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NEOCAのブログ一覧

2016年07月20日 イイね!

“東洋のマチュピチュ” 愛媛県東予 [お出かけ回想No.25]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。
#約3年ぶりのシリーズ復活となります。






いつも私のブログを見て頂いている方のブログを拝見していると、“東洋のマチュピチュ”と異名と取る「東平」という場所に足を運ばれたとの事。

“東洋のマチュピチュ”というキャッチフレーズは今回初めて聞いたのだが、その「東平」という地区には覚えが有り、過去の写真など振り返ってみると確かに10年前に足を運んでいるではないか…

そんな訳で、折角過去の写真を開いたので、久々にこのシリーズとしてアップすることにした次第。





で、その「東平」という地区なのだが…簡単に言えば、愛媛県の別子銅山の一部。しかし鉱脈の関係上、山の中の陸の孤島のようなとんでもない場所に集落が開かれる事になってできた町。
銅山の閉鉱後は無人となっていたのだが、近年の産業遺産ブームで注目を集め観光地として整備された…そんな場所。


恒例となりつつあるWikipediaの当該記事からの引用で…

東平地区

東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っている。付近は再整備され、歴史資科館や、保安本部跡を利用したマイン工房、花木園、高山植物園、子供広場などがある。また東平小学校、中学校の跡地には銅山の里自然の家がある。
『東洋のマチュピチュ』と新聞に取り上げられ、観光会社がツアーを企画するなど人気を集めつつある。



それにしても“東洋のマチュピチュ”とはよく考えたネーミングで…





で、本題に入る前にちょっと余談。
と言うのは、その10年前の旅というのが、今振り返ると凄まじい旅。

当時、札幌在住だった私は、何を思ったか“梅雨とは無縁の”北海道を脱出し、羽田経由で松山入りし、レンタカーを借りて梅雨の四国を一周するという…我ながらクレイジーな行動に出ているのである。


そのレンタカーは懐かしの二代目デミオ

(駐車位置が謎すぎるのだが…今となっては意図は不明)

しかし安いレンタカーゆえ…ハッキリ言ってボロボロ…(苦笑
でもこのクラスのレンタカーでデミオは当たり車種で、ロングドライブが快適だったのはラッキーだったかも。


しかも四国の山中へガンガン足を踏み入れて…




こんな酷道などまだ序の口



大雨の中、FFのデミオでこんな道を走り



おそらく当時のエクストレイル慣れと、レンタカーがボロボロだったこともあって、躊躇もせず突っ込んでいったのだろう…


四万十川源流点の近くまで足を伸ばしたり


記憶が正しければ、この雨を鑑みて、この先“本当の源流点”まで続く遊歩道は断念し、この碑で折り返したはず…


滑り台で遊んだり(?



その割に質素な食の写真しか残っていなかったり




しかも車中泊用の寝袋から何から何まで北海道から持参して…

飛行機の出発遅れの影響で、羽田空港での乗り継ぎ時間がギリギリで「預け入れ手荷物の移し替えが間に合わない」との理由で、その荷物を全て機内にするようにとの指示。
更に収納スペースの関係上、その荷物を上の棚に無理矢理押し込む事になり、CAさんが無理矢理収納棚を閉めたのだが…しかし地上移動中にラッチが外れてしまい、ドンと下に開いてしまい(但し開いただけで何かが落下したとかではないのだが)、真下に座っていた乗客が悲鳴を上げ…そんな今だから書けるようなエピソードまで。


と、我ながら振り返れば振り返るほど、クレイジーな旅だったのだが…(大汗





さて本題に戻ると…

県道47号(新居浜別子山線)から東平へ分岐する道へ入ると…こんな道


幅員2.5mとの事で、公式ホームページでは注意喚起をしつつ、マイクロバスによるツアーへの参加を推奨している。

但し当時はそんな呼びかけもツアーも行われていなかったような…


しかし既にこの時、松山から時計回りの四国一周もほぼ終わりに近づいており、充分に酷道にならされてしまっていた私にとってはもはや恐れるような道では無かった様子。

更に写真を見ている限り、工事の影響で1時間に10分だけの片側交互通行制限だった様子で、対向車の心配もなく、当時は(駐車場などは整備されていたものの)そこまで積極的な観光客誘致が行われていなかったためか先行車も後続車もいなかった模様。(とは言え10年も前の話で記憶がかなり曖昧なのだが。)

