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NEOCAのブログ一覧

2011年11月27日 イイね!

台北の夜 [台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告 No.2]

※バックナンバーはこちらから。


# 鉄道関係のネタは次回から登場します。
# まだ序章と言うこともあり、話が脱線してばかりです(汗




● まずは現地通貨の確保
この章は文章ばかりのつまらない内容なので、適当に読み飛ばしてください。


台北桃園空港へ到着後、入国審査や税関はあっさり通過。機内持込の手荷物だけの身軽な旅なので、とにかく早い早い。


先ずは現地通貨の確保。台湾の場合、街中にいわゆる両替所の類は無く、基本的に銀行か郵便局でしか両替が出来ない。それゆえ基本的に平日の営業時間内しか両替できないということでもある。
しかし空港内の銀行は、飛行機が到着する夕方以降でも窓口が開いているので、問題はない。
まあ最悪、レートの悪さに目を瞑って、大きなホテルのフロントで両替するという手もあるのだが、しかし今回はそんな高級な宿に泊まる予定もない。

…と、書いておいて何なのだが、私は現地通貨を「国際キャッシュカード」(日本国内の銀行口座から、現地ATMで現地通貨で引き出しが可能)と、「クレジットカードのキャッシングサービス」で引き出すことにしている。
これならATMさえ稼働していればいつでも引き出せるうえ、レートも悪くなく、手数料なども有利なことが多い。


しかし、だからといって現地通貨を全く持たずに旅をする訳にもいかず、とりあえず見かけた郵便局のATMで出金を試みるも、何故か失敗。
よく見てみると、中国語で「郵便局では海外発行のクレジットカードは使えません」的なことが書かれているようだ。(中国語を解しないので、あくまで漢字から推測)

そこで他のATMを探して空港内をさまよい歩くも、なかなか発見できず。仕方がないので、銀行の両替所で1万円札を両替しようかと思ったところ、各銀行の窓口の横手、目立たない場所にATMが設置されているではないか。
しかも空港内と言うこともあり、警察官もウロウロしており、お金を引き出すには最適なシチュエーション。

国際キャッシュカードを使う限り、レートの善し悪しは関係ないので、手近なATMでとりあえず15000元(日本円にして4万円弱)を引き出し。
この15000元という金額については、特に意図はないのだが、一人旅でなおかつ土日を挟むことを勘案して多めに引き出すことにし、とりあえず「中華航空の往復航空券代」とほぼ同額になるよう引き出した、というだけの話である。

結論から言うと、一週間の滞在で、ちょうどこの15000元を使い切ることになり、図らずしてベストの金額を引き出していたのである。
(もちろんごく若干の残金が残り、また一部カード払いしたものもあるので、この金額=旅費とは言い切れないが、特に残金を意識したわけでもないのにベストな金額だったのである)


ちなみに台湾の通貨は「ニュー台湾ドル(NT$)」、現地では「新台幣」と呼ばれているのだが、現地での正確な単位名は「圓」つまり「円」なのである。

ただ現地では「圓」を略して、同じ読みの「元」を記載されている。また交通機関のチケットなどには西欧人にもわかりやすいようにか「NT$」と表記されていることも多い。

ちなみにWikipediaを引用すると…
また、中国の通貨単位である「元」の正式名称は「圆(=圓・円)」である。かつて「"圓"の画数が多い」という理由で、その代わりに同音(yuan)の「元」が当てられ、今日に至る。韓国・北朝鮮の「ウォン」も「圓(=円)」の朝鮮語読みである。台湾のニュー台湾ドルや香港の香港ドルも、国内での名称は「元」ないし「圓」である。すなわち、これら東アジアの諸通貨は、みな本質的には「圓」という名称を共有しているといえる。

少なくともプライスカードなど文字として書かれている分には「圓」や「円」という記載を見かけることは無かった。(但し紙幣そのものには正式名称で「圓」とかかれている)

ただ台湾の人(というか香港でもそうなのだが)の意識としては、どの国の通貨であれ、通貨の単位は「元」、英語なら「$」、日本語なら「エン」という意識のようで、日本語を話せる人の場合、決まって「200エンです」のように言うのだが、決してこれは日本円払いを要求しているのではなく、200元(台湾ドル)という意味になる。
まあ実際現地では、日本円のことを「日元」、アメリカドルのことを「美元」、ユーロのことを「欧元」と呼んでおり、日本とは海外通貨の単位についての考え方がちょっと違うようだ。


…と、台湾の通貨についてあれこれ書いてしまったが、今回の旅行記では「元」と書いたら台湾ドル、「円」と書いたら日本円というルールで統一したい。

ちなみに、この旅の期間での換算レートは1元≒2.6円程度である。



● 路線バスで台北市内へ


無事に元を確保したところで、バスで台北市内へと向かう。

ここ桃園空港は鉄道アクセスが開業しておらず、鉄道を利用するにも一度バスで駅まで行かねばならず、もう時間も時間なので乗り換えも面倒で、しかも今晩の宿は中山地区なので、台北駅からも少し離れているので、ホテル近くを通るバスで台北市内へ入った方が良いという判断である。


とりあえずバスカウンターでチケットを購入。


そして今宵の宿の近くを経由する、バスは2社が運行しており、一般道経由で90元か、高速道経由で125元かの選択肢があり、特に急ぐわけでもないので前者を選択。


まあ日本円で考えると大した金額でもないので、別にそこまでケチケチする必要も無いのかも知れないが、前者の方が空いていそうという判断もあってのことである。


そしてカウンター前の出口から外へ出てバスに乗り込む。


乗り場の係員のおじさんに英語で行き先を聞かれ、それを中国語で運転手に伝えてくれた。※実際は中国語(北京語)では無く、台湾語の可能性が大なのだが、私には判別できないので、今回の旅行記ではこういう場合は全て“中国語”と表記することにする。

そして案の定、乗客は4人。そのうち1人は空港の従業員(?)で、一般利用客は私を含めて3人。
バスが空いていて快適(というか、大型バスに4人というのは寂しいくらいだが)なだけでなく、運転手も1人1人の行き先をしっかり把握して、バス停毎に顔を見て声を掛けてくれる(但し言葉は中国語だが)ので、安心感がある。


バスの運転席(空港の名称が昔の「中正機場」のままになっている)


そして台湾ではよくある微妙に通じる日本語。(しかしコイソは…小磯さんに思えてならない)



