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2013年08月24日 イイね!

五新線専用道を走るバスに乗る(後編)

※今回の内容は「五新線専用道を走るバスに乗る(前編)」からの続きとなります。
※繰り返しとなる説明などは省略していますので、前編と併せて読んでいただけると幸いです。

※また特記がない限り、撮影機材は「FUJIFILM X-E1 (PRO Neg. Hi) + XC16-50mm」となります。




バス専用道として使われている区間は、旧・西吉野村の中心部の「専用道城戸」バス停(国鉄バス時代は「城戸駅」)で終了。
この先も天辻峠を越えて、阪本地区まで鉄道施設が作られているのものの、こちらは専用道としては使用されておらず、一般人が通行する機会は基本的に無い。


元々、城戸駅には交換設備を設ける予定だったようで、かなり広い敷地が確保されており、構内の余剰敷地は五條市西吉野支所(旧・西吉野村役場)の駐車場として使用されており、バス車窓から役場関係者のものと思われる車が停まっているのが見える。



そして専用道城戸のバス停へと到着。

ここから先、バスは専用道を外れて、1km程東にある西吉野温泉まで乗り入れて折り返すのだが、このまま乗っていっても、温泉の営業開始時間前に到着してしまい手持ち無沙汰になるだけ。
なので温泉は後のお楽しみに残しておき、一旦専用道城戸で下車し、バスが西吉野温泉まで行って折り返してくる約20分程、ここのバス停の観察に当てることにしたい。


ここのバス停は、かつて国鉄バスの運行拠点として使われていたこともあり、待合所やロータリーを兼ね備えた、ちょっとしたバスターミナルになっている。

南側(阪本方面)から撮影


北側(五条方面)から撮影


駅舎は、小さな待合室とトイレを除き、雨戸が閉まったままになっているものの、往時はバス駅ながら駅員が常駐し、また乗務員の休憩所なども設けられていたとの事。


待合室内部の様子


おそらく正面のシャッターがかつての窓口跡。
そして待合室に置かれている灰皿がJR西日本バスカラーになっているのがポイントだろう。


他に「駅」らしいものと言えば、周辺の名所案内。



そしてバスが戻ってくるまでの間、ちょっとだけ周辺を歩いてみることに。

先ずは専用道の終点のゲートと待合所


ちなみに三角屋根の建物は西吉野タクシーというタクシー会社。
こちらは現役の会社でタクシーが1~2台程度、待機していることが多い。


ちなみに国道側を走るバスから、この駅を見上げた画がコレ

*SIGMA DP1
日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗るより引用)

三角屋根のタクシー会社と、その左手に四角い待合室があるのが解るだろうか。
しかし何も知らないと、本当に鉄道の駅があるようにも見えそうな画である。


そして上の写真ではタクシー会社の右手に、立派な高架橋が続いているのが見えるのだが、これを間近で見るとこんな感じ。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8


この高架橋から先は専用道としては使われておらず、橋の上のスペースも役場の駐車場として使用されている。



この高架橋の奥にはトンネルが続いているのだが、こちらはもう使用されておらず、フェンスで閉じられている。


それにしてもトンネルから、もくもくと霧が吐き出されており、何となく不気味な雰囲気。


橋のたもとから、ふと下を見下ろすと、一般道から専用道に繋がるスロープをワゴン車が上ってくる。


ちなみにこのワゴン車は自治体が運行するバスで、奈良交通が撤退した支線系統のバスの代替として運行されているもの。

ちなみにこのバスの乗客はおばあさんが1人で、専用道経由のバスへと乗り継いで五條市内へと向かう様子。


そのバスが走ってきたスロープを観察。


ちなみに正面に見える、大きな焦げ茶色の建物が五條市西吉野支所(旧・西吉野村役場)である。


このスロープは単純に一般道と専用道を繋ぐスロープとしての役割もあり、先ほど乗ってきたバスもこのスロープを下って一般道へ下りて西吉野温泉へと走り去っていった。

しかしそもそも専用道城戸(城戸駅)は西吉野村の中心部と川を挟んだ対岸にあるため、このスロープは純粋に橋としての役割も果たしており、これを上らないことにはバス停へとアクセスできないのである。
そしてもし鉄道の駅が開業していたならば、駅前へ乗り入れる道路として重要な役割を果たしていたに違いない。


とは言え、駅は周辺と比べれば1段高いところに位置しているわけで…

もし鉄道が通っていたなら、スロープの上にバスの回転場など設けることはスペース的に難しそうで、支線系統のバスで城戸まで来たものの、駅前までは乗り入れないので、このスロープを徒歩で上がらなければ鉄道に乗り換えできない…という事になっていた可能性もある。

そう考えると現状の「支線系統のバスも専用道のバス停まで乗り入れる」「本線系統のバスの殆どが、スロープの上の専用道ではなく、平面上の国道にあるバス停に停車する」という現状は、実はお年寄りにとっては便利なのかも知れない。


もう少し時間があるので、スロープを下りてみることに。



スロープの入口から


こうして見ると、実に立派な高架橋である。


そしてスロープ入口にはこんな看板が…


「国鉄」の文字の上に張り物をして、「JR西日本」と訂正しているものの、「バス前お土産店」とあり、この専用道城戸(旧・城戸駅)バス停が「駅」として認識されていたことを物語っている。
(念のため再度説明しておくと、この五新線は鉄道用として作られたものの、実際に鉄道が走ったことは無い未成線なのである。)

しかしその土産物屋も今では見あたらず…現在はタクシー会社が使っている建物か、あるいはその横のシャッター付き駐車場がその土産物屋だったのだろう。
(そういえば、何故か今はそのタクシー会社で「地元産の蒟蒻」など売っているのだが。)


そして少し離れた、国道近くから撮影した写真

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8





こうしている内に、西吉野温泉まで往復してきたバスが、折り返しの五條バスセンター行きとなって戻ってくる。


往路は私1人の貸切状態だったのだが、今度は先ほど自治体バスでやってきたおばあさんも一緒に乗り込む。

このおばあさんと運転手さんは顔見知りのようで、「今日、おじいさんはどうしているの?」と言った具合に気さくに会話を交わしている。


そしてバスは先ほど通ってきた道を戻っていく

トンネルに入り


トンネル内の霧に驚き


如何にも、鉄道らしさを感じさせる専用道を走行


まあ細かなことは前回との繰り返しになってしまうので省略。


しかし単線鉄道分の幅しかない専用道ならではの事件(?)もあって…


何と飼い主から逃げた犬が専用道に立ち入って道をふさいでいるのである。


しかも相手が犬なので、「路肩に避ける」などという気の利いた行動が出来るはずもなく…

バスを停めてしまい、しばらく睨み合いのような状態が続いた後、歩き始めたものの、よりによってバスの前を歩いていくため、バスは完全に犬に先導される格好に。


何しろ元が単線鉄道なので、犬を追い越せるだけの道幅もなく、このまま次のバス停までずっと犬の後ろを走る羽目になったのである。






で、私はその“次のバス停”で下車し、散策へと移ることにする。

しかしバス停であれば、バス同士の交換用に多少広めに作られているので…
これこそ犬を追い抜く絶好の機会。私が下車すると早々に扉を閉めて慌てて発進。そして一気に犬を追い越して去っていったのである。


下車したのは、前編でも少しだけ紹介した賀名生バス停。

五条方面から撮影


周囲より少し高い場所に存在していて、前後をトンネルと橋梁に挟まれているという、いかにも専用道らしい立地条件のバス停である。


ここも元々、鉄道の駅が計画されていたバス停だけに少し広めの敷地が確保されている。

城戸方面から撮影(奥に橋梁→トンネルと専用道が続いていく)


しかし前後をトンネルと橋梁に挟まれていることから考えると、交換設備を設けられるだけの長さは無さそうで、おそらく駅舎+ホーム1面+線路1線といったシンプルな構造になっていたものと思われる。

そういえば現在専用道として使われている範囲内で、鉄道の駅が計画されていたのは、ここ賀名生と、先ほどの城戸だけであり、鉄道として開通したところで五条-城戸間は1閉塞になっていたのかも知れない。

(ちなみに駅に関して言えば、五條市内で専用道に入る手前、現在は専用道として使われていない区間にも駅が1つ予定されていたほか、もしかすると正規の「駅」としてではなく簡易な「停留所」として駅が設けられた可能性も否定は出来ないのだが。)


