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2005年11月30日

F1レーサー列伝 ミケーレ・アルボレート

F1レーサー列伝 ミケーレ・アルボレート 私がF1を見始めたときのフェラーリ・ドライバー、それはミケーレ・アルボレートです。私の中でカーナンバー27はミケーレです。
彼の印象深いレースは88年のベルギーGPです。
チームを放出されるウワサの渦中の中、激走を魅せました。
あえなくエンジンブローしましたが、白煙を吐きながらも一生懸命走り続けました。
たしか、この頃、エンツォ。フェラーリが亡くなったか、危ない状況の時期でした。
彼はエンツォに対しても恩返しをしたかったのでしょう。
エンツォが最後に指名したイタリア人ドライバーでした。

その後はティレルに移籍して、シブイ走りを魅せていましたが、スポンサーの関係でアレジと交代しました。
日本人としてはフットワークで鈴木亜久里のチームメイトのイメージが強いでしょう。
ミケーレはF1で5勝も挙げ、1985年にはプロストとタイトル争いをしています。偉大なドライバーです。

2001年、アウディのスポーツカーのテスト中に事故死しました。とても残念なニュースでした。
ブログ一覧 | F1レーサー列伝 | クルマ
Posted at 2005/11/30 20:51:56

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この記事へのコメント

2005年11月30日 22:52
ミケーレ・アルボレート、亡くなったのですね。知りませんでした。
ご冥福をお祈りします。

僕がF1を見始めた頃のフェラーリ・ドライバーはN・ラウダでした。
コメントへの返答
2005年11月30日 23:09
こんばんは。
ニキ・ラウダがフェラーリドライバーの頃ですか?
彼は74~77年まで在籍していました。
最後はエンツォ・フェラーリと喧嘩別れしたみたいですね。

私はニキ・ラウダの現役時代を知らない世代です。
アドバイザーってイメージが強いです。
2005年11月30日 23:12
フットワークではさすがの走りしている時もありましたよね。アクの強いキャラの中では地味でしたが…全盛期を見たかったです。
コメントへの返答
2005年11月30日 23:16
鈴木亜久里選手は勝てませんでしたね。
ミケーレの貫録勝ちでした。
94年には、JJとベネトンのシートを争いましたよね。
結局JJが獲得しましたが・・・

フェラーリ時代はトップドライバーの風格がありました。
エースナンバーの27を背負っていましたからね。
2005年11月30日 23:22
僕がF1に興味を持ちだしたのは1976年頃です。当時、フェラーリはN.ラウダ、マクラーレンがJ.ハント、ロータスはM.アンドレッティでした。黒のロータス78(JPS)がお気に入りでした。
コメントへの返答
2005年11月30日 23:24
JPSカラーのロータスは、今見てもカッコイイですね。
76年でしたら、ティレルの6輪車も一世風靡していましたよね。私はミニカーで遊んでいました。

私はキャメルカラーのロータスから見始めました。
ちょうど中嶋悟選手がF1フル参戦って頃です。
あの時はアイルトン・セナと組んでいました。
2005年11月30日 23:34
アルボレートから話がずれてすいませんでした。
アルボレートは低迷期にさしかかった頃のエースだったのが少し不運だったですね。フェラーリのマシンにもう少し戦闘力があれば、通算20勝も夢ではありませんでした。
コメントへの返答
2005年11月30日 23:40
いえいえ、気にしないでください。
彼はエンツォ・フェラーリが体調を崩し、お家騒動が起こっていた頃にフェラーリに加入しましたからね。
彼を呼んでくれたエンツォが病身だと、誰も彼をかばってくれなかったのでしょう。

エンツォ・フェラーリは頑なにイタリア人ドライバーを拒否してきましたが、そんなエンツォが封印を解いて採用したイタリア人ドライバーがミケーレ・アルボレートってことを忘れてはいけないですよね。
2005年12月1日 0:53
ミケーレ・アルボレートですね!

サーキットは忘れましたが、ウエットからドライになりかけの時に、ミケーレが犠牲になってドライタイヤに交換して・・・・。

そんな事を思い出しました・・・・

エンツォが生きていたら、その後のドライバーラインナップも違う形になったでしょうね。

昨年のまでのように、強いフェラーリになっていたかは?ですが。
コメントへの返答
2005年12月1日 0:57
エンツォが生きていたら・・・・セナとプロストを欲しがっていたという話も聞きますし、かと言って、ジル・ビルヌーブが大のお気に入りでもあったわけだし・・・・
想像がつかないです。

そう言えば、F40のテストドライブをミケーレがやっていた写真を雑誌で見たことがあります。
2005年12月1日 20:34
はじめまして。

自分がF1を見始めたのもニキ・ラウダとカルロス・ロイテマンがフェラーリをドライブしていた頃です。
当時のマシン「312T2」というマシンがすごく好きで、それ以来最近までずっとフェラーリファンでした。←現在はルノーのファンですが(ルノーに救ってもらった会社のクルマを販売する仕事をしているもので:笑)

アルボレートについては、自分も「156/85」を駆ってプロストとチャンピオン争いをしたのがすごく印象に残っています。
とても丁寧な運転をするドライバーだったと記憶しています。

ただ、自分は歴代のF1ドライバーの中で一番好きなのがジル・ヴィルヌーブなもので、27番は自分にとってはアルボレートではなくジルのイメージが強いですね。
コメントへの返答
2005年12月1日 20:52
はじめまして。
77年ごろからF1を見られているようですね。
その頃はフェラーリの黄金時代でしたね。
私が見始めた87年頃は勝てなくて、絶不調でした。
悲惨だったのは、92~93年でした。
だから、フェラーリ=弱い、壊れるのイメージが着いてしまいました。
それだけに、シューマッハが救ったのは奇跡だと思いました。
かつてないほどの黄金時代を作りましたね。
私が見始めた頃はホンダエンジンの全盛期だったので、現在の弱さは信じられません。
栄華盛衰ってことでしょうね。がんばってもらいたいです。

ジル・ビルヌーブのDVDは持っています。
79年フランスGPでのアルヌーとのドッグファイトは永遠に語り継がれるでしょうね。
2006年2月11日 18:48
89年のミケーレは悲惨でした。88年のストーブリーグでウイリアムズの入るはずでしたが、89年からルノーエンジンを使うためフランス語を話せるブーツェンにシートを奪われてから悪い方向に進んでいってしまった気がします。

 ティレルに乗った89年のメキシコでも、しっかり表彰台に立つところはさすがとしか言えません。

 今宮さんが言うには、「すごくいい人」だそうです。
コメントへの返答
2006年2月11日 18:54
89年にウィリアムズに乗っていたらどうなっていたでしょう?
ティレルでの活躍を見る限り、まだまだイケそうでしたよね。
ティレルもキャメルの絡みでシートを追われるし・・・・

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「オジーのお葬式のライブ映像を見ております。バーミンガムの英雄ですね。ブラスバンドが奏でるクレイジートレインが泣かせます。」
何シテル?   07/30 23:16
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