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NEOCAのブログ一覧

2017年08月02日 イイね!

寝台車にお泊まりした話?

ベルギー王国ブリュッセル市内某所



何か違和感のある建物が…


この「Train Hostel」こそがこの日の宿


その名の通り、鉄道をイメージした宿で、内部もなかなかの雰囲気




しかしホテルでは無く、あくまでも“ホステル”

バリアフリーなどとはほど遠く、最上階にあるスイートルームまでの階段はスーツケースを担ぎ上げるのも一苦労



そしてスイートルームに入ると、先ずは通路が延びており、窓の外には…



そう、先ほどの違和感のある外観で目立っていた寝台車こそが、このスイートルームのベッドルーム





但し鉄道車両を利用したベッドルームと、通常の建物側にあるバスルームや通路の間に壁やドアは無いので、反対側(鉄道車両)から見るとこんな感じでやや風情に欠くかも…



しかしながら、バスルームが建物側にある(つまり鉄道仕様の狭いバスルームでは無い)というのはメリットでもあって…


鉄道車両を利用したベッドルームと、広々としたバスルームの、いいとこ取り

ちなみに今回はこの宿では最高級かつ限定1室のスイートルーム、お値段は一泊朝食付きで140ユーロ程。
まあ日本的な感覚では決して安くは無いのだが、ここはブリュッセル。まあ部屋だけで考えるとむしろ割安かと。(但しサービス面等は完全にホステル基準なので、一概には評価しにくいところ)


ちなみに車窓はこんな感じ

高架鉄橋通過中の風情?


車端の連結器側は完全に違和感ありあり


なお向かいの建物は警察署、また少し離れた緑のロータリーは駅前広場と、立地条件は悪くない。
またこの宿はブリュッセルの中ではやや・・・なエリアに立地しているのだが、駅近で警察署の向かいならまあ問題なさそう。

まあブリュッセルそのものが、良くも悪くも・・・なのだが。


そして反対側のドアは


オープン可能



専用バルコニーへと出ることが出来る




なお夜はこんな感じ



そして館内を探検開始

先ず中庭がまたかなりクレイジー




この中庭側の車両は、寝台車の設備をそのまま利用したドミドリーとなっている




ちなみにこのドミトリーのお値段は1泊1ベッドで45ユーロ程(朝食別)なのだが、寝袋が持参or数量限定での貸し出しとなるなど、面倒な点も多い。
但しドミトリー用の共用バスルームが建物側に設置されており、広く清潔で使いやすいという点は評価に値するだろう。


なお他にも中間グレードの客室として、建物側に“寝台車をイメージした”個室型客室もあるのだが、あくまで“イメージ”であり、実際の鉄道車両ではない。
そんな訳で、鉄道車両に泊まりたければドミトリーかスイートの両極端な選択肢しかなく、今回は思い切ってスイート利用とした次第。

とは言え、冬のブリュッセル(話が古すぎるという突っ込みはご容赦を…)は観光客も少なく、この日は1グループで寝台車を1両占拠出来る程の利用状況だったのだが。


そして個人的にお気に入りだったのが、このリーディングルーム(と、思っていただけで、実は普通の談話室なのかも知れない)



折角スイートに宿泊したにも関わらず、専らこのリーディングルームに入り浸っていた私…


なお館内には簡単なバーがあり、ベルギービールなどがオーダー可能(リーディングルームへの持ち込みもOK)


なおアルコール類は有料なのだが、紅茶やコーラなどのソフトドリンクは無料


但し食べ物は基本的に朝食のみの提供で、自販機に簡単なスナック程度のものがある程度。

しかしキッチンで自炊は可能



宿では、Uber EATS(Uberが運営するフードのデリバリーオーダーサイト)の利用も推奨しており、何名かの宿泊客がそれを利用していた様子。


なおダイニングはこんな感じ



そしてここで提供される朝食は簡単なコンチネンタルのバイキング


今回はスイート利用だったので朝食込みだったのだが、他の客室の場合8ユーロと、日本的な感覚ではコンチネンタルにしては高い印象。

但しそこは美食の国ベルギー。美味しいクロワッサンにチョコレートスプレッドを塗って口に入れれば、8ユーロなんて安いとすら思えるクオリティの高さ。カロリーの事などすっかり忘れて、パクパク食べてしまった私…


しかし食後に自分で食器を洗わなくてはいけないあたりがやはりホステルで…スイートの宿泊料金とサービスのクオリティが全く釣り合っていないのはご愛敬。

但しブリュッセル市内という立地条件に加え、非常に感じの良い親切なスタッフ、面白さと居心地の良さが絶妙に同居する館内…諸々を考えると、満足度は高く、お値段はまあ“ご愛敬”と笑って済ませてしまえる程度かと。


ちなみにこの宿…隣にある「Train World」という鉄道博物館のオフィシャルアコモデーションという位置づけ。
当然、その博物館も訪問したのだが、その話題はまた機会があればという事で、今回はココまででご容赦を…


「おいNEOCA!随分とご無沙汰なのに、新年の挨拶や近況報告も無しかよ!コラ!」という突っ込みもご容赦願えれば幸いですm<_o_>m
Posted at 2017/08/02 23:32:25 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2017年) | 日記
2016年07月20日 イイね!

“東洋のマチュピチュ” 愛媛県東予 [お出かけ回想No.25]

#このシリーズは以前のお出かけを回想するものです。
#約3年ぶりのシリーズ復活となります。






いつも私のブログを見て頂いている方のブログを拝見していると、“東洋のマチュピチュ”と異名と取る「東平」という場所に足を運ばれたとの事。

“東洋のマチュピチュ”というキャッチフレーズは今回初めて聞いたのだが、その「東平」という地区には覚えが有り、過去の写真など振り返ってみると確かに10年前に足を運んでいるではないか…

そんな訳で、折角過去の写真を開いたので、久々にこのシリーズとしてアップすることにした次第。





で、その「東平」という地区なのだが…簡単に言えば、愛媛県の別子銅山の一部。しかし鉱脈の関係上、山の中の陸の孤島のようなとんでもない場所に集落が開かれる事になってできた町。
銅山の閉鉱後は無人となっていたのだが、近年の産業遺産ブームで注目を集め観光地として整備された…そんな場所。


恒例となりつつあるWikipediaの当該記事からの引用で…

東平地区

東平(とうなる)地区は、1916年(大正5年)から1930年(昭和5年)まで別子銅山採鉱本部が置かれていた。このような山中に、かつて多くの人が鉱業に従事し、その家族共々生活し、小中学校まであった「街」があったのかと信じられないように現在は山中に静まり返っているが、閉鎖された坑道や鉱物輸送用の鉄道跡などが残っている。付近は再整備され、歴史資科館や、保安本部跡を利用したマイン工房、花木園、高山植物園、子供広場などがある。また東平小学校、中学校の跡地には銅山の里自然の家がある。
『東洋のマチュピチュ』と新聞に取り上げられ、観光会社がツアーを企画するなど人気を集めつつある。



