も民芸調というのか、東北の秘湯を思わせるような雰囲気の浴室は、檜・炭・石と素材の違う浴槽に、それぞれ温度を変えた湯が注がれており、好みの温度や浴槽を選んで楽しむことが出来る。また海に面した露天風呂(上の看板)も雰囲気があってなかなか。


入浴後は、夕食までちょっと半端な時間があり…わざわざ本館まで出て来ていて、部屋に戻るのも面倒なので、マッサージ処で旅の疲れでパンパンになった手足をほぐして貰うことに。


そして時間を見計らってレストランへ。

元々は、いかにもバブル的な、単純にだだっ広い感じの空間だったのだろうが、鉄パイプと簾などを組んでパーティションを作り、いかにもな手作り感あふれる感じながら、程よくこぢんまりとした落ち着いた空間となっており、これはこれでナカナカ。

まあレストランに限らず、バブル期のハコモノを、小さな工夫の積み重ねで、有効利用している感じで、なかなか好印象の施設である。


で、料理もスタッフが細かく、さり気なく進行具合をチェックしながら、順次暖かいものを提供してくれる方式。

なので一括の写真はなく、前付と焼物だけを代表で…



まあ全体の写真が無いので解りにくいのだが、ボリューム的には、「腹八分目」と言った感じの会席料理で、味の満足度も高い。


しかし何故かデザートがコレ


料理は少々軽めで、デザートで満腹感を…という事なのだろうか^^;
お酒を飲んでいたこともあり、「お持ち帰りにしますか?」と聞いてくれたのだが、まあレストランでノンビリと頂くことに。


そしてこのデザートで満腹感を得たので、腹ごなしを兼ねて、近くの馬込教会のライトアップを見に行くことに。(徒歩で片道1km程度)


一旦、コテージへ戻ると遠回りになるので、レストランからそのまま出発。

しかし…お酒を飲んでいたこともあり、どうしても生理現象が…
しかし本館から少し歩き出してからだったので、「途中にある新館で借りれば良いか」とそのまま歩き続けることにしたのだが…

何とアテにしていた新館が休館日との事。要は閑散期は新館の営業を止めて、需給調整をしていたのである。まあこういう工夫の積み上げで、これだけの施設の運営を継続し続けられていると言うことなのだろう。
しかし感心している場合ではなく…結局、教会までの往復で小一時間、我慢し続けたまま…スッキリしていれば、もう少し落ち着いて見学出来たのかもしれないが…





そして翌朝は、チェックアウトが12時とゆっくり目なので、午前中はコテージの露天風呂の入浴や、施設内の散策を楽しんで過ごす。


そういえば朝食バイキングで「朝カレー」と食べていたところ、居合わせた御団塊様に「朝からカレーなんて非常識だ」などと何故か説教されたのだが…(「そうですか~」と軽く流しておいたが)


そしてホテルのレンタサイクルで電動アシストのエネループバイク(¥300/2h)を借りて、島内散策に出発。
アップダウンのある島との事で、ホテルとしても電動アシスト付きを推奨している。(ちなみに通常の自転車なら¥300/3h)


先ずはコテージの裏手から出発



そしてフラットな道を走って、島の西北に位置するビーチへ


リゾートとタイアップした海水浴場で、シーズンなら賑わっているのだろうが…今の時期は至って静か。


そして海岸線から外れて坂を上り


ここで電動アシスト自転車の本領発揮…と思いつつ、昨日・一昨日と散策を続けていたこともあって、足がパンパンで上り坂を漕いで上がる事が出来ず、結局押して上がることに。これでは何と為の電動アシストなのか…


途中でちょっと見かけた墓場


この墓地や昨夜の立派な馬込教会も物語るように…この島はカトリック信仰が盛んな島。
何でも(平成の大合併前の旧)伊王島町は人口に占めるカトリック教徒の割合が日本一の町だったのだとか。


そして自転車を押し上げて、峠のバス停(島内をコミュニティバスが走っている)へと到着。


ココから再び自転車にまたがり…とは言え、下り坂なので電動アシストは必要なく、”重力”アシストでスイスイ走っていくのだが…





そして灯台入口のバス停から、再び急な上り坂…

その上り坂の途中に、真新しい住宅地がみられる。


大変失礼ながら「離島にしては似つかわしくない新しい住宅地だな…」と思ったのだが、実はコレ、移住者向けの農園付きの住宅なのだとか。
伊王島大橋も開通して、長崎市から車で30分そこそこでこの環境なら…なかなか良いかも知れない。