そして小さな待合所があるだけのバス停ではあるのだが…



有名な賀名生梅林や南朝関係の史跡の最寄りということもあり、しっかり観光案内がある。

またもう運行期間は終了しているのだが、梅のシーズンなどを中心に、観光客向けの「ごじょう周遊バス」というバスが運行される旨の案内も掲示されている。
このバスは、2~5月の運行期間中の土日祝、日中に1日3往復、しかも無料で、更に専用道経由で運行されるとの事。

専用道経由の路線バスは、特に土日祝は早朝に1日1往復だけの運行と言うこともあり、かなりハードルが高くなっているが、このバスが運行されている期間を狙えば、比較的気軽に専用道経由のバスに乗車できるだろう。


そしてここのバス停から、集落へと続くルートはこんな道。



しかし下(集落側)から見てみると、そこはかとなく鉄道っぽい雰囲気がある。



おそらくこの階段が駅の正面玄関と繋がる予定だったのだろう。


そして駅の裏側には…


以前にも紹介した映画「萌の朱雀」で、主人公がバイクで送ってもらい専用道バスへと乗り継ぐシーンで使われているスロープがある。
(バイクが専用道バス停へとこのスロープを上がってくるシーンが多くある)

またこの賀名生バス停そのものも、映画で頻繁に登場する場所でもある。


※ここで専用道の話は終わりです。もう専用道の話題はもう出て来ませんので、専用道だけを目当てにされている方は、ここで中断されても宜しいかと思います。





そしてスロープから再び専用道に上がり、五条方面へ数十m進んでみると…


右手の橋梁と、その先のトンネル(見えにくいが…)が、専用道。

そして左手の立派な茅葺きの古民家が堀家住宅。
この堀家というのは、南北朝時代に、一時その住居が南朝の御所として使用された事もある、由緒ある地元の名士。

現在残る母屋は江戸時代の建物とのことだが、南朝当時の建物を一部再利用している箇所もあるのだとか。
ちなみに今でもこの敷地内に堀家の末裔が実際に居住しているというのが凄いところ。


今回はそんな賀名生地区をちょっとだけ散策してみることにしたい。

※今回は南北朝時代の話が出てくるのだが、少々マニアックな部分とは言え、教科書に出ているような日本史の単語や知識についての細かな説明は省略することにします。
但し一つだけ申し述べておくと、たまたま後醍醐天皇が存命のうちは吉野に拠点があったことから「南朝=吉野」と思われがちなのだが、それは南朝の歴史のなかではごく一部の期間に過ぎず、実際は勢力の盛衰に応じて、南朝の拠点はここ賀名生を含む大和・河内・摂津・山城といったエリア内で移動を繰り返していたのが実情であることを留意していただきたいと思います。



ちなみに「賀名生」と書いて「あのう」と読むのだが、元々は「穴生」(あなふ)という漢字が当てられていたのだが…

後村上天皇がこの地に移ってきた際に、南北朝の統一が“叶う”ようにと、「叶名生」(かなう)と地名を改め、更にその後一時的にではあるが「正平一統」として南北朝の統一が実現した際に、その喜びから“賀”の文字を充て「賀名生」と改められたという由来がある。

しかし漢字表記はともかく、地元では昔からの「あのう」という読み方で通っており、明治以降昭和34年まで、正式な村名が「賀名生村」(読みはあのう)とされたいたのだが、昭和34年に合併により西吉野村となって以降、この地名は消滅。
しかし歴史ある地名を復活させようという動きがあり、平成23年になって「五條市西吉野町賀名生」という形で由緒ある地名が復活したという次第。


そして賀名生の集落は専用道とは川を挟んだ対岸にあり、橋を渡っていくことになるのが…

橋の上から眺めると、ますます専用道が鉄道らしく見えている。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8

そして反対側は静かな雰囲気



更に味のある集落の中を通り抜け



先ほど、専用道側(川の対岸)から見ていた堀家住宅の正面に到着


まあもちろん今では皇居でも何でもないのだが、正面には「皇居」と書かれた立派な扁額が掲げられている。

まあここは元々あった堀家の屋敷に、南朝の天皇が身を寄せるような形で滞在し、御所として使われていた…とそんなトコロだろうか。


ちなみに内部の公開は…春と秋に1回ずつ予約制で行われるという説や、事前申込で奥さんの都合が良ければOKという説、更には研究等の目的でのみ受け入れてくれるという説など、諸説あるようなのだが、要は「原則非公開だが応相談」という事なのだろう。
(※興味のある方は、直接堀家へアポを取るのではなく、先ずは役場や観光協会などを通して問い合わせてみるべきだろう。)

まあ「突然訪れても、まず見学は不可能」という事だけは確かなので、今回は外観だけの見学に留める。


そしてこの“皇居”のすぐ横には、ちょっとした公園があり、その一角に資料館が建っている。


ココはいわゆる民俗資料館的な内容に加え、堀家に伝わる南朝や天誅組由来の文物を展示している施設なのだが、残念ながら撮影禁止のため写真は無し。

しかし後醍醐天皇から下賜された、現存最古の日の丸など興味深い文物も多く、興味深く見学。

元々はこうした品物は堀家で保管されていたのだが、1個人である堀家で管理するには膨大で、また実際に泥棒に入られるなどの事件もあったことから、自治体が資料館を整備し、堀家の文物を寄託する形で保管・公開しているのだとか。

また館内の休息スペースも綺麗で居心地が良く、バスの時間までしばし休憩。





そしてバスの時間を見計らい、今度は国道沿いの賀名生和田北口というバス停へと移動。


専用道経由のバスはもう夕方まで走っていないので、この後の移動は国道経由のバスを利用することになる。


専用道の賀名生停留所とは川を挟んで、徒歩2~3分と言ったところ。
しかし国道のバス停と専用道のバス停は、必ず別の名前を付けて厳密に区別されており、すぐ横にあっても同じ停留所名という事は無い。

多くの場合、国道のバス停が「○○」なら、専用道のバス停が「専用道○○」のように、「専用道」と冠して区別されているのだが(例えば「城戸」と「専用道城戸」)、ここ賀名生に冠しては例外で、専用道のバス停がただの「賀名生」、一般道のバス停が「賀名生○○○」(例えば「賀名生和田」「賀名生農協」など)となっている。

そして実は専用道の「賀名生」と対応するバス停が、この「賀名生和田北口」であるということは、実際に現地に行ってみるまで把握していなかったのだが…


そして走ってきたバスは…

*FUJIFILM X-E1(RAW) + XC16-50mm

私のブログを見て下さっている方なら、「どこかで見たような…」と思われるかも知れないのだが、実はコレ、八木駅から走ってきた八木新宮線の特急バスで、数日前に八木駅から新宮駅まで乗り通したのと同じ便なのである。

数日前に乗ったばかりなので、八木駅から延々と走り続けて来ていることは先刻承知しており、まあ10分程度遅れて来たものの「まあ仕方ないね~」と笑って済ませることができる。


そしてバスに乗り込むと、新宮まで乗り通したときは意識もしていなかったのだが、普通にICカードが使えるなど、意外と都会的。

更に新宮まで乗り通したときは、バス目当てに来た人だけで十数人と大賑わいだったのだが、今回は地元客風の人が中心で、バス目当てらしい人は1~2人と言ったところ。(1人1人に聞いて回ったわけではないので、パッと見て地元客らしからぬ人やあるいは如何にもな感じの人が…という意味。)

それに数日前、新宮まで一緒に乗り通した運転手さんがたまたま乗務しており、顔を覚えていてくれたのが嬉しいところ。


先ほどバスで往復してきた第七丹生川橋梁を見上げて

*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm


バスは改良済みの国道を気持ちよく快走。

単線鉄道規格の専用道とは異なり、トンネルでも特に神経を使う事なくスイスイ走行。


これほど国道が改良されてしまうと、専用道経由のバスと所要時間が逆転してしまうのも納得できるところ。


そして今度は国道沿いの「城戸」バス停で下車。

国道沿いのバス停から専用道城戸方面をみるとこんな感じ。

*FUJIFILM X-E1(PRO Neg. Hi) + CarlZeiss Touit Distagon 12mm F2.8

「専用道城戸」バス停との位置関係がわかるだろうか。





そして次のお目当ては、朝乗車した専用道経由のバスの終点でもある西吉野温泉なのだが…

何故か西吉野温泉まで乗り入れるバスは、朝夕の専用道経由のバスだけで、日帰り温泉へのアクセスとしては殆ど使い物にならない。
夕方の便は温泉からの帰路にも使えるが、朝の便は温泉の開店時間前に着いてしまい、あまり利用価値が無さそう。