それにしても“東洋のマチュピチュ”とはよく考えたネーミングで…





で、本題に入る前にちょっと余談。
と言うのは、その10年前の旅というのが、今振り返ると凄まじい旅。

当時、札幌在住だった私は、何を思ったか“梅雨とは無縁の”北海道を脱出し、羽田経由で松山入りし、レンタカーを借りて梅雨の四国を一周するという…我ながらクレイジーな行動に出ているのである。


そのレンタカーは懐かしの二代目デミオ

(駐車位置が謎すぎるのだが…今となっては意図は不明)

しかし安いレンタカーゆえ…ハッキリ言ってボロボロ…(苦笑
でもこのクラスのレンタカーでデミオは当たり車種で、ロングドライブが快適だったのはラッキーだったかも。


しかも四国の山中へガンガン足を踏み入れて…




こんな酷道などまだ序の口



大雨の中、FFのデミオでこんな道を走り



おそらく当時のエクストレイル慣れと、レンタカーがボロボロだったこともあって、躊躇もせず突っ込んでいったのだろう…


四万十川源流点の近くまで足を伸ばしたり


記憶が正しければ、この雨を鑑みて、この先“本当の源流点”まで続く遊歩道は断念し、この碑で折り返したはず…


滑り台で遊んだり(?



その割に質素な食の写真しか残っていなかったり




しかも車中泊用の寝袋から何から何まで北海道から持参して…

飛行機の出発遅れの影響で、羽田空港での乗り継ぎ時間がギリギリで「預け入れ手荷物の移し替えが間に合わない」との理由で、その荷物を全て機内にするようにとの指示。
更に収納スペースの関係上、その荷物を上の棚に無理矢理押し込む事になり、CAさんが無理矢理収納棚を閉めたのだが…しかし地上移動中にラッチが外れてしまい、ドンと下に開いてしまい(但し開いただけで何かが落下したとかではないのだが)、真下に座っていた乗客が悲鳴を上げ…そんな今だから書けるようなエピソードまで。


と、我ながら振り返れば振り返るほど、クレイジーな旅だったのだが…(大汗





さて本題に戻ると…

県道47号(新居浜別子山線)から東平へ分岐する道へ入ると…こんな道


幅員2.5mとの事で、公式ホームページでは注意喚起をしつつ、マイクロバスによるツアーへの参加を推奨している。

但し当時はそんな呼びかけもツアーも行われていなかったような…


しかし既にこの時、松山から時計回りの四国一周もほぼ終わりに近づいており、充分に酷道にならされてしまっていた私にとってはもはや恐れるような道では無かった様子。

更に写真を見ている限り、工事の影響で1時間に10分だけの片側交互通行制限だった様子で、対向車の心配もなく、当時は(駐車場などは整備されていたものの)そこまで積極的な観光客誘致が行われていなかったためか先行車も後続車もいなかった模様。(とは言え10年も前の話で記憶がかなり曖昧なのだが。)

そんな訳で、私の記憶にはそこまで強烈な印象も残っていないのだが…


それにまあ確かに険しい山の中ではあるのだが、何だかんだで新居浜の市内からの距離は近い(道なりで10km程)ので気分的には楽だろう



実際、東平地区の斜面から、新居浜市内や瀬戸内海まで見渡せるような距離感(直線距離なら数km)



で、そんな道の途中で…


オンボロレンタカーがキリ番を達成して記念撮影(笑
こんなイベントだけは記憶が明確.…(大汗





そして険しい道の先に突如現れるあり得ないほど広い整備された駐車場に車を止め、散策を開始


今でこそ廃墟だが、かつては銅山で栄えた街



なお往時の交通手段は今回通ってきた道路ではなく、坑道内経由の列車や索道(ロープウエイ)がメインだったとの事


当時の車両も展示されている(但し記憶が全く無く、この写真を何処で撮ったのか不明…大汗)




なおこの東平…駐車場が一番上にあるので、険しい斜面にへばり付くような産業遺産を散策するためにはいきなり下り階段からスタート


なおこの階段、かつてのインクラインの跡を階段として整備したものなのだとか



後で駐車場まで上って戻らなくては行けないという不安を覚えつつ、急な斜面をどんどんと下へ下っていくと




確かにこの角度などマチュピチュっぽいかも(でも実は私…本物のマチュピチュ行ったことが無い・大汗)



但し下から見上げると、やはり産業遺産的な雰囲気が漂っている




そして案の定、帰りが地獄


更に言うと、この当時はあまり観光地として売り出されていた訳では無く、人気も少なく、しかもこのお天気。正直あまり気味が良いとは言えない雰囲気のインパクトに押されてしまい…純粋な産業遺産としての観察を欠いていたのも事実。

今は観光地として売り出され、語り部が案内するツアーなども行われているとの事。また改めて訪れて、じっくりと銅山の歴史やそこにあった人々の暮らしに思いを馳せてみるのも悪くないと思うところ。
また「産業遺産」あるいは「東洋のマチュピチュ」といったキーワードを意識して撮影すれば、もう少しちゃんとした写真が紹介できるかも知れない。


と、“東洋のマチュピチュ”そのものよりも、クレイジーな旅の思い出がメインになってしまった今回のエントリーはここまで。
Posted at 2016/07/20 00:00:42 | コメント(2) | トラックバック(0) | お出かけ回想 | 日記
2016年06月15日 イイね!

ブルネイでローカルな散策と食を楽しんだ話

皆さんブルネイネタにはあまり興味が無い様子で…需要も無さそうなので、打ち切りにしようかとも思ったものの、既に写真の加工も終わっていたので、都知事を見習い(苦笑)空気を読まずにしぶとく続投することにします。でもどちらにせよ今回で最終回ですが…

マングローブサファリを終え、ホテルで一休みしてから夕方の散歩に出発。

旧モスクの夕景
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とは言え、少し休憩時間が長すぎた(つまり出遅れた…)みたいで、夕景のベストシーンはほんの一瞬で終わり
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旧モスクの周囲をブラブラしながら、日暮れ~夜のモスクを満喫
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実際、現地では丁度お祈りの時間だったようで、多くの人が出入りし、スピーカーじゃらコーランが聞こえ…と、独特の厳かな雰囲気に包まれていたのだが、それ故に写真を撮りにくいのも事実で、人の居ないタイミングばかりでシャッターを押していたのだが。

結局、1時間半に渡って、のんびりと旧モスクの雰囲気を味わっていたのだが…


そして旧モスクの隣接地にあるショッピングセンターへ移動

ショッピングセンターの中央を貫く道路の突き当たりからも旧モスクが見えている
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路面店は既に閉店している店が多く、ぱっと見寂れて見えるのだが…
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スーパーマーケットなどのある地下はそれなりに賑わっている
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敬虔なイスラムの国と言うこともあり、どうしても人にレンズを向けにくいので、寂れたような写真ばかりになってしまっているのだが…


