※この話は新幹線で金沢へ行った時の、帰路にあたる話です。
※また前半、鉄道関係の濃い部分が多いですので、興味の無い方は適当に読み飛ばしてください。
金沢での所要を終え、夕方から翌日に掛けて乗り鉄旅人モードに変身。
往路が新幹線だったので、帰路はJRから切り離され第三セクター化された並行在来線に乗って金沢から直江津経由で長野まで向かうというのが、今回の企み。
先ずはIRいしかわ鉄道から、あいの風とやま鉄道線の泊駅まで直通する「快速あいの風ライナー」で出発
全車指定の都市間列車…という位置づけのようなのだが、見ての通り何の変哲も無い車両。特にJR西日本エリアに住んでいる身としては…
そして全車指定ゆえ指定券を入手しなくてはいけないのだが、金沢駅では販売していないので、一旦乗車券のみを券売機で購入し乗車。
そして指定券は車内で購入…と説明されていたのだが、実際は金沢駅のホームに係員が立って発売しており、タブレット端末の画面で空席状況を見せながら、好みの席を選ぶことが出来る。
まあ指定券と言っても、レシートのようなペラペラのチケット
で、指定券を手に列車に乗り込み、指定された座席へ向かうと…既に家族連れが私の座席に着席しているではないか。
指定券を見せ、私の席である旨お伝えしたのだが…そもそも全車指定であることを知らないうえ、「変な奴が変なレシートを見せて席を替われと言っている」と勘違いしてしまったようで、喧嘩腰。結局着席するまでに一悶着。
まあ他にも全車指定を知らずに乗り込んでいて、乗務員に指摘されて降りていったり、ちょっと考えて指定券を買い求めたりと、まだまだ周知が行き届いていない様子。
とは言え、途中駅から乗ってきた定期券利用の高校生が「有料だなんて知らない」と強弁するのは無理があると思うのだが…
(そもそも有人駅から乗ってきたので、改札を通過するときに何か言われているであろうし、更に空席が多数あるのに座らず、ドア付近でコソコソしていたのでは、流石に惚けるのも無理があるかと。)
そんなこんなで、指定券も指定券で一波乱あったのだが、一方の乗車券も乗車券でかなりの曲者。
何しろ北陸本線だけでIRいしかわ鉄道、あいの風とやま鉄道、えちごトキめき鉄道と3社に分割され、しかも2社連絡の乗車券はあれど3社連絡の乗車券は発売されておらず、一筋縄では買えないという厄介さ。まあ並行在来線という事を考えると、メインターゲットは地元の利用者なので、3社連絡の乗車券が発売されていないだけならまあ納得もできるのだが…
更に言うと、中間に挟まっているあいの風とやま鉄道がかなり厄介で
※公式ホームページからキャプチャー
上の画像ではまるで石動-越中宮崎間を運営しているかのような書き方になっているのだが…
正確に言うと、両端の倶利伽羅駅と市振駅の施設そのものはそれぞれIRいしかわ鉄道とえちごトキめき鉄道の所有ではあるのだが、それらの駅まで続く路線そのものはあいの風とやま鉄道の区間。
要は運行区間として考えた場合、倶利伽羅-市振間の区間があいの風とやま鉄道の路線なのだが、両端の駅を無視して、まるで石動-越中宮崎間だけが自社線のように案内しているのである。
この謎の姿勢は運賃表にも現れていて…
※公式ホームページからキャプチャー
見ての通り、倶利伽羅駅と市振駅発着の運賃はまるで他社線連絡であるかのような表記なのである。(但し運賃そのものは初乗りの二重取りは行わず、自社線としての計算)
で、更に問題をややこしくしているのは、えちごトキめき鉄道との連絡乗車券は富山駅以東の駅からしか発売していないのである。そして自社線の末端であるはずの市振発着の乗車券も他社線連絡のような扱いにされ、自社線内完結の筈なのに富山駅以西の駅から市振駅への運賃が設定されないという意味不明さ。
つまりただ乗り通すだけでも、通しの運賃設定は無く、あいの風とやま鉄道の初乗り料金を2回払わなくてはいけないという謎システム。
ぱっと見で、富山駅を境界にするのが解りやすいかと思ったのだが、冷静に考えてみると、富山-越中宮崎間の駅であれば、どこで運賃を切っても良いのである。
