※この記事は「島津家そして鶏料理」の続きになります
鹿児島空港で飛行機に乗れず、国分駅近くのビジネスホテルに宿泊する羽目になり…迎えた翌日。
幸か不幸か休みの日だったこともあり、折角なので近辺を散策してから、夜の飛行機で帰宅することに決定。先ずは昨日オープン化していた航空券を再利用し、改めて飛行機の予約を完了。
とは言え、特にお目当てがあって訪れた地では無いので…とりあえず前々から気になっていたスポットを2件訪問し、その後の行程は適当に場当たりで決めていくことにしたい。
国分駅から電車に乗り(日豊本線でもSuicaが使えるとは…便利な時代だなぁ、としみじみ)
僅か1駅、隼人駅へと移動
ちなみに後で知ったのだが…この駅舎も水戸岡デザインなのだとか。
そして最初のお目当てのスポットへ向けて徒歩で移動。
鹿児島空港が近いこともあって、飛行機がこの距離感
色々と興味深いショップの横を通り
用水路を渡り
実はこの時、現地の案内板で初めて知ったのだが、この用水路は「宮内原用水」と呼ばれるもので、藩政期の1711年から造られたという由緒ある用水。
改良を重ねつつ、今日でも現役の用水ということもあって、見た目の雰囲気が現代っぽいので、正直あまり歴史を感じさせないのも確かなのだが、これはこれで興味深い用水なのである。
詳細な説明は、説明板を撮影するという、相変わらずの手抜き方式で…
※別の場所にあった説明板を撮影
そしてこの用水路のすぐ横に、以前から気になっていたスポットを発見
「隼人」という地名の由来にもなっている「隼人塚」という史跡。
8世紀初頭の隼人の乱による死者の慰霊のために造られたと考えられていたことから、「隼人塚」と呼ばれ、更に「隼人」という地名の元にもなっていることから、一度は訪れてみたかったスポット。
但し、発掘調査の結果、現在では少々違った結論となっているのだが…
以下はWikipedia「隼人塚」からの抜粋
隼人塚(はやとづか)は鹿児島県霧島市隼人町内山田にある仏教遺跡。国の史跡。
構造
高さ2mの丘の上に五重石塔3基が立ち、その周りに武人石像4体が立つ。かつては石塔はいずれも折れており、武人像のうち2体は塚からやや離れた場所に、半分埋まった状態で立っていた。
石塔
石塔は中央の1基が高さ6.6m、両脇の2基が約5.5〜5.6mとなっている。発掘調査で欠落部分の石材が出土し、五重の石塔に復元された。ただし頂部の相輪は見つからず、姶良市日木山の加治木氏宝塔(1242年)など西日本の石塔相輪を参考に復元された。軸石には仏像が彫られており、仏像の表現は平安時代から奥州藤原氏の仏教美術にみられる。
石像
武人石像は四天王の石像である。復元前から立っていた持国天像、明治時代後半に持ち出され、1915年(大正14年)に戻された増長天像、離れて埋まっていた広目天像・多聞天像があり、このほかに発掘調査では線路側からいずれの石像にも接合しない石像の部材と邪鬼台座の部材が出土している。
由来
「旧正国寺跡石仏」(隼人塚史跡館所蔵、鹿児島県指定有形文化財)と同じ康治元年(1142年)の銘を持つ石仏が出てきたことから、現在の史跡隼人塚は平安時代後期に正国寺の前身寺院として作られたという説が有力になっている。
1970年(昭和45年)に、石塔の積み直しとモルタルによる修復が行われたが、長らく風雨に晒されたこともあり、またモルタルによって石塔の外観が損なわれていたことから、1992年(平成4年)から整備事業に着手。1994年(平成6年)から始まった一連の発掘調査の後に、石塔の復元と石像の再配置、修復が行われ、2000年(平成12年)に整備が完了した。
そして隼人塚の敷地内には、霧島市立隼人塚史跡館という資料館も設けられている
主に江戸期以降の図面や古写真に描かれた隼人塚の様子や、発掘・修復作業への取り組みの様子が展示されている。
元々は相当に荒れていた石塔を、発掘で発見されたパーツを追加し、更に不足するパーツをモルタルで補って組み直し、現在のような姿に復元されたとのこと。
極力、オリジナルのパーツを用いて…という点は誰もが納得できるだろうが、モルタルを用いてまで往時の姿に修復する必要があったのかは議論のあるところかも知れない。