そしてバスはいわゆるリムジンバスでは無く、あくまで路線バスなので、台北市内までのんびりと走っていく。

途中の車窓から、近くを走っている車を見ているだけでも飽きない。




そしてバスは台北市内に入り、台北一有名な(?)ホテルである圓山大飯店を経由。ここは昔の台北神宮の跡地であるとともに、風水的にも最高の立地条件とのこと。


しかし今の私はこんなリッチなホテルに泊まれる身分でもなく、そのまま通過し、台北市街地の中山地区のアンバサダーホテル停留所で下車。徒歩でホテルへと向かう。



● 夜の台北を歩く


とりあえずホテルにチェックインして荷物を置き、台北の夜へと繰り出す。


…と言っても、特に何かするわけでもなく、ただ単に軽く夜食を食べに行くだけなのだが。


そして台北、というか台湾全体の街の特徴として、アーケードのような歩道が目につく。
しかし実際には完全にビルの一部で、それぞれのビルの1階部分の道路側数メートルが、歩道として開放されているといった感じで、壁こそないものの、柱はあって完全にビルの構造物の一部分なのである。


これは日本統治時代に、スコールや夏の日差しを避けるための工夫として作られたのが始まりで、現在まで引き継がれている。

しかしながら、各ビル毎に段差があったり、あるいは店舗のオープン席や、あるいは整備工場などの作業場、そして駐輪場(二輪を含む)を兼ねていたりと、それぞれの使われ方をしていて統一感が無く、歩きにくいと言えば歩きにくいし、面白いと言えば面白いのである。


そして空き地や工事現場でも、こうした通路を確保するために仮設屋根だけ作っているケースもある。


しかし本格的なビル工事となると、1階部分でもあるこの歩道は閉鎖せざるを得ず、車道を歩く羽目になることも多い。

それでも台湾人は歩行者には寛大で、やむを得ず車道へ出てくる歩行者に対して、日本のようにクラクションで威嚇したり、窓を開けて罵るようなことは無い。

そもそも車道だからと言って車が最優先なのか? やむを得ず車道に降りてくる歩行者は悪なのか?…そう思う今日この頃。
車と言い自転車と言い、日本人は歩行者を何だと思っているのだろうか。動く障害物か何かと思っているのではないだろうか…まあ変な歩行者も居ないわけではないが、扱いが酷すぎるのではと思う。

まあ車に限らず、台湾に居るととにかく「対等な人間扱い」される感じが安らぎを覚える。
つくづく日本は「自分さえ良ければ良い」「自分が一番エライ」国なのだと…ホント帰りたく無くなってしまうのである。


ただ車同士となると話は違うようで、車対車になると、台湾人もなかなか荒くなるのだが。また路駐も結構派手。



ユニークな地下道入口



そしてお目当ての「麦当労」に到着。


…というのは嘘で、「麦当労」という当て字が面白くて写真を撮ってみただけ。

ちなみに中国語圏で最初にマクドナルドが進出したのが香港と言うこともあり、広東語に合わせた当て字なので、北京語ではちょっと可笑しくなるらしいが、中国語を解しない私にはサッパリ。

世界のマクドナルド巡りもご当地メニューがあったり、現地の風習に合わせたドナルドのポーズなど、なかなか面白いとは言うが、海外まで来てマクドというのもどうも気が進まない。
それにフランスのように、レストランの敷居が高く、しかも物価も高いというような国ならともかく、安くて美味しいものが沢山ある台湾では利用価値は低いだろう。
(とは言いつつ、フランスでも一度も利用したことがないのだが)



● 寧夏観光夜市で牡蠣を味わう


そしてようやく本当のお目当ての寧夏観光夜市に到着。



夜市と言えば、士林のそれが有名だが、ここ寧夏は観光地っぽくなく(名称は観光夜市だが)、かといって必要以上にゴミゴミしておらず、程よい雰囲気の夜市。

道路の中央分離帯公園の様な場所に屋台が立ち並んでいる。



ちなみに道路の(北から見て)右側には屋台ではなく、通常の飲食店などの店が並んでいる。(左側は学校)


まずは、そんな中にあるこのお店から。


その名も「全家」…というか「ファミリーマート」と言ってしまえばそこまで。

しかも日本のそれと、雰囲気や取扱品目もソックリで何も違和感はない。普通に「おにぎり」まで売っているほどである。


但し台湾風の具材もあって面白いのだが、日本人の口に合うものと合わないものが…ちなみに写真は後日のものだが、とりめし風で普通に美味しかった。
写真は撮っていなかったのだが、おかかふりかけのようにカリカリに焼いて甘く味付けした牛肉は…(苦笑


で、なぜ初っ端からコンビニかと言うと、台湾の屋台や食堂はアルコールを置いていないことが多く、「飲みたければ持込で」という店が多いので、まずアルコールを確保しておこうという発想。

上の写真は後日のものなので、現地(台湾)生産の青島ビールだが、今回は普通に台湾ビールとライチチューハイを購入。


台湾ビールは問題ないのだが、後者のライチチューハイは…ドイツでよく見かけたビールベースのチューハイなのだが、ドイツのそれとは異なり、ビールの味が生々しすぎてイマイチ好みでは無かった。まあ実際チューハイではなく「フルーツビール」なのだが。


そしてブラブラ歩いて、目についた「蚵仔煎大王」(という店に入ってみる。



私が台湾の飲食店を選ぶ目安にしている「客の入り」という基準をクリアしており、なおかつ行列も無く、目立つ黄色い看板に吸い込まれてしまったというのが正しいだろうか。


ただ実はかなり無計画で…

まず、多少の日本語をしゃべれるご主人が「カキ オムレツ!」と勧めてくれたのだが、今回は敢えて「蚵仔炒飯」を注文。

ご主人の言う「カキ オムレツ」というのは、この店の屋号にもはいっている「蚵仔煎」のことで、名前の通りこの店の名物メニューであることは間違いなさそうだが、実は蚵仔煎に関しては別にお気に入りがあるので、この店では敢えて「蚵仔炒飯」つまり牡蠣チャーハンを注文した次第。

実際、牡蠣が目玉の店のようなので、ハズレはないだろうと読んでのことである。


で、運ばれてきた「蚵仔炒飯」がコレ。ちなみに60元。


ボリュームが軽めに思えるかも知れないが、台湾の夜市はハシゴして食べ歩くことを前提としているので、全体的にボリューム・価格ともに軽めになっている。(日本円で考えると160円弱)

で、味の方は少し辛めのしっかりした味付けで、パラパラに仕上がっており、レタスのシャキシャキ感も含めて日本人受けしそうな味である。
また写真では分かり難いが、牡蠣も半分に切ったくらいのサイズで沢山入っており、しっかり楽しめる。

ちなみにこの店はビールを置いていたので、持込のビールはそのままカバンの中にしまっておき、店のビールを飲む。
但し大々的に置いているわけではなく、日本人と見て、冷蔵庫の片隅から取り出して、「ビールあるよ」的なゼスチャーで勧めてくれたので、おそらく牡蠣を食べながら一杯やりたい日本人向けに細々と扱っている感じである。
(台湾にしろ香港にしろ、食べながら飲むという習慣はあまり無い。これはソフトドリンクや水も一緒で、お冷やは自分で用意しておく方が良い。但しスープならあるが…)