流石にちょっと腹も立ってきたので、それなら通算料金で一番安くなる駅で運賃を切って、「一番安い料金にしてやる!」と、ひたすら電卓を叩いて、金沢-直江津を乗り通す場合に一番安くなる運賃の組み合わせを探すことに。
結論から言うと、一番安いのが金沢から魚津または生地駅の切符と、そこから直江津までの切符の組み合わせで合計¥3250。
(ちなみに一番高いのは泊駅で切符を切る場合で¥3420と¥170の差額が生じている。)
そんな訳で、今回は金沢駅で魚津までの乗車券を購入して乗車。残りの区間に関しては、後刻車内あるいは着駅で魚津からの乗車券を買い求めることにしたい。
話を旅に戻すと、金沢駅出発の段階では、座席の1/3が埋まる程度の乗車率。
隣も空いているので、金沢駅で買い求めた“富山駅の駅弁”でかなりおそい昼食
実は金沢で昼食を食べそびれてしまい、なおかつ今日の夕食は8時半頃になりそうなので、流石に何かお腹に入れておかないと持たないのである。
雪を冠した富山市街を眺め
富山駅から一気に乗ってきて、車内はほぼ満席に。途中の入善だったかで、先行の普通列車を追い越したのだが、こちらは4両編成と言うこともあってか、満員とは言わないまでも、立ち客も普通に見受けられる程度の乗車率。
この区間に関しては、座席がほぼ埋まった着席保証の有料列車と、そこそこの乗車率の通常列車で、およそバランスが取れているような印象。
開業時にはかなり大混乱を引き起こしていたようだが、今回乗った時期・時間帯ではそうした大混乱は特に見られなかった。(偶々見られなかっただけなのか、既に解消されているのかは不明。)
沈み行く夕日を眺め
終点の泊駅で、えちごトキめき鉄道線直通の普通列車に乗り換え。
同一ホームの前後で乗り継ぎできるので、階段の上り下りが無く、かなり楽
松山駅での「しおかぜ・いしづち」と「宇和海」の乗り継ぎに似ているのだが…あちらは列車の編成が長いので、「フラットなら良いってモノでは無いだろ!」と突っ込みたくなる(特に高松始発の「いしづち」に乗車していた場合)のだが、こちらは編成も短いので、特に問題は生じない。
そして折り返し直江津行きとなる単行列車が入線
見た目は最近のJR西日本の典型的な顔…なのだが、この列車はディーゼルカー。何故電化区間でディーゼルカーを使っているかというと…このブログで、ここまでお付き合いいただいている方なら、そんな事はもう省略して大丈夫だろう。
乗り込んだのは、地元の人と思われる数名と、私、そして十数名のお団塊様グループ。単行とは言え、これだけの乗客なら問題なく全員着席できる。
ちなみにこのお団塊様グループ、大声で盛り上がっていたので、盗み聞きするつもりは無かったのだが、話が丸聞こえ。
どうやら上越市在住の人たちで、リーダー格の男性が音頭をとって、金沢旅行を企画し、往路は新幹線、帰路は並行在来線というルートで行動している様子。
そして私と同様、三社乗り通しになるので、乗車券関係に関しての悩みもあったようで…このグループは乗車する列車の切れ目である泊までの切符を買っており、乗り換え時間に全員で跨線橋を渡り、一旦改札を出て、切符を買い直したらしい。とは言え、年配者で大きな荷物を持っている人も多く、乗り継ぎ時間にバタバタするのはかなり大変だった様子。
しかも今日は直江津までしか行かない私とは違い、上越妙高駅に車を止めてきたとかで…
そうなってくると、あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道の2社連絡かと思いきや、両社の連絡運輸は富山~市振~直江津間のみの取り扱いなので、更に直江津~上越妙高間の切符をどうするのかという問題まで生じてしまっている様子。
結局、車掌と相談して上越妙高到着後に精算するという事で話がまとまった様子。しかし初乗り運賃の問題もあり、当初徴収していた参加費との差額が出てしまったとかで、その精算に車内でバタバタかけずり廻っている。
まあ私もこの帰路は個人的な一人旅なので、運賃に関しては「現地で何とかなるだろう」と悠然と構えていられるのだが、人を率いて、しかも共同会計を設けて…となると、いい加減なことも出来ず、かといって明瞭な解決策があるわけでも無く、こんな話がややこしい行程で幹事は絶対にやりたくない。