個人的に旅先でスーパーを覗くというのがマイブームで…

お菓子などの手作りコーナー
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マンゴスチンが1パック$5(≒¥400)くらいで売られていて心が動いたものの…一泊だけの滞在と言う事もあり、食べきれる自信が無くパス
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微妙な日本語のパッケージの冷凍食品と、ノンアルコールカクテル
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敬虔なイスラムの国という事情もあり、アルコール類の取り扱いは一切無し。
但し全面禁止という訳では無く、旅行者が海外から持ち込んで飲む分には許容枠があるのだが、今回はまあ一泊だけなので休肝日と割り切ることに。


日用品コーナーはほぼ日本メーカーの製品ばかり
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そしてスーパー全体でちょっと意外だったのは、「物価が安い」と言うこと。ブルネイと言えば産油国でお金持ちというイメージが強いのだが、その富は無税といった形で国民に還元されており物価はクアラルンプールより安いのでは無いかというのが私の実感。
そう言えば物価安に加え、国立のミュージアムの類も無料だったりと、旅行者でもその恩恵に預ることができる。





そして夜釣り(というか岸からの投げ網)に興ずる人々で賑わう海岸線を20分程歩き
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Arts and Handicraft Centreという施設に到着
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伝統工芸品の実演・即売を行っている施設との事なのだが…時間が時間なので既に閉館。


とは言え、今回のお目当てはセンターの敷地内にあるこのレストラン
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実は先ほどのマングローブサファリのガイドさんに地元ブルネイ料理が食べられるおすすめの店を尋ねたところ、こちらの店を紹介されたのである。

実はここのレストラン、しっかりとしたブルネイ料理を中心としたバイキング形式の店。
実は私自身はバイキング形式はあまり得意では無いのだが…今回に関して言えば、ハッキリ言ってどんな味か想像も付かないブルネイ料理がちょっと怖いこともあり、少しずつ試せるという点に心惹かれたのである。(ちなみにお値段は…日本の中級ホテルの朝食バイキング程度で安目)


店内はこんな感じ
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見た目は何となくツアー客向けのバイキングレストランに見えるのだが、客層は地元客ばかり。

そんな訳で、外国人は目立つのか、スタッフはもちろん居合わせた地元のお客さんまで何かと気に掛けてくれる。


先ずは一皿目
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イスラムの国なので、ポークという選択肢は無いものの赤身のビーフやチキンという選択肢は豊富。
味付けは、非常に甘いのにくどさを感じさせない系統か、マレー系でよくある後からじんわりと辛さが来るもののいわゆるバカ辛ではなく旨みのある辛さの系統。あるいはそのミックスと言ったところ。
なお奥に見えるスープは…実はヌードルで、甘めのタレが麺に絡んでこれが意外に美味い。

そしてバイキングコーナーに「割り箸」があったので喜んで持ってきたのだが…(上の写真の右手に写っている松葉様の箸)
これを割ろうとすると係員に制止され、「これは箸じゃ無いのよ。箸がいるの?」と、ごく普通のプラスチックのきちんとした箸をわざわざ用意してくれた。


で、「コレ、箸じゃ無いなら何なの?」と聞いてみると…「えっと、、、箸なのよ(笑)。でも“アンブヤ”専用の箸で、割らずにフォークのように使うのよ。」との説明。

そして「是非、“アンブヤ”も食べていって。ブルネイの特別な料理だから」と勧めてくれ、わざわざそのアンブヤコーナーまでエスコートしてくれる。
まるでホテルの朝食で言うところの“エッグコーナー”のように、わざわざコックが常駐しているアンブヤコーナーで、日本の水炊き仕様の土鍋からアンブヤを注いで手渡され、好みのソースを持っていくように指示される。


そのアンブヤという料理がコレ
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幼稚園の頃に使った澱粉糊を思わせる料理なのだが…実は味も食感もそのまま澱粉糊^^;
これを先ほどの松葉様に先の開いた箸で、水飴のような要領で巻き付けて食べるのである。

但し原材料はサゴヤシの木との事で、確かに微かながら檜にも通ずる木の香りが漂い、若干木の味が混じっている。
何でも昔のブルネイには主食となる穀物が希少で、こうしてサゴヤシすら食料にせざるを得なかったという事情があるのだとか。

まあ先に澱粉糊と言ってしまったのは言葉が悪かったのだが、そのまま食べるとトコロテン的な風情の食べ物でもあるので、きな粉や甘酢があればサッパリ美味しく食べられたのかもしれないのだが、何せタレが辛い…
かなり渋い顔をして食べていたのか、周りにいたお客さんから「あらっ、日本から?食べたこと無いでしょう。どうですか?大丈夫ですか?」と興味半分で心配されてしまうことに。
まあ口に合ったかどうかは別にして、伝統あるブルネイの主食を体験できたという点で貴重な体験だったかと。(ちなみに私は「う~ん…でも、とてもユニークな経験ができましたよ」と返答していたのだが)


そしてバイキングに戻り二皿目
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これまたブルネイ名物の“えびせん”を中心に魚系の料理をチョイス。
えびせんそのものは、蒲鉾をカリカリに焼いたような感じ。よく言えば「素材の風味が生きている」、悪く言えば「ちょっと魚臭さを感じる」といった所だろうか。とは言え、えびせんそのものは馴染みのある味なので美味しく頂いたのだが…

逆に地雷だったのが、左側の塩魚…塩に漬け込んだような感じで、とにかく塩辛い。見た目が馴染みがあるので、パクッと口に入れてしまい…その後大量の水で中和して何とか、と言ったところ。
(タップウォーターが無料で助かったかも。ちなみにここのレストランでもアルコール飲料は一切取り扱いが無い)


そして〆はデザート
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普段はあまりデザートは食べないのだが、お酒が入っていないので、デザートにも手が出てしまう。

左側のケーキやマドレーヌ類は毒々しい色に反して、甘さ控えめの上品なお味で紅茶との相性抜群。(コーヒー・紅茶も飲み放題)

そして右側はかき氷と寒天。かき氷そのものは日本と同じものなのだが、シロップがどれも見慣れない色で…その中で比較的見慣れた色の氷イチゴが無難かな、と思いチョイスしたのだが…
残念ながらコレ、氷イチゴではなく、何と「氷ローズ」。予想外のフレーバーではあったのだが、口の中にバラの香りが広がり、コレはコレでかなり美味。
(日本でも売り出せば流行ると思うんだけどな…「氷ローズ」)


こうして少々おっかなびっくりながら、ブルネイ料理を満喫し、夜の運河やマーケットを眺めつつホテルへと戻り就寝
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で、翌朝は朝食前にこの運河沿いのマーケットを覗いてみることに
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※ホテルの窓より撮影