そしてコレが夕食なら、まだまだ食べ歩いても良いのだが、今日は機内食も食べているので、最後に先ほど言っていた“お気に入りの蚵仔煎の店”へ向かうことにする。

夜市から少し外れた大通り沿いにある「頼蚵仔煎」というお店。



まあ見ての通り歩道まで一杯に広げた半オープンのような店である。


道端でネギを切っていたりと、如何にもアジア的な自由な雰囲気。


それでもメニューに「本店採用土鶏蛋」(要は地鶏のタマゴということか?)と書いてあったりするなど、こだわりも見せるあたりが台湾らしいところ。
ちなみにメニューには「本店不宜飲酒」ともあり、持込も含めてアルコールが飲めないのが残念なところ。


で、ようやく「蚵仔煎」を注文。(60元)


台湾では定番のメニューだが、日本人には馴染みが薄く、日本語では「牡蠣オムレツ」「牡蠣焼き」「牡蠣お好み焼き」などと説明されることが多い。

但し実際はオムレツでもお好み焼きでもなく、「蚵仔煎は蚵仔煎」としか言いようがないメニューであり、牡蠣と青菜を、溶き卵とサツマイモの澱粉で焼いたものに、エビチリのソースのようなタレを掛けたもの。

しかし実際に食べてみると、意外にタマゴの存在感は薄く、あまり「オムレツ」といった感じではない。
澱粉はプリプリ感を醸すと同時に、程よいお焦げにもなり、なかなか美味しい。そして牡蠣と青菜はそれはそれで程よい歯ごたえを楽しめ、油ともよく合っており香ばしく味わえる。ただ人によってはちょっと油っこく感じるかも知れない。


ただちょっと意外だったのは、入れ替わり立ち替わり日本人客がやってくること。
そもそも寧夏の夜市は、士林のそれと比べればマイナーな筈で、しかもここの店夜市から少し離れた店なのに、である。
何かメジャーなガイドブックにでも紹介されたのだろうか。まあ台北ともなると、石を投げれば(本当に実験したことはないが)日本人に当たりそうな街なので、そう珍しいことではないのかも知れないが。


こうして夜市での夜食タイムは終了。但しファミマで買ってきたビールとチューハイが丸々残っているが、かといって明日へ持ち越すわけにも行かず、夜のうちにお腹に収めてしまった。
(尿酸値云々と言いながら、フルーツビールを含めて4本ものビールを…)



● 安ホテルに宿泊


そしてホテルへと戻るのだが、中山地区は高級なホテルもある地域ような地域だが、「オニイサン、“アソビ”ハ イカガ?」と勧誘が多い。

そう言えば、そういう目的は全くないのだが、周りに「台湾へ行く」と言うと、「風俗ツアーか?」と返ってくることも多く、全く意識したことはなかったのだが、台湾といえばそういう方面でも有名なのかも知れない。


とは言え、台湾の勧誘はしつこくなく、声を掛けてきても、軽く手を挙げて拒否すればそれ以上勧誘されることもない。

これは“アソビ”の勧誘に限らず、タクシーでも商品でも何でも、断ればそれ以上つきまとうこともないし、気まずくなることもない。
逆にそれを機会に、こちらから道を訪ねたら、勧誘を断っているにもかかわらず、親切に教えてくれるほどなのである。(実話)


で、今晩の宿はビジホ風の安ホテル。前回書いたように、立地が悪くないホテルで一番安いところ、という形で選んでいる。


ただ1500元と台湾の安宿にしてはやや高めだが、台北は全体的に高いことを考えると、まあ納得の範囲だろうか。(そして今回の旅で一番高い宿でもある)

また台湾では“ラブホ”というカテゴリーが明確に分かれていないため、安いホテルの場合は自然に“ビジホ兼ラブホ”のような使われ方をされることになる。ただコレは台湾ではごく普通の事である。

ただビジホとラブホが分かれていないとは言え、やはり客室の意匠など、ややどちらかに偏った造りになっていることもあるのだが、今回はどちらかというとビジホ風で落ち着ける。
これが逆パターンだと、「台湾では別に変なことではない」はずなのだが、一人でラブホに泊まるような感覚になり、違和感があって落ち着かないこともあるのだが、
(実は日本国内で宿がどこも満室で、やむを得ずラブホに一人で泊まった経験がなきにしもあらず…)


客室


ここの客室の嬉しいところは、各部屋の入口に土間があり、そこで靴を脱ぎ、フローリング上は素足で歩けるというところ。やはり素足で過ごせるのは気持ちがよい。


洗面所


やや殺風景であるが、まあ問題なし。ただバスタブやシャワーカーテンはなく、この空間でそのままシャワーを浴びることになるので、どうしても便座など濡れてしまうことだろうか。

またアメニティについても一通り揃っているのだが、こんなアメニティ(※人の居る場所で見ている方はクリックしない方が良いと思います)までしっかり準備されているところなど、しっかりラブホとしての用途も想定されているようだ。
但しこれを備えるのは、台湾ではよくあるサービスのような気も…


フロントの係員も日本語を使える人が多く、対応も悪くはなく、全体的に「(値段考慮で)まあ良いかな」と思えるホテルだったのだが、ただ一点だけ…
同じフロアの日本人男性グループに来客があり、廊下で「おっ!来た来た!!…この子、可愛いじゃん♪…俺のプレイは○○○だぜ!…」と大声で生々しい話を…せめて客室に入れてからにしろよ、と。

まあそこまで安宿では無いので、廊下から室内に入ってしまえば、特に声が漏れてくるわけでもなく、明日からの鉄道の旅に備えてサッサと就寝することに。


ちなみに朝食(バイキング)はこんな感じ。


お粥やパンに、中華風の簡単な料理が並び、流石は台北のホテルだけあって、なかなか美味しく、日本人の口にも合うだろう。
但しちりめんじゃこに、いろいろな混ざりものが多いなど、まあ台湾らしく大雑把。



<つづく>
Posted at 2011/11/27 12:31:52 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年11月25日 イイね!