無理矢理ポジティブ考えみたところで、西吉野温泉に何件かある宿泊施設へ宿泊客の送り込み用…という事なのだろうか。
とは言え、特に有名な温泉という訳でもなく、しかも宿泊施設と言っても、営業しているのかどうか解らない程に寂れているのだが…


そんな訳で、城戸から西吉野温泉まで、距離にして1km強を歩いて行くことにする。

まあこちらも改良済みの県道で、歩道もある快適な道をあるくのみ。
但し日陰はなく、時間的にもちょっと厳しいのだが、それなりに通行量のある道で、人気も自販機もあるので万が一のことがあっても大丈夫という安心感があるだけマシだろう。
(もちろん万が一の事など無いように、帽子や水分補給といった対策はとっているが)

しかし県道と平行して流れている川で水遊びをしている人の多いこと…なんとも羨ましく思いつつ、アスファルトの道を歩き続けていくことに。

そして西吉野村の中心部(?)を抜けて、トンネル(日陰になるので嬉しい)を抜ければ、温泉のある地区。



西吉野温泉のバス停を横目に歩き



雰囲気のある神社(城戸神社)があり、お参りしていこうにも、何故かフェンスで囲われており立入不能。



そしてお目当ての「きすみ館」という日帰り温泉へと到着。


バスの時間もあるので、特に焦ることもなく、先ずは汗を流してから、休息室で駅弁を食べ…と、ひたすらノンビリと過ごす。

ちなみに、私とほぼ入れ違いになった利用者はいたものの、基本的には温泉も休息室も貸切で、これまた実にノンビリと過ごすことが出来る。


浴室

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

ちなみに温泉は「加温・加水・循環・塩素」と4拍子揃っており、特に特筆すべき泉質でもなければ、浴室も至ってシンプルな内湯のみ(窓から外に出て休息することはできる)で、特に評価することもないのだが、偶然とは言え“ほぼ貸切”でノンビリと過ごせるというのは何事にも代え難い贅沢なのである。





そして時間を見計らい、再び城戸のバス停まで歩いて戻る。

ちょうどバス停に到着した途端に、五條方面から城戸止まりの国道経由の区間便が到着したのだが、車両はそのまま回送となり専用道のスロープを上っていく。


どうやら折り返しまでの約1時間、専用道城戸のバス停で待機するようだ。
そしてもしかすると雨戸が閉まっていた駅舎の一部は、今でも奈良交通の乗務員休憩所として使われているのかも知れない。
(専用道経由のバスは、西吉野温泉まで直通する便を含め、基本的には五條方面からの折り返し運行で、乗務員の休憩は行われていないと思われる。)


そして、ふと思ったのが…朝夕のみの専用道経由便ではなく、この国道経由の城戸止まりの区間便を西吉野温泉まで延長したほうが利便性が高まるのではないかということ。

しかし専用道経由便は、そもそもJRバス撤退後の代替として、自治体からの委託で運行されており、当然然るべき補助があっての事。
そう考えると自治体の意向が反映されやすい専用道経由便だけが西吉野温泉まで乗り入れている理由も見えてくるような気がするのである。
それにJRバスが運行されていた当時は西吉野温泉へは乗り入れておらず、自治体の委託による廃止代替便になってから乗り入れを開始しているところを見ても、これはやはり自治体の意向なのだろう。

しかし逆に奈良交通が主体で運行している国道経由便を、西吉野温泉まで延長しようとすると、今度は奈良交通側の意向も絡んできて、更にその区間に対する補助金云々といった話も出てくるはずで、そう簡単な話では無いと言うことなのだろう。


そして国道沿いの城戸バス停でバスを待つ

*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm


*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm

地元の木材を使ったという簡素な待合所があり、温泉マークがついていて西吉野温泉の最寄りであることをさり気なくPRしているほか、城戸発の国道経由便だけでなく、専用道城戸発の専用道経由便のバス時刻表も併せて張ってある。


そして今回最後のバスとなるのが…

*FUJIFILM XF1(ASTIA)
(五條バスセンターでの休憩時間に撮影)

今度も八木新宮線の特急バス。しかも新宮からはるばる走ってきた便である。

この便で八木駅まで一気に戻り、近鉄に乗り換えて帰宅するつもりだったのだが…
しかしこのバスは数日前に八木から新宮まで乗り通したばかりで新鮮みが無いので、どこか途中下車しようかと思い始める。

本当のことを言うと…実はこのバスには十数人の御団塊様グループが乗っており、半ば貸切状態。要は2人掛けの席に1人ずつ座っているような状態。
しかし五條の市街地が近づくにつれ、乗客が増えてくるのだが…自分たちが2席ずつ占拠して座りたいために、ワザと荷物を置いたり、露骨に嫌そうな顔をしてみるなど…相変わらずな有様。
更にメンバーの隣に座った(奈良交通は乗客が着席しないと発車しない)高校生に対し、ひそひそ話を装いつつ、わざと聞こえるように悪口を延々と聞かせ(しかも「こういう田舎の高校に通うような子は、往々にして云々…」と直接本人に関係無い決めつけ&言い掛かり)、更には不正乗車の打ち合わせまでし始める有様。
こんな御団塊様と同じバスに乗り続けるのが苦痛になってしまい、逃げ出したくなってきたというのが実情…


そんなとき、このバスが近鉄御所駅を経由することを思い出し、少々遠回りにはなるものの、御所駅で近鉄に乗り換えることに決定。

まあもう日が傾きかけており、途中下車や散策が楽しめる時間ではないのだが、近鉄御所線は今まで乗ったことが無く、新鮮みもあることからこのルートで帰宅することにした次第。


近鉄御所駅

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

近鉄御所線の列車

*FUJIFILM XF1(ASTIA)

そして尺土・橿原神宮前と、乗り継ぎが多く、やや遠回りなルートになったものの、未知の路線を含めたルートで楽しみつつ帰宅したのだった。


<完>これで最近続いていたバスシリーズも終了となります。





※ここでちょっとだけX-E1の些細でマニアックな感想など。

・今回はフィルムシミュレーションモード「プロネガHi」をメインに使ってみたのですが…少々派手すぎる感は否めないものの、富士のSuperGやVenus系のネガフィルムを思わせる発色で、これはこれでナカナカ好印象。
但し細かな突っ込みを入れると、これらのネガフィルムは「プロ」用ではなく「アマチュア」用の筈(笑

・JPEG画像の満足度は高いのだが…露出を失敗するなどしてRAWから現像しようとする場合、カメラ付属ソフトがシルキーピクスのため、カメラ内現像とは全く違った画になってしまうのはちょっと困りもの。

・また今回はコントラストの高いシーンが多く、DR拡張機能を多用していたものの…この場合ISO感度が最大800まで上がってしまい、晴天下だとどうしても絞り込まなければいけない事になり、回折現象やセンサーホコリが大丈夫かと心配になるのだが…

・しかしセンサーのホコリに関しては、アンチダストが優秀なのか殆ど気にならず。
「ミラーレスはホコリに弱い」という人も多いですが、個人的な意見としてはミラーの有無よりもアンチダスト機能の性能に左右されるのではないかというのが正直な感想。
(ソニー機を使っていた頃は、ミラー有りでも旅先で毎朝ブロアーが欠かせなかったのに対し、Xは全くと言っていいほど気にならない。)



話が決まりましたので、以下の募集は終了します。

※全く関係ありませんが、オリンパス純正BLS-5(中古)が手元にありますので、ご入り用の方がいらっしゃいましたらメッセージでご連絡下さい。

・E-P1、E-P2、E-P3、E-PL1、E-PL2、E-PL3、E-PL5、E-PM1、E-PM2、E-410、E-420、E-620対応
・代金・送料等一切無用ですが、ノークレームでお願いします。
・申し訳ありませんが私の手元に対応機種がないためノーチェックです。
・誠に勝手ながら、お友達の方限定で、先着1個のみとさせていただきます。
Posted at 2013/08/24 05:06:09 | コメント(4) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年08月19日 イイね!

