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2010年12月12日 イイね!

たま駅長に会いに… (和歌山散策Ⅱ)

前編に引き続きSIGMA DP1片手に和歌山散策です。

和歌浦からJR和歌山駅行きバスで和歌山駅へ到着。

ちょうどお昼過ぎで混雑時も過ぎた所なので、たまたま見かけたラーメン店で和歌山ラーメンの昼食。


実は近くに有名ラーメン店もあるのだが、今回は少し冒険して初訪問の店にチャレンジ。
典型的な和歌山ラーメンで、味は満足。何より店のおばちゃんの対応の良さが素晴らしい。和歌山ラーメンの店では注文と配膳以外はサイドメニュー購入も含めてセルフというケースが多いのだが、ここの店はフルサービスであり、しかもとにかく親切で気がつくおばちゃんなのだ。


そしてJR和歌山駅改札口を通過するのだが、ココは「和歌山電鐵に乗ります!」と一言言えばフリーパス。
JRと和歌山電鐵は同じ駅舎内・改札内から発着しているのだが、和歌山電鐵専用の改札や窓口はないので、一日乗車券を買うには一旦JRの改札を通過して、和歌山電鐵ホームの窓口まで行かなければいけないのだ。

そして一日乗車券(¥650←貴志まで1往復するだけで余裕で元が取れる)を購入し、和歌山電鐵に乗り込む。


パッと見「南海電鉄の車両じゃないか!」と思われるかも知れないが、それもそのはず。

この和歌山電鐵は2005年度までは南海電鉄貴志川線として運行されていたのだが、赤字路線であることや、また他の南海電鉄線と接続しない孤立した路線(南海電鉄本線は和歌山駅ではなく2~3km程離れた和歌山市駅から発着している)であることなどから、廃止を表明。
それを受けて和歌山電鐵へと引き継がれることになったのだが、よくある第三セクター方式ではなく、民間から運営事業者を募るというユニークな方法により岡山電気軌道(岡山市内の路面電車等を運営)が手を挙げ、100%の子会社として和歌山電鐵を設立し、路線運営が継承されたという経緯がある。

そのため車両や施設(駅名標等も含む)は南海電鉄当時のものがそのまま使われているものが多く、上の写真のような“そのまんま南海”のような車両が走っているのだ。
なお全6編成のうち、3編成は南海当時の塗色、残り3両は個性豊かな塗色に塗り替えられているのだが、こちらは後で紹介したい。


先ずは一気に終点の貴志まで乗り通す。所要時間30分弱のローカル線の旅である。

そして到着した貴志駅に降り立つ。


ホームに祠が3つ(写真では2つのみ)建っているのだが、それぞれに「いちご」「おもちゃ」「ねこ」という額が掲げられている。それぞれ「電車と果物はじめ農作物」「電車とおもちゃや遊具」「電車とねこや動物全般」を奉っているとのこと。

全てに「電車と」と付いているのは、先ほど述べた個性豊かな塗色の3編成の列車はそれぞれ「いちご電車」「おもちゃ電車」「ねこ電車」というコンセプトでデザインされているため。
「おもちゃ電車」は後で述べることにして、「いちご電車」はここ貴志がいちご狩りで有名な地であると言うことから、そして「ねこ電車」はここ貴志駅の“たま”駅長に由来する。


たま駅長は元々駅舎内売店「前田商店」で飼われていた猫だったのだが、駅の利用者に愛されていた。
しかし和歌山電鐵移管後に無人駅となり“人間の駅長”が不在となり、代わってこのたまがキャットフード1年分の年俸で正式に「スーパー駅長」兼「和歌山電鐵執行役員」に任じられたのだとか。(なお駅自体は無人駅になったが、駅舎内にはたまの飼い主である前田商店や、たまカフェという喫茶コーナーは現存している。)

そして今年建て替えられた駅舎は「たまミュージアム」という愛称が付いており、外観から内部までたま尽くしである。

まず外観。猫をモチーフにしたデザインなのだとか。そして屋根には「TAMA」の文字も見える。


時刻表


そしてたまのいる駅長室。


ガラスも入っており、なんだかショーウインドウに晒されているような気もしなくはないのだが、まあこれだけ有名になってしまうと、その辺に放しておく訳にもいかないのだろう。

