今頃先週の話をUP。
クルマネタではないので、興味ない方はスルーしてくださいね。
既に行ってから1Wが経過しようとしていますが、当日の何シテル?に記したとおり、12日に南九州市知覧町郡にある知覧特攻平和会館へ行ってきました。
ここは以前より一度は訪れてみたいと思っていた場所で、今回日帰りの強行軍を実施。
行きはソラシドエアのセールで購入したチケットで羽田7:45発の便を利用。
片道7570円で鹿児島まで連れて行ってくれるなんて、なんてありがたい。
機種は737-800。
この日羽田には二機の政府専用機が駐機してました。
鹿児島空港にはほぼ定刻どおりに到着。
駐車場を突っ切り、10時で予約してあるオリックスレンタカーへ向かいクルマを受け取ります。
今回のお供はこのN-BOXくんで、8時間レンタルで4928円です。
空港直近の溝辺鹿児島空港ICから九州縦貫自動車道を使い知覧を目指します。
途中の桜島SAでトイレ休憩+ドリンク購入。
何か知らんが、記念写真用の顔出しパネルが多数設置されてる(笑
こんなに必要??
残念ながら桜島は雲が掛かっていて良く見えなかった。
その後ナビでは谷山ICから指宿スカイラインのルートを指示していたところ、分岐を間違え一度市街地に入ってしまったので少し遠回りをしてしまい、11:20に記念館に到着。
入口で入館料500円を払い、その先で音声ガイド用タブレットを200円でレンタルし、館内を回り始めます。
入って先ず正面に陶板壁画「知覧鎮魂の賦」が。
燃える特攻機「隼」の機体から6人の天女が特攻隊員の魂魄を救い出し昇天させる姿を表したという作品。
この壁画を見ているだけで込み上げてくるものがありました。
遺品室には陸軍沖縄特攻作戦で亡くなった全隊員1036名の遺影が出撃戦死順に展示されており、下のケースに家族等に宛てた遺書・絶筆が置かれています。
この他にも寄せ書きやハチマキ等が展示されたケースもあり、その下の引き出しにも各隊員達の手紙が入っており読むことができますが、如何せん数が多いので1日では見切れませんでした。
各展示エリアは撮影禁止となっていますので写真はありません。
視聴覚室では時間毎に語り部の講話や映像上映があり、こちらも両方視聴・拝見しましたが、思わず涙が...
周りからもすすり泣く声が聞こえてきていました。
沖縄での陸軍航空特攻作戦は、終戦の年の3月26日から7月19日まで行われたとのことですが、知覧からの出撃は米軍からの爆撃もあり6月までだったとのこと。
特攻隊員の出身地は北は北海道から南は沖縄と全国に渡った他、樺太や朝鮮出身の方も居たことを今回の訪問で知ることができました。
中でも韓国人の一隊員の方は、出撃前夜の富屋食堂での席で、母国の歌を歌わせてくれと「アリラン」を唄ったそうで、それまで日本名を名乗っていたのでそこで初めて韓国の方と知った隊員もいたそうです。
母国でなく統治国のために死んでいくのはどんな気持ちだったのか、想像もつきません。
また犠牲となった特攻隊員の中でも大きな比率を占めていた少年飛行兵。
最少年齢は17歳となっており、犬を抱いた写真でも有名な隊員達も17~19歳。
どの隊員も出撃前の写真でも笑顔で写っているのを見ると、心が痛くなりました。
語りで言っていましたが、出撃前夜、兵舎内を巡回すると頭から布団を被り声を殺して泣いている姿が見られたり、翌朝なでしこ隊の方が兵舎を片付ける際、枕が涙で濡れていたとも...
言葉もでません...