そして灯台手前の駐輪場に自転車を置いて、徒歩で伊王島灯台へと向かう。


ここ伊王島灯台は、長崎港への入口に位置している重要な灯台であり、1866年の江戸条約に基づいて作られた8灯台の一つ。
歴史ある灯台なのだが、当初の灯台は原爆の爆風で被害を受けたため、現在の灯台は1954年に改築されたものである。


現在の灯台の真横に、当時の灯台の基礎が残されている。



そして灯台から先、岬の方へと公園が続いているのだが…

灯台の真下にある資料館の管理人さんから、「もうすぐ昼休みにはいるから、もし資料館を見ていくなら先に見て行ってよ!」と声が掛かり、先に灯台資料館を見学することに。

灯台そのものは改築されたものの、吏員退息所(灯台職員官舎)は、長崎市から見て反対側の斜面に位置していることもあり、山が盾になったのか、原爆による大きな被害もなく残り、灯台そのものが無人化された現在では資料館として開放されている。


何でも明治10年の建造で、日本で最初の無筋コンクリート造の建造物なのだとか。


味のある洋館の母屋が資料館





灯台の閃光レンズも展示されているのだが、残念ながらこれはココの灯台のものではなく、同じ長崎県内の二神島灯台で使われていたものなのだとか。


管理人さんが見学者が来る度に電源を入れて、点灯・回転の実演をしてくれる。


そして隣にある土蔵風の建物…


コレはバス・トイレの施設


洋館の母屋と比べて、かなり和風なのが面白いところ。


そして灯台の先にある公園(砲台跡)で一息ついて



長崎市方面や


これまた炭坑の島として栄えた高島と、右手にちょっとだけ見えている有名な軍艦島(端島)を眺め


伊王島灯台散策は終了。まあ伊王島の目立った見所と言えば、この灯台くらいなのだが…





そして伊王島灯台を後に、コミュニティバスも走らない、島の南部へと進んでいく。相変わらずかなりのアップダウン。



しばらく進むと、ちょっと下の方に教会が見えてくる。


これは大明寺教会という教会で…今の建物はまだ新しいものなのだが、1879年創建の先代の建物は日本風の趣を持つ教会であり、現在は博物館明治村へと移築されており、そちらで見学することが出来る。

もう少し近寄って見学してみても良かったのだが、歴史的な建造物ならともかく、ただの教会にわざわざ見学に行くというのも何だか失礼な話のような気がするのと、行ったら行ったで色々気を遣わせてしまいかねないような気がして、遠くから外見を見学するに留めることに。


そして如何にも離島と言った生活を垣間見ながら…



ちょっと道に迷いながら、次の目的地「僧都・俊寛の墓」を発見。


しかしまた坂を下らなくてはいけない。
(下ったら、また戻って来なくてはいけない可能性が大きいわけで…)


平家打倒を図った、鹿ケ谷の陰謀の失敗により、鬼界ヶ島へ流罪となった僧で、配流先でその生涯を閉じることとなったのだが…

現在ではその「鬼界ヶ島」がどこの島を指すのかという点でまだ議論があるだんかいなのだが、奄美の喜界島を始め、各地に俊寛ゆかりとされる史跡が存在しており、ここ伊王島にも俊寛の墓とされる墓が存在するという次第。


しかしその墓は何と「中央児童公園」の一角に…




そして、この先、そのまま旧・伊王島の中心部へと下っていけることを期待していたのだが…


残念ながら階段のみで、自転車は通行不可。
仕方なく、一旦自転車を押し上げてから、改めて車道を“重力アシスト”で一気に下っていくことに。





そして旧・伊王島の中心部は、パッと見、運河があるように思えるのだが…


実はこれ、歴とした「海峡」で、写真の左側が伊王島、そして右側が沖ノ島(共に旧・伊王島町)となっており、二つの島は何本かの橋で結ばれ、事実上一体化しているのである。