しかし残念ながら駅長はお昼寝中。


結局、約1時間の滞在期間中にお目覚めになることはなく、後ろ姿だけのご対面となった。


そして貴志駅を後に、和歌山電鐵本社も併設されている伊太祁曽駅へと移動。


昔ながらの駅舎だが、この駅舎内に本社も併設されており、また車庫もこの駅に設けられている。

残念ながら今日は「ねこ電車」「いちご電車」はお休み。

※DP1の画像を等倍トリミング。

しかし貴志駅から乗ってきた電車の後続で、伊太祁曽→和歌山の区間運転便が設定されており、そちらに「おもちゃ電車」が使用されるとのことなので、ちょっとだけ見学。


「おもちゃ電車」は車庫から出庫してくるのだが、ポイント切り替えが手動であり、係の人たちがきびきびと作業している様子が気持ちいい。そして安全な範囲であればその様子を自由に見学させてくれる。


そして発車時刻まで余裕があったので、内部も見学。


車内にチャイルドコーナーのようなスペースも設けられている。


車内にはブリキのおもちゃの展示ケースも設けられている。


そして車内にガチャガチャも設けられている。


一般的なガチャガチャのほうが多いのだが、折角なので和歌山電鐵オリジナル缶バッジのガチャガチャに挑戦。運良く「おもちゃ電車」柄の缶バッジを手に入れることが出来た。

なかなか遊び心のある個性的な電車で楽しい。流石に混雑する路線にこういう設備を設けても顰蹙を買うだけだろうが、こうしたローカル線の場合、話題作りと増収と一挙両得なのだろう。


このまま「おもちゃ電車」に乗って和歌山駅へ戻っても良かったのだが、日暮れまでもう少し時間があるので、ここ伊太祁曽で途中下車することにする。

和歌山→貴志→伊太祁曽とずっと一緒だった、中国人鉄ちゃんカップルと、キャリアウーマン風鉄子さんはこの「おもちゃ電車」に乗って帰って行ったようだ。


伊太祁曽駅から徒歩5分くらいで伊太祁曽神社へ到着。幸いなこと(?)に激しい石段は無い。


この伊太祁曽神社は紀伊国一宮という由緒ある神社であり、今乗ってきた和歌山電鐵も元を辿れば、この伊太祁曽神社、竃山神社、日前宮の所謂三社参りの利用者の便を図ることを主眼に開設された鉄道なのである。


そして伊太祁曽神社向かいには「ときわ山」と呼ばれる、ちょっとした丘があり、そしてコレ実は古墳なのだとか。




そしてもう日暮れも近いのだが、折角一日乗車券もあることなので、足早に三社参りをすることにする。

次は竈山駅で途中下車。ここは無人駅で、かつての駅舎跡と思われるスペースが駐輪場になっていたり、かつての行き違い設備跡など、往事は三社参りで賑わった駅なのだろう。


そして竃山神社は駅から若干遠い。日暮れ前なので少し早足で先を急ぐ。


10分少しで竃山神社へ到着。


境内に宮内庁管理の墓陵があったり、建物も規模こそ小さいものの神宮を思わせる作りだったりと、格式を感じさせられる神社である。
徳川家ゆかりの東照宮のような派手さは無いが、この風格はどちらかと言えば皇室ゆかりの神社なのだろう。


そして今度は日前宮駅で途中下車。日前宮まで徒歩1分とあるが、これは少し大げさ。実際は3~4分といった所だろう。
ただタッチの差で閉門時刻の5時を過ぎてしまい、境内には立ち入れず、随分手前から参拝だけしてきた。


まあ少しくらい宿題を残して置かないと次の旅が面白くなくなるだろう。


そして和歌山駅まで戻ると既に真っ暗。


和歌山水了軒の売店で見切り価格になっていた駅弁を購入。大阪の本家(?)水了軒が破産してしまった今、水了軒の名前を聞くと、なんとなく懐かしくなってしまったのだ。


そしてバスで和歌山市の繁華街「ぶらくり町」へ移動。
デパ地下にある天然温泉「ふくろうの湯」で汗を流すことにする。


繁華街のデパ地下という凄いロケーションながら、鉄分タップリの湯で、源泉掛け流しの浴槽もあるなど素晴らしい温泉である。和歌山市は市街地ど真ん中に温泉がいくつもあり、良い施設も多く、隠れた大穴場といえる温泉地だろう。