そんな訳で、私の記憶にはそこまで強烈な印象も残っていないのだが…


それにまあ確かに険しい山の中ではあるのだが、何だかんだで新居浜の市内からの距離は近い(道なりで10km程)ので気分的には楽だろう



実際、東平地区の斜面から、新居浜市内や瀬戸内海まで見渡せるような距離感(直線距離なら数km)



で、そんな道の途中で…


オンボロレンタカーがキリ番を達成して記念撮影(笑
こんなイベントだけは記憶が明確.…(大汗





そして険しい道の先に突如現れるあり得ないほど広い整備された駐車場に車を止め、散策を開始


今でこそ廃墟だが、かつては銅山で栄えた街



なお往時の交通手段は今回通ってきた道路ではなく、坑道内経由の列車や索道(ロープウエイ)がメインだったとの事


当時の車両も展示されている(但し記憶が全く無く、この写真を何処で撮ったのか不明…大汗)




なおこの東平…駐車場が一番上にあるので、険しい斜面にへばり付くような産業遺産を散策するためにはいきなり下り階段からスタート


なおこの階段、かつてのインクラインの跡を階段として整備したものなのだとか



後で駐車場まで上って戻らなくては行けないという不安を覚えつつ、急な斜面をどんどんと下へ下っていくと




確かにこの角度などマチュピチュっぽいかも(でも実は私…本物のマチュピチュ行ったことが無い・大汗)



但し下から見上げると、やはり産業遺産的な雰囲気が漂っている




そして案の定、帰りが地獄


更に言うと、この当時はあまり観光地として売り出されていた訳では無く、人気も少なく、しかもこのお天気。正直あまり気味が良いとは言えない雰囲気のインパクトに押されてしまい…純粋な産業遺産としての観察を欠いていたのも事実。

今は観光地として売り出され、語り部が案内するツアーなども行われているとの事。また改めて訪れて、じっくりと銅山の歴史やそこにあった人々の暮らしに思いを馳せてみるのも悪くないと思うところ。
また「産業遺産」あるいは「東洋のマチュピチュ」といったキーワードを意識して撮影すれば、もう少しちゃんとした写真が紹介できるかも知れない。


と、“東洋のマチュピチュ”そのものよりも、クレイジーな旅の思い出がメインになってしまった今回のエントリーはここまで。
Posted at 2016/07/20 00:00:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記
2013年10月04日 イイね!

十勝三股盆地 北海道上士幌 [お出かけ回想No.24]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。


随分と間が空いてしまいましたが、久しぶりにお出かけ回想シリーズです。
そして…実は今回の内容は前回から続きだったりもします。


前回取り上げた三股山荘の位置する十勝三股盆地…それが今回のテーマです。


ある前回のブログでお友達の方から「少しだけ写っていますが、窓から外の景観も良さげで、落ち着けそうですね。」とコメントを頂戴していたのですが、実はここ十勝三股は喫茶店だけでなく、盆地そのものの景観が楽しめる場所。

と言うのも、大雪の懐に位置する盆地…つまり四方を山に囲まれている場所なので、周囲の山々の景色が楽しめるという事。


しかしロクな写真が残っておらず…



これでは何も魅力が伝わらない(大汗


そこで邪道ながら、上士幌町が製作した観光パンフレット(10年以上前のモノ)と、前回登場した三股山荘の箸袋(旧デザイン)で…


6月頃に訪問すれば、パンフレットの写真のような残雪を青い山肌、そして新緑のコラボが楽しめ、そして更にもう一つ素敵なオプションまであるのだが…(後述)

ただ年によって、雪解けのペースが違ったり、黄砂に邪魔されたり、あるいは訪問日のお天気など様々な要素が絡んでくるので、なかなかパンフレットのような素敵な写真を写す機会には恵まれず…

ちなみに写真の箸袋は既に品切れになっており、その後は手彫りの判子を使ったこれまた素敵なデザインの箸袋に変わっています。(但し現況は不明)