今度は沖ノ島へと入り、南海岸を走っていく。


まるで北海道の檜山の海岸線でも走っているような光景である。


そして沖ノ島南海岸の見所と言えば…


「畦の岩這」という海岸で…まあ夕日の名所として有名なスポットなので、日中に訪れても、特に感動があるわけではない。


そしてあっという間に島の東海岸へと回ってきてしまう。

ココでは、一昨年開通したばかりの、内地からの連絡橋「伊王島大橋」が眺められる。この橋の開通で伊王島は「離島」では無くなったのである。



間近で見ると、かなり大がかりな建造物なのだが、これは橋の下が船の航路になっているため、高さを確保するために大がかりになっているのだとか。



そして沖ノ島の北海岸へと入り、こんな教会に到着。



そう、コレは昨夜ライトアップを見に来た馬込教会。


休日であれば内部も見学できるとのことだが、今は代休消化中の平日…





こうして伊王島と沖ノ島を簡単に一周し、旧・伊王島町中心部にあるホテルへと戻ってくる。


ちなみに上の写真は、沖ノ島と伊王島を結ぶ1つの橋の上から、伊王島方向を撮影したもの。

こうしてホテルへと戻り、島一周サイクリングは終了。
所要時間はちょうど2時間。ホテル側の案内では「電動アシストなら1時間半くらい」との事だったので、足がパンパンで上り坂をのんびり押し上げていたことや、灯台でのんびりと過ごしていたことを考えると、まあこんなものなのかと言ったところ。


そして自転車を返却してから、ホテルのある旧・伊王島町中心部を散策。

先述したように、リゾートが町の中心部にデンと立地していることに併せて、町の公共施設も南欧風で統一されている。

先ずは伊王島ターミナル(定期船と路線バスの発着所)


公園(というかリゾート施設の一部)


正面奥が消防団、その右が郵便局、そして交番



こうして伊王島散策を終え、次のアクティビティへと向かうのだが…実は私の事前の確認不足と、相手側の告知不足が重なって、ちょっと面倒な事態が発生してしまうことに。

そもそも「“大人の事情”が絡んで、ややシステムが変則的になっている」事が発端であり、不特定多数が閲覧できるネット上にこの一部始終を書くわけにもいかないため、少々<中略>という形にして、次回はそのアクティビティに既に参加した状態から続きを書くことにしたいと思います。悪しからず。(またこの件についてのご質問は一切受け付けませんのでご了承願います。)


<中略> そして<つづく>
Posted at 2013/10/29 22:58:34 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年10月24日 イイね!

佐賀城と白いかもめ

このブログはこちらの記事(「唐津散策」)からの続きになります。





先ず最初にご報告から…

唐津・高島の宝当神社で買ったこの西日本宝くじ、今日が抽選日。


バラで20枚買っていたのですが、7等100円が2枚(コレは当たり前か)に加え、6等1000円が1枚当たっていました。
後者の当選確率は1/5なので、御利益があったと言えばあったということになるのでしょうか。

でも2000円払って、リターンが1200円なので、赤字には違いないのですが…まあ、結果がわかるまでの間、色々妄想を楽しませてくれましたから、まあ良しとしましょう(笑





唐津散策を終え、下校高校生で賑わう唐津線の普通列車で佐賀駅へと移動。

佐賀駅に到着したときには既に辺りは真っ暗。

(佐賀駅到着後、折り返しの西唐津行きとして出発準備中の写真)

佐賀駅



唐津の次の訪問地は、佐賀県の県庁所在地でもある佐賀市。

青春18きっぷでウロウロしていた時分に、何度か列車の乗り換えなどで利用したことがあるものの、特に散策などはしておらず、駅前の西友に行った記憶しかないという有様。

そんな訳なので、「県庁所在地くらい、一度は散策しておきたい」という考えから、今回少しだけながら散策をしてみることにした次第。
(素通りや乗り換えばかりで、殆ど散策をしていない県庁所在地と言えば、他には前橋市くらいだろうか)


とは言え、もう時間が時間なので、先ずは駅近くのビジネスホテルにチェックイン。
駅から徒歩1分で、パン・コーヒー・バナナというシンプルな内容ながら一応は朝食付きで¥3900という価格なので、全く期待していなかったのだが…