何でもこのマーケット…王様の一声で新築移転が決定し、私が訪れる直前に完成したばかりというピカピカなマーケット。

なお隣接地では閉鎖になった旧マーケットの撤去が始まっている
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で、この新マーケット。新しい上に財政的に余裕のある国事情も反映して、実に衛生的。
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流石にこの国でコレは売り物にならない様子
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別棟には家畜コーナーがあり、食用鶏が丸ごと売られている横で、愛玩用と思しき鶏が売られていたりとちょっとカオス
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そして野菜類も充実(しかもほとんどセント単位での値付けで安い)
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お総菜コーナーや串焼きのコーナーも
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今回はホテルが朝食込みだったのでパスしたのだが、素泊まりにして市場で朝食というのも面白いかもしれない。
(主観的な感想なのだが、衛生面はシンガポールと変わらなそうなので、そういった心配もあまりしなくて良いだろう。)


そして多少は観光客も意識しているのか…微妙に謎なコーナーも
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更に子供向けのコーナーも
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そして特に目に付いたのが、干しエビや煮干しなどを売っている乾物屋
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折角なので、ダシ用に干しエビなど買い求めて自宅用のお土産とすることに。(海産物は検疫を心配しなくて良いというメリットもある)


こうしてマーケットの散策を終え、ホテルへ戻って朝食
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ありふれた献立と言ってしまえばそれまでなのだが、味の方は日本人にも合う味付けでなかなか。
個人的には牛肉入りカレースープ(辛くない上に牛肉臭みも取れている)と、ジューシーなレモネードがお気に入り。





こうして一泊二日のブルネイ訪問は終了…とは言え、昨日到着した便の折り返し便でシンガポールへと戻るので、実質的にはほぼ丸1日だけだったのだが。


ホテルで手配して貰ったタクシーで空港へと戻る
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で、シンガポール航空のカウンターでチェックインしたのだが…ここでちょっとトラブル発生
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まあ解決済みの問題なので、トラブルの具体的な内容は伏せておくことにするが、その問題に対するシンガポール航空のフォローは完璧…と言うか、私の方が恐縮してしまう程の対応で、むしろ逆に私の中でシンガポール航空の株が急上昇し、むしろファンになってしまいそう…
(これはトラブル発生時の速やかな対応に加え、後日のやりとりまで含めたトータルでの話であることと、またこのトラブルはあくまで予約システム上のトラブルであり、決して安全面のトラブルでは無い事をお断りしておきます。)


まあ、その話は置いておいて…チェックインを済ませて身軽になったところで、昨日の到着時にも気になっていたエアポートモスクの外観を見学に行くことに
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何でも飛行機に搭乗する前にお祈りしたいというニーズがあっての事なのだとか。


時間を見計らってエアサイドへと移動。こぢんまりとした空港である。
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今回はロイヤルブルネイ航空のラウンジへのインビテーションを頂戴したので、そちらで一休み。

国王夫妻の写真が飾られている
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スイーツはやはり甘さ控えめ
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そして今度はシルクエアー機材では無く、シンガポール航空本体の機材に搭乗
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チーフパーサーからトラブルに関する丁重なフォローがあり、案内された席が…

ビジネスクラスの
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しかも最前列
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「足下が広くて快適ですよ」との事なのだが…完全に足が届かない程にだだっ広い空間。しかも隣席は空席。


そして昼食は機内食
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絶妙な柔らかさのフィッシュと、オーソドックスながら奇を衒わず安心して食べられるソース…「流石はシンガポール航空のビジネスクラスだな…」と唸ってしまいそうなクオリティの機内食。
そしてシンガポール航空はブルネイの航空会社では無いので…久しぶり(と言っても丸1日ちょっとなのだが)のアルコールも満喫。


飛行機から見える虹を楽しみつつ
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2時間ほどの空の旅も無事に終わり、ブルネイの旅は無事に終了したのだった。


<完>
Posted at 2016/06/15 01:00:27 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2016年) | 日記
2016年05月27日 イイね!

九二一地震教育園区

今回はいきなり引用から…

921大地震は、台湾時間の1999年9月21日1時47分18秒に、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード(Mw)7.6の地震。921大地震のほか、台湾大地震、集集大地震、台湾中部大地震、921集集大地震、台湾大震災、集集大震災、台湾中部大震災などと呼ばれ、台湾では20世紀で一番大きな地震であった。

被害
死者:2,415人
負傷者:11,306人
行方不明者:29人(台湾行政当局の発表)

特に被害が甚大だったのは震源の南投県と、南投県に隣接する台中県だが、震源から比較的離れた台北市と台北県でもビルが倒壊し多くの死傷者が出た。台湾鉄路の集集駅駅舎は倒壊(2001年に修復再建された)。台湾の成長の原動力であるハイテク産業の中心、新竹も被害を受け、この年の経済成長を下方修正せねばならなかった。


九二一地震教育園区は、台湾の台中市霧峰区光復新村に位置し、旧光復国中跡地に、地震に関する資料の展示と住民への防災意識啓蒙を目的として建設された博物館である。
ここの地下を車籠埔断層が横断しているため、921大地震(台湾大地震)では校庭が隆起し、光復国中の校舎及び校庭は全壊の被害を受けた。専門家で協議を重ねた結果、光復国中跡地に地震博物館を建設し、震災跡を保存すると共に、関係資料、映像、図書を収集し地震に関する理解を深める教材として活用することが決定した。展示内容は地震科学に関する内容の他に、地震体験と防災教育施設を併設し、専門家の研究以外にも社会教育機関として利用される。

※Wikipediaの当該記事より抜粋・引用





で、今回はこの九二一地震教育園区を訪れた話。


日本統治時代の大正6年に建てられた駅舎の残る台中駅前から



九二一地震教育園区へ直接乗り入れるバス(台中市公車50系統)に乗車


しかしこのバス…交通局の公式サイトでは「ラッシュ時以外は10~20分に一本の運行」といった程度の情報しかなく、詳細もわからないのでぶっつけ本番で乗ってみるしか無いという曲者。

序でに言うと、この系統以外にも九二一地震教育園区そのものへは乗り入れないものの、すぐ近くのバス停まで行く系統も多数有るのだが…
台中駅前のバス停がバラバラに離れているうえ、詳細な出発時刻表も無く「●●分に一本」程度の案内しか無いため狙いが定められず。
仕方が無いので50系統をひたすら待ったのだが、タイミングが悪かったようでたっぷり20分待った挙げ句に、すぐ後ろに同系統のバスが団子状に走っているという間の悪さ…


怪しさ抜群の誘導ロボット(?)など眺めつつ



結局、終点の九二一地震教育園区まで58分も掛けて到着。
しかも台中の運転マナーは…急加速・急ブレーキ・急な割り込み…となかなかダイナミック。そんな訳でちょっと気分が悪くなり始めて、「これ以上乗り続けるのは無理かも」と思い始めた頃にギリギリセーフで到着。