プロローグ&中華航空で台北へ [台湾一周・鉄道文化を訪ねる旅 報告 No.1]

第一話恒例の長文がありますので、興味のない方は適当に読み飛ばしてください。
また鉄道関係のネタは第三話から登場します。



● 旅の発端と手配


8月末に香港・深セン・澳門を訪れ、久しぶりに“中国”を満喫したのだが…

ダイジェスト編でも少しだけ述べたのだが、私の曾祖父が日本統治時代の台北に赴任し、祖母も少女時代を台北で過ごしていることもあって、我が家では「海外旅行と言えば台湾」というイメージが定着していた。
今から思うと、ちょうど李登輝総統の就任、厳戒令の解除…と台湾の民主化が進んだ時期でもあり、祖母からすると「ちょっと里帰り」といった気持ちだったのかもしれない。


そんなこんなで台湾は個人的に思い入れのある地だったのだが、祖母が亡くなった後は特に訪れるきっかけもなく、私の意識の中でもご無沙汰となっていた。

ところが、香港を訪れ中華文化に触れたことで、無性に台湾に行きたくなってしまったのだ。
そして機会あれば…と真剣に台湾の旅を検討するようになった。


色々構想を膨らませていくと、近年開業した新幹線にも乗ってみたいし、更に新幹線の開業でアクセスが容易になった台湾南部へも訪れてみたい。

更に調べれば調べるほど、新幹線をはじめとする乗り鉄はもちろん、各地に歴史的な駅舎が保存されていたり、廃線跡を整備した遊歩道があったりと、鉄道趣味が台湾に浸透していることを知ることになった。

それならば、こうした“鉄”なスポットを軸に、鉄道で台湾一周してみるのが面白そうだという結論に至った。


とは言え、この段階で台湾はまだ“近い将来訪れてみたい場所”の有力候補に過ぎなかったのだが…10月末、出発4日前に急転直下“決行”することになるのである。

偶々、仕事上のオフシーズンである11月前半に、祝日と代休を活かして連休を取れることになったのだが、ダメ元で台北までの航空券を当たってみると、そこそこ納得の価格で空席を確保できることが判明。

大阪-台北(-シンガポール)間には、今話題のローコストキャリア(LCC)の一つであるジェットスターが就航しており、台北までなら片道あたり1万円を切る格安運賃を設定したのである。
この時期なら、最低料金は片道あたり8千円からのスタートで、残席数が減るに従って運賃が上がってくるシステムになっているようだ。
片道とも8千円の席で往復すれば、往復1万6千円、更にサーチャージや空港税などが1万円程度加算されるが、それでもコミコミ2万数千円で往復することが出来る。

とは言え、「安い運賃日に合わせて行程を組む」事ができれば、この最安値の料金で往復できるのだが、私の都合と空席を照らし合わせてみると、どうしても往復・諸費用込みで4万円弱になってしまう。
まあ相場から判断すると、納得の範囲内ではあるのだが、ジェットスターはローコストキャリア。機内食やドリンクサービスも無く、シートピッチも狭い座席に詰め込まれてこの運賃となると、何となく損をした気分になってくる。

かと言って、他社便の格安航空券を当たってみても、5~7万円と言ったところで、どうも台北までにしては割高なのである。



● 旅のプランニング


そこで何気なく、中華航空(よく間違えている人がいるのだが、中華航空は中華民国つまり台湾のエアラインであり、中華人民共和国のエアラインではない)のホームページで空席を見てみると、正規運賃で何と3万6千円程の席が空いているではないか。
この運賃の場合、関空の施設利用料は別途となるが、それでもコミコミ4万円を切っている。


ただ中華航空といえば、最近も名古屋や那覇などで色々やらかしており、「数年ごとに大事故を起こす危ない航空会社」とささやかれる航空会社。
正直、今までもここの会社の台北経由の格安航空券(北米行きなど)は魅力的な価格で、何度かクラクラ来たことがあったのだが、やはり過去の事故のイメージが強く、最終的には利用に至っていないという経緯もある。

一方のジェットスターは、安全性では定評のあるカンタス航空の子会社で、安全面では信用できそうである。
正直、“安全性”のジェットスターか、“サービス”の中華航空か一瞬悩んだのだが、結論はあっという間に出てしまった。

ところが見事なまでのタイミングで、「カンタス航空、ストライキで全便運行停止」というニュースが入ってきたのである。
この段階では「カンタスの全便運行停止がジェットスターに波及」という話では無かったのだが、「まあこれを機に、台北までなら、モノは試しで中華航空に乗ってみるのも良いかも」という結論に達し、そのままネットで予約・決済。

しかもちょうど一ヶ月前にスカイチームに加入したばかりとのことで、デルタ航空のマイルもしっかりゲット。
まあよく考えてみると、スカイチームには、アエロフロートや大韓航空など、ある意味見事な航空会社が雁首を並べているのだが…そして何だかんだで航空券の安さにつられてスカイチームを愛用する私(苦笑


と、まあ航空券は確保したのだが、台湾での行程についての下調べなどほとんどする間もなくの出発で、とりあえず到着日のホテルだけは予約しておくことに。
これは到着が夜になり、到着早々にホテルを求めてさまよい歩くことは避けたいという意図である。
予約はネット上のホテル予約サイトから「空港からの交通の便に支障が無く、悪評が少なく、その中で料金が一番安い宿」と至って機械的にチョイス。


「急に決めて」しかも「事前の下調べも“可能な範囲”で…」と至ってアバウトな形ではあるのだが、まあ「台湾なら何とでもなる」という自信もあったので、そんなこんなで「ほぼ勢いだけ」で旅立つことになってしまったのである。(まあ実際なんとかなったのだが)



● 中華航空で台北へ


そしてあっという間に出発当日。まあ、旅に出ることを決めたのが4日前なので、実際にあっという間ではあるのだが。


今回は自宅からのアクセスの良い関西空港発なので楽ちん。


チェックインカウンターの待ち時間もゼロ、事前に座席指定済みで、更に今回の荷物は全て機内持込にしたので、手続きもあっという間。
今回は一カ所に落ち着くことなく、常に鉄道で動き回るつもりなので、荷物も極力減らして35リットルのリュック1つ。まるで国内の鉄道旅行と変わらないような状態である。


出国手続きを終え、搭乗口へ向かうシャトルのホームからふと窓の外を見ると、ちょうど折り返し台北行きとなる中華航空機が到着するところであった。


ただこの時間に到着と言うことは…これから降機・清掃・出発準備とこなしていくと、出発が遅れることはまず間違いがないだろう。

とは言え、セキュリティーエリア内で他にすることもなく、待合いコーナーでぼんやりと待機することに。



あらためて機体を観察。


よく考えると、ジャンボ機は随分とご無沙汰かも知れない。
十年ほど前は、国内線でも国際線でもジャンボ機がガンガン飛んでいたが、時代は変わって中型機が主流となり、いまでは意外に珍しい機種になってしまったのかも知れない。

それと機体にも「中華航空」という表記は見あたらず、専ら「チャイナエアライン」と名乗っているようだ。

これは名古屋の事故以来、日本での印象が悪くなった「中華航空」の名称をあまり使いたくないという意図もあるらしい。
ただリコンファームで台北の事務所(日本語対応)に電話したときも、自ら「はい、中華航空です」と日本語で言っていたので、ここの使い分けは随分といい加減なようだ。

それよりもいつまでも“中華”と名乗っていては違う意味で誤解を受けそう(…というか、誤解している人が多数のような)な気がするが、流石に中華民国のフラッグキャリアである以上、簡単に改名もできないのだろう。


結局20分程遅れて登場開始。



しかしジャンボ機とは言っても、もう随分と草臥れてきており、座席は狭く(というかデザインが機能的でない?)、座席モニターなどのエンターテイメントは無し、通路天井に何台か設置されているテレビはブラウン管式…とかなりレトロ。