清潔で広々とした客室で、しかも簡単な土間があり、室内は靴を脱いで過ごせるという快適さ。それにバスルームの造りがゆったりしているというのもポイント大。

フロントの対応も良く、もう文句なしで大満足のビジネスホテルである。


とりあえず荷物を置いて、身軽になってから、駅前の西友へ。

前にもここの西友に立ち寄っているのだが…駅近くにありながら、営業時間も長く(食品売場に至っては24h)、旅先で急に必要になった日用品類などの買い出しに重宝することもあって、何故かここの西友には何度か立ち寄っているのである。

今回は「天気予報が下り坂なのに、折りたたみ傘が壊れてしまった」という事態が発生してしまったので、観光地価格ではない通常の価格で、色々選んで買えるのは有り難いところ。

実は過去にも「想定外のアクシデントで着替えが足らなくなった」などの理由で、旅先でスーパーのお世話になることが時々あって…
旅先での私の行動パターン的に便利な立地・営業時間の大規模総合スーパーというのがいくつか存在していて、これらの店は何故か何度も同じ店を利用しているのである。
(我ながら不思議なのだが、佐賀の西友のほか、天神と仙台のダイエー、帯広の長崎屋、紀伊佐野のオークワ、深浦のマックスバリューなどが何故か定番になっているのである。)


そして必要なものを入手した後は、駅前のラーメン店へふらりと入って夕食。

清潔感や入りやすさというのもポイントだったのだが、「そこそこ客が入っている(閑古鳥が鳴いていない)が、かといって混雑もしていない」という混み具合も決め手。


で、この店が大当たり


癖のない豚骨スープに、チャンポン風に野菜を大量投入したラーメンで、九州風のラーメンはもちろん、野菜も美味しく食べられて大満足。近くにあったら毎日通いたい店である。

また餃子もしっとり感を残しつつ、カリッとした感覚も楽しめる皮と、シンプルにうま味を感じられる具、更に絶妙な焼き加減も相まって、これまた素晴らしい。

ただアルコールが、「瓶ビール」と「焼酎ボトル売り」という選択肢しか無く、気軽にちょっと飲めないのが残念なところだろうか…(結果的に休肝日となった





そして翌日。14時半過ぎの列車で次へと移動することになっているので、持ち時間は午前中のみ。


そこで先ずは佐賀城をターゲットとし、その後の残り時間次第で、周辺にいくつかある資料館施設を見学、あるいはかなり余裕があれば郊外の歴史的スポットまで足を伸ばす事にして、先ずは佐賀城へ。

佐賀城は駅から歩いても30分程との事なのだが、往路は余裕を持たせるという意味合いも考慮し、駅東側のバスセンターから市バスを利用して移動。


佐賀城まで入るバス系統は少ないものの、かつての城内に立地する佐賀県庁まで乗り入れ、あるいは経由する系統は多くあるので1番早く出発するバスにのり、車内で配布されていた路線図・時刻表冊子と睨めっこしつつ、博物館前のバス停で下車。

博物館も旧城内に立地しており、佐賀城(本丸)は道を挟んだすぐ向かい側。

バスを降りると、目の前に石垣が伸びている


但し佐賀城本丸歴史館の入口は反対側にあるため、少し歩かなければならない…

とは言え、本丸の敷地内を通り抜ける事ができるので、見学がてらの散策だと思えば何も問題はない。


近くの門から、本丸へと入っていく


写真右奥が天守台なのだが…実はこの天守台、本丸側から入ることが出来ず、再び門の外(二ノ丸側)に出て、そちらから上っていくことになる。



そして天守台の上部へ。


元々天守閣が存在していたのだが、江戸時代に焼失した後は、天下太平の時代ということもあってそのまま再建されることは無く、今日に至っている。

明治以降は測候所として使われていたとのことなのだが、現在ではそれも廃止され、天守台の上部は空き地となっている。

まあ味気ないと言えば味気ないのだが、唐津城のように出鱈目な模造天守を建てて石垣にダメージを与えてしまうよりは数段マトモだろう。





そして往時から一貫して残っている唯一の現存建造物の鯱の門(国重要文化財)をくぐり



2004年に再建された本丸御殿とご対面(左手の石垣は天守台)


佐賀城の本丸は天守も含め1726年に焼失。その後佐賀藩の政庁機能は二ノ丸へ移っていたものの1835年にそちらも焼失。
そのため1838年に本丸御殿を建造し、佐賀藩の政庁を移転し、そこで明治維新を迎えることになる。