そして湯上がりに何か喉を潤そうと、ドリンクコーナーを除くと「わかやまポンチ」なるメニューが気になったので注文。

*携帯カメラ

はちみつレモンベースのかき氷に紀州梅や林檎、柿など紀州の果物を豊富にトッピングしており、ナカナカ美味しい。ただ今はシーズン外でイチゴが手に入らないとかで、一部のトッピングが変更になっているとのこと。言われてみると紀州らしくないトッピングも…


そして今度は南海の和歌山市駅までブラブラ歩き出す。
途中で「中華そば」の看板を見かけて暖簾をくぐる。そういえば夕食がまだだったのだ。(駅弁はお持ち帰りとなり翌日の朝食になった)

メニューを見ると「中華そば 450円」とこの時間帯に単品で頼むのが申し訳ないような価格。結局「チャーシュー麺 600円」に落ち着いた。

*携帯カメラ

味の方はあっさりとした醤油味で、和歌山ラーメンとしてはかなりあっさりしている。
和歌山ラーメンというより、昔懐かしの中華そばそのものの味である。


そして和歌山市駅から南海で帰宅。


今回はちょっと奮発して特急の指定席に乗車。なお自由席(ロングシートの通勤車両)であれば特別料金は不要なのだが、やはり“旅”さしさを求めて¥500を奮発。


*携帯カメラ

よく考えたら南海の有料列車を利用するのはこれが初めてだったかも知れない。


<完>
Posted at 2010/12/12 05:03:06 | コメント(8) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2010年) | 日記
2010年12月10日 イイね!

紀三井寺と和歌浦を歩く (和歌山散策Ⅰ)

大阪から約60km意外に近い和歌山市内を日帰り散策してきました。
ただ初めてではないので、和歌山城などの定番スポットには立ち寄っていません。

なお今回も機材は28mm相当の単焦点のSIGMA DP1。
特に拘っていると言うわけでもなく、デジイチを避けているわけでもなく、ただコダクロームを大至急使い切らなければならないためフィルム一眼を持ち出している関係上、コンデジながらAPS-Cサイズセンサー(しかも唯一無二のフォビオン)を搭載して画質面でも納得できる機材としてチョイス。



まず阪和線→紀勢線直通の快速列車で和歌山駅の2駅先の紀三井寺駅まで直行。ラッシュの逆行なので…と高をくくっていたら、立ち客も多く、大阪府南部→和歌山市の通勤・通学需要もある様子。

そして紀三井寺駅。


高架化された立派な駅舎ですが…ICカードは使えないので要注意。


徒歩10分弱で駅名の由来にもなっている紀三井寺の入口に到着。

参拝券を購入し、境内にはいると…


良い運動になりそう…。


そして石段の途中には寺名の由来である「三井」(三つの井戸)がある。


他にも途中にお堂が多く、ゆっくり参拝しながら上れば、さほどの苦にはならず。



そして山上に到着。本堂へ参詣。


重要文化財の多宝塔。塗装が綺麗にされているので意外なのだが、じつは室町期の建造物。


眼下には和歌山の市街地が広がります。


そして最近完成した大観音堂。


撮影禁止なので内部の写真はありませんが、全長11mの巨大な観音様(しかも新しいので金ぴか)が鎮座している。

そしてこの建物のベランダが1番の絶景ポイント。



そして紀三井寺を跡にするのだが、しかし…下りる方が大変かもしれない。



そして再び市街地へ戻り、次の目的地へと歩きます。


海岸を約2km程歩いて、次の目的地が見えてきました。



上の写真では分かり難いですが、歴とした島です。


元々この和歌浦近辺は多くの小さな島々が点在する入江であり、紀州藩主も好んで訪れたという景勝地。
しかし埋め立てが進んで、住宅の中にいくつかポコッと山(つまり昔の島)が存在している状態になっているのだが、この妹背山だけは今でも島として存在し続けています。ちなみに周囲は250m程。

ちなみにこの島へ架かる橋(三断橋:写真左手)は、修理こそしているものの、初代紀州藩主・徳川頼宣(徳川家康の十男で、徳川吉宗の祖父)が作らせた当時の原型を留めているとのこと。