そうなると、お楽しみは機内食。
「焼き鳥丼」か「豚肉チャーハン」のチョイスだったので、後者を選択。


厳密には「豚肉の唐揚げ+チャーハン」といったところだろうか。
隣の人が「焼き鳥丼」をチョイスしていたのだが、こちらは見事に予想通りのメニューで、白飯の上に、串を抜いた炭火焼き鳥が載ったもの。

炭火焼きの香ばしい香りが機内に充満して、一瞬「やっぱり焼き鳥丼にすれば良かったかな…」とも思ったのだが、実際に食べてみるとその後悔も吹っ飛んでしまった。

そう、美味しいのである。程よくパラパラのチャーハン、ご飯にも合いそうな甘辛いソースの掛かった豚の唐揚げ、丁寧に作られたサラダ、そして程よくしっとりしたマフィン…といった具合である。

但し「機内食としてであるが…」「決して“絶品”と言うわけではなく、あくまで“普通に美味しい”という話だが…」という注釈も必要だろう。
香港からの帰路のカレーのような「大当たり、絶賛」という訳ではなく、「普通に美味しい」のである。

ネット上での評判など見てみると、「ハズレ」という声もあるようだが、まあこの後に待っている台湾での食事と比べられると分が悪いことは確かだろう。


あとドリンクは台湾ビール。しかも中華航空オリジナルデザイン缶。(中身はごく普通のゴールドメダルビールなのだが)
本当は摂生を求められているのだが、まあ旅先特例として今回の旅に限り制約無しということにしたい。

ちなみに食後にはコーヒーのほか、台湾らしく烏龍茶も用意されており、味もなかなか。


で、旅の報告シリーズのお約束で帰路の機内食も一緒に紹介。

「鶏」か「豚」のチョイスだったので、今度は鶏をチョイス。


台北積み込みと言うこともあり、全体的に台湾テイスト。

しかし柔らかい鶏肉、ジャポニカ米のふりかけご飯、味は薄めだがしっとりした生地のデザート…と合格点。
但しサラダはやや味付けが雑と言うか、細やかさが足りないというか…まあ及第点はクリア。


往路の機内食を88点とすると、帰路は77点(サラダで3点減点)…といった感じだろうか。

全体的に流石は舌が肥えている台湾のエアラインだけのことはある、という印象。機内食としてはかなり頑張っているように感じる。
しかし台湾へ行けば美味しいものが食べられる、というのが大きなハンデであることは間違いないだろう。


また機内設備についてであるが、どうやら同じB747-400でも機体によって当たり外れが大きいようで…

帰路に利用したスカイチーム塗装の機体(右)と、たまたま通りすがりのボーイング塗装の機体(左)



こちらの機体はシートもリニューアルされているためか、横方向の圧迫感も少なく快適。



こちらの機材には各座席にオンデマンド式のエンターテイメントが装備。


日本語のメニューも音楽・映画とも豊富。

しかも最前列のアタリ座席…ではあるのだが、この座席の場合モニターを肘掛けから取り出す必要があり、他の座席とは違って離発着時には使えないという難点も。

実は帰路、搭乗後に台北桃園空港の滑走路が閉鎖されてしまい、離陸まで1時間40分にわたり誘導路で待機する羽目になったのだが…そう、この間エンターテイメントは何も利用できなかったのである。(ただ誘導路で待機中にドリンクサービスが行われるなどしていたので、使っても良かった可能性も。)

しかも離陸してしまえば、帰路は風向きの関係で早いので、飛行時間わずか1時間半。映画を見る余裕はなく、中国語で書かれた地図など眺めていたのだが、地名の漢字表記などなかなか面白い。


なお沖縄が「琉球」と表記されているのは以下のような理由なのだとか。(Wikipediaより引用)
中華民国では、沖縄県地域を「琉球」と称することがある。琉球はかつて明朝や清朝の冊封国であり、又、沖縄がアメリカ合衆国から日本国に編入されたことが中華民国政府との協議を経ずに進められたことを中華民国側は不満としていたとも言われるが、現在では中華民国側は、沖縄県地域に対する日本の主権を否定していない。しかし、例えば台北空港の那覇行き便の行き先表示は「琉球」である。


また中華民国籍の乗務員も、機内サービスに必要な一通りの日本語はマスターしているようで、例えば機内食を配るときにも「ヤキトリドン ト ブタチャーハン ドチラニナサイマスカ?」と日本語で声を掛けてくれ、逆に「何か書くものを貸して貰えませんか?」と難解な(?)日本語で声を掛けてしまっても、普通に対応してくれた。(日本人に近い顔なので、こちらもうっかり日本語で話しかけてしまう…)

日系の会社は別にして、韓国以外のエアラインでここまで日本語が通じるのは珍しいだろうし、そういう意味では語学に自信のない人でも安心かも知れない。

また台湾国内の地上職員も最低限の日本語は勉強しているようで、通常のチェックイン程度なら完全に日本語で対応してくれるようだ。
また現地オフィスに「まあ中国語は無理だけど、英語が通じないはずはないだろう」と腹をくくって、リコンファームの電話を掛けたのだが、最初に流れる音声ガイダンスで「ニホンゴ デノ サービスヲ キボウサレル カタハ サンヲ オシテクダサイ」と言われ、指示に従うと、日本語をよく勉強している印象のある女性が対応してくれた。しかも日本人にわかりやすいように地名まで「モモゾノ クウコウ デスネ」(台北桃園空港:現地の発音では「タオユアン」)のように日本語読みしてくれる親切さ。

まあそんなこんなで、普通に日台線を利用する分には日本語だけで問題なしなのだろう。


またサービス全体に関して言えば、「自然体でフレンドリー」な印象。

実は帰路の桃園空港で自動チェックイン機発券の搭乗券(ペラペラの感熱紙)を汗だらけのズボンの後ろポケットに入れていてボロボロにすると言う失態をやらかしているのだが、係員に申し出て(英語で)謝ると「気にしないでください。再発券しますから。」と優しい顔で(つまり嫌な顔もしなければ、嘘くさい営業スマイルでもない)で対応してくれて、申し訳ないくらいにフレンドリー。
但し、台北の地上係員の場合、マニュアル通りの対応なら日本語で話せても、こういうイレギュラーにまでは日本語では対応しきれないようだ。(英語は問題なく通じるので問題はないが。)

更に帰りの飛行機では、食事を済ませて着陸直前まで爆睡していて、慌てて準備(テーブル・モニターの格納、ブラインドオープンなど)をする羽目になったときも、さりげなく(押しつけがましくなく、営業スマイルでも嫌みでもない)手伝ってくれるなど、とにかく自然体。

とにかく全体的に自然体かつ親切な感じがとても好印象。この辺りは日本や韓国の営業スマイル対応のエアラインより数段印象が良い。


今までは、過去の事故の印象もあり、“食わず嫌い”的に中華航空を避けていたのだが、実際利用してみると、なかなか好印象。一気にお気に入りのエアラインになってしまった。
しかも運賃が安く、スカイチームのマイレージも貯まるとなれば、大いに利用価値がありそうである。