その後、本丸御殿は師範学校校舎などに転用された後、大正期に老朽化のため取り壊されることになる。
しかし元々の建造が1838年と新しく、当時の図面なども現存し、しかも一部の建物は取り壊しを免れて現存していたため、その建物の調査や、発掘調査の成果を参考にし、2004年に本丸御殿が再建されることとなり、当時の間取りや工法により建造され、「佐賀城本丸歴史館」として公開されるに至っている。


その本丸御殿(佐賀城本丸歴史館)へと入館。


ちなみに入館料の定めはなく、任意の寄付制。
(よくある“事実上の入館料”として寄付を強要するような形ではなく、本当の意味で任意の寄付。)


ちなみにこの再建された本丸御殿…


元々の遺跡を傷つけないように、砂利で埋めてから、その上に30cmのコンクリートの層を設けて…と厳重な対応で建造されている。(唐津城も少しは見習った方が…)


そして館内はボランティアガイドの方が案内してくれるのだが、まあ元々が素人なのでクオリティを求めるのは酷というもので、リタイアした世代が暇つぶしに、構成も考えずに好き勝手なことをしゃべり続けているだけ。

なので一通り案内してもらってから、改めて自由見学という形でじっくりと見学。

建物の話をすれば、築10年ほどなので、まだまだ新しく綺麗。





そして旧藩主の御座所は、大正時代の取り壊しを免れ、城外へ移築され公民館として使用されていたものを、本丸御殿の再建に伴い元の場所へ再び戻したという歴史ある建物。





そして展示品は撮影禁止なので写真は無いだが、佐賀藩や佐賀藩出身の偉人を紹介したコーナーもあり、これがナカナカの見応え。

佐賀藩鍋島家と言えば、龍造寺家から佐賀を譲受する格好で力を持ったことや、幕末の雄藩の一つで、その後も皇室との姻戚関係を多く持つなど、名家であるといった程度の知識しかなかったのだが…

特に幕末期において、西洋の科学技術や医学を積極的に取り入れ、幕末期には幕府から大砲製造の注文を受けるに至り、それと関連して近代的金属工業の研究・開発が行われていたり、また医学では藩主自ら予防接種を体験するなど、日本の近代化に大きな役割を果たしたことが紹介されていたのが興味深いところ。
当時の図面や、機器の模型や再現品、さらには豊富な映像を使った、練り上げられた展示に見入ってしまい、時間ギリギリまでじっくり見学。


結局、佐賀城だけで持ち時間の4時間全てを費やしてしまうことに。

他の場所へは足を運べなかったのだが…逆に佐賀藩の科学技術について知ってしまうと、“時間があれば”程度に考えていた佐賀市郊外の某史跡が気になるところ。
まあこれはまた機会を改めて、十分な時間を確保して見学の機会を設けることにしたい。

佐賀そのものは鹿児島本線から其処まで遠くもなく、宮崎や長崎と比べれば、その気にさえなれば簡単に訪れることのできる場所なので、そう遠くないうちに機会があるものと思うところ。

まあ今回は今までノーチェックに近かった佐賀や佐賀藩に興味を持つことが出来、今後の旅に向けた情報収集や動機付けが出来ただけでも十分な収穫だろう。





そんな事を言いつつも、しっかり昼食の時間だけは確保していた私…

佐賀城本丸を後に、同じ佐賀城内(二ノ丸?三ノ丸?)に立地する佐賀県庁へ。


奥の新行政棟と呼ばれる高層棟は、有明海へと続く地盤の良くない佐賀市にあっては珍しい高層建築物。


で、その新行政棟の11階(R階)は展望室として、一般に開放されている。


佐賀城本丸や、佐賀県庁などが、お堀に囲われた城内であることが手に取るようにわかるスポットなのだが…


あまり時間がないので、展望フロアにあるレストラン「志乃」へ入り、佐賀のご当地B級グルメ「シシリアンライス」を注文。


ちなみにお値段¥1050(ランチタイムで味噌汁・コーヒー・デザートサービス)

