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NEOCAのブログ一覧

2011年12月25日 イイね!

舳倉島散策(後編)

なおこのブログは以下からの続きとなります。
 ・のと鉄道と御陣乗太鼓
 ・舳倉島散策(前編)




今回の登場箇所を案内地図にプロット。

※数字は訪問順


島の北海岸の散策を終え、これから集落の続く島の東~南海岸へと進んでいく。



なおしばらくは逆光の中を進んでいくことになり、ふり返って(順光で)撮影した画像が多いのだが、その都度ことわりは入れない事にする。


そして島に二軒ある民宿の前を通る。


時期が時期ならバードウォッチャーで賑わうとのこと。
ちなみに前の車はゴミ収集車。


民宿の前に、肉厚な干物を発見。ここに泊まると、これが食べられるのだろうか。




そして更に歩いていくと伊勢神社。


久しぶりの木陰で一息。


この伊勢神社は集落の真ん中にあり、以前は島の信仰や祭りの中心であったが、現在では神社の配置や祭りの変化により、そうした役割は担っていないとのこと。


再び散策を再開。板張りの壁など如何にも能登の漁師町といった風情である。



そして「ニューへぐら」で到着した港へ帰還。これで島の北東側半分を一周してきたことになるが、まだまだ南西側へと散策は続く。



港に浮かぶ弁天島という小島にもお社があり、「弁財天社」とのこと。


残念ながら島に渡ることは難しいので、対岸からの参拝となる。
しかしこれも島に7カ所あるお宮の一つであり、この七宮参拝は島の数少ない観光的な要素でもあり、散策の重要な柱にもなっている。
※参拝順に金比羅・無他・恵比須・伊勢・弁財天・奥津比咩(大和田)・八坂の7社


集落内でも祠を見かける。これは七社には含まれないようだ。



港の風景を眺めながら散策は続く。



「避難路(遊歩道)」という道があったので入ってみる。


ただ「高台へ続いている道」といった様子で、特に整備された遊歩道というわけでは無さそう。




適当に折り返して海岸沿いへ戻る。



のんびりとした雰囲気の民家の前を歩いていくのだが…



カメラを片手に歩いていると、道から見えるような場所でお婆さんが水浴びをしていたのでちょっと慌ててしまう。
まあお婆さんからすればバードウォッチャーを中心にカメラをぶら下げた人が歩いているのは想定の範囲内のはずで、特に気にしていない様子。(そもそも見られることを気にしていたら道端で水浴びはしないだろう…)
レンズに手を当て、目をそらして、そそくさと通過。


そして島の南端近くの奥津比咩神社に到着。



案内板などでは「奥津比咩神社」と表記されているが、神社の入口には「奥津姫神社」と表記されている。また境内に大和田神社という神社も同居している。


そして神社のすぐ横が島の南端。




ある意味、本当に日本の果てなのだが、正直あまり実感がない。まあお天気が良いので、そういう雰囲気を醸してもいないのだが。


この先は島の北西海岸を歩いていく。

先ずはふり返って、奥津比咩神社と島の南端方面。



そして少し海岸を歩き…



一旦、海岸から離れて、島の中心を貫く道へとはいる。


一応、高台にはなっているのだが、最高地点でも標高12.4mしかない島なので炎天下の散策でも苦痛はない。
ちなみに先ほどの「避難路(遊歩道)」という道を進んでいくと、この道に合流するようだ。


高台にあるアンテナ。


保守工事なのだろうか、作業員の姿も見られる。そういえば行きの船にも大荷物を持った作業員達が乗船していた。


そして島一番の目玉(?)の野鳥観察舎へ到着。
東屋と、カモフラージュ壁があり、覗き穴から鳥を見る趣向のようだ。


船の中でも見覚えのある鳥屋さん達がじっと構えて鳥が来るのを待っている様子。
ただ時期的なこともあってか、肝心の鳥はおらず、ひたすら忍耐勝負のようだ。

ただ私は鳥を見に来たわけではないので、施設だけ見学して早々に次へと向かう。


島の中心の高台にある灯台(左)と簡易水道給水塔(右)が目の前にあるのだが、これらは後回しで、島の北西海岸の見所を廻ってしまうことにする。
ここから港までは直ぐ近くなので、乗船前に船の時間を見ながら見学すればいいという判断である。


そして八坂神社。


前回のブログで取り上げた金比羅神社と同様、膝上まである草の中を歩いて参拝することに。
ちなみに実は訪問順序では随分と開いてしまったが、金比羅神社とは直ぐ隣。



この神社の近辺にもケルンが多く見られる。


そして神社の先にあるシラスナ遺跡。


弥生時代・古墳時代・奈良時代・平安時代の複合遺跡で、奈良時代の貝塚や、明治以前に行われていた猟の名残でアシカの骨などが発見されているとのことだが、標識以外特に整備されておらず、素人がパッと見ても、ただの荒れ地にしか見えない。