そして、この資料館を見学している間に数回、「ポコッ!」と音がして、その度に建物のガラスがミシミシと軋み…
特に気にもとめず、「えらくオンボロな空調を使っているのだな…ボコボコ言ってるよ…」等と思っていたのだが…
他に訪問者がいなかったこともあり係の女性とあれこれ雑談していたのだが、その中で「今日は桜島が噴火していて…ボコボコうるさいでしょう」という会話が出て、ようやくその振動が桜島の噴火によるモノだと理解した次第。
そして、昨日飛行機に乗れず、予定外に日程が延びてのフリータイムということもあり、特に下調べ等はしておらず、この先の行程もあまり深く考えていなかったのだが…
そんな話をしていると、係の女性がオススメのスポットなど色々と教えてくださり、この情報を参考にさせて頂くことに。
それにしても、鹿児島というところは、この手の施設の係員のクオリティが高く毎回感動してしまう。新潟と言い鹿児島と言い、こういう所からその地域性が見え隠れするのである。
(まあ逆に、何処とは言わないが、こういう所から、ズボラな地域性が見え隠れしてしまい、その地域では何処へ行っても呆れ返るようなエピソードばかりという地域もあるのだが…)
隼人塚を後に、一旦駅前まで戻り、今度は駅から逆方向に位置する旧大隅国一宮である鹿児島神宮へと向かうことに
ちなみに隼人塚・鹿児島神宮ともに、隼人駅から徒歩圏内のスポットではあるのだが…
隼人塚から駅まで徒歩10分、駅から鹿児島神宮参道入り口まで徒歩15分、更に参道を進み丘の上にある社殿まで石段を上り徒歩10分…と言った具合で、何だかんだでかなり歩く羽目になっている。
更に参道を進んで
石段を登り
ようやく社殿に参拝
大隅国の一宮であり、かつての大隅国で最も社格が高い神社という扱いの神社であり、島津氏の尊崇もあり、現在の社殿も1756年に島津重豪により建造されたもの。
そして脇ではドアを全解放して交通安全祈願中
更に鹿児島神宮境内には他の見所もあって…
境内のこんな脇道を降りていくと
御神田があって
そしてその脇にシャモジを手にした田の神様が鎮座している
この地域に特徴的な神像なのだが…詳細は相変わらず引用という名の手抜きで…
Wikipedia「田の神」より抜粋
田の神
水稲
田の神(たのかみ)は、日本の農耕民の間で、稲作の豊凶を見守り、あるいは、稲作の豊穣をもたらすと信じられてきた神である。農神、百姓神と呼ばれることもある。
穀霊神・水神・守護神の諸神の性格も併せもつが、とくに山の神信仰や祖霊信仰との深い関連で知られる農耕神である。
鹿児島県・宮崎県の田の神
田の神の具体的な像は不明なことが多い。水口にさした木の枝やそれを束ねたもの、花、石などが依代とされることが多く、常設の祠堂をもたないのが全国的な傾向である。しかし、そうしたなかにあって田の神の石像が九州地方南部の薩摩、大隅、日向の一部(都城周辺)に限って分布することは注目に値する。ここでは、集落ごとに杓子やすりこぎを持ったタノカンサァ(田の神さま)と称する石像を田の岸にまつる風習がみられる。
タノカンサァの石像は18世紀初め頃よりつくられ始めたものとみられ、鹿児島藩島津氏領にのみ石像が分布して他地域ではみられない
そして更に鹿児島神宮の境内地内にある霧島市立隼人歴史民俗資料館へも訪問
昔の生活道具を集めたコーナーや
手作り感あふれる歴史展示
如何にも「ワードで作りました」と言った感じのパネルが印象的…何せA4カラーの原本とモノクロで拡大コピーしたパネルが一緒に張ってある有様。
また完全に放置されているような部屋もあったりと、明らかに管理が行き届いていない。
まあ頑張っているのはよく解るのだが、これではよくある小学校の教材資料室に毛が生えた程度のクオリティ。少し内容を整理して、全体的な展示構成を見直さなければならないだろう。
この状況なのに観光バスのコースに入っていて、次々と団体客が訪れるのだが…戦前生まれと思しきお爺さん係員がおぼつかない感じで、一人これらの訪問者に対応している有様。
明らかにマンパワー不足で資料館が廻っておらず、訪問者対応ですら十分でない状況なのだろう。そんな状況なので、展示に関しては場当たり的な対応を繰り返して、収拾が付かなくなっているのではないかと察するところ。
