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#「また次回のアップは2月以降になる予定です。」…とは書いていたのですが、やはり時間の取れるときに出来るだけアップすることにしました。
#今回はやたら脱線が多いので、適当に読み飛ばしながら読んでいただければ幸いです。
#通貨について:この旅行記では、ニュー台湾ドル(新台幣)を“元”、日本円を“円”と表記しています。なおこの旅の段階での為替は1元≒2.6円を目安にしてください。
● 「五分車」を目指して
高雄のラブホ風ホテルで目覚め、急ぐわけでもないので、のんびり朝食をとってから出発。
再び高雄駅
但し台鐵(台湾鉄路管理局/国鉄に相当)ではなく、MRT(地下鉄)に乗車。
昨日も乗車した区間を逆走し、高鐵から乗り継いだ左営駅も通過し、更に北上。
いつの間にかMRTは地下から抜けて高架線を走り、20分以上かけて橋頭糖廠駅に到着。
そして駅の出口の真ん前、目と鼻の先が、今日の第一のお目当てであるトロッコ列車「五分車」乗り場。
ここにはその名の通り製糖工場(正式名称は台湾糖業公司高雄廠)があり、その所在地(高雄市橋頭区)から、通称「橋頭糖廠」と呼ばれている。
ちなみにこの台湾糖業公司という会社は…(Wikipediaより引用)
1946年5月1日に国民政府が日本統治時代の製糖会社(台灣製糖、鹽水港製糖、大日本製糖、明治製糖)の台湾にあった資産を接収・合併させて台糖(台湾糖業公司)を設立した。1950年代から1960年代にかけて台糖は大量の砂糖製品を輸出し、当時台湾の最大企業となった。台糖は現在でも台湾の最大の地主であり、農場を主に台湾各地に土地を所有している。
台湾の砂糖事業は400年前のオランダ統治時代に遡る事が出来るが、最近では斜陽産業に属している。本業である製糖の営業収入が衰退してきたので、台糖は1990年代から多角的経営に乗り出し、観光産業、花の栽培、バイオテクノロジーや小売業(コンビニエンスストアや量販店)を開始した。
そしてここ橋頭廠は、かつてサトウキビ輸送用のトロッコが運行されおり、その役割を終えた後も、上記の多角経営化の波に乗ってか観光鉄道として整備され、休日限定ながら観光トロッコとして運行が続けられている。それが今回乗車する「五分車」である。
ちなみに「五分車」とは、決して「所要時間が5分」という意味ではなく、「五分」すなわち「半分」という意味。(ちなみに実際の所要時間は片道約10分)
標準軌(2本のレールの間が1435mm)と比べて半分の軌間(762mm)であることからその名が付いたとのこと。
ちなみに日本では、国鉄が狭軌(1067mm)規格で敷設されていることから、標準軌のことを狭軌と比べて広いという意味で「広軌」と呼んでいることが多い。
(ここから少し面倒な解説が入るので、興味のない方は読み飛ばしてください)
単純に考えると、軌間が広い方が高速運転や輸送力の面で有利なのだが、一方で鉄道施設建設工事のコストが大きくなることもあり、用途などによって使い分けがなされている。
日本の国鉄では、明治当時の土木技術なども勘案のうえ、起伏の激しい日本の地形に合わせて狭軌が選択されたのだが、時代の変化とともに高速列車運転のネックとなってしまった。
土木技術も発展し、日本の地形においても広軌規格での路線建設に支障が無くなったとは言え、一度整備した鉄道網を広軌に改軌するのは他路線との連絡や直通という意味でも難しく、その後も国鉄の路線網は狭軌のまま発展していくことになる。
但し高速運転用に全く新しい路線を建設することになった新幹線では、最新の土木技術を活かして、全線広軌で建設され、更に新幹線車両を在来線直通させる山形・秋田の両新幹線においては、新幹線車両が通る区間だけを広軌に改軌するという手法が取られることとなった。
秋田新幹線の一部区間では、かつて複線だった区間に、狭軌と広軌の単線を並列に並べるという手法が用いられてはいるものの、それ以外の区間では新幹線以外の他の路線から直通列車を運行することが出来ず、在来線ネットワークの維持という意味では難しい問題も生じている。