こうして島の外回りを一通り散策し、最後に残った簡易水道給水塔と灯台へと戻る。



簡易水道給水塔は「へぐら愛らんどタワー」と名付けられ、展望台兼資料館として開放されている。島で唯一と言っていい観光色の強い施設である。



内部の階段



内部の展示はパネル展示が中心だが、学術的研究の成果と写真が中心で、書かれている内容だけなら意外に深い。


但しやはりパネル中心なので、資料館として考えるとやや物足りない感じを受けてしまう。


そして展望台へ。


前回のブログで登場した龍神池。


集落と港(「ニューへぐら」が停船している)



船の時間も迫ってきたので、隣の灯台へと移動。但し目と鼻の先にも関わらず道がないので、大回りをしなければ行けない。



ここの灯台は内部は開放されておらず、外から見上げるだけである。


灯台横のヘリポート。急患輸送などに使われるようだ。



こうして島の散策を終え、最初に通ってきた学校の前を通過。


前回も書いたように、ここの学校は「鳳至小学校舳倉島分校」と「上野台中学校舳倉島分校」が併置された形の学校だが、現在では児童生徒がおらず休校中。

…の筈だが、何故が校庭に先生がいるではないか。
話を聞いてみると「夏休み期間中だけ臨時に開校しており、明日が最終日…」との事で、おそらく臨海学校的なイベントなのだろう。
最初に島に来たときに、いないはずの子供の姿を見て少し驚いたのだが、このイベントに参加している子供達だったのだと、今更ながらに納得。


ところが、帰宅後に調べていると…

舳倉島分校 開校へ アワビ漁の7~9月 7年ぶり教員が赴任

輪島市沖の離島・舳倉島の小学校分校が、七月から七年ぶりに開校することになった。
三十日に島で開校式を行う。

アワビの素潜り漁の漁期にあたる七~九月の三カ月間、一~四年生四人が漁に携わる
家族とともに移り住み、分校には教員二人が赴任する。

舳倉島分校は鳳至尋常小学校海士町分校として一八九五(明治二十八)年に開校。
その後、同市鳳至小学校と上野台中学校の分校となったが、二〇〇四年度末に休校した。

中学校は〇五年と〇六年の夏に臨時開校したが、小学校は入校希望がなかった。
今年は素潜り漁で島に渡る二家族から要望があり、開校を決めた。島民らが運動場
の草むしりや校舎の清掃をするなどして開校準備を進めている。

中日新聞20110628


…とのことで、歴とした正規の学校として開校していたようだ。


先生に断って、校庭にも入らせて貰う。



そんなこんなで舳倉島散策は終了。「ニューへぐら」出港時間も迫っているので、港へと戻る。



しかし「ニューへぐら」の周囲に人だかりが出来ていて、妙に騒がしい。
近くにいた人に話を聞いてみると、診療所の医師が任期満了で島を離れるので、そのお別れに人が集まっているのだとか。


離任する女医さんは、かなり島の人に信頼されていたようで、まるでヒロインのように人々から別れを惜しまれている。
まだまだ若いのに、何かと不便な日本海の孤島に住んで、地域医療に貢献するとともに、島民に慕われ…本当に頭の下がりそうな思いである。

ただこのお別れのイベントを撮影に来ていたマスコミが微妙に場を仕切って(というか演出して)いて、不快感を感じたのも確か。


そして出港。マスコミの撮影が終わり、ようやく甲板での自由な歩行が認められ外へ出る。
マスコミは女医さんを甲板に立たせて、如何にもなお別れシーンだけ演出・撮影して引っ込んでいったが、その後も撮影とは関係なく何時までも手を振り続ける人々の姿があった。


まあ自分が見送られているわけではないとわかってはいるのだが、こうしたお見送りの中での出港は何となく気持ちが良いものである。


こうして舳倉島ともお別れ。




※続編の予定はありません。
Posted at 2011/12/25 16:17:47 | コメント(6) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年12月22日 イイね!

ユニチカ記念館と武庫川線とモール温泉

昨日、午後からちょっと散策に出掛けることに。


先ずは午前中に一仕事終えて、難波で昼食。

ふと思い立って、以前のブログでも登場したラーメン屋「天地人」へ。(ちなみに場所は…京都風に言うと、「堺筋千日前下る」)

ラーメン屋としては、「替え玉無料」(しかも無制限らしい)が有名になっているが、私的には「豚丼」がお目当て。

※携帯カメラ

敢えて「十勝風」などとは名乗っていないものの、完全に十勝風…いや青ネギが乗っている辺りは関西風なのかも。(実は松原市にも豚丼を出す店があるのだが、そこも青ネギが乗っている)
味の方も、別に十勝で出てきてもおかしくはないレベル。ただ激戦区で競い合っている有名店と比べてはいけないだろうが、細かいことを言う必要も無いだろう。何しろ本格的な豚丼が大阪で食べられるというポイントはかなり大。(どこかの「十勝仕立て」などでは、お話しにならないが…)