五新線専用道を走るバスに乗る(前編)

※今回は「日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗る」の番外編的な旅になります。
※内容が絡みますので、事前に上のブログの前半部を読んでいただければ、一層内容が深まるかと思います。




八木新宮線に乗ってから、しばらく経ったある日…

八木新宮線の車窓から見えていた、旧・国鉄五新線の線路敷を転用したバス専用道路を走るバスが気になって仕方なく、近くと言うこともあり乗りに行ってみることに。


そして専用道の解説は、超手抜きながら「日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗る」からの引用(一部修正)で…

この専用道というのは、バス専用道で、元々は国鉄五新線(五条-新宮)の線路の一部として建設されたもの。
(ちなみに八木新宮線で旅する区間が、五新線の計画ルートとほぼ一致している。)

本来は当然、鉄道の線路が敷かれる筈だったのだが、その後の事業見直しでこの鉄道計画は中止となったため、完成していた五條市内~旧西吉野村(現在は五條市に合併)の線路を改修して、バス専用道に転用し、国鉄バスが運行されることになったという道路。

当時は国道168号線もまだまだ改良が進んでおらず、鉄道規格で勾配も少なく、しかも他の交通をシャットアウトし渋滞や行き違い待ちとも無縁の専用道は、この地域の交通アクセス改善に大きく役立っていたのだとか。


しかしながら、今日では、国道168号線の改良、モータリゼーションの進行などで、専用道経由のバスのメリットも薄くなり、JRバスは10年ほど前に廃止となってしまった。
その後、専用道は自治体へ譲渡され、現在は奈良交通がJRバスの代替で運行しているものの、本数は指折り数えられる程度にまで少なくなっている。(土日祝に至っては早朝に1便のみの運行)

それ以外の奈良交通の路線バス(八木新宮線も含む)は、専用道ではなく、併走する国道168号線を経由しているものの、現在では専用道経由の便と所要時間の差は殆ど無く、今となって特にメリットなど無い様子。
しかも専用道維持のコストも安くはないはずで、もう風前の灯火なのかも知れない。


車窓から専用道が付かず離れず見えているのだが、専用道は何せ元々が鉄道規格なので、造りも立派で、しかも一直線に走っているので、周辺の光景から浮いており、随分と目立っている。




で、こんな五新線専用道を走るバス(奈良交通・五條西吉野線)に乗ろうとするも、奈良交通移管の際に大幅に本数が削減されていることもあり、特に休日では早朝の1往復しか運行が無く、なかなか難しいところ。

そこで代休消化を兼ねて、敢えて平日に訪問することに。


しかし平日とはいえ、早朝~朝の3往復と、夕方以降の2往復のみの運行となっており、これまたなかなか乗車が困難な路線。

そこで自宅からのアクセスが大変な早朝便を除外し、混雑を避けるため高校生の通学時間帯や通学方向を考慮し、しかも周辺の散策も楽しめる時間帯で…と言った具合にプランを練り、JR五条駅8:12発の専用道経由のバスで出発することに。

そして一旦、専用道の終点となっている専用道城戸バス停まで乗り通した後は、国道経由のバス(先日乗車した八木新宮線の特急バスを含む)も組み合わせて、少しだけ周辺の散策や温泉も楽しむというプランに決定。
まあ専用道に徹するのであれば、純粋に専用道経由のバスで単純往復してくれば良いだけなのだが、それでは少々面白くないので、このようなプランにした次第。





そしていよいよ決行の日…

早朝、通学生で賑わう近鉄で出発

*PENTAX K-5 + SIGMA 18-250mm DC OS HSM
(過去のブログから使い回しのイメージ画像で、今回の旅とは直接関係ありません)


そして橿原神宮前で吉野線へ乗り継ぐものの、相変わらず周りは通学高校生ばかりでかなりの賑わい。


更に吉野口駅でJR和歌山線へと乗り継ぎ。この吉野口駅はJRの駅に近鉄が庇を借りて乗り入れている格好で、駅施設や人員は基本的にJR側のものである。

和歌山線の105系

*FUJIFILM XF1 (ASTIA)

通学時間帯と言うこともあってか、和歌山線にしては珍しく2両編成を2編成繋いで、4両編成での運行となっている。

そして後ろ側の2両は、ラッピング電車になっており、同じ105系でも500番台とよばれる車両で…これが元を辿れば、何と千代田線~常磐線で使われていた103系からの改造というから、随分とローカルな路線に転用されてきたものである。

*FUJIFILM XF1 (ASTIA)

しかし正面のデザインも大きく違うが、何より新造車は3ドア、改造車は4ドアと、何だかちぐはぐな感じで違和感タップリなのである。





和歌山線の電車は、交換待ちのため10分程停車しており、まだ時間に余裕があったので、待合室を覗いてみると…

キオスクではないローカルな売店が営業しており、しかも柿の葉寿司をはじめ、若干の駅弁も取り扱っている様子なので、昼食を確保しておくことに。
まあこの先、昼食を確保できるという確証もないので、予め確保しておくのが確かだろう。

ちなみに後で確認していて解ったことなのだが、ここ吉野口駅は奈良県で唯一残っている正規の駅弁(日本鉄道構内営業中央会加入の業者)を扱う駅なのである。


売店のおばさんに「駅弁ありますか?」と尋ねると、「お寿司でいいかい?」との返事。まあこれは想定の範囲内で、柿の葉寿司でも買えればラッキーと思っていたので問題は無し。

実際、幕の内など普通のご飯(酢飯でない)の駅弁は取り扱っておらず、「柿の葉寿司」(鯖or鮭orミックス)か「きぬ巻時雨寿司」の合計4種類が選択肢。

何だかんだで柿の葉寿司はよく食べているので、「きぬ巻時雨寿司」に目が行き、「どんなお寿司なのですか?」と尋ねてみると、「貝の時雨を具にした巻き寿司で、海苔じゃなくておぼろ昆布で巻いてあるのよ。」との事。
そして店の奥にはポスターが貼られており、写真を見る限り、なるほど個性的なお寿司。
またあちこちで取り上げられたりもしているようなので、これは面白そうだと思い、こちらを購入することに決定。


しかしパッケージにお値段が書いておらず、またプライスカードなども見あたらない。
とりあえず「¥1000で足りるかな…」と思いつつ、千円札を出してみると…何と¥540もお釣りが出てくるではないか。
それにしても今時¥460とは何とも良心的な価格。思わず「安いですね~」と言うと、「ウチは100年続く老舗ですから、味も確かですよ!」と自信たっぷり。

そもそも最近では、正規の駅弁屋は随分と淘汰されてしまい、ここまで生き残っていると言うことだけで、経験上まず「ハズレは無い」のだが、更に吉野口駅というかなりのローカル駅で生き残っており、しかも売り手が「ごり押し」などせず、自信を持っている…これは経験上、大アタリなのでは無いかという予感がしてくるのである。


で、これだけ書いておいて、「駅弁の紹介は次回」というのは申し訳ないので、順番は前後するものの、先に紹介しておくことに。

*FUJIFILM X-E1 (PRO Neg. Hi) + XC16-50mm

味の方は…かなりお上品。

寿司とは言いつつも、酢は本当にほのかな感じで、酸っぱさは殆ど感じず、むしろ程よいさっぱり感を醸す程度の利き具合。
そして具の時雨煮も、旨みを引き立てる絶妙な味付けで、しかし必要以上に濃くなく、しょっぱさを感じさせない、なかなかの味加減。
外側の昆布も旨みを醸しつつも、必要以上に自己主張しない…

こんな感じで、一つ一つの具材が、しっかりと仕事をしつつ、まろやかに協調性を持って融合し、されど出しゃばらない…絶妙としか言いようのない高レベルな駅弁で、一気に私のお気に入り駅弁リストの上位に食い込んできた感じである。

ボリュームの方は、まあ寿司10切れと言うことなので、少々物足りない感じもしなくはないのだが、まあ一つ一つゆっくり食べていたせいか、意外に満腹感が得られるのが不思議なところ。
とは言え、絶対量はやはり少ないのだが、値段を考えれば良心的な部類に入るだろう。
男性の方などで、沢山食べたいなら、一緒に柿の葉寿司など買い求めておいても良いかも知れない。(2つ買っても、普通の駅弁1個分程度の値段)

それに時雨寿司がこのクオリティなら、柿の葉寿司も期待できるのではないだろうか。

まあ駅弁がコレだけ淘汰されている現状において、吉野口という決して恵まれた立地条件でもない駅で商売を続け、しかも売店で予約なして普通に買える事を考えれば、それなりの個数が出ているとも想像できるので、そういう面から考えてもクオリティは確かなのだろう。