それにしても、どこまでも地元利用者に焦点を合わせていて、並行在来線を乗り通す客など全く想定していない事がよくわかる。
そしてこの利用者数なら、単行というのも合理的かな…等と思っていると、糸魚川で退勤客と下校高校生が大勢が乗ってきて、通路がほぼ埋まる。(とは言え、立ち客が本を読める程度の埋まり具合なのだが)
しかし1駅毎にどんどん下車していき、逆に途中駅から乗ってくる乗客は居ないので、徐々に混雑は緩和されていく。
結局、2つ3つ駅を過ぎた段階で、おそらく不要不急の乗客(私+お団塊様グループ)が乗車していなければ、ほぼ全員が座れる程度に空いてくる。
まあ基本的に地元利用者のみを意識した需要予測と運賃システムという事なのだろうか。
と言うか、ギリギリで運用している感もあるので、不要不急の乗車は避けた方が良いのかも知れない…
そして夜8時を過ぎて、直江津駅へと到着。改札口で金沢から魚津までの切符を渡し、魚津からの精算だと申し出たのだが、慣れていなかったようで、あれこれ確認して、数分の時間を要してしまう。
そして直江津駅の駅舎
ちなみに
一昨年訪れたときの写真がコレ
まあ駅舎そのものは同じなのだが、よく見るとJRのロゴが外されている
そして
以前のブログでも触れたように、直江津駅前には駅前旅館を前身とするホテルが2軒並んでいるのだが…
#以前の写真を流用
前回は
「泊まるならセンチュリーいかや、食べるならハイマート」と結論づけていたのだが、今回は到着が遅いこともあり、部屋の狭さは我慢して、食まで館内で完結できるハイマートに宿泊することに。
まあ客室は少々狭めのビジネスホテルと言った風情
そしてラストオーダーの時間も迫っているので、荷物だけ部屋に置き、前回も利用したレストラン「多七」の暖簾をくぐる。
店内は団体客の宴会が終盤を向かえており、他の利用者も既に〆に入っている段階で、独特のだらっとした空気が流れている。
更に席のメニューが既に回収されていたりと、既に片付け(朝食会場設営準備)モードに入っていた様子なのだが、係員は笑顔で迎えてくれ、慌ててメニューを持ってきてくれたりと、慌ただしいながら居心地の悪さは感じない。
先ずはお気に入りの雪中梅。私が飲める数少ない甘口日本酒(基本的に辛口専門なもので…)
前回より日本酒のメニューが減って、量り売りメニューが無くなっていたのが少々残念…
前回もオーダーした「地魚と豆腐の揚げ出し」(今回は鯛)
名物の「スルメの天ぷら」
そしてカニに造りにと続き
〆は生ウニの軍艦巻き
と、言った具合にお酒と食事を楽しんだのだが…
前回までと比べて、ちょっと味が落ちたような気がしてならない。というか、一つ一つの食材のグレードは変わっていないと思うのだが、やや鮮度が落ちている気がするのと、天ぷら等の揚げ物が少し油っぽかったのが気になる点。
まあゴールデンウィークが絡んだ曜日の並びを考えると、もしかすると市場が開いておらず、在庫の食材を使っていたのかも知れない。まあホテルのレストランなので、食材が入らないから店を開けないという訳にはいかないのだろう。そして閉店間際で、しかも団体客が入っていたことを考えると、油も使い古していたのだろう。
まあ前者に関しては事前に一言「本日は…」と説明があれば、まあ仕方の無い話なので、印象が少し違っていたかも知れない。
まあ状況が状況なので、今まで何回か利用してきた経験を鑑みても、今回は悪い意味で特別だったと捉えておくことにしたい。
翌朝、ステーションビューの客室から直江津駅を見下ろす
そしてここのホテルの朝食はお気に入りなのだが…前夜のこともあって少々心配はしたのだが、こちらは良い意味で以前と変わらずのクオリティ
お気に入りの朝食メニュー「カニ雑炊」
そして簡単なドリンクバーも付いているのだが…ヤクルト(類似品では無く、純正の本物)が飲み放題というのも個人的にポイント大かも(笑
更にここのホテル…直江津駅の駅弁調製業者でもあるので、フロントで駅弁を予約して、チェックアウト時に受け取ることも可能
そして宿泊代から夕食代、朝食代、更には駅弁代まで一括して精算できる点も、何気にポイント高いかも知れない。
少々、話は前後するのだが、今回買い求めた駅弁は「鱈めし」