そして昼食を終え、いよいよ散策に出発。

ちなみに今回の撮影機材は…

※SONY α55 + MINOLTA AF SOFTFOCUS 100mm F2.8で撮影

SONY α200 + TOKINA 17mm F3.5 [AT-X17AF](換算25.5mm)という組み合わせ。

まずα200だが、α55やNEX-3という優秀な後輩がやって来て、最近は戸棚の片隅で休んでいることが多いのだが、日中であればCCD機の強みで、低感度でシャドー部の締まりの良い画に仕上がるので、こういう日帰りでの散策という機会に持ち出すことに。

そしてAT-X17は、我が家で唯一のトキナーレンズ(…というか、近年トキナーはαマウントレンズをほとんど発売していない)で、フルサイズ17mmにしては周辺まで含めて安心して使える画質なのだが、これまた最近は(というか以前から)防湿庫から滅多と出ないレンズ。一部で逆光に弱いと評されてはいるものの、私的にはまあ及第点。

フィルム時代はコニカミノルタの17-35mm F2.8-4 (D)という、使い勝手が良く、画質もそこそこの後輩がおり、AT-X17の固定式フードを含めたサイズがほとんど17-35mmと変わらないこともあって、滅多に出番が無し。(せめてフードが脱着可能であれば、サイズ面でアドバンテージがあったと思われるのだが…)
そしてデジタルでは、シグマDP1(換算28mm)やNEXのパンケーキ(換算24mm)という、同じAPS-Cサイズのセンサー搭載ながらコンパクトな機材が手元にあり、更にαマウントではソニー16-80mm F3.5-4.5 ZAやシグマ10-20mm F4-5.6 EX DCといった優秀なズームレンズに含まれる焦点距離ということもあり、敢えてAT-X17を選択する理由もなく…

それでも安心して使える画質であること、色味など好みにあっていること、比較的コンパクトながら金属鏡胴で作りがよいこと、我が家で希少なトキナーレンズであること…などの理由でリストラの対象にならず、手元に残り続けているのだが。

偶にはそんな不遇な機材たちにも活躍して貰おうということで、今回はこの組み合わせを選択。
今回は特記のない限り、この組み合わせでの撮影で、また例え斜めになっていようとトリミングなどは行っていません。(縮小および一部RAW現像のみ)


まず難波から阪神なんば線に乗り、阪神本線との合流駅である大物駅(兵庫県尼崎市)へ移動。


ちなみに右手が阪神なんば線(旧西大阪線)、左手が阪神本線。
(厳密には大物から先の尼崎までは、なんば線と本線が並行して走る形で二重戸籍区間なのだが)


そして大物駅を出発。


実はこの近辺には、旧尼崎港線跡があったり、D51が静態保存されていたりと鉄的にも面白いエリアなのだが、今回は別の目的での散策。


少し歩くと、大物主神社という神社を発見。


特に何かお目当てがあったわけではないのだが、旅(散策)の安全を祈願。


すると境内に「汁醤油発祥之地」なる碑を発見。


特に案内板等はなく「汁醤油って、何だろう?」との疑問を抱えたまま散策を継続。


しかし気になったので、帰宅後に調べてみると…

・昔の醤油は、味噌を造ったときに出る副産物(味噌の下に溜まる液)であった。つまり今で言う「たまり醤油」。
・その後、もろみを使用して醤油そのものを生産する技術が開発され、汁醤油と呼ばれた。
・つまり我々が普通に使用している醤油こそ、「汁醤油」そのものである。
・現代では廃れてしまったが、明治・大正期にはここ尼崎は醤油の一大産地であった。

…とのこと。我々の身近にある醤油にも秘められた歴史があり、また尼崎の産業史という意味でも興味深いものであった。


そして神社から更に歩いていくと、阪神間の大動脈、国道43号線(阪神高速)へ到達。



43号へ左折し、大阪方面へ少し歩いたところで側道へ入ると、赤煉瓦の塀が見えてくる。



そしてここが今回のお目当ての「ユニチカ記念館」


この建物はかつての尼崎紡績(後に摂津紡績と合併し大日本紡績→ニチボー。更に昭和44年に日本レイヨンと合併し、現在のユニチカ)の本社事務所として、明治33(1900)年に建てられた建物で、現在はユニチカの記念館となっている。



なお余談だが、「ユニチカ」という会社名は「※ユニチカ(UNITIKA)の社名の由来は、united(結合)の「ユ」 + ニチボー・ニチレの「ニチ」 + カンパニー(企業)の「カ」を組み合わせた造語であると言われている。」とのこと。(Wikipediaによる)
しかし、もう少し何とかならなかったのだろうか。正直「ユニチカ」と言われても、何の会社かわからない人が多いと思うのだが。