しかしこの駅弁を食べたのは…散策を終えた後に立ち寄った温泉の休憩所での話。駅弁の話はココまでにして、話を旅に戻すことにしたい。





吉野口駅を出発した列車は、スイッチバックが廃止された北宇智駅を通過。
本線上に簡素な駅が設けられているが、スイッチバック時代の施設もしっかりと残っている様子。


そして二駅目が五条駅。

*FUJIFILM XF1 (ASTIA)

決して大きな駅ではないのだが、有名柿の葉寿司店の売店が存在するなど、主要駅の様相を示している。

それに何より、通学時間帯ということもあり、4両編成の電車から吐き出された高校生が一気に改札口に殺到し、大賑わい。

そして高校生たちは、みるみるうちに制服毎の流れに分化していき、まるで仕分けられたかのように同じ制服が同じ行動パターンを取るので面白い。
スクールバスに乗るもの、陸橋で駅の反対側へ歩いていくもの…と、制服毎に流れがあって、当たり前と言えば当たり前なのだが、ちょっと離れてみているとなかなか滑稽なのである。


五条駅では7分の待ち合わせで、五新線専用道経由の奈良交通・五條西吉野線のバスに接続。

バスは歩いても数分の五條バスセンター(八木新宮線で最初の休憩を取るターミナル)が始発なのだが、誰も乗客がいない状態でJR五条駅のバス停へと到着。

*FUJIFILM X-E1 (PRO Neg. Hi) + XC16-50mm
(写真は後刻、同じ車両を別の場所で撮影したもの)


五条駅の奈良交通待合所には、パッと見た限りで十数人バス待ちの客がおり、「今回も混雑するのでは…」と少々不安を覚えていたのだが、このマイクロバスに乗り込んだのは私を含め数名だけ。

ちなみにこのバスの2分後に、一般国道経由の十津川温泉行きバスが運行されており、専用道と一般道が見事に併走していることを考えれば何とも不思議なダイヤ。

ちなみに五条駅→城戸間で比較すると…

 ・専用道経由 五条駅8:12発→専用道城戸8:41着
 ・一般道経由 五条駅8:14発→城戸8:40着

…と、所要時間でも一般道経由の便の方が早く、しかも城戸から先の十津川方面へと直通するので普通に考えれば一般道経由のバスに乗客が流れるのは自然なことだろう。

実際、バス待ちの客の中にもハイキング風のスタイルの年輩者も多く、十津川方面に観光で出掛ける人も多いのだろう。


そう考えると、専用道経由のバスに乗車した数名は、私のような物好きか、あるいは自宅が専用道のバス停に近いなど、敢えて専用道経由の便を選んでいる人たちということになるのだが…

この謎に対する結論はあっという間に明らかになり…五条駅を出てから僅か9分、専用道に入る手前、五條市街地の「県立五條病院」バス停で、私を除く全員が下車してしまったのである。
おそらく病院関係者が通勤のために利用しており、専用道と分岐する手前のバス停で降りるのであれば、両方のバスは全く同じルートを走ることになるので、「早く来たバスに乗れば、早く着く」、ただそれだけの話なのである。





こうして乗客は私1人となり、貸切状態で専用道を走行することに。

五條の市街地を抜けると、専用道の入口が見えてくる

*FUJIFILM X-E1 (PRO Neg. Hi) + XC16-50mm
(以降の画像は特記がない限り同じ機材で撮影しているため、撮影器材表記は省略します)

国道から左手のスロープへと進み、専用道(鉄道用線路を転用した区間)の築堤へと入っていくことになる。

ちなみに前を走るセドリック(orグロリア)の辺りに、築堤から伸びていた線路が、国道を越えていたであろう高架橋の橋台が写っている。
当然、元々は鉄道用として作られているので、五條市街地区間も施設が作られていたのだが、現在五條市内エリアに関しては専用道として使われていない。

そのためバスは、五條市街地外れの専用道入口までは、五條市街の一般道を走ることになるのだが、それゆえ市街地にあるバス停に停車したり、五條病院へも寄るなどの利便性も生まれている。


そしてバスは専用道へ



普通に走っているだけでは、何の変哲もない細い道なのだが…


やはり構造物などは鉄道仕様となっており、意匠もそれらしいものが多い



そしてしばらく走ると、この専用道で唯一の信号があるのだが…信号と言っても、バスが接近するとパトライトが回って知らせるだけというシンプルなもの。



元々単線の線路なので、基本的にはバスが1台ギリギリ通れる程度の道幅なのだが、バス停には行き違い用のスペースが設けられている。


今でこそ1日5往復、専用道内での行き違いの無いダイヤになっているが、かつて国鉄バスだった時代は1日十数便(毎時1~2本)程度の運行があり、事前に決められたダイヤに従って、こうしたバス停のスペースで行き違いを行っていたとのこと。


車窓を眺めていても、ただの田舎道と言った感じであまり専用道と言った風情も無いのだが、専用道と本当の田舎道が併走している箇所もあり、こうした区間では不自然な併走が専用道らしさを醸し出している。



一般道との交差点も、基本的には「専用道の一般車両通行禁止」といった看板が立っているだけのことが多いのだが、一般道側からの車の流入を防ぐためか、一筋縄で進入できないようなガードが設けられている箇所もある。(まあ切り返せば入れなくも無いとは思うが…)



そうは言っても、基本的には何も知らなければタダの「行き違いスペースを設けた田舎道」にしか見えない雰囲気である。






そして第一丹生川橋梁を渡って、専用道生子バス停を過ぎ…



流石にトンネルが出てくると、鉄道用の敷地であることを意識させられる。

また上の第一丹生川橋梁も専用道を走るバスの車窓から見ていると何の変哲もないのだが、下の写真のトンネルのすぐ上を走る国道(白い柵が見えている箇所)から見下ろすとこんな感じ。

*SIGMA DP1
日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗るより引用)


で、バスはトンネルへと突入していくのだが…


元々単線の鉄道用トンネルなのだが、それをバス用に転用するとなると…線路の上を走る鉄道とは違い、丁寧なハンドルさばきが要求されるため、速度を落とし慎重に走行していく。
更に言うと、トンネル内に砂が溜まっていたり、また水溜まりがあったりで、こうした箇所も丁寧に徐行して走行していく。

この先もトンネルが続くのだが…結局、国道経由のバスより所要時間が長くなってしまっている要因は、このようにトンネルで減速走行しなければいけないことが原因なのだろう。

それにしても、今でこそマイクロバスでの運行だが、十年ほど前までは普通の路線バスの車両が運行されており、その当時は今以上に神経を使って運転していたのだろうと想像するところ。


そしてトンネルを抜けると、橋梁があり、その先も真っ直ぐな道が続き…ちょっと鉄道らしい雰囲気。



そして立派な橋(農道らしい)の下をくぐるのだが…


橋の下にあたる部分には落下物対策で覆いが設けられている。



更にまたトンネルへと入り




後醍醐天皇ゆかりの賀名生集落へと入り、映画「萌の朱雀」で専用道バスで通学するシーンのロケに使われた賀名生バス停へと到着。


ここは他のバス停とは異なり、元々鉄道の駅として計画されていた場所だけに施設も立派で、また敷地も広いのだが…このバス停の観察はまた後刻のお楽しみ。

なおバス停の奥に見えている短いトンネルが、五新線で一番短いトンネルになる予定だったのだとか。





そしてバスは向加名生へと進んでいくのだが、この辺りはただの田舎道にしか見えない雰囲気である。



ただこの近辺は、隣接する一般の農家の敷地と専用道が繋がっていたり(専用道を通らないと他へ出られない)するなど、地元の方も便宜的に暗黙の了解で専用道に車を乗り入れているといった雰囲気が感じられる。


これは後刻この近辺で撮影した画像なのだが…


もちろん「バス専用道」なので、バスが来ればすぐに車を避けるなど、バス優先は徹底されている。


そしてこれが専用道に立っている標識なのだが…


何だか「自己責任で…」とも解釈できそうな言い回しなのである。

※但しこれは専用道の事情や、バスの運行状況などに詳しい地元の方が、一部区間を便宜的に…と言った話。もちろんトンネルなど危険な区間でこのような事はありませんでしたし、ましてや何も関係ない車が走行しても構わないという話ではないので、くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。