まあ総括すると「手作りで頑張っている様子に好感は持てるが既に限界であり、資料館そのものとしての評価は厳しい」と言ったところだろうか。
但し大きすぎず程良い施設に、それ相応の収蔵品はあるので…役場がその気になって、一時的にでも人員を派遣してちょっと整理・模様替えするだけで、随分印象が違ってくるのではないだろうか。
…と、“以前から気になっていたスポット”の散策はここまで。この先は先ほど隼人塚史跡館の女性係員から教えて頂いた情報を元に散策を継続することに。
先ずは2~3分歩いた所にある鹿児島神宮の摂社である石体神社を目指すことに。
用水路(実は先ほど登場した宮内原用水路の一部)沿いに歩いて、それらしき神社を発見
ちなみに手前の橋が架かっている用水路が宮内原用水路。
そして、この神社…歴史ある神社の割に妙に新しい感じだと違和感を覚えたのだが…
その違和感は正解で、この神社は石体神社では無く、卑弥呼神社なる謎の神社
歴史ある神社ではなく、個人が設けている神社といった趣。
境内には卑弥呼像まで…
そして卑弥呼神社の隣接地に石体神社を発見
現在では鹿児島神宮の摂社という扱いだが、その歴史は鹿児島神宮のそれより古く、以前はこちらが本宮として扱われていたという由緒ある神社なのだが、今では森の中にひっそりと佇む静かな神社といった趣。
更にその境内は「高千穂宮跡」とされている
神日本磐余彦尊(後の神武天皇)が東征以前にあった日向国の高千穂宮の跡という事らしいのだが
「そもそもここは日向では無く大隅じゃないのか?」という疑問も沸いてきてしまう。
ちょっと調べてみたと事、九州の地域区分に関して、古事記では筑紫・豊・肥・熊曽の4国、先代旧事本紀では、筑紫・豊・肥・日向の4国とされているとのことで、この時代の九州の地理感覚はまだまだファジーな様子。
まあ現代の地理感覚をもってその場所をあまり厳密に考えたり、そもそも神話の舞台を具体的に同定しようという発想がナンセンスなのかも知れないが…
ここから更に宮内原用水路に沿った遊歩道を歩いて行くことに
沿道には梅林もあり、時期が時期なら梅の花を楽しみながらの散策になったのかも知れない。
また私の他にもこの遊歩道を歩いている人が多く、地元の人の憩いの空間となっている様子。
それにしても藩政期に作られた用水が未だに改良を続けながら現役の農業用水として活躍しているという事実にも驚きである。
更に歩いて行くと
丘の麓の道となり、京セラ関係の建物やJR肥薩線を見下ろしながらの散策となる
そして温泉で有名な日当山の市街地が見えてくる
西郷隆盛ゆかりの温泉地とのことで、当時滞在した温泉宿が移築保存されている
しかし今回は日当山温泉そのものは素通りして、天降川を挟んだ対岸の姫城温泉を目指す
姫城温泉は家族湯がメイン
ちなみに家族湯とは、九州南部に多く見られる公衆浴場の形態で、大浴場方式では無く、個室浴場を沢山備えた施設。
その個室を時間単位の料金で貸し切るシステムなので、他の人に遠慮せず家庭の風呂のような感覚で温泉を楽しめるという、個人的にはお気に入りのシステム。
但し個室を時間制で貸し切ることから、往々にして一人利用だと少々割高になるのが難点だろうか。
数ある家族湯の中から、今回は隼人塚史跡館の係員さんオススメの天降川温泉をチョイス
個室浴場が並ぶ施設
券売機で入浴券を購入するのだが、「一人利用40分で¥200」あるいは「二人以上利用60分で¥300」というメニューがあり、どうしても家族湯のシステム上割高になりがちな一人利用にも配慮している様子。
とは言え、40分ではやや慌ただしいので、「一人で60分利用しても構いませんか?」と尋ねてみたところ、問題は無いとのことで、今回は「60分¥300」のチケットを購入。
とは言え、ここの温泉…家族湯にしては安すぎる価格設定に驚かされる。それに24時間営業というのも凄いところ。
しかしこれだけ格安の家族湯は珍しいようで、やはりそれなりの数の利用者があるようで…3組待ちとの事。
(但し地元利用者が中心と言うこともあってか、待ち時間の案内は特に無いのが難点。入浴券を買ってから待ち時間があることを告げられ…まあ今回は時間に余裕があったから良かったものの、また殆どの待ち客が車で待機していて行列の具合が解りにくい事もあるので、入浴券を買う前に待ち時間を確認されることをオススメしたい。)