で、「見学は裏門から」とのことで、一度道路を裏へと回り、敷地内をぐるりと迂回して再び正面へと戻ってくる格好になる。

裏側から


斜めから



近年では建物自体が産業遺産としての価値を認められている。(別に歪みテストをしたつもりは…)


また阪神間モダニズム建築の一つとしても評価されている。なお外壁の赤煉瓦はイギリスからの輸入品なのだとか。


そして内部を見学。見学は無料で、予約も不要。


しかし公開されているのが、毎週水曜日のみ。しかも10-12時と13-15時の合計4時間のみという、なかなかハードルの高い施設。

実は今回たまたま水曜日の午後に時間を作れたので、ようやく訪問できた次第。


廊下


応接室(?)


資料室


昭和天皇視察時の玉座



そしてメインの展示室。


ただ残念ながら、記念館としてのクオリティは決して高くない。
雑多な契約書や記念品などを、あまり動線も意識せずに並べているだけといった雰囲気。
せめてパネルなどを併用して、それぞれのコーナーの展示意図と明確にするとともに、各コーナーを有機的に繋いで企業やその歴史がわかるように構成して欲しいものである。

しかも展示物も昭和の頃に展示したものをそのまま放置といった感じで、色あせていたり、最低限の手書きの案内板も完全に日焼けしているなど、もう少し手を入れた方が良い感じである。

正直なところ、これではOBを中心とした身内が、昔を懐古するための施設としか言いようがない。
これなら思い切って雑多な展示を止め、「資料館的施設」としてではなく、「建物そのもの」の公開を主眼にしても良いのではないかと思う。あるいは貸しホールなどとしても活用できるのではないだろうか。
(まあこのご時勢に繊維会社がこうして施設を一般公開してくれているだけでも有り難いと思うべきかも知れないのだが…)


そしてバレーボールチームの展示室。



ここもまあ似たような感じなのだが、いきなり床にこんなものが置かれていたり…


何の解説もなく、床にポンと置かれているので、唐突なイメージを受けてしまうのだが…。


室内をよくよく見てみると、2~3m離れたケースに入った当時の企業新聞があり、それによると…

かつて大阪府と京都府の府境あたりの東海道本線沿いに、会社の健保組合による結核療養所が存在しており、そこの入所者が天皇陛下の乗車された列車や、ちょうど昼過ぎに通過する特急「はと」に向かって、手を振って見送りをするのが日課になっており、そうした事が縁で特急「はと」の乗務員が施設を慰問するなどの交流に発展。
しかし昭和35年に特急列車の蒸気機関車からディーゼル機関車への切り替えを機に「はと」が廃止され、その際にこうした友情を記念して「はと」のヘッドマークが日紡記念館(現在のユニチカ記念館)に寄贈された…とのこと。

ちなみに帰宅後に別の資料を照らし合わせたところ、東京-大阪間の特急「はと」は昭和31年に電気機関車化、更に昭和35年に電車化と同時に「はと」は「つばめ」に吸収され一旦消滅、昭和36年に電車特急として「はと」の名称が復活。
更にその後、新幹線の開業で新大阪-博多に運転区間を変更、その後も山陽新幹線の西延により運転区間を縮小しつつ、昭和50年の新幹線博多延伸により廃止…となっている。

やや話が食い違っているが、昭和31年か35年に送られたヘッドマークと理解して良いのだろう。(151系電車ではヘッドマークは使用していないはず)


しかしもう少ししっかり解説板を設置するとか、ケースに入れるとかすべきだと思う。
また当時の記事の写真では「はと」「特急」というサイドボードも一緒に展示されている筈なのだが、もしかすると盗難にあったのかも知れない。

…しかし、そもそもこの部屋はバレーボールチームの展示室なのだが^^;


そんな館内見学を終え、今度は庭を見学。建物や塀は煉瓦造りの洋館だが、二宮金次郎像や稲荷社など、日本的なアイテムが散見される。




こうしてユニチカ記念館を見学し、今度は大物駅から武庫川駅へ移動。

阪神本線の武庫川駅そのものも、武庫川に架かる橋の上にホームがあり、東口から出ると川の東岸の尼崎市、西口から出ると西岸の西宮市というユニークな駅なのだが…

西口へ向かう通路の下に電車が隠れている…??