● 「中正」改め「桃園」国際空港へ


話を旅に戻すと、関空から3時間強で台北・桃園国際空港へ到着。


しかし以前とは色々変わっていることもあって…


まず空港の名前が変わっているのである。

(後日撮影)

以前は「中正」国際空港と呼ばれていたが、この中正とは蒋介石のこと。(介石は字、本名は蒋中正)

ここ中華民国でも政権交代があったこともあり、蒋介石関係の施設を改名するなどの動きがあった時期があったとのこと。
その後、施設によっては元の名称に戻ったところもあるようだが、この空港に関しては、そのまま所在地の地名である「桃園」国際空港が定着したようだ。

しかしまあ慣れない「政権交代」が起きると大混乱するというのは、どこの国でも同じ事のようである。


また「三通」により、中華人民共和国のエアラインも乗り入れるようになっていること。

(後日撮影・中華人民共和国の中国国際航空機)

まあとにかく空港からして色々と時代が変化していることが感じられるのである。


そしていよいよ中華民国(台湾)へ入国。


温泉に美食に…大いに期待が高まってくる。


<つづく>
Posted at 2011/11/25 09:24:45 | コメント(5) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年11月23日 イイね!

東グリーンランド・アンマサリクの“流氷の見える丘”に登る [アイスランド&グリーンランドの旅報告No.10]

「アイスランド&グリーンランド旅の報告」のバックナンバーはこちら




● “流氷の見える丘”まで散策


市内ドライブツアーを終え、ホテルへと戻るが、一休みした後、再び外出。



夕食まで時間があるので、先ほどガイドさんに「良い散歩コースだ」と勧められた“流氷の見える丘”まで歩いてみることに。

夕方からの出発であるが、まあ白夜と、苔などの地衣類しかない植生で見通しが利き、万が一遅くなっても道に迷う心配はあり得ないだろう。


先ずはホテルの裏手の高台へと登り、稜線へと出る。


ホテルのすぐ裏手は、もはや完全に町外れの雰囲気。廃材など無害な廃棄物が放置されている印象である。


先ほど眺望を楽しんだ教会裏の展望所方面を望む。(教会を目印に)



そして集落と反対側には池(湖?)がある。


この池は淡水で、ここアンマサリクの簡易水道の水源池でもある。なお下の方に見えている小屋が簡易水道の汲み取り口。

ここアンマサリクの簡易水道は、きっちり浄水されており、そのまま飲用することが出来る。しかも軟水でなかなか美味しい。
但し凍結防止のため、少し加温して配水する関係上、多少のカルキを添加することは避けられないとのこと。
(程よい加温で雑菌が発生しやすいため。もちろん日本の水道水と同じでカルキが入っていても飲用には問題ない。)


そして池の向こうには流氷の海が見えている。



ここまででも十分素晴らしい景色を堪能しているのだが、折角なので丘の上まで昇ってみることにする。

但し特に登山道のような物はなく、しかも木なども一切無いので、辺りを見渡し、残雪やぬかるみ、急勾配などの障害を避けつつ、足場の良い場所を探して歩いていく感じである。
特に案内やロープなども無く、ただ山頂にケルンが見える程度で、それを目標に歩いていく。

とは言え、丘への登頂ルートはある程度固定されているようで、微かに人の歩いた跡が残っているので、それも参考にルートを決めていく。
但し残雪やその雪解け水によるぬかるみなど、日々刻々と状況が変化していることもあって、あくまで“参考程度”にしかならないのだが。


丘へと登ったルート




ふと振り返って



遠くに昔からの住宅地を見ながら登るのだが、そこそこ標高が高いところまで住宅が建っている。



そして頂上のケルンが目の前に迫ってくる。



のんびり写真を撮りながらでも、約1時間程度で“流氷の見える丘”の頂上へ到着。真っ直ぐスタスタ歩けばホテルから30分程で着くのではないだろうか。なるほど散策にちょうど良い場所である。

頂上からの眺め。



ついつい尖った山と氷の浮かぶ湾に目が行ってしまうのだが(…というか、ブログで見ている人からすると見飽きてしまったワンパターンな光景かも知れないが)、ふと近くの岩場に目をやると、地元の子供達が雪解け(?)の水たまりで、大きな発泡スチロールを船にして遊んでいる。


なんとも微笑ましい光景ではあるが、ここはグリーンランド。しかも山の上。
6月とはいえ、日本人の私にはシャツ2枚にフリースにウインドブレーカーまで着こんでも、やや寒いくらいなのだが、上半身裸の子供までいて、何とも逞しいものだと感心してしまう。まあよく見るとすぐ横で毛布(?)にくるまっている子供もいるのだが。

しかしここの子供達はとにかく元気。ようやく暗黒(実際ほとんど日照時間は無いはず)の冬が終わって、ここぞとばかりに遊びまくっているのかも知れない。
しかも皆、外で元気に遊んでおり、とにかく微笑ましい。自転車に乗ったり(坂道だらけ、しかも端から端まで歩いても30分程度の街では自転車は全く実用的では無いはず)、犬と戯れたり、サッカーに興じたり、はたまたこうして丘の上まで登ってきて水たまりで遊んだり…とにかく微笑ましい光景である。
しかも白夜や治安の良さもあってか、夜中(と言っても10時頃だが)まで遊びまくっている感じである。ホテルが高台にあるため、こうした元気な姿が客室の窓からも見えるのである。


そしてふと後ろを向くと、人の手が全く入っていないグリーンランドの山々が聳えている。



更に遠くの海を見ると、巨大な流氷…と言うより完全な氷河と言って良いサイズの氷が浮かんでいる。


アップで


なるほどコレでは、今年の第一便の船がまだ到達していないというのもよくわかる。
間もなく第一便の船が到達する時期だと言うが、外洋を航行する大きな船の場合、タイタニックにならないよう、かなり慎重な操舵が求められそうである。


そしてアンマサリクの街も一望できる。この写真で建物が確認できる範囲がアンマサリクの街のほぼ全てである。




山頂で小一時間ほど滞在し、夕方五時半を過ぎ、夕食の時間が迫っていることもあり、後ろ髪を引かれる思いで下山開始。(ちなみに日本時間では深夜4時半過ぎ)

帰りは下り坂で、往きほど写真も撮らなかったので、30分程でホテルまで到着。
見通しが良く、植生もなく、目的地がすぐ其処に見えているので距離感が狂ってしまうのか、どこへ行くにも実際に歩いてみると「思っているより時間が掛かる」という印象である。