(例えば寝台特急「あけぼの」は、かつて東北→奥羽線経由で運転されていたが、新幹線開業に伴う改軌により運行経路を上越→羽越線経由に変更し遠回りとなる新潟県経由で運行されている。当然距離が伸びる分、運賃も高くなっているのだが…)
また逆に、サトウキビ輸送用の糖業鉄道や、木材輸送用の森林鉄道など、特定の用途に特化して、特に輸送力や高速運転を求められない場合など、コスト面を考慮して、狭軌より狭い軌間(762mmが多い)で敷設される場合が多い。五分車もこの例にあてはまる。
しかしちょっと考えてみると、台湾鉄路管理局(かつての台湾総督府鉄道)も日本の国鉄に準じた狭軌であり、台湾高速鐵道やMRTの開業(ここ10年程の話である)に至るまで、台湾に標準軌路線は存在しないはずで、なぜ「広軌を基準とした“五分車”という名称になったのだろう?」「狭軌を基準にすれば“七分車”なのでは…」という疑問が湧いきてしまうのだが…
● トロッコ列車に乗車
さて話を旅に戻して、五分車の切符売り場の横に、時刻表が掲げられている。
休日のみの運行で、なおかつ本数も限られているとのことで、事前にこの時刻だけは調べており、10:30の便に間に合うように時間を見計らっていた。
そして往復で80元という、台湾の鉄道にしては破格に高い切符を購入。まあ観光鉄道でなおかつ保存費用なども嵩むのだろうから、文句を言うつもりなど無いのだが。
そして切符売り場の若い女性が切符を渡しながら、中国語で何か話しかけてきたのだが、私には理解できず。
すると間髪を入れずに、横から車掌(?)のお爺さんがカタコトの日本語で「11ジニ ココヘモドッテキナサイ」と通訳してくれた。
上の時刻表では10:30発だったはずで、「時間が変更になったのか?」と尋ねてみるが、首を振る。
その後もカタコトの日本語と、お互いに辿々しい英語で、ゼスチャーや筆談(というか図談)も含めて、相当時間をかけて、ようやく意味を理解。要するに「反対側の駅からここの駅へ戻ってくる列車が11:00に出発する」という話。
全て時刻表通りなのだが、乗り遅れてしまうと、次の便が13:00になり、2時間も待たなくてはいけないので「気をつけてね」という親切だったのである。
まあ日本が台湾を統治していたのは六十数年前の話。お爺さんもまだ当時は幼少だったのだろう。
その後、台湾を統治した蒋介石が日本語の使用を禁じるなどの政策をとったこともあり、お爺さんもそれ以来日本語を学ぶ機会もなく…と言った感じなのだろう。
80を過ぎた方なら、完全な日本語を流暢に、しかも微妙なニュアンスまで使いこなし、更にデリケートな内容も行間で伝えてくるなど、驚くほど高い日本語能力を身に着けていることが多いのだが、それ以下の世代の場合、カタコトであるか、あるいは近年“外国語”として日本語を勉強した人が多いと言った印象。
現在の台湾では「日本語は英語と同じくらい通じる」と言われており、実際8割以上の人はカタコトであればどちらかの言葉を使えるような印象を受けたが、但しあくまでカタコトなので、簡単な会話なら問題ないものの、込み入った説明となると、どうもしっくり来ないのである。
逆に元々英国領だった香港の方が、日本語の通用度はぐっと下がるものの、英語能力が高く、英語でのコミュニケーションに抵抗がない人が多く、込み入った話がしやすいという印象も受ける。
まあ英語の通用度だけなら、アイスランドやオーストラリアの方が断然高いのだが、中華圏にいると漢字が読めるというメリットもあるので、言語的なストレスは断然低く感じられる。そして台湾や香港のような繁体字を使う地域なら尚更である。(逆に中華人民共和国は…)
少なくとも台湾では「込み入った話がしにくい」という事は感じるものの、特に「ストレス」とまで感じることは皆無に近かった。
また話を元に戻して、お爺さんに誘導され改札口を通り、トロッコ列車に対面。
先ずはトロッコを観察。
運転席内部の様子
サトウキビ運搬用トロッコを改造したと思われる客車
後付と思われる屋根は微妙に日本的な意匠
そしてトロッコのレール
ちなみに右手に見えているのは台湾鉄路管理局の在来線で狭軌。
左手の高架は先ほど乗ってきたMRTの路線(広軌)であり、見事に広軌-五分車(ナローゲージ)-狭軌の軌間の違う路線が並行して走っている。
駅名標(?)
