前回に引き続き、USA(宇佐)への旅の話です。
宇佐駅へ到着
しかし、宇佐駅から宇佐八幡までのバスの便が極端に少なく、小一時間の待ち時間。
距離にして4km程なので、歩くのとどっちが早いのか少々迷うところなのだが、昨日バスの車窓から見ていた限り、ほぼ国道を歩く形になり、ウォーキングには快適とはいえなさそうなので、素直にバスを待つことに。
そしてやってきたバスに乗り込み、宇佐八幡バス停のすぐ手前の車窓で…同じ電車から降り立った旅行者風の男性がせっせと歩いており、結局のところ歩いてもほぼ同時着だったという結論。
そして宇佐八幡参拝の前に、ちょっと寄り道。神仏習合の時代、宇佐八幡の神宮寺だったというお寺に立ち寄り、大仏を見学。
このあたりは特に神仏習合の特色が強く出ていた地域…そんな事を昨日、歴史博物館で知った事もあって、ちょっと寄り道した次第。
そして改めて宇佐八幡へと参拝
国道沿いの門前町を抜けると、かつて豊後高田-宇佐駅-宇佐八幡を結んでいた大分交通(会社そのものはバス会社として現存)の鉄道線で使われていたSLが展示されている。
そして参道を歩いて宇佐八幡へ参拝…と言いたいところなのだが、今回は敢えて脇道から進んで、境内にある建造物を見学がてら歩くことに。
先ずは1622年建造の呉橋へ
見ての通り、唐破風の屋根を持つ立派な橋なのだが、現在は10年に一度の勅使祭の時を除いて開かずの橋となっている。
しかし内部を覗き込むことは可能
そしてすぐ横にある近年作られた橋を渡り、境内へと進んでいく
手水舎で手を清め、いよいよ参拝開始
左手の鳥居を進むと上宮、その右側の鳥居を進むと下宮なのだが、今回は順路に従い上宮→下宮の順に参拝することに。
鳥居をくぐって、石段を上っていく
ちなみに足腰の不自由な方のために、モノレールまで設けられているというのが凄いところ。
(ちょっと乗ってみたい気もするのだが、趣旨を考えると、誰でも乗って良いものでは無さそうなので…)
そして上宮を参拝
上宮に隣接して絵画館があり、料金を賽銭箱に入れて自由見学するシステム。
まあ絵画と言っても、特に古い絵画ではなく、近年描かれた組画で、宇佐八幡神託事件の始終や和気清麻呂の生涯などを紹介しているもの。
更に石段を下って
下宮を参拝し、かねてからの懸案であった宇佐八幡の参拝を達成
そして再びバスで宇佐駅へと戻ってきたのだが…今回もまたバスと鉄道の連絡が悪く、小一時間の待ち合わせ。(そもそもバスで宇佐八幡へ行くという事を全く想定していないダイヤなのだろう)
しかしちょうど昼食時なので、車窓からチェックしていたファミレスで昼食をとることに。
本当は「旅先では極力ローカルな食べ物を」言いたいところなのだが、宇佐駅近辺の寂れ具合は相当なもので、他には「本当に営業しているの?」と聞きたくなるような食堂しか見あたらず、特に名物料理など期待できそうに無いこともあって、今回はファミレス利用とした次第。
しかしまあジョイフルなら、九州が地場のチェーンであり、ローカルといえばローカルと言えなくもないので、まあ良いと言うことにしたい。
(それに関西にも店舗はあるものの、私の行動範囲に店舗がなく、普段利用しない店なので、あくまで“非日常”だと言い張る事にしたい。)
で、それならせめて鳥天定食などのローカル風のメニューをオーダーすれば良いものを、「チェーン店でローカル風のものを食べてもねぇ…」と思ってしまい…
結局は我ながら何とも凄まじく矛盾していることは百も承知のうえで、ホイコーロー定食をオーダー。
まあ良くも悪くもファミレスなので、味についてわざわざコメントする必要は全くないだろう。
時間を見計らい、宇佐駅へと戻り、中津行き普通列車に乗車。
JR九州らしい洒落たデザインの車両なのだが…やはりローカル区間でロングシートというのはちょっと味気ない。まあローカル区間ゆえ効率性が求められることは理解できるのだが…
そしてこの路線にはUSAだけでなく、天津も存在(笑
しかし中津で小倉方面の列車へと乗り継ぐと、今度はクロスシート。
そして少々汚い話になってしまうのだが…中津での乗り継ぎ、そしてこの次の乗り継ぎと、非常に短時間での乗り継ぎが続くため、お手洗いを車内で済ませておくことに。
近年、JR九州は「全列車トイレ付き」(但し筑肥線に乗り入れてくる福岡市営地下鉄の車両を除く)を達成し、安心して乗れると大々的にPRしており、個人的には非常に評価しているところ。