…と、ここまででは「ただの盆地でしょ」「何の魅力も感じられない」と突っ込まれても仕方がないような内容。

しかしここ十勝三股は人との関わりという意味で興味深い歴史を辿った地であり、こうした事情や、その歴史が生み出している現況を併せてみると魅力あふれる地なのである。


実はここ十勝三股は昭和の中頃(昭和30年代頃?)までは、大雪の森林資源を活かした林業の拠点として栄え、営林署が置かれ、1500人の人口を抱え、学校や郵便局などの公共施設、国鉄士幌線もこの地まで伸びており、更にこの先に森林鉄道まで存在し…と言った具合に要衝として栄えていた地。
しかし林業の衰退、そして営林署の上士幌市街地への移転といった事情が重なり、70年代には数世帯が暮らすのみの過疎の地へと変貌を遂げてしまうのである。
(現在では前回取り上げた三股山荘のオーナー家族を含め2世帯が暮らすのみ)

そのため、かつて1500人が暮らした盆地は切り開かれており、少しずつ自然に帰りつつあるとは言え、まだ大木などは存在せず、集落跡からは見通しが良くなっており、大雪の懐にあって、周囲の山々を贅沢に見渡せる隠れた穴場になっているのである。


そして現在では広々とした草地の中に、ポツポツと残る営林署関係の建物(廃墟)が残るなど、良い味を出しているのである。

(元々集落があった場所なので、とにかく見通しが利く)


更に6月頃には、かつて民家の庭に植えられていたルピナスが野生化し、三股盆地に咲き乱れる。


そう先述の「6月頃に訪問すれば、パンフレットの写真のような残雪を青い山肌、そして新緑のコラボが楽しめ、そして更にもう一つ素敵なオプションまであるのだが…」という文の中にある「オプション」とはこのルピナスの事。

上手くいけば、6月頃に「残雪の大雪+新緑+ルピナス」という見事なコラボになるはずなのだが…
相手が自然のため、なかなかそうは上手くいかず、北海道にいた頃は毎年のようにこの時期にこの地を訪れてみるものの、そう簡単に行くはずもなく…

まあプロの写真家でも何でもないので、全てが都合良く揃わずとも、この時期の風景を楽しみつつ、三股山荘でランチやコーヒーを楽しみ、更に近くの温泉で汗を流し…というのが私のお気に入りで、毎年この時期の風物詩になっていたのである。


…と、何の魅力も伝わらない本編はココまで。このシリーズ始まって以来の駄作だったかも(大汗




そしてここから先はちょっとマニアックなオマケ


先述したように、ここ十勝三股というば、国鉄士幌線(昭和62年廃止)の終着駅であり、一部では「鉄の聖地」などと言われていたりもする地。
(個人的には鉄道関係だけでなく、この地の風景や自然も楽しんで欲しいのだが。)

何しろ、過度の過疎が進んだため、士幌線の廃線の9年前、昭和53年の段階で十勝三股には5世帯14人が暮らすのみ。
当然鉄道の運賃収入は期待できない反面、山間の路線で路線の維持管理や冬場の除雪費用などが嵩むこともあり、何と運行経費が運賃収入の225倍(!)というトンでもない状況に至っていたのである。

昭和20・30年代など、この地域では鉄道が唯一の交通手段だったため、大雪や事故で鉄道が止まると十勝三股が陸の孤島となり、物資の輸送も出来ず、住民が餓死寸前になった事もあったのだが、この時期になると、未舗装の林道程度のものとは言え道路も開通していたことから、鉄道の重要性は薄れてきており、流石の国鉄でもこれは看過できず、昭和53年に釧路鉄道管理局長の判断で士幌線末端区間(糠平-十勝三股)の鉄道運行を休止し、バス代行輸送に切り替えるという処置がとられるに至り、昭和62年の士幌線の全線廃止の日までバス代行が続くという特異な区間となり、その事から鉄道ファンの注目を集めるに至っていたとのこと。
(なお、このバスはあくまで国鉄線の代行輸送扱いなので、運賃体系など全て国鉄のものがそのまま使用され、国鉄の乗車券で利用できた。)