※以前の写真を流用(「妙高」号車内と思われる)
鱈の甘露煮の甘さ、タラコの塩味、酢で締めの鱈の酸っぱさ…と、バラエティに富んだ味わいで、レベルが高いのだが、実は他にも色々美味しい駅弁があるのだが…
しかし今回は朝の時間帯の出発だったこともあり、選択肢が少ない中から選ばざるを得ず、何度も食べているにも関わらず、コレを選ぶことに。(逆に言うと、定番ながら確かな駅弁であるということかも)
そして新幹線の開通で、人の流れが変わり、バラエティ豊かな直江津の駅弁がどうなるのかと心配もしていたのだが、ホテルのフロントで聞いた話では上越妙高駅にも売り場を設けるなど、新幹線にも進出しつつも、直江津駅での駅売りも時間や規模は縮小しつつも継続しているとのことで一安心。
ホテルをチェックアウトし、直江津駅から列車に乗ろうとすると、改札のところで変わらず駅弁が売られていて更に一安心
そして今度は、再びえちごトキめき鉄道に乗車し、直江津から妙高高原方面への南下を開始。
車両はJR東日本から移籍した現代的な電車
ロングシートというのは味気ないが、まあ地元利用者がメインなので贅沢は言えないのだろう
細かい部分はJR時代のまま
そして2駅だけ乗車し、高田駅で途中下車
何でもここの駅…三セクに移管した際に自動改札を廃止したのだとか。
高田駅駅舎
そして今回は時間に余裕があるので、城下町としても有名な高田の街を、高田城を中心に散策してみようという趣旨。
とは言え、高田駅から高田城までは2km弱と微妙に遠いのが難点。
駅前に直江津行きのバスが停まっていたので、「もしかすると、市街地経由で直江津方面へ向かうかも知れない」と思い、運転手に聞いてみると…
「このバスは回送だから、乗れないよ。と言うか、ここ(駅前のロータリー)は降り場専用だから、バスに乗りたいなら向こうの方にちょっと歩いて行くと営業所があるから、そこへ行かないとダメだよ。」との返答。
で、指示された方向へ駅前の歩行者アーケードのある商店街を歩いて行くと…
何ともさり気なく商店街に溶け込んだ営業所を発見。というか、一瞬タクシーの営業所だと思い、これがバスの営業所だと気付くのに数秒のラグがあったのだが…
営業所の中は、待合所が主で、券売機や案内所、化粧室も備えられている。案内所で高田公園(高田城址)へ行くバスを尋ねると、「4分後にすぐ前のバス停から出ますよ。同時刻に別のバスもありますから、行き先を間違えないでくださいね。料金は160円になります。」と、必要なインフォメーションを全てきちんと教えてくれる親切さ。いつもながら新潟県民の仕事の完璧さには驚かされるばかり。
10分程の乗車で高田公園バス停に到着
この道路そのものが、既にかつての二の丸と三の丸跡を貫いており、その広大な敷地は現在公園や野球場がゆったり設けられている。
ちなみにこの高田城…戦国時代には上杉氏の春日山城(これも上越市内にあり、現在の感覚では“高田の市街地を見下ろす郊外の山の上”と言ったロケーション)が越後の中心だったのだが、上杉氏の会津(更に後に米沢)移封の後、豊臣政権下の堀氏の治世に現在の直江津港近くに福島城が築かれ、越後の中心はそちらへと移ることになる。
そして徳川政権下では徳川家康の6男である松平忠輝が75万石で封じられ、築城開始からわずか15年ほどの福島城を捨て、75万石の中心となる城として高田城が築城されたという次第。
それ故、広大な敷地を有しており
堀一つ見てもこの規模
但し関ヶ原の合戦より後に築城され、また大坂から距離があったこともあってか、実戦向けの城では無く、天守閣は無く、櫓があったのみであったり、石垣を設けず土塁のみであったりと、要塞的な要素よりも政庁としての機能が重視されている様子。(但しコレには、周辺に大量の石材を産出できる場所が無いという事情もあるのだとか。)
但し徳川家康の実子であった松平忠輝が75万石の居城としていた時代はともかく、その後は酒井氏10万石、越前松平家25万石、稲葉氏10万3千石、戸田6万7千石…と、規模の小さな大名家の居城となったことから、高田城は規模が大きすぎ、城や城下町(の武家地)に空き地が目立ったりという事態になり、その事が越後(新潟県)における高田の重要性を低下させる遠因にもなったとのこと。