しかしこの車両のトイレ…車いす対応で広々としたスペースで、新しく快適な設備…かと思いきや、故障で水が出ないというのはちょっと考え物。
(もちろん旅に出るときはウエットティッシュくらいは持ってはいるのだが…)
そして県境を越えて福岡県へと入り、航空自衛隊の街として有名な築城駅で下車。
路線バスへと乗り継ぐのだが…バス停で待っていたのは15人乗りのハイエースコミューター。
運転手さんに行き先を確認し乗車。
バスは役場などの公共施設を経由しつつ、川沿いに城井谷の上流を目指していく。
そして沿道には、大河ドラマにあやかって「黒田官兵衛最大の敵、宇都宮重房」という幟が多数立っている。
歴史的な説明は省略するが、ここ城井谷は宇都宮氏(城井氏)の居城があった場所。“最大の敵”は言い過ぎかも知れないが、黒田官兵衛ゆかりの地であることは間違いがない。
しかし今回の目的地は黒田官兵衛とは直接的には関わりのないスポット。
目的のバス停が近づいてきたところ、中年の運転手さんが「お客さん、藏内邸へ行かれるんですよね?それならここで降りてください。」と、実際のバス停より数十m手前で便宜停車。
更に「帰りのバス停は、そこの橋を渡って…ほら、小屋が見えるでしょ。あそこが待合所だから。」と至って親切に案内してくれる。
まあ地元の人でもなく、しかも他に観光地も無いので、旅行者の行き先はすべてお見通しなのである。
こんな長閑な場所でバスを降り
こんな道を2~3分歩くと
立派な塀に囲われた敷地が見えてくるのだが…ココが今回の目的地「旧・藏内邸」
まあざっくり言ってしまうと、明治30年代に建てられた「炭坑で儲けた人の豪邸」
旧藏内邸は明治時代から昭和初期まで福岡県筑豊地方を中心に炭坑を経営し、全国10位以内の産出高をほこった藏内次郎作、保房、次郎兵衛の藏内家三代にわたる本家住宅です。
明治30年代に主屋と応接間棟、庭園が造られ、大正5年の藏内鉱業株式会社の設立と同時に大広間棟や茶室、大玄関などが増築され、隣接する貴船神社と参道、石橋なども一体として建設されました。
田園風景の中に堂々と佇む邸宅の敷地は7,135平方メートル、延床面積1,250平方メートルもある大規模近代和風住宅で、現在も建築当初の状態をよく残しています。
※福岡観光連盟のウェブサイトより引用
炭坑主の住宅といえば、飯塚の麻生家など、炭坑のあったエリアにあるイメージが強いのだが、この藏内家は「炭坑で稼いだ富で、自分の出身地に豪邸を建てた」という、ちょっと変わったパターン。
そんな事情もあってか、あまり注目されることもなく、昨年になってようやく一般公開されたという施設。まあ他の観光地とはずいぶん離れた場所にぽつんと存在していることもあって、ややマイナーな印象は否めないだろう。
そして敷地内へと進んでいく
しかしマイナーな観光地なので、最低限の整備しかされていないと思いこんでいたのだが…ところが駐車場はもちろん、立派で清潔なお手洗い等、かなり本腰を入れて整備されているなというのが正直な印象。
ちょうどバスを貸し切ってやって来た団体と入れ違いになる形で入館。(入館料¥300)
と、ここまでは順調だったのだが、玄関でいきなりすべてをぶち壊すようなトラブルが勃発。
まあブログで詳細は書かないが、それなりの年齢でそれなりの立場にいる人が、一人のボランティアとして“指示される立場”になるのは容易で無いことだけは確か。
これが玄関だけなら良かったのだが、ここのボランティア達の指揮系統が成り立たっておらず、各々が勝手にその場その場で適当な誘導や案内をしているので、完全にぐちゃぐちゃ。
結論から言うと、ここの施設は自由見学できる施設で、なおかつ順路など有って無いので、場当たり的な誘導は無視して、館内案内図を頼りに自分でルートを決めて歩くのが一番。
今回はバスの時間の関係で、小一時間の滞在だったのだが…この出鱈目さのお陰で、かなりのロスタイムが出てしまったのが残念なところ。
さて、話を戻して、文化財としての藏内家を写真で紹介することに
まあ炭坑王の金持ちエピソード的な事は沢山あるのだが、建物にそのものに関して箇条書きメモで記しておきたい。
・とにかく一つ一つの材料が高級(屋久杉に台湾檜と言った具合)
・同時に、木材の継ぎ目も目立たぬよう斜めにカットするなど、手の込んだ工法も印象的