ちなみに台中市には「IC乗車券利用なら近距離のバス運賃は無料」という制度があるため、運賃は無料区間(系統毎に異なるが今回は10km)を超えた分だけ支払えば良いので今回は小一時間乗っても9元(≒31円)という驚異的な低価格。
(ちなみにこの制度は「地下鉄が無い台中市で公共交通機関利用を促進し渋滞緩和に繋げるため」あるいは「実は選挙対策のバラ撒き」など、色々な説を聞くのだが、本当のところどういう趣旨なのか知らない…)

いくら安くても、流石にこのルートは私にはちょっとキツいというのが正直な感想。そんな訳で帰路は別のルートを試してみることにしてみたい。





バスは九二一地震教育園区とは川を挟んだ対岸に設けられた大駐車場内のバス停へと到着



ここから橋を渡り




地面に描かれた揺れのグラフなどを眺めながら



エントランスへと到着


大人50元(≒168円)入場券を購入すると、英語で「どこから来たのか?」と聞かれ、日本からだと返すと「こんばんは(?)」という挨拶ともに日本語の館内案内を手渡される。

ちなみにここの園区の7割程度の展示には日本語の説明も併記されており、日本人的には有り難いところ。(但しその日本語がやや堅苦しい表現が多いのはご愛敬だろうか。)





そして園内にある5館の展示施設と、点在する保存被災校舎を順路に従って見学していくことになる。


先ずは「車籠埔断層保存館」という施設からスタート

ここは主に地震のメカニズムをプレートテクトニクスと台湾島の成り立ちといった切り口から紹介している施設




子供の訪問を想定してか、模型などを実際に動かしながら地震のメカニズムについて学べるようになっており、なかなか丁寧で凝った展示が好印象。

またプレートテクトニクスという観点で言えば、我々は主に日本を例にした視点で学んでいることもあり、台湾を中心とした視点での解説がちょっと新鮮。


そしてこうした展示の他、「車籠埔断層保存館」という名の通り、断層そのものを現地保存している施設でもある




更に窓の外に目をやると、川の堤防に凄い段差ができているのだが、これも921地震による断層




そしてここの施設のメインはグラウンドの陸上トラックを横切った断層




元々のラインがハッキリ解る上、舗装されているため風化もしにくく、解りやすく断層の動きを感じ取ることが出来るのである。

詳しい説明は少々手抜きながら、展示パネルの写真で…




そして当時の写真も展示されている



実はこの断層…実はかなり長く続いており、その断層沿いの被害状況を解説した展示もあったのだが、今回は現地(この園区)で直接目にすることの出来る部分に関わる内容だけを抜粋して紹介していることをお断りしておきたい。





そしてその次は実際に被災した校舎(南側)を保存しているエリア



地震で被災した校舎を、補強材などを用いつつ、当時の状況を現場で保存している。

また一部区画はコンクリートのトンネル的な通路を設けて安全性を確保しつつ、建物内を見学出来るよう工夫されている。




そして地震により生じた短柱現象など、実際の被災状況を見ながら説明を加えることで、非常に解りやすく感じ取ることが出来る



被災した教室と往時の写真




また往時の学校建築の特徴と、地震による被害が大きくなった理由の考察など、実際の被災校舎を見ながらの説明で、理解しやすい


なお見ての通り、建物の被害は非常に大きいのだが、地震の発生時刻が深夜1時47分という時刻で会ったことから、学校内で人的な被害が発生していないのは不幸中の幸いと言えるだろう。これがもし日中の授業中の出来事なら…と考えると背筋が凍ってしまう。





そして順路は「地震工学教育館」へと進んでいく

「地震のメカニズム」から「地震の被害」と見てきて、今度は建築あるいは土木てきな視点から耐震工学について考えていく施設。

主に地震の揺れを再現する装置の上で、建物への揺れの伝わり方や建物の耐震性を模型を使って体験できるコーナーになっている。

液状化現象の再現



各種防振構造の効果についての実験


静止画では解りにくいのだが、実際に地震の揺れを起こして、建物の揺れ具合を観察しているシーンである。(左側の模型など歪みがみられ、実験中であることがわかるだろうか)
台北101(台北にある高層ビル)で見た耐震球の効果についても、他の構造の建築物を見比べながら体感出来、ようやく球の効果を理解した次第。(建築については全くの素人なもので…)


そして耐震性のある柱と壁の構造について考える実験


ちなみにこの実験、実験する度に模型が崩れてしまうため、その都度にスタッフがさっと現れて元に戻していくという、何とも手の掛かる展示なのである。





そして南側校舎と同様に当時の状況をそのまま保存している北側校舎を横目に(こちらの北側校舎は順路的に後からの見学となる)




ぱっと見、土手の切れ目のような所を通り抜けて次の「映像館」を目指すのだが…



実はこの土手のようにも見える構造物、よく見てみると…


かつては南側校舎と北側校舎を繋ぐ2階建てのオープン廊下だったものが倒壊しサンドイッチ状になってしまっているのである


元々壁が無く、オープンな廊下だったこともあり、床と天井が完全にペタンと重なってしまっているのである。





そして次はかつての体育館を改築したと思われる「映像館」へ。

その名の通り、映像シアターでプログラムが上映されている施設なのだが、2本のプログラムが時間的に交互になるよう上映されており、ほぼ待ち時間なしで見ることが出来るよう工夫されている。


先ずは3Dプログラム。3D眼鏡を受け取ってシアターへと入るのだが…

何故かプログラムは「北極熊」


地震とは何も関係が無いのだが、シリアスな展示が続く施設なので、中間でちょっとホッと出来るようなプログラムを選んでいるのかも知れない。
なおこのプログラムには日本語訳は無く、スクリーンに表示されている中国語字幕で内容を推測しながら見ていたので、間違いなど有っては困るので細かな内容の紹介は省略することにしたい。


そしてもう1カ所のシアターはこんな空間

※上映終了後に撮影

家庭のリビングに見立てた空間で、当時の地震の揺れを再現する装置が組み込まれており、当日の揺れがどのようなものであったのか体感出来るというシアター。
上映中に実際の地震の発生時刻にあわせ、真っ暗な中で地震の揺れを体験する事になる。

なお上の写真では本棚の中身が放り出され、TVも倒れているのだが…上映前にはその都度全て元に戻され、上映中に人工的に起こされる地震の揺れで飛び出てきてこうなっているのである。

もちろん床はクッション素材になっており、また本当に飛び出てはいけないものは固定され、飛び出てくる小道具も軽く角が丸いものになっているなど、安全に配慮されてはいるものの…体調の悪い人や恐怖症の人は見学しないようにといった注意書きがある。


こうしたシアターの他、日本統治時代を含めて過去に台湾で起きた地震についての解説などの展示コーナーも設けられている




また地震発生時の家族の絆、あるいは諸外国からの支援、といった「絆」をテーマにした展示もあるのだが、この部分は日本語や英語の説明を欠いている部分が多く、間違いがあっては困るので細かな紹介は省略したい。