とりあえず飲泉しつつ待機…しかし決して飲んで美味しい味という訳では無い
係のおばさんが慌ただしく駆け回り、前の利用客が出て空いた浴室を手際よく清掃し、浴室へと誘導される
脱衣場
待ち客が多い事もあってか、浴室へ入った段階では、まだお湯を張っている途中(つまり利用者毎に換水しているということ)
とは言え、シャワーで汗を流している間に、ちょうどお湯も貯まってくるので、合理的と言えば合理的かも。
まあ時間制限があるので、時間は意識しておかなければいけないという難点はあるものの、貸切風呂で気兼ねなく温泉を満喫できるという贅沢には代えがたい。
そして要請に従い、上がり際に栓を抜いて、お湯を流し始めてから脱衣場へ移動。体を拭いている間に抜湯が完了しているという段取り。
こうして温泉を満喫し、近くの「隼人温泉病院」バス停からバスで鹿児島空港へ向かうことにしているのだが、事前に調べておいたバスの時間まで、少々余裕があるので、少し遠回りして散策して歩くことに。
先ず、姫城温泉のど真ん中に聳える、謎の丘…
まあ、この住宅地を拓いたときに取り残された丘のようなのだが、「“姫城”と言うのだから、城跡なのかも知れない…」とも思い、近づいてみると…
遊歩道もあって…
風呂上がりではあるモノの、この丘に登ってみることに。
見ての通り、小さな丘なので、あっと言う間に頂上に達する
頂上から、家族湯の立ち並ぶ温泉街を眺める
やはり、特に城跡というわけでは無く、ただの丘だった様子。但し妙に綺麗に遊歩道や四阿が整備されており、地元の人の格好の散歩コースとなっている様子。
そして病院という解りやすい目印を頼りにバス停を探し当て
ちょうど良い時間だったので、そのままバスを待っていると…
現れたバスは減速する気配も無く、通過しそうな勢い。まあ田舎ではよくあるパターンなので、こちらも挙手して乗車の意思を表明し、運転手とも目が合ったのだが、バスはそのまま減速せず目の前を通過して行ってしまう。
流石に乗車客が居ることに気付きながらバス停を通過して行ってしまうというパターンは、京都市バス以外ではあり得ない事。
(まあ京都市バスに関して言えば、マナーの悪い下校小学生がバスを待っていたりすると、満員でも無いのにバス停をすっ飛ばして行ってしまうので、時間帯が悪いと東山七条からバスに乗るのは至難の業…まあ四半世紀前の話ではあるのだが)
「オイオイ…」と思っていると、信号1回分遅れて、別のバスが到着し、こちらは特に合図などせずとも、私の姿を見つけて停車。
しかし鹿児島空港までは田舎道…先ほどすっ飛ばして行ったバスにあっと言う間に追いつき、そのまま団子状態で鹿児島空港まで走行。
運転手さんに話を聞いてみると、どうやら前のバスは志布志発国分経由の鹿児島空港行きで、国分-鹿児島空港間はノンストップ運行しているとのこと。
一方、私が乗車したバスは、垂水発国分経由の鹿児島空港行きで、国分-鹿児島空港間も各駅停車で運行されているとのこと。
しかもこの2台のバス…時刻表の上では1分差なのだが、ノンストップであろうが無かろうが、同じ道を走行し、所要時間も全く同じで、1分差のままで鹿児島空港まで行くというダイヤ。
…なのだが、快走できる田舎道で、しかも乗降客も殆ど居ない(私の他に、途中から1人乗ってきて暫く走った先のバス停で降りていっただけ。他の区間は私一人の貸切状態。)ので、鹿児島空港まで団子状態のまま走行。
そして前のバスには2~3名の乗客があったようなのだが、その中に国際線利用者があったようで、鹿児島空港敷地内に入ってすぐの国際線ターミナルバス停に停車。
一方私が乗ったバスは、私一人の貸切なので、国際線ターミナルは通過…このタイミングで前のバスを追い抜いてしまい、終点の鹿児島空港国内線ターミナルには私の乗ったバスが先着。
乗車してきたバスと、追い越されて遅れて到着したバス(後)
そして、バスの時間の関係もあり、かなり余裕を持って空港に到着したので…
先ずは早めの夕食(というか昼食を食べていなかった)を取る頃に。