水上特攻艇震洋が展示されている震洋艇展示室には米軍からの資料も展示されていましたが、そこで降伏調印に使用された戦艦ミズーリにも特攻が行われたことを初めてしりました。
現在パールハーバーに記念艦として展示されていますが、特攻の跡はそのまま残されているそう。
また特攻当時搭載爆弾は不発で燃料引火による火災のみだった様で、甲板上に投げ出されていた特攻隊員の上半身遺体をみた艦長は、多くの反対する乗員がいる中、命を賭して自らの任務を全うしたとして隊員の遺体を弔うことを決め、手作りの旭日旗を使い海軍式の水葬をおこなったとの事。
敵味方を超えたこの話も涙ものでした。
会館の最後には、特攻機ではありませんがエンジントラブルで不時着し海に沈んでいた物を引き上げた零式も展示されています(ここは撮影可)
操縦席の後ろ側。
パイロットの防御機能が無いといわれた座席の造りが分かります。
潤滑冷却器=オイルクーラーだよね。
ここまで約4h館内を見学。
音声ガイドは借りてよかった。
その後は外へ出て、記念館の周りの戦跡を徒歩で巡ります。
記念館の横にある三角兵舎。
半地下構造で、隊員達が最後を過ごす兵舎です(これは復元)
移設された飛行場の門柱。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で復元された隼。
外国人観光客の皆さんが写真撮ってた。
因みに館内に展示されている疾風は飛行出来た機体との事。
ここから先の戦跡は他に見てる人がおらず自分の貸し切り状態。
最初に給水塔。
地盤が悪いため、現在では奥側に向かって傾斜してしまっています。
防火用水槽。
当時3基あった内の1基で、私有地にあったものを移築したそう。
機銃弾の弾薬庫。
潤滑油やグリースなどを保管した油脂庫。
壁面の傷は空襲時のものとのこと。
飛行場の正門があった場所。
今は住宅地で、それを示す表示もありませんでした。
他に着陸訓練施設があったのですが、見忘れてしまいました(泣
その後はクルマで戦跡巡り。
初めに特攻機発進の地跡。
ドラッグストアの駐車場の脇にありました。
上記ドラッグストア横の路地を入って進んだ先にある戦闘指揮所跡地。
上記指揮所跡の四つ角を左折して直ぐ右側の通信隊跡地。
通信隊跡から1キロほど進んだ右側にある三角兵舎跡。
記念館横に復元されていた兵舎はこの様な松林の中にあった様です。
掩体壕。
格納庫は爆撃目標となるため、飛行機を守るため造られた馬蹄状のシェルター。
対空火器を置いた山砲座跡。
ここへ行く道はクルマ1台分の幅で周りに草が茂っていて、ポツンと一軒家のロケに行く道の様だった。
開聞岳も下半分しか見えず。
B25墜落搭乗員慰霊碑。
日本の終戦記念日の8日前の8月7日に知覧基地からの対空砲火を受け墜落したB25の搭乗員の慰霊碑。
なでしこ隊見送りの地の近くにありました。
時間があれば旧富屋食堂(現ホタル館)へも行きたかったのですが、ここから空港まで1h強掛かることを考えると今回はここまで。
この時点で16時を過ぎており、雨もポツポツ降り出していたので空港へ戻ることにしました。
が、帰りは思ったより早く、17時チョイ過ぎにはレンタカーを返却。
N-BOXの燃費計での平均燃費は約19.5㎞/L。
結構回して走ってたけど、アイに比べるとだいぶ燃費いいですね。
ただ過給機付きのアイに比べるとパワーは無いしコーナーも怖い。
アイは脚も変えてあるし、エンジンレイアウト等も違うからしょうがないけどね。
レンタカー返却後は空港内のレストランで早めの夕食を済まし、19:05発の搭乗を待ちます。
帰りの飛行機は鶴丸さんとこの767-300。
こちらもセールで購入したチケットなので11480円。
ソラシドの格安は時間の合うのがなかったのでこれで我満。
数日前に機種変更の連絡が来てたけど、国際線仕様のA44になってた。
せっかくの国際線仕様だけど機内エンタメやWi-Fiサービスが使えないのは残念。
到着便がジェット気流の影響で到着遅れた分、出発時刻が5分遅れとなったけど、羽田戻りはジェット気流が追い風となり対地速度1000㎞出てると言ってたので到着時間は速かった。
おかげで22時半には帰宅できました。
今回弾丸旅行で時間制約あったけど、概ね目的は達せたのは良かった。
また平和である事のありがたみを改めて感じる事の出来た旅でした。
機会あれば富屋食堂と鹿児島の他の観光地を観に、もう一度行きたいですね。
今回も最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。