そして次は先ほど横目に見てきた被災校舎(北側校舎)の見学




ぱっと見、二階建てかと思ってしまいそうなのだが…



三階建ての一階部分が押しつぶされてしまっているのである



かつての門柱と玄関



更に順路は見学用に設けられた歩道橋へと上がり、被災校舎を見下ろす形で見学することになる









そして今度は「防災教育館」という展示館へと進んでいく


地震に関する伝承や言い伝えを紹介するコーナーの他、西遊記の物語をアレンジし防災をテーマにした物語に沿ってゲームなどを取り入れて楽しく防災を学ぶ趣向のコーナーも設けられている。


とは言え、話のアレンジが露骨な事に加え、日本語訳が妙に堅苦しい事もあって子供向きでは無さそうな気も…(但しこれは日本語で見た場合の話)

何せストーリーがこの堅さなので…(一部抜粋)






そしてこのストーリーに沿って、デパートの屋上にありそうな乗り物や昭和の香りのするゲームセンター風のゲーム(モグラ叩きなど)、そしてムービーなどが組み合わせられている。










ここで有料ゾーンは終了なのだが、最後にもう1つ「重建記録館」という施設がある


「重建」とは“再建”あるいは“復興”といった意味合いのようで、震災後の復興に焦点を当てた展示なのだが、残念ながら日本語の説明は無し。

住宅や公共施設、コミュニティ、そして鉄道などのインフラの復旧・復興について取り上げられている


なおこの施設は有料ゾーン外のため、入場無料となっている。


そしてこの施設の屋上はこんな感じ


かつて陸上トラックに対応していたスタンド跡だろうか。それにしてもトラックと言い、このスタンドと言い、中学校にあった施設としては相当に立派で驚かされる。


なお敷地内の駐車場や通路も陸上トラックをイメージしたデザインになっている



こうして園区の見学を終了。駐車場のバス停へは戻らず北側の出口から退出し、光復新村の集落を抜けて帰路につくことにしたい。



最後にこの園区全体の感想なのだが…「(台湾に居る限り)地震は避けられないが、地震について知り、備えることが大切である」という考え方が一貫しており、同じ地震を避けられない国に住むものとして共感することが多く、凝った展示は勿論のこと、その背景にある考え方からも感じさせられることの多い施設だったと言えるだろう。

また明文化されている訳では無いのだが、ここの展示の作り手の意図として、同じ地震を避けられない国である日本からの見学者も想定し、日本人へ向けてのメッセージ性も含んでいるように感じられた。
例えば場所が場所だけに日本からの訪問者の絶対数は限られているにも関わらず、(全てではないのものの)きちんとした丁寧な日本語の案内が用意されていることなど、その意図が現れている一旦なのかも知れない。





こうして園区の見学を終え、敷地外へ出たものの、しばらくは先ほど順路として通ってきた北側校舎沿いに道路を歩くことになる。

先ほど紹介した北側玄関付近。地震により現れた断層で道路が波打っている



そして静かな光復新村の集落を眺めながら歩き




10分も歩けば光復新村の中心に位置するロータリーへと到着



ロータリー沿いには飲食店を中心とした道の駅的な施設もあり賑わっている


日中に限り、往路に乗ってきた50系統のバスがこのロータリーまで乗り入れているのだが…今回は更に5分ほど歩いた大通り沿いのバス停まで歩くことにしたい。


しかしバスの時間まで余裕があったので…

ロータリー沿いに牛肉麺の店があり、繁盛しているようなので食べていくことに


ローカルな店なので、英語は通じないと思い、片言の中国語で「ニーロータンメン、バイトォ」(牛肉湯麺、拝托→牛肉湯麺を下さい)とオーダーすると…店員さんから流暢な英語が返ってきて驚き。と言うか、座席にオーダーシートがあったので、無理に言葉を喋る必要も無かったのだが(汗


そして明らかに道路なスペースで牛肉麺を味わう






そして時間を見計らい、大通り沿いの光復新村バス停まで移動


ここのバス停は幹線道路沿いという事もあり、多数の系統が通過しており台中駅行きのバスは山手線なみの頻度(ちょっと大げさな表現かも…)で来るのだが、こうしたバスを3本ほど見送ってお目当てのバスを待つことに。


そしてお目当てのバスに乗り込む


実はこのバス…1日5本だけ運行される高鐵台中駅(台湾新幹線の駅、日本風に言えば“新台中”に相当する駅)方面へ向かう151副という系統のバス。

このバスなら高速道経由で街外れの高鐵台中駅へ向かうため、加減速を繰り返す台中市内直行のバスより快適なのではという判断。


で、この判断は正解だったようで、バスは高速道路を快走



複雑奇怪な高鐵台中駅付近のジャンクションを抜け



20分程で高鐵台中駅へと到着


ちなみに運賃はICカード割引で18元(≒61円)とちょっと高め。高速道路経由だったのであまり距離感は感じなかったのだが、距離的には長かった模様。
(もしかすると、高速のジャンクションをぐるぐる走っている距離が意外と長いのかも。更に高速道路から高鐵台中駅へ入るのに大分と遠回りをしており、一瞬「乗り越したか!?」と心配になったほど。)


そして駅構内のテナントが「どこの国なのやら」と思わせられる高鐵台中駅構内を通り抜け




連絡通路で繋がっている在来線の新烏日駅から電車で台中駅へと帰還


ちなみに在来線のお値段はICカード割引で14元(≒47円)

バス代と合計すると32元(≒107円)となり、往路の9元(≒31円)よりは随分と高くなってしまったが…まあ快適さを考えるとこれくらいの差は構わないだろう。(とは言え、日本円で考えると76円差でしかないのだが)


オマケ…電車の車内で妙に気配を感じたと思ったら…
Posted at 2016/05/27 02:01:36 | コメント(2) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2016年) | 日記
2016年04月12日 イイね!

道南いさりび鉄道と北海道新幹線

※「立佞武多と奥津軽いまべつ駅」からの続編となります。


新幹線で青函トンネルを抜け、木古内駅で下車。

しかし新幹線木古内駅は在来線駅の裏手に独立した建物として存在しており、駅前方面へ出るには一旦地上に出てから跨線橋を登り、在来線駅の構内を横断する形になる。

木を活かした雰囲気の跨線橋



そして駅前へと抜ける


ぱっと見には一軒の駅舎に見えるのだが…奥に見える長い新幹線(JR)駅舎と、手前の短い在来線(道南いさりび鉄道)の駅舎は独立した構造。

そもそも、道南いさりび鉄道自体が、新幹線開通に伴い並行在来線である江差線が第三セクターに転換した路線であり…在来線駅も元々はJR駅だった訳で、何もこんなにキッチリ別構造にする必要などあったのだろうかという疑問もわいてくる。


というかこの在来線駅舎、後から考えてみると…内外装は新しく、一瞬「新築か?」とも思ったのだが…屋根の上にある三角形の突起や左手の旧バス乗り場の屋根などに何となくデジャブを感じて…