そして今回はその士幌線の終着駅・十勝三股駅跡をオマケで紹介。

但し駅舎や施設などは、士幌線の正式廃線後、平成6年には撤去されたとのこと。


十勝三股駅前から駅舎跡方面を望む


「旧建物」…つまり旧駅舎のこと


旧駅舎跡から駅前方面を望む



かつての面影を残すものは殆ど現存しないのだが…

僅かに駅前に医院の看板が残っている。


今となっては、この地に医院が存在するほどの人口が有ったと言うこと自体驚き。


そして旧駅の構内は、十数年前に公園化する計画が持ち上がったため、意外に整備されている。

糠平側に伸びる旧線路跡


駅構内跡とホーム跡に設けられた“駅風”四阿


しかしこの公園化計画…まだバブルの余韻があった時期と言うこともあってか、ハコモノ中心の頓珍漢な計画だったこともあり、予算や地元の反発などもあって後に頓挫するのだが…
その一環で作られたこの四阿も、大雪山系ではなく「おっぱい山」と呼ばれる小山を眺めるようになっていたり、更に「駅跡」を意識して謎の「駅舎風」に作られていたりと、その頓珍漢さを物語る代物。
三股山荘の女将さん(十勝三股の生まれ育ちで、華やかな時代を知る数少ない生き証人)もコレにはカンカンで、かなり熱く語っておられたのだが…普段は話好きで気さくなマダムなだけに、それだけこの件に対して思うことが多いということなのだろう。


そして他に駅があったことを物語るモノと言えば、国道沿いのバス待合所。


鉄道代行バスの運行がスタートした頃に建てられたと思われる建物で、「十勝三股待合所」と、鉄道代行バスの待合所であったことを物語る表記になっている。


「駅」の文字は、士幌線の全線廃止後、この代替バスが一般路線バスになった後にはがされたのだろう。

しかし我ながら、よくこんなトコロまでBD-1で走っていったものだと…
あの頃は若かった…そして今ではチャリダーそのものまで廃業してしまっているのだが(大汗
#この近辺はヒグマがウロウロしているので、チャリでの訪問はオススメしません。


しかし士幌線が全線廃止になるまではこの待合所が歴とした駅舎だった訳で、駅舎内にはこんなアイテムも残っていた。


ちなみにDJスタンプそのものは今でも三股山荘で押印することができる。


そして糠平-十勝三股間を転換した路線バスも年々本数が削減され、平成10年の段階で、それまで朝夕の2往復だったものが、朝の糠平行きと夕方の三股行きの1日1往復に削減され、通学生の最低限の足を残すのみとなってしまったのだが、その当時の案内板が上の写真に写り込んでいたのでアップ。


その後1日1便のみとなった頃の時刻表(糠平発便)


ちなみに90年代末頃には「バス」とは言っても、車種的には「コンフォート」が使われており、実態は乗り合いタクシー。

その当時乗ったことは…ありません。何しろ三股には宿泊施設がないので、このバスに乗ってしまうと、翌朝の帰路便まで野宿確定なので…


しかしこのバスも通学生がいなくなった平成15年の段階で廃止され、その後は三国峠経由で旭川と帯広を結ぶ都市間バスが三股に停留所を設置して実質的な代行を担うことに。


この処置により、日中の時間帯で1日2往復(4便)のバスが停車することになり、公共交通でのアクセスも可能となり、実際上のバスで三股を訪れたこともあったのだが…
しかし平成22年にこのバスが1日1往復に減便されてしまい、再び帯広・糠平方面から公共交通でのアクセスが不能となってしまったのである。
(但し旭川方面からの日帰り訪問は可能…但し三股でかなり手持ち無沙汰になりそうなダイヤではあるが…)


そして都市間バスの停留所となったことから、待合所やバス停のポールも少しだけ修復されたのだが…


「十勝三股待合所」の看板は外されており、ちょっと残念。


しかしこの待合所はまだまだ現役なのではないかと。何故なら…


冬場はこんな状態なので、ここで待合所も無しにバスを待つのは無理でしょう…


と、このシリーズで最もまとまりのない今回のお話はおしまい。

まあブログの内容からは何も魅力を感じられなくとも、私が季節や交通手段を変えつつ、何度も何度も訪問していると言うことは…まあそれだけ魅力がある場所だと思っていただければ幸いです(汗


次回は旧士幌線跡に沿って南下したところにあるスポットを取り上げようかと。ただ温泉を先にするのか、アーチ橋を先にするのか、まだ未定。
Posted at 2013/10/04 22:10:58 | コメント(6) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記
2013年06月04日 イイね!