そして明治以降は新潟県の一部となり、県庁のある新潟から遠いこともあって、高田の地盤沈下が続き、その打開策として陸軍第十三師団の誘致に成功し、軍都としての道を進むこととなり、高田城跡は十三師団の司令部として使用されることとなる。
そして現在でもその司令部営門が公園内に現存している
そしてその当時に勤労奉仕として植えられた桜が名物となり、現在に至るまで花見の名所として知られるようになるのだが…残念ながら桜の季節は既に終わっており、今回は公園内でただ桜の木を眺めるのみ。
そして堀に植えられた蓮の花のシーズンにも早く…何とも中途半端な時期に来てしまったことは否めないが、遠く雪を載せた山々を眺めつつ、少々冷たさを感じさせる凜とした空気と、春の暖かな日差しが共存する実に気持ちの良い季節とも言えるだろう。
そして公園内にある上越市総合博物館を訪れ、こうした歴史について学ぶことに
実は高田城の歴史について、あれこれと書いてきたものの…実はその殆どがこの博物館の展示からの受け売り(大汗
決して規模の大きな博物館では無く、更に後述するように小林古径記念美術館との合築施設であることもあり、歴史関係の展示スペースは限られているのだが、その中で模型や古地図など効果的に配置し、高田の街や城の変遷を見比べながら、一通りの歴史に触れられるという優れた博物館だと感じるところ。但し館内撮影不可なので、写真での紹介は出来ない。
何せ、色々不勉強なので、こうした解りやすい施設は有り難い限り。
何せ今まで直江津の福島城の存在すら知らず、堀氏はそのまま春日山城を使い、松平忠輝の時代に春日山から高田へ移転したと思い込んでいた有様(苦笑
(そんな訳なので、直江津には何度も行っているにも関わらず、福島城址には一度も行ったことが無く(というか存在すら知らなかったので…)、次回また足を運ばねば、と宿題まで出されてしまったのだが…)
その他、気になった展示としては十三師団に関わる国際交流についてのテーマが挙げられる。
まずオーストリアから派遣された軍人がスキー技術を伝授したことから、日本のスキー発祥の地と呼ばれるとともに、バブル前夜まではスキー産業(スキー板等の生産)の中心地であった時代があったという事実は初めて知り、興味深かった。
(但しスキー関係については、別に専門の資料館を設けているとの事なので、また機会を見つけて訪問してみたい。)
そして
蒋介石が日本留学を経て陸軍十三師団高田連隊の野戦砲兵隊将校としてこの地で勤務した時期があり、戦後この博物館の開館にあたり祝辞を寄せるなどの交流があったという点も驚きであった。
そしてこの博物館は、小林小径記念美術館と一体的に運営(入館券も一緒)されており、展示スペース自体はこちらの美術館としての免責の方が大きいのでは無いだろうか。
ざっくり言うと、上越市出身の画家・小林古径の作品を収集・展示している美術館。
私のような絵画について全く心得がない者が見ても仕方ないとは思いつつも、「総合博物館とチケットも共通なので、まあ見ておくか」と軽い気持ちで進んでいく。
しかし…この美術館の展示構成もまた絶妙。まあ詳しい人が読むと鼻で笑われそうな感想かも知れないが、敢えて書いておくと…
この小林古径の作品群…素人目には余白にしか見えないスペースの多い作品が多く、ぱっと見では何とも大らかな構図に見えるのだが…しかしメインの被写体は徹底して細かいところまで神経を使って描きこまれており、そのギャップというかメリハリが特徴かと思いきや…
一方で余白的に見える部分も、近くでじっくりと鑑賞すると、細かいグラデーション的な表現で手抜き無く徹底的に描かれていたりと、ただの余白にあらず。そんなこんなで見れば見るほど几帳面な作品ばかり。
そして小林古径の人生についても紹介しているのだが、その中で氏の人柄や性格を浮かび上がらせ、そうした視点を元に作品鑑賞をすることになるので、私のようなド素人でも、その作品の中から、氏の人となりを感じられるという絶妙さなのである。