実はコレ、阪神武庫川線という支線の電車。

阪神武庫川線は武庫川駅から、南側の海辺にあたる武庫川団地前を結ぶ1.7kmの支線なのだが、元々は更に北側の国鉄西ノ宮駅からここ武庫川駅までの区間も存在しており、阪神本線とは垂直に立体交差する格好になっていた。
(当時は航空機の工場があった関係で、国鉄の貨物列車が運行されており、三線軌条であったなど、話題は尽きないのだが…)

現在は武庫川駅以北は廃線となっているが、阪神本線との連絡線を維持する関係上、廃線区間の一部を連絡線として使用している。
なお武庫川線はラッシュ時2編成で途中の東鳴尾駅で交換を行う運用となっているが、日中は1編成が単純往復しているだけなので、余分となる1編成をこの連絡線の、しかも阪神本線の真下に留置しているのである。


ちなみに武庫川駅を図で表すとこんな感じ。(Wikipediaのパブリックドメイン画像を元にNEOCAが加筆)



ちなみに武庫川線の途中駅(洲先、東鳴尾)は無人駅であり、その対策として武庫川駅の武庫川線ホームに入るには中間改札が存在している。
しかも武庫川駅から乗車(つまり阪神本線からの乗り継ぎではない)の場合でも、一旦改札を入った後に中間改札を通り武庫川線ホームへ向かうことになる。つまり改札を連続して2回通らなくてはいけないという不思議な駅になっている。


そのかわり洲先・東鳴尾の両駅は完全な無人駅で、集札箱があるだけというシンプルな構成。

そのため両駅からの利用者は、武庫川駅の中間改札手前にある券売機で目的地までの切符を購入することになる。しかもその券売機が乗車駅に応じて「洲先用」と「東鳴尾用」と二種類が並んでいるという不思議な光景。

※携帯カメラで後刻撮影

但し整理券があるわけでもないので、どちらの券売機で買うかは自己申告で…「洲先用」が1台なのに対し、武庫川駅よりの「東鳴尾用」が2台あるのはご愛敬なのだろうか…。

ちなみに終点の武庫川団地前駅には券売機や改札機が設置されている(が、無人駅)ので大きな問題はなく、また東鳴尾-洲先間の利用者は「運転手が切符を発売する」という事になっているが、チェックを受ける機会もなく、あくまで自己申告。この区間だけの利用者はほとんどいないのだろう。(両駅間は0.4kmしか離れていない。)

そんなこんなで容易に不正乗車も出来そうな路線なのだが、まあ線内相互間の利用客は少なく、武庫川駅で阪神本線に乗り継ぐ乗客がほとんどなので大きな損害にはならないのだろう。
多少の不正乗車のリスクには目を瞑り、運営の効率化を優先させている印象である。


…と、色々興味の尽きない路線であるが、僅か1.7km。乗ってしまえば数分で乗車体験終了。

終点の武庫川団地前駅



その名の通り、昭和末期に開発された武庫川団地の住民を主なターゲットにした駅。
ちなみにこの阪神武庫川線は、戦時中は航空機工場への輸送線、その後は阪神系列の車両メーカーである武庫川車両との車両受け渡し、その後は武庫川団地へのアクセス…と役割を変化させながら存続してきた路線である。


で、駅周辺は完全な団地。



折角来たので、海側(鳴尾浜)方面へ散策することに。まあ団地を抜けると、埋め立て地の流通団地のような場所で、別に楽しい訳でもないのだが、公園などはよく整備されているので、散歩には良いかも知れない。



そして野球場も存在。



隣接して「白球の森」なる公園があり、何でも昭和58年夏の甲子園出場校の地元ゆかりの木を植えているのだとか。


ついつい北海道代表をチェックしてしまう。(旭川竜谷と駒沢岩見沢)



そして上の野球場と道を挟んで、阪神二軍の鳴尾浜球場。虎風寮なる選手宿舎も併設されている。



とは言え、何もない平日にこれ以上散歩しても収穫が無さそうなので、近くの天然温泉スーパー銭湯で入浴。


「熊野の郷」鳴尾浜店という施設で、特に期待してはいなかったのだが…

これがまた意外にも大当たり。
先ず温泉なのだが、明らかに「モール温泉」(希少な植物性の温泉で、日本では北海道の十勝が有名)で、独特の香りも健在。(但し施設側は「アルカリ性単純温泉」としか名乗っていない)
しかも源泉掛け流しの浴槽が内湯と露天にそれぞれ存在。しかも少しぬるめのお湯でゆったり浸かれて…と実に素晴らしい。

この日は「和風」大浴場だったのだが、日によって「バリ風」と男女入れ替えになっているとのこと。
浴場そのものの、狭すぎず広すぎずの絶妙な広さで、掛け流し浴槽の他にも、ジャグジーや塩サウナなど一通りは揃っている印象。しかも脱衣場共々非常に清潔に保たれていて気持ちがよい。

入浴料もタオル(ハンドタオル・バスタオル両方)付きで¥850、しかもJAF割引なら¥700と、高くはない印象。(入湯税¥75別途)

また売店やレストランでは、その名の通り熊野の産品を揃えているのはもちろん、北海道の産品も置いており、湯上がりに秩父別のトマトジュースなど楽しむことが出来た。


後から思えば、昼に豚丼を食べていたのも何かの縁かも知れず、関西にいながらちょっとだけ十勝気分を満喫した一日に。
これなら、また十勝が恋しくなったときに足を運んでみるのも悪くないコースだろう。