三股山荘 北海道上士幌 [お出かけ回想No.23]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。


前回、最後に少しだけ取り上げた三国峠を越え、北十勝へと進んでいくと最初に到達する集落である上士幌町の十勝三股。


今回登場するのは、その十勝三股にあるログハウスの喫茶店「三股山荘」


「北海道に“良くある”何と言うことはないログハウスの喫茶店でしょ?」と言われそうですが…


店内




で、ここの喫茶店の特筆すべき点は…

・何より水が美味しい(大雪の天然水。個人的には日本一お冷やの美味しい喫茶店かと。)
・話し好きで知識豊富な素敵な女将さんがいらっしゃる

…と、この2点。(その他、何よりこの十勝三股という立地条件も素晴らしいのだが)


で、もちろん水が美味しければコーヒーや料理も美味いというのは自明の理。
そして地元北海道でもナカナカ通な食材を使ったイートメニューがここの名物。


先ずは定番中の定番「畑のランチ」(¥1000)


「え?これだけ?」と思われるかも知れないものの…本当にコレだけ。
パンやライスではなく、地元北海道産のジャガイモを主食としてソーセージを食べるというランチ。

最近値上げになっていて、少し高く感じるかも知れませんが、ソーセージはニセコのエフエフ(ニセコの道の駅にも売店を出していたりで、知る人ぞ知る)のもので、更にちょっと拘ったジャガイモをセットにすると…個人的見解ですが、この材料でこのお値段ならむしろ良心的かと。

(そういえば以前は「スープorミルク」「じゃがいもorパン」の選択制だったような気がするのだが、いつの間にか選択の余地が無くなっている…間違っていたらごめんなさい)


そして畑のランチと並ぶ名物「牧場のビーフライス」(¥1000)


十勝清水の牛とろろステーキ(牛挽肉+とろろのみで作られている)を使った丼で、食感的には薄切り肉に近いのかも知れないが、味わい深さは逸品で、強いて例えるならコンビーフを思わせる濃厚な旨みが堪らない。
(もちろんコンビーフではないので、塩辛感やパサパサ感はない)

以前はボンフリーファーム産であることをメニューに明記していたのだが、最近は牛トロ丼の大ヒットでボンフリーファームが有名になりすぎてしまったためか、逆に「十勝清水の」としか書かなくなっており、その奥ゆかしさがまた素敵なところ。


…と、まあこんな感じて知る人ぞ知る(今は有名になってしまったものも含む)食材をさり気なく使っているお店。

そして水が美味しいということは、当然コーヒーも美味しく、しかも手作りの日替わりケーキも美味しいので、食後のデザートにケーキセットも、というのがいつものパターン。
(更に言うと、失礼を承知でペットボトル持参で水を汲んでいただいたりも。)


ただここ最近少し気になるのが、以前はメニューにあった山菜ラーメンをはじめ、いくつかのメニューが姿を消したり、あるいは残っているメニューも値上げが多いということ。


女将さんにさり気なく聞いてみると、「もう歳だから、少しずつメニューを整理しているのよ。」とのことで、無理のない範囲での営業へとシフトしている様子。

おそらく普通の企業ならリタイヤしておかしくない年齢かと察するところなので、決してお店が「いつまでも」営業している訳では無いのかも知れない…とも感じられて、ちょっと寂しくなるところ。


なおこちらのお店は三股生まれの女将さんと、関西からIターンしてきたというご主人、そして時々娘さんも手伝って…という具合にご家族で経営されているお店。

そんな事もあって、ここの女将さんは地域の自然・歴史・見所など、実に詳しい方で、しかもかなりの情報通かつ常にアンテナを張っていらっしゃる方なので、この地域を散策するにあたって色々と情報を教えて頂いたり、地域の自然環境や観光政策についても熱く語っていらっしゃったりと、なかなか素敵なお方。

(やはり過疎化が進んでいる地域なので、温泉やお店、施設など閉店が相次いでいるので、「わざわざ行ったのに…」というケースが多いので、詳しい方がいらっしゃるというのは有り難い限り。そして帯広駅の観光案内所で訪ね事をしたもの、係員では答えられなかった事があって…そうしたら観光案内所の人がココのお店に電話して確認して返答してくれた事があったりも。)

そして昔でも年に数回、今では数年に1回しか訪れない客(つまり私)のことを、覚えていてくださって、「あら、また来てくださったのね^^」と迎えてくれるのも嬉しい限り。


但しご主人のほうはかなりシャイな方のようで、基本的にお店に出てくることはないものの、厨房から客と女将さんの会話などしっかり聞いていて、わざわざ女将さんを厨房に呼んで伝言形式で色々と教えてくださったりします。でも未だにご尊顔を拝したことはありませんが(笑