● バルーン、上がらず


夕食を終え、今度は夜8時に気象観測用のバルーンが上がるとのことで、フランス人夫妻と誘い合わせて、ホテル横の気象台を見下ろせる高台へ。


写真左下の緑の建物が気象台である。ちなみに右側中央の尖った塔を持つ六角形の大きな建物が先ほど訪れた教会である。


ここアンマサリクは人口二千人ほどとこぢんまりした街ではあるが、歴としたグリーンランド東部の中心都市。
当然、天気予報などのデーターもしっかりと観測され、ローカルな天気予報はもちろん、世界規模で相対化された気象観測点の一つとしても機能している。
そういえばネット上で、日本語での数少ないアンマサリク関係の情報の一つとして「アンマサリクの天気予報」が入手できるのはこの為だろう。


しかし夜8時を過ぎても、一向にバルーンが上がる気配が無く、周囲の景色を眺めながらもう少し待ってみることに。


先ずはもう見飽きた光景であるが…


昼間の光景と見比べるとわかるのだが、白夜とはいえ、日は傾いてくるので、夜8時台ともなると山の陰になる部分などやはり薄暗くなっている。
但し写真で見るとやや極端で、肉眼なら「ああ日陰になってるね」程度である。(というか、明るい部分を重視して露出を決めている。)

ここアンマサリクは辛うじて北極圏には入っていないので、完全な白夜ではなく一応日没と日の出は存在しているのだが、完全には暗くならず、日本で言うと「日没直後のまだまだ明るい状態」がそのまま日の出までの2時間程度続く感じである。
まあ日陰であれ、一応の“日没時間帯”であれ、全く普通に歩いたり、まあサッカーくらいは出来る程の明るさなのだが。(それゆえ個人的には寝不足になるのが辛い…)


そして周辺には無線や衛星回線の設備がある。



これらのお陰で、ここアンマサリクは携帯電話もネットも普通に通じているのである。

但しソフトバンクモバイルの場合、海外ローミングの対象外地域なので、完全に圏外。携帯電話は時計兼辞書としてしか使っていないのだが。


更にバルーンは上がらず時間が過ぎていく。



時間は夜9時を過ぎたが、子供達はまだまだ元気。



しかし日が傾くと、明らかに気温が下がってきて、そこまで寒さに慣れていない日本人とフランス人にはもうそろそろ限界。

そして夜10時になると、それまで元気に遊んでいた子供達もお開きとなり、家路に歩き出す。
但し特に門限というわけでもなく、「10時を過ぎたから、ぼちぼち帰りはじめる」といった雰囲気である。
これが時計を見て行動しているのか、明るさを見て行動しているのか、はたまた下がってきた気温を感じての行動なのか、ちょっと気になるところである。


そんな子供達の行動を眺めつつ、我々もホテルへと戻ることに。しかし結局バルーンは見られず仕舞い。

ちなみにフランス人夫妻によると、旦那さんが早朝6時くらいにバルーンが上がるところを見たとのこと。
実は世界の天気予報というのはかなりアバウトなものなのかも知れない。確かに天気予報にカリカリするのは日本人くらいかも知れない。(逆に日本の天気予報は、決して100%でないものの、信頼に足るものとも言えるのだろう)



<つづく>


撮影機材
・SONY α200 + SONY CarlZeiss T* Vario-Sonnar 3.5-4.5/16-80(24-120)[SAL1680Z] and SIGMA 10-20(15-30)mm F4-5.6 EX DC and TAMRON SP AF 18-250mm Di II LD Aspherical [IF] Macro [Model A18]
・SONY CyberShot DSC-TX5 (CarlZeiss T* Vario-Tessar 3.5-4.6/4.43-17.7(25-100))
・MINOLTA αsweet II + MINOLTA AF 24-105mm F3.5-4.5 + FUJICHROME PROVIA 100F or VELVIA 100F



※なおグリーンランドに関しては、日本語で書かれた資料も少なく、今回の旅行記の執筆にあたっても、断片的な情報から判断していたり、また資料や現地で見聞きした英語を私の拙い英語力で解釈しているものが多くあります。
当然のように正確さを欠いていたり、間違いもあることが予想されます。

地名などのカタカナ表記はWikipedia等を参照しておりますが、日本語での統一的な記載が定まっていないうえ、私自身がデンマーク語やカラーリット語が読めるわけでもなく、正確さを欠いている可能性があります。

また文中で“旧市街”“新市街”“流氷の見える丘”といった日本語の呼称を用いていますが、当然現地にこのような日本語訳が存在している訳はなく、私の理解に基づいて、あくまで便宜的に名付けたものにすぎません。

以上、ご了解のうえ、あくまで“無責任な素人の日記”としてお読みください。
間違ってもこのいい加減な旅行記を根拠にした論などなさらないようにお願いいたします。
また何か間違いがあっても当方では一切責任を持ちません。(ご指摘やご教授は歓迎いたします)
Posted at 2011/11/23 10:53:04 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年11月20日 イイね!

手柄山交流館(旧姫路市営モノレール手柄山駅)

先ずは姫路駅「まねき」の駅そばで腹ごしらえ。ここのお蕎麦は中華麺の「黄色いそば」。


+50円で「姫路おでん風」のトッピングをチョイス。味は悪くないものの、生姜醤油とかき揚げに餅が入っているだけなので、価格的にはやや微妙な感じ。


そして神姫バス「手柄山ループバス」で手柄山公園へ。



雨が降っているのだが、敢えて公園内も散策。




公園内の平和資料館が「特別展だけは無料」とのことで見学。


但し残念ながら撮影禁止のため写真は無し。


そして斜面を活かしてお城のように作られている手柄山交流館へ。この建物内に姫路市営モノレールの旧・手柄山駅が存在している。


モノレールが現役だった頃は、線路がこの建物(山)の中に吸い込まれて行く形で、トンネル内のような空間に手柄山駅が存在していた。


館内へ。(モノレール展示施設だけなら無料)



「祝・開通」のヘッドマークを付けた車両がお出迎え。


この姫路市営モノレールは、昭和41年にここ手柄山で開催された姫路大博覧会に併せて、姫路駅-手柄山駅間1.6kmが開通したものの、経営状態が芳しくなく昭和49年に休止、そのまま廃止を迎えることとなった。(開業当時は鳥取まで延伸するという壮大な夢物語も描かれていたようだが…実際、将来的な延伸も視野に入れてか、車両性能もかなり高性能なものであった。)

その後、車両はここ手柄山駅に放置されていたものの、いわばトンネル内のような駅で室内保存されていたようなもので非常に状態が良く、今年春から当時の資料なども含め「手柄山交流館」として資料館的施設として公開されるようになった。


展示室はホームを活用しており、当時の雰囲気を残しつつ展示コーナーも設けている。



展示物など



姫路大博覧会の会場模型



そしていよいよ車両へ。

サボもそのまま


係員や客などを不気味なマネキンで再現


車内


運転台付近(単行運転も可能な構造)




当時の駅(トンネル風)入口は水族館の玄関として活用されつつも、イラストで当時の雰囲気を示している。


外側から(左側の煉瓦造りの建物が旧・手柄山駅で、水族館本館寄りのアーチ状の大きな穴が当時の線路の入口)



後年増設された歩道橋から、市内方面の廃線跡を望む。



本当は姫路駅まで歩いて、旧・大将軍駅(線路がマンションの3~4階部分に吸い込まれ、マンション内に駅が設けられていた。マンション建物や、近くの線路も現存。)など見て歩きたかったのだが、雨が強くなってきたので断念。バスで姫路駅へと戻る。


その後、かなり久しぶりに姫新線で津山へ向かったのだが、途中で「のじぎく国体」のラッピング車両に遭遇。


(佐用駅にて撮影)


更にキハ120に乗り換えて津山へ。



※続編アップの予定はありません。
Posted at 2011/11/20 23:22:58 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記
2011年11月19日 イイね!