ちなみに武庫川線武庫川団地駅から徒歩10分程度、甲子園駅からの無料送迎バス(毎時2本)もあり、また車でも阪神高速鳴尾浜ICからなら数分も掛からないだろう。(しかも鳴尾浜ICは料金境界なので、阪神双方から安く行ける)


素晴らしい温泉施設を発見したと気分も良く、帰路につく。

武庫川団地内で見かけたイルミネーション。



再び武庫川線→阪神本線へと乗り継ぐも、武庫川駅からものの十数分で大阪市内へ到着。
随分と新発見の多い散策で、遠出した気分になっているが、実はほんの近所。

わざわざグリーンランドまで行かずとも、ご近所発掘も面白い…ということを再認識して半日散策も終了。


<完>
Posted at 2011/12/22 16:05:19 | コメント(10) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年12月13日 イイね!

東グリーンランド・アンマサリクの街散策Ⅱ商店など [アイスランド&グリーンランドの旅報告No.13]

「アイスランド&グリーンランド旅の報告」のバックナンバーはこちら



先ず今回取り上げる範囲をプロット。




● スーパーで戸惑い


アンマサリクの街外れまで散策するが、その先に何があるわけでもないので、ほどほどで切り上げて市街地へと戻る。



街の西の端に位置しているスーパー近辺は、アンマサリクで一番賑わっているエリアであり、大人は井戸端会議、子供はトランポリンや自転車で遊んで(この坂だらけの街で自転車は決して実用的なアイテムでは無いはず)…と、大昔の日本のような光景が展開されている。



そして賑わいの中心にあるのが、このスーパー。


日本で言うと、かつてのダイエーのような、総合スーパーに相当する品揃えである。


しかし、ここまで見てきたグリーンランドのイメージとはかけ離れた世界が広がっていたのだが…(見たくない人は次の章まで飛ばしてください)


まず入口を入ると…


驚くほど近代的なスーパーに度肝を抜かれる。しかも右手にはATMまで存在している。

ちなみに正面奥は酒類のカウンターであり、前回の旅行記も書いたような事情から、アルコール類は度数の低いものしか売られておらず、しかも一般の売り場とは別にカウンターを設けて、対面販売に限定しての取り扱いになっている。
なお地域によっては、ポイント制(配給券のようなもの)で1人あたりの購入量を制約しているとのことだが、ここアンマサリクがそのシステムを導入しているのかは未確認。


また夏場しか船が入港できないという事情から、現在の在庫はほとんどが昨年秋までに搬入されたもの。従って売り場に空棚が目立つ。


もちろん生鮮品などはほとんど見あたらず、ほぼ冷凍あるいは乾物ばかりといった印象である。


確かに冷凍品などは品切れも多いようだが、乾物類に関しては意外に品揃えがよい印象を受ける。


これで暮らせなくはないだろうが、こういう食生活が続くと、やはり新鮮なものを食べたくもなるように思う。
(実は今の私の食生活がコレで…自宅では保存の利く乾物を中心に、新鮮なものは外食で食べている^^;)


そして生活用品売り場。



家具・家電なども扱っている。



更に二階へ上がると…



これまた立派な衣料品売り場で、グリーンランドのイメージとはかけ離れた世界。

ちなみに価格を見てみると、気持ち高めだが「まあ許容範囲かな…」と思える価格。
但しあくまで正規の価格と比べての話。セール品やユニクロ衣類に慣れていると、どうもお買い得感がない。
まあ高級品ではない一般的(安物ではない)な品物を定価で売っている…といった感じだろうか。


そしてスーパー前の広場では、個人が持ってきた品物を置いて、露店販売も行われている。



品物を見てみると、漁師が自分で取ってきたサーモン(あるいは海獣類?)などが中心のようだ。



そして広場の脇では、グリーンランドハスキーがお昼寝中。




● 教会を見学


こうして「(イメージが崩れるので)見なければ良かったかも」とも少し思えるスーパーの見学を終えて、再び歩き始める。


今、ここアンマサリクの子供達に大人気の遊びがトランポリンなのだとか。

そして似たような建物が多い街だが、よくよく見てみると建材や塗装などに草臥れが見られるものもあり、デザインこそ統一されているが、実は新旧色々な建物が混在していることがわかる。


学校の正面玄関を横目に…



昨日、ドライブツアーでも訪れた教会へ。



そして、これまた昨日訪れた展望所へ。



そして、またワンパターン…



下の写真奥の谷間に目をやると…



お墓が並んでいる


じつはココは「花の谷」と呼ばれる谷で、夏場には花が咲き乱れるとのことだが、残念ながら今は少し時期が早すぎた様子。

しかし中学生カップル(?)が展望所に現れていちゃいちゃし始めたので、何となく居心地が悪くなり退散。
まあ海外でコレを気にしていてはいけないのは百も承知だが、「風を遮るものが無く、寒くて退散した」と書くと格好悪いので^^;