そしてバスは鉄道らしい切り通し区間を抜け



第七丹生川橋梁で丹生川と国道168号線の上を通過していく


これが意外にスリルのある橋梁で…


下を走る国道を、国道経由のコミュニティバスが走行しているのが見える



ちなみに下の国道を走るバス(コミュニティバスが走っている辺り)から撮影した画像がコレ

*SIGMA DP1
日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗るより引用)

コレは上から見ていても恐ろしいが、下からこんな細い橋の上をバスが走っているシーンを見る方がもっと恐ろしい気がしてならない。


更に後刻、反対側からのバスでこの橋梁を通過する際に撮影した画像がコレ

*FUJIFILM X-E1 (RAW) + XC16-50mm

いかにも鉄道用の路盤の上を走っているという雰囲気が感じられる。





そしてバスはまたトンネルへと入り





立派な屋根付きの待合所がある衣笠停留所を通り



またトンネルを通り



さらにトンネルを通り



ちょっと開けた空間に車など停まっているスペースに出る


ここが専用道の終点にあたる専用道城戸バス停(国鉄バス時代の城戸駅)

ここ城戸は、旧・西吉野村の中心部にあたり、国鉄もここに駅を設ける予定となっていたため、広い敷地が確保されていたのである。
そしてバス専用道として使用されるようになってからは、バス運行の拠点として、バスの回転場や出札窓口、職員の休憩施設などバスターミナル機能をもった「駅」として使用されており、今でも無人化こそされたものの、バスの回転場や待合室などの機能は残されている。

また交換設備も設ける予定だったのか、かなり広い敷地が確保されていたため、余剰スペースは近くにある西吉野村役場(現在は五條市西吉野支所)の駐車場としても使用されており、上の写真の車は役場関係者の車なのである。



しかし話が段々と長くなってきてしまったので…

この専用道城戸バス停(旧城戸駅)や、先ほど登場した賀名生バス停の観察、そして近隣の散策などは、「後編」にて…


<つづく>
Posted at 2013/08/19 00:00:02 | コメント(9) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年08月18日 イイね!

新宮城と神倉神社を散策する

※こちらの記事は、以下の2編からの続編となり、今回を含め3編で完結となります。
  日本最長の一般路線バス・八木新宮線に乗る
  勝浦漁港でマグロ競市を見学する




再び新宮駅へと舞い戻り、今日は新宮市内を散策してみることに。


普通、新宮市内散策と言えば、熊野速玉大社(熊野新宮)や浮島といったところが定番なのだろうが…どちらも以前に訪れたことがあるため今回はパス。

更に時間の制約も考慮して、今回は今までに行ったことのない「新宮城」と「神倉神社」の2カ所にターゲットを絞ることにする。


先ずは駅内の観光案内所に顔を出して、パンフレットを貰いつつ、時間的にこの2カ所を散策することが可能であるかを相談。

結論から言うと、「そこまで余裕があるわけではないが、まあ大丈夫。最悪の場合はタクシーで駅まで戻れば大丈夫でしょう。」との事。
更に散策ルートの目印に加え、炎天下と言うことも配慮して歩きやすい道(例えばアーケードがあるなど)を案内してくれるという親切さ。


先ずはしっかりと飲み物を確保してから、新宮市内を歩き始める。



10分程歩いたところで、平地の真ん中に小高い山が見えてくる。


ちょっとだけ石垣が見えているのだが、これが新宮城。

ここ新宮は便宜的に“新宮藩”と呼ばれることが多いのだが、正確には徳川御三家の一つ紀州藩の領地。
幕府から派遣(現在で言うところの出向)された附家老がこの地に城を構えていたのだが、この附家老というのが、本来は大名格(将軍家の家臣)でありながら、御三家に出向し建前上は陪臣(将軍家から見て家臣の家臣)として扱われるという微妙な立場。
それゆえ陪臣という立場にありながら、まるで大名のように居城を持ち、しかも熊野川の河口という要衝にその居城を構えていたという次第。

明治維新の際に廃城となり、その後は山上に旅館が建ち、昭和55年まではその旅館の利用者輸送用にケーブルカーが走っており、その運行距離がわずか72mと日本一短い鉄道としての記録を持っていたのだとか。
しかしその後は旅館もなくなり、現在では公有化されて公園として開放されている。


そんな新宮城へ登城開始。



最初のうちは良く整備された遊歩道が続く



しかしこの遊歩道は近年整備されたルートで、本来の登城ルートに非ず。


そして途中で…


左側の民家の裏から芝生を抜けて合流してくるルートが往時の登城ルートなのだが、現在は完全に民家の裏と言った場所になっており、現在では通行不可能。


そしてごの合流点から先は往時の登城ルートとなり、雰囲気は増してくる反面、やや歩きにくくなってくる。



ふと振り返って



こうして一気に山を登り、山上の城跡へと到達。まず最初は「松ノ丸」というエリア。



ここで道が二手に分かれ、更に上にある天守跡へと続くルートと、「水ノ手」と呼ばれる熊野川沿いのエリアで、かつては船着場と備長炭倉庫を備えて、紀州備長炭の出荷拠点となっていたエリアへ続くルートに分かれるのだが…

残念ながら水ノ手へのルートは、崖崩れのため通行止め。



こうして自動的に更に上を目指すこととなり、松ノ丸よりもう一段上にある「鐘ノ丸」へと進んでいく。


ここがかつての旅館が建っていた場所。そしてその旅館が「二の丸」という名称だったため、ここが二ノ丸だと誤解されやすいとのことだが…
平穏な江戸時代において、二ノ丸は政庁としての使い勝手を重視し、山上ではなく、山麓に設けられており、現在では遊歩道入口の門が建っている辺りが本物の二ノ丸だったとのこと。


そしてその一角に日本庭園があるのだが…


こちらは新宮城当時の庭園ではなく、旅館の庭園らしいとのこと。


さらに鐘ノ丸から、新宮の市街地が見下ろせるのだが…


写真手前の石段が、おそらくケーブルカーの駅から繋がっていた通路。
そしてその上手の不自然な空き地と、その左手へと下りていく不自然なスロープがおそらくケーブルカーの施設跡。


そして次はいよいよ本丸へと登っていく


ちなみに右手の蔵風の建物はただのお手洗い。


更に進み



ようやく本丸へと到達。



本丸から熊野川を見下ろす


そして太平洋



本丸の一角にある丹鶴姫の碑


ここ新宮城は、別名「丹鶴城」と呼ばれるのだが、これは源頼朝の叔母である丹鶴姫がこの地に居を構えていたからなのだとか。


こうして新宮城散策を終え、下山。

日差しを避けてアーケードを歩き



何故かレトロなポストを多く見かけ



木を多用した小学校の校舎を横目に



次なる目的地、神倉神社の境内へと到着。


ここは熊野速玉大社の摂社にあたり、熊野三山とともに「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産の一角を担う神社でもある。

ちなみに新宮城入口からの所要時間は20分強と言ったところ。


しかしここの神社は境内に入ってからが難儀で…



そう、こんな急な石段を登って、神倉山山上まで参拝しなくてはならないのである。



標高にして120m(新宮城は40m)、源頼朝が寄進したという石段の段数は538段、往復所要時間30分…数字だけ聞くと、そこまで大したことも無さそうに思えるのだが、何しろこの急勾配。
しかも真夏の一番暑い時間帯…(逆に雨が降ったり、凍結したりするよりはマシなのだが)


しかし前から気になっていた神社ということもあり、覚悟を決めて登り始めることに。


実際に登り始めると、足場の悪さもあって、テンポ良く登れず…かといって休憩しようにも、急勾配の途中でバランスを取って一休みするしか無く…これが意外に難儀。


しかし最初の急勾配さえ登り切れば、所々に広場かあったり、あるいは山上に行くにつれて勾配も段々と緩やかになっていくので、段々楽になっていく。



それにしても、こんな急な石段で走り込みをしている高校生がいたのにはビックリ。しかもこの一番暑い時間帯に…若さは無敵だ…(と、もうオジサンの域の私はしみじみと…)


そして私はフーフー言いながら、ようやく山上へと到達。



あとは平坦な道をもう少しだけ歩けば社殿が見えてくる。


少し角度を変えて


見ての通り、実に凄い場所に建っている。

なお社殿の真横にある巨石がこの神社のご神体であるゴトビキ岩。
神倉神社は、この岩から磐座信仰が生まれて成立した神社であるとともに、熊野三所大神が最初に降臨した地とされ「熊野三山元宮」と扱われており、熊野三山においても重要な意味合いを持つ神社なのである。