そして鉄道系の方には、「糠平-十勝三股」の鉄道代行バスの運転手だった人として有名なようで、その関係なのか当時の十勝三股駅スタンプが店内に設置されていたり、往時の駅模型などが置かれている事も有名かも知れません。

(国鉄士幌線が正式に廃線になる前、末端過疎区間の糠平以北に関して、「表向きは国鉄の鉄道路線として営業するが、国鉄釧路支社の一存で、実際には列車運行を休止しバスで代行輸送を行っていた。」という時代が10年ほどあり、ご主人がそのバス運行を委託されていた人、という事。)


ちなみにココのお店は、ご自宅も兼ねており、「冬場は家守をしないとイケナイので…」との事で、冬期も営業しているという有り難いお店。


但し冬場以外のオフ期にバカンスのための長期休業があるので要注意。
(で、そのバカンスの話から、厳寒の北海道で、南の島の話題ですっかり盛り上がったりも・笑)



そしてこのお店がある十勝三股そのものが、実に興味深く、そして素敵な場所。
この十勝三股を含む北十勝エリアは、個人的には日本一…というか世界一お気に入りのエリアなので、ネタはいくらでもあるところ。

でも少し話が長くなってきたので、今回はココまでにして、次回は三股盆地そのもの(士幌線跡も含めて)の話でも…
Posted at 2013/06/04 00:09:06 | コメント(6) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記
2013年04月19日 イイね!

大雪高原温泉 北海道上川 [お出かけ回想No.22]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。


今回登場するのは、大雪山系の中にあり、深い雪に閉ざされるため6月上旬~10月上旬の僅か4ヶ月程しか営業しないという温泉。


「日本一ラーメンの美味しい町」を自称する上川の市街地でラーメンを食べてから出発。


「美味しい」根拠としては「大雪山系の水が美味しいから」なのだそうだが、まあ「日本一」というのは「自称」であることを認めている…まあその程度の話。

但し大雪山系の水が美味しいことは間違いなく…私の主観によるその辺の話はまた次回。


層雲峡を素通りし、更に石北峠経由で北見方面へ向かう国道39号線と別れ、三国峠方面へと進んでいく。
三国峠といえば、北海道で車の通れる最高地点でもあり、大雪山系の懐という条件から気候も厳しく、通年通行が可能になったのが90年代も中頃という険しい場所。


そんな三国峠の手前に大雪高原温泉への林道の入口がある。



こんな林道を延々20分ほど走ると、意外に(失礼!)大規模な宿が目に飛び込んでくる。


これが大雪高原温泉。


実はココ、手軽に車で大雪山の紅葉にアクセスできるスポットとして有名で、9月には自家用車の乗り入れ規制が掛かるほどの場所。

有名ドコロではこの温泉の近くに「高原沼遊歩道」が整備されており、手軽に散策でき、しかもシーズンなら比較的人出があるので必要以上にヒグマを恐れる必要も無いだろう。
(あくまで“比較的”という話なので、相応の対策はお忘れ無く。)


しかしシャトルバスに乗り換えるのも面倒なので、私は専ら10月に入ってから、営業終了までの僅かな期間を狙って訪問。

しかし何故かこんな写真しか残って居らず。


こんな写真を出してしまうと、高原沼の魅力が何も伝わらない恐れが…
(このシリーズは過去の写真で構成しているので、ブログで見せる・紹介するという前提で写真を撮っておらず仕方がないと言えば仕方のない話なのですが)

まあこのお天気でもコレだけの紅葉が感じられるなら、お天気が良く、しかも沼などのアクセントがあれば…という事でご想像お願いします(汗


で、本題の温泉はこんな感じ。



秘湯の割に施設が立派すぎるので、写真だけで見るとやや風情に欠けるかも知れませんが…

もちろん源泉掛け流し。林道を延々と走った末に辿り着いた季節限定の秘湯で、大雪の風景に季節を感じながら風情たっぷりの白濁したお湯に浸かる…これ程の贅沢感はなかなか味わえないモノ。

ちなみに昭和天皇や、三笠宮様(昭和天皇の末弟)も、この自然に惹かれて御行啓された温泉とのこと。(上の方の写真に行啓記念碑が見える)