そして昨日は取り込み中で見学できなかった教会内部へ。


事務所に「ヘロー」と顔を出すと、牧師さんは今日もまた信者のカウンセリング中のようだったが、「こちらは気にせず、勝手に見ていってください」とのこと。
まあ私はグリーンランド語も、デンマーク語もわからない(というか、解れば「ヘロー」とは言わないだろう)ので、別に何を聞かれても構わないとのことのようだ。


天井から吊ってあった人形。


昨日のミュージアムで見た彫刻でも、この独特の髪型を見かけたが、実際に街を歩いていて、この髪型の人は1人も見かけなかった。



● 花の谷とコンビニ


教会の見学を終え、再び街を歩き始める。




そして先ほど展望所から眺めた花の谷へ到着。


まあ子供達は谷の奥まで行って遊んでいるようだが、この季節は特に花が咲いているわけでもなく、少しだけ歩いてサッサと退散。(やはり夕方になって寒くなってきたのが最大の原因かも)


そして花の谷の入口にもグリーンランドハスキーが。


まあ仲の良いことで




そして通りがかりの幼稚園(?)からは、子供達の元気な声が響いてくる。



そして「RF」というコンビニに到着。



入口に置かれたコンテナの影で子犬がかくれんぼ。



但しコンビニとは言うが、実態は田舎の何でも屋さん。


ちなみに右手の赤いカウンターは酒類の対面販売カウンター。


ここも食料品関係はやや品薄。



CDや雑貨、オモチャ、果ては家電まで、コンビニとは思えない豊富な品揃え。但し店内は恐ろしいまでに雑然としている。





そしてパーティーグッズとして、グリーンランド国旗(厳密にはまだ独立国ではないが)グッズもあり、お土産として購入。


ここグリーンランドには、あまり“らしい”お土産品が無く、この国旗グッズが数少ないお土産品になった。

ちなみにホテルにお土産品の売店はあるのだが、人形や民芸品などあるものの“グリーンランド色”の強いものが無く、Tシャツもサイズが無かったり、更に値段を考えると…と言った具合で、あまり納得がいくものがなかった。

なおデンマーククローナの現金を持っていなかったので、JCBカードを使ったのだが、何故かエラーが発生。結局別のVISAカードで支払い。
何だかんだ言っても、海外で“意外に使える”JCBカードだが、やはりここまで来ると厳しいのだろうか…(でも端から使えないという話ではないのだが)

ちなみにここアンマサリクで買い物をしたのは、このコンビニだけ。
他にホテルのフロントでオプションツアー代金やホテル内でのチャージの決済をカードで行っただけで、現金は全く使用しなかった…というか、現金すら持っていなかった。

チップの習慣もなく、特にお金を使う場面も無く、カードも普及している…といった事情によるものだろう。
もしどうしても現金が必要になってもスーパーのATMで引き出せば良いだけの話だろう。


ただ、ここのコンビニ…店員が客1人1人に目を光らせていて、まるで監視されているようで感じが悪い。見慣れない東洋人の私だけならまだしも、全ての客に目を光らせているのである。


そんなこんなでコンビニを出ると、先ほどの子犬が靴と戯れ中。



そしてまたアンマサリクの坂道を下り



郵便局を見て



隣の食料品店へ。


「grocery store」とあるので、食料品店と訳したのだが…

先ほどのスーパーと同じ会社の経営ということもあり、内部は小振りながら至って近代的。先ほどのスーパーの“食料品を中心とした支店”という位置づけだろうか。


ATMはもちろん、右手にはファーストフード的なカウンターもある。(時間帯的に品切れだが)


白夜で時間帯が分かり難いが、時間的には既に夕方。
夕食の時間もあるので、坂をトボトボ歩いて、ホテルへと戻ることにする。





<つづく>


撮影機材
・SONY α200 + SONY CarlZeiss T* Vario-Sonnar 3.5-4.5/16-80(24-120)[SAL1680Z] and SIGMA 10-20(15-30)mm F4-5.6 EX DC and TAMRON SP AF 18-250mm Di II LD Aspherical [IF] Macro [Model A18]
・SONY CyberShot DSC-TX5 (CarlZeiss T* Vario-Tessar 3.5-4.6/4.43-17.7(25-100))
・MINOLTA αsweet II + MINOLTA AF 24-105mm F3.5-4.5 + FUJICHROME PROVIA 100F or VELVIA 100F



※なおグリーンランドに関しては、日本語で書かれた資料も少なく、今回の旅行記の執筆にあたっても、断片的な情報から判断していたり、また資料や現地で見聞きした英語を私の拙い英語力で解釈しているものが多くあります。
当然のように正確さを欠いていたり、間違いもあることが予想されます。