また一つ一つの作品に対して、見るべきポイントを解りやすく解説しており、氏の少年期から晩年に至るまでの作品の変遷(言い方は悪いかも知れないが、上達の軌跡というか洗練の度合いの向上的な意味合いも含む)を感じられるよう工夫するなど、よく練られている展示構成が実に巧い。
そんな訳で、ド素人であるにも関わらず、じっくりと時間を掛けて興味を持って展示品を見て回ることが出来た。
こうして随分と長い時間をこの博物館&美術館で費やしてしまったので、この段階で高田の市街地散策(軍都として栄えたこともあり、旧師団長官舎など明治・大正期の建造物が多く残っているこのこと)は諦め、残り時間を高田公園内の施設に費やすことに決定。
先ずは博物館&美術館の向かいにある小林古径邸(移築)
ちなみにこちらは、先ほどの博物館&美術館とは別料金となるのだが、この次に訪れる予定の高田城三重櫓(再建)と3施設の共通券があり、博物館&美術館+高田城三重櫓の合計金額と同額だったので最悪小林古径邸は見学しなくても損にはならないので共通券を購入しており、折角小林古径に興味もわいてきたところで、こちらの施設も見学しておくことにした次第。
こちらも内部の撮影は不可なのだが、華美な装飾はないものの、立派な材料を用い、また機能性と伝統様式を併せ持った設計で、氏の性格もよく表れていると言えるだろう。
何より、“別世界のお屋敷”などでは無く、あくまで一般的な昭和初期の民家の延長にあり、親近感を感じ、気取らずホッとするような趣の中に、コダワリと機能性を感じる素敵なお宅だというのが私の感想。
そして最後は1993年に再建された高田城三重櫓
先述したように、この城には天守閣も石垣も無く、このように土塁の上に城のシンボルでもあったこの櫓が建っていたのだろうと思い起こさせてくれる。
そして内部を見学
写真撮影不可なので、内部の写真は無し。建物そのものは現代的な鉄骨構造なのだが、木材を多用して雰囲気を演出している。
そして下層階は高田城の歴史を中心とした展示コーナー。先ほどの総合博物館と重なる内容が多いのだが…よく言えば「片方だけ見学しても概要が分かる」、悪く言えば「もう少し棲み分けを考えた方が良いのでは」と言ったところだろうか。
最上階は展望室になっており、雪を冠した山々を眺めて過ごす
そしてバスの時間に併せてバス停へ移動し、バスを捕まえて高田駅へと戻る。
高田駅の窓口で、えちごトキめき鉄道→しなの鉄道→JRというルートの切符と、長野からの指定席特急券を購入。
とは言え、3社連絡の乗車券は存在しないので、えちごトキめき鉄道+しなの鉄道の連絡切符で長野駅まで、そして長野からの乗車券、さらに指定席特急券の合計3枚で発券され、JR券はクレジットカードOK、えちごトキめき鉄道+しなの鉄道の連絡切符の代金は現金で支払を求められる。
ちなみにこの切符の発行場所は「新潟法人」なる表記。この時は特に何も気にとめなかったのだが…
しかしこの時、切符を一度に渡されていたので、長野駅で改札の外に出なかったこともあり、JR券に長野駅からの入場記録(自動改札なり係員のスタンプなり)が無かったため、不正乗車を疑われる羽目に。
高田から長野までの切符を示し、高田からの乗り継ぎだと申し出たにも関わらず、「新潟駅で切符を買われていますね?新潟から高田まではどのように来られましたか?」と何故か疑われる羽目に…
まあとにかく、並行在来線絡みの切符に関しては、謎ルールに加え、何から何まで不慣れで周知も行き届いておらず、混乱ばかりというのが正直な印象。
そして妙高高原駅でえちごトキめき鉄道としなの鉄道の列車を乗り継ぎ
まあどちらもJRから移籍した車両ではあるのだが…
後者は更に国鉄時代からの車両で、何とも懐かしい雰囲気
ここまで、いかにも現代的な合理的車両が続いていたので、久しぶりのレトロな雰囲気に…と思っていると、ちょっとしたトラップもあって…
(車内に化粧室が無い)
そして長野駅での待ち時間で、駅蕎麦で遅めの昼食
以前にけろさんさんから教えていただいた、待合室の店は駅の改築で閉店しているのだが、他の店でも「特上」と称した生麺から茹でた蕎麦が味わえる店があったので、そちらで賞味。
まあ本格的な蕎麦屋と比べてはいけないのだが、駅の立ち食いとしては超一級かと。
そして「しなの」と「アーバンライナー」を乗り継いで、一路自宅へと帰宅