写真で見ると、ただの「マヨネーズのかかった野菜サラダ」にしか見えないのだが…

細かく説明すると、ライスの上に、炒めた薄切り牛肉を載せ、更にその上から野菜をトッピングして、仕上げにマヨネーズを掛けたもの。
更に身近なもので例えると…すき家で、牛丼に野菜をトッピングにしてしまった感じとでも言うのだろうか。

しかし、意外にマヨネーズ+野菜+牛肉というコラボがあっていて、なかなか美味しいのである。しかも揚げ蓮根のカリカリ感が良いアクセントになっている。

更に言うと、ここのレストラン…使っている牛肉が佐賀牛のA5クラスだというのが凄いところ。
上ですき家に例えてしまったのだが、牛肉のクオリティは全く違っていて、柔らかさと甘みを感じさせられ、一口で高級和牛だとわかる逸品。

この味でこのクオリティ、さらに立地やサービスも考えると、¥1050という価格はかなり良心的だと言えるだろう。





しかし佐賀城で予定外で時間を費やしてしまったため、列車の時間が迫ってしまい、あわててタクシーを飛ばして佐賀駅へと戻る羽目に。
(それにしても今回の旅、短距離ながらやたらとタクシーを使っているような…)


そしてホームへ上がると、乗車予定の特急かもめがもう入線してくるところ。


今回は885系の「白いかもめ」である。


そして今回はグリーン車を利用


実はみんカラお友達のocyappachiさんの「列車で旅をする時は、グリーン車を利用出来るのならなるべく奮発するように心掛けている。」という言葉に触発されてしまったのが一つなのだが…


それから、佐賀駅から次の経由地である長崎駅の間の営業距離が何と「100.3km」と言うこと…端数の0.3kmがあるが為に特急料金が一気に上がってしまう…

しかし佐賀-長崎という需要も一定あり、しかも競合のバスなども無いことから、JR九州としてもここは配慮せざるを得ないようで、インターネット予約限定の割引切符を導入するなどして、割高感を感じさせないような配慮も行われている。

そしてこの割引切符を使えば、グリーン車も¥800程の追加料金で気軽に利用できるため、利用することにした次第。


それに実を言うと、私、JR九州のグリーン車は散々乗っているので、今となっては正規料金を払って、しかも短距離でわざわざグリーン車乗ろうとも思わないのだが…今回は「この追加料金なら」という判断が働いた次第。

その昔、ニューワイド周遊券が存在した時代は、船なども組み入れたルートで九州入りし、夜行列車を宿代わりにしながら、九州を回っていたのだが…
98年頃にニューワイド周遊券の廃止された後、九州までの往復がJRor飛行機に限定された周遊切符では使い勝手が悪く、仕方なく往復は別に手配することにして、九州内ではグリーン車が乗り放題の「豪遊券」を愛用していたため、JR九州のグリーン車は数え切れないほど乗った事があるのである。
また夜行を宿代わりにするという意味では、事前に座席が指定できて、しかもグリーン車にのれる豪遊券は非常に有り難い切符だったのも確か。
私の記憶が正しければ、その豪遊券は、3日間グリーン車を含むJR九州全線乗り放題で2万円台前半という破格の設定だったはず。それに当時はまだ九州内の夜行列車(ドリームつばめ・ドリームにちりん)があって宿代が浮くことも考えれば、かなりのお値打ちだったかと。
(まあ当時はまだ若くて夜行連泊も苦にならなかったというのも大きな要因なのだが…。また、そんな事もあって、JR九州は早い時期に全線乗車を達成した会社でもあります。)

ただ計算外だったのは…いつの間にかJR九州のグリーン車サービスが簡素化され、ドリンクサービスなどが廃止され、飴玉の配布にグレードダウンしていたことくらいだろうか。


そして列車は有明海を望みながら走行(車内で車窓案内アナウンスがあるのが親切)



そして一時間あまりで終点の長崎駅へと到着。




<つづく>

この後、2編ほど長崎県編が続きます。

とは言え、長崎そのものは何度となく訪れている地なので、出島やグラバー邸などの定番スポットへ行く訳でもなく、皿うどんやチャンポンを食べるわけでもなく…
ややマニアックな内容になることを予めお断りさせていただきます。

それにしても今回はちょっと脱線した内容が多すぎたような…(大汗
Posted at 2013/10/24 22:46:54 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記

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