・伝統的な日本家屋でありながら、洗面場に給湯器が備えられるなど、この時代としては相当ハイテクな設備も備えている
・全体的に間取りが大きく、また広々とした庭園も相まって、とにかくゆったりとした印象を受ける
・浴室に併設された脱衣室が…下手な座敷顔負けの立派な和室
・撮影禁止なので画像はないが、金唐革紙(革細工風和紙壁紙)の貴重な現存例である
・藏内家が手放した後、近年まで他の一般の人が住んでいたとは言うものの…住宅として住むにはちょっと広すぎて落ち着かないかも
(藏内家当時は、“炭坑王の迎賓施設”的な用途にも用いられていた。)
蔵を利用した展示室なども有ったのだが…残念ながら時間切れで、サッと通り抜けただけに終わってしまう。更に庭園を歩く時間が無くなってしまい…
(普通なら、小一時間あれば蔵や庭園も普通に見学できるはず)
とりあえず、玄関から藏内家を後にしたのだが…ボランティアスタッフ同士の険悪なムードは消えていない様子。
それにしてもいい歳をした高齢者同士で、訪問者そっちのけの言い争いをした挙げ句、最後は挨拶すら返さず不機嫌そうに玄関に突っ立っているのは見苦しい限り。
そして時間も押しているので、隣にある貴船神社
(こちらも藏内家による創建で、事実上藏内家と一体の敷地になっている)をこの角度からちょっとだけ眺めて
早足でバス停へと戻ると、定刻の2分前。
何せこのバス、一日あたりの運行本数が休日4往復、平日でも6往復しか走っていないので、乗り遅れると大変なのである。
(但し役場などに寄り道しながら走っても所要13分なので、タクシーに乗っても凄い金額にはならないのでは無いかと想像するところ)
そして帰りのバスは、行きのバスが終点まで行って折り返してきた便。つまり同じ車両で同じ運転手さん。
運転手さんが「おかえりなさい。お疲れ様でした~」と声をかけてくれ、ホッとするとともに、不快な気持ちも吹き飛んだのだった。
こうして築城駅へと戻ってきたのだが、バスが僅かに早着した事に加え、列車も僅かに遅れており、偶然が重なった結果1本早い列車で移動できることに。
そして小倉駅へ到着。後は新幹線で帰宅するのみなのだが、今回は時間に余裕があるので、九州の美味しいものでも食べて帰ることにしたい。
まあ、もし時間が無くとも、小倉駅にはこんな名物もあるのだが…
※参考画像・以前の画像を流用
折角なので、今回は途中下車をして、もうちょっと本格的なものを食べていくことに。
しかし小倉駅の有人改札が妙に混雑しているではないか…
どうやら日豊本線から鹿児島本線で博多方面へ向かう人が途中下車を申し出て断られている様子。
切符のルールに関する詳細は省略するが、このルートの場合、西小倉-小倉間が区間外乗車になるため、小倉駅の改札を出る形での途中下車は建前上NGで、あとは駅員の判断次第。小倉駅として厳格に対応しているなら仕方が無いだろう。
但し私の場合、「別府→日豊本線→西小倉→鹿児島線→小倉→山陽新幹線→大阪市内」までの切符なので、シンプルな一筆書きで区間外乗車は無し。それゆえ途中下車はルール上何の問題も無いのだが…
改札の若い女の子は面倒くさそうな対応で
「途中下車は出来ません。」と言い出すではないか。
おそらく先述の西小倉-小倉間が二重乗車となるケースと勘違いしていたのだろうが、途中で間違いに気付いても、それを訂正せずに
「新幹線なら中(連絡改札)で乗り換えてください。」と押し通し始める始末。
結局最後は押し問答になり、
「はいはいはい」と三度返事をした挙げ句、手で払いのけるような仕草までする始末。
またまた不快にさせられた状態で、改札外へと出てきたのだが…実はまだ新幹線特急券を持っていなかった
(乗車券のみ別府からの通しで買っていた)ので、先ず先に購入しておくことにして、新幹線側(JR西日本)のみどりの窓口へと向かい、中年の男性係員に…
私「今日の『こだま758』号で新大阪まで、指定席特急券のみ1枚お願いします。」
係「『こだま』で良いんですか?時間かかりますよ。近い時間なら『のぞみ』の…」
…と丁寧に案内をしてくれたのだが、実は私が敢えて『こだま』を選んだのには然るべき理由があっての事。(詳しい人なら、もうピンと来ているかとは思うのだが…)
私が理由を説明して『こだま』の切符をお願いしたところ、
係「時々、予定が変わっていることがあるので、念のために確認しておきますね」