社殿横から新宮市内を見下ろしつつ、一休み



こうして神倉神社参拝を終え、下山。


石段を上るとき、ずっと「これは帰りが怖いな」と思っていたのだが…
確かに怖いのは怖いのだが、やはり地球に引力があるお陰で、呆気ないほどスムーズに下山できたのであった。

ちなみに往復所要時間は山頂での参拝や写真撮影、休息も含め丁度40分。
まあ私の場合、のんびりと景色を眺めて空気感を味わったり、写真を撮ったりしながらなので、「往復で30分」という目安は間違ってはいないのだろう。


しかし列車の時間を勘案すると、もうノンビリとしては居られない。
駅まで1km強を20分程の持ち時間で歩いていかねばならず、急ぐ必要は無いものの、淡々と歩いていかなければいけない。

しかし走ったり、早足で歩く必要は無いとは言え、この炎天下で淡々と歩き続けるというのも意外と大変。
かといって本当に時間がないならともかく、タクシーというのもちょっと贅沢。


そんな事を考えながら歩いていると、熊野交通のバス停が目の前に現れ、しかもちょうど新宮駅行きのバスが走って来るではないか…

(新宮駅到着後に撮影)

「これはラッキー!」と、新宮駅までクーラーの効いたバスで楽々と移動。
駅でお手洗いを済ませたり、簡単な買い物をする程度の余裕も生まれ、何とも素晴らしいタイミング。


そして新宮駅から「くろしお」で一気に大阪市内へ…


と言うのは嘘^^;

まあ新宮は紀伊半島の東海岸に位置しており、わざわざ紀伊半島南海岸から西海岸をぐるりと迂回して大阪へ出るよりも、東海岸周りで松阪へ出て近鉄で帰った方が距離も短くなり、費用も安く済むのである。


そんな訳で、紀勢東線の紀伊長島行き普通列車のホームへと向かう。


この列車はキハ11…まあローカル線用の軽快気動車と言った雰囲気だが、ボックスシート完備なので、紀勢西線をロングシートの105系(一部は千代田線~常磐線を走っていた103系からの改造車)で延々と乗り通すよりは快適だろう。

しかも新宮発着の便には、必ずトイレ付きの300番台車が連結されており、そう言った面でも安心。
(しかし0番台と300番台では、同じ系列とは思えないほどデザインが異なり、車体断面もかなり大きくなっているので、併結すると凸凹感が凄いのだが…)


こうして無事に列車に乗り込み、海を眺めながらボックスシートで水分補給をしつつ、紀伊勝浦駅で買ってきた駅弁で昼食。
(駅弁については「勝浦漁港でマグロ競市を見学する」で紹介済みのため割愛)


先ほど新宮城から眺めていた熊野川を渡り、三重県の(旧)鵜殿村へと進んでいく。


そして新宮駅の次の鵜殿駅でいきなりの長時間停車で特急「南紀」と行き違い待ち。
これなら新宮駅発車を遅らせてくれれば、少しは余裕が出来たのに…とも思うのだが、よくよく考えてみると、この列車の出発を遅らせてしまうと新宮駅のホームが足らなくなってしまうのである。
要は新宮駅のホームを空けるために少し早めに発車するダイヤになっている…という話。


そして終点の紀伊長島駅へと到着。


ここで1時間ほどの待ち合わせで多気行きへの乗り継ぎとなるのだが…実際は待ち合わせの停車時間が長いので、乗務員の休憩や駅構内の保安といった理由で乗客を一度追い出したいというのがホンネなのでは無いかと推測するところ。


まあ理由がどうあれ、一度は追い出されるので、紀伊長島駅近辺を少し歩いてみることに。

地図を見てみると1km程離れたところに、私のお気に入りの「道の駅・紀伊長島まんぼう」があるので、そちらまで歩いてみることに。
まあ往復時間を差し引くと、現地滞在時間は十数分程度しか取れないのだが、どちらにせよ暇なので…


旧国道を歩いて市街地を抜け



片上池を横目に



しばらく歩くと道の駅が見えてくる




鉄道利用で、駅から歩いて道の駅へ…というのも、何だか変な話。

しかしここの道の駅にはお気に入りがあって…


昨年訪れた際にも購入している、おにぎりコロッケが絶品なのである。


ところが…今回はもう昼を大分過ぎてしまっていたためか、既に売り切れ(涙
とは言え、この炎天下をわざわざ歩いてきたのに収穫なしというのも悲しいので、コロッケになっていない単品のたこ飯+αを購入して帰ることに。


帰路は案内板に従い、市街地を通らず、片上池沿いの遊歩道を歩き、線路近くへ出てから駅へ戻るルートを選択。


片上池近くには、駅への案内標識も出ているのだが…駅側から片上池、あるいは片上池を外れてから駅への案内標識は殆ど無く、地元の人に道を尋ねながら、何とか駅まで戻ることが出来た。

ちなみに駅から片上池へは…駅を出て、すぐ右へ線路と平行に進む道を松阪方面へ歩いていけば、10分程で片上池の端に到達するので、そこから見渡せば道の駅は簡単に解る…とは言え、誰も駅から歩こうとは思わないはずで、こんな情報はまず必要ないのだろうが(大汗


そしてホームへと戻ると、案の定、私の推測は大当たりで、先ほど新宮から乗ってきた車両がそのまま多気行きと表示を変えて停車している。

全く同じ車両の写真というのも芸がないので、反対側の0番台の写真など(300番台との断面差がよくわかる)


車両のエンジンは作動しており、運転手は休憩中なのか、車内で読書中。


私は道の駅で買ってきた大内山フルーツで水分補給。


しかしホームに乗客が集まり始めているにもかかわらず、運転手は素知らぬ顔で読書を続け…涼しい車内にいては解らないかも知れないが、外はかなりの灼熱地獄。
まあ休憩時間というのは解らなくはないが、この季節、せめて発車時間が近づいてきて、既にホームに下りてきている人が居るのなら、ドアくらい開けても良いのではないかと思うのだが。


そして再び列車に乗り込み、終点の多気まで乗り通し、そこから参宮線からやって来た普通列車に乗り換え松阪へ。
更に松阪から近鉄で上本町直行の快速急行に乗車し、大和八木駅乗り継ぎで帰宅。こうして旅は終了したのだった。


まあ今回の旅は、車では何度も来ているエリア。正直言うと、あまり目新しさは求めておらず、あくまで「日本一のバス」をメインにプラスαの散策をオマケに組み合わせたプランだったのだが…

実際に旅してみると、車で来るのとはまた違った視点で楽しむことが出来、またオマケと言いつつ、マグロ競り市の見学や神倉神社など、初めての体験や訪問地も多く、一泊二日の短い旅ながら、なかなか濃厚な旅になったのではないかと思う。



<完>


しかしこの旅には番外編的なストーリーが存在していて…

次回はこんなバスに乗った話をアップ予定。


え、上の写真だけでは解らない…ヒントは今回の旅で出て来たこの写真


実はこの2枚の写真…
Posted at 2013/08/18 02:56:56 | コメント(9) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記
2013年08月02日 イイね!