そしてこの島で1番の名所と言えば「観海閣」。


徳川頼信が作らせた水上楼閣ですが、残念ながら昭和36年に台風により倒壊。現在はコンクリート造りで再現されています。

内部はガランとしています。


グループでのハイキングなどで四阿的に使うと楽しいかも知れません。

違う角度から。



そしてこの島の中で唯一、江戸時代から残る建造物が多宝塔。


これは徳川頼信が母(徳川家康の側室)を忍んで建てたという建造物。当時はこの島全体が寺院で、他の伽藍もあったとのことだが、現存するのはこの多宝塔のみ。
少しこぢんまりとした雰囲気で、寂しさすら漂う雰囲気だが、瓦には葵の紋が入るなど、如何にも紀州徳川家ゆかりの建造物と言った風格も併せ持っている。


この多宝塔の脇に「妹背山登山口」の標識があった。


島の規模から考えても大した道程ではないだろう、と予想して歩き始めると、大正解。徒歩一分もかからずに山頂へ到達した。

山頂からは和歌浦を見渡せるのだが、かつてのような多島海の風景は望めない。

※コレがDP1名物、サッポロポテト現象(苦笑)

但し対岸には先ほど参詣してきた紀三井寺、そして人工島に作られたテーマパーク・ポルトヨーロッパ、そして海中に異様に長く延びる砂嘴・片男波海岸(写真)などを望むことが出来る。


そして島を一周(…と言っても、5分も掛からず一周できるのだが)して再び三断橋を渡り本土へと戻る。写真は途中で対岸に見えた水門。




本土へ戻って徒歩2分弱で次なる名所「不老橋」へ到着。


こちらは紀州藩10代藩主徳川治寶の命により作られた石造りの橋で、この後に訪れる紀州東照宮への御成道の一部として作られた橋である。こうした貴重な橋であるにもかかわらず、歩行者は自由に渡ることが出来る。


そして不老橋の袂にあるのが「塩竈神社」。


何やら仰々しいものに囲われていますが、神社そのものは洞窟の中に存在しており、仰々しい囲いは落石防止的なものなのだろう。

肝心の神社内部はこんな感じ。



そしてこの塩竈神社のすぐ裏手が玉津島神社。


神主さんも居り、お札を受けることも出来る神社で、妹背山・塩竈神社と無人の厳かな寺社が続いていたので、実に庶民的で何だかホッとする雰囲気である。


この玉津島神社からは裏手の奠供山、表正面の鏡山双方への登山口が存在している。これらの山は今でこそ陸続きだが、昔は島として存在して多島海の一角をなしていたのだろう。
どちらも登るには妹背山と同じく大した道程では無いのだが、妹背山との距離も100mも離れていないので、景色は正直あまり代わり映えしない、



そして玉津島神社を後に運河(川?)沿いを数百m歩いて、御手洗公園へと到着。


池とその周囲、そして架橋された中ノ島等から構成される公園で、地元の人の意向の場となっている。

そしてこの池からも見えているこの神社が次の目的地。


菅原道真を奉る和歌浦天満宮である。

中ノ島を経由して天満宮へと近づいていくと…


…恐ろしいまでの急な石段である。しかし今日は朝の紀三井寺以来、登ったり下りたりを繰り返しているような気がする。

そして本殿。上の写真に写っている楼門とともに1605~6年の建築という歴史のある建造物である。


見た目ではわからないのだが、細かな造作がとにかく派手で鮮やかで驚かされる。


そして昇るより下りるが恐ろしい石段を下りて、同じく御手洗公園に面した紀州東照宮へ。


“東照宮”という名の示すとおり、徳川家康を奉った神社で、日光や久能山のそれと同じく豪華絢爛で左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵も残されているのだとか。

参道はしばらく林の中を歩き、ノンビリとした雰囲気でいいなぁ…と思っていたのだが…


ホントに今日は石段と縁のある日のようだ。ちなみにこの石段は“侍坂”と呼ばれており、鎌倉の鶴岡八幡宮をモデルにしたものなのだとか。
※鶴岡八幡宮は源氏の守り神であり、徳川氏も源氏の家系と称している。(征夷大将軍に就く者は源氏の家系であるという原則があるため)


またまた石段を登り切ったところが楼門。

(反対側から撮影)

そしてお目当ての本殿へ。


ここでは¥500の拝観料を支払うと、個別に案内付きで本殿間近を一周し、左甚五郎作の彫刻や狩野探幽作の襖絵を見学することが出来る。
残念ながら撮影禁止のため写真は無いのだが、若い巫女さんが丁寧かつフレンドリーに案内してくれ、厳かな雰囲気の中、江戸期の優れた芸術に触れることが出来た。


こうして午前中の散策を終え、路線バスで和歌山駅へ移動。
腹ごしらえをしてから、午後の散策に向かうことにする。
神社仏閣が中心だった午前中に対し、午後は色々な意味で鉄分の濃い散策になる。

<つづく>
Posted at 2010/12/10 23:12:13 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2010年) | 日記
2010年12月02日 イイね!