と言って、こちらからお願いした訳でもないのに、当該列車が私の目的に適っているかどうか、わざわざ確認をしてくれるという親切さ。
まあこんなやりとりがあって、先ほどのJR九州側での「?」な対応の事など吹っ飛んでいって、気持ちよく窓口を後にしたのだった。
(そんなこんなで、今回の旅はマイナスの話題が多数登場した反面、必ずそれをカバーするプラスの話題とセットになっているのが凄いところ。)
そして夕食なのだが、今回は時間の制約もあるので、駅ナカで済ませることに決定。
しかし先述したような流れもあって、足は自然と新幹線側(つまりJR西日本)の駅ビル内にあるレストラン街へ向いていく。
その中で、地元の肴を売りにした立ち呑み屋があったので、そちらに入店。どうやら福岡県内で複数店舗を出しているローカルチェーンらしい。
ちなみにこの立ち呑み屋…島式のカウンターを挟んだ反対側には普通の居酒屋も併設しているという不思議な構造。
(但しメニューの料金はそれぞれのコーナーで設定され、立ち呑みだと若干安く設定されている。)
先ずは筑後の日本酒「繁枡」を片手に、大分名物の鶏天
但し残念ながら、この鶏肉はブラジル産のブロイラーを使っているのだとか。
その一方で、赤鶏のメニューは九州にある自社グループの養鶏場のものを朝引きで使用しているとPRしているので、今度は赤鶏のメニューをオーダー。
更に生け簀の「呼子直送ヤリイカ活き造り」(値段は量り売り)というPOPが気になり、かなりの予算オーバーながら、生け簀から小振りのものを選んで刺身にしてもらう。
但し今日は「小」に分類される大きさの烏賊があまり入っておらず、これでもサイズ的には「小」と「中」の境界線くらいの大きさとのこと。(量り売りで二千円台前半だったはず。)
ちょうど昨年の今頃、唐津の宿でもう少し大振りな呼子産の烏賊を食べていたのだが…
もちろん1年という時間が経っているので、厳密な比較にはならないのだが、やはり唐津の宿で食べたものの方が美味しかったかも。
但しこれが、素材そのものの違い、呼子からの距離、生け簀の管理、調理法、あるいは運ばれてくるまでの手際の違い…どこに原因があるのかは不明だが、やはりローカルチェーンの居酒屋と、料理長のいる旅館の料理を比較するのはフェアでは無いだろう。
とは言え、あくまでコレは昨年食べた印象との相対的な優劣。絶対評価で書くと大満足のレベルなので誤解の無いよう。それに駅ナカで気軽に食べられるという点を加味すれば、かなりおすすめの店だろう。(但しお値段もそれ相応なのだが…)
そして最後は食べ残した下足を後造りで天ぷらにしてもらう。(追加料金¥200)
更に地魚の握り寿司などもあって、ちょっと気になったのだが、もう予算的にもカロリー的にもアウトなので、この辺で退散することに。(二日間散策した後の立ち飲みで若干足が疲れたという要因も…?)
そうこうしているうちに、新幹線の時間になってしまったので、ホームへと移動。
で、既にお気づきの方も多いと思うのだが、この旅の締めくくりとなる新幹線はこんな車両。
かつては未来的なルックスと、その俊足に憧れた500系も今や山陽新幹線区間の「こだま」として運行されている。なので、今回はあえて「のぞみ」を選ばす、「こだま」を選んだという次第。
そして500系と言えば、元グリーン車の6号車が乗り得車両として知られているのだが…
※以前のブログより引用
しかし最近、4号車と5号車も改造を受け、レールスター使用の2+2シートに交換されているとの事なので、今回は敢えてこちらを利用。
但しデッキへのドアの位置までは改造されていないため、2+3の時代のままやや横にずれた状態になっている。
そして2+2シートに交換されていれば、500系特有の圧迫感はそこまで感じ無いのだが…
しかしシートピッチは普通車と同じなので、フットレストやオーディオ等は撤去されているものの、シート自体は元グリーン車そのものの6号車の方が圧倒的に快適。
まあそれを知ってか、6号車には多少の乗客があったものの、4号車・5号車はほとんど乗客がおらず、新大阪までほぼ一両貸し切り状態。
…と、こんな感じでUSAへの旅は終了。
<完>
実はこの旅の段階では全く予想すらしていなかったのだが、わずか一月半後…
もう一つのUSAへも足を運ぶことになったのだが…こちらの話は特にブログに書くような内容ではないので、アップする予定はありません。