旧・生駒トンネル見学会

毎度お馴染みとなりつつある、引用によるお手抜き…


近畿日本鉄道・公式ニュースリリースより引用

近鉄では、開業時(大正3年・1914年)から現在の生駒トンネルが開通した昭和39年(1964年)までの約50年間、当社奈良線の輸送を支え、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定された旧生駒トンネルを見学するツアーを、夏休み期間中の7月25日(木)、8月18日(日)の2日間(1 日2回実施)、各回100名の計400名で実施します。
このツアーは、当社創業百周年を記念して平成22年から実施しているもので、毎年、参加者から大変好評をいただいています。
旧生駒トンネルへは石切駅側から入り、駅助役による同トンネルの歴史などの解説を聞きながら、入口から約330m付近まで見学していただきます。トンネル内は真夏でも17°Cほどと涼しく、独特の冷気も体感いただけます。
トンネル入り口付近ではトンネルの歴史を綴ったミニ写真展や鉄道グッズの販売会も開催します。



今回、このツアーへの参加が適い、トンネル内部を見学する機会を得た次第。

ちなみにこのツアーは、最寄り駅からの近鉄往復乗車券とセットの場合のみの発売で、ツアー単体での金額というのは明示されていないものの、およそ「往復乗車券+¥1500」程度の金額で設定されている、(内容の割にやや高い感じは否めない…)
なお石切駅で有効な定期券を所持している場合でも、往復乗車券込みでしか販売出来ないため、隣の駅(額田駅)からの乗車券込みでの発券となるとのこと。


当日は、まず近鉄奈良線の石切駅で受付


で、この駅…線路が切り通しを走っており、駅舎が地上階にあるという造りなのだが、これはかつてトンネルだった区間を開削し、そこに駅を移転させたため、この様な構造になっているのだとか。


受付でヘルメットとカッパを渡され、その後は各自で旧・生駒トンネルへと移動。




線路に沿って奈良側へと歩いていくと、近鉄は現行の新・生駒トンネルへと入っていく。



その新・生駒トンネルの上を歩く形で少し歩くと、ゲートに係員が待機しており、ここから近鉄の旧奈良線線路跡へと入っていく。



すると如何にも「駅跡」と言った感じのスペースになっている。




(一部に後刻撮影した写真を含む)

更に一角には変電所(…跡なのか、現役なのかは未確認)も建っている。


こちらが昭和39年の新・生駒トンネル開業により廃駅となった、孔舎衛坂駅跡。

写真で見て解るように、線路は撤去され業務用道路となっているものの、プラットホームは当時の面影をそのまま残している。


駅跡には、今回のツアーに合わせて設置されたのであろう、新しい駅名板が設けられている。


ちなみに新・生駒トンネル開業前は、石切駅は今よりも大阪よりにあったのだが、新・生駒トンネル開通によるルート変更により、旧・石切駅と旧・孔舎衛坂駅を合併する形で、石切駅が現在地(両駅の中間)に統合移転し、今日に至っている。


そして駅のホームの端は、もうすぐに旧・生駒トンネルなのだが、先ずは改めて参加者が集合し、この先は職員同行での見学となる。


参加者が揃うのを待つ間、カッパやヘルメットを装着し見学に備えるとともに、鉄道グッズや記念乗車券の販売も行われている。

ちなみにこの日の参加者は「御団塊様」「家族連れ」「古典的で如何にもな鉄道ファン」「その他(中高生?グループなど)」が1/4ずつといったトコロ。


しかし、少し遅れてくる参加者もあり、カッパを着て待機している間に…


「汗がしたたり落ちる」などという話ではなく、「袖口から汗が流れ出る」有様。
正直、真夏の炎天下でカッパというのは拷問に等しいような…


ここで生駒トンネルの説明を、またまたお手抜きモード全開で、Wikipedia引用(大汗

生駒トンネル(いこまトンネル)とは、大阪府東大阪市と奈良県生駒市の境にある生駒山を東西に貫く、近畿日本鉄道けいはんな線の新石切駅 - 生駒駅間にある鉄道トンネル(全長4,737m)、およびかつて同社奈良線の孔舎衛坂駅 - 生駒駅間にあった鉄道トンネル(全長3,388m)である。生駒山地を迂回する西日本旅客鉄道(JR西日本)の路線に対し、近鉄線はこのトンネルによって大阪と奈良を短距離で結んでいる。

奈良線の生駒トンネルは新生駒トンネル(全長3,494m)の開通により1964年(昭和39年)に鉄道トンネルとしての使用を終えた。その後、奈良線の旧トンネルを一部再利用する形でけいはんな線の生駒トンネルが1986年(昭和61年)に開通している。



全員が揃ったところで、いよいよ旧・生駒トンネルへのゲートが開き、中へと入っていくのだが…またすぐにゲートがあり、二重に閉ざされているという厳重さ。


鉄道トンネルとしては用途を終えた旧・生駒トンネルなのだが、実は平行する新・生駒トンネルや、けいはんな線のトンネルと繋がっており、こうした長大トンネルの非難誘導路としての役割や、作業用通路、更には電力設備用のトンネルとして、今でも活用されているため、このトンネルへの出入りは厳しく制限されているのである。


そしてトンネルを入ったところにも、駅名板が…


ちなみに駅ホームはトンネルの入口で切れており、トンネル内を駅として使用していたという事実はない。


ここで最終の注意事項があり、その後に見学となるのだが…

事前に「トンネル内部での撮影は禁止」と明記されていたのだが、「折角、来ていただいたのですから、特に遠慮してほしいトコロは別にして、写真撮影はしていただいて構いません。」との事。

しかし特に「ココはダメ」と言った注意もなかったので、要は「当日の客層等を見て、収拾がつかなくなりそうなら撮影禁止もあり得るので、一応建前上は禁止にしておいて、現場で臨機応変に…」という事なのではないだろうか。

それにしても「トンネル内部の撮影不可」を前提に機材を準備していたので…
こうなると解っていれば、高感度番長のK-5か、X-E1あたりを用意していたのだが、「トンネル入口だけ」と思っていたので、XF1しか持参しておらず、トンネル内の暗所で四苦八苦することに。


但しこの「撮影OK」には補足がついていて…「本来、写っているはずのないものが写っていても知りませんので」との事。

実はこの旧・生駒トンネル…工事中の落盤事故にはじまり、運行開始後も、トンネル火災事故に、ブレーキ故障による追突事故と、色々と事故が多いトンネルでもあり、一部で心霊スポットとして取り上げられていることもある場所なのである。


ゲートが開き、いよいよトンネルの奥へと入っていく



ちなみにトンネル内の温度はこんな感じ


まあ屋外でカッパは拷問だが、トンネル内であれば、まあ問題なし。
それより何よりも滴が落ちてきたり、トンネルの壁で裾が汚れたりもしていたので、カッパが用意されているというのは、非常に良心的な対応ではないかと思う。


そしてトンネル内を歩いていく


今回は近鉄系列のローカルケーブルテレビの取材が入っており、その撮影用の照明機材が有ったため、随分と明るく写っているのだが…

その照明の有無でこんなに違っていて…



そういう意味では、まあ取材が入っていて良かった言えるのだが、まあ田舎のケーブルテレビ。

ある程度心得ているカメラマンであれば、テレビに映ることを嫌がって、カメラを避けている人がいれば、その人をさり気なく避けて映すなどの配慮もあるのものだが…
そんな配慮は全くなく、明らかに嫌がっている人にカメラを向けたり、参加者が歩くシーンを撮りたいと真正面から無理矢理な照明を煌々と浴びせてみたりと、とにかく「自分が撮りたい画」の事しか頭になく、空気を読んだり、周りへの配慮など全くなし。まあ所詮は田舎のケーブルテレビの三流カメラマンなのだろう。

ちなみにそのケーブルテレビの映像がコレ(4分頃からこの話題。私は…後ろ姿で1カ所、そしてホンの一瞬だけ画面奥で正面から写っているシーンがあります。)


そして石切側入口から330m地点まで進み



ここで厳重に閉ざされた扉があり…



この扉を開けて奥へと歩いていく



今回、見学できるのはココまでなのだが…


実はこの奥に、更に風除扉があり、実はコレが近鉄奈良線の新・生駒トンネルから続く非難誘導路。


そして本来はココで折り返しとなるのだが、今回は特別にもう少し奥へと歩いていき



今回は石切側から465m地点で折り返すことに。


但しこの旧トンネルの生駒側(今回ツアーで入ってきた石切側出口の反対側)の一部は、1986年に開業した近鉄東大阪線(現けいはんな線;近鉄奈良線とは別の路線)のトンネルとして再利用されているため、このまま進んでも行き止まり。


で、この地点から側坑が伸びており…



こちらもまた、近鉄けいはんな線のトンネルへと続く連絡路。

要するに、真っ直ぐ歩いていっても、ここで曲がっても、けいはんな線のトンネルへと繋がっていると言うこと。


そしてこの連絡路をちょっと入ったところで、今度こそ折り返し。同じ道を歩いてトンネルの入口へと戻りツアーは解散。

本当は、そのまま何処かで昼食を食べて出勤予定だったものの、カッパのおかげで汗だくになり…そのまま出勤するには耐えないと判断し、昼食を諦めて自宅へ戻り、服を着替えてから出勤しましたとさ。


<おわり>



オマケ:今回の見学ルートを無理矢理図に書くとこんな感じ(方角・縮尺など完全に出鱈目です)
Posted at 2013/08/02 02:38:00 | コメント(7) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2013年) | 日記

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