過去の写真と比較してみると

※以前のブログより引用・2001年頃撮影

大改装され、随分と雰囲気は違っているものの、建物そのものは増改築されているだけの様子。
と言うか、駅改札付近は昔のままっぽい…と言うか、昔の記憶は無いが、相当に草臥れている。


一方で駅前はと言うと…かつては松前線の分岐駅だった時代があり、その後も代替バスが発着するなど、ちょっとした交通の要衝だったとはいえ、基本的には北海道の地方駅らしい駅前風景が広がっていたのだが…
しかしかつての面影は無く、立派なロータリーが設けられ、駅前もすっかり整然と区画整理され、更に隣接して道の駅まで開業し、まったく別の駅のような雰囲気でただただ戸惑うばかり。

と言うか、このギャップも、在来線駅舎も新築だと錯覚させる一因だったのだろう。





そして乗り継ぎ時間もあったので近くを歩いていると…

「焼きそば」の旗がたなびく店を発見


「もしかして…」と思って屋号を確かめると…「駅前飯店 急行」
かつて区画整理前の木古内駅前にあった店で、とにかく癖の強い女将のキャラで有名だった店。しかも何故か焼きそば以外のオーダーはあれこれ理由を付けて拒否されるという謎な店。


時間もあったので暖簾をくぐってみることに


店こそ新築移転したものの、内部の什器や、事細かい注意書き(「某事情により焼きそばをおすすめします」「急ぎの注文お断り」「(何故か)(テイクアウトの)弁当は10時までの要予約」等々、女将の強烈なキャラを反映した注意書きの数々)はそのまま移転しており、当時の雰囲気を残している。

そしてその女将も健在で…壁に貼られていた3年ほど前の新聞記事で85歳と紹介されていると言うことは…しかしきちんとした身なりと凜とした雰囲気からはそんな年齢は微塵も感じさせない。
ちなみに女将の他にも2名の店員がいるのだが…揃いも揃って無口で無愛想でムスッとしているのは相変わらず。

建物の他に変わっていたことと言えば、メニューが名物の焼きそばに絞られ、他にはスープやライス、ドリンク類といったサイドメニューがちょっとあるだけ。
まあ元から事実上の“焼きそば専門店”だったので、頼まれても断るだけのメニューを整理して解りやすくなったのは良いことだろう。

そして今回は焼きそばの大(¥1000)をオーダー。
店員からオーダーを受けた女将は…一息ついて自分のペースで調理をスタート。他の店員は給仕の他、材料や皿を差し出すなど、補助に徹しており、肝心の調理には女将以外の人間がタッチする事は無い。
まあこんな調子で、「オーダーを受けてから調理」しかも「タイミングは女将の気分次第」といった感じなので、急ぎのオーダーなど受けられないのは当然だろう。

効率化による多売や、客に愛想を振りまくよりも、何より自身のコダワリで焼きそばを作り続けている…そんな感じだろうか。
まあそうでもなければ、年齢を考えれば店を移転してまで続ける必要は無い訳で…


で、運ばれてきた焼きそばはこんな感じ


見ての通りの具だくさんの醤油風味のソース焼きそばで、おそらく麺も蒸し麺ではなく生麺。
まあやや麺の一部にソースが絡みきっていない箇所があるのはご愛敬ということで…

あまりに久しぶりだったので、味そのものに関して以前の記憶とリンクできず、味の変化についてはコメントも出来ないのだが、少なくとも美味しく頂いて満腹。

で、最後にお会計をした時に…無愛想な女将から「どうぞお気を付けて」という言葉が出てきてビックリしてしまったのは内緒…





そして木古内駅へと戻り、初めての道南いさりび鉄道乗車となる。

ちなみに木古内駅は青函トンネルの玄関口だったこともあり、多数のホームがあるのだが、現在使われているのは1面2線だけ。

他のホームは貨物列車の通過線と化しており、駅名標もこの状態



まあこの路線自体は江差線・海峡線時代に何度も乗っているので、特に新鮮なこともないだろうと思っていると…

案の定、車両もJR時代からそのまま


車内の掲示などには、JR北海道と書かれていた部分にシールを張ってあるだけ。あまりに味気ないと言えば味気ない…

そして出発。車内は各ボックスに1人乗客がいる程度なのだが…実はかなり鉄系の人が多い様子。


途中駅で青函トンネルへと向かう貨物列車と行き違い



途中の渡島当別で鉄系の人が一気に降りていったので、修道院へでも行くのかと思ったのだが…

なるほど、そういう事ですか…


ちなみに何故、鉄系の人だと解かったかというと…その風貌もさることながら、車内で旅行貯金の通帳だの風景印だらけの紙だの取り出してニヤニヤしていたからなのだが…(「旅行貯金=鉄の人」というのは偏見なのだろうか)


そして五稜郭からJR線に直通し、車窓に車両基地が見えてきたのだが

道南いさりび鉄道オリジナルペイントの車両はお休み中


更に函館駅構内には役目を終えたスーパー白鳥用の車両が多数






こうして函館駅に到着。

まあ昔と比べると函館駅の変貌も凄いのだが…但し今回が初めてではないので特に驚く訳では無い。

現在の函館駅


昔の函館駅

※過去のブログから引用・2001年頃に撮影


少し話は前後するのだが…

翌日、函館駅の駅弁を買い求めたところ、そのパッケージに旧駅舎のイラストが載っていて、何だか懐かしい気分に






函館駅からバスで湯ノ川温泉へ移動し、今宵の宿にチェックイン


ハッキリ言うと共済組合の保養所で、それを比較的安価に一般に開放しているプランを利用。


なので、豪華さや細やかなサービスには期待できないのだが…

きちんとリノベートされ、清潔な水回りや


シンプルな造りながら、源泉掛け流しの温泉が魅力かと



で、お楽しみの夕食。ちょっと奮発してグレードアッププランで申し込んでいたのだが…



更に後から一気に皿が運ばれてきて、こんな感じ



地元の素材を豪華に使った料理ではあるのだが…
懐石のように食事の進み具合にあわせて調理し、暖かいものを温かいまま食べられる訳では無く、全ての料理が一気に運ばれてきて、食べている間に段々冷めてしまうのが一寸残念ではあるのだが、このあたりはやはり宿のグレードやお値段との兼ね合いだろう。


部屋に戻って、サッポロクラシックの限定品で晩酌



そして翌朝の朝食は定食スタイル






チェックアウト時間ギリギリまでのんびりと過ごし、宿をチェックアウト。
何故ギリギリの時間まで宿で過ごしていたかというと…帰路は新函館北斗駅を12:44という中途半端な新幹線を利用することにしていたため。そして何故そんな中途半端な便を選んだかは…また後ほど。