地名などのカタカナ表記はWikipedia等を参照しておりますが、日本語での統一的な記載が定まっていないうえ、私自身がデンマーク語やカラーリット語が読めるわけでもなく、正確さを欠いている可能性があります。

また文中で“旧市街”“新市街”“流氷の見える丘”といった日本語の呼称を用いていますが、当然現地にこのような日本語訳が存在している訳はなく、私の理解に基づいて、あくまで便宜的に名付けたものにすぎません。

以上、ご了解のうえ、あくまで“無責任な素人の日記”としてお読みください。
間違ってもこのいい加減な旅行記を根拠にした論などなさらないようにお願いいたします。
また何か間違いがあっても当方では一切責任を持ちません。(ご指摘やご教授は歓迎いたします)
Posted at 2011/12/13 21:37:52 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年12月13日 イイね!

寝台特急「日本海」A寝台上段

先日利用したブルートレイン「日本海」の写真です。
以前にアップした東北新幹線「はやぶさ」グランクラスとセットになっています。


大阪駅から駅弁を抱えて乗車。但し写真を取り忘れていたので直江津駅で撮影した画像。



今回はA寝台上段を利用。


世間では「珍しいプルマン式寝台」と評されているようだが、「きたぐに」に乗り慣れている私にはどうも新鮮さが…


下段は満席のため上段を利用。廃止がアナウンスされて既に祭りが始まっているのか…


A寝台だけあって、幅は広いのだが、上段には荷物を置くスペースが全くなく、結局ベッドスペースを圧迫してしまうので、これなら実はB寝台の方が快適だったかも。


ちなみに下段はテーブルやヘッドレスト利用で手荷物もある程度収納できる。


何より大きな窓を独占できるのが素晴らしい。

やはり上段は料金に見合った設備とは言えないだろう。


上段ではゆっくり座ることも出来ないので、B寝台へ。


…というか、隣の9号車は利用客1名!?


車掌に断って、起きているうちはB寝台の空席で過ごすことに。



夕食は神戸駅「淡路屋」の「秋の幕の内弁当」。



少しだけ車内を見学

洗面所。今では珍しくなった給水器も完備。



トイレ。「洋式便座の使い方」のプレートが歴史を感じさせる。



喫煙所。タバコを吸う人さえ居なければ、ここで過ごすのも悪くない。


更衣室



意外と長時間停車の少ない「日本海」

日付が変わる直前の直江津駅で外の空気を吸う。



ちなみに機関車の次に「荷物室」が連結されているが、ほとんどがらんどう。



消灯後の車内



そして翌朝の朝食。


「日本海」には車内販売は乗車していないが、大館駅の駅弁屋「花善」に直接予約して、大館で駅弁を積み込んで貰う。(前日までにFAXで申し込み。1個から手配可。お茶も一緒に注文可。ホームページを参照)

今回は「鶏めし」…というか、バリエーションはノーマルの「鶏めし」(¥850)か、「特上鶏めし」(¥1100)か…といった具合に「鶏めし」のバリエーションのみ。

違いは…おかずのメニューが豪華になっていくだけなので、ノーマルの「鶏めし」をチョイス。
意外にアッサリ系で、旨味で魅せる鶏めしなので、朝から食べても全然OK。

ちなみに「特上…」はおかずが増える分、肝心の鶏めしのボリュームが減っていくような感じである。(ちなみに「特上鶏めし」は一昨年、「あけぼの」号に積み込んで食べている。


駅弁を食べ終わる頃、終点の青森駅に到着。



記念撮影



この後、電気機関車を切り離し…



ディーゼル機関車を連結



車庫へと回送していく



こうして、おそらく最後になるであろう「ブルートレイン」の旅も終了。


<完> 「スーパー白鳥」編など、続編アップの予定はありません。
Posted at 2011/12/13 05:11:16 | コメント(13) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年12月12日 イイね!

とかち帯広空港 北海道帯広市 [お出かけ回想No.11]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。


今回は、とかち帯広空港。


ターミナルビルが黒川紀章の設計であったり、航空大学校が併設されていたり…と、特色が無いわけではないのですが、まあよくあるローカルな空港と言ってしまえばそこまで。
最近はJAL(旧JAS)に加えて、ADOが就航して、コードシェアではあるものの全日空便も就航するようになりました。


で、ここの空港の魅力は離発着時の窓から眺める十勝平野。



帯広空港の全貌も…


遠くに見えるのは、右手に北海道を東西に分ける日高山脈。


羽田へ向けて離陸後しばらくすると、日高山脈の真上を通過。見事なまでの分水嶺。



まあクルスク空港と比べてはいけませんが、日本の空港では指折りの景色の良さではないでしょうか。


※機内からの写真は機械式カメラを用いて、ネガで撮影したものです。デジタル機材の場合、離発着時の電子機器使用制限があります。
Posted at 2011/12/12 20:21:24 | コメント(4) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記

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