で、ここから先、三国峠を越えれば北十勝へと抜けていくのだが、三国峠の反対側もまた豊かな自然と素晴らしい温泉が満載の地域。次回はそんなお話の予定。



そして今回のオマケ

本当は三国峠そのものの眺望も素晴らしく、特に十勝側の樹海の中を走り抜けていく感覚は最高のドライブコースなのだが…


何故か夏場の写真が無く、冬場のしかも夜間のものばかり。いくら通年通行出来るようになったとは言え、気候はかなり厳しいので11月頭でこの有様。


そして眺望を楽しむべき峠のパーキングでも…


正直なところ、ココまで来て「やれやれ」という思いと、まだこれから峠を下って行かなくてはならないという「まだまだこれから」感が交錯する不思議な心境なのである。


*別の機会に撮影した三国峠と思われる画像があったものの…これまた冬場で、しかも撮影地が三国峠なのか確信が持てないものの、一応公開しておきます。(何せBGに乗っていた頃の話なので、記憶も曖昧)
Posted at 2013/04/19 19:00:54 | コメント(8) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記
2013年04月16日 イイね!

駅前弁当(多田精肉店) 北海道上富良野 [お出かけ回想No.21]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。

…と言いつつ、半年以上アップしていなかったので、「こんなシリーズあったっけ?」と言った感じでしょうか(汗
でもネタは山ほどストックしているので、まだまだ続けていく予定^^v



今回は上富良野駅から徒歩1~2分程度、駅前通と旧国道(現在の国道237号はバイパス化され上富良野市街地は通らない)の交差点にあるこのお店。


多田精肉店に併設されている「駅前弁当」というお店。

解りやすく言えば、精肉店が副業で始めたホカ弁屋…なのだが、母体が何せ北海道の精肉店。味の方はタダのホカ弁に非ず。

しかも古き良き時代の北海道の“旅人向け”の風情を今に残すお店で、お値段は殆ど400円台。安いモノなら300円を切っていたり、逆に500円を超えると「高いなぁ」と思ってしまうから不思議。

特に精肉店直営ということで、肉系のお弁当が充実していて「牛サガリ」「牛カルビ」「豚サガリ」「ジンギスカン」…と充実の品揃え。しかもお値段は上記の通り。

普通に精肉店としてもジンギスカンやバーベキュー肉など買えるので、近場でバーベキューなど考えているなら、材料を仕入れる店としても適当。


で、この時オーダーしたのが「手作りソーセージ弁当」確か480円だったか500円だったか。


わざわざ“手作り”を謳っているだけあって、味も本格的で、プリッと歯ごたえのある皮に、スパイスの利いた少し粗挽きのお肉が詰まっていて、もう最高^^

ちなみにここのお店は「豚サガリ」発祥の店としても有名なのだが、個人的にはソーセージのほうが好きだったりします^^v


ココのお店は、注文を受けてから調理してアツアツを渡してくれる店で、出来たてを楽しむタイプのお弁当。

何せ上富良野にはいくらでも美しい風景があるわけで、お気に入りのスポットで景色を楽しみながら美味しいお弁当を食べるというのもナカナカ良いモノです。


上富良野-美瑛間のパーキングエリアにて


少し引いてみると



北海道はコンビニ弁当もなかなかレベルが高い地域なのだが、ここのお店と比べてしまうと、とても太刀打ちは難しいかも…でもコンビニには何処でも何時でも買えるという強みがあるのですけど。



…と言うわけで、今回のオマケは北海道のコンビニ弁当。


先ずは定番中の定番、函館のローカルコンビニ、ハセガワストアー(ハセスト)のやきとり弁当。


やきとりと言いつつ「豚肉」なのがミソ。そして塩味がオススメ。
全て店内調理で、ハセストの他、根室のタイエー、さらに最近は一部のセコマでも買えるようになっていますが、ハセストの一部店舗には期間限定品(例えばカレー味など)もあったりします。


そしてハセストの姉妹店(?)である根室のタイエーのお弁当。

やきとり弁当の容器を流用していますが、実は豚丼。


そして店内調理では無いものの、根室の郷土料理「エスカロップ」(例えるならデミグラスカツ丼?)もコンビニ弁当に



北海道の場合、観光客向けの高いだけのお弁当より、街やコンビニで買ったお弁当の方が安くて美味しかったりしますねー
Posted at 2013/04/16 22:15:21 | コメント(8) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記

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何シテル?   02/16 23:07
タイトルの通り、旅と温泉と酒などを愛するNEOCAといいます。気がつけば、みんカラデビューから18年が過ぎようとしています。 現在はほぼ活動休止中ですが、年に...
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