昨日の鶏料理の店の事も脳裏を過ぎったのだが…美味しい店で美味しい焼酎片手に腰を据えてしまうと、帰りたくなくなってしまいそうな恐怖が襲ってきて、今回はおとなしく空港内のレストランをチョイス。
いわさきグループのホテルが経営するレストランで、名物であることをPRしていた薩摩黒豚のメンチカツをオーダー
鹿児島空港名物と持て囃されているメニューの様なのだが…味だけで評価すると、まあ悪くは無いのだが、大騒ぎするほどでは無く、まあ中の上といったところ。
但し、お値段はしっかりホテル並のプライス。それを含んで考えると…もう次は無いだろう。
そして更に時間が合ったので、空港内を探検。
展望デッキと展示コーナーがミックスされた施設
間近で見ると意外に大きいウィングレット
訓練用モック
更に1Fへ降りて、玄関前の足湯へ
足湯へ向かう途中、チェックインカウンター近くを通ったのだが…
どうやらパックツアーのご一行様が、夫婦や家族連れで並び席が取れないどころか、ほとんど中央席ばかりにバラけてしまったようで、参加者が添乗員に詰め寄って大騒ぎ…
そして最後は、ラウンジで芋焼酎を…
最初、ビジネスマン風の客で席を探すのも大変なくらいに混雑していたモノの、東京便が出発してしまうと、私を含めてわずか2人だけという静かな環境。
「この調子なら、大阪便はガラガラなのかな…」などと勝手な想像をしてしまい、「優先搭乗の必要も無いかな」と、ノンビリ構えていたのだが…
時間を見計らい、搭乗口に移動。
しかし飛行機はほぼ満席との事で、後部座席のチケットを持つ客から先に機内に誘導しており、大混雑。
急いで乗る必要も無いと思い、近くのベンチに腰を下ろし、搭乗口の混雑が解消されるのを待ってから登場することに。
さて、今回の機材はB737-800
※先ほど、展望デッキから撮影した画像
ナローボディ機で、通路が1本しかないので、乗降がスムーズに行かない上、普通席は3+3配列…そもそも3人掛けシートはアサインが難しい事に加え、全体の1/3は中央席。そしてたとえ窓側に座ってもお手洗いに行くにも2席跨ぐ必要があり…そんなわけで個人的には色々面倒であまり好きでは無い飛行機。
そしてゲートをくぐり、機体へと進むものの、何故か乗客が搭乗に手間取っている様子で、一向に前へ進まず…
ようやく機内へと入り、何が起きているのかが判明。どうやら先ほどチェックインカウンターで大騒ぎしていた「ほとんど中央席ばかりにバラけてしまった」ツアー客が、後方座席ゆえ優先的に機内に入り、好き勝手な席を占拠するという暴挙に出てしまっているのである。
そして後からチケットもった正規の客が現れると、座席の交換を要求するものの、後方の中央席への移動となると、色よい返事が来るはずも無く…その都度、荷物を引っ張り出して席を移動する事になり、機内が混乱してしまっているのである。しかも、断られておとなしく移動するのはまだ良い方で、京都訛りの爺など「ワシと家内と離ればなれにして良いのか!」と恫喝までしている始末…
まあ「頑張って帰ってね」の会社だし、客層もこんなものなのかも…
そんな訳で、最後の最後にマルーン色の汚点が付いてしまったものの…
飛行機を逃してしまうというハプニングから派生した「延泊の旅」は無事に終了。
まあ事前の下調べがあった訳では無く、以前から気になっていたスポットにプラスαして、行き当たりばったりに近い行程であったにも係わらず、なかなか充実した散策になったのではないだろうか。
そして最後にオマケ
以前にみん友のけろさんさんがブログで、鹿児島空港の某空弁を「当たり」と紹介されていたので…同じものを探したものの売り切れ。
代わりに購入したのが「桜島灰干し弁当」という空弁
結論から言うと、コレも「当たり」
絶対的なボリュームは少々上品な感じもするのだが、ぎっしりと乗せられたおかずの数々は絶品。
ただ、メインであるはずの「灰干し」(桜島の灰を使って水分を飛ばした干物)の存在感が薄く、普通の干物との味の違いを体感するに至らなかったことだけが残念と言えば残念かも知れない。
何だかホッとするような馴染みのある素朴な献立ながら、旨みがギュッと詰まったおかずはかなり高評価。
馴染みのある献立だけに、素材や味付けに誤魔化しは効かないので、それだけ真面目に作られていると言えるのでは無いだろうか。