そして出発時間となり、先ほどのお爺さんが一両ずつ扉を閉めて回る。
台湾の近距離鉄道やバスは飲食禁止のケースが多いので、念のため「コレ、飲んでいいか?」と聞いてみると「ダイジョブ!!」とのこと。
台湾にしては珍しく無糖で、日本で言う「爽健美茶」に近い味なので抵抗無く飲めるお茶であった。(台湾のお茶は緑茶だろうが烏龍茶だろうが加糖が一般的)
しかし暑いので、給水ないしでは厳しいのである。まあそう考えると、手軽に糖分を取れるように何でもかんでも加糖するというのもあるいみ合理的ではあるのだが…。
そしてトロッコは自転車並みの速度で走り始めるのだが、速度は遅くとも歴とした鉄道。踏切では当然こちらが優先となるのだが、休日だけ運行の臨時的な運行ということもあってか、遮断機などは設けられていない。
交通量の多い踏切は警備員が対応
交通量の少ない踏切は一旦停止で対応
なお踏切手前でトロッコはタイフォンをならすのだが、そのサインがコレ。
「慢」や「鳴」など、漢字を見ているだけでもなかなか楽しい。
そして並行するMRTに追い抜かれる。
いやMRTだけでなく自転車にすら追い抜かれているのだが…
トロッコは走り続ける
そしてサトウキビ運搬用だったのだろうか、構造物を横目に見て…
終点の「高雄花卉農園中心」駅に到着。
結構な混雑に見えるが、実際はトロッコ1両を1グループで占有できる程度の乗車率。実際私も“1人1グループ”で車両を占有できていた。
ホームから給水塔と思われる施設が見えている。
そして駅前で記念撮影タイム。
1977年まで現役で使われていたというSLが展示されている。
このSLを復活させて、実際にトロッコを牽引したら面白いと思うのだが…。
SLの案内板
製造国が「比利時」となっており、勝手に「フィリピンか…アメリカ領だったから、こうした機関車もノックダウン生産していたのかなぁ~」などと勝手に想像していたのだが、この旅行記をまとめるにあたり、改めて調べてみると「比利時」とは「ベルギー」の中国語表記。要はベルギー製なのである。
また「民国○○年」というのは、中国における中華民国建国(辛亥革命)の1912年を元年とする中華民国暦であり、日本で言うところの「大正」と一致している。(ちなみに金日成の生年を元年とする北朝鮮の「主体暦」とも一致している)
そのため「民国歴-14=昭和」となり、この機関車は昭和24年製造、昭和52年まで使用ということが理解できる。
ちなみにであるが、この旅をした2011年は「民国100年」となり、様々な記念イベントが行われたり、記念グッズなどが販売されたりしていた。
また台湾では日付を「100年11月5日」といった表記が一般的に行われており、「100年」なら問題はないのだが、これが「96年」と言われると民国96年(2007年)なのか、西暦1996年なんか、少し気をつけなくてはいけない。
(日本で「11年」といった場合に「平成11年」なのか「2011年」なのか…といった具合)
更に言うと、台湾には1945年以前は「日本」であり、使われていたのは日本の元号(「大正」や「昭和」)であった。
そのため歴史系博物館などではそれ以前の年号を「大正」や「昭和」で表し、それ以降を民国歴で表しているケースが多く見られる。(もちろん中国大陸における中華民国の歴史を表す場合は1945年以前でも民国歴となる。)
…と、やたら話が脱線するのだが、またまた話を旅に戻そう。
20分ほどトロッコの折り返し時間があるので、あたりを散策してみることに。
先ずは芝生の広場や駐車場を横切って散策スタート。
賑やかな音楽が聞こえてくるので、その方向へと歩いてみる。
「視覚迷宮」なる迷路のような遊具があったが、閉鎖中。
更に進むと、バーベキューサイトのような所に出て、休日を楽しむ人で大賑わい。
印象的なのは、この手の施設にありがちな放置ゴミがほとんど無いこと。やはり日本より台湾のほうがマナーが数段良いように感じる。
そしてステージでは演奏が行われている。
演奏曲目はJ-POPのメドレーで、聞き覚えのある曲が次々と流れてくる。しかも日本語そのままで歌っているのが凄いところ。