市電で函館駅へと戻り

※以前のブログから引用した写真で、今回実際に乗車した車両ではありません・2014年撮影


新函館北斗駅行きの新幹線連絡列車「はこだてライナー」まで時間があったので、駅前のデパ地下でバラ撒き用のお土産など購入していると…

ローカルコンビニであるハセスト(ハセガワストア)がデパ地下に出店しているではないか!
但し、通常のコンビニ店とは事なり、店内調理のホットシェフ(…って、セコマ用語か・大汗)のみの営業で、要はテイクアウト専門のキッチン方式の弁当店としての出店。


今回はほとんどローカルのB級フードを楽しむ時間も無かったので、この機会に名物の「やきとり弁当」(但し実際は文化的背景から鶏肉では無く豚肉)購入することに


しかし…思いつきで後先考えずに買ってしまったことは否定できず。ロングシートの「はこだてライナー」の車内で食べるのも辛いし、かといって新幹線に乗ってしまえば車内サービスもあるので…

結論;函館駅の待合室ベンチで食べてしまうことに。


実はこのやきとり弁当…容器にスリットが入っていて…

串をスリットに乗せ


一気に引き抜いて食べやすくなるという仕掛け(但し具が片側に寄ってしまうのは致し方なし)



そして更に時間があったので、駅ナカをブラブラしていると…

ウニを使った駅弁などが売られており、「そういえば今回、ウニ食べてないなぁ…」と思ってしまい…


流石に同時に2個は辛く、新幹線車内サービスとの兼ね合いもあり、賞味期限を越えて翌日の朝食までスライドしてしまいましたとさ(苦笑





そして「はこだてライナー」に乗車


ロングシートの座席がさらりと埋まる程度に混んでおり、味気ない通勤的光景かと思いきや…
やはり新幹線乗り継ぎ客が多く、スーツケースを持って、あれこれ楽しげに盛り上がっていたり、更に車内アナウンスで北海道新幹線の紹介が行われるなど、微妙に盛り上がる空気なのが嬉しいところ。

ただ…新函館北斗駅での乗り継ぎがスムーズで無く待ち時間が発生してしまうのはちょっと残念かも。


しかし駅をじっくり見学する時間があるとも言える訳で…



北欧風テイストを感じる駅構内




駅舎脇には前身の渡島大野駅時代のレンガ小屋が移築保存されている






そして今回はスマートSuica特急券の利用だったので、おサイフケータイを改札にタッチしてホームへ向かおうとしたのだが…


改札機からIC利用票が出て来ないので、一瞬故障と勘違いして駅員さんを呼んでしまったのは内緒…如何に自分が東海道新幹線に慣れきっているのか認識する羽目に(苦笑


そして今回乗車する車両にご対面



そう、ラベンダー色の帯のH5系


まあ基本的にピンクの帯のE5系とほぼ同じではあるのだが、折角北海道新幹線に乗るのならと、敢えてH5系で運用される列車を選んだ次第。

とは言え、H5系自体が4編成しか存在せず、うち2編成は予備として運用されている状況なので…適当な時間に新函館北斗-東京を通しで走る列車がコレしか無かったというのもまた事実。
それ故、この日一日が新幹線乗車だけに消えてしまうと言うやや非効率なスケジュールになってしまったのだが。


一応、車内壁の化粧板が木目になっていたり、カーペットの柄が流氷をイメージしたものになっていたりと、H5系を基本としつつもちょっとだけ北海道仕様になっている




そして今回は東京までの通し乗車と言う事もあり、こんな車両に乗車


こんなシート


展開式のカクテルテーブルが便利


ちなみにメーカーは


ちょっと気になったのが…このグランクラスの車両、本来は利用者以外は車内には立ち入れず、以前に東北新幹線や北陸新幹線で利用した際には、出入り口でアテンダントが利用者かどうかをチェックしていたのだが、今回はそれが無し。
で、利用者でも無い古典的な風貌の鉄系の人が平然と車内に入り込んできて、正面に座っている人がいるような状態でも平然と一眼レフを振り回し…雰囲気が完全にぶち壊し(苦笑


そして東京へ向けて出発したのだが…新函館北斗駅出発時に青函トンネルへ入る時間の案内放送こそあったものの、それ以降は実際に青函トンネルへ入る際も含め何らアナウンスがなく、往路と比べやや盛り上げに欠ける感じはあるのだが、やはり本州発と北海道発では車内のテンションも違うのだろう。

そしてアテンダントから飲み物や軽食などのサービスの案内があったのだが、函館駅で食べたやきとり弁当から時間も経っていなかったので、飲食サービスは盛岡出発後にとお願いし、しばし休息することに。

そして新青森に到着した段階で、「日本の全新幹線に乗車したことがある」「JR北海道の全路線に乗車したことがある」という2つのタイトルを奪還。





新函館北斗-東京の乗車時間の約半分を過ぎた頃に盛岡駅へと到着

車内から盛岡の街を眺める


実は私、その昔盛岡に勤務したことがあるのだが…但し1年を待たず配置換えになってしまい、それっきり。
しかし新卒ゆえあちこち散策するほどの余裕も無く、結局「住んだことはあるけど、あまりよく知らない街。」と、微妙にミステリーゾーンになってしまっているのも確か。まあ、随分と時も経っているので、そろそろ1旅行者として訪問してみるのも悪くないかも知れない。


余談はさておき、盛岡駅では5分の停車。

その理由は…秋田からやって来た「こまち号」を併結する作業のため


ちょうどトラベリングタイム的に、中間休み的な空気もあり、多くの乗客がホームに出てこの作業を見学している。


しかしこの角度から見てみると、在来線規格の秋田新幹線車両が小振りである事がよくわかる


そういえばE6系って、未だに乗ったことが無いなぁ…


キャビンアテンダントに「お帰りなさいませ」と迎えられて車内へ戻り、軽食タイム

函館駅弁「みかど」製、和軽食


アップで


まあ見ての通り、量は抑え気味なのだが、沿線の名物を取り入れつつ、冷めても美味しい献立に仕上げられており、満足。

ちなみに飲み物は長野の五一ワイン製のオリジナルラベルの白ワイン。
他にサッポロクラシックもあったのだが…特に限定品という訳でも無いので、今回はパス。


更に食後はハーブティーと、道南産イチゴのパウンドケーキをオーダー


こうしてのんびりと食事をしているうちに、列車は大宮を通過し、グランクラスの旅も終わりに。


そして東京駅に到着し、約4時間半の北海道新幹線の旅も終了。





そのまま東海道新幹線に乗り継いでも良かったのだが、何だか新幹線ばかりで飽きそうな気もしたので飛行機利用としたのだが…

で、車内の軽食が“軽め”だったからと言い訳して、羽田空港のターミナル内でこんなものを食べてしまいましたとさ(苦笑



<おわり>



※お知らせ
誠に勝手ながら、新年度のスタートの時期である事に加え、ちょっと後ろへスライドしたGWに大型の旅に出ることにしたため、来月中旬までみんカラ上での活動は縮小モード(5月上旬は完全休業)とさせていただきます。
Posted at 2016/04/12 20:16:05 | コメント(3) | トラックバック(0) | 旅のまとめ(2016年) | 日記

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