安土城址

昨日、午後だけですが安土城址を散策してきました。


なお今回の撮影機材は全てSIGMA DP1

コンデジなのにAPS-Cサイズのセンサーを搭載していたり、しかもそのセンサーが積層センサーのFoveon X3だったり、レンズが16.6mm(換算28mm)の単焦点だったり、オートも液晶も高感度も使い物にならなかったり、結局RAWを自分で現像しないとどうにもならなかったり…とにかく曲者ですね。

しかしフィルムと同じ積層センサーで撮影し、自分で現像していく過程など、まるで高級コンパクトで撮影したフィルムを自分でスキャンするような楽しみがあるカメラですね。
まあ恐ろしく手間が掛かる半面、巧く決まると恐ろしい程の画像を吐き出したりして、手の掛かるじゃじゃ馬も良いところです。ただ絶対に人には勧めないカメラですけど…。

…と、言うわけで今回は単焦点28mm(相当)一本勝負です。



大阪から電車で1時間。安土駅から散策開始。


駅前で織田信長公がお出迎え。イルミネーション工事中?



安土の市街地を歩きます。




まずセミナリヨ跡へ。ここは織田信長が支援した神学校があった場所で、現在は公園になっています。


実はこのセミナリヨ跡、お堀沿いです。



更に歩きます。



そして安土山(安土城址)登山口へ。この山丸々一つが安土城跡です。


入山料を支払い、いよいよ登山開始。
ちなみに現在安土山を管理しているのは摠見寺という寺院で、元々は織田信長により安土城の一角に建立されていた寺院であるが今では城址を含む安土山のほとんどを所有しているとのこと。


いきなり石段が続きます。



石段を登りはじめると、直ぐ左手に羽柴秀吉邸跡、右手に前田利家邸跡があり、まるで門番のように重臣を配置していたことがわかります。

前田利家邸跡(一本木が生えているあたり。手前は石段。)


羽柴秀吉邸跡



そして所々に石仏が石材として使われていたりします。


安土城築城時に集められた石材に石仏が含まれていた、という話のようだが、こうして案内が出ていないとうっかり踏んでしまいそうで怖い。
そういえば姫路城の石垣には、石棺を石材として使われていた箇所があったような。


随分昇ってきました。



石段を登り切ると、林の中の緩やかな道が続きます。



そして二の丸跡地に織田信長公の廟が建てられています。



更に本丸跡地。発掘作業によると、天皇行幸を想定した御殿が建てられていたのではないか、とのこと。



そして最後の階段を登り切ると…


天守閣の跡地。天守閣は本能寺の変後に炎上し、現在は礎石だけが残ります。


天主台からの眺め。現在は干拓地が広がっているが、当時は眼下まで琵琶湖が迫っていたとのこと。


しばらく眺望や紅葉を眺めて小休止。



そして元来た道を少し戻り、旧摠見寺境内へと向かいます。



ここ摠見寺は本能寺の変後の安土城焼失の際も何を逃れたものの、本堂等は19世紀に焼失してしまい、現在でも現存する織田信長時代からの建物は三重塔と仁王門のみ。

まずは三重塔


向かいの旧本堂跡地が広場として整備されており、ここでも眺望や紅葉を眺めて小休止。



そして重い腰を上げ、少し下ったところに仁王門。




こうして安土城址散策を終え、次へと向かいます。



信長の館という施設に安土城天守上層部の復元模型があるとのことで足を運んでみます。

上から二層が復元されていますが、今回は広角レンズが無いため、一層ずつバラバラに撮影。



内部も復元されています。




そして最後は考古資料館。


立派な建物ですが、研究施設の要素が強く展示室は2室のみで、1室が古墳関係、もう1室が安土城関係の展示になっています。(但し撮影禁止なので内部の写真はなし)

また敷地内には古民家なども移設展示されています。写真は旧柳原学校校舎。


こうして散策を終えて駅へ戻ると、既に真っ暗。ラッシュの逆行なので快適に着席して帰宅できました。
Posted at 2010/12/02 11:59:16 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2010年) | 日記

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