台湾では日本の曲が普通に歌われているようで、街角で屋外カラオケ大会(?)をしている人を多く見かけたのだが、歌われているのは専ら日本の演歌。
まあ台湾で「津軽海峡、冬景~色~」と歌われても、何だかピンとこないのだが…
バルーンアートも行われている
そして暑さもあって、「台糖冰品」という店に吸い込まれる。
そこで見慣れない紅茶色のアイスが目に付いた。
英語で「コレは何?」と聞いてみると、「酵母」と書かれた札を指さして教えてくれる。
しかし「酵母」を言われてもピンと来ないので、とりあえず注文してみることに。
カップに酵母アイスを盛り、その上にアズキをかけて完成。
ちなみに「椀冰+招牌紅豆」シリーズの1商品で。正式名称は「紅豆酵母冰淇淋」(35元)と言うようだ。
味の方は…意外に和風の味わいで、甘さ控えめでなかなか美味しい。まあ大人の味といった感じだろうか。しかし「酵母」とは何なのか、どうも釈然としないのだが、まあ美味しいからOKということにしよう。(例えようがない味なので、説明に困っているというのが実情)
なお「酵母」の生成物は含まれていない様子なので、子供が食べても大丈夫だろう。
ゆっくり休んでいきたいところだが、トロッコの折り返し発車時間が迫っているので、アイスを片手に駅へと戻る。
ちなみにこのトロッコは両端に機関車が連結されており、機廻しなどは行われず、そのまま折り返してゆく。というか、完全な棒線で機廻し線など一切無いのだが。
まだアイスを食べ終えていなかったので、先ほどのお爺さんに「コレ食べて良いか?」と聞いてみると、「ダイジョブ、ダイジョブ!!」との返答。何だか小島よしおが頭の中に浮かんできたのだが…
● 製糖工場跡を散策
こうして五分車の旅を終え、再び橋頭糖廠駅へと戻ってくる。
この近辺は、かつての製糖工場跡を活かして、アートなどで再開発が行われているとのことで、こちらも少し散策してみることにしたい。
まずMRTの駅前に、かつての門のような構造物を発見。
圧搾機の歯車も転がっている。
そして静かな雰囲気の通りへと出る。
両側の木には張り紙がしてあり…
少し歩くと「糖展館」という建物がある。(ちなみに背後の高架駅はMRT橋頭糖廠駅)
しかし入口にはカーテンが引かれており、新しい建物へ移転したようなことが漢字で書かれた張り紙がされており、中へは入れず。
それにしても灯籠が建っているなど、いかにも日本的な雰囲気。
近くを見渡すと、真新しい「台糖館」なる建物が目に付いたので入ってみることに。
こちらが新しくオープンした施設なのだが、内部は完全に売店といった雰囲気。お土産品や飲物などが中心で、まるで「道の駅」の売店といった感じだろうか。
そして近くにはかつての社宅(?)を改装したレストランやカフェが並ぶゾーンがある。
事前の下調べでは、「廃墟のよう」との事だったが、MRTの開業に合わせてか随分と綺麗に改装されてしまったようだ。
ただ全体的にお洒落な店になってしまっており、往時を偲ぶと言う意味では、少々残念かもしれない。
また移転前の「糖展館」の今後も気になるところで、出来ることなら産業遺産としての保存を願いたいところなのだが…
更に歩いていくとアートなゾーンへと突入。こちらは昔ながらの建物が比較的保存されているようだ。
先ずは「雨豆樹劇場」なるスペース。
そしてかつての「招待所」を活用した「白屋」というアート展示場。
ただこの先は有料ということもあり、とりあえず周囲の道を歩いて入場するかどうか内部を偵察。塀が低いので、敷地内の様子だけは普通に道から見えている。
まず目に付いたのが、煉瓦造りのかつての給水塔。
あとはかつての招待所の建物がカフェになっているなど、アートな空間へと生まれ変わっているようだが、元々アートへの関心は薄く、産業遺産の展示的な施設でも無さそうなので、今回はオミットすることに決定。
かつての社宅であろうか、味わいのある建物を見ながら駅へと戻る。
ちょっと分かり難いのだが、灯籠が建っているなど、妙に日本的な趣が感じられる。もしかしたらかつては神社などあったのかも知れない。
こうして橋頭糖廠の散策を終え、駅へと戻り、MRTで次なる目的地へと向かうことにする。
<つづく> ※次回は鉄道ネタはお休みで、高雄観光編になります。