東グリーンランド・アンマサリク市内ツアー編 [アイスランド&グリーンランドの旅報告No.9]

#少し間が空いてしまいましたが、グリーンランドの旅の続編です。この調子だと、年度内に何とか終われば…良い方なのかも(大汗


「アイスランド&グリーンランド旅の報告」のバックナンバーはこちら


● 市内ドライブツアーに出発


ようやくグリーンランドへ到着し、ホテルへチェックインを済ませると、一息つく間もなく、ホテル主催の「市内ドライブツアー」に出発。

但しこのツアー、実際のところは“ツアー”というより、“ガイダンス”あるいは“レクチャー”に近い内容。まず出発前にホテルのロビーでグリーンランドの概要(地理など)についてのレクチャーを受けてから出発。

ちなみに参加者は私のほか、同じ便でアイスランドから到着したフランス人夫妻、そしてホテルスタッフが2名、1人はガイド役のイヌイット男性、もう1人はベルギー出身という若い青年である。


ホテルを出発して、ほんの2分ほどでミュージアムへ到着。(写真の教会のような建物)


ちなみに正面の写真を撮っていなかったので、後刻高台から撮影した写真をトリミングしたもの。


内部はこぢんまりとしたミュージアムで、おそらく私設のミュージアムなのだろうと推測する。またここアンマサリクで唯一と言っていい観光施設でもある。


内部は写真のフロアの他、2階(というか屋根裏?)のようなスペースのみだが、展示内容はなかなか充実している。
ホテルから同行したガイドの他、ミュージアムのスタッフ(というかオーナー?)も一緒に、一つ一つ丁寧に解説してくれる。


サンバイザー(右)とサングラス(左)


熊の胃袋で作ったパーカー


セイウチ(?)の牙で作った工芸品



ちなみに最後のセイウチの牙で作った工芸品は、ここ東グリーンランドで数少ない民芸的なお土産品であり、ミュージアムの一角で販売されているほか、近くにある工房でも直接購入できる。

但し、材料が「牙」であるだけに、国によっては持込に規制があったり、証明書を求められることもあるのこと。
フランス人夫妻が「フランスでの規制はどうなっているのか?」と尋ねるも、「個別の国での事情については解りかねる」とのことで、フランスの事情ですら解らないのに、日本の事情などわかるはずもなく、お土産にすることは断念することにした。



その後は集落内の主な施設を車窓見学。





病院


その他、学校やスーパー、孤児院などの施設を車窓見学。
但し「ただ見る」だけでなく、東グリーンランドでの生活や、医療・教育などの事情などを詳しく説明してくれ、なかなか興味深いものであるが、残念ながら車窓見学ばかり。

端から端まで歩いても30分ほどの街なので、また改めて自分の足で歩いて見て欲しい…ということだろうか。
なお今回の“旅の報告”では、後で自分の足で歩いた際に、このツアーで見聞きした事柄を織り交ぜて構成する形をとることとして、今回は大幅に割愛する形でご容赦願いたい。


で、車窓から見た印象的な風景など。

ここで流行している遊びはトランポリンなのだとか。


干物を干す棚


冬場は犬ぞりで大活躍の犬たち(夏場はお休み中)



そして最後に教会で下車。(下の写真は後日撮影したもの)


まず教会内部へ入るものの、牧師が取り込み中と言うことで見学は中止。

ちなみに元々は「イヌイットの支配」という目的で布教が開始されたとのことだが、現在では多様な価値観を尊重するようになった現代にあっては「支配」という目的は失われているものの、こうした経過があってグリーンランドのほぼ全てのイヌイットはクリスチャンなのだとか。
牧師も“取り込み中”ということだが、どうやらメンタル的なケアという意味も含めた信徒との面談を行っているというのが理由のようだ。


そして教会裏の展望所へと案内される。



先ずは左手の“旧市街”。昔ながらの一軒家が多く見られる。


そして右手の“新市街”。新しい建物が多く、集合住宅や、体育館・スーパー・学校といった比較的な大きな建造物も多い。


新市街と旧市街を隔てる小さな谷間周辺。奥の高台にある青い建物が今回滞在しているホテルアンマサリク。


そして真下に見える港。



こうしてツアーは終了。行程だけを見るとちょっとあっけなく思えるかも知れないが、詳細なガイドのお陰で、なかなか充実感のある内容であった。



<つづく>


撮影機材
・SONY α200 + SONY CarlZeiss T* Vario-Sonnar 3.5-4.5/16-80(24-120)[SAL1680Z] and SIGMA 10-20(15-30)mm F4-5.6 EX DC and TAMRON SP AF 18-250mm Di II LD Aspherical [IF] Macro [Model A18]
・SONY CyberShot DSC-TX5 (CarlZeiss T* Vario-Tessar 3.5-4.6/4.43-17.7(25-100))
・MINOLTA αsweet II + MINOLTA AF 24-105mm F3.5-4.5 + FUJICHROME PROVIA 100F or VELVIA 100F



※なおグリーンランドに関しては、日本語で書かれた資料も少なく、今回の旅行記の執筆にあたっても、断片的な情報から判断していたり、また資料や現地で見聞きした英語を私の拙い英語力で解釈しているものが多くあります。
当然のように正確さを欠いていたり、間違いもあることが予想されます。

地名などのカタカナ表記はWikipedia等を参照しておりますが、日本語での統一的な記載が定まっていないうえ、私自身がデンマーク語やカラーリット語が読めるわけでもなく、正確さを欠いている可能性があります。

また文中で“旧市街”“新市街”“流氷の見える丘”といった日本語の呼称を用いていますが、当然現地にこのような日本語訳が存在している訳はなく、私の理解に基づいて、あくまで便宜的に名付けたものにすぎません。

以上、ご了解のうえ、あくまで“無責任な素人の日記”としてお読みください。
間違ってもこのいい加減な旅行記を根拠にした論などなさらないようにお願いいたします。
また何か間違いがあっても当方では一切責任を持ちません。(ご指摘やご教授は歓迎いたします)
Posted at 2011/11/19 22:56:17 | コメント(9) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2011年) | 日記

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